東大寺南大門

天候がいまひとつ落ち着かないこの7月ですが、そんななか、思い切って、
古都奈良に、泊まりがけで行ってみることにしました。
私にとって、奈良といえば、中学校の修学旅行のさいに行ったきりで、
以後はまったく訪れたことはなく、いわば40年以上の時を経ての再訪となります。
とはいえ、中学の修学旅行のときの記憶は、いまではほとんどなく、
いわば、初めての奈良旅行といってもいいかもしれません。

飛騨高山に住んでいた頃は、奈良といえばかなりの遠方で、
おいそれと行けるところありませんでした。
ですが、ここ岐阜市に拠点を移してからは、奈良はさして遠方とはいえず、
下道を走ったとしても、三時間と少しで行くことができます。
なにしろ、三重県と奈良県とを結ぶ国道25号線は、
下道とはいえ、ほぼ、高速道路状態 (自動車専用道) となっており、
あまりにもスムーズに、奈良に入ることが出来てしまいました。

今回の出動車は、ヨメのプジョー。
MINIで行きたいのはやまやまだったのですが、なにしろ、
エアコンもなく、夏場のオーバーヒート対策に、
酷暑になればヒーターを多用するMINIでは、旅行はいささか無理があると判断し、
快適で、高速巡航に耐えるヨメ車でのドライブとなりました。

と…、そんなわけで、
出発はかなり遅めだったものの、当初の予定よりも早く奈良に到着。
とりあえず、市内や周辺をドライブし、その後は、
奈良の西の斑鳩町まで足を伸ばし、法隆寺へと行ってみることにしました。
世界最古の木造建築物である法隆寺は、さぞかし観光客でいっぱい、かと、
思っていたのですが、もっとも近いと思われる駐車場にも、
すんなりと入ることができ、しかも、付近を歩く人影もまばら。
時間が少し遅めだったということもあるのでしょうが、
休日にもかかわらず、観光客がこれほど少ないことに、非常に驚かされました。

まずは南大門を抜けて法隆寺へと向かいます。
この南大門は室町時代の建立とのことで、法隆寺の各寺院などと比べれば、
いささか新しいものなのかもしれません。

人気のない法隆寺

それにしても、あたりにはほとんど人影もなく、寂しい限りです。
ときおり、修学旅行生と思われる小集団と、外国人観光客を見かけるくらいです。
このあたりは、東大寺や春日大社、興福寺がある奈良市中心部からは距離があり、
観光という面からいえば、立地条件が少しばかりよろしくないのかもしれません。

というわけで、金堂を見学しようと思ったのですが、
拝観料が1,500円と高額なことにも、また驚きました。
貴重な文化財を維持、管理するためには、
このくらいの拝観料は妥当といえるでしょうが、
雲行きもなんだか怪しく、また、時間的に少し遅かったこともあり、
ヨメと相談して、今回は見学を断念。
奈良にはまたいくらでもこれると思いますので、次回、ゆっくりと、
見学させてもらうことにしました。

ただ、そのまま帰るのはあまりにもったいないので、
夢殿だけは見学していくことにしました。

夢殿

こちらがその夢殿の姿です。
あまりにも有名な建物であるため、こうして実物を間近にできることに、
また、はるか天平時代に建てられた建造物を、いま目にできることに、
素直に感動してしまいます。

その後、伝法堂、鐘楼などを見て回ったところで、空模様がいよいよ怪しく、
急いで南大門を出て、駐車場へと向かいました。
クルマに乗る頃には、ポツリポツリと雨粒が空から落ちてきました。
やはり、金堂見学は、今回は控えてよかったかもしれません。

その後は奈良市内に戻り、ホテルにチェックイン。
建物は新しいとはいえなかったのですが、清掃は行き届いており、
また、とても広いお部屋でうれしかったです。

広いホテル

なにしろトリプルのお部屋なので、広いのも当然かもしれません。
とはいえ、トリプルの部屋を指定したわけではないんですが、
この部屋がたまたま空いており、そちらに案内されたということだと思います。
しかも最上階の角部屋で、これもまた、ラッキーだったかもしれません。

その翌日は青空も覗くまあまあの空模様。
ですが、お天気については、急に雨が降ったりする可能性もあるとのことで、
なんとも、気がかりな予報がでていました。

頭塔

こちらは、ホテル駐車場に面した場所にある、頭塔という遺跡です。
ピラミット状になっていて、かなり古い時代の建造物なのかと思いましたが、
奈良時代のものだそうです。
こちらもじっくり見物したいところでしたが、まずは奈良市内へ、
というわけで、傘ももちつつ、徒歩で出掛けてみることにしました。

ホテルから一番近い名所は、春日大社になります。
そんなわけで、まずは一の鳥居をくぐり、参道を歩きます。

鹿に餌やり

途中、奈良名物の鹿をたくさん見かけました。
えさを与える人が、ホルンを吹いて鹿を集めていました。
その模様を眺めようと、あたりにはたくさんの観光客が詰めかけていました。

春日大社

その後は、春日大社を参拝し、その奥にある、
大小さまざまなお社にもお参りをさせていただくことにしました。

慶長の灯籠

こちらは、道中にあった灯籠です。
それぞれに元号が掘られているのですが、よく見ると、
天文、元亀、永禄、天正、慶長、などと記されています。
まさに戦国期まっただなかなのですが、このあたりの灯籠は、
ほとんどすべて、この時期のものでした。

時間の問題もあったので、すべてのお社を巡ることはできませんでしたが、
できうる限り、参拝はしたつもりです。

その後は大仏の納められた東大寺へ向かってみることにしました。
春日大社のあたりでも観光客は多かったのですが、東大寺に向かう道では、
さらに人の数も増え、にぎやかさが増していきました。

大仏は、たしか、源平合戦の前に、平清盛の軍勢が、多分に過失もあったのでしょうが、
焼失させてしまったかと思います。
(その報いだったのか、清盛はその後高熱に見舞われた、やがて死に至ったわけです)
以後、鎌倉時代に再建されたといいますが、
戦国期に起こった三好三人衆と松永久秀の乱によって、またしても焼失したといいます。
つまり、現在の大仏は、江戸時代に入って再建されたものということになるようです。

