スカルプターのための美術解剖学

気がつけば、2月も今日で終わりとなってしまいましたが、
今月は、土日が何度もお仕事で塞がってしまい、そのために、
お出かけやレジャーについての話題は、まったくありませんでした。
今月、出掛けたといえば、お世話になっている方々が開催したグループ展に、
足を運んだことくらいでしょうか…。
26日の日曜は久しぶりに少しお休みできたのですが、
遠出することも出来ず、ヨメのプジョーで、
ちょっと近場をドライブするくらいで、一日が終わってしまいました。
オイル交換をしたMINIにも、あれからほとんど乗ることもなく、
なんともつまらないばかりです。
本格的な春が来たら、どこかに出掛けたいものです。

と、そんな話題に乏しい2月ですが、今回は、先日購入した、
『スカルプターのための美術解剖学』という書籍について、
少し、ご紹介したいと思います。

この本、もともとはAmazonで見つけたのですが、
さまざまなポーズがついた状態における筋肉の図版というものを、
私は以前から捜しており、本書の書籍紹介を見る限りでは、
その目的にかなり近いもののように見受けられました。
また、レビューを見ても、かなりの高評価ということで、
ますます、興味をそそられてしまいました。

が、5,000円を超えるという、かなり高価な本でもあり、
できれば、どこかの本屋さんで、実際に手に取って、
中身をよく確かめたうえで、購入したいとも思っていました。
とはいえ、このような専門書は、我が家の近くの本屋にはなく、
大型書店に出掛ける時間もなく、結局、中身を見ないまま、
Amazonに注文することとなりました。

○ amazon / スカルプターのための美術解剖学 ~

現物を確認しないままの注文は、けっこう冒険で、
買ってよかったと思うときもあれば、これだったら買わなかった、と、
思うことも、またよくあります。

というわけで、先日、現物が届きましたが、ちょっとドキドキしつつ、
中身をあらためてみました。

中身1

各ページは、フルカラーで、ほとんど文章のたぐいはなく、
筋の役割に関する説明なども、大幅に省略されています。
もう少し、詳しい説明や、各筋の名称などが入っていてもいいのかな、
とも思いますが、そのかわりに、どのページも、
図版や写真が満載となっています。

とくに、ポーズやアングルを少しずつ変えつつ、
1)人物の写真。
2)その写真に筋を入れ込んだ画像。
3)写真に筋の隆起を立体構造として書き込んだ画像。
が、連続して掲載してある一連のページは、とても役に立ちます。

筋肉のメディカルイラストを何度も描いている私ですが、
そうしたイラストは、ほぼ直立状態ばかりで、
動きのあるポーズとなると、
お恥ずかしい話なのですが、とたんに筋肉の状態がわからなくなります。
ですので、こうしたポーズのある筋肉図については、いままで、
恥ずかしくなるようなものも、多数描いてきたかと思います。

ですが、動きのある状態で筋肉の状態を描画した資料は、
私の知る限り、とても少なく、
フレデリック・ドラディエの筋肉トレーニング本くらいしかないではと、
思っています。
が、ドラディエのイラストは、超人ハルクばりの、
ものすごいマッチョに描かれていて、参考にしづらいのも事実です。

この書籍は、そうした極端なマッチョではなく、しかも、
細かな動きにも対応しており、資料として、なにかと重宝しそうです。

中身2

とくに、いままでよくわからなかった、脇のしたの筋の状態など、
このページに、詳しく描いてあります。
ああ、こんなふうになっているのかと、いまさらながら、
思い知る気がします。

中身3

僧帽筋を真上から見た状態など、いろいろと参考になります。

この本の題名は、スカルプターのための美術解剖学となっており、
そもそもは彫刻家や3Dモデリングするための資料なのかもしれませんが、
メディカルイラストの資料としても、十二分に役に立ちそうです。

こうした特殊な書籍の情報も、これからは、
紹介していきたいなと思っています。
あっ、もちろん、もう少し時間がとれるようになったら、
お出かけやドライブの話題なども、また、アップしたいと思っています。



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司馬遼太郎「関ヶ原」

前回、当ブログで『関ヶ原合戦祭り2016』の模様や、
関ヶ原古戦場に残る陣跡めぐりのようすなどを、ご紹介をさせていただきましたが、
今回は、この関ヶ原の戦いを題材にした、司馬遼太郎氏の小説『関ヶ原』について、
レビューめいたものを、少し書いてみたいと思います。

