北信濃の決戦の地

5月の連休が過ぎた後、非常に忙しくなってしまい、毎週土日も仕事に追われ、
いまやお出かけも、まったくままならなくなってしまいました。
MINIに乗ってドライブ、などということもできず、日々、事務所に缶詰…。
こういう生活は、ちょっとストレスがたまりそうです。
3月は暇だったわけで、お仕事が平均してくれるとありがたいんですが、
なかなかそうはうまくいかないようです。

そんなわけで、今月は思うようにブログも書けず、というよりも、
なによりネタがないわけですが、一応、前回も予告しましたように、
今回も「なにをいまさら」という感じですが、GWのことについて、
あらためて振り返ってみたいと思います。
(今回の記事も、少しづつ書いては中断し、また再開して、という感じで、
本日、どうにか、アップまでこぎつけました)

今年の連休は、前半は好天に恵まれましたが、その後、変わりやすいお天気になり、
後半の二日ほどは、ふたたび青空を見ることができたかと思います。
その最後の二日間のうちの土曜に、長野県の有名な古戦場『川中島』に、
行ってきました。

私は、独身の頃から、長野市には頻繁に行っており、
また結婚したあとも、善光寺や戸隠神社などに、何度となく行ったりしています。
(もっとも、戸隠神社はここ最近行くことができていませんが)
ところが、長野市近郊の川中島には、いままで一度も行ったことがなく、
今回がはじめての来訪となりました。

というのも、HHK-BSで放送されていた、大河ドラマ『武田信玄』や、
内野聖陽サン主演の『風林火山』などを見て以後は、一度は、
この北信濃屈指の激戦地である川中島に行ってみたいと思うようになっていました。
そしてようやく、今回の連休で、念願が叶ったという次第です。

目指すは、第四時川中島合戦の舞台となった、八幡原です。
とはいっても、当初はその位置がよくわからず、
大河ドラマの劇中に登場した双方の軍勢の布陣図を、頭に思い描きつつ、
道をたどることにしました。

八幡原は、たしか、善光寺平の南東方向で、千曲川の北になっていたかと思います。
というわけで、国道19号を進み、長野市の市街地の南を、東に向けて走りました。
そうこうするうちに、茶臼山、という案内看板が出て来ました。
茶臼山といえば、武田の軍勢が最初に布陣した場所のはずです。
ということは、上杉側が布陣した妻女山も近いはずです。
ルートはどうやらこれで正しそうです。

そうこうするうちに、川中島古戦場という案内看板が見えてきました。
やはり、これで正しかったようです。
というわけで、案内看板に沿って道を右折。松代方面へと向かいます。
松代は、八幡原に布陣する前の武田勢が入った海津城がある場所でもあります。

川中島古戦場駐車場

というわけで、思いのほかすんなりと、川中島古戦場に到着。
が、GWということもあってか、あたりは賑わっており、駐車場は満杯。
今回は待っていても、なかなか空きがでません。
が、どうにかこうにか無事駐車することができました。

佐久間象山像

あたりは公園になっており、幕末、松代藩の開明的な人物として名を馳せた、
佐久間象山の像が立っていました。
それにしても、雲ひとつない晴天ですね!。

いざ、川中島へ

というわけで、さっそく、海津城を出陣した武田勢が、
上杉勢との決戦に挑むため布陣したという、八幡原社へと行ってみます。

全極最強の名を欲しいままにした武田家は、
もともとは甲斐源氏の流れをくむ名家とのことで、
信玄 (信玄は出家してからの名で、それ以前は晴信と名乗っていました) の父の、
信虎 (のぶとら) の時代に、ほぼ甲斐国を統一していたといいます。
が、信虎は暴君の一面があり、同時に、嫡男である晴信とはソリが合わなかったようです。
家臣もそんな信虎を見限っていたようで、彼ら家臣団と、晴信は、
ともに結託して、信虎を駿河に追放してしまいます。
いわば、息子が父親を追い出すクーデターを行ったわけです。

こうして、武田家の家督を簒奪するかたちで相続した晴信は、
その後、隣国である信濃に目をつけます。
まず、もともと人質を出し合って同盟を結んでいた諏訪頼重を、
諏訪氏の配下にあった高遠頼綱とともに攻略し、
のちに、その高遠頼綱をも打ち破ります。
一方で駿河の今川や小田原の北条とは同盟を結んで、
南の安定を図りつつ、信濃に対しては、奥深くまで軍勢を差し向けます。