東大寺大仏殿

それにしても、大仏殿は、巨大な大仏を納めている建物ですから、
当然といえばそれまでですが、やはり、圧倒的な大きさがあります。
中学生のときにも、私は、この姿を見ているはずなのですが、
ほとんど、見覚えがありません。
まあ、当時は、大仏にも神社仏閣にも、
まったく興味がなかったからなのでしょうか…。

大仏を参拝

そして、大仏のお姿を見学。
圧倒的な大きさに、畏敬の念を感じます。
思わず、手を合わせてしまいます。

その後は、順路に沿って、大仏殿内部を見学し、
あの有名な柱くぐりの場所にも、やってきました。
そこでは、柱くぐりにチャレンジする人たちが、長い列を成していました。

というわけで、私もチャレンジ。
が、柱の穴は思いのほか小さく、そのせいか、
チャレンジするのは、子供ばかりのようにも見えます。

私は細いので、このくらいの穴なら、なんとか通り抜けられるだろうとは思うのですが、
それでも、ちょっと不安になってしまいました。
が、外国人男性が果敢にもチャレンジし、成功したところを見ると、
(とはいっても、その方も決して大柄ではなかったのですが)
なんとかなるだろうという思いもします。

そうしてしばらく列に沿って待つうち、やがて私の番に。
ヨメにカメラを預け、ギャラリーが見守るなか、
身を屈めて柱の穴に上半を入れたのですが。

柱くぐりに挑戦

やっぱり狭い…。かなり狭い。
しかも、両腕を最初に穴に入れておくべきだったかも…。
そんなことを思っても、もはや後の祭り。このまま先に進むしかありません。

ここで思い出されるのは、
村上春樹の最新小説『騎士団長殺し』の一場面です。
「あたしが犠牲を払い、諸君が試練を受けるのだ」と、騎士団長はいいました。
この柱くぐりは、騎士団長のいうところの試練かも、
などと勝手な妄想をしつつ、じわじわと穴のなかを進みます。
この狭い穴のなかで、私を励ましてくれたのは、
ドンナ・アンナでもなく、コミでもなく、ヨメと、周りにいるギャラリーでした。

せまくてパニック

というわけで、途中パニックになりつつも、無事通過。ホッとしました。
うしろから二重メタファーの触手に襲われることもありませんでした。

ですが、きっと、落ち着いて挑戦すれば、難なく通り抜けられたと思います。
ちなみに、ヨメは、近年の体重増加を理由に、この試練を断固固辞しました。

そんなわけで、この続きは、次回にまた書きたいと思います。



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田川さん制作のフィギュア

7月1日の土曜日、名古屋市の伏見にある、ギャラリー名芳堂で開かれていた、
フィギュア作家の田川弘さんの個展に行ってきました。
この個展の情報は、
いつも拝見しているイラストレーターさんのブログから得たのですが、
アップされているフィギュアの写真を見たところ、極めてクオリティが高く、
しかも、ギャラリーの場所は名古屋とのことで、ここ岐阜市からは比較的近いことから、
ぜひ、なんとか時間を作って、行ってみたいと思ったわけです。
とはいっても、名芳堂というギャラリーは、いままでに行ったことはなく、
場所は伏見といわれても、なんともピンと来ませんでした。

この日、お天気はちょっと不安定になるとのことでしたが、
実際には、晴れ間も覗く、まずまずの空模様。
そんなわけで、ヨメとともに、ヨメ車プジョー208に乗って、
まずは名古屋方面へと向かいました。
名古屋の伏見に到着したあとは、いつも利用しているパーキングビルにプジョーを止め、
(が、このビルもいっぱいで、なかなかクルマを入れられませんでした)
そこから、街をブラブラと散策しつつ、歩いていくことにしました。

久しぶりの名古屋の街でしたが、
やはりというべきか、この時期は、とても暑いです。
さらに暑くなるこれからの時期は、積極的に訪れたい地ではないのかも知れません。
そうはいっても、やはり、にぎやかな大都市にやってくると、それなりに、
気持ちも高揚するものです。

伏見に駐車して…

こちらは、伏見の街の様子です。
名古屋市科学館のすぐそば、といった場所なのですが、
照りつける日差しを避けてか、人影も少し疎らな気がしました。

途中、近くのお店で昼食をとりながら、さらに歩くこと数分、
ようやく、目的の場所にたどり着きました。

ギャラリーを発見

ビルの手前には告知の案内チラシがでていましたが、
どの階がギャラリーなのか、最初はよくわかりませんでした。
ヨメと案内看板を捜したりして、ようやく、件のギャラリーが、
地下一階の奥まったところにあることを知りました。

大盛況の個展

そんなわけで、決してわかりやすい場所とはいえなかったのですが、
それでも、会場には、すでにかなりの数のお客さんがきていて、
たいへんな熱気を放っていました。
ここまで賑わっている個展は、そうはないかもしれません。

会場内に入ると、まず、バッグなど手持ちの品を預けなければなりません。
展示品であるフィギュアは、ケースなどには入れず、そのまま展示してありますので、
バッグなどを手や肩に提げていると、何かの拍子に、展示品にあたり、
破損してしまうかもしれません。
その懸念を払拭する意味で、一部の手荷物は、一時的に預けることになっています。
カメラもその例外にはならないのですが、ストラップなどの紐類を外せば、
持ち込みはOKで、作品の撮影も許されています。

しかも、田川弘さんのお名前を記せば、撮影した写真を、
ブログといったネットへ投稿、公開することも、許可されています。

そんなわけで、ヨメは持っていたバッグを預け、私も、カメラケースと、
カメラから外したストラップを預け、いざ、会場に足を踏み入れます。

作品のフィギュアは、いわゆる『ガレージキット』と呼ばれるもので、
模型店やネットの通販サイトなどで、一般に販売されているものになります。
ガレージキットとは『原型師』という元のフィギュアを作る技術者がいて、
その人が造形した原型を、シリコーンゴムを使って型をとり、
レジン (化学変化で硬化する不飽和ポリエステル) を型に流し込んで、
立体コピーをつくる、といったものです。

