オール讀物10月号

さて、九月ももう終わりということで、
早いもので、今年もあと三ヶ月ほどとなってしましました。
なんだか今年もあっという間で、きっと、気がついたらもう年末、
などということになってしまうのではと、ちょっと心配したりしています。
とはいえ、一年を振り返るのは、さすがにまだ早い…。
2018年はまだ三ヶ月も残されているのだと思いながら、
なんとか、いまという時間を、最大限、有意義に過ごしたいと思っています。
(といいつつ、ムダに時間を浪費することも多いんですが)

さて、今回は、今年の六月二十日に応募締め切りとなった、
小説公募『オール讀物新人賞』について、少し書いてみたいと思います。

娯楽性の強い文芸雑誌『オール讀物』が主催する公募小説といえば、
昔は、このオール讀物新人賞のほかに、もうひとつ、
オール讀物推理小説新人賞という賞がありました。

このオール讀物推理小説新人賞には、私も、かつて、
(といっても、かなり昔のことで、三十代の半ばくらいだったかと思いますが)
何度か挑戦をしたことがあり、そのさいには、二次選考通過まで、
駒を進めることができたかと記憶しています。

もっともその後、仕事が忙しくなったりと、いろいろとあって、
すっかり、小説の執筆から縁遠くなってしまいましたが、
三年前の岐阜県文芸祭で大賞をいただいてから、またふたたび、
文章を書く楽しさに目覚め、仕事に追われながらも、少しづつ、
書き始めるようになりました。

というわけで、今年、このオール讀物新人賞をターゲットにして、
小説を書き、応募をしてみようと思い立ったわけなのですが、
オール讀物新人賞の応募総数は、昨今、2,000を超えるとのことで、
かつて存在したオール讀物推理小説新人賞が、
応募総数500~600くらいであったことを思うと、
オール讀物新人賞は、極めて、競争率の高い公募賞といっていいと思います。

しかし、エンターテインメント系の短編小説という部門において、
(規定は原稿用紙50枚から100枚となっています)
私の思いつく限り、このオール讀物新人賞がもっとも知名度があるように思います。
ですので、極めて狭き門とはいえ、やはり、この公募賞への応募に、
大いに魅力を感じ、一念発起したわけです。

今回の小説では、岐阜文芸祭に応募した作品の設定などを流用しました。
というのも、岐阜文芸祭の規定は原稿用紙60枚と比較的短めとなっており、
そのために、説明が過多となってしまい、思うようなかたちで書き進めることができず、
大いに心残りだったからです。
ですが、文章の流用はまったくなく、すべて一から書き直し、
終盤部分では話の筋に重複はあるものの、別の作品になっています。

取材ノート

また、今回は資料の調べ込みにも、多くの労力をつぎ込みました。
それらは要点をノートに記してまとめましたが、
こうして調べた事柄をすべて作品内に生かすことができたかといえば、
決してそうではなく、その多くは切り捨てざるを得ないことになりました。
調べたことを生かせないのは残念ですが、そのために、
退屈な説明の連続になってしまっては、元も子もないのではないかと思います。
(ちなみに私は、プロットの構築も資料のメモも、すべて手書きでやっています)

いずれにしろ、充分な下ごしらえをして書き始めたわけですが、
どうしても、原稿用紙100枚をわずかに超えてしまい、そこから、
削りつつ、また加筆、ということを繰り返していきました。

ところが、この過程で、致命的なミスをしてしまい、
ストーリーの辻褄が、一部、合わないところが出てきてしまいました。
なのに、そんな重要なことに気づかず、結局、
応募作品を郵送した後になって、あらためて自分の作品を俯瞰して、
愕然としたという次第です。

推敲をしていると、つい描写の的確さやセリフの言い回しばかりに気を取られて、
近視眼的な状態になってしまい『木を見て森を見ない』状態に陥ってしまう、
ということなのでしょうか……。
あるいは、一番最初のプロット構築の段階で、
充分な目配り、吟味が足りなかったせいかもしれません。

そんなわけで、こりゃダメだ、と、その後はすっかり意気消沈してしまし、
書く気力も少々萎えてしまったわけですが…。

オール讀物新人賞中間発表

とはいいつつも、選考の中間発表が掲載されるオール読み物10月号が
22日に発売されると、なんとも気になってしまい…。
そんなものを見に行っても、がっかりするだけ、と、なかなか、
本屋さんにも行けませんでした。

