美濃加茂散歩

先週の日曜は、絶好の好天に恵まれました。
こんな気持ちのいい日を思う存分満喫したい、ということで、
美濃加茂市にある『日特スパークテック WKSパーク』という河川公園に出かけみました。
(この公園は、かに木曽川左岸公園とも呼ばれているそうです)
オープンしたのは、昨年2022年の4月だと言いますから、
整備されたばかりの公園といっていいかなと思います。
公園の駐車場にある看板には、NGKのロゴが入っていましたので、
日本特殊陶業が、管理、運営している公園だろうと思われます。

あたりには、遊具広場や遊歩道、サッカー場、グラウンドなどがあり、
休日ということもあって、多くの家族づれやカップル、
サッカー少年などで賑わっていました。
もちろん、無料で入園できます。
遊具もトイレも、まさにピカピカの新品といった状態でした。
それにしても、美濃加茂市には、マザックの機械博物館見学を始め、
過去に何度もきたことがあるのですが、こんな公園があるとは、まったく知りませんでした。

今回、この公園を知るきっかけになったのは、
岐阜トヨタが出版している『VieVie』という小冊子です。

このVieVieという小冊子、トヨタのPR誌という側面が強いのですが、
地元の隠れたドライブコースや、名所旧跡、が掲載されていて、
休日に車で出かける場合は、とても役に立ちます。
月刊で出版されているらしく、すでに80号を超えていると言います。
なにしろ、ドライブ用の冊子でもありますから、地図もついていますし、
オールカラーですからとても見やすいです。

そんなわけでさっそく現地へ。
我が家から、ここ美濃加茂の日特スパークテックWKSパークまでは、
車で1時間と少しでした。

現地到着

とにかくもう、これ以上はないというほどの好天。
空なんて、もう真っ青。
この写真を見る限り、さぞかしお散歩日和だろうと思われるでしょうが、
じつは、とても風が強くて……。
日差しはあっても、もう、とっても寒いです。
しかも、川沿いですから、遮蔽物もなく、風がビュンビュン吹きすさんでいました。

ですが、気を取り直して、ヨメとふたり、ロング散歩に出発します。

幕府軍布陣地

風の強さに閉口しつつも、天気がいいから眺めは最高です。
木曽川の水の色も青々としていて、日差しを受けてキラキラと輝いていました。
あたりには、この風と寒さにもめげず、子供達が遊具で遊んでいました。
さすが子供は風の子ですね……。

承久の乱における戦さ場

そして、承久の乱のさいに起きた『大井戸の戦い』にまつわる案内看板がありました。
看板のあるこちら側が、幕府側 (鎌倉方) の東山道軍が陣を敷いた場所になるようです。
幕府側は、武田信光と小笠原長清と記されています。
また、ここから南西側の前渡という場所では、東海道を西進した北条泰時、三浦義村が、
朝廷軍と対峙したと言います。
(ということは、坂口健太郎と山本耕史ですね)

鎌倉殿の13人では、この大井戸の戦いは大きく取り上げられませんでしたが、
承久の乱のさいに、この地で、幕府方、朝廷方、双方の群勢が激突したと思うと、
なんとも、感慨深い気がします。

川面を見る

地図から察するに、このあたりが、
武田信光と小笠原長清が布陣した場所になるのではないかと思うのですが……。
ただいま重機が入って工事中でしたので、
今後は、公園の一部として、美しく整備されるのかもしれません。

朝廷軍布陣地

で、中濃大橋を渡って対岸側に着くと、朝廷側が布陣したと思われる場所に着きます。
木曽川を防衛ラインとして布陣したという感じなんでしょうね。

ただ、承久の乱についての解説した看板などはなく、観光案内マップを手にしていないと、
そのまま通り過ぎてしまいそうです。

長い遊歩道

そして対岸の堤防の上に設けられた遊歩道を歩きます。
道幅が広く、とても歩きやすいです。
写真ではほとんど人がいないように見えてしまいますが、
実際には、散歩する人、ランニングする人などが、ちらほらといました。
風がもう少し弱かったら、もっと賑わっていたんじゃないかと思います。

