ジョージ・オーウェル 一九八四年

さて、今回は、前回予告しましたように、
ジョージ・オーウェルのディストピア小説『一九八四年』を、取り上げたいと思います。
この小説は、たいへん有名で、村上春樹の長編小説『1Q84』も、その題名が示す通り、
オーウェルの一九八四年に大きく影響を受けていると思われます。
実際、1Q84には、オーウェルについて言及する場面も、何度か登場したかと思います。
この1Q84を読んだ当時、いっしょにオーウェルの一九八四年も読んでおくべきでしたが、
時の経つの早いもので、今年にまで、ずれこんでしまいました。
(まあ、ズボラということですネ)

さて、本作品の背景となる時代は、いうまでもなく西暦1984年です。
1984年といえば、いまから30年以上もまえで、
日本の元号でいえば、いわゆる『昭和』の時代になりますが、
本作品は、1948年に発表された、とのことですので、
当時としては、いわば、30年以上先の世界を描いた、近未来SF小説でもあったわけです。

物語の舞台はロンドン……。
ですが、ロンドンは、もはやイギリスの首都ではなく、
それどころか、イギリスという単独の国家も存在しません。
この物語におけるロンドンは『オセアニア』という巨大国家の一都市となっています。
主人公は、ウインストン・スミスという三十代の男性です。
スミスは、真理省記録課という部署に勤めていますが、
行なっている仕事は、文書の改竄であり、歴史の書き換えです。
(真理とは程遠い、というか、真逆のことをやってるわけです)
オセアニアを支配する『党』は、絶対に間違いを犯すことがなく、
そのため、党に都合の悪い事実は、日々、片っ端から書き換えられるのです。

党は『テレスクリーン』という送受信可能なテレビのような機械で、
党員を二十四時間監視しており、
彼らの動向にわずかでも不穏な動きがあれば、思考警察を使って摘発します。
また、密告が奨励されており、みな、隣人や同僚を監視し、子供は親を常に監視し、
党への忠誠に揺るぎがないか、チェックしています。

街中には党を指導する『ビッグブラザー』という人物のポスターが所狭しと貼られ、
誰であれその肖像の視線から逃れるすべはありません。
男女間の恋愛は禁止され、互いに好意を持つがゆえの結婚も許されず、
セックスは子供を作るための『党に対する義務』として許されているといった状態です。

一九八四年 文面

スミスは、この社会のありように疑問を感じ、テレスクリーンの目を盗んで、
密かに日記をつけることを始めます。
一個人が日記をつけることは、この社会においては、重大な犯罪です。

なぜ、スミスは、このような危険な行為に及んだのか……。
それは、党の中枢にいるオブライエンという人物が、
自分と同じ、社会に対する『疑問』を持っているのではないかと感じたからです。
やがてスミスは、オブライエンに敬愛の情を抱くようになり、
オブライエンに対する私信のような気持ちで、日記を書き続けます。
また、時を同じくして、スミスは、ジュリアという若い女性と知り合い、
激しい恋に落ちていきます。

恋愛もまた、日記をつけるのと同様に、命にかかわるとてつもなく危険な行為です。
ジュリアとの関係が深まるなか、スミスは、オブライエンからのコンタクトを受けます。
案の定、オブライエンは、党の中枢に属する身にありながら、
党の破壊を目論むレジスタンス組織『ブラザー同盟』のメンバーでした。
スミスは、オブライエンの手引きで、ジュリアとともに、ブラザー同盟の一員となります。

ところが、スミスは、ジュリア共々、思考警察によって逮捕されます。
政治犯を拷問して矯正する『愛情省』に連行されたスミスは、
そこで、盟友であるオブライエンと再開します。
スミスは、思考警察の手がオブライエンにも及んだのかと考えますが、
そうではなく、スミスを逮捕したのは、このオブライエンの命令でした。
オブライエンは、レジスタンスのふりをしただけで、実際には、党に忠実な男であり、
しかも、七年もの間、ずっとスミスの行動を監視していたのです。

愛情省の一室で、オブライエンは、
考えるだけで身がすくむ恐ろしい拷問を、スミスに加えていくのですが……。

一九八四年 背面

ええと……、読み終えると、疲れます……。もう、グッタリです。
あまりに救いがない結末に、目の前が真っ暗になる思いです。
とくに、三章の拷問の場面は、気が滅入ってしまって、夜、悪夢を見ます。(体験談)