しかし、もやもやとした気持ちはもうどうしようないわけで、
先日、本屋さんの店頭へと、結局、行ってみることにしました。

通過者氏名

店頭で平積みになったオール讀物を手に取り、
掲載ページを恐る恐る開くと、応募総数は、なんと2,170だったそうです。
ネットでの作品応募も可能となったためか、応募数は去年を200以上もうわまわっています。
そのうちの予選通過者が112ということなので、予選を突破できるものは、
5パーセント程度ということになるでしょうか。
ますますこりゃダメだ感が強くなったわけですが……。

名前がありました

な……、なんと、私の名前と作品名が、載っているではないですか!!。
ええっっ、ほんとうですか??。
というわけで、何度も見直したのですが、名前も作品名も、たしかに私のものです。

途端に意気があがりましたが、私の名は次の選考まで進める太字では、
印字されていませんでした。
予選通過112のうちには入りましたが、そこで終わりです。

しかし、辻褄の合わないところがある欠陥小説ですから、
次に進めるわけはないのです。
そんな作品でありながら、予選通過できたことは、このうえない喜びです。
が、次に駒を進めることができなかったことは、やはりたいへん残念です。

ただ、15年以上も出版社の公募から遠ざかっていたので、
この結果は、むしろ歓迎すべきことかもしれませんし、また、
学んだことも多かったのではないかと思います。

いずれにしても、私にとってのゲームはこれで終わりです。
来月には、新人賞の受賞者が誌面にて発表されます。
その発表を、一読者として、楽しみにしたいと思います。

また、これに懲りず、次回も、応募すべきターゲットを絞って、
地道に書いていきたいと思います。



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司馬遼太郎『城塞』

ここのところ、外に出かけても近場ばかりで、
ドライブなどの遠出ネタのない当ブログですが、
今回もご多分に洩れず、またしても、インドアネタとなってしまいます。
いずれにしても、早いもので二月も終わりに近づき、もうすぐ三月になりますが、
春になって、路面に融雪剤を撒くことがなくなったら、また、
MINIでのお出かけネタなども、こちらに書いていきたいなと思っています。

というわけで、今回は本の話題について、少し触れたいと思います。
お題は、つい最近読み終えた、司馬遼太郎の『城塞』です。
この小説は、大坂冬の陣、夏の陣を扱ったもので、
戦いの詳細や、そこに至る経緯やいきさつ、人間関係の機微についても、
詳しく書かれています。
そのため、一昨年に放送された大河ドラマ『真田丸』の後半とも、
かなり重なるところがでてきます。
ですので、読みながら、大河ドラマのシーンなどを、
あらためて、思い起こしたりしていました。

じつはこの本、昨年の終わりぐらいから読み始めていたのですが、
同時に、図書館から借りた複数の本と並行して読んだり、
また、途中、時間が取れずやむなく中断したりと、
思いのほか、読了までに時間がかかってしまいました。
私にとって、読書というのは、けっこう『ノリでする』という感じなので、
このような読み方をすると、継続するのが難しくなってしまいます。
そのせいもあって、全3巻の長い小説とはいえ、すべてを読み終えるまでに、
思いのほか時間がかかってしまいました。

城塞 全3巻

さて、物語は、関ヶ原合戦後で勝利を収めた徳川家康が、
征夷大将軍になったあたり (慶長八年) から、はじまります。
ですので、同じ司馬作品である『関ヶ原』の、ちょうど続編的な意味合いも、
あるかと思います。

司馬遼太郎という作家は、自らが抱いている、登場人物に対する愛情や好感を、
素直に書き表してしまうように思います。
書き手側の愛情が読み手側にも伝わり、ゆえに、それらの人物への感情移入も、
またひとしおになる…。と、そんな感じがします。
坂の上の雲の秋山兄弟や正岡子規、関ヶ原の石田三成や島左近、もそうでした。
この『城塞』でも、小幡勘兵衛という人物が、
物語前半において、生き生きと活写されています。