謎の人だかり

しばらく歩くと、人だかりのある建物が、堤防のすぐ脇に見えてきました。
なんでしょうか……。
というわけで、そちらに足を向けてみます。

ヤドリギ

なにやら看板が……。
正面に見える一風変わった木に、鳥が止まっているようです。
みなさんは、その鳥を撮るために、ここに集まっているようでした。
みなさん、迷彩塗装が施された、巨大でいかつい望遠レンズを持っています。

皆と一緒にカメラを向けて

で、私もくだんの木にカメラを向けてみましたが、
鳥の姿は……。どうもうまく撮れませんでした。
まあ、望遠レンズ、ないですしね。

この場所は、太田宿中山道会館というそうで、
郷土資料館と、お土産などを販売する売店が併設されています。
というわけで、さっそく資料館に入ってみることにしました。
建物はとても新しいです。
こちらも、日特スパークテック WKSパークと同様、最近整備されたもののようですね。

資料館

こちらが資料館の内部です。昔の街並みが再現されています。
しかも、無料で見学が可能です。
資料館入口には、幕末、天狗党を率いて京に上ろうとした
水戸の武田耕雲斎ゆかりの品があると書かれていましたが、どこにあるのか、
よくわかりませんでした。

ここでの展示は、皇女和宮の行幸についての資料が多かったですね。
和宮ご一行の行列の長いこと長いこと……、
本人は泣く泣く江戸に行ったわけですが、お付きの者は大騒ぎだったのかも……。

さらに遊歩道を行く

そしてさらに遊歩道を進みます。
このコース、かなり長いです。全踏破に1時間40分とありました。
これで普段の運動不足を一気に解消できそうな気がします。

この鉄橋を渡って向こう岸へ

そしてふたたび橋を渡り、日特スパークテックWKSパークに戻ります。
途中、弘法堂に立ち寄りお参り、そして今度はかぐや姫の散歩道をいう小径を通ります。

竹林

竹林の中を貫く道です。なかなか風情がありますね。

夫婦の木

夫婦木という樹木がありましたので、カメラを向けてしまいました。

こうして、出発点の日特スパークテックWKSパークまで戻ってきました。
かなりのロングコースだとは思っていましたが、やっぱりちょっと疲れましたね。
なにより、冷たい風が吹き付けていましたから、けっこう厳しい行軍になりました。

ドライブも楽しいものですが、知らない場所を散歩するのも、
とても楽しかったです。
次回も、どこかに歩きに行って見たいものです。


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緑とMINI

今年は思いのほか梅雨入りが早かったですね。
梅雨入り宣言が早い年は、意外と、その後の天候がよかったりするものですが、
今回は、曇天や雨天が続き、晴れ間が少ない日々が続いています。
ですが、先週の日曜は、久しぶりに、青空が垣間見える日となりました。
そんなわけで、久しぶりに、MINIで出かけて見ることにしました。
もっとも、ただいま、全国各地に緊急事態宣言が発出されており、
私の住むここ岐阜県も、蔓延防止措置が出されているようで、
県境越えは、控えなければならない状況です。
ですので、今回は、近場の関ヶ原まで、行ってみることにしました。
ドライブというには、あまりにも近距離ですが、それでも、好天のなかを、
MINIで走るのは、やっぱり、とても気持ちのいいものです。

というわけで、あっという間に関ヶ原に着いてしまいました。
でも、これでは、あまりに物足りないので、今回は、松尾山に登ってみることにしました。

松尾山駐車場

こちらが、松尾山の登山口にある駐車場です。
広くはありませんが、車が6~7台くらいは止められるでしょうか。
私たちが行った時にも、すでに2台くらいの車が止められていました。
というわけで、さっそく、山登りを開始しました。

松尾山は、関ヶ原合戦当時、小早川秀秋が陣を置いた場所として、つとに有名です。
西軍としてこの山に陣取ったわけですが、かねてから徳川側と内通しており、
合戦の当日、東軍に寝返ります。

小早川秀秋旗指物

松尾山のいた小早川秀秋の軍勢およそ一万五千は、一気に下山し、
味方であるはずの大谷吉継の陣に襲い掛かります。
ところが、大谷吉継は小早川の裏切りをかねてから警戒しており、
果敢に応戦、何度も小早川勢を押し返したと言います。
ところが、小早川の裏切りに呼応して、脇坂安治や、朽木、赤座といった面々も、
いっせいに西軍を離反し、東軍についたことで、さしもの大谷も持ちこたえられず、
西軍の戦線は崩壊。
合戦は徳川方の勝利で幕を閉じました。