この物語は、1948年に発表されたとのことですから、当然、オーウェルは、
ナチス・ドイツのレーム粛清『長いナイフの夜』や、スターリンのトゥハチェフスキー粛清、
トロツキー批判などを詳しく知っていたでしょうし、物語の下敷きにしたかと思います。
スターリンによる粛清は、この一九八四年の残酷描写を上回るものだったかと思います。

そうした実際の出来事をふまえつつも、
オーウェルは、じつに奇抜で理にかなったアイデアを本作の設定に入れています。
それが『ニュースピーク』です。
このニュースピークというのは、党が作った『新製英語』のようなものです。
本作の末尾には、このニュースピークの言語説明が、付属資料として入れられています。
ニュースピークの極めてユニークな特徴は、年々、
語彙を減らしていくというところにあります。

党が、党員をすべからく支配するためには、些細な不満でさえ、
抱かせないようにする必要があります。
そのためには、不満そのものを『言語化』することを放棄させなくてはなりません。
ゆえに、党は、単語そのものの意味を厳格に規定し、
ひとつの言葉に複数の意味を持たせることを、まず排除します。
そして、同じ意味合いをもつ単語をすべて整理し、集約します。
「free」という単語は排除され、freeがもっている「免れる」という別の意味は、
他の単語をあて、その意味を完全に厳正なものとするのです。
また、動詞にも容赦のない削除を行います。
「bad」-悪い-という単語も消滅させ、
その代わりは、ungood -よくない- というかたちに集約させます。

つまり人々は、党に対し不満や疑問を感じても、
それを正確に言葉にし、情報を伝達、共有することが、
できなくなってしまうというわけなのです。
オーウェルが考え出した『人から言葉を取り上げることで思考を奪う』
という独裁システムの設定は、とてもリアリティがあるように思います。
このニュースピークにより、物語は、より現実味のあるものに、また、
空恐ろしいものになっているかと思います。

一九八四年 帯

また、歴史の修正も、肌に粟を生じる描写のひとつです。
党が政策決定を行い、後に、その変更を行うとします。
当然、決定が変わるわけですから、そのまえの決定は破棄されます。
しかし、党は、絶対に間違いを犯さない存在ですから、
そもそも、決定が変更されること自体、
あってはならないことになるわけです。

そうすると、真理省は、前回の決定を報じた新聞、公文書、書籍、をすべて改竄します。
もっとも、改竄される前の記憶は、人に頭の中に残るでしょう。
ですが、立証するものが、きれいさっぱり抹消されてしまうのです。
とどのつまり、真実は、妄想と化してしまうわけです。
この、文書改竄という手を使えば、党はありとあらゆることができます。
特定の人間を貶めたり、常に生産物がノルマを上回っているということになります。
党は、法も、市民も、歴史も、すべて恣意的に操作できるというわけです。

作品に描かれた世界は、極端にディフォルメされたディストピアではあるかもしれませんが、
個々のディティールには、まったくの絵空事といえないところもあるのかなと思わせます。

○ ハヤカワepi文庫『一九八四年』ジョージ・オーウェル著 ~

物語は、救いようのないラストを迎えますが、ほんとうに暗黒の結末なのか……、
というと、そうではないのかもしれません。
というのも、この物語は、ラストを迎えたあと『ニュースピークの諸原理』という附録が、
エピローグ的な意味合い(?)で、ついています。
このニュースピークの諸原理は、ニュースピークなる言語が、
どのような意図をもって導入され、また、言語の体系がどうなっているのかについて、
語彙群などを交えて、詳しく説明したものです。
本書の解説文にも記されていますが、このニュースピークの諸原理は、
すべて過去形で書かれています。
しかも『今日では想像しがたい盲目的、熱狂的な受容を含意していた』とも記されており、
あたかも、過去の政治体制を批判するトーンで書かれています。
ならば、1984年よりさらに未来の世界には、
ビッグブラザーは過去のものとなっているのかもしれません。
スミスやジュリアは、激しい拷問によって人格を破壊され、人間の尊厳を失いますが、
この体制は、ニュースピークの諸原理が書かれる頃には、崩壊しているのです。