その一方で、本作の主人公のひとりである徳川家康には、
全3巻すべてにわたって、まったく愛情が感じられません。
読者は、家康に対して、畏怖と嫌悪感を持つことはあっても、
好感や憧憬の念を抱くことは、ほぼないかと思います。
これもまた、司馬遼太郎本人の心象が、そのまま反映されているのかもしれません。
とはいえ、描写は極めて丹念で、家康の『政治的妖怪ぶり』が、
いやというほど味わえるようになっています。
まあ、ヒールが際立つほうが、物語は面白くなるのかもしれませんが…。

また、司馬氏は、大坂方を実質的に仕切っている、
もう一方の主人公『淀殿』にも、とりたてて思い入れはないようです。
ただ、家康については、徹底したディティールの書き込みがされているのに、
淀殿には、それさえもありません。
家康に追い詰められる淀の心理描写をもっと行えば、
物語に厚みが出るのでは、などと思うのですが、
それがなされていないのは、おそらく、司馬氏自身が、
淀殿にさほどの興味を感じていないかもしれない、と、私の勝手な判断ですが、
思ったりもしてしまいました。

…などと、いろいろ書きましたが、本作も、やっぱり『おもしろい』です。

文面

天下人であった豊臣秀吉が死ぬと、ほぼ時を同じくして、
豊臣政権のなかで、武断派と文治派の内部分裂が生じます。
秀吉に臣従して豊臣政権の大老職についていた徳川家康は、
この分裂に巧みにつけ込み、豊臣家から政権を奪う画策をしていきます。

やがて家康は、関ヶ原で、自らに敵対した勢力を一掃してしまうと、
その後、朝廷から征夷大将軍の座を拝領して、天下を手中に収めることに成功します。
ですが、豊臣家も、そのまま大坂城に存続し、幼かった秀吉の遺児「豊臣秀頼」が、
日々、たくましく成長していきます。
徳川家康は、立場的には、豊臣家の家臣であり、
順当に行けば、成人した秀頼こそが、次の天下人になるはずです。

ゆえに、徳川家康にとって、大坂に残る秀頼と、その母親である淀殿は、
徳川幕府の将来を脅かす危険因子であり、自らの存命中に、なんとしてでも、
滅亡に追い込みたい存在でした。
そのため、家康は、あらゆる策謀をめぐらし、大坂方を追い詰めていきます。

この家康の策謀が、じつに狡猾で、強引で、いやらしい…。
こうした家康の挑発を受けながら、大阪の淀殿は、感情的な対応に終始していきます。
感情の振幅が大きければ大きいほど、その対応は一時しのぎの場当たり的なものになり、
しかも、そもそもにおいて、その感情こそが、
家康に操られたものだということにも気づきません。

問題や課題の解決は、論理的な判断によってのみ可能で、
そこに感情を挟ませることは、事態をより危険な方向に向かわせてしまう…。
これが、本作における、最大の教訓ではないかと思います。

物語のなかで、徳川方の間者として大阪城内に送られた小幡勘兵衛が、
こともあろうに、敵であるはずの豊臣方にシンパシーを覚え、
そこに自分の野望を乗せていくあたりは、読み手も大いに共感できるところです。
しかし、淀殿を頂きとする豊臣政権に、やがて勘兵衛は失望していきますが、
それは読者にとっても、失望感をもって受け止められるでしょう。

城塞 裏表紙

また、徳川方の『虎の威を借る狐』のような謀臣、
本多正純、金地院崇伝、の傲慢な態度や、それらの輩に、
いたしかたなく組み伏せられていく豊臣方の家臣『片桐且元』の様子は、
さまざまな意味で、胸を痛くさせます。
ですが、この且元という人物の『弱さ』や『保身上の計算』は、
身にしみてよく理解できるものでもあったりもします。

こうして、すべては、徳川方の思い描いた通りに進み、
大阪の淀殿は、戦 (いくさ) へと引きずり込まれていきます。
関ヶ原の時と違い、豊臣方に味方する大名は、ただの一人もおらず、
集まったのは、関ヶ原で西軍に与した者や、仕官先を失った牢人ばかりでした。

が、しがらみの薄い存在である彼らは、断末魔の豊臣の最後の輝きであるかのように、
強烈な存在感を発し、数のうえでは圧倒的な攻城軍を苦しめていきます。
ところが、またしても、淀殿は家康の謀略にはまり、結果として、
東洋随一の防御力を誇る大坂城の堀は埋められ、裸同然にされてしまいます。

