ボナペティ表紙

今年は、7月末に入っても雨ばかりで、梅雨がなかなか開けません。
しかも、2018年の7月豪雨同様に、またしても、大雨が降り、我が岐阜県でも、
洪水警報がそこかしこで、しかも頻繁に発令されています。
いうまでもなく、身近な場所でも多くの被害があります。
とくに、国道41号線の寸断がされたことで、実家に帰ることも、不便な状況となっています。
岐阜県以外ではさらに深刻な被害もあるようで、いちはやい復旧を願うとともに、
被災された方には、衷心よりお見舞い申し上げます。

ところが、こうした雨の多い、湿度の高い時期にも関わらず、
新型コロナウイルスの蔓延は拡大する一方です。
6月から7月の時期は、感染症はさほど広がらないのでは、などと、私は考えていたのですが、
その楽観的な予想をあざ笑うかのように、感染された方が急激に増えています。
この調子でいったら、秋から冬にかけて、いったいどうなるのか、非常に心配です。

それにしても、今年は、はじまりからいままで、コロナ一色ですね。
きっと年末まで、コロナ危機が去ることはないでしょうし、おそらくは来年も、
そのまた次の年も、コロナの話題がなくなることはないでしょう。

そんな折、Go Toトラベルキャンペーンが始まり、国としては、経済活性化のため、
旅行や外出を奨励しているようですが、私としては、どうしても、
人がたくさん集まるような場所や観光名所は、避けたくなってしまいます。
というわけで、近頃は、お出かけしても、車から降りず、ただぐるぐるするだけ、
などということが多く、ブログに書くネタも、枯渇しています。

ですので、今回もまた、もはやちょっと食傷気味の感もなきにしもあらずですが、
ブックレビューをしてみたいと思います。
今回、取り上げるのは、文春文庫より出版された
『ボナペティ - 臆病なシェフと運命のボルシチ』という小説です。
著者は徳永圭さんという方です。

ボナペティ中面

物語の主人公は、都内の食品メーカーに勤める三十代のOL、長谷川佳恵。
準備に準備を重ねて挑むはずだったプレゼンを、
ライバル社員の姑息な妨害によって白紙に戻され、
憤懣やるかたない思いに駆られる。
そして、腹立ち紛れに、かつて行ったフレンチのお店に行くのだが……。
フレンチのシェフは変わっており、客を客とも思わぬ態度。
味は決して悪くはないのだが、そのシェフの物言いに、
もともと機嫌の良くなかった佳恵は、大激怒。
シェフと大げんかをしてしまう。

この経験を契機に、佳恵は、自らビストロを開店する計画を思いつくが、
今度は、優秀なシェフの獲得に難儀する。
そんな折、たまたま立ち寄ったショットバーで、驚くほどおいしいボルシチと出会う。
聞けば、そのボルシチは、マスターの手によるもではなく、
バイトとして店に入っている西田という若者が作ったものだという。
その西田とは、あの大げんかをしたフレンチのお店で働いていた若者だった。

さっそく佳恵は、西田の引き抜きにかかるが、西田は首を縦に振らない。
自分は責任ある地位に向かないのだという。
超イケメンである西田は、勤め先に女性がいると、その女性たちが互いに競い合い、
トラブルになるという。
西田はその事実を、自分に統率力がないからだと思い、自信喪失していたのだ。

佳恵は、そんな西田を必死に口説き落とし、同時に、かつての友達などの助けもあって、
なんとか、ビストロ『メゾンドシトロン』の開店に漕ぎ着けるが、
当初は快調だった売り上げがジリジリと下がり始め、
また、何者かによる、店への嫌がらせも始まる。

佳恵は、この苦難を克服できるのか……。

ボナペティ背表紙

といったストーリーです。
話のスジはいたってシンプルで、とてもわかりやすいです。
OLがお店を開き、さまざまな困難に直面しつつも、
仲間とともに、夢を実現する、という、感じです。
複雑な人間関係、対立軸、というものも、とりたててありません。

そのぶん、長谷川佳恵、西田健二、といったキャラクターがとてもうまく描かれていて、
思わず、笑ってしまったり、応援したくなったりします。
(物語は、佳恵、と、西田、のふたりの視点から描かれています)
なのに、ミステリー的な要素もあって、読者を飽きさせません。

複雑で先の見えないストーリー、どんでん返し、荒唐無稽な設定、といったものも、
読んでいて楽しいのですが、こうした、日常的なサクセスストーリーも、ほのぼのとして、
しかし、佳恵という押しの強いキャラクターのパワーもあって、
あっという間に読んでしまいます。