オーウェルは、アメリカにおける『一九八四年』出版に際し、
この附録部分の削除を提案されたといいますが、
オーウェルは、その提案を拒否したといいます。
附録『ニュースピークの諸原理』は、作者にとって、必要不可欠なものだったのでしょう。

いずれにしても、前回のザ・ロード同様、こちらも、とても印象深い作品でした。
これからも、ハヤカワepi文庫を、読んでみたいと思います。



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ハヤカワepi文庫

ここ二ヶ月ほど、コロナ渦でお出かけもままなりませんでしたが、
ようやく、我が岐阜県の緊急事態宣言は、今月15日をもって解除となりました。
ここのところ、県下での新たな感染者の確認はされておらず、
それゆえに、解除という判断になったらしいですが、
まだまだ、油断はできないのかなと、思っています。
そうはいっても、やはり解除というと、気持ち的には、なんだか楽になりますよね。
これからは、人混みなどは避けつつも、少しは、出かけたりできるようになるかなあ、
などと、思っています。
まあ、そんなわけですので、今回も、お出かけやドライブに関するネタはなく、
前回に引き続き、本ネタをやってみたいと思います。
(コロナが続くと、もともとお出かけ記事がメインだった当ブログが、
プラモと読書のブログになってしまいそうで、それもちょっと心配しています)

今回は、ハヤカワepi文庫から、ディストピア系小説を二冊、取り上げたいと思います。
一冊目は、コーマック・マッカーシーという作家の『ザ・ロード』という作品で、
もうひとつは、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』です。
一九八四年は、非常に有名な小説ですが、私は、この歳になるまで読んだことがなく、
(ですから、なにをいまさらって感じなのですが……)
この二〇二〇年になって、はじめて完読しました。

epi文庫の黒い背表紙

ハヤカワ文庫というと、海外翻訳物のSF小説、冒険小説、ミステリー小説ばかりが、
思い浮かぶのですが、このepi文庫というのは、海外の文学作品を、
専門に扱うレーベルだそうです。
epi文庫は2001年より始まったそうですが、じつは、私、いままで知りませんでした。
(ちなみにSF好きの私としては、ハヤカワ文庫には、若い頃、ほんとうにお世話になりました)

ザ・ロード

まず、『ザ・ロード』についてですが、
こちらは、荒廃した世界をさまよう父と子の物語です。
この小説、文体がちょっと特殊で、ごく一部を除き、句読点がありません。
なのに、翻訳小説の常で、センテンスはとても長く、もう、最初は読みにくくて……。
読んではつっかえ、読んではつっかえ、また読み直して、なんてことを繰り返していました。
この作品は、翻訳小説なので、原文の特徴を句読点を省く形で表現しているのだと思いますが、
ならば原文ではいったいどういう状態になっているんだろうと、そのあたりに、
ちょっと興味をひかれました。
(といっても、いずれにしろ、私には、原文、読めませんけど)

とはいえ、しだいに、この句読点がないセンテンスの長い文体に慣れてくると、
さほど、読みにくさを感じなくなってきます。

また会話には、鉤括弧がありません。
描写と会話は完全に切り離れていて、会話のなかに描写が入ることもありません。
一定のリズムを持って、描写と会話が繰り返され、物語が進行していきます。

文面

物語は、先にも述べましたが、文明が崩壊し荒廃した世界を旅する親子のお話です。
しかし、いったいなにが起きて、世界がこのような有様になったのかは書かれていません。
隕石の衝突といった未曾有の自然災害なのか、核戦争のような人災なのか、
そのあたりについての描写は省かれています。
ただ、もはや青空は臨めず、空は常に灰色で、陽光も弱々しい灰色であること、
なんらかの高熱が発生したらしいこと、
大量の灰が降り注いでおり、世界が寒冷化に向かっているらしいこと、
人口が激減し、国家も社会も消滅していること、などがわかるだけです。
主人公である父にも、その子供も、名前は明かされず、
ただ『彼』『少年』と表現されるだけです。

ふたりは、まだいくらかは温暖であろう南を目指してひたすら旅をします。
そして、死んだ街や、黒く焼けた森、灰に覆われた大地をつぶさに見ていきます。
その描写は極めて丹念でありながら、どこか乾いた感があって、
幻想的な美しさや、妙な憧れすら感じます。
自分も灰色の世界を旅しているような気持ちになります。