本書は全三巻となっており、一定のボリュームを持っています。
巻末には、1974年初版と記されていますが、
この作品が週刊誌の連載小説として発表されたのは、
いまから五十年以上も前の1964年だったといいます。
いずれにしろ、かなり昔に出版されたものなのですが、
いまもなお、書店の文庫コーナーには、他の司馬作品と同様、多数平積みにされており、
(V6の岡田准一さん主演による映画化の話もあるためだと思われますが…)
しかも、その刷数は、私の手に入れた文庫で、すでに百十一刷となっていて、
いかにこの小説が、長きに渡って読み継がれているか、
いまさらながら知る思いがします。

物語は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、
いよいよ死を迎えようとするところから始まります。
秀吉には、側室である淀とのあいだにできた『秀頼』という嫡男がおり、
順当に考えれば、次の天下人は、この秀頼になるはずでした。
ですが、当の秀頼は、まだほんの子供で、政権を担うことなど、
できるはずなどありません。
仕方なく秀吉は、豊臣政権を支えてきた、
五人の有力大名に『大老』という役職を与え、自らが死んだあとは、
この五人の大老と、秀吉政権の実務を取り仕切ってきた五人の奉行衆とが、
合議によって政務を執り行う『五大老五奉行制』というシステムを作り、
永眠します。
このシステムは、秀頼が成人するまでの、いわば繫ぎ政権のようなものでした。

大老の筆頭は、関東二五五万石の大大名である、徳川家康でした。
家康は、幼い秀頼を守り立てつつ、他の大老や奉行衆と協力し、
豊臣政権の安寧を担うべき立場にありました。
が、家康は、秀吉が死ぬとほどなく、豊臣政権の簒奪をもくろみ、
さまざまな策謀を巡らします。

まず、手を付けたのが、秀吉が禁じた、大名同士の婚姻でした。
家康は東北の伊達など、有力大名との婚儀を次々に執り行い、
それによって縁戚をふやし、ひいては、政治的な発言力を増していきます。
さらに家康は、豊臣の所領を勝手に他の大名に与えたりもするようになりました。

関ヶ原 文面

これに正面から異を唱えたのが、五奉行の筆頭格である、石田三成です。
豊臣政権を支えてきた官僚として、際立って優秀だった三成は、
家康の横暴と専横に対し、正論をもって挑みました。
が、ときに横柄な態度をとることで知られていた三成は、
人望や人気がなく、しかも大名としての禄高もさほどではなく、
なにもかもが、家康とは格が違いすぎました。

さらにこの時期、三成は、同じ豊臣政権下で伸し上がってきた、
加藤清正、福島正則といった、同年代の武闘派大名らとも激しく対立していました。
家康は、この対立に巧みにつけ込み、仲裁者を装って、
石田三成を奉行の座から追い落としてしまいます。

三成失脚後の家康は、ますます増長し、
ついには、我が物顔で秀頼の居城である大阪城に入り、
しかも、諸大名の多くも、家康の力の前に、媚を売り、へつらうようになります。

このままでは幼君を抱く豊臣は滅ぼされ、徳川の天下になってしまう…。
危機感を抱いた石田三成は、会津百二十万石の大老『上杉景勝』と、
その忠臣で友人でもある『直江兼続』らと謀議をめぐらせます。
その計画は、まず上杉に、徳川をけしかけてもらい、家康とその軍勢を、
遠く会津にまでおびき出させます。
そして、家康らが去った大阪で、三成は、
家康の行ってきた数々の罪を書状にしてばらまき、世に知らしめます。
同時に、大老のひとりである毛利輝元を総大将として担いで挙兵する、というものです。

関ヶ原 背部分

上杉を討伐するために会津へと向かっていた徳川家康と、徳川に与する諸大名は、
上方での三成挙兵の知らせを聞き、急遽、会津行きをとりやめ、
三成征伐のため、大阪へと引き返すこととなります。

徳川家康は、三成の策に嵌まったかのように見えますが、
じつはこの『三成挙兵』という事態こそ、家康の思うつぼでした。
家康は、石田三成に兵をあげさせるようしむけ、そのあと、
決戦をもって、三成とその一派をすべて葬り去るつもりだったのです。

三成は、同心した諸将と、上方に向かって戻ってくる徳川の軍勢を迎え撃とうと、
美濃の大垣城に入りますが、家康の再三にわたる謀略によって、
城を出ざるを得なくなり、大垣の西にある関ヶ原に陣を張り、
野戦というかたちで、決戦に臨もうとします。

そして、慶長五年九月十五日(西暦1600年10月21日)、
徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍とが、関ヶ原で激突することとなるのです。