この作家さんを読むのは初めてですが、既作品がいくつかあるようですので、
機会があれば、また、ぜひ、読んでみたいです。



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トンネルからの眺め

前回、当ブログに、北陸、福井の朝倉氏遺跡についての記事をアップしましたが、
またしても、北陸ネタをいってみたいと思います。
今年は、コロナの影響であまり出かけることができないのですが、
そんな数少ないお出かけネタは、どうも北陸が多くなっています。
今回、取り上げるのは、明治期に建造された山岳鉄道トンネル『山中トンネル』です。
もっとも、行ってきたのはすでに二週間以上もまえの、6月28日になります。
(ズボラなので、なかなかアップできませんでした。すみません)
この日は、時折、雨が降るあいにくの空模様ではありましたが、
午後3時を過ぎるあたりから、しだいに晴れ間が覗くようになり、
総じて、まあまあの行楽日和となりました。

私が、この『山中トンネル』というトンネルを知ったのは、
TBSの『マツコの知らない世界』という番組でした。
番組には、古いトンネルマニアの方が出演していていて、
この山中トンネルを、日本屈指の名所トンネルとして、紹介していました。

北陸であれば日帰りドライブで行ける範囲ですし、
そんなトンネルがあるのならぜひ見てみたいと思っていたのですが、
前回、北陸にいったさいに、たまたまこの山中トンネルの看板を発見していたので、
近いうちに、ぜひ行ってみたいと思っていました。
今回、そんなこともあって、行ってみることにしました。

今回の出動車はヨメのプジョーです。
いつものように西の隣県滋賀県に入り北上、国道365号線に乗って、
余呉から福井県へと入り、そのまま道なりに進むと、
山中トンネルへ向かう看板が、頭上に見えてきます。

山道ドライブ

というわけで、看板に従って左折……。
やがて民家はなくなり、道はぐっと細くなりますが、そのまま西へと進みます。

駅の跡

そして最初に見えてくるのが、廃線の駅『大洞駅』跡です。
立て看板や蒸気機関車の車輪などが展示してありますので、
廃線マニアならずとも、すぐに発見できます。
ホームの跡もきちんと残っていますし、手入れもされているようです。
ほかにも、見学客の方達がきていました。

かつての駅

この駅は、デゴイチを二重連で使っていたとか……。
山岳地なので、そういうこともあるのでしょうが、そもそもなぜ、
山の中のこのような場所に、鉄道を通す必要があったのでしょうか。

というわけで、ふたたびプジョーに乗り、さらに西を目指しますが、
行く道のところどころに、廃線の遺構が残っています。
かつては賑わった路線のようですね。

こちらも明治期のもの

こちらは、土砂から線路を防護するためのロックシェッドだそうです。
通過した当初は、新しいものかと思っていましたが、
国の重要有形文化財の銘板が取り付けられており、
古いものだということがわかりました。
線路はもうないので、こうして車で通ることとなります。

トンネル到着

そしてついに、山中トンネルに到着。
深い山の中に、ぽっかりと、左右ふたつのトンネルが口を空けています。
曇天で、少し霧が出ているため、なんとも幻想的な、不思議な感じでした。
でも、トンネル見学には、この怪しげな雰囲気はとてもマッチしているかも……。

美しいレンガ

しかも、レンガを積んで作ってあり、それだけでもう、遺跡的な魅力があります。
褪せたレンガの色と、取り巻く緑が相俟って、なんとも幻想的な雰囲気です。

文化財銘板

しかも、このトンネルにも、先に通過したロックシェッド同様、
重要文化財であることを示す銘板が、左右両方に埋め込まれていました。
絡まる植物の蔓がまた、いい雰囲気になっています。
(なんとなく、ラピュタみたいですね)

で、トンネルのなかにも歩いて入ってみましたが、
灯りは乏しく、かなり暗い感じでした。
しかし、トンネルの壁面はレンガでびっしりと組まれており、
古いトンネルながらの、趣にあふれていました。
トンネル内部の写真や壁面の写真も撮ったんですが、
ピンボケになってしまいました。
トンネル内の模様をお見せできないのが、とても残念です。