○ ハヤカワepi文庫『ザ・ロード』コーマック・マッカーシー著 ~

静寂が支配するこの世界ですが、じつはたいへんな脅威が潜んでいます。
それは、彼ら親子と同様『生き残った人間たち』です。
生き残った人たちのあいだには、協調も協力も相互扶助もありません。
すでに食糧生産が断たれたこの世界では、わずかな食料の奪い合いはもちろん、
人間同士の共食いさえ横行しているのです。

そんな世界にあって、父は息子を懸命に守ろうとします。
そのため、ときには、非道徳的で暴力的な手段に訴えなくてはならないことも多々あります。
しかし少年は、その考えには沿えません。
少年は他者の存在に怯えつつも、関わる相手の救済を父に求めます。
助けたい、食べ物を与えたい、いっしょに連れて行きたい……。
純粋な少年の願いは切ないです。
こうして親子は、強い愛情とともに軋轢を抱えつつ、旅をしていきます。

が、やがて、行先にも希望がないことがわかってきます。
苦労して行き着いた先の海もまた灰色で、暖かさはなく、
父の体力は次第に衰え、激しい咳に見舞われていきます。

すでに人の時代は終わったのであり、
親子の旅は、消えた火の余熱のようなものでしかないのかもしれません。
あらゆる文明の痕跡はすべて灰に覆われてなくなり、人もやがて死に絶える……。
この親子の愛は、そんな真夜中に向かう薄暗がりの中に灯る、
ささやかな輝きのようなものです。

物語の最後は涙を禁じ得ないものです。
ネタバレになるので、多くは申せませんが、
しかし、希望を感じさせるラストとなっています。
すぐれた小説ですので、もし、興味を感じた方がいらっしゃいましたら、
ご一読をお勧めいたします。

epi文庫背面

というわけで、次に、ジョージ・オーウェルの一九八四年について、
続けて書こうかと思っていましたが、
さすがに、ザ・ロードの紹介だけで、ちょっと長くなっちゃいましたので、
一九八四年については、また次回、詳しく書きたいと思います。

それにしても、梅雨入りの前に、どこかに出かけたいものです。


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文庫本いろいろ

新型コロナの影響で、相変わらず、外出が思うようにできない日々が続いています。
しかも、お仕事のほうも、いまはもう、極めて……、暇です。
かつてこのブログで、忙しい、忙しい、などと書いていたのが、いまでは嘘のようです。
もっとも、この傾向は、大なり小なりどこも同じようで、
先日、名古屋、大阪にいらっしゃるお仕事関係の方達と、
電話でちょっとお話をさせていただいたんですが、やっぱり、
大幅に仕事が減っているとのことでした。
(企業イベントが相次いで中止されていることも、かなり影響しているみたいです)
私は、もともとテレワークと同じ状態ですし、
また、以前から、ずっとひとりで仕事をしていますので、
家賃を除く支払いがなく、その点は、まあ、ありがたいのですが……。
それにしても、この状況、いつまで続くのでしょうか。
おそらく、GWが過ぎた来月の6日以降も、緊急事態宣言は延長されるんでしょうね。

というわけで、いよいよ気候もよくなってくるというのに、
MINIやプジョーでのお出かけもままならず、いたしかたなく、
インドア趣味に走らざるを得ません。
ここのところは、読書とプラモデルに没頭する感じです。
なにしろうちの実家の物置などには、
以前に買ってそのまま『つんどく』状態になっている文庫やハードカバーが多数あります。
いまでは、買ってきたものは必ず読みますが (だって、もったいないですから) 、
かつて独身だった頃は、本を買ってきても、最初にほんの少しだけ読んで、
そのまま放置してしまうということが、けっこうありました。
それらをいま、発掘しては片付けている感じです。

さて、ここ最近読んだものを、まず、翻訳物から並べると……。
ジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』
ジャック・ヒギンズの『廃墟の東』、
そして同じく、ジャック・ヒギンズの『エグゾセを狙え』といったところでしょうか。
それにしても、これらの作品は、さすがにもうちょっと古いですよね。
実際、紙はかなり黄ばんでました。
とはいえ、良い作品は色あせることがありません。
ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』は傑作です。
途中、ちょっと中だるみもあるんですが、終盤の査問会の場面は緊張感があって、
手に汗握りますし、ラストも衝撃的です。
この作品をいままで『つんどく』状態にしていたことを後悔しました。
ですので、これを機に、今後、ル・カレ作品、もっと読んでみようかなと思っています。
(たしか、実家の物置に、パーフェクトスパイのハードカバーがあったはずです)
また、アーサー・C・クラーク『3001年終局への旅』も、この機に読んでみました。
2001年宇宙の旅シリーズも、これで完結なんですね。

