名もなき池

先週の土日、所用のため、家 (実家) のある飛騨高山に行ってきました。
岐阜市に事務所を移してすでに1年と半年近くになりますが、
折りをみて、できるだけ家には帰るようにしています。
12月のこの時期、いつもの年であれば、高山にはすでに雪が積もっているのですが、
記録的なほどに雪の少なかった去年に引き続き、
今年も、いまのところは、さほどの降雪もなく、
(この先のことはどうなるかわかりませんが…)
雪に苦しめられる高山の人も、ほっと胸を撫で下ろしているのではないかと思います。

それにしても、岐阜市から高山に行くと、冬の寒さは、ひとしお身にこたえます。
もっとも、高山のいつもの冬から見れば、
まだ冷え込みもさして厳しくはないのですが、
それでも、岐阜市とは寒さとは、レベル違うという感じで、
いままで、こんな寒いところにいたんだなあ、と、ふと思うほどです。

ちなみに、この土曜の夜、高山市の観光名所である『古い町並み』では、
提灯の明かりによる、通りのライトアップが行われるということで、
せっかくの機会ですので、寒さをおして、
ヨメと実家の母親とで、出掛けてみることにしました。

私の実家から、高山の古い町並みまでは、歩いてほんの10分ほどで行くことができます。
古い町並みの西にある陣屋前まで行くと、ホテルの送迎バスが何台か停まっており、
どうやら、提灯ライトアップを見物させるため、宿泊客をこちらまで、
送迎しているようでした。
冬場の高山は、観光面においては、少し人出が鈍る時期でもあるためか、
ホテルも、この時期に高山に来てくれたお客さんに、
こうした手厚いサービスをしているのかもしれません。

提灯ライトアップ

ちなみにこの日、私は、いつも持ち歩いている愛用のカメラ『オリンパスXZ-1』を、
岐阜市に置き忘れてきてしまっていました。
出がけにカメラを忘れたことに気がついたのですが、
どうせ実家に行くだけだから、などと思い、取りに戻ることもしませんでした。
提灯ライトアップのことを知っていたら、絶対にカメラを取りに戻ったのですが…。
そんなわけで、今回はすべてスマホでの撮影となってしまいました。

街の雰囲気

こちらが夜の古い町並みの様子です。
写真だとあまり人がいないように見受けられるかもしれませんが、
実際には、けっこうな人出で、夜の観光が乏しい飛騨高山にとって、
この提灯ライトアップは、新たな観光イベントのひとつになるかもしれません。

それにしても、やっぱりスマホでは、うまく写真が撮れませんね。
ああ、とても残念です。
やっぱり、とりたてて予定がなくとも、クルマで出掛けるときは、
カメラを持っておきたいものです。

酒蔵

また、酒蔵では、できたての甘酒を無料で振る舞ってくれたり、
獅子舞があったりと、単なるライトアップだけではなく、
さまざまな催しもなされていました。
ジャズのコンサートもあったといいますが、
そちらの演奏時間には間に合いませんでした。

獅子舞

こちらが獅子舞の様子です。
冬場のこの時期に、町中で獅子舞を見るのは、なんだか不思議な気がします。

さて、翌日は、岐阜市に戻らなくてはならないわけですが、
ちょっと寄り道をして、いま、テレビなどでなにかと騒がれている、
通称「モネの池」というところに、行ってみることにしました。
この場所は、岐阜県関市というところにあり、高山市から岐阜市への帰り道に寄るには、
まさに最適といったところにあります。

とはいっても、モネの池のあるあたりは、
関市とはいえ、旧板取村という山のなかに位置していて、
実際にいってみたとしても、正確な場所が分かるかどうか、
ちょっと不安に思っていました。
(もちろん、googleで調べればすぐわかるでしょうが…)
ところが、道中、各所に見物客を誘導するための看板が出ており、
難なく到着することができました。

