坂を上り……

なんと、気がつけばもう10月。
2019年も、あと残り三ヶ月ほどとなってしまいました。
ほんとうに、時の経つのは早いものですネ。
しかも、今月からは消費税が10パーセントの大台に乗ったということで、
いつもよりも、印象深い月初めになるかと思います。
それにしても、経済状態があまり芳しくないいまの日本で、
増税をおこなっても、だいじょうぶなのでしょうか。

……と、そんな話はさておき、先月のこととなってしまいますが、
(当ブログの特徴は、記事アップの遅さ、レスポンスの悪さです!)
岐阜県恵那市明智町にある『日本大正村』に、MINIで行ってきました。
日本大正村には、以前にもいったことがあるのですが、
はたしていつのことだったのか……。
ちょっと記憶が定かではないので、いまあらためて調べたところ、
前回の大正村訪問は、どうやら結婚して間もないころだったようです。
そうなると、いまから、十二年か、十三年も前のことになります。
えっ、そんな前だったっけ?、と自分でも驚いてしまいました。

といった思い出話はさておき、いつものように、この日も出発が遅く、
当初は、『この調子では大正村までは行けないかも』などと考えていました。
ですが、東濃へ向かう国道19号は、交通量もほどほどでスムーズに走ることができ、
また天候にも恵まれ、しかもMINIも快調ということで、
なんとか、目的地の大正村まで足を延ばすことができました。

大正村到着

こちらは、大正村の観光駐車場です。
以前来た時には、この駐車場は有料だったのですが、
いまでは、休日も無料開放されていました。
これはとってもありがたいですね。
駐車場がタダならば、またこの場にきてみたい、と思ってしまいます。
(なんだかんだいって、ただのケチです)

すばらしい天気

そしてこちらが、浪漫亭というお土産店です。
この地域は、どうやらこんにゃくが名産品らしく、
館内では、男性ボーカルによる『こんにゃく女~』といった歌声が流されていました。
どうやら、この地域のローカル応援ソングのようです。
(VTRをみているうちに、不覚にも、サビのメロディを覚えてしまいました)

それにしても、背景の青空がとてもきれいですね。
まさにドライブ日和、行楽日和です。

橋を渡って

そして、十数年ぶりに大正村へ……。
ですが、前回の来訪からあまりにも時間が経っているためか、
村のランドマークともいうべきこの場所にきても、
あれ?、こんな景観だったかな、と思ってしまいました。
(というわけで、ただいま、昔撮った写真を確認してみたのですが、
このあたりの風景は、まったく変わっていないようです)

大正村のランドマーク

橋を越えると、このように細い路地が伸びています。
記憶に残っていなかったとはいえ、この通りの眺めは風情がありますね。
そして道はさらに登りになります。
ちょうどいいお散歩コースですね。

旧役場

こちらは、旧明智村役場だそうです。
入場料がいるのかどうか、よくわからなかったので、入りませんでした。
(そうなんです。ケチなんです……)

城跡へ

このさらに東の山の上には、白鷹城 (明知城) の城跡があるとのことで、
さっそく、行ってみることにしました。

登山道

といっても、細く急峻な登山道を目の前にしてビビるヨメ。
以前登った美濃金山城がことのほか道のりが長く厳しかったために、
今回も怖気付いているようです。

本丸到着

ところが、実際に登ってみると、美濃金山城ほど厳しくはなく、
さほど時間をかけることなく、本丸跡まで登ることができました。

もっとも、この城の由来を、私は詳しく知りません。
地理的にいうと、武田勢から攻められそうな場所かと思いますが、
すみません……、そのあたりのことはよくわかりません。
明智光秀とゆかりのある城なのかどうかも、浅学ゆえ、まったくわかりません。
(明智光秀といえば、可児にある明智城が、ゆかりのある城ではないでしょうか)

本丸からの眺め

こちらが本丸跡からの眺めです。
まさに、堅固な山城といったところですね。
ここを落とすのは一苦労かと思います。

本丸跡

というわけで、城跡を散策後、今度は下山。
たいした距離ではないですし、下り坂ですので、あっという間に、
大正村の集落まで戻ってきました。

MINIで行く東濃

それにしても、この日は終日好天で、ほんとうに、気持ちのいいドライブ日和でした。
これから、もっと涼しくなってくるでしょうし、
(といいつつも、10月に入ってもエラく暑いんですけど)
また、MINIでお出かけしたいなあと思っています。