しかも、出口はまったく見えません。
思いの外、長いトンネルのようで、進む先は闇です。
どのくらいの長さがあるのか、また、対向車が来たら、どうなるのか、
避ける場所があるか、そのあたりが、なんとも不安なところです。
歩いて出口まで行ってみようかと思いましたが、距離が不明なので、
途中で引き返してきました。
あのまま歩いていたら、別の世界に行っていたかも、などと思わせます。

トンネルの説明

蒸気機関車に引かれた列車は、ここでスイッチバックをして、
きつい勾配を上っていたそうです。
まさに交通の難所ですね。

隣のトンネル

こちらは、山中トンネルのすぐ隣にある、もうひとつのトンネルです。
どうやら、スイッチバックをするために、設けられたもののようです。
こちらもまた、独特の雰囲気がありますが、出口はなく、
内部で行き止まりになっているとのことでした。

というわけで、プジョーでトンネルを走ってみることも考えたのですが、
道幅が狭く、先がどうなっているかわからないこともあって、
運転手のヨメは、このまま先へ進むのを拒否。
というわけで、今回はこの山中トンネルで、引き返すことにしました。

天候回復

そのあと、東の今庄に戻り、今度は、越前海岸へと出てみることにしました。
途中、ひどい大雨に降られることもありましたが、進むうち、
しだいに天候は回復し、海に出るころには、すっきりとした青空に。
ここのところ、どうも空模様が安定しませんね。
でも、青空を見ると、気持ちも晴々、スッキリします。

帰りには、木の芽峠を探したのですが、こちらもまた、不発に終わってしまいました。
(木の芽トンネルは見つけたのですが、峠道にはどうやっていったらいいものか、
よくわかりませんでした。ちょっと残念)

というわけで、もし、また機会があれば、今度は、山中トンネル、
通過してみたいと思っています。



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一乗谷到着

梅雨時に入り、新型コロナの蔓延も、少し小康状態となったような気がします。
まだまだ油断はできない状況ですが、緊急事態宣言も五月下旬に解除され、
また、この六月の半ばからは、県をまたいだ移動も、許されるようになりました。
というわけで、すでに一週間以上前のことになりますが、
先々週の日曜 (21日) 、ひさしぶりに、MINIでロングドライブに行ってみました。
今回の行く先は、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡としました。
岐阜県から滋賀県に入り、その後北上して福井県に入るというコースを辿ってみました。

もっとも、この朝倉氏遺跡は、以前にも何回か行ったことがあります。
(初めて行ったのは、いまから十年前の2010年だったかと思います)
ですが、大河ドラマ『麒麟がくる』で、明智十兵衛光秀の落ち延び先として取り上げられ、
また、ブラタモリでも取り上げられるなど、いま、話題の場所となっている印象があります。
しかも、ロングドライブの行く先としては、距離的にちょうどいいという感覚もあり、
今回の目的地に選んでみました。
しかも、日曜日(6月21日)はお天気も上々。
梅雨に入ったというのに、意外と、ここのところ、好天が多いようにも思います。

辿ったコースは、まず、国道21号線を西に向かって走り、関ヶ原を通過したところで、
国道365号線にスイッチし、滋賀県へと入ります。
このあたりは、関ヶ原を筆頭に、姉川合戦場、浅井長政の小谷城、と、
古戦場跡を相次いでかすめるかたちになります。
そのまま、滋賀県長浜市木之本に入り、今度は、北の余呉湖方面を目指します。
この余呉湖は、柴田勝家と羽柴秀吉が激突した賤ヶ岳の戦いが行われたあたりです。

このまま国道365号線を北上します。
途中、かなりの山道になりますが、もともと、そうした道にはある程度慣れていますので、
難なく通過します。
その後、北陸の大動脈である国道8号線に乗り換え、今度は福井市を目指します。
さすがに、国道8号線に入ると、
車も、信号も多くなり、それほど軽快に走ることはできません。
(ヨメは、この8号線で、ちょっと飽きていました)

一乗谷のMINI

福井市でちょっと道に迷ってしまいしたが、
以後、国道158号線に乗り換え、スムーズに一乗谷へ。
この日は父の日でしたので、ヨメのご実家に
少しお邪魔をさせていただいたりしていましたので、
出発がやや遅くなったのですが、それでも、午後2時半ごろには、
無事、現地一乗谷に到着しました。

県をまたいだ移動が許されたせいで、一乗谷は大にぎわいです。
ですが、少し離れた駐車場であれば、なんとか駐車できました。
MINIでの久しぶりのドライブは、やっぱり、楽しいものです。