古い本をいま読む

和物では、これもまた古いんですが、高村薫の『神の火』も、読破しました。
こちらも、大別すればスパイ小説に入る作品かと思います。
原発にまつわるデータなど、極めて細かく書き込まれていて、執筆においては、
とても綿密な取材がなされているのだと感じます。
ただ、作品としては、ちょっと冗長なのでは、と、思ってしまいました。
しかも、主人公らが原発に潜入する動機が、いまひとつ弱いというか……。
命をかけ、捨て身の行動をするわけですから、もっと強烈でわかりやすい動機がないと、
どうにも、主人公に感情移入しづらいように思いました。

また、小説ではないのですが、ずいぶん昔にベストセラーになった、
岩波新書の『日本語練習帳』も、この機会に読んでみました。

また、つんどく、ではなく、書店で買ったものですが、
宮部みゆきの『誰かーsomebady』『名もなき毒』を読みました。
宮部作品は、レベル7、理由、魔術はささやく、蒲生邸事件、模倣犯、などなど、
好きな作品がとても多いのですが、この杉村三郎シリーズを読むのは、今回がはじめてです。
シリーズは、ペテロの葬列、希望荘などへと続くようなので、
今後は、それらを読んでいきたいです。

それから、柳広司の『パラダイス・ロスト』も、読了しました。
この作品は、魔王と呼ばれる伝説的スパイマスター結城中佐と、
D機関の暗躍を描く一連の短編集のうちのひとつです。
(ジョーカーゲームを筆頭にした短編シリーズものです)
短編は、小気味よくオチがついて楽しめるのですが、
読み応えという点で、いまひとつ満足感が得られない場合があるかと思います。
ですが、最後に収録されている『ケルベロス』という中編は、読み応えもあり、
また、ミステリー要素がふんだんに盛り込まれていて、非常に楽しめました。
できれば、D機関ものの長編が読みたいですね。

図書館からは、コロナが流行する以前から、常に数冊、本を借りてきて読んでいます。
ですので、うちには、常に5~10冊程度、図書館の本がある状態です。
ただいま図書館は閉鎖中で、新しい本は借りられないのですが、そのおかげで、
返却期限が延長され、じっくり読むことができます。
とはいえ、図書館の開館は早く実現されるといいのですが。

というわけで、次回は、インドア生活第二弾の、プラモデル記事を、また、
投稿したいと思います。



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ソッカの美術解剖学ノート

昨年末、名古屋で行われた忘年会のさいに、ゲートモールタワーの本屋さんで、
『ソッカの美術解剖学ノート』という本を見つけました。
この本については、昨年末よりも以前の段階で、
すでに、Amazonなどの書籍販売サイトで見かけていたのですが、
ここ岐阜市では、現物を目にする機会がまったくなく、
この年末のときになって、はじめて、店頭で目にすることができました。

で、まず驚くのが、その厚みです。
こうした大判の書籍では、過去にあまり例がないほど、厚みがあつく、
まるで箱のような感じです。
実際にページをめくると、その厚みと同様、ボリュームたるや、
すごいものなのですが、イラストのクオリティもとにかくすごい。

イラストは、解剖学的な図版をはじめ、コミカルタッチなものや、
また、リアルな描画など、多岐にわたっているのですが、
そのすべてに、しっかりと手が入れられており、ほんとうに、驚くぱかりです。
著者は、韓国の方がだといいますが、とにかく、掲載の作品群も、
また、解剖学の解説についても、これまで、見たことがないほどにくわしく、
わかりやすいものとなっていました。
(もちろんそのぶん、お値段もかなり張る書籍になっています)

というわけで、さっそくこれは買わなければ、と思ったのですが、
おりしも、忘年会に行く直前でしたので、このような大ボリュームの本を買うことができず、
今年に入ってから、amazonで購入することにしました。
(本屋さん、すみません……)