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作業を終えて

前々回のブログで『お盆を過ぎたら秋らしく、少し涼しくなりました』などと、
書いてしまいましたが、九月に入ってから、急に暑くなってしまい、
一週間前の日曜 (9月8日) などは、もう真夏顔負けの暑さでした。
そうそう簡単には秋になってくれないようですネ。
そんなあつ~いこの日、恒例のMINIのオイル交換を行うことにしました。
こちらのブログを見てくださっている方のなかには、
『またMINIのオイル交換ネタか!』と、思われるかもしれませんが、
MINIのメンテナンスにまつわる事柄を、ブログに書いておくと、
クルマのコンディションを知るうえで、都合のいいことが多々ありますので、
顰蹙を覚悟で、記事をアップさせていただきます。

さて、前回のオイル交換は、三月末の土曜日だったのですが、
今回は、九月初旬と、少し早めのオイル交換となりました。
というのも、この秋、車検があり、
かねてからお世話になっている富山のスペシャルショップに、
整備点検をお願いしようかと考えています。
そうなると、かなりの長距離走行をすることとなり、
ならばそのまえに、オイルを一新しておこうと思ったのです。

というわけで、いつものように、ビバホームでバルボリンのオイルを購入。
以前買った未開封のものが一本残っていたため、今回は五本を購入しました。
店頭にはきちんと五本が在庫されており、オイル調達は難なくできました。
今回は、ここで廃油パックも購入しましたが、こちらのパック、
ちょっと背が高くて、MINIのエンジン下に入るかどうか、不安です。
まあ、入らなかったら、ちょっとだけジャッキアップすればいいのでしょうが。

ボンネットを開けていざ開始

今回は、車検時にグリスアップをしてもらう予定なので、グリスアップはオミットし、
また、前回、オイルエレメントを交換しているので、こちらも今回は見送ることにしました。
なにしろ、走行距離が少ないですから、エレメントを交換してしまうのは、
ちょっともったいないかなと思った次第です。

オイルパンとアンダーガードの隙間

まず、ドレンボルトを外します。
このドレンボルト外しに、いつも四苦八苦するのですが、
(とっても固いため)
今回は、すんなりと外れてくれました。
が、あまりにすんなりと外れてくれると、なんだか、締め付けが甘かったのでは、
と、いろいろと心配になってしまいます。
とはいえ、MINIのオイルパンはアルミだとのことで、強すぎる締め付けは厳禁です。
このあたりの力加減は、難しいですね。

そして、いつものように、オイルパンとアンダーガードのあいだに、
丸めたキッチンペーパーをしっかりと押し込んでおきます。
この作業は、我がMINIのオイル交換においては、とても重要です。
この『キッチンペーパー押し込み』を忘れると、垂れた廃油がアンダーガードの上面に落ち、
そしてアンダーガードの端から床に落ちるということになってしまいます。

今回初使用の廃油パック

そして、廃油パックを設置。
やっぱり、この廃油パックは、背が高過ぎて、MINIのしたにははいりませんでした。
いたしかたなく、ちょっとだけジャッキアップして、対応します。

15分ほど暖気し、タペットカバーのオイルキャップを外し、ドレンボルトを抜きます。
勢いよくオイルが排出されますが、このとき、廃油パックからはみ出さないよう、
しっかりと監視しておきます。

オイルが充分に抜けきったら、
(いつまでも廃油の滴がポタポタと落ちてくるので、抜けきったと判断できませんが)
ドレンボルトを締め付け、オイルを入れていきます。

いつものバルボリン20w-50

今回はエレメントを交換しないので、オイル量は総計4.7リットルで事足りるはずです。
バルボリンのオイルは、一本が1クォートという容量となっているため、
1リットルにはほんの少し足りません。
1クォートをリットルに換算すると、0.946リットルだそうです。
すなわち、5クォートを入れれば、4.73リットルとなり、ほぼ、規定量になるはずです。