晴天の一乗谷

ここ一乗谷は、戦国大名である朝倉氏の拠点だった場所です。
朝倉氏は応仁の乱で勢力を拡張し、守護斯波氏に取って代わって、越前国守護になります。
その後、一乗谷を整備し、領国経営の拠点としたといいます。
一乗谷は、山に囲まれた谷間にあり、東西に渡って伸びるようなかたちになっています。
西には足羽川という川が流れていて、この川を使って、物資の搬入ができたといいます。
また、足羽川の東側の一乗谷入り口を閉じてしまえば、他の地域は、
ほぼ山に囲まれていますので、防御の意味で、
非常に優れている地帯といえるかもしれません。

朝倉氏はここで五代、およそ百年に渡って栄えます。
また、織田信長から攻められた金ヶ崎の戦いでは、浅井長政の加勢(織田からの離反)もあり、
織田軍を撤退に追い込み、また、姉川合戦では、浅井に対して大量の援軍を送り込み、
信長を窮地に追い込みました。
しかし、最終的には、浅井と同様、織田に滅ぼされてしまいます。

司馬遼太郎の国盗り物語では、五代朝倉義景は、
貴族趣味の優柔不断な人物として、描かれていたかと思います。
将軍足利義昭を擁しながらも上洛に二の足を踏み、結局、
織田に先を越されてしまいます。

現在の大河ドラマ『麒麟がくる』においても、
朝倉義景は、同様のイメージで、描かれているかと思います。
ユースケ・サンタマリア演じる義景は、騒乱に巻き込まれる面倒をひたすらに避け、
蹴鞠などの遊びに興じる『平時の趣味人』という人物として描かれています。

今回、現地で歴史案内ボランティアを勤めている方は、
初代である朝倉孝景については、世襲を禁ずる先進的な法度を制定するなど、
その功績を高く評価しているようでしたが、五代義景は、
あまり評価をしていないような、そんな印象を受けました。

ここ一乗谷は、五代およそ百年にわたって栄華を極めた朝倉氏の遺構が、広く残っています。
朝倉氏の居館、家臣の武家屋敷、町人の家々の礎石の跡などを見ることができます。
しかも、一部の町並みが復元されており、見学することができるようになっています。
入場料は220円ととてもリーズナブル。
ただ、このコロナの時期なので、体温測定や住所氏名の記入などがあります。

復元町並

こちらが、復元された町並みです。
写真では、あまり人影がないように見えるかもしれませんが、
県をまたぐ移動が許された最初の週末ですので、実際には、
もっとたくさんの行楽客がいた印象です。

当時の工具

家の内部には、当時使用された工具類などの展示もありました。
この時代にはまだカンナというものはなかったようで、そのかわりに、こうした工具が、
使われたといいます。

町民の家

町民の家はどれも同じ大きさ。屋根は板を葺いて、
風に飛ばされないように石を置く、というかたちになっています。
地面をアスファルトにしなければ、もっと当時の雰囲気が出たかもしれません。

屋敷跡へ

その次に、朝倉氏の居館である朝倉館跡に行ってみました。
それにしても、青空が広がっていて、歩いていて、とても気持ちがいいです。

江戸時代に再建された門

こちらが居館に通じる門ですが、当時のものではなく、江戸時代に作られたものだそうです。
この門、私は、関ヶ原後、徳川家康が建立したものと思っていましたが、
観光ボランティアさんによると、越前松平家によって再建されたとの説明を受けました。
もっとも、秀吉が寄進したと記すサイトもあるようなので、
実際のところはどうなのか……。 ちょっと私にはわかりません。
(でも、もしそうなら、江戸時代ではなく、
天正か慶長の時代に寄進したということでしょうか)

広大な屋敷

居館の礎石跡です。建物の大きさが伺い知れます。
相当巨大なものであったかと思われます。
明智十兵衛光秀は、ここで朝倉義景に拝謁したのでしょうか……。

土塁と堀の跡

背後の丘にあがり、居館跡を見下ろしてみました。
堀と土塁の跡がはっきりと見て取れます。

素晴らしい眺め

一乗谷のあたりは、民家も少なく、自然環境が昔のままに残っている雰囲気です。
それにしても、梅雨とは思えないほどの好天!。しかも、湿度はさほど高くなく、
とても過ごしやすい一日でした。
一帯は戦国時代の遺構ではありますが、広大な公園という状態になっています。
そこかしこに遊歩道がありますし、緑も豊富で
歴史に興味がなくとも、お散歩コースとして、楽しめるかと思います。
(その美しさをご紹介したくて、画像をちょっと大きく掲載しました)