ですので、松尾山は、関ヶ原合戦の中で、とくに重要なスポットといえるかもしれません。

松尾山登山道

私は、この山に、過去3~4回は登っていますが、
今回はじめて、ヨメといっしょに登ることになりました。
松尾山は、登山というほどたいしたものではありませんが、それなりにキツいものです。
きっと、ヨメは途中で根を上げるだろうと思っていたのですが、
なんと、登り切ることに成功しました。

松尾山頂上

こちらは、松尾山の頂上です。
過去の松尾山登山は、すべて秋だったので、春に登るのははじめて。
道中にはいもりがいたり、蛇がいたりと、いろいろな動物に出くわしました。
これも、春ならではかも。

見晴らしがいい松尾山

秋に登った時には、ここから大谷吉継の陣がかろうじて見えたような気がしたんですが、
今回は、生い茂る緑のせいか、まったく発見できませんでした。
それにしても、小早川秀秋の軍勢一万五千は、この山で、
いったいどうやって暮らしていたのでしょうか。
荷駄係や飯炊きも含めたら、きっと一万五千では収まらないと思うんですが……。

オタマジャクシの群れ

そしてまた、春らしい光景を発見。
山頂にある小さな池(というか、水たまり)に、卵からおたまじゃくしが孵化していました。
その数がすごい。もう、うじゃうじゃいます。
しかも、よくよく見ると、泡の塊のようなカエルの卵がそこらじゅうにありました。
このあと、きっとあちこちで孵化が始まるのかも。
トノサマガエルの姿も、そこかしこで見受けられました。

というわけで、あとは下山。道中、親子、老夫婦、カップルなどとすれ違いました。
けっこう、人が来ているんですね。

そのあと、ふたたびMINIに乗り、今度は、
関ヶ原合戦の開戦地へと向かってみることにしました。
まず、いったん関ヶ原の街中まで戻り、そのあと、国道365号線に入って脇道に入ります。
この脇道がけっこう細くて、小型車のMINIだと楽ですが、
大型車だと、けっこうたいへんかも。
対向車が来ても、まったくすれ違えません。

開戦地駐車場

などといいつつも、開戦地の脇にある駐車場に到着。
この駐車場は舗装こそされていませんが、
かなり広く、しかも、車が止まっていることはほとんどありません。

絶好の好天

この場所にくるのは、いつも歩きだったので、自分の車できたのは初めてです。
それにしても、ほんとうにいいお天気。
陽光を受けた緑がキラキラしています。
こんな日は、外を歩きたくなりますね。

開戦地

開戦地のすぐそばには、小西行長の陣跡があります。

島津義弘陣跡

そして、薩摩の島津義弘の陣跡もあります。
合戦中はほとんど何の行動もせず、西軍の敗北が必至となった時、
島津勢は、徳川の陣を目掛けて撤退行動に移ります。
有名な島津の敵中突破ですね。

そのあと、宇喜多秀家の陣跡に行くため、細い町道を歩きます。
お天気がいいので、もう、遠回りする道もほとんど苦になりません。
このあたりは、静かな田園という感じで、お散歩をするには、ほんとうにいいところです。

というわけで、広々とした場所から森の中の無舗装道へ。
そそり立つ木々に日差しも遠のき、鬱蒼とした雰囲気です。

宇喜多秀家陣跡

こうして、森の道を五分ほど歩くと、宇喜多秀家の陣跡に到着します。
すぐ近くに神社もありますので、せっかくですから、お参りをしてきました。

参道

こちらは、その神社の参道となっている道です。
戸隠神社、とまではいきませんが、素晴らしい景観です。
しかも、逆光で写真を撮ると、なおさら、美しい感じですね。

その次は、関ヶ原古戦場記念館のあるあたりに行ってみましたが、なにしろ、
予約をしていないものですから、入ることはできず、外観だけ見物して帰ってきました。

ただ、今回のように、天気のいい日に屋内施設に行ってしまうのは、
ちょっともったいない気がします。
ですので、あまり天候に恵まれない日に、予約を入れて、見学にきたいな、と、
思っています。