信濃の葛尾城主である村上義清などは、頑強に武田に抵抗し、
武田側も苦戦を余儀なくされますが、やがては村上も破り、
武田は信濃を平定するに至ります。
が、北の越後へ逃れた村上は、事実上の越後国主となっていた、
長尾景虎のもとに身を寄せたことで、
武田勢と越後とのあいだで、緊張が高まることになりました。

こうして、武田晴信、長尾景虎は、
北信濃の覇権をめぐって争いを繰り広げることになりますが、
双方とも、総力戦による決戦を避けており、
そのため、にらみ合いと小競り合いのような状態が続いていました。
が、永禄四年の第四次合戦は、ついに総力決戦に至りました。

このとき、長尾景虎 (この当時は上杉政虎という名を使っていたと思います) は、
善光寺平から、千曲川の南の妻女山に布陣し、あえて退路を絶って武田勢を迎えます。
武田も、最初は茶臼山に布陣しますが、その後、重臣の高坂弾正の城である、
海津城に入り、以後、膠着状態となります。

合戦図

この状態にしびれを切らした武田勢は、
自らの軍勢をふたつに分け、一方の軍を闇夜に紛れさせて妻女山に向かわせ、
そこに立てこもる上杉勢を山から追い落とし、北の八幡原へと追い詰める策をとります。
八幡原には、武田の残りの軍勢があらかじめ布陣しており、
そこで、妻女山を追われた上杉勢を挟み撃ちにして討ち取る、
という腹づもりだったといいます。
この作戦は、山にたてこもる敵を追い出してしまうことから、
『キツツキ作戦』と呼ばれたともいいます。

ところが、武田側のこの作戦は、上杉政虎に見破られてしまい、
上杉勢は武田の別働隊が攻めてくるまえに、自ら妻女山を降りて、八幡原に布陣しました。

武田の別働隊が妻女山に登った頃には、すでに山頂の陣地はもぬけの殻。
八幡原に布陣した武田勢は、半分の手勢で、
上杉側の軍勢を引き受けなければなりませんでした。

武田側は絶体絶命になりましたが、それでも、武田は戦線を維持し、
そこに妻女山から急遽駆け下りてきた武田の別働隊が、上杉勢の背後をつくこととなりました。
上杉政虎は、八幡原より兵を引き、善光寺平へと撤退します。

というと、まるで武田が勝ったかのような印象ですが、
武田側は、上杉側を上回る犠牲を出し、また、
武田典厩信繁、山本勘助、諸角豊後守、といった、重臣を失ってしまいます。
戦さ場に踏みとどまったのは武田なので、武田が勝ったといえば、そうなるかと思いますが、
損害の多さを考えれば、勝ち戦とはいえない結果に終わりました。
いってみれば、多大な消耗戦だったのかもしれません。

川中島合戦は、いわばローカルな争い、ともいえると思いますが、
それでも、知名度は抜群で、歴史になんの興味も関心もなかった頃の私でさえ、
その名やよく知っていました。

天下に行方を決めた戦である、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、などよりも、
川中島の戦いのほうが、はるかに有名かと思います。

信玄、謙信、一騎打ちの像

そして、こちらが、あまりにも有名な、武田信玄、上杉謙信、一騎打ちの像です。
この合戦では、軍勢を率いる大将同士が直接対決したということで知られており、
(実際にそんなことが起きたのか、にわかには信じられませんが)
こうして、記念の像が設置されています。

妻女山

そして、この八幡原からは、妻女山を望むことができます。
(境内にいた観光ボランティアの方に、妻女山の場所を聞きました)
奥側の山ではなく、その手前にある少し低い山が、妻女山だとのことでした、
あの山を降りた上杉勢が、この八幡原を目指して、
車懸かりの陣で襲いかかってきたんですね。

というわけで、たっぷりと八幡原を堪能してきました。

長野市博物館

そのあとは、公園内にある長野市博物館に行ってみました。
こちらでも、川中島合戦にまつわる展示や、古代の信濃の遺跡の展示などもありました。
また、太陽系の惑星の詳細な写真や、宇宙観測機の模型の展示なども、行っていました。

美しい公園

それにしても、この場所はとてもいいところです。
お天気もよく、暑くもなく、寒くもなく、ちょうどよい気温でした。

その後は、松代の海津城に向かってみることにしました。
クルマでほんの少しの距離です。

海津城

海津城には、最終的に、武田の家臣であった真田信之が入ることとなり、
その後、名も松代城に改まりました。
真田信之は、大坂冬の陣、夏の陣で徳川に多大の打撃を与えた、あの真田幸村の兄です。
信之は、この松代で、真田は十万石の大名となり、真田家は明治まで存続したといいます。
まさに真田は、難しい時代をうまく生き残った、勝ち残ったのですが、
一方で、徳川を最後まで追い詰めるといった、後世まで残る名声も得ているわけで、
それを考えると、さすが真田、と、感慨も新たになります。