資料館へ

そのあとは、歴史資料館に行ってみました。
この日、歴史資料館は無料開放日ということで、さっそく行ってみました。

資料館開放日

こちらも、以前(2010年)に入ったことがあるのですが、その当時、私は、
歴史に関して、知識も興味もまったくなく『越前朝倉氏』と聞いても、
なんだそれ?、って感じでした、なにも知りませんでした。
ですが、以後、司馬遼太郎をはじめとする歴史小説を読むようになり、
また、大河ドラマや歴史番組を見るようになるなど、歴史マニアとはとてもいえないまでも、
当時とは、段違いに知識を得るようになりました。
ですので、同じ資料館を見学するのも、ずいぶん意味合いが違うかと思います。

展示品は、朝倉氏遺跡から出土した什器や、書状(複製品)、パネル、など多数あります。
また、朝倉氏以前の歴史についての説明もなされています。
ただ、朝倉氏が織田と戦った「金ヶ崎の戦い」「姉川の戦い」「一向一揆」などについては、
とくに詳しい展示物があるわけではありませんでした。

一乗谷ジオラマ

この展示館で、なにより圧巻なのは、一乗谷や、当時の朝倉館を再現した、
ジオラマではないかと思います。
とにかく、朝倉氏の遺構を見学したその直後に見るわけですから、
現在の一乗谷の様子と、戦後時代の同じ場所が、うまくリンクします。
つまり、一乗谷の姿というのは、当時から大きく変わっていないということでしょうか。

朝倉館模型

また、こちらは、朝倉館の模型です。
これだけの施設が一乗谷に存在したというだけでも驚きです。
いまは静かなこの山あいの地が、当時は、北陸最大の都だったわけですね。

ちなみに、この資料館では、大河ドラマで使用された衣装やパネル展示が行われていました。
こちらも無料で見学できました。

というわけで、梅雨時の晴れ間のなか、北陸一乗谷を満喫してきました。
北陸はドライブコースがたくさんありますので、また、ぜひ、出かけてみたいです。



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桔梗塚の幟

緊急事態宣言が解除され、全国的に、しだいに普段の生活に戻りつつあるようですが、
それでも、まだまだ、元通りというには程遠い状態です。
なにしろ、気温上昇の六月に入っても、自分も含め、道行く人たちはマスク姿。
この先どんどん暑くなるというのに、先が思いやられる感じですね。

それにしても、今年は、おそらく、一年中このコロナを話題にすることになりそうです。
しかも、毎週楽しみにしている大河ドラマ『麒麟がくる』も、
前回の「決戦!、桶狭間」の放送をもって、一時中断になるとのことで、
もう、とってもガッカリです。
しかも、桶狭間というチョー盛り上がりの場面で中断なんて……。
(逆に、ここで中断というのはキリがいいのか……)
今度は三週にわたって、戦国大河名場面スペシャルという番組を放送するようですが、
とにもかくにも、一刻も早い放送復活を願うばかりです。

さて、そんな大河の話題とリンクしますが、緊急事態宣言が解除された先月、
県内にある、明智光秀ゆかりのスポットのひとつに、行ってみました。
その場所は、岐阜市の北方にある『山県市』というところにあります。

先月18日に放送された、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』という番組で、
明智光秀の墓という説もある『桔梗塚』という場所が、ドラマで帰蝶を演じる、
川口春奈さんによって詳細されていました。
というわけで、ミーハーな私たち夫婦は、近場ということもあり、さっそく、
この桔梗塚にドライブがてら行ってみることにしました。

案内看板

なにしろ、岐阜市の隣町というところなので、一時間もかからず、現場についてしまいます。
しかも、案内看板や幟も立っていて、迷うことなくすぐに見つけることができました。
が、案の定というべきなのか、現場はかなりの混雑。
交通整理の人が出ていて、駐車場もほぼ満杯。
運良く駐車できましたが、かなりの山奥にもかかわらず、
駐車場はタダというわけにはいきませんでした。
やっぱり、テレビの効果というのは、すごいんですね。
おそるべし、NHKという感じです。

産湯

こちらは、明智光秀産湯の井戸跡と言い伝えられているものです。
歴史人物の産湯の井戸って、けっこうあちこちにありますよね。
以前にいった岡崎城には、家康の産湯の井戸ってありましたし……。