関ヶ原の陣跡は、ほかにもまだまだたくさんありますので、また日を改めて、
ヨメと一緒に巡ってみたいものです。


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滋賀平和祈念館

気がつけば、もう11月の半ばになってしまいました。
今年はいつもの年よりも、紅葉がちょっと早いような気がします。
ここ岐阜市でも、街路樹などががすっかり色づいていますし、
また、今月の初めに行った、実家のある飛騨高山にいってきましたが、
高山の山々はすっかり秋めいていました。

コロナで明け暮れた今年一年もあと残り二ヶ月弱。
それでも、ずっとまたコロナの話題は続きそうですし、おそらくは、
来年も、コロナという言葉が聞こえなくなることはなさそうです。

さて、先月の末のことになりますが、
滋賀県東近江市にある『滋賀県平和祈念館』に行ってみました。
この施設には以前にも行ったことがあるのですが、そのときはヨメといっしょだったので、
充分に見学することができませんでした。
ですが、この日、ヨメは仕事があったため、ともに外出することができず、
私ひとりだけのフリータイムとなりました。
ですので、この機会に、滋賀県平和記念館へじっくりと見学に行ってみようと思ったのです。

滋賀をドライブ

なにしろ単独行動ですので、この日の出動車はヨメ車ではなく私のMINIです。
折しもこの日、岐阜市は少し曇っていたものの、
目的地の滋賀県はお天気も良く、絶好のドライブ日和でした。
それにしても、ここ最近は、MINIでの出動が多いですね。

が、到着した滋賀平和祈念館の駐車場はいっぱい。
まったく空きがありません。
これは困ったなあ、と思いつつ、駐車場をグルグルしていたら、
建物裏手にも駐車場があることがわかり、行ってみるとこちらはなんとガラガラ状態。
というわけで、ようやく駐車することができました。

駐車場は裏手に

でも、裏手の駐車場の案内って、
私が見つけられかっただけしれないんですが、出てないんですよね。
もっとも、普段はこちらの駐車場が使われることはないのかもしれません。

重厚な建物

それにしても、この施設、ほんとうにとても重厚で大規模です。
これもまた、私が知らないだけかもしれませんが、
岐阜県には、ここまで立派な第二次大戦にまつわる資料施設はないように思います。
(もしあるのなら、早々に行ってみたいと思っています)

○ 滋賀平和祈念館の差情報はコチラへ。公式サイト ~

大きな施設ではありますが、入館料は無料です。
滋賀県の施設ですので、展示の内容は、地元滋賀にまつわるものが比較的多くなっています。

大勢の見学客

駐車場が満杯になっていただけあって、館内には、
多くの見学客の方がいらっしゃいました。

この一角は、基本となる常設展示となっており、
満州事変以降の日本の歩みと、当時の県民の証言、
また、兵役にまつわる書類などの資料が展示されています。

当時の資料

とくに、こうした実物の書類資料は、ふだん目にする機会がないので、
とても貴重だと思います。
館内は撮影可能ですので、思いっきり写真に撮ってきました。

書類等の資料

こちらは、シベリアからの引揚証明書です。
舞鶴で発行されたものだといいます。
以前に、舞鶴の引揚記念館に見学に行ったことが思い出されます。
この引揚証明書は1949年に7月末発行されたものだといいますから、
本証を受け取った前川さんという方は、四年ものあいだ、抑留生活を送ったこといなります。
生きて舞鶴の地に降り立った時の気持ちは、どんなものだったのでしょうか。

満州にまつわる展示

また、ここ滋賀県でも、多くの人が満州に渡ったようです。
展示は多岐に渡っていますので、満州にまつわる展示はさして多くはないのですが、
実際の引き揚げ者の証言などが、パネル展示されていました。

企画展示

そして、こちらが、今回開催の企画展『兵士を襲った感染症と飢餓』のエリアです。
コロナ渦のいまならではの企画展といえるかと思います。

展示内容は、当時の戦況やインパール作戦のあらまし、
従軍兵士の証言を記したパネルなどからなっています。

本作戦は、中華民国を支援する英米連合国の補給ルートを断とうとしたもので、
作戦前から、兵站の困難さが指摘をされていました。
本来なら、この平坦の問題を事前に、しかも充分に検討するべきであったはずですが、
無謀にも作戦は強行されます。
いうまでもなく、作戦は成功せず、コヒマを占領した師団が独断で撤退するという、
統帥上の大問題も発生しました。
しかも、作戦が終了した後のほうが、死傷者が多かったといいます。
兵站が首尾よく行かず、前線の兵士は飢え、また、感染症もその追い討ちをかけました。