プラモデルのような、大掛かりな射出成形機や金型を必要としないため、
個人や、小規模の企業でも、ガレージキットメーカーになれます。
ただ、注型は手作業となるため、生産数は小規模で、価格も高価なものが多いです。

いずれにしても、展示品のもととなっているフィギュア自体は、
生産数こそ少ないものの、量産された品、であり、
一点のみ存在する、というものではありません。

ですが、ガレージキットというものは、無機質なレジンの塊でしかなく、
これをいかに、塗装、ペインティングするかが、腕の見せどころとなり、
また、オリジナリティを持たせることにもなります。
いわば、レジンの塊をキャンバスに見立て、絵画を描くようなもの、と、
いえるかもしれません。

女子高生のフィギュア

こちらは、女子高生のフィギュアです。
おそらくは、アトリエイットという、
ガレージキットブランドの製品ではないかと思います。
肌の質感、服の質感、が、とても巧みに塗り分けられていて、
顔などは、まつげ、などが、とてもとても細かく塗り分けられていました。
ツヤのコントロールも完璧になされていて、マットな表現が美しかったです。
ここまで完成度の高いペイントを見るのは、私にとって、
初めてかも知れません。

濡れたブラウスの表現がすごい

こちらも、同じ女子高生のフィギュアです。
制服のブラウスが雨に濡れ、肌が透けてみえる表現が、
塗装によってなされていますが、見事な出来だと思います。
ガレージキットの出来の良さと、高いペインティングの技術が、
高次元で組み合わせされているという感じです。

1/35のフィギュア

こちらも、アトリエイットの製品ではないかと思います。
戦車プラモデルではおなじみの、1/35スケールとのことですが、
実際に目にすると、もっと小スケールのように感じました。
(当初は、1/48では、と思うほどでした)

写真ではわからないかと思いますが、この小スケールで、
目などを見事に描き分けています。
しかも、原型の美しさをまったく阻害していません。
まさに、超絶的な塗装です。
命を吹き込まれている、といった感触さえします。

リアル女性フィギュア

こちらは、西欧人のリアルフィギュアです。
大きさは、1/12くらいでしょうか。
肌の質感はとてもすばらしく、それでいて、
眼球には、濡れたような光沢がつけられています。
この光沢の差も、見る人の心を引きつける重要な要素となっています。

肌の表現が秀逸

こちらは日本人(東洋人)のフィギュアです。
丹念にペイントされているためでしょうか、セクシーさが溢れています。
フィギュアの造形も、とてもすばらしいです。
展示のフィギュアは、8割くらい、女性だったかと思います。

質感の塗り分けに目をみはります

こちらは、リアル系ではなく、少しアニメ風ディフォルメを取り入れたフィギュアです。
とはいっても、塗りについては、リアル系とまったく同じようになされています。
ブーツに使われた金属の質感、ボンデージ衣装のエナメルの質感、
それぞれ、しっかりと出されており、硬質で光沢を持つものと、
やわらかな肌とが、テクスチャのコントラストとなっていて、
見るものを惹き付けます。

アンドロイドのフィギュア

そしてこちらは、サイボーグ的なオブジェを思わせるフィギュアです。
単なる人物フィギュアより、こうした、非現実的な要素が入ったほうが、
展示物としては、おもしろいかもしれません。
私としては、この作品が、今回の展示物のなかで、もっとも印象に残りました。

顔の造形自体もすばらしく、その造形を巧みなペイントが、
最大限、ひきたてているかと思います。
このようなリアルなペイントには、単なるテクニックではなく、
一定のデッサン力も、必要とされるのではないかと思います。

切断された筋肉の表現など、ともすれば、
グロテスクな印象を持たれる作品かもしれませんが、
そのあたりは、塗りのテクニックによって、リアルながらも、
清潔感のある雰囲気にまとめられています。

この日は、作家在廊日ということで、
田川弘さん自身が会場にいらっしゃいました。
というわけで、多くのお客さんのご対応においそがしいところ、
恐縮ですが、いろいろとお話を伺ってみました。

使用している塗料は、
いわゆるプラモデル用、模型用のものではなく、油彩だとのことです。
基本塗装は模型用のラッカー系塗料で行って、
細部のみを油彩で描いていく、という方法ではなく、
少なくとも肌の部分については、すべて、油彩によるペイントだそうです。
もちろん、油彩をそのままレジンのうえに塗るわけではなく、
サーフェイサーを吹いて、そのあとに油彩を塗っていくそうです。
また、エアブラシは使ってないとのことでした。

油彩は、ツヤがでてしまいそうな気がしますが、そのあたりは、
溶剤を工夫することで、回避できるとのことでした。
ボンデージ衣装のエナメルの質感は、ウレタンコートで出しているとのことです。

…と、お聞きしたいことは山ほどあったのですが、
ヨメがいよいよ退屈しはじめてましたので、名残惜しかったのですが、
その場を、おいとまさせていただくことにしました。

今回は、田川さんをはじめ、スタッフの方にも、いろいろとお話をさせていただき、
とても有意義に過ごすことが出来ました。
ありがとうございました。

また、今回の個展は、去る3日に終了となりましたが、
今後も、個展の開催は折りをみてされていくとのことでしたので、
そのときには、ぜひ、新作を拝見したいと思っております。

というわけで、その後は、栄のフランフランに行ったり、
(いま抱えているお仕事の参考に、フランフランにいかなくてはなりませんでした)
名古屋パルコに行ったりと、ひさしぶりの名古屋を満喫してきました。