真田信繁(真田幸村)像

もはや、城に籠る豊臣方に、万に一つの勝ち目もなくなるのですが、
それでもなお、真田幸村、後藤又兵衛、毛利勝永、木村重成らの士気は、
まったく衰えず、迫る攻城軍をわずかな手勢で迎え撃ち、深傷を追わせます。
さらに、真田幸村は、家康の本陣にまで迫り、徳川方を潰走させてしまいます。
このあたりは痛快で、妖怪『家康』が慌てふためいて逃げ、
一時は自刃を決意するなど、これこそまさに、溜飲が下がる展開です。

しかし、どうあがいても、大軍には勝てるはずはなく、
『日ノ本一の兵』という美名と引き換えに、幸村も果て、
ついには、大坂城も炎に包まれることとなります。

秀頼自刃の地

息子である秀頼を守ることをなによりも優先したはずの淀殿は、
結局、その秀頼とともに、自ら命を絶つこととなってしまいます。
秀頼を守りたかったはずの淀の思いは、その感情が激しすぎるがために、
とどのつまり、最悪の結末となってしまいました。
こうして、徳川の権力基盤はここに固まり、戦国の世は終焉するのです。

それにしても、権力とは恐ろしいものです。
誰もが、権力者を恐れ、その意思や考えを忖度し、過度におもねっていきます。
それは美しい姿とはいえませんが、理解できるところでもあります。
その一方で、筋を通して豊臣に与し、
数百年の風雪に耐えるだけの武勇を残して死んでいった兵たちには、
潔さ、すがすがしさを感じるとともに、畏敬の念も持ってしまいます。

ただ、こうした感情が、ずっと後の昭和の時代に、
玉砕といった、討ち死に的な戦死を美徳する風潮や、
生きて虜囚の辱めを受けず、といった、
生に執着することを恥とする不条理な教育に繋がっていく、
その遠因になったのかもしれない、などとも、思ってしまいました。
もしそうであったのなら、極めて残念な限りです。
武勇を誇って散るのはたしかに格好がいいのですが、
恥を忍んででも『したたかに生きる者』にも、温かな眼差しを向けたい、と、
本作『城塞』を読んで、最後に、そのようなことを思ってしまいました。



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スカルプターのための美術解剖学

気がつけば、2月も今日で終わりとなってしまいましたが、
今月は、土日が何度もお仕事で塞がってしまい、そのために、
お出かけやレジャーについての話題は、まったくありませんでした。
今月、出掛けたといえば、お世話になっている方々が開催したグループ展に、
足を運んだことくらいでしょうか…。
26日の日曜は久しぶりに少しお休みできたのですが、
遠出することも出来ず、ヨメのプジョーで、
ちょっと近場をドライブするくらいで、一日が終わってしまいました。
オイル交換をしたMINIにも、あれからほとんど乗ることもなく、
なんともつまらないばかりです。
本格的な春が来たら、どこかに出掛けたいものです。

と、そんな話題に乏しい2月ですが、今回は、先日購入した、
『スカルプターのための美術解剖学』という書籍について、
少し、ご紹介したいと思います。

この本、もともとはAmazonで見つけたのですが、
さまざまなポーズがついた状態における筋肉の図版というものを、
私は以前から捜しており、本書の書籍紹介を見る限りでは、
その目的にかなり近いもののように見受けられました。
また、レビューを見ても、かなりの高評価ということで、
ますます、興味をそそられてしまいました。

が、5,000円を超えるという、かなり高価な本でもあり、
できれば、どこかの本屋さんで、実際に手に取って、
中身をよく確かめたうえで、購入したいとも思っていました。
とはいえ、このような専門書は、我が家の近くの本屋にはなく、
大型書店に出掛ける時間もなく、結局、中身を見ないまま、
Amazonに注文することとなりました。

○ amazon / スカルプターのための美術解剖学 ~

現物を確認しないままの注文は、けっこう冒険で、
買ってよかったと思うときもあれば、これだったら買わなかった、と、
思うことも、またよくあります。

というわけで、先日、現物が届きましたが、ちょっとドキドキしつつ、
中身をあらためてみました。

中身1

各ページは、フルカラーで、ほとんど文章のたぐいはなく、
筋の役割に関する説明なども、大幅に省略されています。
もう少し、詳しい説明や、各筋の名称などが入っていてもいいのかな、
とも思いますが、そのかわりに、どのページも、
図版や写真が満載となっています。