企画展示会場

展示は、この時期らしく、デング熱やマラリアなどの感染症にまつわるものが多く、
また、当時の軍が感染を防ぐために、兵士をどう指導していたかも、解説されています。

軍は兵士に、手洗いうがいをこまめに行うこと、栄養バランスの良い食事をとること、
休息を充分に取ること、などと指導していたようですが、
これはもう、悪い冗談のようなものです。
インパールに従軍した兵士が、充分な栄養を取れたなど、一度でもないでしょう。
今回の展示にはありませんでしたが、
以前NHKで放送されていたドキュメンタリー番組では、
一日に米数粒であったという証言がありました。

館内風景

こうして、今回はかなり時間をかけて、各展示を見て回ることができました。
今度も、興味深い企画展示があるようでしたら、また、見学にきたいと思います。

コスモス畑

その帰り道、コスモス畑に寄ってみました。
なにしろ、殺伐とした展示を見た後ですので、
青空の下に咲き乱れるコスモスを見て、平和のありがたさを実感する思いでした。

MINIは小さい

ちなみにこちらは、駐車場に駐めた私のMINIですが、
その小ささにあらためて驚かされました。
というよりも、となりに駐まるニューMINIのなんと大きいこと……。
フィットも大型車のように見えてしまいます。

というわけで、秋の滋賀を満喫してきました。
また、この地方にも出かけ見て見たいものです。


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一宮市尾西歴史民族資料館

今年の秋は、大きな台風の発生はあったものの、
甚大な被害をおよぼすようなものはなく、すっきりとした青空が覗く日も、
多かったのではないかと思います。
そんな好天に恵まれた秋の日、愛知県一宮市にある『一宮市尾西歴史民族資料館』に、
ドライブがてら行ってみました。
折しも、この資料館では、今月10日から25日にかけて、
ここ中部地方で活躍するクリエイターの皆さんのグループ展が開かれていました。
知り合いの作家さんも、そのグループ展に参加されていて、
今回は、その見学のために、一宮市まで出向いたという次第です。

一宮市は、県こそ違うものの、ここ岐阜市からほど近く、
電車であれば、15〜20分程度で行くことができるかと思います。
車を利用した場合は、道の渋滞などで、もっと時間がかかりますが、
それでも距離的に見れば、直線で15キロくらいの距離しかないと思います。
とはいっても、私は、いままで一宮に行く機会はあまりなく、
いつも、名古屋に行くときの単なる経由地にすぎませんでした。
(ただ、かつて、一宮市内にある三岸節子記念美術館に行ったことはありますが)

今回の出動車両はひさしぶりに私のMINIとなりました。
ヨメは仕事でしたので、私ひとりだけのドライブとなりました。

MINIで行く一宮

渋滞が予想されたものの、平日を選んだためか、さほどの混雑もなく、
難なく、一宮市尾西歴史民族資料館に到着しました。
施設の手前には駐車場が完備されていて、車を駐める場所に困ることもありません。

爽快な空模様

この資料館は、鉄筋コンクリート製の本館と、
古民家を再利用した別館のふたつの施設から成り立っています。
しかも、両施設とも、ふだんから無料開放されいるといいます。
グループ展は別館で開催されているとのことでしたので、
まずは別館のほうから、見学をさせてもらうことにしました。
(それにしても、この日は抜群のお出かけ日和でした)

素晴らしい庭

別館は、建物の素晴らしさもさることながら、優美な庭も備えていて、
窓越しにその景観を楽しむこともできます。
この部屋が作品の展示室にもなっているのですが、
作品の醸し出す世界観と、部屋の雰囲気が融合して、なんともいえない、
居心地のいい空間になっていました。

しかも、グループ展は大盛況で、平日にも関わらず、大勢の人が会場に詰めかけていました。
掲載した写真には、どれも人が写っていないので、なんだか静かな印象になっていますが、
人が入らないように撮影しただけで、実際には、あちこちに見学の方がいらっしゃいました。

また、各作家さんとお話もさせていただいたいりして、
とても楽しいひとときを過ごすことができました。

狭い廊下

こちらは部屋の廊下ですが、この狭い廊下にも、独特の雰囲気があります。
今後は、庭の木々が紅葉するとのことで、イベントも開かれるといいます。
その頃、また、ぜひ来てみたいものです。