関ヶ原全三巻

本書は、全三巻というボリュームながら、関ヶ原の合戦そのものについては、
全体の1/6ほど (三巻の後半の半分) が当てられているだけで、そのほかの部分は、
秀吉の死の間際から合戦に至るまでの人間模様に、焦点があてられています。

司馬遼太郎氏は、本書の冒頭で、関ヶ原の戦いに至るいきさつを、
人間喜劇 (あるいは悲劇) と、突き放した、醒めた表現で書いています。

劇中、正論を押し立てているのは、三成のほうです。
日ノ本のすべての大名は、家康も含め、
天下統一を成し遂げた秀吉に臣従したわけであり、
秀吉も死後も、その遺命にしたがうと、書面をもって誓いをたてていました。
家康の勝手な振る舞いは、亡き秀吉の意に反しており、
決して、許されるものではありません。
とはいっても、大老最大の勢力を誇る家康を、敵にしたくないと思うものは、
少なからずいました。
加えて、家康の側にお味方すれば、自らの保身、また自らの家の存続、
さらには、より多くの恩賞の獲得ができる、と、
損得勘定で考えるものも、あとをたちません。
その一方で、愚直に義を貫くものがあり、
また、どちらが勝つのか旗色を伺うものがあり、と、
さまざまな人が入り乱れ、熾烈なドタバタ劇を繰り広げます。

このあたりの過程は、ほんとうにおもしろいです。
ストーリーのベースは史実であり、司馬遼太郎氏の創作ではないのですが、
はたして、この同じ物語をほかの作家が書いたとしたら、
このように、おもしろくなるだろうかと思ってしまいました。
司馬遼太郎氏は、希代のストーリーテラーかもしれません。

また、石田三成だけでなく、
その家臣である『島左近』をじつに魅力的に、生き生きと描ききっています。
三成よりもずっと年上で武勇も名高い左近が、主君である三成に、
ときに批判的な心情を持ちつつも、それでもなお、
三成の才を評価し、忠節を尽くすさまは、まさに感動的です。
その一方で、徳川方の謀臣である本多正信の描写も秀逸で、
こうした、両陣営のキャラクター作りが、とてもうまくなされていて、
このあたりにも、司馬氏のストーリーテラーぶりが発揮されているかと思います。
しかも、寄り道的な余談も、過不足なく織り込んであり、
そんなサブストーリーも、本筋を飽きさせない要素のひとつになっているかと思います。

本書は、発表年が昭和四十年代とふるいためか、現在においては、
否定されてしまっている史実も多数含んでいますが、読み物として、
その価値は、減ぜられるものではないと思います。
ただ、深い心理描写や、人間の葛藤や矛盾に深く分け入る、といった部分は総じて薄く、
エンターテインメント性に重きを置いたものになっているのかな、
という感もあります。

○ 新潮文庫 司馬遼太郎 著『関ヶ原』はコチラ amazon ~

ここ最近、歴女に代表されるように、歴史に興味を示す人が増えているといいますが、
その原因は、ゲームのヒットなどもあるかと思いますが、
やはり、司馬遼太郎氏の一連の作品によるところは大きいのかな、とも、
思います。

天下分け目の関ヶ原

ちなみに、関ヶ原の戦いでは、家康率いる東軍が勝ちましたが、
もし、西軍が買っていたら、どうなっていたのだろうと思わずにはいられません。
実際、小早川秀秋は、優勢な西軍の戦いぶりを見て、一時は、西軍につくことも、
考えたといいます。

もし、秀秋が、東軍に寝返るのをやめて西軍についたなら、
大谷吉継隊は、秀秋の軍勢に対して防戦する必要もなくなり、
また、脇坂、朽木、小川、赤座らも、寝返るタイミングを逸し、
そのまま、西軍陣営として戦ったかもしれません。
そうなれば、家康の首もとれたのかもしれません。

でも、西軍が勝ったとしたら、その後の日本は、乱れたのかもしれません。
筆頭大老は、おそらく、西軍総大将を勤めた毛利輝元になったでしょうが、
この人には、家康のような老獪な知恵はなかったでしょう。
仮に三成が実権を握ったとしても、それはそれで、政権内に軋轢を生んだかと思います。
仮に豊臣政権が続いたとしても、その権力基盤は、
意外と危うかったのではないでしょうか。