もっとも、購入したのは先月のことで、宅急便で受け取ったあとも、
忙しさにかまけて、amazonの段ボール箱を開けることもなく、
今日まで、塩漬け状態になっていました。
こんなことなら、今月、いろんなものをまとめて買えばよかったな、なんて、
思っています。

解剖学図もあり

解剖学図というと、医学書においては、ほぼすべて、正面図か、
もしくは、側面図となっています。
ですので、解剖学図は、実際の形状を立体的に把握することが、少し困難なときがあります。
しかし、この書籍においては、斜め横からの解剖図があり、
これだけでも、たいへん重宝します。
こうした図が書ける著者は、解剖学の知識と、たしかなデッサン力とを、
しっかりと併せ持っているということだと思います。

コミカルな表現もあり

こちらは、コミカルなイラストを用いた解説ページになります。
コミカルなイラストといえども、しっかりしたデッサン力に裏打ちされたもので、
極めてレベルの高いものです。
しかも、いままでの解剖学書にはない、とても親切でわかりやすい解説となっています。

描き方の指南もあり

同様の資料書籍に、アーティストのための美術解剖学、や、
スカルプターノための美術解剖学というものがあり、どちらも、
とてもよい資料で、私も、筋肉などの解剖図を描くとき、大いに参考にしたものですが、
本書ソッカの美術解剖学ノートは、コミカルタッチのイラストで、
骨や筋の役割や仕組みを解説しつつ、なおかつ、描き方まで指導してあり、
前出の二冊よりも、さらに詳しい内容となっています。
ここまで詳しい書籍は、なかなかお目にかかれるものではありません。

○ ソッカの美術解剖学ノート - オーム社~

しかも、著者のオリジナルイラスト作品も、随所で紹介されています。
そのクオリティもすごいのですが、しっかりと時間をかけて描かれた、すばらしいものです。
背景の細かなディテールまで精緻に描いてあり、注がれた情熱を、
ひしひしと感じることができます。

イラスト作品

7,000円を超えるという、お財布に厳しい高額な書籍ですが、
その価値は、充分にあると感じられます。
こうした本を手に取ることができるというだけで、なんだか、
特をしたような気持ちになってしまいます。

とはいえ、いま、私は、筋肉系のイラストを手がけておらず、
内臓系のものばかりとなっていますが、またいずれ、
この書籍が、大いに役立ってくれる日がくるかと思います。

また、訳文も、平易で読みやすい日本語となっており、
読み物としても、楽しめる内容となっています。

著者は、韓国の有名な漫画家であるとのことですが、
この方には、良書を世に送り出してくれたと、感謝するばかりです。



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オール讀物10月号

さて、九月ももう終わりということで、
早いもので、今年もあと三ヶ月ほどとなってしましました。
なんだか今年もあっという間で、きっと、気がついたらもう年末、
などということになってしまうのではと、ちょっと心配したりしています。
とはいえ、一年を振り返るのは、さすがにまだ早い…。
2018年はまだ三ヶ月も残されているのだと思いながら、
なんとか、いまという時間を、最大限、有意義に過ごしたいと思っています。
(といいつつ、ムダに時間を浪費することも多いんですが)

さて、今回は、今年の六月二十日に応募締め切りとなった、
小説公募『オール讀物新人賞』について、少し書いてみたいと思います。

娯楽性の強い文芸雑誌『オール讀物』が主催する公募小説といえば、
昔は、このオール讀物新人賞のほかに、もうひとつ、
オール讀物推理小説新人賞という賞がありました。

このオール讀物推理小説新人賞には、私も、かつて、
(といっても、かなり昔のことで、三十代の半ばくらいだったかと思いますが)
何度か挑戦をしたことがあり、そのさいには、二次選考通過まで、
駒を進めることができたかと記憶しています。

もっともその後、仕事が忙しくなったりと、いろいろとあって、
すっかり、小説の執筆から縁遠くなってしまいましたが、
三年前の岐阜県文芸祭で大賞をいただいてから、またふたたび、
文章を書く楽しさに目覚め、仕事に追われながらも、少しづつ、
書き始めるようになりました。

というわけで、今年、このオール讀物新人賞をターゲットにして、
小説を書き、応募をしてみようと思い立ったわけなのですが、
オール讀物新人賞の応募総数は、昨今、2,000を超えるとのことで、
かつて存在したオール讀物推理小説新人賞が、
応募総数500~600くらいであったことを思うと、
オール讀物新人賞は、極めて、競争率の高い公募賞といっていいと思います。