また、この日は、私たちの11回目の結婚記念日で、
その夜は、ステーキのあさくまで、ちょっと豪華な夕食をとることとなりました。

というわけで、いろいろと充実した一日でした。



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組み付け状態

一年ほど前でしょうか、テレビのニュースなどで、
3Dプリンターの将来性や問題点を、よく取り上げていたように思いますが、
ここ最近は、そのような話題に接することも、あまりなくなったように思います。
つまりそれだけ、3Dプリンターが社会に浸透した、ということかもしれません。
とはいえ、私にとっては、Shade 3Dで3DCGの製作などをしつつも、
3Dプリンターについて、身近には感じられることは、まったくありませんでした。

というのも、私自身は、3Dでの製作物というのは、
レンダリングして「絵」にするものであり、それを実際に形状化させる、
ということについては、あまり大きな関心がなかったのです。
加えて、雑誌などで、実際に3Dプリントされた物体を見ると、
積層跡がくっきりとついた、とても美しいといえるようなものではなく、
それでいて、3Dプリンター自体も、プリントサービスも、ともに高価なイメージがあり、
こうした、決して品質の高くないものに、お金を出すのは,
あまり適切ではないと考えてもいました。

ですが、先日、DMM.makeさんのサイトで、
3Dデータをアップロードするだけで、比較的安価で、3Dプリントして宅配してくれる、
というサービスがあることを知り、俄然、3Dプリント、3Dプリンター、に、
興味を覚えるようになりました。

○ DMM.make 3Dプリントサービスはコチラ ~

しかも、DMM.makeさんのサイトでは、詳細な3D造形の解説ページがあり、
そのなかには、Shade3Dを使ってのデータの作り方、エクスポートの仕方が、
動画で紹介されています。
(もちろん、Shadeの以外の3Dソフトの使い方も紹介されています)
これらの動画を参考にすれば、だれでも3Dデータが作れることになります。

折しも、私がただいま製作しているプラモデルで、
一部のパーツに、ちょっとした不満があり、
もし可能であればオリジナルのパーツを作りたいな、と、
まさに思っているところでした。
DMMの3Dプリントは、もしかすると、
そんな要求に応えてくれるかもしれない、と、いやがうえにも期待は高まりました。

エレールのファーガソン

こちらがその件のプラモデルです。
フランスのエレールというメーカーが、今年になって発売した、
『ファーガソン TE-20』という、農耕用トラクターの1/24スケールのキットです。
農耕用トラクターというのは、クルマや、戦車、飛行機のように、
人気が見込めないためか、いままで、あまりプラキット化されることがなかったのですが、
こうしたマイナーなモノが好きな私には、まさに、待ちに待った商品でもありました。

なにしろ、トラクターはエンジンが剥き出し!。
メカニカルな面白さにあふれています。
しかも、このファーガソンTE-20は、ビンテージな農耕用トラクターだけに、
レトロなデザインも魅力です。

というわけで、発売されるや否や、
すぐに模型ショップ『タムタム』に行って買ってきたのですが、
キットに付属していたタイヤは、当然のことなのでしょうが、
軟質樹脂 (可塑剤を加えてやわらかくしたプラスチック) 製となっていました。

海外製のプラモデルに使われている軟質樹脂には、苦い思い出があります。
イタリアのプラモデルメーカーである『イタレリ』社が発売していた、
ドイツ軍の軍用トラック『オペル・ブリッツ』も、
今回と同様の軟質樹脂製タイヤがセットされていましたが
この軟質樹脂は、長い時間が経過すると、プラスチックを溶かしてしまう、
まさに『くせ者』でした。
そんなわけで、私が作ったオペル・ブリッツは、
製作数年後には、タイヤがプラスチック製のホイールを溶かしてしまい、
見るも無惨な状態になってしまったのです。

もちろん、すべての軟質樹脂がプラを溶かすわけではないですし、
いまでは、メーカー側もトラブル回避の配慮しているはずです。
なので、それほど神経質になることはないのかもしれませんが、それでもやはり、
キット付属の軟質樹脂製タイヤを使うことには、気が引けてしまいます。

しかも、エレール製のファーガソンのタイヤは、形状自体もいまひとつよくありません。
ですので、このタイヤを、Shade3Dでモデリングし、
3Dプリントしたらどうか、と、思うようになりました。

Shade画面

というわけで、さっそくモデリングしてみます。
モデリングの方法は、もちろん、ポリゴンモデリングで、
サブディブジョンサーフェイスを使って形状作成していきました。
が、ここで、3Dプリント用に作るモデリングデータというのは、
いままで作っていたデータと製作上、いろいろと留意点が違うことに気がつきます。

まず、サイズや寸法に気をつけること。
なにしろ既存のプラモデルのパーツに組み付けるのですから、
きちんと寸法に気を配っておかなくてはなりません。

また、四つのタイヤを、
ひとつのモデリングデータ (ポリゴンメッシュ) にしてしまうことも必要です。
すなわち、ランナーでひとつに結んでしまうのです。
これで、たとえ複数パーツからなるモデリングデータでも、1パーツ、ということになります。

このとき、ランナーに、ヘッドライトのパーツも付け加えてみました。
(キット付属のライトは、開口されていないため、モデリングして付け加えました)

当初は、タイヤも含め、ホイルも一体でモデリングしていたのですが、
3Dプリント料金が高くなるため、この方法はやめました。

こうして、モデリングが完了すると、それをより細かなポリゴンに分割し、
3Dプリンタ用に適した保存形式であるSTL形式にして、エクスポートします。

それをDMM.makeのサイトにアップロードします。
そうすると、実際にプリント可能かどうか、エラーがないかどうか、等を、
チェックしてくれます。
もし問題がなければ、その旨のメールが届きます。

DMMサイト

というわけで、見事問題ナシ。
3Dプリントに移るわけですが、そのさいに、プリントされる材質を、
選ぶことができます。

そこで愕然。プリントされる材質によって、ものすごく値段が違います。
金属材質でのプリントは高くてもある程度理解できますが、
当初予定していたアクリルでのプリントも、7,000円を超えるものとなっており、
(これでは、ファーガソンのキットよりも高くついてしまいます)
結局、最も安いナイロンで出力してもらうことにしました。