とくに、ポーズやアングルを少しずつ変えつつ、
1)人物の写真。
2)その写真に筋を入れ込んだ画像。
3)写真に筋の隆起を立体構造として書き込んだ画像。
が、連続して掲載してある一連のページは、とても役に立ちます。

筋肉のメディカルイラストを何度も描いている私ですが、
そうしたイラストは、ほぼ直立状態ばかりで、
動きのあるポーズとなると、
お恥ずかしい話なのですが、とたんに筋肉の状態がわからなくなります。
ですので、こうしたポーズのある筋肉図については、いままで、
恥ずかしくなるようなものも、多数描いてきたかと思います。

ですが、動きのある状態で筋肉の状態を描画した資料は、
私の知る限り、とても少なく、
フレデリック・ドラディエの筋肉トレーニング本くらいしかないではと、
思っています。
が、ドラディエのイラストは、超人ハルクばりの、
ものすごいマッチョに描かれていて、参考にしづらいのも事実です。

この書籍は、そうした極端なマッチョではなく、しかも、
細かな動きにも対応しており、資料として、なにかと重宝しそうです。

中身2

とくに、いままでよくわからなかった、脇のしたの筋の状態など、
このページに、詳しく描いてあります。
ああ、こんなふうになっているのかと、いまさらながら、
思い知る気がします。

中身3

僧帽筋を真上から見た状態など、いろいろと参考になります。

この本の題名は、スカルプターのための美術解剖学となっており、
そもそもは彫刻家や3Dモデリングするための資料なのかもしれませんが、
メディカルイラストの資料としても、十二分に役に立ちそうです。

こうした特殊な書籍の情報も、これからは、
紹介していきたいなと思っています。
あっ、もちろん、もう少し時間がとれるようになったら、
お出かけやドライブの話題なども、また、アップしたいと思っています。



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司馬遼太郎「関ヶ原」

前回、当ブログで『関ヶ原合戦祭り2016』の模様や、
関ヶ原古戦場に残る陣跡めぐりのようすなどを、ご紹介をさせていただきましたが、
今回は、この関ヶ原の戦いを題材にした、司馬遼太郎氏の小説『関ヶ原』について、
レビューめいたものを、少し書いてみたいと思います。

本書は全三巻となっており、一定のボリュームを持っています。
巻末には、1974年初版と記されていますが、
この作品が週刊誌の連載小説として発表されたのは、
いまから五十年以上も前の1964年だったといいます。
いずれにしろ、かなり昔に出版されたものなのですが、
いまもなお、書店の文庫コーナーには、他の司馬作品と同様、多数平積みにされており、
(V6の岡田准一さん主演による映画化の話もあるためだと思われますが…)
しかも、その刷数は、私の手に入れた文庫で、すでに百十一刷となっていて、
いかにこの小説が、長きに渡って読み継がれているか、
いまさらながら知る思いがします。

物語は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、
いよいよ死を迎えようとするところから始まります。
秀吉には、側室である淀とのあいだにできた『秀頼』という嫡男がおり、
順当に考えれば、次の天下人は、この秀頼になるはずでした。
ですが、当の秀頼は、まだほんの子供で、政権を担うことなど、
できるはずなどありません。
仕方なく秀吉は、豊臣政権を支えてきた、
五人の有力大名に『大老』という役職を与え、自らが死んだあとは、
この五人の大老と、秀吉政権の実務を取り仕切ってきた五人の奉行衆とが、
合議によって政務を執り行う『五大老五奉行制』というシステムを作り、
永眠します。
このシステムは、秀頼が成人するまでの、いわば繫ぎ政権のようなものでした。

大老の筆頭は、関東二五五万石の大大名である、徳川家康でした。
家康は、幼い秀頼を守り立てつつ、他の大老や奉行衆と協力し、
豊臣政権の安寧を担うべき立場にありました。
が、家康は、秀吉が死ぬとほどなく、豊臣政権の簒奪をもくろみ、
さまざまな策謀を巡らします。

まず、手を付けたのが、秀吉が禁じた、大名同士の婚姻でした。
家康は東北の伊達など、有力大名との婚儀を次々に執り行い、
それによって縁戚をふやし、ひいては、政治的な発言力を増していきます。
さらに家康は、豊臣の所領を勝手に他の大名に与えたりもするようになりました。