とにかく、これからもまた、司馬遼太郎氏の作品を読んでみたいと思います。




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文芸祭表彰式の模様

私の住む岐阜県には、小説、随筆、詞、短歌、狂俳、俳句、川柳など、
文芸作品を県の内外から広く募集する『岐阜県文芸祭』という公募があります。
すでに24回を数えるというこの公募は、
北海道や大分といった遠方からも作品が寄せられているそうで
また、応募者の年代も、小学生から九十を過ぎたご高齢の方まで、
幅広くいらっしゃるといいます。

今回、私も、この岐阜県文芸祭の小説部門に、
はじめて、作品を応募してみたのですが、
その作品が『文芸大賞』をいただくこととなりました。
文芸大賞という賞は、本公募においての最高賞となっており、
新参者ながら、いきなりこのような栄誉を受けることができ、
たいへんうれしく思っております。

作品の募集は、昨年の9月末にあり、
結果の発表は同年の年末にすでにありましたが、
表彰式は、今年の2月27日に、岐阜県のふれあい福寿会館という、
岐阜県の公共施設で行なわれました。

この公募に作品を送るきっかけは、
なんといっても、飛騨高山からここ岐阜市への事務所移転だったのですが、
本公募の募集要項は、毎年、道の駅などに多数置いてあり、
かねてから、その存在自体は知っていました。
ですが、実際の応募にはなかなか繋がらず、
今回、ようやくにして、作品を送ってみたという次第です。

ふれあい福寿会館というのは、
岐阜市の南を東西に走る国道21号線のほど近くにあり、
市内では有数の高層建築に入ると思います。

ふれあい福寿会館

こちらがそのふれあい福寿会館です。
表彰式は午後一時からということでしたが、時間には余裕をみて出掛けました。
会場に向かう人たちなのでしょうか、
建物手前の大階段を上がっていく人を、少なからず見かけましたが、
案の定、受付は多くの人で賑わっていました。

会場にはすでに人がいっぱい

こちらが、会場の3F大会議室です。
すでに席は多くが埋まっていて、なんとも華やいだ雰囲気です。
ほどなくして式がはじまり、県職員の方や来賓の方の挨拶などのあと、
賞状の授与式となりました。

トップバッターとして

受賞のトップバッターは私ということで、いささか緊張しつつも、
つつがなく賞状をお受けすることができました。

受賞後にパチリ

こうして、ひととおり式が終わると、
次は、各部門に別れて、審査を勤められた方々と実際にお会いして、
作品について論じる『講評会』が行なわれます。
この講評会にはそれぞれ個室が用意されており、受賞者の方々、
また、関係者の方々は、それぞれの部屋へと入ってきました。

私は、先にも申し上げたように「小説」部門に応募をしているため、
ひとつうえの階に用意された、専用の小会議室へと行ってみました。
じつは、この講評会に出席することが、
私にとっては、なによりの楽しみでもありました。

小説部門は、原稿用紙60枚が規定となっており、
ある程度、長文の作品が寄せられる部門です。
私にとって、原稿用紙60枚は「あまりに少なすぎる規定」ですが、
ほかの方にとっては、長過ぎるものらしく、小説部門の応募者は、
他部門と違って、人数がぐっと少なくなります。
(他部門の講評会では、入場者が席に座れないほどだったといいます)
応募総数は3,000を越えるそうですが、小説の総数は30ということで、
小説部門の会場には、審査員の方々や、私、そして私のヨメを含め、
全部で8名でした。

ここでおよそ一時間半、審査についてのお話や、
講評などをお伺いし、また、意見交換などもさせていただきました。
ここ岐阜に来て以降、私は、自分の書いた文章について、
感想や意見を聞く機会はまったくなく、私にとっては、
たいへん貴重で有意義な時間でした。

作品集

ちなみに、大賞をとることができた私の作品ですが、
戦後の満州からの引き上げと、振り込め詐欺に題材を求めた、
短編小説となります。
ジャンルとしては、推理 / エンターテインメントの部類に入ると思いますが、
社会的な問題を取り上げており、また、メッセージ性も盛り込んだつもりです。

今回の執筆にあたっては、昨年、訪れた、
長野県阿智村の『満蒙開拓平和記念館』で聞いた、
満州棄民となった方の証言や、また、図らずも知ることとなった、
私の祖母の満州での体験などが、大きなヒントとなりました。

また、今回の資料調べで、ヨメのご親戚の方が、
満蒙開拓青少年義勇軍に入隊しており、
終戦から引き上げまでの経緯を手記に残していることも知り、
いうまでもなく、この手記も資料とさせていただきました。