ただ、ナイロンは、表面がざらざらになるとのことなので、
ナイロン(磨き)を選択し、プリント注文をしたのですが…。

ここでトラブル。ナイロン(磨き)を選択すると、パーツの厚みが足りない、
ということで、DMMからプリントを強制キャンセルされました。

というわけで、少しばかりデータを修正し、
材質を、磨きのないただのナイロンに選び直しました。
そうすると、DMMから、無事、プリントOKのお知らせが届きました。
はじめての3Dプリント、やっぱりすんなりとはいきませんね。
そして待つことおよそ5日。宅急便で3Dプリントされた現物が届きました。
はたして、うまくプリントされたのか、もう、ドキドキです。

届いたパーツ

これがその3Dプリントされた、1/20ファーガソンTE-20の前後輪タイヤセットです。
Shade3Dというアプリケーションのなかでしか存在しなかったものが…、
モニター画面のなかでしか見られなかったものが、
実際に手に取れる状態になったことは、驚きであり、感動でもあります。
すごい!、すごいぞ3Dプリンターって感じです。

パターンもしっかりと

ナイロンで3Dプリントされたものは、
陶器のようにカッチカチに硬いと聞いていたのですが、
実際にプリントされたものを手に取ると、
陶器のような雰囲気は感じられず、また軽いものでした。
ただ、たしかに、柔らかさや軟質感はまったくありません。

3Dプリンターでの再現度の問題もあったので、
タイヤ自体の細かなディティール (メーカーロゴ刻印) などは、
すべてオミットしています。

キットのホイルに嵌めてみる

後輪の内径は、少し寸法を小さめにしたため、
(キット付属のプラ製ホイルと、タイヤとのあいだに、
 不自然な隙間を出したくなかったためです)
嵌め合わせは、とてもタイトになってしまいました。

というわけで、タイヤの内径を少し削ったのですが、
このナイロンという材質というのは、
サンドペーパーによる研磨が極めてしづらく、けっこう苦労しました。
そんなわけで、ホイルのほうも少しペーパーでならしつつ、何度も借り組みを繰り返し、
ようやく、うまく収まるように調整しました。

3Dプリントのタイヤ

これが、3Dプリントタイヤと、キット付属のホイルと組んだ状態です。
キット付属の軟質樹脂製後輪タイヤより、新造した3Dプリンタ品のほうが、
断然かっこいい、と、自分としては思っています。

ただ、当初懸念した、表面のざらざら感や、
3Dプリンターならではの積層跡は、どうしても入ってしまいます。

今後は、このうえにサーフェイサーを吹き付けてペーパーがけするなどして、
この積層跡を消さなくてはなりません。
もっとも、表面のざらざら感については、タイヤという質感を再現するのであれば、
それほど悪い影響を与えていないようです。

それにしても、このナイロン (ポリアミド) という素材に、
サーフェイサーを吹き付けても、だいじょうぶなのでしょうか…。
ちょっと心配なところです。

ナイロンで出力

前輪については、
過度のタイトさはなく、それでいて、ぴったりとホイルに嵌まりました。

申し遅れましたが、このエレールのファーガソンのキット、
タイヤの材質や形状に不安や不満はあるものの、キットそのものの出来は、
とてもいいものです。

まあ、組み立て説明書に間違いがあったり、
前輪が最大車幅状態でしか組めなかったりと、ときどき、
おやっ?、と思うこともありますが、パーツの合いもカチッと決まりますし、
ペダル類まで細かく細かくしてありますし、
多少の欠点はあっても、途中で気にならなくなるほど、すばらしいものです。

ディティールアップ

しかも、手を加えるところも満載。
とくにエンジンのプラグコードなどは、ぜひともディテールアップしたいところですし、
こういうユーザー側で自由にいじれる部分が残っていることも、
このキットのよいところという感じがします。

フロントビュー

それにしても、トラクターってかっこいいですネ。
今後は、少し古びたようにウェザリングして、
ゆくゆくは農場ジオラマにしたいと思っています。
こうした農機や重機が、今後もキット化されることを、切に望みます。

ちなみに、今回3Dプリントしたパーツは、
DMM.makeのクリエイターズマーケットで、販売することにしました。

マイショップ画面

こちらが、私の販売サイトです。
なにしろ3Dプリントを始めたばかりなので、商品が、
このタイヤセットのみなのですが、
今後もできれば、こうした、プラモデル製作のアシストパーツを、
3Dプリント用データとして作っていき、販売していければ、と思っています。

○ DMM.make 『noba-ken Model』サイトページ ~

まだ商品が、このタイヤセットひとつしかないため、なんとも、
寂しい限りなのですが、今後は、できれば、
もっと商品を増やしていきたいな、などと、夢見ています。

今回はトラクターのタイヤでしたが、1/35ドラゴンワゴンのタイヤとか、
はたまた、M4シャーマンのライトガードセットなんて、できたらいいな、
と、思っています。



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補修後のMINI

五月の終わりの日曜日、MINIで、四つの県を一日で巡るという、
大ロングドライブを敢行したと、当ブログでも紹介しましたが、
そのあと、コイン洗車場で洗車をしたさい、高圧洗浄機の圧力で、
ヘッドライトしたの塗装が、わずかな面積でしたが、
吹き飛んでしまう、ということが起きました。

もともと、塗膜のしたで、錆が進行して塗装を浮かせていて、
高圧の水を浴びることで、浮いた塗膜そのものが飛んでしまった、
ということのようです。
でなければ、いくら高圧とはいえ、水があたった程度で、
塗膜が飛ぶなんてことは、ありえまえん。

このときは、ちょっとショックで、なんともため息ばかりだったのですが、
このまま見て見ぬ振りをするわけにもいかず、
かといって、板金に持ち込むほどのことでもないように思い、
いろいろ考えた末、まずは自力で補修してみることにしました。

まあ、古いクルマですし、飛騨高山に住んでいた頃は、
路上に融雪剤を撒く冬の時期にもMINIを走らせてもいたわけですから、
こうした問題がでてくるのも、やむを得ないことかもしれません。