MINIのエンジン

もっとも、入れ過ぎちゃうのも怖いので、バルボリンのオイルを4.5本分入れたところで、
いったん、オイルレベルゲージでオイル量をチェックします。
このときは、レベルゲージでほぼMINIのところをさしていました。

MINIのオイルレベルゲージのMINIからMAXまでは、およそ0.5リットルとのことですので、
残りのオイルを入れてしまいます。
これで、もう一度オイルチェックをすると、レベルゲージのMAXのところまで、
オイルを確認することができました。

これでオーケー。再度、ドレンボルトの締め付け具合を確認し、
ゴミを片付け、作業は完了です。

そのあとは、テストドライブしてみました。
あいかわらず、MINIは快調です。
ただ、オイル交換したからといって、とくに調子に変化はありません。
いつものように、快調という感じです。

というわけで、楽しくドライブ……、のはずが、もうこの日は暑い、暑い。
信号で止まると汗が吹き出てきます。
もちろん水温計も上がってくるわけで、なんとも不気味な予感。
いたしかたなく、恒例の『夏のヒーターON』を実行します。
これで、なんとか、水温計を中央に維持させます。

オイル交換後のテストドライブ

というわけで、岐阜市の西にある関ヶ原まで行ってみましたが、
途中で何度もコンビニに寄って飲み物を買い、水分補給をするといった状態でした。
ヒーターがかけっぱなしのけっこうハードなドライブとなりましたが、
MINIは全く問題なく快調で、しかも気持ちのいい快晴で、その意味では、
楽しいドライブとなりました。

ガレージは熱気ムンムン

おそらく、車検を受けたあとは、気温も落ち着いてくるかと思いますので、
その折には、また、ドライブに出かけたいものです。



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講演会会場

先週の土曜 (9月7日)、岐阜市の西隣にある瑞穂市という街で
朝日大学公開講座2019 2020放送予定大河ドラマ『麒麟がくる - 明智光秀を学ぶ』
と題された、講演会が行われました。
場所は、瑞穂市の瑞穂市総合センターで、講師を勤めるのは、
テレビなどでおなじみの、東京大学史料編纂所教授の本郷和人先生です。
本郷先生は、歴史系のバラエティ番組にも広く出演しており、
また、NHK BSの『偉人たちの健康診断』では司会も勤めていますので、
歴史に興味がない方でも、お顔を拝見したことがあるのではないかと思います。
(歴史の先生というと、この本郷先生をはじめ、磯田先生、小和田先生、
そして城郭研究家の千田先生が有名かなと思います)

この公開講座は、受講は無料ですが、会場のキャパシティの関係で、
入場希望者は事前に申し込みが必要で、受講者にはハガキで通知するとのことでした。
申し込みがちょっと遅かったので、受講できるかどうか、ちょっと不安だったのですが、
八月末、無事、受講者通知が届き、晴れて会場に入れることとなりました。
(ただ、300人余りが抽選に漏れたそうです)

というわけで、7日当日、ヨメに会場まで送ってもらいましたが、
開演30分前にも関わらず、会場はすでに人でいっぱい。
一階の席はもうほとんどが埋まっている状態でした。

というわけで、講座資料をいただいたあと、仕方なく二階へ。
二階席があるのならさほど困らないのでは、と思われるかもしれませんが、
上階の席というのは、ステージからちょっと距離があるんですよね。

会場風景

でもまあ、仕方がないのでこちらでガマンします。
……と思っていた矢先、それまで封鎖されていた、
同じ二階にある左右の席が解放されたので、急遽、そちらに移ることにしました。

会場内移動

この席は、桟敷席のような状態で、なかなかに見晴らしがいいです。
ただ、講演者が手前の側 (向かって左側) に立つと、あまり見えないんですが……。
いずれにしても、席が一列しかなく、前後に人がいないので、けっこう楽な感じですね。

そうこうするうちに、開演時間となり、まずは朝日大学の学長が挨拶に立ちました。
講演が始まると、撮影は禁止となっていますので、
この先は、画像はありません。すみません。
学長の挨拶は、簡潔ながらもユーモアを交えていて、とてもよかったです。