賞状

物語を文章という『カタチ』にする作業は、
私にとって、じつに十数年ぶりで、
長きに渡って、研鑽を積まなかったがために、文章力、表現力は落ち、
また、着想やストーリーを得るアンテナはすっかり錆び付き、
当初は、小説などとても書けない、などとも思っていました。

しかも、原稿用紙60枚という規定にはおおいに苦しみ、
構成やエピソードの取捨選択に難儀しました。
(可能であれば、せめて100枚は書きたかったところです)

いずれにしても、このような経緯を経て、
なんとかひとつの文章に仕上げましたが、
今回、それが評価をされたことは、私にとって、自信にもなりましたし、
また、書くという行為に対する、
さらなる意欲を持つことができたようにも思います。

作品集は一部600円で販売もされているそうなので、
もし、興味がおありの方がいらっしゃいましたら、
岐阜県教育文化財団に、お問い合わせをいただければと思います。
(下記のリンクに連絡先が記してあります)

○ 第24回岐阜県文芸祭 作品集などについての問い合わせはコチラ

講評会のさいには、できれば、他の入賞者の方々とも、
意見交換や、創作についての苦労話などをお伺いしたかったのですが、
それが思うようにできず、ちょっと残念でした。

最後になりましたが、今回、ご審査をいただきました、
Hさま、Kさま、また、主宰者のみなさま、ありがとうございました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。



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フューリーリーフレット

当ブログでははじめてかもしれませんが、
今回は映画のレビューを少し書きたいと思います。
取り上げる映画は、ブラッド・ピット主演の『フューリー』です。

この映画は、
フューリー (激しい怒りという意味だそうです) と名付けられた戦車に乗る、
5人の搭乗員たちの戦いぶりを描いたものです。

物語は、霧のなかに微かに見える、破壊し尽くされた戦車の群れ、
といったシーンから始まります。
まるで戦車の墓場のようなこの場所に、フューリー号はじっと息を潜めています。
というのも、搭乗員のひとりである副操縦手が、激しい戦闘のために戦死し、
車体にもなんらかのダメージがあったのか、エンジンがかからないのです。
残された搭乗員たちは、悪態をつきながらも、懸命に修理を試みます。

フューリー号の車長はブラッド・ピット演じるドン・コリアー軍曹。
砲手はバイブル、装填手はクーンアス、操縦手はゴルド。
生き残った彼ら4人の搭乗員は、みな歴戦の古参戦車兵です。

なんとかフューリー号を修理し、前線基地に戻ったコリアーらは、
失った副操縦士のかわりとなる、新たな人員の補充を受けるのですが、
着任したのは、戦車への搭乗経験などまったくない、
タイピスト志望のノーマンという若い兵士でした。

仲間から手荒い歓迎を受けたノーマンは、
その後すぐに、フューリー号とともに出撃となるのですが、
行軍中にヒトラーユーゲントの少年兵を発見しつつも、機銃での射撃をためらい、
それがために、自軍に大きな損害を発生させてしまいます。
このノーマンの失態に激怒したコリアーは、
非情な手段を持って、ノーマンに戦場の厳しさを教えるのですが…。

リーフレット裏面

この映画の主役、フューリー号は、
第二次大戦当時、米軍の主力戦車となったM4シャーマンという戦車です。
そのなかでも、76ミリ砲搭載、水平渦巻きスプリングサスペンションを持つ、
M4A3E8というモデルで、数多くのバリエーションを持つシャーマン戦車としては、
後期の生産型に分類されるものです。

ただ、撮影においては、M4A3E8シャーマンの調達はできなかったようで、
エンジンが違うM4A2E8シャーマンを使ったといいます。
物語の舞台設定から考えれば、M4A2E8シャーマンでの撮影は、
厳密な意味でいえば、考証的に正しくはないはずですが、
双方のシャーマンには外観上の違いはほとんどなく、なんの違和感も感じません。

ボービントンのティーガー

また、この映画には、敵側のドイツ戦車として、
ティーガーI型戦車が登場するのですが、
こちらにいたっては、イギリスのボービントン戦車博物館に展示されている、
世界で唯一無二の、稼働する実車車輛が使われています。

私のような戦車マニアには、この事実はまさに超チョー感涙モノで、
まさに、この「動くティーガー」を見るために、
フューリーを見に行ったといっても、過言でありません。

ボービントンのティーガーは、1943年にチュニジアで捕獲されたもので、
ティーガーの現存個体としてはコンディションもよく、
とても貴重で、かつ有名なものです。
このティーガーは長い時間をかけてレストアされ、
2006年には稼働状態にまで漕ぎ着け、
その走行シーンなどは、Youtubuなどでも公開されています。