白山神社

というわけで、桔梗塚を参るまえに、まずはすぐ近くの白山神社に行ってみます。
こちらには、前出の番組の中で、川口春奈さんが絵馬を書いた場面があったのですが、
その絵馬は、なんと、額に入れて飾ってありました。
(写真が撮ってなくて、すみません)
解説のボランティアさんもいたりして、あたりはかなりの賑わいです。

神社への道

神社はこの長い隘路の先にあります。
写真で見ると、長く険しそうに見えますが、実際には、たいしたことはありません。
すぐに、お宮に着いてしまいます。
(美濃金山城の登山道『うらじろの径』に比べたら、ごくごく短いものです)

いよいよ桔梗塚へ

こうして、参拝を終えてから、いよいよ、桔梗塚に行ってみます。

桔梗塚というのは、明智光秀の墓とされるものだそうです。
もっとも、明智光秀は、本能寺の変後、
有名な『中国大返し』で備中から引き上げてきた羽柴秀吉と、山崎で戦い、
そして破れ、近江坂本に敗走するさいに、
落ち武者狩りにあって討たれた(もしくは、その後自害した)はずです。

なのに、なんで、この地に墓があるのでしょうか……・

この地にある看板を見ると、明智光秀は、山崎の戦いのあとも生き延び、
名を変えて、この地でずっと生きていたというのです。
そして、慶長五年の関ヶ原の合戦のさいに、東軍に与するべく出陣したというのですが、
その途上で、事故死した……、らしいです。

関ヶ原の合戦のあった慶長五年というと、本能寺の変から18年後になるかと思います。
光秀が本能寺の変後も生き延びていたなどというのは、とても信じられません。
これは、いわゆる都市伝説みたいなものでしょうか……。

もし、光秀が、本能寺の変後も生き延びたとしたら、
その後の秀吉の台頭をどんな思いで、みたでしょうか。
謀反人の娘として不遇をかこった娘、玉のことをどう思っていたでしょうか。
盟友細川藤孝に文のひとつでも出そうとは思わなかったでしょうか。

明智光秀が本能寺の変後二十年近くも山の中で隠棲していたなどということは、
私の個人的な考えですが、ちょっとありえないのかなって思います。

塚への道

などといいつつも、しっかり桔梗塚を参拝してきました。
大河ドラマのおかげで、この墓も、たいへんな脚光をあびることになったわけですね。
もしかすると、とてもきれいに整備されたこの道も、大河ドラマの放送に合わせて、
整備されたのかもしれません。

このあと、明智光秀が生まれたとされる『庵の庭』という場所に行こうとしましたが、
かなり遠かったので、途中で断念してしまいました。

山道ドライブ

というわけで、そのあとは、ヨメのプジョー(運転ももちろんヨメです)で、
県内の山道をドライブをしてみました。
いままでまったく通ったことのない道で、なかかなに新鮮な気持ちでした。
ハンドルを握るヨメも、久しぶりの山道に、大いに盛り上がっている感じでした。

というわけで、その後、岐阜市内に帰ってきたのですが、
今の季節、まだ陽が高いので、今度は、真偽不明な都市伝説的スポットではなく、
正当(?)な岐阜の歴史スポットにちょっと立ち寄ってみることにしました。

道三塚

それがこちら。斎藤道三を祀った塚『道三塚』です。
斎藤道三は、長良川合戦において、息子である斎藤義竜に敗北します。
熾烈を極めたこの戦いのあと、討ち死にした道三を偲んだ常在寺の住職が、
建立したものだと言います。
(当時と現在とでは、塚の場所は違うそうです)

この塚は、岐阜市の住宅街の中にあります。
大河ドラマの観光案内でもこの塚を取り上げており、
私も、司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んで以後、この塚を探していたのですが、
ようやく、発見することができました。

道三塚案内看板

案内看板には、当時の長良川の流れと、現在のながれとを比較した地図が描かれています。
この地図によると、長良川合戦の起きた現場は、現在の岐阜メモリアルセンターのあたり、
ということがわかります。

大河ドラマ効果か、私のほかにも、初老の夫婦が塚を見学にきていました。
もっくんも、ここにきたのでしょうか……。

とにかく、やっぱりお出かけはいいですね。
気持ちも晴れます。
今後、コロナがどのような影響を及ぼしていくのかわかりませんが、
マスクの着用などを心がけつつ、許される範囲で、お出かけしたいと思います。