こちらも民族歴史資料館

その後は、本館を見学。
折しもこちらでは木彫りの仏像展が開かれていました。

館内エントラス

また、この地は、斎藤道三と織田信長が会見した、
富田聖徳寺に近いとのことで、当時の逸話などを記した展示がされていました。
この会見の模様は、司馬遼太郎の『国盗り物語』でも描かれていますし、
現在放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、取り上げられていました。

建物は思いのほか大きく、一階と二階にそれぞれ展示室が設けてあります。
無料の施設とはいえ、かなりしっかりした展示がなされていて、
ジオラマや人形を使った大名行列の展示もあり、見応えがありました。

ジオラマ展示

ジオラマは精巧に作られています。
このほかにも、橋のジオラマなどもありました。

そのあと、館内の職員さんに、
富田聖徳寺へ行く道順を聞き、現地に行ってみることにしました。
もっとも、すでに聖徳寺はなく、いまは石碑が残るのみだということです。
また、職員さんの話によると、聖徳寺の正確な場所はわかっておらず、
考古学的な調査が行われたわけでもないといいます。
ですので、古くからの伝聞をたよりに、石碑を建てただけだということでした。

それでも、せっかくの機会ですから、見学に行ってみることにします。
現地に駐車場はないとのことなので、徒歩で行くことにしました。

富田聖徳寺

というわけで、歴史民族資料館から歩くことおよそ15分。
道の端に立つ石碑に到着しました。
聖徳寺の正確な位置が不明なため、この碑の場所に実際に聖徳寺があったのかどうかは、
定かではないらしいのですが、いずれにしも、道三と信長がこの近くで対面したのかと思うと、
ちょっと感無量な思いがします。

富田聖徳寺の会見のあと、道三は信長をたいそう気に入り、
物心両面での支援を行なったといいます。
国盗り物語にもそうした記述がたくさんありますし、
同様に、麒麟がくるにおいても、同様の場面が複数ありました。
道三は息子である斎藤義竜との戦で敗れ、長良川で敗死しますが、
そのさい、信長は道三を救助しようと兵を進めてもいます。
小説やドラマは創作であり、現実にはどうだったのか、私にはわかりませんが、
道三の国譲り状という書状が残っているところを見ると、
この義理の親子の間には、実際に、一定の信頼関係があったと思っていいのでしょう。

バス停もあります

それにしても、ここは、ほんとうに、住宅街の真っ只中です。
聖徳寺の名残は、この石碑と、バス停の名前だけとなっています。

というわけで、好天の1日を、一宮市で満喫してきました。
今年はコロナ渦のせいで、お出かけもMINIでのドライブもままなりませんが、
世間ではGo Toなどといっていて、外出解禁の様相を呈していますので、
今後は、お出かけやドライブのネタも、ご紹介できるかと思います。


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本堂3

コロナ渦で、ブログにアップするネタがなくて困っている今日この頃ですが、
先々週の、MINIでのプチドライブに続き、昨日の日曜も、
なんとか、お出かけすることができましたので、
今回は、その模様を、取り上げたいと思います。
(っていうか、今回は、ブログのネタ探しのために、出かけたようなものです)

もっとも、今回も、遠出はせず、出かけた先は県内。とっても近い場所です。
しかも、密を避けるということで、大勢の人で賑わうような場所でなく、
ひっそりとしたスポットを選びました。
というわけで、今回は、『日龍峯寺』というお寺に、行ってみることにしました。

この寺は、岐阜県関市の山深い地(上之保地区)にあり、
なんでも、数年前、NHKの『行く年来る年』で取り上げられたそうです。
この放映を境に、一気に参拝客が増えたそうです。
うちのヨメは、以前、こちらに、御朱印をもらいに行ったことがあるそうで、
場所については、すでによく知っていした。
というわけで、今回は、ヨメ車ヨメ運転で、日龍峯寺を目指しました。
というのも、この日もたいへんな暑さで、エアコンなしのMINIでのお出かけは、
さすがにはばかられのです。
(仮に目的地についたとしても、汗だくで参拝困難になりそうです)

我が家からは、車でほぼ一時間というところでしょうか。
途中までは、勝手知ったる関金山線という道を行くのですが、途中から、
細い山道に入ります。
この道がかなり細くて、もし対向車が来たら、すれ違えないところも多々あります。