○ 走行するボービントンのティーガーI型戦車

走行シーンだけでも感涙モノなのに、今回、映画に登場するということで、
おそらく、私のような戦車マニアは、狂喜乱舞だったと思います。

もっとも、いままでにも、ティーガーが登場する映画はたくさんありました。
旧ソ連のプロパガンダ映画『ヨーロッパの解放』や、
クリント・イーストウッドの『戦略大作戦』、そして『ネレトバの戦い』、
近作では『プライベート・ライアン』にも登場していました。

ですが、上記の映画に出てくるティーガーはすべてレプリカ。
しかも、改造のベースとなっているのは旧ソ連のT34という戦車が多く、
どんなに作り込んでも、ティーガーの無骨で迫力あるフォルムとは
似ても似つかぬものになっていました。

が、今回のフューリーにはホンモノが出るということで、
その一点だけでも、この映画は、戦争映画の歴史に残る作品になると思います。

フューリーパンフレット

さて、戦車の話はこのくらいにして、映画としての評価はどうだったのか、
それを述べていきたいと思いますが、ここから先は、
少しネタバレも含みますので、これからフューリーを見に行こうとお考えの方は
読み飛ばしていただければと思います。

かつての戦争映画は、ナチスは悪であり、それらと対峙する米軍は正義であり、
ヤンキーたちはあくまでも陽気で明るく、市民にも開放者として愛される、
といったイメージで描かれることが多かったと思います。
ですが、最近の戦争映画では、こうした、善と悪とを単純に区分するような傾向は、
いささか薄くなってきたように思います。
バンド・オブ・ブラザーズのような作品では、
ドイツ兵を「残虐な憎まれ役」という視点で描くことはなく、
兵士という存在は、どちらの側に与していようと、
ただ命を賭してひたすらに任務を遂行する者として捉えています。
そこには、たとえ敵味方に別れて銃火を交えていたとしても、
兵士同士の不思議な連帯感のようなものが存在するかのように、
描かれていたように思います。

が、このフューリーではさらに踏み込んで、米軍兵士であっても、
戦場では無慈悲で残虐だということをあからさまに描いています。
ノーマンの教育のために、コリアー軍曹は、
家族の写真を出して命乞いをする丸腰のドイツ兵捕虜を、
ノーマンの腕をつかんで無理矢理射殺させます。
周囲の米兵たちは、冷笑を浮かべるだけで、だれもコリアーを止めません。
また、ナチス親衛隊だという理由で、
降伏後のドイツ将校を、いとも簡単に射殺してしまいます。

もちろんその一方で、戦闘に消極的だという理由で、
同胞を縛り首にするナチスの蛮行も描かれています。

とどのつまり、戦争というものは、
いざはじめてしまえば、大義も正当性もないまったくの狂気で、
良き軍隊、悪しき軍隊、といった区別は、どこにもない、ということなのでしょう。
戦場では、人が本来持つモラル感や良識など、
チリのように吹き飛ばされてしまうのかもしれません。

物語の途中、コリアー軍曹ら率いる戦車部隊は、ドイツのとある村を占領、
解放するのですが、この場面でも、コリアーらは解放者としては描かれていません。

この街で、コリアーらは、ドイツ人女性たちと食事をするシーンがあるのですが、
このシーンは意味深く、秀逸です。
街に居座り住民を恐怖で支配したナチス親衛隊は駆逐されても、
新たにやってきた米軍もまた、住民にはさらなる恐怖でしかなく、
女性たちは、荒々しいヤンキーたちに乱暴されるのではと怯えます。

この食事のシーンでは、
戦場と日常、狂気と平常、緊張と安堵、とが交錯しています。
途中、ゴルドが語る戦場での場面も、このシーンだからこそ生々しく響き、
また、ノーマンとドイツ人女性とのあいだに芽生えたほのかな恋愛感情も、
人間らしさの片鱗として際立って見えました。
監督も、このシーンを重要な場面と考えたのか、時間的にも、
かなり長いものとなっています。

その後、コリアーたちはドイツ軍部隊を足止めすべく、
防衛上の拠点とすべき村の十字路を目指して進撃しますが、
道の途中で、ティーガーの待ち伏せにあってしまいます。
コリアーら米軍戦車部隊は、1輛のティーガーのために、
4輛のシャーマンのうち3輛を失い、
残ったのはコリアーのフューリー号だけになってしまいます。
激闘の末になんとかティーガーを仕留めますが、
十字路に辿り着いたところで地雷を踏んでしまい、フューリーは行動不能に。
そこにドイツ軍部隊300人が進撃してくるのですが、
コリアーは、フューリー号を縦に、
たった5人でドイツ軍部隊を押しとどめようとします。