それにしても、最大の問題は、
この塗膜のしたの錆が、どれくらい進行しているかです。
問題の箇所は、ヘッドライトのすぐしたの、
ちょうど鉄板と鉄板が組み合わされた段差状になっているところです。
こういう接合箇所から発祥している錆は、
経験上、ちょっとやっかいだという思いもあります。
悪くすると、鉄板に穴が空いていたり、
接合箇所からクサリが発生していることも考えられます。

いずれにしても、錆の程度を見定めなければなりませんし、
一刻も早く、手当をしなければなりません。
そのためには、必要な道具や補修剤を準備する必要があります。
というわけで、まずは、錆を落とすためのサンドペーパーから揃えることにしました。
当初は、タミヤ模型から発売されている、
模型製作用のサンドペーパー「フィニッシングペーパー』を使う予定でした。
というのも、フィニッシングペーパーは安価で、
しかも、ひとつの袋のなかに、番目の違うものが複数入っていますし、
わざわざ買いにいかなくとも、部屋のあちらこちらにストックしてあります。
が、フィニッシングペーパーには、目詰まり防止ための、白い粉末状のものが塗布してあり、
それが、磨いた箇所に残って悪い影響を与えないかと、ちょっと心配でもあります。

いずれにしても、補習用のケミカル剤などを買わなくてはいけないので、
自動車用品量販店に行ってみたのですが、そこで、
クルマの補習用として、番目の違うサンドペーパーのセットがあるのを知り、
それがとても安価だったので、こちらを買って使うことにしました。
そして、錆を除去するためのクリーム、錆を防錆皮膜に置き換えるケミカル剤、など、
おもいつくものを買っておきました。

塗装の剥がれ部分

そしてこちらが、問題のMINIの塗装剥離箇所です。
この写真は、塗膜剥離直後に撮影したものなので、
患部の面積もごくごく小さいのですが、
実際には、塗膜のしたでもっと大きな広がりをもって進行しており、
それらを全部はがして、錆を露出させるところから、はじめなければなりません。

というわけで、浮いている塗装の隙間に、
マイナスドライバーを突っ込んでは塗膜を起こして取り去り、
錆の全貌を暴きにかかります。

この箇所のほかにも、ちょっと心配なところもありますが、
とりあえず、指で触っても塗装の浮きが感じられないところは、
ひとまず、そのままにしておくことにします。
(それらも全部やるとなると、素人では手に負えない板金作業になってしまいますから)

暴いてみると、けっこう大きな面積になってしまいました。
しかも、ホントに一面茶色のサビサビ、ガサガサの状態になっており、
衝撃を受けましたが、鉄板と鉄板の接合面はしっかりとしており、
また、穴やクサリもなく、ほんとうにホッとしました。
穴があいてしまうと、やっかいですからネ。
(ちなみに、錆を露出させたこの状態の写真を撮り忘れてしまいました)

浮いた塗装をすべて剥がす

まずは、もっとも粗目の150番目のサンドペーパーでサビを落とし、
そのあとは、320番のペーパーで、より慎重に磨いていきます。
この作業を繰り返すことで、茶色の錆が取り払われ、
鈍い銀色の、鉄の地金が見えるようになります。
できれば、ワイヤーブラシを使ってしっかり磨きたいところでもありますが、
そんなことをすると、ダメージのない塗膜部分をも傷つけてしまいそうです。
ですので、歯ブラシなどを代用品として使いつつ、やさしく丹念に錆をとります。

補修用ケミカル用品

次に、99工房のサビとりクリームを、説明書に従って厚く塗り、
10分ほど時間をおいてから、キッチンペーパーで拭いてサビを取り除いていきます。
この行程を、およそ三回繰り返しました。

というわけで、すっかり錆は落ち、地金がきれいに顔を出しました。
ですが、こうして地金を出しても、ひょっとしたら、
微小なサビがまだ残っているかもしれません。
ですので、そうした小サビを封じ込めるために、
赤サビを防錆皮膜に換える、転換剤を使うことにします。

転換剤を塗る前に、表面を脱脂します。
本来であれば、脱脂用のシリコンオフスプレーを使うところですが、
いくら錆をすべて露出させたとはいえ、それほど大きな面積ではないですから、
シリコンオフシートという製品を使って、表面を脱脂することにしました。

脱脂用ケミカル用品とサンドパーパー

こちらが、そのシリコンオフシートです。
ウエットティッシュ状になっており、狭い面積ならば、これで充分かな、と、
思っています。

そしてシリコンオフシートを二回使い、脱脂し、よく乾燥させてから、
防錆転換剤を慎重に塗っていきます。
とくに、地金が露出している箇所と、塗装された部分との境目部分に、
塗り残しが生じないよう、慎重に塗っていきます。
20分ほどの時間をおいてから、もう一度、転換剤を塗布します。

オイル等点検

この20分ほどの間に、エンジンオイルの残量をチェックしたり、
ドアやボンネット、トランクといった、各所のウェザーストリップに、
ラバープロテクタントを塗布したりと、思いつくままに、
あちこち、手入れしてみました。
そうこうするうちに、20分など、あっという間に経ってしまいました。

地金は無事

20分ほどで、防錆転換剤を塗ったところは、
説明書通り、黒い皮膜を形成してくれます。
こうして黒く変色してくれると、
なんだか、効果を発揮してくれているような、そんな気にもなります。
このあと、二時間半ほどしっかり乾燥させ、その次にサーフェイサーを塗る作業に入ります。

サーフェイサーは、手持ちのものを使うということで、模型用を使うことにします。
グレーのサーフェイサーが見当たらなかったので、
クレオスの白いサーフェイサーを使い、まずは錆部分を真っ白に塗りました。
(この真っ白の状態も、撮影するのを忘れてしまいました。すみません)

その後、同じクレオスの模型用ラッカー系塗料で、ボディ色を作ります。
プラモデル用なので、クルマの補修に使っても、
耐久性という点で、不安があるかもしれませんが、
ラッカー系は塗膜が強く、また、すでに各色を豊富に揃えているので、
コイツを使うのが、私にとって、最良の選択かと思っています。