ですが、難なく日龍峯寺山門に到着。とはいえ、この門をくぐって寺に行くには、
かなりの距離があるそうで、ヨメは歩くのを拒否。
この先の道に、大きな駐車場があり、そこに車を置けば、参拝はかなり楽だといいます。
というわけで、山門を横目に見つつ、道をさらにあがって、駐車場に行ってみました。

駐車場に着くと、車の姿がちらほらとありました。
行く年来る年で取り上げられてから、すでに時間もある程度たっていますし、
また、酷暑ということもあって、参拝客の数は多くはなかったです。
そうはいっても、次々に車が駐車場に入って来ましたし、人影もちらほら見かけましたから、
閑散としているわけではななかったです。
蜜にもならず、かといって、さみしくもなく、ちょうどいい感じでしょうか。

日龍峯寺看板

こちらは駐車場にあった、案内看板です。
この看板によると、各所に、本堂や多宝塔、鐘楼が点在しているようです。
それにしても、この日も暑い……。
車を降りた途端、強烈な日差しが降り注ぎます。

参拝順路1

というわけで、さっそく、登山道のような道を歩いて、日龍峯寺へと向かいます。

このお寺は、真言宗のお寺で、美野国では最古の寺ともいわれているそうです。
また、道中立てられていた看板によると、北条政子が建立したとも伝えられているそうで、
そうなると、鎌倉時代初期の寺ということになるのでしょうか。
また、両面宿儺伝説とも、深い関わりがあるようです。
(両面宿儺は私の故郷である飛騨高山でも伝承が残っているようで、昔から、
その名をよく耳にしたものです)

参拝順路2

それにしても、かなりの山奥。
こういう人里離れたところにある古刹を訪ねるのは、なんとも心踊ります。

鐘楼

こちらは鐘楼です。
お寺自体の歴史は古いそうですが、こちらの鐘楼は、かなり新しい印象です。
家に帰ってきてから日龍峯寺のサイトで見てみると、なんと、
昭和に再建されたものだということがわかりました。

ちなみに、そのサイトというのは、こちらになります。
○ 日龍峯寺の情報はコチラ。公式サイト ~

多宝塔

さらに道を先に進むと、多宝塔がありました。
こちらについては、詳しいことがわかりません。

本堂1

そしてこちらが本堂です。
石垣を組み、足場を組んで、そのうえにお堂が設えられています。
それゆえに、こちらを京都の清水寺にちなみ、美濃清水とも呼ぶそうですが、
清水というよりも、投入堂みたいにも見えますね。
深い森の中、急峻な崖を背にして立つ本堂は、味わいがあります。

しかもこのとき、本堂からは朗々とした般若心経が響いてきて、
なおさら、雰囲気がありました。

本堂への階段

こちらは本堂に続く石段と階段ですが、とにかく階段がすごく急です。
お城も含め、古い建物って、みなそうですが、上るのはちょっと怖いです。

本堂からの眺め

こちらが、本堂からの眺めです。
といっても、そもそも深い森の中ですから、見えるのは木々ばかりです。
このちょうど真反対に、ご本尊があるのですが、
さすがに、カメラを向けるのは憚られましたので、
写真はありません。すみません。

ただ、この本堂には、明治期の陸軍にまつわる、
年号や説明書きを加えた大判の絵画が、三つも展示されており、
こちらはなにか、陸軍とご縁があるのかな、と思ってしまいました。
もっとも、絵画は日清戦争までで、日露戦争にまつわるものはありませんでした。

また、本堂には、びんずる様もありました。

さらに、この本堂の裏にある岩場からは『みたらしの霊水』という湧き水が出ており、
しかも、参拝客用に、お持ち帰りのためのペットボトルまで用意されています。
せっかくですので、こちらの水もいただいてきました。

仁王門

帰り際に、もう一度、車で山門(仁王門)に戻り、
こちらの参道を歩いて行ってみようと思ったのですが、
とにかく、蚊がすごくて、すぐに断念しました。
(蚊の羽音が、もう、そこかしこから聞こえてきます)

山道とプジョー

というわけで、走って車へと逃げ帰ります。
まあ、そのおかげもあったのか、なんとか、刺されれずにすみました。

というわけで、無事、日龍峯寺参拝ができました。
今度は、また、季節を変えて、参拝にきたいものです。



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