到着して初めて知ったのですが、この場所は以前、
ヨメのプジョー106テンサンラリーに乗って、花見にきた場所でした。
その当時から、モネの池と称される池はあったのかもしれませんが、
もちろん、いまのように有名ではなく、人の姿もまったくありませんでした。
ところがいまでは、駐車場にはたくさんのクルマが止まり、
天候はいまひとつだったものの、そこかしこに見物客の姿が見受けられます。
あまりの人の多さに、付近の印象まで変わったかのように見えました。
(お天気に恵まれていたら、駐車は難しかったかもしれません)

水鏡

駐車場から歩いて五分ほどで、モネの池と称される『名もなき池』に着きます。
こちらは『根道神社』という神社のふもとの池という感じで、
それほど規模も大きくはありません。

ただ、その水の美しさは息をのみます。
非常に透明度が高く、池の底が…、泳ぐコイの姿が…、クリアーに見ることができます。
当初は、実際にいったらちょっとがっかりするかも、などと、内心思っていたのですが、
そんなことはまったくなく、予想以上の美しい光景でした。
モネの池という愛称も、伊達ではありません。

名もなき池

とくに、色鮮やかなコイの姿が、水底の深い緑色と相まって、
絶妙な色のバランスを生んでいます。
スマホの写真でさえも、けっこうきれいに見えてしまいます。

鯉

ちなみに、コイたちは橋のしたで休息してました。
ヨメの話によると、この池にはハートのついたコイがいるとのことで、
見ることができれば、恋がかなうとか、幸せになるとか、
そんな伝説が作られているそうです。

というわけで、その後は、池のすぐうえにある、根道神社に参拝をさせていただき、
次いで、近くの観光案内所に寄って、ちまきを買ってきました。

高山から岐阜市への、ちょっとした寄り道でしたが、
思った以上に、楽しく有意義でした。

その後はホームセンターなどへ立ち寄って買い物をしたりしつつ、帰宅。
午後八時からは、じっくりと『真田丸』の最終回を見ました。
大河ドラマが終わると、いつも、この一年が終わるんだなあ、という感じがします。

というわけで、今回は、当ブログにしては、
写真がとても少ないものとなってしまい、
あらためて、カメラをもって出掛けなかったことを、
ふか〜く反省するばかりです。
今度は、ちゃんと愛用のカメラを持って、モネの池に出掛けたいものです。



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宮村は銀世界

ここ数年来、岐阜県飛騨地方も、
比較的、雪の少ない冬が続いていました。
ですが、今年は、ついに、恐れていた(?)雪の多い冬がきてしまったようです。
なにしろ、年が明けてからも、連日、雪、雪、雪ばかり…。

そんななか、今日は貴重な晴れ間が覗きました。
ベランダに出て、窓の外を見渡すと、
あたりは、一面、まばゆいばかりの完全な銀世界となっていました。

いままで、積雪のさほどない冬に慣れ切っていたためか、
こうなると、ちょっと途方に暮れてしまいます。
ですが、この状態が、豪雪かといえば、決してそんなことはなく、
いわばこれこそが、通常通りの飛騨の冬なのです。

いままでの数年が、あまりに雪が少なかっただけなのです。

というわけで、そんな白銀の光景を撮影しようと、お昼に、
我が家の外にも出てみました。

宮駅前

もう、路上も真っ白。
しかも、今日は冷え込んだのか、雪質もサラサラでした。
スキーヤーやボーダーにとって、歓迎すべきものなのでしょうが…。

飛騨一ノ宮駅

そしてこちらは、我が家のすぐそばにある、田舎駅の様子。
遠く山の木の枝に降り積もった雪が、とても美しいです。
それにしても、青空がまぶしいですね。
素晴らしい天気でした。
雪景色は、やはり、いいものです。

といいつつ、これ以上雪が降ると、ちょっと困りますね。
買い物に出掛けるのもたいへんですし…。
このへんで、雪は打ち止めにしてほしいと、切に願っているのですが、
天気予報を見ると、この先も、ずっと雪のようです。
はあ?っと、ため息が出てしまいます。

さて、話題は変わりますが、昨年末、
会議や打ち合わせのときの模様を録音できる、ICレコーダーというものを、
買ってみました。

ボイストレック-1

こちらがそのレコーダー。
オリンパスのボイストレックV22という商品で、価格は5,000円チョットでした。
音楽プレーヤーの機能はありませんが、USBメモリとしても利用できます。
もちろん、録音内容をパソコンにコピーすることも可能です。
(Mac OSもオッケーみたいです)