そのあと、いよいよ本郷先生が登壇し、講演が始まりました。
(ただ、席の場所が影響したのか、ちょっと音声が聞き取りづらい部分がありました)
とはいえ先生は、壇上に立っても、すぐ本題に入るわけではなく、
まずはツカミにあたる小話をして、会場の笑いを大いにとって、
充分に場を和ませたところで、講義に入りました。
(さすが先生、お話することにとても慣れている感じです)

先生は、まず『歴史的事実とフィックションとは分けて考える必要がある」と、
おっしゃっていました。
明智光秀は、誰もが知るたいへんな有名人ですが、
じつは、多くの部分がまだわかっていないとのことです。
年齢ひとつをとっても、正確なところは、いまだに不明だそうです。
もちろん、本能寺の変をなぜ起こしたか、などということは、わかるわけがありません。

ただ、先生のおっしゃるお話のなかで、とくに興味深かったのは、
信長と光秀の関係が、ある女性を介することで良好な状態を保っていた、というくだりです。
この女性は、当時の文献によると『御ツマキ』と称されていて、
光秀の義理の妹と推察されています。
(光秀の正室である妻木煕子の妹か……)
同時に、この御ツマキは、信長の側室ではなかったかというのです。

この『ふたりの実力者がひとりの女性を調整役として良好な関係を維持する』というのは、
平清盛と後白河法皇の関係を彷彿とさせます。
平清盛は、後白河法皇と昵懇で、後白河の庇護を受けるかたちで、位人臣を極めます。
後白河は平氏一門の滋子を女御としており、この滋子を調整役とすることで、
清盛は、後白河との良好な関係を維持していたといいます。

信長と光秀も、おそらくこの清盛と後白河のように、
御ツマキを調整役として、良好な関係を築いていたのではないか……、
そう考えられなくもないというのです。

ところが、御ツマキは、天正九年八月に亡くなります。
天正九年といえば、本能寺の変が起こる前年です。

滋子が亡くなったことで、清盛と後白河の関係が悪化したように、
(このあたりのいきさつは、大河ドラマ『平清盛』でも描かれていましたが)
御ツマキが亡くなることで、信長と光秀の関係も、
しだいにぎくしゃくしていったのではないか、というのです。

もしかすると、来年の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、
このあたりのいきさつが、描かれるのかもしれません。

また、明智光秀は極めて優秀な人物であったと、本郷先生は考えているようです。
なにしろ、丹波をわずか四年で攻略した、という一点からも、
その優秀さは明らかだといいます。

武田信玄は信濃を攻略するのにかなりの時間を要しました。
なにしろ、この攻略の過程で、信玄は、北の上杉謙信を刺激することとなってしまい、
結局、謙信とは十年にも渡って戦うこととなりました。
戦の神様のように称される信玄ですが、そんな信玄であっても、
信濃攻略は、決して容易ではなかったわけです。
ゆえに、光秀が行なった『四年で丹波攻略』という功績は、
光秀の並外れた力量を示していると言わざるを得ないというのです。

資料冊子

本郷先生の講演の後は、巽昌子先生による、
古文書からみる分国支配という講演が行われました。
こちらは、とくに光秀とは関係なく、武田信玄の甲州法度や、
今川家の今川仮名目録などについて、お話しされていました。

その後は、高校生による作文コンクールの表彰などが行われ、
特に優秀と判断された三つの作文が、作者本人によって朗読されました。
私は、高校生の頃は、歴史にまるで興味がなかったですから、
ただただ感心するばかりでした。

受講証明書

ちなみに、この講演の資料の中に、受講修了証が入っていました。
しかも名前入りです。
こんなの、もらえるんですね。

というわけで、土曜の午後を有意義に過ごすことができました。
今後も、同様の講演会や催しがあれば、また、出かけてみたいと思っています。



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MINIでのドライブ

お盆を過ぎたあたりから、ずいぶんと涼しく感じられることが多くなりました。
もっとも、まだ油断は禁物で、猛暑がふたたび盛り返してくる恐れも、
多分にあるかとは思います。
(なにしろ、昨日はやけに蒸し暑かったですし……)
とはいいつつも、秋の気配は着実に迫ってきているようで、
朝晩は、かなり過ごしやすくなってきました。