海津城碑文

こちらが海津城の本丸跡だそうです。
GWとはいえ、ここ海津城はそれほど観光客も多くなく、
のんびりした雰囲気が漂っていました。

真田邸へ

その後は、真田邸へ行ってみました。
入場料は300円(だったかな?)と、リーズナブルでした。

真田邸内部

こちらも、それほど混んでおらず、ゆっくり見て回ることができました。
真田といえば、やっぱり上田のほうが有名ですし、そちらはきっと、
大勢の見物客がいたのでは、と思います。

というわけで、川中島を堪能したGWでした。



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演奏を聴いて

気がつけば、あっという間に5月も半ばとなってしまいました。
というのも、先月の末くらいから、急に忙しくなってしまい、
(そのまえはけっこうヒマだったのですが)
ブログを書こうにも、なかなか時間が取れなくなってしまいました。
というわけで、今回もまた『なにをいまさら…』という感がありますが、
GWのことなどを、遅ればせながら、綴っていきたいと思います。

今回のGWも、いつもの年と同じように、
我が家ではカ、レンダー通りにとることになりました。
とはいえ、休みのあいだは、実家の飛騨高山に帰るくらいで、
そのほかに、どこかに泊まりに出かけるなどということもなく、
比較的、通常の土日と変わりなく過ごしたという感じです。
でも、ちょっとくらいは遠出したいということで、連休の前半は、
日帰りにはなりましたが、去年に引き続き、
滋賀県の東近江で開かれていたジャズフェスティバル『びわこジャズ東近江』に、
今年も行ってきました。

このイベントには、去年も足を運びましたが、そのときに出会ったバンドが、
ことのほかよく、今回もぜひ行って見たいと思った次第です。
行ったのは、四月の末の日曜日。
(もう、半月も前のことになってしまうんですね、時の経つのはほんとうに早いものです)
この日は抜群のお天気で、東近江市まで、気持ちよくドライブしていきました。

東近江到着

ちょうどこの日の一週間前、
ここ東近江では『ももいろクローバーZ』のコンサートイベントがあったらしく、
そのせいもあったのでしょうか、東近江に到着すると、すでに駐車場は満杯。
去年はここまで混んではいなかったと思うのですが、ちょっと、
事態を甘く見ていたかもしれません。
そんなわけで、駐車場内を、空きがでないかとグルグル回りましたが、
折しも、ちょうど出て行く車があり、なんとか無事に、駐車することができました。
(この日は、ヨメのプジョーでの出動となりました)

メイン会場

というわけで、お天気のよさもあって、気持ちも晴れ晴れとしつつ、
まずはお昼ご飯を食べに、メイン会場へと行ってみます。

焼きカレー

こちらでステージでの演奏を聴きつつ、今年も焼きカレーをいただきました。
このカレー、やっぱりおいしいです。
(ちょっと量が少ないのですが…)
ヨメはうどんをいただいていました。

こうして、腹ごしらえもすんだところで、
さっそく東近江の街に繰り出してみました。

路上ライブ

こちらはホーンセクションが重厚なバンドですが、
金管楽器パートのほとんどを、女性が担当していました。
曲はルパン三世などの誰でも知っている曲をアレンジしたもので、
多くのお客さんを集めていました。

さて、このイベントは、市内に点在する各会場で、
それぞれのバンドが、出演時間を決めて演奏するかたちになっています。
ですので、目的のバンドを定めて、会場を回らないと、時間をロスしてしまうことにもなります。
また、このバンドがよさそうだと思って会場に行っても、ジャズではなかったり、
(ジャズイベントと銘打ちながらも、ジャズではないバンドも多数参加しています)
ジャズであったとしても、演奏のテクニックがさほどではないバンドもあるため、
どこの会場へ行くかは、ちょっとした賭けのようなところがあります。

去年、とてもよかったバンドを再度聴きたいと思っても、
今回の参加者のなかに、名前がなかったりすることもあり、
そういう意味で、肩透かしを食ってしまうこともありました。

このイベントは、日曜と祭日である月曜の二日間に渡って開かれていたのですが、
どうやら、翌日である月曜のほうが、参加バンドは充実していたのではないかと、
思われます。