関ヶ原 文面

これに正面から異を唱えたのが、五奉行の筆頭格である、石田三成です。
豊臣政権を支えてきた官僚として、際立って優秀だった三成は、
家康の横暴と専横に対し、正論をもって挑みました。
が、ときに横柄な態度をとることで知られていた三成は、
人望や人気がなく、しかも大名としての禄高もさほどではなく、
なにもかもが、家康とは格が違いすぎました。

さらにこの時期、三成は、同じ豊臣政権下で伸し上がってきた、
加藤清正、福島正則といった、同年代の武闘派大名らとも激しく対立していました。
家康は、この対立に巧みにつけ込み、仲裁者を装って、
石田三成を奉行の座から追い落としてしまいます。

三成失脚後の家康は、ますます増長し、
ついには、我が物顔で秀頼の居城である大阪城に入り、
しかも、諸大名の多くも、家康の力の前に、媚を売り、へつらうようになります。

このままでは幼君を抱く豊臣は滅ぼされ、徳川の天下になってしまう…。
危機感を抱いた石田三成は、会津百二十万石の大老『上杉景勝』と、
その忠臣で友人でもある『直江兼続』らと謀議をめぐらせます。
その計画は、まず上杉に、徳川をけしかけてもらい、家康とその軍勢を、
遠く会津にまでおびき出させます。
そして、家康らが去った大阪で、三成は、
家康の行ってきた数々の罪を書状にしてばらまき、世に知らしめます。
同時に、大老のひとりである毛利輝元を総大将として担いで挙兵する、というものです。

関ヶ原 背部分

上杉を討伐するために会津へと向かっていた徳川家康と、徳川に与する諸大名は、
上方での三成挙兵の知らせを聞き、急遽、会津行きをとりやめ、
三成征伐のため、大阪へと引き返すこととなります。

徳川家康は、三成の策に嵌まったかのように見えますが、
じつはこの『三成挙兵』という事態こそ、家康の思うつぼでした。
家康は、石田三成に兵をあげさせるようしむけ、そのあと、
決戦をもって、三成とその一派をすべて葬り去るつもりだったのです。

三成は、同心した諸将と、上方に向かって戻ってくる徳川の軍勢を迎え撃とうと、
美濃の大垣城に入りますが、家康の再三にわたる謀略によって、
城を出ざるを得なくなり、大垣の西にある関ヶ原に陣を張り、
野戦というかたちで、決戦に臨もうとします。

そして、慶長五年九月十五日(西暦1600年10月21日)、
徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍とが、関ヶ原で激突することとなるのです。

関ヶ原全三巻

本書は、全三巻というボリュームながら、関ヶ原の合戦そのものについては、
全体の1/6ほど (三巻の後半の半分) が当てられているだけで、そのほかの部分は、
秀吉の死の間際から合戦に至るまでの人間模様に、焦点があてられています。

司馬遼太郎氏は、本書の冒頭で、関ヶ原の戦いに至るいきさつを、
人間喜劇 (あるいは悲劇) と、突き放した、醒めた表現で書いています。

劇中、正論を押し立てているのは、三成のほうです。
日ノ本のすべての大名は、家康も含め、
天下統一を成し遂げた秀吉に臣従したわけであり、
秀吉も死後も、その遺命にしたがうと、書面をもって誓いをたてていました。
家康の勝手な振る舞いは、亡き秀吉の意に反しており、
決して、許されるものではありません。
とはいっても、大老最大の勢力を誇る家康を、敵にしたくないと思うものは、
少なからずいました。
加えて、家康の側にお味方すれば、自らの保身、また自らの家の存続、
さらには、より多くの恩賞の獲得ができる、と、
損得勘定で考えるものも、あとをたちません。
その一方で、愚直に義を貫くものがあり、
また、どちらが勝つのか旗色を伺うものがあり、と、
さまざまな人が入り乱れ、熾烈なドタバタ劇を繰り広げます。

このあたりの過程は、ほんとうにおもしろいです。
ストーリーのベースは史実であり、司馬遼太郎氏の創作ではないのですが、
はたして、この同じ物語をほかの作家が書いたとしたら、
このように、おもしろくなるだろうかと思ってしまいました。
司馬遼太郎氏は、希代のストーリーテラーかもしれません。