それにしてもまだ8月!。
考えてみれば、今年は、涼しくなるペースが、ちょっと早いような気がします。
昨年の2018年が記録的な猛暑の年だったので、
今年は、いくらかまだマシに感じられるのかもしれませんね。

というわけで、先週の日曜日、真夏のあいだは暑くて乗れなかったMINIで、
久しぶりに、ドライブに出かけてみることにしました。
なにしろエアコンもなく、ラジエーターの電動ファンもない我がMINIは、
夏場のドライブは、たいへん厳しいんです。
(車にはオーバーヒートの危険がつきまとい、運転手には熱中症の危険がありますから)

今回は、ちょっとひさしぶりに、北陸方面へと出かけてみることにしました。
といっても、毎度のことながら、私たち夫婦は、朝のうちはなにかとノロノロしていて、
結局、出発したのが午前10時過ぎとなり、当初予定していたコースを走ることは、
時間の関係上、断念せざるを得なくなりました。

私も、年のせいか、夜の運転が苦手となり、
(MINIのライトが暗い、ということもあるのでしょうが)
昔のように、夜遅く帰ってくるということを、避けるようになりました。
それでも、当初の目的地である福井市までは、
とりあえずドライブしてみようということになりました。

この日、お天気は、晴れているように見えつつも、
時折、鈍色の雲が張り出して雨がぱらつくこともあるという微妙なもので、
なんともすっきりしませんでした。
かと思うと、急に青空になったりと、とても目まぐるしいものでした。
ここ最近の天気は、ほんとうに先が読みにくいです。

というわけで、まずは国道21号線を西に向けてひた走り、
関ヶ原を越えたあとは、国道365号線に乗り換え、滋賀県にある小谷城方面へと向かいます。
小谷城を超えて北へ進み、木之本から余呉湖方面へと向かい、そのまま、
北へ北へと進んでみました。

久しぶりのMINIドライブ

越前市の手前で、今度は国道8号線に乗り換え、さらに北へと走ります。
こうして、下道を走ることおよそ三時間半後、目的地の福井市に到着しました。

福井市に到着する頃には、すっかり晴れ。
さっきまで小雨がぱらつくこともあったのに、一転して青空です。

福井市到着

この場所は、柴田神社(北ノ庄城址)の臨時駐車場となっている場所です。
柴田神社まではちょっと距離がありますが、
(といっても、ぜんぜんたいしたことない距離なんですが……)
とりあえず、歩いて柴田神社まで向かってみることにしました。

福井市の空

もっとも、空は晴れているものの、ところどころに鈍色の雲が張り出していて、
なんとも不穏な空模様です。
でも、もちろん、晴れているにこしたことはないですよね。

福井市駅前方面

こうして福井市内を歩くのは、何年ぶりでしょうか……。
この街には、北ノ庄城址のほか、福井城など歴史的な遺物が多数あり、
いつかは、それらを巡ってみたいものです。
もちろんこの日は、出発が遅かったために、そんなことはできませんでしたが。

柴田神社到着

ほどなくして、柴田神社に到着しました。
もう、ほんとうに久しぶりです。五年ぶりくらいなのかな。
以前、この場にきたときは、たしか、
大河ドラマ『江 〜姫たちの戦国〜』を放映していた年だったように思います。

柴田勝家公

城址公園の中央には、柴田勝家公の像が鎮座しています。
堂々たるポーズ、荒々しい表情、まさに鬼柴田といった雰囲気です。

天正十年、本能寺の変によって、天下統一間近であった織田信長が横死しました。
この一大政変は、信長の家臣である明智光秀が起こしたクーデターでしたが、
光秀は、変のあと、思うように味方を得ることができず、ほどなくして、
同じ織田の家臣である羽柴秀吉により、あっさりと駆逐されてしまいます。

その後、織田家家中では、誰が信長の遺産を引き継ぐかで、
激しい確執が起きることとなります。
この争いで主導権を握ったのが、光秀討伐をはたした羽柴秀吉でした。
秀吉は、信長亡き後の織田家の行く末を決める『清洲会議』で、
信長の嫡孫『三法師』を担ぎ出し、会議の主導権を握ります。