このような機器を購入するに至る、そのきっかけは、
昨年から、仕事で、取材記事を書くようになったからです。
なにしろ、そのような場では、取材した相手の方のお話を、
すべてメモすることが、非常に困難なのです。

ひたすら必死でメモをとっても、話すスピードには追いつけません。

しかも、メモでは、微妙なニュアンスは抜けてしまいますし、
加えて、あまりにもあわててメモすると、あとで、自分でも、
何が書いてあるのかわからなくなるということもあります。

このときは、超小型の音声記録装置があれば、と、切に思った次第です。

というわけで、何かいいモノがないかと、ネットで調べてみると、
ICレコーダーという、とても便利なものがあることに気づきました。
よく見れば、これは、政治家のぶら下がり取材の時などに、
テレビの画面に映るもののようです。

というわけで、さっそく、価格ドットコムで調べて、ゲットしてみました。

この機器、あまりにも軽くて、
ちょっとオモチャっぽい雰囲気もしますが、
相手の言葉を、音声として、しっかり記録できます。

しかも、ある程度の喧噪のなかでも、ちゃんと音声を拾うことができ、
また、びっくりするほどの長時間録音も可能です。

もちろん、長時間の打ち合わせのさいにも、とても重宝しています。
もっと早く買っておけばよかったと、思っているくらいです。

ボイストレック-2

ただ、録音内容を聞き直す時には、内臓スピーカーでは、
ちょっと心もとない感じです。
イヤホンを使用したほうが、より明瞭に聞き取れます。
(よその人の雑談までも聞き取れますヨ)

私のようなフリーランスでの仕事をしていらっしゃる方には、
まさに、オススメのアイテムです。







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屋台の姿

今月、14日、15日の両日は、春の飛騨高山祭でした。
毎年、この二日間、高山の街は、多くの観光客で賑わうのですが、
あいにく、今年は、初日の14日が雨となってしまい、
同日の夜行われるはずの夜祭りでは、
屋台(山車)の曵き揃えなどは、取りやめになったのではないかと思います。

ですが、翌日の15日は、朝のうちこそ曇っていたものの、
午後からは天候も回復し、なかなかの祭日和となりました。

さて、この15日、私は、祭の行列に参加することとなってしまいました。

というのも、私の両親が住む実家(高山市の町中にあります)に、
今年、祭行列への参加という役回りがまわってきたのです。
本来なら私の父親が参加するのですが、なにしろ、父親はもう年ですし、
今回は、私が、この行列の参加者ということとなりました。

この行列への参加は、警固(けいご)と呼ばれています。
時代劇に出てくるような、古式ゆかしい裃(かみしも)を着て、
笛を吹く子供たちや、闘鶏楽などを行う子供たちと共に、
長い隊列を組み、町を練り歩くのです。

もともと私は、罰当たりといってもいいほど、郷土に対する愛情が薄く、
地元の行事や出来事などにも、あまり興味も関心もないのですが、
今回ばかりは、わずかながら、地元民らしい(?)振る舞いをすることとなりました。

神社の様子

朝八時前、指定された神社に行くと、
裃を着た人たちが、すでにたくさん集まっていました。
そこで受付をすませ、並び順の説明を聞き、神輿への神移しの行事をすませたあと、
町へと出発します。

裃を着て

この日、午前中はとても寒く、裃を着た身には、寒風が身にしみました。

そして、お昼頃に、JR高山駅にさしかかり、ここで、一時解散となりました。
午後一時にふたたび同じ場所に集合し、午後も、町を練り歩きます。

というわけで、私は、通常の祭見物はできないわけですが、
ヨメさんは、カメラを持って、絢爛豪華な屋台の曵き揃えを見物するため、
高山の観光名所のひとつである陣屋前へ。
ここでは、屋台の上に設えられた「からくり人形」の実演などが行われます。
飛騨高山祭の、最大の呼び物です。
(私の参加する行列は、この場は通らないので、ヨメが撮影してきました)