また、石田三成だけでなく、
その家臣である『島左近』をじつに魅力的に、生き生きと描ききっています。
三成よりもずっと年上で武勇も名高い左近が、主君である三成に、
ときに批判的な心情を持ちつつも、それでもなお、
三成の才を評価し、忠節を尽くすさまは、まさに感動的です。
その一方で、徳川方の謀臣である本多正信の描写も秀逸で、
こうした、両陣営のキャラクター作りが、とてもうまくなされていて、
このあたりにも、司馬氏のストーリーテラーぶりが発揮されているかと思います。
しかも、寄り道的な余談も、過不足なく織り込んであり、
そんなサブストーリーも、本筋を飽きさせない要素のひとつになっているかと思います。

本書は、発表年が昭和四十年代とふるいためか、現在においては、
否定されてしまっている史実も多数含んでいますが、読み物として、
その価値は、減ぜられるものではないと思います。
ただ、深い心理描写や、人間の葛藤や矛盾に深く分け入る、といった部分は総じて薄く、
エンターテインメント性に重きを置いたものになっているのかな、
という感もあります。

○ 新潮文庫 司馬遼太郎 著『関ヶ原』はコチラ amazon ~

ここ最近、歴女に代表されるように、歴史に興味を示す人が増えているといいますが、
その原因は、ゲームのヒットなどもあるかと思いますが、
やはり、司馬遼太郎氏の一連の作品によるところは大きいのかな、とも、
思います。

天下分け目の関ヶ原

ちなみに、関ヶ原の戦いでは、家康率いる東軍が勝ちましたが、
もし、西軍が買っていたら、どうなっていたのだろうと思わずにはいられません。
実際、小早川秀秋は、優勢な西軍の戦いぶりを見て、一時は、西軍につくことも、
考えたといいます。

もし、秀秋が、東軍に寝返るのをやめて西軍についたなら、
大谷吉継隊は、秀秋の軍勢に対して防戦する必要もなくなり、
また、脇坂、朽木、小川、赤座らも、寝返るタイミングを逸し、
そのまま、西軍陣営として戦ったかもしれません。
そうなれば、家康の首もとれたのかもしれません。

でも、西軍が勝ったとしたら、その後の日本は、乱れたのかもしれません。
筆頭大老は、おそらく、西軍総大将を勤めた毛利輝元になったでしょうが、
この人には、家康のような老獪な知恵はなかったでしょう。
仮に三成が実権を握ったとしても、それはそれで、政権内に軋轢を生んだかと思います。
仮に豊臣政権が続いたとしても、その権力基盤は、
意外と危うかったのではないでしょうか。

とにかく、これからもまた、司馬遼太郎氏の作品を読んでみたいと思います。




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文芸祭表彰式の模様

私の住む岐阜県には、小説、随筆、詞、短歌、狂俳、俳句、川柳など、
文芸作品を県の内外から広く募集する『岐阜県文芸祭』という公募があります。
すでに24回を数えるというこの公募は、
北海道や大分といった遠方からも作品が寄せられているそうで
また、応募者の年代も、小学生から九十を過ぎたご高齢の方まで、
幅広くいらっしゃるといいます。

今回、私も、この岐阜県文芸祭の小説部門に、
はじめて、作品を応募してみたのですが、
その作品が『文芸大賞』をいただくこととなりました。
文芸大賞という賞は、本公募においての最高賞となっており、
新参者ながら、いきなりこのような栄誉を受けることができ、
たいへんうれしく思っております。

作品の募集は、昨年の9月末にあり、
結果の発表は同年の年末にすでにありましたが、
表彰式は、今年の2月27日に、岐阜県のふれあい福寿会館という、
岐阜県の公共施設で行なわれました。

この公募に作品を送るきっかけは、
なんといっても、飛騨高山からここ岐阜市への事務所移転だったのですが、
本公募の募集要項は、毎年、道の駅などに多数置いてあり、
かねてから、その存在自体は知っていました。
ですが、実際の応募にはなかなか繋がらず、
今回、ようやくにして、作品を送ってみたという次第です。