が、織田家の筆頭家老である柴田勝家が、そんな秀吉の増長を快く思うはずはありません。
秀吉 vs 勝家の対立は、やがて『賤ヶ岳の戦い』という武力衝突にまで発展してしまいます。
この戦では、柴田側についたはずの前田利家が、独断で兵を引き上げてしまい、
以後、柴田側の軍は不利となってしまいます。

北ノ庄城イラスト

破れた柴田軍は、ここ北ノ庄城に落ち延び、最後は爆死したともいいます。
柴田勝家の敗北は、秀吉を天下人に押し上げる、
第一歩となったともいえるのではないでしょうか。

石垣跡

公園内の石垣は、かつての北ノ庄城のものではないようです。
ですが、石垣の遺構は、いまでも見ることができます。
それがうえの画像なのですが、もはや石垣という体は成しておらず、
無造作に転がる巨石といったような状態となっています。

というのも、のちに福井城が築城されたさい、ここ北ノ庄城にあった石垣群は、
福井城の石垣にすべく解体され運ばれたらしいのです。
敗者が築いたものは後世には残らない、ということなのでしょうか。

浅井三姉妹

北ノ庄城には、柴田勝家に輿入れしたお市の方と、
お市の方の娘である浅井三姉妹が生活していました。
うえから、茶々、初、江、ですね。

茶々はその後、秀吉の側室となり、秀吉の子である『秀頼』を生みます。
ですが秀吉が死ぬと、秀吉に臣従していたはずの徳川家康が、にわかに不穏な動きを見せ、
関ヶ原の合戦後には、政治権力は完全に徳川のものとなってしまいます。
抜群の知力と人心掌握の術をもっていた秀吉ですが、
自らが獲得した権力を、後の世代に伝えることはできませんでした。

その後は、隣接して建つ北ノ庄城址資料館へ。
こちらは、北ノ庄城にまつわる資料などを展示した建物になりますが、
土日には常に歴史解説をしてくださるボランティアの方が詰めているとのことで、
今回も、柴田勝家をはじめ、歴史にまつわるいろいろな話をお伺いすることができました。

移築された橋

こちらは、資料館をでたすぐのところにある橋です。
もっともいまでは、橋の機能は果たしていないのですが、
歴史的遺構ということで、ここ柴田神社に移築されてきたものだといいます。

この橋は、奥の側が石材で作られており、反対の手前部分は木材で作られています。
こうした二種の素材を使用している理由は、有事の時に、木材で作られた部分を破壊し、
敵の侵攻を防ぐためだったといわれているそうです。

作られたのは、結城秀康が福井藩の藩主となったころだともいわれているそうで、
もし、その説の通りなら、当然のことながら、関ヶ原の合戦のあとのことになります。
天下の趨勢は徳川になったあとですが、大坂には豊臣家が以前残っており、
いまだ戦への警戒感が残っていたために、こうした、有事を想定した橋を、
建築したのかもしれません。

というわけで、気がつけば午後四時近くになっていました。
思いのほか長居をしてしまい、
このあと行ってみようと思っていた『グリフィス記念館』には、
時間的に、行けずじまいになってしまいました。

次回は、もっと朝早くから、行動したいものです。


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俺のロボ展フライヤー表面

前回の投稿記事でも少し触れましたが、本年の11月から、
渋谷パルコにて「ゆけ!!俺のロボ展 レトロフューチャー編」が開催されます。
今回は、私も参加をさせていただくこととなった、その企画展の内容や、
出品する作品について、少しご紹介をしていきたいと思います。

私は、この「ゆけ!!俺のロボ展」という企画展に、
今回はじめて参加をさせていただくのですが、
企画展そのものは、今回で、3回目になるとのことです。
最初のゆけ!!俺のロボ展は、東急ハンズ新宿店 (タイムズスクエア) で、
2017年の年末から年明けまで開催されたといいます。
また、2回目のロボ展は『神話編』というテーマが新たに設定され、
東急ハンズ池袋店で、2018年の10月下旬から11月中旬まで開催されたといいます。

そして今回の俺のロボ展は『レトロフューチャー編』というテーマとなり、
場所を東急ハンズ渋谷店に変えて、本年2019年の11月から、
同月の末まで開催される予定です。