陣屋前

桜の開花が重なって、祭に、春の彩りが加わりました。

それにしても、今年は、どういうわけか、欧米系の観光客がとても多く、一時は、
私の参加している行列を見物する観光客の大半が、欧米人になってしまった、
ということもありました。
これは、ミシュラン効果なのでしょうか…。

いずれにしろ、外国人観光客の増加は、
わが町が、観光地として、国際的な地位と知名度を獲得した証といえるかもしれません。
郷土愛が薄い私でも、ちょっとは誇らしい気持ちになります。

獅子舞

行列は、午後三時頃、飛騨高山の日赤病院の前に達し、
ここで、盛大に獅子舞などが行われ、その後、出発した神社まで戻り、
朝と同じように、神移しを行い、一連の行事を終えました。

このときばかりは、ホッとしました。

その後、家(実家)に戻り、今度は、私服に着替え、
高山市の観光名所である、古い町並みのあたりへと、ふたたび出掛けてみました。

祭ももう終わり

すでに祭は終わりということで、観光名所とはいえ、少しばかり閑散としていましたが、
屋台はまだ路上にあり、祭気分は残っていました。

さて、春の祭も終わり、これからは、ここ飛騨にも、
新緑が本格的に芽吹く季節がやってきます。





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賑わう我楽多市

昨日の日曜、飛騨高山の「さんまち通り」という場所で開かれた、
骨董市に行ってきました。
といっても、今回は、いわゆる「お出かけ」ではなく、
仕事の取材のため、現場へと足を運ぶこととなりました。

さて、この骨董市は、「我楽多市」-がらくたいち-と呼ばれていて、
毎年、春から秋にかけての第一日曜に行われているイベントです。

この日、通りは歩行者天国となり、路上には、飛騨高山を含む飛騨地方一円から集まった、
古美術商や、骨董商、また古い品を扱う業者さんが、
それぞれテントを設え、自慢の逸品を広げます。

その種類はじつにさまざまで、陶器や漆器などの生活用品はもちろん、
火縄銃、錠前、蓄音機、古布、古本など、雑多といってもいいほど多岐にわたり、
また、年代もまちまちです。
また、とりたてて、飛騨にゆかりの品が出展されている、ということもないようです。

しかし、そんな「ごった煮」的なところが、いわゆるノミの市のいいところで、
骨董という、どちらかといえば、素人には難しくて敬遠しがちな分野を、
身近なものに変えてくれています。

実際、古い品々を眺めながら、お店の方々と会話するのは、
なかなか、楽しいものです。

レコードプレーヤー

こちらは、アンティークなレコードプレーヤー。
ゼンマイのバネが健在で、いまでも、クランクを手回しすれば、
レコードを再生することができます。
盤上のレコードは、青木光一の「早、帰ってコ」というもので、こちらも、
かなりの年代物のようでした。

矢立など…。

陶器などの古い品々です。
お盆の向かって右に置いてある棒状のものは、矢立という、昔の携帯用筆記用具入れです。
矢立の筒の部分には筆が収納できるようになっており、
ここから筆を取り出して、先端部分に入れてある炭を使い、
書をしたためりするそうです。

立松和平のエッセイ「中部日本を歩く」のなかで、
筆者が高山の我楽多市を訪れ、父親のために矢立を買う場面が綴られています。

西欧アンティーク

少数派ながらも、西欧アンティークを扱うお店もありました。
並んだ小瓶がかわいらしいです。

このお店では、古い糸巻きを使って、砂時計やトイレットペーパーホルダーにするなど、
アンティークを加工して、リプロダクトした商品などもありました。
古い品を、何の加工も加えず、そのままの姿で鑑賞するのも、
アンティークの楽しみのひとつですが、
逆に、新しい発想で、昔のモノを再生する、ということも、
おもしろい試みだと思います。

古い町並み

この我楽多市の行われている場所は、高山市の古い町並みと交差していて、
お昼過ぎともなれば、多くの観光客で賑わっていました。
画像では、なんだか閑散としているように見えますが、
人の波が途切れるのをじっと待ってシャッターを切ったため、このようになりました。