ふれあい福寿会館というのは、
岐阜市の南を東西に走る国道21号線のほど近くにあり、
市内では有数の高層建築に入ると思います。

ふれあい福寿会館

こちらがそのふれあい福寿会館です。
表彰式は午後一時からということでしたが、時間には余裕をみて出掛けました。
会場に向かう人たちなのでしょうか、
建物手前の大階段を上がっていく人を、少なからず見かけましたが、
案の定、受付は多くの人で賑わっていました。

会場にはすでに人がいっぱい

こちらが、会場の3F大会議室です。
すでに席は多くが埋まっていて、なんとも華やいだ雰囲気です。
ほどなくして式がはじまり、県職員の方や来賓の方の挨拶などのあと、
賞状の授与式となりました。

トップバッターとして

受賞のトップバッターは私ということで、いささか緊張しつつも、
つつがなく賞状をお受けすることができました。

受賞後にパチリ

こうして、ひととおり式が終わると、
次は、各部門に別れて、審査を勤められた方々と実際にお会いして、
作品について論じる『講評会』が行なわれます。
この講評会にはそれぞれ個室が用意されており、受賞者の方々、
また、関係者の方々は、それぞれの部屋へと入ってきました。

私は、先にも申し上げたように「小説」部門に応募をしているため、
ひとつうえの階に用意された、専用の小会議室へと行ってみました。
じつは、この講評会に出席することが、
私にとっては、なによりの楽しみでもありました。

小説部門は、原稿用紙60枚が規定となっており、
ある程度、長文の作品が寄せられる部門です。
私にとって、原稿用紙60枚は「あまりに少なすぎる規定」ですが、
ほかの方にとっては、長過ぎるものらしく、小説部門の応募者は、
他部門と違って、人数がぐっと少なくなります。
(他部門の講評会では、入場者が席に座れないほどだったといいます)
応募総数は3,000を越えるそうですが、小説の総数は30ということで、
小説部門の会場には、審査員の方々や、私、そして私のヨメを含め、
全部で8名でした。

ここでおよそ一時間半、審査についてのお話や、
講評などをお伺いし、また、意見交換などもさせていただきました。
ここ岐阜に来て以降、私は、自分の書いた文章について、
感想や意見を聞く機会はまったくなく、私にとっては、
たいへん貴重で有意義な時間でした。

作品集

ちなみに、大賞をとることができた私の作品ですが、
戦後の満州からの引き上げと、振り込め詐欺に題材を求めた、
短編小説となります。
ジャンルとしては、推理 / エンターテインメントの部類に入ると思いますが、
社会的な問題を取り上げており、また、メッセージ性も盛り込んだつもりです。

今回の執筆にあたっては、昨年、訪れた、
長野県阿智村の『満蒙開拓平和記念館』で聞いた、
満州棄民となった方の証言や、また、図らずも知ることとなった、
私の祖母の満州での体験などが、大きなヒントとなりました。

また、今回の資料調べで、ヨメのご親戚の方が、
満蒙開拓青少年義勇軍に入隊しており、
終戦から引き上げまでの経緯を手記に残していることも知り、
いうまでもなく、この手記も資料とさせていただきました。

賞状

物語を文章という『カタチ』にする作業は、
私にとって、じつに十数年ぶりで、
長きに渡って、研鑽を積まなかったがために、文章力、表現力は落ち、
また、着想やストーリーを得るアンテナはすっかり錆び付き、
当初は、小説などとても書けない、などとも思っていました。

しかも、原稿用紙60枚という規定にはおおいに苦しみ、
構成やエピソードの取捨選択に難儀しました。
(可能であれば、せめて100枚は書きたかったところです)

いずれにしても、このような経緯を経て、
なんとかひとつの文章に仕上げましたが、
今回、それが評価をされたことは、私にとって、自信にもなりましたし、
また、書くという行為に対する、
さらなる意欲を持つことができたようにも思います。

作品集は一部600円で販売もされているそうなので、
もし、興味がおありの方がいらっしゃいましたら、
岐阜県教育文化財団に、お問い合わせをいただければと思います。
(下記のリンクに連絡先が記してあります)

○ 第24回岐阜県文芸祭 作品集などについての問い合わせはコチラ

講評会のさいには、できれば、他の入賞者の方々とも、
意見交換や、創作についての苦労話などをお伺いしたかったのですが、
それが思うようにできず、ちょっと残念でした。

最後になりましたが、今回、ご審査をいただきました、
Hさま、Kさま、また、主宰者のみなさま、ありがとうございました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。



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