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ジョージ・オーウェル 一九八四年

さて、今回は、前回予告しましたように、
ジョージ・オーウェルのディストピア小説『一九八四年』を、取り上げたいと思います。
この小説は、たいへん有名で、村上春樹の長編小説『1Q84』も、その題名が示す通り、
オーウェルの一九八四年に大きく影響を受けていると思われます。
実際、1Q84には、オーウェルについて言及する場面も、何度か登場したかと思います。
この1Q84を読んだ当時、いっしょにオーウェルの一九八四年も読んでおくべきでしたが、
時の経つの早いもので、今年にまで、ずれこんでしまいました。
(まあ、ズボラということですネ)

さて、本作品の背景となる時代は、いうまでもなく西暦1984年です。
1984年といえば、いまから30年以上もまえで、
日本の元号でいえば、いわゆる『昭和』の時代になりますが、
本作品は、1948年に発表された、とのことですので、
当時としては、いわば、30年以上先の世界を描いた、近未来SF小説でもあったわけです。

物語の舞台はロンドン……。
ですが、ロンドンは、もはやイギリスの首都ではなく、
それどころか、イギリスという単独の国家も存在しません。
この物語におけるロンドンは『オセアニア』という巨大国家の一都市となっています。
主人公は、ウインストン・スミスという三十代の男性です。
スミスは、真理省記録課という部署に勤めていますが、
行なっている仕事は、文書の改竄であり、歴史の書き換えです。
(真理とは程遠い、というか、真逆のことをやってるわけです)
オセアニアを支配する『党』は、絶対に間違いを犯すことがなく、
そのため、党に都合の悪い事実は、日々、片っ端から書き換えられるのです。

党は『テレスクリーン』という送受信可能なテレビのような機械で、
党員を二十四時間監視しており、
彼らの動向にわずかでも不穏な動きがあれば、思考警察を使って摘発します。
また、密告が奨励されており、みな、隣人や同僚を監視し、子供は親を常に監視し、
党への忠誠に揺るぎがないか、チェックしています。

街中には党を指導する『ビッグブラザー』という人物のポスターが所狭しと貼られ、
誰であれその肖像の視線から逃れるすべはありません。
男女間の恋愛は禁止され、互いに好意を持つがゆえの結婚も許されず、
セックスは子供を作るための『党に対する義務』として許されているといった状態です。

一九八四年 文面

スミスは、この社会のありように疑問を感じ、テレスクリーンの目を盗んで、
密かに日記をつけることを始めます。
一個人が日記をつけることは、この社会においては、重大な犯罪です。

なぜ、スミスは、このような危険な行為に及んだのか……。
それは、党の中枢にいるオブライエンという人物が、
自分と同じ、社会に対する『疑問』を持っているのではないかと感じたからです。
やがてスミスは、オブライエンに敬愛の情を抱くようになり、
オブライエンに対する私信のような気持ちで、日記を書き続けます。
また、時を同じくして、スミスは、ジュリアという若い女性と知り合い、
激しい恋に落ちていきます。

恋愛もまた、日記をつけるのと同様に、命にかかわるとてつもなく危険な行為です。
ジュリアとの関係が深まるなか、スミスは、オブライエンからのコンタクトを受けます。
案の定、オブライエンは、党の中枢に属する身にありながら、
党の破壊を目論むレジスタンス組織『ブラザー同盟』のメンバーでした。
スミスは、オブライエンの手引きで、ジュリアとともに、ブラザー同盟の一員となります。

ところが、スミスは、ジュリア共々、思考警察によって逮捕されます。
政治犯を拷問して矯正する『愛情省』に連行されたスミスは、
そこで、盟友であるオブライエンと再開します。
スミスは、思考警察の手がオブライエンにも及んだのかと考えますが、
そうではなく、スミスを逮捕したのは、このオブライエンの命令でした。
オブライエンは、レジスタンスのふりをしただけで、実際には、党に忠実な男であり、
しかも、七年もの間、ずっとスミスの行動を監視していたのです。

愛情省の一室で、オブライエンは、
考えるだけで身がすくむ恐ろしい拷問を、スミスに加えていくのですが……。

一九八四年 背面

ええと……、読み終えると、疲れます……。もう、グッタリです。
あまりに救いがない結末に、目の前が真っ暗になる思いです。
とくに、三章の拷問の場面は、気が滅入ってしまって、夜、悪夢を見ます。(体験談)