我楽多市は、10月までの毎月第一日曜に行われます。

取材に応じてくださったみなさま、
お話を聞かせてくださったみなさま、ほんとうに、ありがとうございました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。





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中佐平から高山を臨む

先週の土曜日(7日)、実家で飼っているシーズー犬「モモ」の散歩を兼ね、
城山公園に行ってきました。

この公園は、高山市の中心部にある小高い山にあり、
観光名所となっている上三之町のすぐ東に位置しています。
かつて、この地には、高山城があったといいますが、
その名残は、いまや「城山」という名前だけであり、城そのものは、
すでにもうありません。

私が子供の頃、この城山公園は、「探検する場所」でした。
この公園のある山一帯には、無数の細く急な遊歩道(というか、獣道)があり、
それらを縦横無尽に駆け回っていたものです。

そんな懐かしい遊び場である城山に、足を踏み入れてみました。

雪の残る城山遊歩道

今回、行ってみたのは、城山公園の裏手からです。
まず、城山公園(第一公園)の南に位置する日枝神社方面から、
山道を通って、城山第二公園に入ります。
行けるところまでMINIで乗り付けましたが、雪の少ない冬とはいえ、
さすがにこのあたりの道には雪があり、
しかも、道中、路面を横断する側溝状の溝があったりと、運転には冷や汗をかきました。

道は途中から車輛通行止めになっているので、
そこから先は、モモを連れて歩きます。
(モモははしゃぎます)

月見平

こちら月見平という展望台です。
このあたりは、位置的に東にあたり、
午後は日陰になっていることが多いらしく、そのために雪もまだ多く残っています。

遊歩道を歩き、城山第一公園へと回ると、雪は姿を消してしまいました。
このあと、中佐平という展望所に向かってみました。

広瀬中佐像

こちらが、中佐平にある、広瀬武夫中佐の像です。
前々回、このブログに、
日露戦争にまつわる郷土のモニュメントを、今後、紹介していきたい、
と、書きましたが、こちらが、そのひとつになります。

広瀬中佐は、日露戦争時、
旅順(中国の遼東半島の先にある港湾都市)の港を根城とするロシア太平洋艦隊を、
港のなかに閉じ込めるため、港の出入り口にあたる水深の浅い海に、
老朽艦を自沈させて港を塞いでしまう、いわゆる「閉塞作戦」を実施しました。

旅順港の出入り口となる部分は極めて狭く、数隻の船を沈めれば、
港のなかにいる戦艦のような巨艦は、外海に出られなくなります。

とはいえ、旅順には、港を守るロシアの砲台が多数あり、沈める予定の船を、
港の出入り口に持っていくだけでもたいへんな危険がともないます。

広瀬中佐について

中佐は、船を沈め脱出するさい、部下の杉野上等兵曹がいないことに気づき、
船内を汲まなく捜しました。が、見つからず、やむなく船を脱出しましたが、
そのさい、敵の砲弾の直撃を受け戦死します。

作戦そのものも失敗で、結局、
ロシア艦隊を港に閉じ込めてしまうことはできませんでしたが、
部下を必死に捜す中佐の姿は、たいへんな美談として日本国中に広まり、
「杉野は何処」と、歌にまで唄われました。
このような経緯で、広瀬中佐は、日本最初の「軍神」となりました。

広瀬中佐は、もともと大分県の出身ですが、
ここ飛騨高山に住んでいたこともあり、こうして、広瀬中佐の銅像が、
この城山公園の一角に設けられることとなったようです。
(地元では、この広瀬中佐を、その名から、
 高山市国府町広瀬の出身だと勘違いしている人もいるといいます)

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が放映されれば、この銅像を見物に来る観光客も、
さぞかし、増えるのではないかと、私は思っています。

モモちゃん

そして最後に、こちらが、実家で飼っているモモです。
カメラを向けたのが気に入らないのか、ふてぶてしい表情です。

この日、モモは、雪中行軍したため、足下はドロドロ。
しかも、帰りのクルマの中で大暴れしました。




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