ピースボックス

と、いろいろありましたが、
こちらは安心して聞けるバンドである、岐阜のピースボックスさんです。
ピースボックスさんのギタリストの方は、去年もこのイベントに参加されていましたし、
以前、岐阜県の池田町というところで開かれたコンサートにも行っていますので、
私にとっては、馴染み深いバンドでもあります。
テクニック的にも申し分なく、選曲も、Softly, as in a Morning Sunriseなど、
ジャズの大定番といった曲も入っており、まさにストライクという感じですね。
今年も聞けてよかったです。

スタッフの女性たち

こちらは、東近江の駅のなかで演奏されていたバンドです。
今回から、どの会場にも、若い司会の方が配置されていて、曲の始まりや終わりに、
バンドの紹介などのアナウンスをしてくれていました。
街の高校生なのかもしれません。

その後も、時間の許す限り、各会場を巡りましたが、
去年のほうが、いいバンドに巡り会えたような気がします。

ただ、正規の会場での演奏ではなく、
歩道で集まって練習していた初老の男性によるバンドが、とてもよかったです。
ですが、プログラムを見てもこのバンドのことは書かれておらず、
もしかすると、翌日のエントリーだったのでしょうか。
立ち聞きのようなかたちで聞かせていただきましたが、もし機会があれば、
次回、じっくりと聞かせていただきたいと思いました。

ちなみに、滋賀県では、今年の秋、大津市でもジャズフェスティバルが開かれるそうなので、
できればそちらにも行ってみたいと思っています。

帰り道

というわけで、帰り道は、奥永源寺というところを回って、
三重県の桑名方面へと出る道を辿ってみました。
この日は終日にわたって晴天で、美しい夕日も見ることができました。

次回は、GW後半の過ごし方などを、少しご紹介したいと思います。



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四月も半ばを過ぎ、すっかり春らしくなって、
いまでは汗ばむことさえ珍しくなくなりました。
いよいよこれからの季節は、MINIでのお出かけも増えそうです。
ところが、昨年秋の車検以来、我がMINIは、足まかりからの発生する異音に、
少々悩まさせており、そのために、せっかくお出かけしても、
心配になることもありました。

この異音、当初は、ハブベアリングが原因と考えられていましたが、
車検のさいにハブベアリングを交換してもらっても、症状が改善することはなく、
どうやらほかに原因があるらしいということまではわかったのですが、
その後、どうも原因が判然としないまま、今日まできてしまいました。

もっとも、ハブベアリングの交換によって、直進時においては、
音は出なくなるなど、症状の発生については、いくらか変化があったように思います。
ですが、ハンドルを大きく切っての前後進時に、タイヤの回転に合わせて、
カツカツという異音は、以前よりもはっきりと出るようになり、
早急な対応をしたいと考えていました。

というわけで、結局、もうこの原因しかないのではないか、
という推測のもとにとりあえず、ドライブシャフトを交換してみることにしました。

そして今月半ばの土曜、車検のさいにお世話になった富山のMINI専門店まで、
MINIを自走して持っていき、件の症状を確認してもらうことに。
もっとも、この症状は出たり出なかったりで、
なかなか確認してもらうことができなかったのですが、
おりしも、富山に到着したさいには、かなり顕著に異音が発生しており、
ようやくにして、症状を検証してもらうことができました。

ただ、もし、ドライブシャフトが原因だとすれば、
仮に音がしていても、走行に支障はないのだといいます。
そうはいっても、音が出るというのは、やっぱり気になりますし、
ドライブ時の気持ちにも、いささか暗い影を落としてしまいます。

ただ、確実にドライブシャフトが原因なのかといえば、
そうもいいきれないところがあるということで、とりあえず、
中古の仮パーツを入れてみて、その後の音の発生を検証してみる、
ということになりました。

ドライブシャフトの交換などというと、とても多がかりな修理というイメージですが、
意外にも、MINIをお預けすることもなく、待っているうちに作業していただけました。
(このときの写真があるとよかったのですが、すみません、撮影していません)

また、このときに、ついでといっては語弊がありますが、
以前からオススメの言葉をいただいている『オイル進化剤』なるものを、
入れてみることにしました。

私としては、オイル添加剤というと、
オイル粘度を下げるものというイメージがあり、あまりよい印象がないのですが、
そのような作用を及ぼすものではないということで、今回、
試してみることにしました。

オイル進化剤は点滴のような器具を使って入れるため、
作業完了までには、少しばかり時間がかかりました。

というわけで、ドライブシャフト交換、オイル進化剤、双方とも、
作業を行ってもらい、いざ、テストドライブへ。
この日は、富山から本拠地の飛騨高山までまずはドライブして帰ります。
その間、問題のカツカツ音が発生することはありませんでした。
やはり、問題はドライブシャフトにあったのではないかと考えられます。