○ ゆけ!!俺のロボ展 レトロフューチャー編 ~

テーマがレトロフューチャーとなったことで、今回、私にも、
お誘いの声がかかりました。
いままで、私は、大阪のスプーンさんで、
何回か、グループ展に参加させていただきましたが、
東京での企画展参加は、今回がはじめてとなるかと思います。
今回参加のみなさんは、ほんとうに、すばらしいクリエイターの方ばかりですので、
私のような田舎者が参加して良いのだろうかと、ちょっと気後れも感じてしまうのですが、
せっかくお声をかけていただきましたので、精一杯、時間の許す限り、
作品制作に打ち込みたいと思っています。

俺のロボ展フライヤー裏面

また、この企画展に合わせ、俺のロボARTコンテストも、開催されるとのことです。
申し込みの締め切りは、本年2019年の9月末とのことですので、
興味のある方は、ぜひ、参加してみてください。
詳細な情報は、以下のサイトにアップしてあります。

○ 俺のロボART展 開催概要&募集要項 ~

企画展の出展作品も、コンテストに応募される作品も、
どちらも、立体作品がとても多いと思いますので、
イラストに興味がなくても、模型好きの方、また、特撮好きの方にも、
充分、楽しんでいただけるものになるのではと思っています。

さて、では、私の作品について、ほんのサワリ程度ですが、
ご紹介をしたいと思います。
じつは、かねてから、今回のような企画展に出そうと、
いくつか試作を進めていたものがあります。

ロボスケッチ

そのひとつがこちらです。
レトロフューチャー というか、スチームパンク系のロボットを、
エンピツにて、スケッチしたものです。

イメージとしては、レトロなバイクが人型になって立ち上がったような、
そんな雰囲気を狙ったのですが、私の技量不足、センス不足により、
当初思い描いていたイメージやテイストと、ちょっと違ったものになってしまいました。

ロボ着色

といっても、けっこう細部まで描いてしまったので、
とりあえず、クリップスタジオペイントを使って、簡単に着色もしてみました。
ですがやはり、もととなるロボットのデザインが、あまりよくないなと、
あらためて感じてしまいました。
インパクトにも欠けますし……。

というわけで、別に人型にこだわらなくてもいいや、と思い直し、
次に試作したのが、こちらになります。

多足歩行機モデリング

タイムドタバッタン風の、バッタ型ロボットを作ってみました。
イメージソースは、第一次世界大戦に登場した、世界初の戦車である、
マークI戦車(菱形戦車)です。
車体各所にリベットが無数に打たれた、レトロな雰囲気を狙ってみました。

多足歩行機案

というわけで、迷彩塗装がなされている状態を想定してレンダリング。
クリップスタジオペイントで、いろいろと画像処理をかけてみました。

これはこれで、私としては気に入っていたのですが、
先日、千駄木で行われた顔合わせ会の時に、ロボはやはり、
人型のほうがよいとの意見があるとのことで、急遽、作品を変更することとなりました。
たしかに、人型のほうが、アピール度は強いかもしれませんね。
(でも、この菱形戦車型ロボもお気に入りなので、いずれ、どこかで、
発表したいものです)

というわけで、初心に立ち返り、
最初にエンピツスケッチしていたロボットを再考することにしました。
とはいっても、クリップスタジオペイントを用いたドロー系のイラストではなく、
3DCGを使って、作品を作ることにしました。

まず、ロボットのインパクトが足りないという点について、考えてみました。
その過程で、イメージを固めるうえでの資料画像を集めてみました。
そのなかで、とくに印象に残ったのが、プラネタリウム用の投影用機械と、
古い耐圧潜水服、バチスカーフ(深海作業艇)です。
これらはどれも、どこかユーモラスで、同時に不気味感、不思議感もあり、
インパクトも充分あるような気がします。

こうしたメカを取り入れるかたちで、ロボットをデザインしてみました。

ロボモデリング

深海作業艇のように、角度を変えて丸窓がいくつもついているような、
そんな感じが、かっこいいのではないか、と思っています。

この俺のロボ展の作品進捗については、当ブログで、
定期的に取り上げていきたいと思っています。
(当ブログで使用されるイラストにはすべて著作権があります。
無断使用等はご遠慮ください)


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