この物語は、1948年に発表されたとのことですから、当然、オーウェルは、
ナチス・ドイツのレーム粛清『長いナイフの夜』や、スターリンのトゥハチェフスキー粛清、
トロツキー批判などを詳しく知っていたでしょうし、物語の下敷きにしたかと思います。
スターリンによる粛清は、この一九八四年の残酷描写を上回るものだったかと思います。

そうした実際の出来事をふまえつつも、
オーウェルは、じつに奇抜で理にかなったアイデアを本作の設定に入れています。
それが『ニュースピーク』です。
このニュースピークというのは、党が作った『新製英語』のようなものです。
本作の末尾には、このニュースピークの言語説明が、付属資料として入れられています。
ニュースピークの極めてユニークな特徴は、年々、
語彙を減らしていくというところにあります。

党が、党員をすべからく支配するためには、些細な不満でさえ、
抱かせないようにする必要があります。
そのためには、不満そのものを『言語化』することを放棄させなくてはなりません。
ゆえに、党は、単語そのものの意味を厳格に規定し、
ひとつの言葉に複数の意味を持たせることを、まず排除します。
そして、同じ意味合いをもつ単語をすべて整理し、集約します。
「free」という単語は排除され、freeがもっている「免れる」という別の意味は、
他の単語をあて、その意味を完全に厳正なものとするのです。
また、動詞にも容赦のない削除を行います。
「bad」-悪い-という単語も消滅させ、
その代わりは、ungood -よくない- というかたちに集約させます。

つまり人々は、党に対し不満や疑問を感じても、
それを正確に言葉にし、情報を伝達、共有することが、
できなくなってしまうというわけなのです。
オーウェルが考え出した『人から言葉を取り上げることで思考を奪う』
という独裁システムの設定は、とてもリアリティがあるように思います。
このニュースピークにより、物語は、より現実味のあるものに、また、
空恐ろしいものになっているかと思います。

一九八四年 帯

また、歴史の修正も、肌に粟を生じる描写のひとつです。
党が政策決定を行い、後に、その変更を行うとします。
当然、決定が変わるわけですから、そのまえの決定は破棄されます。
しかし、党は、絶対に間違いを犯さない存在ですから、
そもそも、決定が変更されること自体、
あってはならないことになるわけです。

そうすると、真理省は、前回の決定を報じた新聞、公文書、書籍、をすべて改竄します。
もっとも、改竄される前の記憶は、人に頭の中に残るでしょう。
ですが、立証するものが、きれいさっぱり抹消されてしまうのです。
とどのつまり、真実は、妄想と化してしまうわけです。
この、文書改竄という手を使えば、党はありとあらゆることができます。
特定の人間を貶めたり、常に生産物がノルマを上回っているということになります。
党は、法も、市民も、歴史も、すべて恣意的に操作できるというわけです。

作品に描かれた世界は、極端にディフォルメされたディストピアではあるかもしれませんが、
個々のディティールには、まったくの絵空事といえないところもあるのかなと思わせます。

○ ハヤカワepi文庫『一九八四年』ジョージ・オーウェル著 ~

物語は、救いようのないラストを迎えますが、ほんとうに暗黒の結末なのか……、
というと、そうではないのかもしれません。
というのも、この物語は、ラストを迎えたあと『ニュースピークの諸原理』という附録が、
エピローグ的な意味合い(?)で、ついています。
このニュースピークの諸原理は、ニュースピークなる言語が、
どのような意図をもって導入され、また、言語の体系がどうなっているのかについて、
語彙群などを交えて、詳しく説明したものです。
本書の解説文にも記されていますが、このニュースピークの諸原理は、
すべて過去形で書かれています。
しかも『今日では想像しがたい盲目的、熱狂的な受容を含意していた』とも記されており、
あたかも、過去の政治体制を批判するトーンで書かれています。
ならば、1984年よりさらに未来の世界には、
ビッグブラザーは過去のものとなっているのかもしれません。
スミスやジュリアは、激しい拷問によって人格を破壊され、人間の尊厳を失いますが、
この体制は、ニュースピークの諸原理が書かれる頃には、崩壊しているのです。

オーウェルは、アメリカにおける『一九八四年』出版に際し、
この附録部分の削除を提案されたといいますが、
オーウェルは、その提案を拒否したといいます。
附録『ニュースピークの諸原理』は、作者にとって、必要不可欠なものだったのでしょう。

いずれにしても、前回のザ・ロード同様、こちらも、とても印象深い作品でした。
これからも、ハヤカワepi文庫を、読んでみたいと思います。



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