かしも産直市

翌日は、飛騨高山から岐阜市まで帰ってきたのですが、
途中、一時期エンジンが不調にはなったものの、異音の発生はなく、
(厳密にいえば、いろいろと音はしているんですが、
少なくとも、タイヤの回転に合わせた異音はありませんでした)
また、その後、名古屋まで足を伸ばしてみたのですが、
とりたてて、異常はありませんでした。

先週の日曜は、滋賀県の米原から琵琶湖沿岸道路へ出て、
彦根市、近江八幡市、草津市、大津市、へとドライブしてみました。
帰りは、東近江市へと入り、そこから三重県側へ出て、いなべへ。
ふたたび岐阜県側に入り、関ヶ原、垂井と、走ってみましたが、
この日も、異音の発生などという異常はありませんでした。

しかも、ドライブシャフト交換前は、
なんとなく直進安定性がないような気がしたのですが、
交換後は、この点についても、改善が見られるように思います。

みずの森にて

こちらは、そのとき立ち寄った、琵琶湖畔のみずの森公園というところです。
ただ、立ち寄ったのはトイレだけで、そのまま先へ…。大津方面へと急ぎました。
が、大津で大渋滞に巻き込まれてしまい、これでは、テストドライブの意味がない、
ということで、国道1号線に入って草津方面へと向かい、そこから国道8号線に乗り換え、
北上してみました。

政所小学校

東近江からいなべへ向かう途中にある、政所小学校という学校の校舎を改造した、
道の駅に寄ってみました。
このときすでに、夕方の5時過ぎでしたが、それでも、
たくさんのお客さんがいました。

こうして、いろいろ各所を走ってみましたが、異音の発生はありませんでした。
もう少し様子を見てから判断したいところですが、いまのところは、
どうやら、めでたしめでたし、というところです。

まもなく大型連休にもなりますし、天候にさえ恵まれれば、
また、MINIでどこかに行きたいものです。



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ラコリーナでのMINI

Macの不調もあってブログの投稿がちょっと遅れ気味となり、
今回もちょっと前のこととなってしまいますが、先月25日の日曜、
春らしいお天気になったということもあって、久しぶりにMINIで出かけてときのことなどを、
写真とともに、ご紹介したいと思います。

今回行った先は、滋賀県の近江八幡市です。
以前から、豊臣秀次が治めたこの街へ行ってみたいと思っていたのですが、
それほど遠方ではないにもかかわらず、なかなか実現せず、ようやく、
この春、念願叶ったという感じです。

なにしろMINIはオイル交換を終えたばかり。
というわけで、気分も一新という思いで出かけてみました。
まずは国道21号線に乗り、古戦場である関ヶ原に向かい、
そこから西の滋賀県へと入ります。
滋賀県の米原市からは、渋滞が頻発する国道8号線ではなく、湖岸道路に入り、
琵琶湖沿いを進みます。

この湖岸道路は、ほぼほぼ琵琶湖を一周している道で、
道幅も十分に広く、また、信号は比較的少なく、絶好のドライブコースかと思います。
旧車乗りだと、潮風がボディに悪いのでは、などといろいろ余計な心配をしてしまいますが、
琵琶湖は淡水なので、そんな心配も無用です。

MINIも快調で、とても気持ちよく湖畔をドライブできました。
が、このまま進んでしまうと大津に行ってしまいますので、
近江八幡近辺で、道を左に折れ、街中へと入って行きます。

ほどなくして、近江八幡市街、八幡堀、日牟禮神社という看板が見えてきますので、
そちらに従い、進んで行きます。

というわけで、当初は道路の両側にある日牟禮神社の駐車場にMINIを、
止めようと考えていたのですが、思いのほかクルマがたくさんいて、
ちょっと駐車はむずかしそうです。
というわけでそのまま進んで、八幡公園まで行き、
そちらの駐車場に入ろうと思ったのですが、どうやらそちらもいっぱい。
どうしようか迷っていると、一台RV車が出て行ったので、そこにうまく、
駐車することができました。
ああ~、よかった。

近江八幡駐車

というわけで、この公園には後ほど行くとして、まずは日牟禮神社、
八幡堀方面へと歩いて向かってみました。
たくさんのクルマが駐車している割には、日牟禮神社はそれほど混んでいるわけではなく、
比較的スムースに参拝できました。