しかし、エンターテインメント系の短編小説という部門において、
(規定は原稿用紙50枚から100枚となっています)
私の思いつく限り、このオール讀物新人賞がもっとも知名度があるように思います。
ですので、極めて狭き門とはいえ、やはり、この公募賞への応募に、
大いに魅力を感じ、一念発起したわけです。

今回の小説では、岐阜文芸祭に応募した作品の設定などを流用しました。
というのも、岐阜文芸祭の規定は原稿用紙60枚と比較的短めとなっており、
そのために、説明が過多となってしまい、思うようなかたちで書き進めることができず、
大いに心残りだったからです。
ですが、文章の流用はまったくなく、すべて一から書き直し、
終盤部分では話の筋に重複はあるものの、別の作品になっています。

取材ノート

また、今回は資料の調べ込みにも、多くの労力をつぎ込みました。
それらは要点をノートに記してまとめましたが、
こうして調べた事柄をすべて作品内に生かすことができたかといえば、
決してそうではなく、その多くは切り捨てざるを得ないことになりました。
調べたことを生かせないのは残念ですが、そのために、
退屈な説明の連続になってしまっては、元も子もないのではないかと思います。
(ちなみに私は、プロットの構築も資料のメモも、すべて手書きでやっています)

いずれにしろ、充分な下ごしらえをして書き始めたわけですが、
どうしても、原稿用紙100枚をわずかに超えてしまい、そこから、
削りつつ、また加筆、ということを繰り返していきました。

ところが、この過程で、致命的なミスをしてしまい、
ストーリーの辻褄が、一部、合わないところが出てきてしまいました。
なのに、そんな重要なことに気づかず、結局、
応募作品を郵送した後になって、あらためて自分の作品を俯瞰して、
愕然としたという次第です。

推敲をしていると、つい描写の的確さやセリフの言い回しばかりに気を取られて、
近視眼的な状態になってしまい『木を見て森を見ない』状態に陥ってしまう、
ということなのでしょうか……。
あるいは、一番最初のプロット構築の段階で、
充分な目配り、吟味が足りなかったせいかもしれません。

そんなわけで、こりゃダメだ、と、その後はすっかり意気消沈してしまし、
書く気力も少々萎えてしまったわけですが…。

オール讀物新人賞中間発表

とはいいつつも、選考の中間発表が掲載されるオール読み物10月号が
22日に発売されると、なんとも気になってしまい…。
そんなものを見に行っても、がっかりするだけ、と、なかなか、
本屋さんにも行けませんでした。

しかし、もやもやとした気持ちはもうどうしようないわけで、
先日、本屋さんの店頭へと、結局、行ってみることにしました。

通過者氏名

店頭で平積みになったオール讀物を手に取り、
掲載ページを恐る恐る開くと、応募総数は、なんと2,170だったそうです。
ネットでの作品応募も可能となったためか、応募数は去年を200以上もうわまわっています。
そのうちの予選通過者が112ということなので、予選を突破できるものは、
5パーセント程度ということになるでしょうか。
ますますこりゃダメだ感が強くなったわけですが……。

名前がありました

な……、なんと、私の名前と作品名が、載っているではないですか!!。
ええっっ、ほんとうですか??。
というわけで、何度も見直したのですが、名前も作品名も、たしかに私のものです。

途端に意気があがりましたが、私の名は次の選考まで進める太字では、
印字されていませんでした。
予選通過112のうちには入りましたが、そこで終わりです。

しかし、辻褄の合わないところがある欠陥小説ですから、
次に進めるわけはないのです。
そんな作品でありながら、予選通過できたことは、このうえない喜びです。
が、次に駒を進めることができなかったことは、やはりたいへん残念です。

ただ、15年以上も出版社の公募から遠ざかっていたので、
この結果は、むしろ歓迎すべきことかもしれませんし、また、
学んだことも多かったのではないかと思います。

いずれにしても、私にとってのゲームはこれで終わりです。
来月には、新人賞の受賞者が誌面にて発表されます。
その発表を、一読者として、楽しみにしたいと思います。

また、これに懲りず、次回も、応募すべきターゲットを絞って、
地道に書いていきたいと思います。



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