ただ、この展開は、ちょっと腑に落ちません。
コリアーは仲間の命を守る、といっていたはずで、
また、それゆえに、仲間からの信望も厚かったのに、
ここにきて、なぜ、みなを巻き添えにして、無謀なことをするのか。
多くの激戦をくぐり抜けてきたのに、なぜこの場で、そこまでして死に急ぐのか。
コリアーの人間性の破綻みたいなものを感じてしまいました。

しかも、フューリーは動くことができず、友軍歩兵の随伴もまったくありません。
そんなところにドイツ軍部隊300人が襲いかかったら、ひとたまりもないはずです。
しかもドイツ軍は、携行対戦車火器であるパンツァーファーストを所持しています。
動けない戦車など、格好の的のはずです。

しかも、その十字路が、そこまで重要な拠点なのかも、いまひとつ、
画面からは伝わってきませんでした。

映画なので、演出や作為性は必要だと思うのですが、
この部分は、コリアーの人格設定にも関わる部分なので、もう少し、
説得性を持たせてほしかったです。

キャスト

私がいままで見たなかで、高評価をしている戦争映画は、
プラトーン、Uボート、スターリングラードなどですが、
今回のフューリーは、
戦車メインの映画ということで、個人的には押したいところですが、
これらの名作の領域にまでは、残念ながら届かなかったかな、というのが、
私の率直な感想です。

また、映画の評価とは関係のない戦車マニアとしての意見ですが、
ティーガーとの戦車戦の場面も、もっとあってよかったと思っています。
(思いのほか、ティーガーのシーンは短かったです)
ただ、稼働する実車のティーガーは貴重で、しかもその扱いも
慎重にしなければならなかったでしょうし、
ハードな撮影はできなかったのかもしれませんが、カメラングルなど、
もう少し、工夫できなかったのかな、などと思ってしまいました。

というわけで、辛口なこともいろいろと書きましたが、
劇場まで足を運んでも、損をしない映画だと思います。
興味がおありの方は、ぜひ、大スクリーンで見ていただきたいと思います。

余談ですが、私が住む飛騨高山では映画館がなくなってしまい、
所用で岐阜にいったさいに、時間を作って、シネコンで見てきました。



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How to Draw

この8月は、それまでの忙しさがウソのように、
よくも悪くも、時間に余裕のある状態になってしまいました。
というわけで、この機に乗じて、先日、当ブログでも紹介した、
透視図スケッチの指南本である『スコット・ロバートソンのHow to Draw』を、
読み進めてみました。
もちろん、ただ読むだけではなく、実際に手を動かしてレッスンもしてみました。

すばらしい内容を持つこの本も、ただ積んでおくだけでは、何の意味もありません。
このような、時間があるときに、少しでも練習を積み、
新たなスキルを身につけなければなりません。

仕事に追われていると、単に目の前の事象を片付けることだけに、
時間とエネルギーを使うばかりで、
いわば『放電』状態が繰り返されるだけになってしまいます。
ですので、いうまでもないことですが、ときには、なにかを学び取る、
充電の時間も必要ではないかと思っています。

● 本書の最初の紹介記事はコチラです

さて、では本題に入りたいと思います。
スコット・ロバートソンのHow to Drawの冒頭には、
まず、必要な画材を揃えるよう書いてあります。
ですが、なかには、楕円定規セットや等間隔デバイダーなどの、
非常に特殊で高価なものもあり、なかなか、おいそれと手が出せません。
もっとも、上記の道具が、本書を使ってのレッスンにおいて、
どうしても必要かというと、一概にそうともいえません。

ですので、記載された道具をすべて揃えなくとも、
本書のレッスンを始めることはできます。
私の場合、とりあえず、学生時代に買った楕円定規などで、
事を進めていくことにしました。

道具たち

こちらが、私が当面の作業のために用意した道具です。
コピックは今回新たに買い求めましたが、ほかにものは、すべて、
以前から我が家にあったものです。
最初のうちは、これだけあれば充分かと思います。

ちなみに、写真に映っている楕円定規が汚いのは、
その昔、エアブラシイラストを描いていたとき、
この楕円定規を、リキテックスを吹き付けるさいのマスキングに使っていたためです。
私にとって、楕円定規は、かつては、楕円をかくものではなく、
マスキング用素材として多用していました。