ここから、近江八幡城へ登れるのかな、と思ったのですが、どうにも登山道が見当たらず、
とりあえず、八幡堀方面へと向かってみることにしました。
(あとで知ったのですが、登山道はやはりこの神社の近辺にあるようでした)

八幡堀


こちらが八幡堀の風景です。
堀の両側には古い家や蔵が立ち並んでいて、風情ある風景となっています。
やっぱり、近江八幡にきてよかったと、このとき、思いました。
あたりには、観光客もたくさんいました。

堀沿いの遊歩道

堀に沿って石畳の遊歩道も設けられています。
お散歩するにはちょうどいい感じでしょうか。
そのあとは、近江八幡の古い街並みへと行ってみました。

古い家

こちらのお店は、創業1585年とあります。
ということは、天正13年ということになるでしょうか。
ということは、本能寺の変の三年後にあたり、
いよいよ秀吉の権勢が高まってきた頃ということになるでしょうか。
たしかに、歴史のあるお店のようです。
(でも、なんのお店かは、入ってみなかったのでわからないままです)

堀には船が

ふたたび、堀に戻ってお散歩を続けると、
堀を周遊する船に出会いました。
天気もよく、船遊びをするには、絶好だったかもしれません。

このあと、日牟禮神社そばにある、クラブハリエという、
バームクーヘン屋さんに行ってみました。
ところが、ものすごい人出。
神社へ行く道沿いに止められたクルマは、もしかすると、
このクラブハリエのお客さんのものかもしれません。

レジにも長い行列ができていて、買い物するのも一苦労しそうです。
というわけで、早々に退散してしまいました。

こうして、八幡堀と近江八幡の古い街並みを堪能したあと、
MINIを止めた駐車場まで戻り、そこから、
近江八幡城への登山ルートを探そうと思ったのですが、
なかなか、その看板がありません。

看板を見つけても、近江八幡縦走道と書かれているだけ。
しかも、ヨメはギブアップということで、残念ながら、
近江八幡城へ行くのは、次回持ち越しとなりました。

せめて、このあたりにあるという、豊臣秀次像だけは見つけたいと思い、
あちこち探し、ようやく発見しました。

豊臣秀次公

それがこちらです。
豊富秀次は、天下人豊臣秀吉の甥にあたります。
秀吉は自らに子がなかっため、公家の最高官位である「関白」の座を、
この秀次に譲るのですが、その後、秀吉と淀殿とのあいだに子ができたことで、
秀次は、しだいに秀吉から疎まれることになります。

秀次は、その後、謀反の疑いをかけられ、
高野山に蟄居させられたうえ、切腹となりました。
(大河ドラマ真田丸では、自害していましたが)
それだけにとどまらず、一族郎党も、その多くが殺されたといいます。

豊臣秀次は、まさに悲劇の人であり、
近江八幡の街を見下ろすこの像を見るにあたっても、
なにかしら、感慨深いものがありました。

さて、その後は、ふたたびMINIに乗り、すぐ近くにある、
ラコリーナ近江八幡というところに向かってみることにしました。

ラコリーナ近江八幡

こちらがラコリーナ近江八幡です。
もう、天気も最高で、眺めもすばらしい。
最初は駐車場に空きがないのではと、ちょっと心配しましたが、
どうにかMINIを止めることができ、ほっとしました。

○ ラコリーナ近江八幡の情報はコチラヘ ~

このなかには、どら焼きを売るお店や、さきほどもいったクラブハリエ、
カフェなどが入っていますが、とにかく、もう大混雑です。
お店は、レジ待ち、カフェは入店待ちの長い行列ができていて、
見ているだけでも、気後れを感じてしまうほどでした。

なので、とりあえず買い物はあきらめ、建物を抜けて奥へと進んでみました。

絶好の晴天

すると、池を中心にした遊歩道が現れました。
もうすばらしい眺めで、気持ちも踊ります。
あたりは、カップル、家族づれなどで溢れかえっていました。

MINIのオブジェ

このエリアには、フードコートやギフトショップがあるのですが、
その手前には、MINIを使ったオブジェがありました。
MINIをモチーフとしてくれたことはうれしいですが、
なんだかこの姿は、ちょっとかわいそうな気がします。

チンクもあります

大きな倉庫のような店内には、
チンクや、ロンドンバス、シトロエンHトラック改造のショップもありました。
とても楽しい雰囲気でしたが、レジ待ちの行列がすごくて、
買い物したくても、気持ちが萎えてしまいました。