じつは私は、名古屋に住んでいた当時、
写真修正を行うレタッチスタジオに勤めていたことがあります。
その作業は、写真とまったく同じ色を絵の具を混ぜて作り、
それを、エアブラシを使って、写真に直接吹き付けて修正する、というものでした。
ですので、塗料などで特定の微妙な色調を作ることには、
比較的、慣れているといってもいいかもしれません。

補修に使用した色

私のMINIのボディ色は白に近いベージュですが、この色は、
ホワイトと、サンディブラウンと、軍艦色(2)を、
適度に混合させれば、できるのでは、と、感じました。
というわけで、それらを皿にとり、混ぜ合わせて、状態を見ます。

そして塗り付け。
塗り付けたところがボディより明るいと、ちょっと目立ちます。
逆に、ちょっと暗いほうが、馴染んで見えると思います。
そんなわけで、少し暗めに調色し、丹念に塗り付けていきます。

補修完了

色的には、自分としてはかなりいい線になったかと思います。
少なくともパッと見には、補修したことがわかりません。

これで、ほぼ補修は終了ですが、このあと、
10日間ほどの時間を置き、乾燥、定着をさせ、
その後、再度脱脂をしてから、
クリンビューが発売しているコーティング剤『イオンコート』を、
丁寧に二回、かけてみました。

当初は、2000番のような細目のペーパーで補修部分を研ぎ出し、
さらにコンパウンドをかける予定でいたのですが、
試験的に2000番ペーパーをかけたら、ちょっと色が変わってしまいましたので、
そのままなにもせず、イオンコートを塗布することにしました。

なにぶんにも素人仕事ですので、どの程度の耐久性があるか、
また、錆がしっかり取り除けているか、わからないところもあります。
加えて、プラモデル用の塗料 (クレオスのラッカー系塗料) が、
どの程度、持ちこたえてくれるか、
そのあたりも、心もとない感じがしますが、とりあえず、
できることはやった、という感はあります。

ちなみに、クレオスのラッカー系塗料の耐久性ですが、
以前、飛び石で傷がついたところにも、これらを使って、
タッチアップしたことがあります。
それらは、いまも塗膜を保っていますので、
たとえプラモデル用といえども、一定の程度の耐久性はあるものと思っています。

クルマのボディを自力で修復したい方や、錆に悩む旧車オーナーの方にとって、
本投稿記事が、少しでも参考になれば、さいわいです。



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引揚記念公園

梅雨にはいったばかりなのに、どういうわけかお天気に恵まれた先日の日曜、
ヨメのプジョーで、京都府の舞鶴へと、ドライブがてら出掛けてみました。
本来であれば、MINIでお出かけをしたいところでしたが、
先日、コイン洗車場でMINIを高圧洗浄機で洗車したさい、
前面ヘッドライト下部の塗装が、一部、塗膜内に侵入した錆によってはがれてしまい、
いまはまだ、その補修がまだ終わらないため、今回はプジョーでのドライブとなりました。
(MINIの補修の詳細についても、できれば後日、このブログで取り上げたいと思っています)

もっともこの日、当初から舞鶴に向かうという計画はなく、
なんとなく、愛知県の蒲郡方面に行ってみようということになっていました。
が、朝のうちは、空にはどんよりと雲がたれ込めていて、
こんなお天気のもとであっては、海岸沿いの景色も、
あまり楽しめないのではないのか、という思いがあり、
急遽、目的地を変更した、というわけです。
(このために、けっこう時間をロスしてしまいました)

というわけで、南の国道23号線に向かっていたところを反転し、
国道21号線に戻って西に向かい、その後、関ヶ原で国道365号線へと入り、
琵琶湖の北端を目指します。
そこから国道8号線に入って、福井県の敦賀市へ。
敦賀市からは国道27号線に乗り換え、ひたすら南東方向へと進みます。

道中、どんよりと曇っていた空ですが、日本海側に出ると、
雲がしだいに取り払われ、敦賀に到着する頃には、すっきりとした青空が、
広がるようになりました。
この日の天気予報では、愛知県の豊橋市は曇りとなっており、
その予報が正しいとすれば、近隣の蒲郡市も、お天気はよくなかったかもしれません。
やはり、目的地を日本海側に変更したことは、天候という面からいえば、
正解だったかもしれません。

五湖の駅

そして途中立ち寄った道の駅『五湖の駅』で昼食。
お天気がよいせいか、行楽客でとても賑わっていました。

その後も国道27号線を京都府方面に向かって進み、
いよいよ、舞鶴へと入ります。
私にとっては、人生初の舞鶴訪問となりました。

その舞鶴と聞いて、私の頭に真っ先に頭に浮かぶのは、
かつて旧満州に取り残された棄民が引き揚げてきた場所だということです。
また、シベリア抑留者たちも、この地に引き揚げてきたかと思います。

私の母、また母方の祖母は、満州からの引揚者ですが、
日本に到着した港は、佐世保だったと聞いています。
ですが、この舞鶴にも、引揚者を身内に持つ者として、
なにか特別な感情とでもいうべきものがあります。

ですので、舞鶴の港には、とても強く行ってみたいと思いましたし、
そこには、なにかしらの記念碑のようなものがあるのでは、と、推察しました。

そんなわけで、あまり気乗りしないヨメを説き伏せて、舞鶴港に向かおうとしましたが、
その道中、引揚記念館という看板が目に入りました。
やはり、舞鶴には、引揚者にまつわる資料館的な施設があるようです。

引揚記念館

というわけで、さっそく、記念館に行ってみました。
駐車場には大型観光バスなどが入っており、思いのほか見物客がきているようでした。
こうした施設に関心や興味を持ってくださる方がいることは、
私にとっては、うれしいことでもあります。

○ 舞鶴引揚記念館のサイトはこちらです ~

施設は、近代的なとても立派なものでした。
折しも、シベリア抑留者たちの記録が、ユネスコの記憶遺産に登録されたこともあり、
より多くの人の関心を集めているようでもありました。