ちょっと話が脱線してしまいましたが、
道具の紹介のあとは、フリーハンドで直線や楕円を描くレッスンの章になります。
このレッスンは創造的なものではないため、ちょっと退屈なのですが、
一応、ひととおり、練習してみました。

その次の第2章は、透視図の基本となる、遠近法の詳細を記す章になります。
ここでは、一点透視、二点透視、三点透視、五点透視のメカニズムを、
さまざまな図を交えて、くわしく、わかりやすく解説してあります。

もっとも、この章を読むと、
スケッチのさいには、いつもキッチリと、はるか彼方にある消失点を割り出し、
そこから、長い長い補助線を引っ張らなくてはならないのか…、
とも思ってしまいます。

ですが、そのような方法が推奨されているわけではありません。
この章における、透視図のメカニズムの紹介記事は、
あくまで、基本となる『概念』を知るということで、
後の章に登場する実際のスケッチでは、
あらかじめ作成した正確な透視図グリッドを用意し、
それを下敷きにすることで、正しいパースによるスケッチを起こす、
という方法が紹介されています。

ただ、透視図による『モノが見えるメカニズム』が、
頭に入っているのと、頭に入っていないのでは、大きな違いがあり、
決して、おそろかにできない部分でもあります。

また、実際には三点透視になりそうな場合でも、
二点透視にて描かれている事例も多いです。

スケッチ3

たとえばこちらは、さらに後の8章に登場する、紙飛行機のスケッチです。
このアングルは、紙飛行機を見下ろしており、
ともすれば、三点透視になるのではないかと、
そんな状況にも見えます。
ですが、垂直線グリッドは、収束しない平行線として(二点透視として)、描かれています。

二点透視になるのであれば、対象物とカメラ(視点)とは、水平にならなければならず、
対象物を少し見下ろしているこの図では、実際には、
垂直線にもわずかながらパースがつく状態になるのが、本来の姿のように思います。

ただ、現状の二点透視であっても、
紙飛行機は、じゅうぶん自然に、そして正確に見えます。

つまり、こうしたスケッチの場合、
わざわざ複雑な三点透視にしなくても、
二点透視で、じゅうぶんパースの整ったものにみえるわけです。
飛行機のデザインプランを示すスケッチであれば、これで充分ですし、
それでいて、立体としての正確性はしっかり備わっています。

第2章で解説されている透視図のメカニズムは、
とても重要な知識ですが、それにガチガチにとらわれることもないように思います。
要は、見る側に、何の違和感もなく、すっきりと、
立体物のデザインを提示できればいいのですから…。

遠近法の解説の次の第3章では、
透視のついた状態での、正方形の分割、鏡面反転、などが解説されています。
これも、とても重要な描画法でありながらも、難しいところはなく、
私にとっては、目からウロコでした。
なるほど、この方法を使えば、架空の飛行機やクルマ、宇宙船などのメカニックを、
パースがついた状態で、正確なシンメトリー状態に描くことができます。

スケッチ2

こうして、レッスンを進めていくと、しかし次第に難易度は上がってきます。
私がとくに苦労したのは、補助線の数が多くなると、
正しい補助線がどれなのかわからなくなり、
別の補助線と勘違いしてしまうところです。

スケッチ1

また、スコット・ロバートソンは、ボールペンでのスケッチを推奨していますが、
私には、これがうまくいきません。
インク溜まりのおきやすいボールペンは、私の苦手な筆記具であり、
かといって、描きやすい水性ボールペンを使えば、線の濃淡がつけづらいです。
よって、私は、すべてシャープペンシルを使ってレッスンしています。
このあたりは、好きな筆記具や画材を使えばいいのではないかと思います。
ただ、スコット・ロバートソンのいうように、
一度描いた線は消さない、という掟は、守っています。

こうして、いま、8章まで終えたところですが、
まだ先は長く、今の段階では、新たなスキルが身についたとは、
とてもいえない状態です。
しかし学んだことは多く、こうした知識は、今後も、役に立つと考えています。

ここのところ、デジタル技法ばかりにとらわれている私ですが、
こうした、手描きのレッスンは新鮮でもあり、また、
機器やソフトにたよらない技術は、大げさな言い方をすれば、
一生の宝になるものかもしれません。

今後もまた、この本について、また、同様の書籍などの詳しい紹介を、
当ブログで行っていきたいと思います。

洋書の翻訳本は、安価なものではないため、
購入をためらう方もいらっしゃるかと思いますが、
そうした方のために、できるだけ詳細なレポートをお届けできればと思っています。




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