池の中の道

でも、お散歩するだけでも、とても楽しめるところでした。
できれば、また、ぜひ行ってみたいですし、そのときには、
カフェでまったりしたり、お土産も買ってきたいです。

というわけで、ラコリーナをあとにしたあとは、せっかくここまできたのだからと、
MINIで、琵琶湖畔をドライブすることにしました。
春の好天のなかのドライブは、とても気持ちよかったです。

琵琶湖

というわけで、湖のそばの駐車場により、琵琶湖を間近で眺めてみました。
また、MINIで琵琶湖一周もしてみたいです。

その後は湖畔道路を彦根方面へと向かい、
米原、醒ヶ井を経由して帰ってきました。

それほどの長距離ではないですが、ドライブコースとしては、
ちょうどいいくらいかなと思っています。
ただ、もう少し早く出発して、さらに足を伸ばしたいとも思います。
次回は、そんなドライブも計画したいです。



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味噌蔵

ちょっとネタが古いのですが、今月の18日、愛知県の岡崎市にある、
八丁味噌の醸造元『まるや八丁味噌』さんに、工場見学に行ってきました。
今回は、遅ればせながら、そのときの模様をご紹介したいと思っています。

というのも、今回の記事は、じつはもっと早い時期にアップする予定だったのです。
ところが、なんと、先日から、
うちのMacの調子がにわかに悪くなり、ブログを書くどころか、
通常の業務にも大いに差し障りがある状態となってしまいました。
うう~ん、困ったものです。
その症状ですが、なぜか急に、Macが極端に遅くなってしまい、
ほぼほぼ、使い物にならない状態に…。
セーフモードで起動しても、重い状態は解消されないままで、
これはもう、ちょっとダメだという感じでした。

もっとも、以前から、日本語の入力が遅く、文字を打っていても、画面に反映されるまでに、
時間がかかったりということが頻発しており、なにかがおかしい、という感はあったのです。
ですがそれは、最新OSであるHigh Sierraの不具合なのだろうか、などと、
ちょっと悠長に構えすぎかもしれませんが、勝手に解釈しており、
いずれ細かいバージョンアップがされるさいに、こうした不具合は解消されるだろう、
と、安易に思っていました。
というのも、文字が打ちづらい状態も、一定の時間を置くことで、まあそれなりに、
改善はしていましたし、Shade3DやPhotoshopなどは、問題なく使えましたから、
あまり重大には考えていなかったのです。
しかし、深刻な状態になってしまい、いまさらながら、事態を甘くみていたと、
反省することとなってしまいました。

ところが、外付けHDDから起動すると、何事もなくスパスパと使えます。
(こちらの環境は、High Sierraではなく、Mavericksなのですが…)
ということは、もしかすると、内臓HDDの機械的な不具合なのかもしれません。
そんなわけで、いったん内臓HDDを初期化し、
High Sierraをクリーンインストールをしたのですが、
まっさらの環境なのに、なにかしら動作がおかしい…。
しかも、Time Machineを使ってのデータを復元にも失敗!。
もう、めっちゃショックでした。

リカバリーモードで起動して、Time Machineを使って、システムごと元に戻してやれ、
とも思ったのですが、APFSだからできませんとかなんとかメッセージがでてきて、
これも結局できませんでした。

というわけで、もう、あれこれいろいろ試したのですが、
以下の方法で解決しました。
まず、リカバリーモードで立ち上げてHDを初期化。で、
外付けのHDDを復元元にして、内臓HDDを復元先にして、とりあえず、
Mavericks環境に戻そうとしたのですが失敗。
いたしかたなく、初期化した内臓HDDにMavericksを新規インストールして、
まっさらなMavericks環境にします。
この環境では、OSの違いからTime Machineは使えません。
ですので、このMavericksからHigh Sierraにバージョンアップし、
それからTime Machineを使ってデータを復旧させました。
すると、元どおりになり、しかも、いままで出ていた挙動の不具合も改善されました。

巨大な樽

さて、冒頭から話が大きく脱線してしまいましたが、
本題の八丁味噌の工場見学の話題に、戻したいと思います。
(余計な話題が長くてすみません。でも自分自身への備忘録として、
ちょっと書いておきました)

じつは、岡崎市の八丁味噌の工場には、以前にも行ったことがあります。
ただ、そのときに行ったのは、カクキューさんという、まるやさんとは別の工場で、
今回見学に行ったまるやさんのすぐお隣にあるところでした。
八丁味噌を名乗れるのは、この並んで立つ二社のみで、
岡崎城から西へ八丁の距離にあることから、その名がついたといいます。