抑留者の送られた地域

施設内に入るとすぐ、満州やモンゴルを含む、
ロシア (旧ソ連) 全土の地図を写した、大きな絨毯があります。
そこには、シベリア抑留者たちが送られた、
収容所のある地域が記されています。

満州とは、中国の東北部を指す言葉ですが、
ここにはかつて『満州国』と呼ばれた国家がありました。

日露戦争後、ロシアが満州にもっていた鉄道権益と、
遼東半島の先端部が、租借地というかたちで、日本のものとなります。
日本政府は、この鉄道を半官半民の特殊会社『南満州鉄道株式会社』として、
満州経営の足がかりとします。
また、この鉄道沿線と、租借地である関東州 (遼東半島先端部) を守るため、
『関東軍』と呼称される、日本の出先軍隊が組織されます。

ところが、南満州鉄道株式会社の権益は、
満州に台頭してきた地方軍閥などによって、たびたび侵されることになり、
この事態に業を煮やした『関東軍』は、自ら南満州鉄道の線路を爆破し、
それを相手の仕業だと宣伝する、いわゆる謀略工作をもって、
一気に満州全土を支配することをもくろみます。

関東軍はまたたくまに満州を占領。
その後、清国の廃帝『溥儀』を擁立して、独立国家『満州国』を建国させるのです。
もっとも、この国は、日本の支配下で作られた、完全な傀儡国家でした。

日本政府は、資源の供給基地として、満州国を開拓する必要に迫られます。
そのため、日本各地の農村などから、広く人を集め、満州へと入植させます。
同時に、満州国防衛の要として、関東軍を大幅に増強させ、
北の大国ソ連への守りとして、総勢70万の大精鋭軍へと成長させます。

昭和20年、ソ連は日本との条約を一方的に破棄して満州に攻め込みました。
このときすでに関東軍は弱体化しており、ソ連軍の侵攻の前になすすべもなく、
満州全土にいた日本の入植者は、塗炭の苦しみを味わうこととなります。
この日本の民間人たちが、いわゆる満州棄民であり、
満州からの『引揚者』と呼ばれる人たちになります。

また、ソ連軍に武装解除された関東軍将兵らは、
日本がポツダム宣言を受諾し敗戦したあとも解放されることはなく、
逆に、シベリアなどのソ連領内に移送され、
そこで、過酷な重労働を、数年に渡って強いられることになります。
この人たちが『シベリア抑留者』と呼ばれることとなります。

軍隊手帳などの資料

舞鶴の引揚記念館は、
これら満州引揚者と、シベリア抑留者の資料展示に特化した施設です。
その展示品は (資料的価値の高いものは) それほど多くはないと思います。
というのも、シベリア抑留者たちは、日本に返されるさい、
筆記されたものを持ち帰ることを許されませんでした。
そのようなものを持っていれば、即刻スパイ扱いをされ、日本への帰国は遠のきます。

それでもなお、決死の覚悟で、木の皮に記した収容所での記録を、
持ち帰った例もあり、実際に展示もされていました。

ラーゲリの様子

館内のスタッフの方から説明を受けたところ、収容所内では、就寝のさい、
およそ二畳の広さに、六人が寝かせられたといいます。
また、冬場の水不足は深刻で、川から水を汲んできても、途中で凍ってしまったといいます。
それがために、極端に不衛生で、ノミ、シラミが発生し、
チフスなどの疫病が蔓延したといいます。

厳冬のラーゲリ

食事も粗末なうえに、森林伐採などの重労働を課せられ、ノルマが達成できなければ、
さらに食事を減らされるというペナルティがあったといいます。
まさに、生き地獄のような様相であったかもしれません。

引き揚げ船の模型

展示品のなかには、引き揚げ船に使われた船の模型も多数展示されていました。
また、撮影は不可でしたが、抑留者が実際にシベリアで描いたという、
水彩画もありました。
実際に現地で、ソ連側から筆や絵の具を支給されて描いたとのことで、
奇跡的に持ち帰ることができたといいます。
いわば、現場での生の情報であり、極めて貴重な資料だといえます。
しかも、描いたご本人は、いまも存命中とのことで、たいへん驚きました。

舞鶴のジオラマ

こうして、スタッフの方から詳しいご説明をそれぞれいただき、
各展示物をつぶさに見学させていただきました。
とても意義のある時間を過ごすことができました。

その後、施設近くにある、
引揚者たちが上陸したという桟橋 (復元物) に行ってみることしました。

望郷の地

こちらが、その桟橋からみた光景です。
晴天ということもありますが、まさに、息をのむほどの美しさです。
戦後間もない頃と、いま現在とでは、あたりの景観は大きく違うでしょうが、
満州から引き揚てきた人たちや、シベリア抑留者の人たちは、
この同じ光景を船上から見て、恋いこがれた祖国に帰ってきたことを実感し、
涙したことと思います。

同時に、この光景を見ることなく、無念にも、
大陸の曠野で、また厳寒のラーゲリで、命を失った方も数多くいたのです。
それを思うと、私も胸が熱くなりました。

また、引き揚げ記念館のスタッフの方から教えていただいたのですが、
我が岐阜県にも、満州棄民をとりあげた資料展示施設が作られたとのことです。
おそらくは、私が以前行った、長野県の満蒙開拓記念館の創設に、
影響を受けたということもあったかもしれません。

○ 満蒙開拓記念館訪問の記事はこちらです ~

長野県は、満州への移民がもっとも多かった県ですが、
我が岐阜県も、私の祖父母をはじめ、多くの人たちを満州に送り出しています。

帰宅後、ネットなどで調べたところによると、どうやら高鷲村に、
たかす開拓記念館という施設があるようです。
私にとって、祖父母の満州行きについては、いまだにわからないことが多く、
(祖父は岐阜県の焼石というところで、役場職員をしており、
 人を集めて満州に送るという、そのような役目をしていたらしいです)
もしかすると、何か資料があるかもしれません。

いずれにしても、この施設もぜひ訪ねてみたいと思っています。
その暁には、またこのブログで紹介したいと思います。



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