○ 八丁味噌カクキューさん見学の記事はこちらから ~

それにしても、私たちは、岡崎市がお気に入りなのか、
思えば、カクキューさんを含め、過去に何度も岡崎に行っています。
昨年は、岡崎城公園に行き、歴史ガイドさんに各所を案内してもらったり、
また、りぶらという施設のなかにある、内田修ジャズコレクションを見学したり、
徳川家の歴代将軍の位牌を収めた大樹寺という古刹にも行きました。
あっ、そういえば、岡崎のギャラリーで開かれていたジオラマ展にも行きましたね。

それに、岡崎市ってけっこう都会ですね。
いまの私の拠点である岐阜市よりも、印象としては、街並みも美しく、
発展しているように見受けられます。

いずれにしろ、ここ岐阜市からの岡崎市への道も慣れたもの。
このときはヨメのプジョーでのドライブとなりました。

ヨメ車

現地に着いたのはお昼過ぎ。
まずは駐車場手前の事務所で、工場見学のための受付をすませます。
見学にはガイドさんがついてくれるとのことで、30分おきにあるそうです。

待合室

こちらが、受付のある待合室の内部です。
当初は、私たちしかいなかったのですが、
見学の時間が近づくにつれ、しだいにお客さんの数が多くなっていきました。

いざ工場見学へ

そしていよいよ見学開始です。
案内の方の指示で、一同、工場の内部へと入って行きます。
工場の規模としては、以前行ったお隣のカクキューさんよりは、
少し小さいように思いました。

八丁味噌の製法

まず最初に、このパネルのまえで、八丁味噌の製作工程の説明を受けます。
まるやさんは、たしかに、カクキューさんほどの規模はないそうですが、
そのかわり、歴史は古いそうです。
ただ、創業当時から味噌を作っていたかどうか、そのあたりについは、
少しわからないところもあるとのことでした。

見学者の一行も、カクキューさんのときよりは、少し少なめだったかもしれません。
ですがそのぶん、なんとなくフレンドリーな雰囲気で、見学のみなさんからも、
いろいろと質問が出たりしていました。

味噌蔵

そして次に入ったのは味噌蔵です。
味噌の匂いがあたりに充満していました。
なんともおいしそうな、古い蔵らしい独特の匂いです。

樽のうえに乗っているのは、味噌に圧力をかけるための重しの石ですが、
この絶妙の組み方ができるようになるまでには、十年以上の歳月がかかるそうです。
一枚ものの重しをコンクリートで作って、それを被せてしまえばいいようにも思いますが、
味噌は時間の経過により微妙に上下したりするので、こうした石組みのほうが、
均等に圧がかかるとのことでした。

また、味噌樽には古いもの、新しいものがあるそうですが、
そうした樽の新旧の違いが、中身の味噌に影響するのかどうかを、
ガイドさんに尋ねたところ、やはり、味には微妙に影響するとのことでした。
ただ、よほどの味噌通でなければ、わからないそうです。

秀吉の井戸

そしてこちらは、日吉丸石投げの井戸、と呼ばれる井戸だそうです。
日吉とは、後の天下人であるあの豊臣秀吉のことです。

少年時代の秀吉は、この蔵に忍び込んだことがあったそうで、
そのさい、番人に見つかってしまい、たいへんなピンチに陥りました。
秀吉は、とっさの機転で、この井戸に石を放り込み、
井戸のなかに自分が飛び込んだと番人に勘違いをさせて、
そのすきにうまく逃げおおせた、という逸話が残っているとのことです。
井戸を覗き込むとかなり深く、けっこう怖い印象でした。

古い味噌蔵

そしてこちらは、古い味噌蔵です。
こちらでは、NHKのドラマ『純情きらり』の撮影が行われたとのことです。

味噌樽のカシメは、いまでは鉄製のものが使われているとのことですが、
ドラマでは、そのカシメが考証上そぐわないということで、急遽、
竹で作られたかのようなダミーのカシメを作り、ワイヤのカシメのうえから、
被せたそうです。

向かって右の樽の、上から二番目のカシメが、このダミーカシメだそうで、
NHKのスタッフの手によるものだそうです。

というわけで、とても楽しく貴重な経験をさせていただきました。
また、見学の最後には、八丁味噌を使った味噌田楽もいただき、
味噌の試供品もいただきました。

いまでは、売店で買い求めた八丁味噌で、毎日おいしく味噌汁をいただいています。

それにしても、ガイドさんの案内がついての工場見学は、
とても有意義な体験です。
また機会があれば、どこかに工場見学に行きたいものです。



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