滋賀平和祈念館

気がつけば、もう11月の半ばになってしまいました。
今年はいつもの年よりも、紅葉がちょっと早いような気がします。
ここ岐阜市でも、街路樹などががすっかり色づいていますし、
また、今月の初めに行った、実家のある飛騨高山にいってきましたが、
高山の山々はすっかり秋めいていました。

コロナで明け暮れた今年一年もあと残り二ヶ月弱。
それでも、ずっとまたコロナの話題は続きそうですし、おそらくは、
来年も、コロナという言葉が聞こえなくなることはなさそうです。

さて、先月の末のことになりますが、
滋賀県東近江市にある『滋賀県平和祈念館』に行ってみました。
この施設には以前にも行ったことがあるのですが、そのときはヨメといっしょだったので、
充分に見学することができませんでした。
ですが、この日、ヨメは仕事があったため、ともに外出することができず、
私ひとりだけのフリータイムとなりました。
ですので、この機会に、滋賀県平和記念館へじっくりと見学に行ってみようと思ったのです。

滋賀をドライブ

なにしろ単独行動ですので、この日の出動車はヨメ車ではなく私のMINIです。
折しもこの日、岐阜市は少し曇っていたものの、
目的地の滋賀県はお天気も良く、絶好のドライブ日和でした。
それにしても、ここ最近は、MINIでの出動が多いですね。

が、到着した滋賀平和祈念館の駐車場はいっぱい。
まったく空きがありません。
これは困ったなあ、と思いつつ、駐車場をグルグルしていたら、
建物裏手にも駐車場があることがわかり、行ってみるとこちらはなんとガラガラ状態。
というわけで、ようやく駐車することができました。

駐車場は裏手に

でも、裏手の駐車場の案内って、
私が見つけられかっただけしれないんですが、出てないんですよね。
もっとも、普段はこちらの駐車場が使われることはないのかもしれません。

重厚な建物

それにしても、この施設、ほんとうにとても重厚で大規模です。
これもまた、私が知らないだけかもしれませんが、
岐阜県には、ここまで立派な第二次大戦にまつわる資料施設はないように思います。
(もしあるのなら、早々に行ってみたいと思っています)

○ 滋賀平和祈念館の差情報はコチラへ。公式サイト ~

大きな施設ではありますが、入館料は無料です。
滋賀県の施設ですので、展示の内容は、地元滋賀にまつわるものが比較的多くなっています。

大勢の見学客

駐車場が満杯になっていただけあって、館内には、
多くの見学客の方がいらっしゃいました。

この一角は、基本となる常設展示となっており、
満州事変以降の日本の歩みと、当時の県民の証言、
また、兵役にまつわる書類などの資料が展示されています。

当時の資料

とくに、こうした実物の書類資料は、ふだん目にする機会がないので、
とても貴重だと思います。
館内は撮影可能ですので、思いっきり写真に撮ってきました。

書類等の資料

こちらは、シベリアからの引揚証明書です。
舞鶴で発行されたものだといいます。
以前に、舞鶴の引揚記念館に見学に行ったことが思い出されます。
この引揚証明書は1949年に7月末発行されたものだといいますから、
本証を受け取った前川さんという方は、四年ものあいだ、抑留生活を送ったこといなります。
生きて舞鶴の地に降り立った時の気持ちは、どんなものだったのでしょうか。

満州にまつわる展示

また、ここ滋賀県でも、多くの人が満州に渡ったようです。
展示は多岐に渡っていますので、満州にまつわる展示はさして多くはないのですが、
実際の引き揚げ者の証言などが、パネル展示されていました。

企画展示

そして、こちらが、今回開催の企画展『兵士を襲った感染症と飢餓』のエリアです。
コロナ渦のいまならではの企画展といえるかと思います。

展示内容は、当時の戦況やインパール作戦のあらまし、
従軍兵士の証言を記したパネルなどからなっています。

本作戦は、中華民国を支援する英米連合国の補給ルートを断とうとしたもので、
作戦前から、兵站の困難さが指摘をされていました。
本来なら、この平坦の問題を事前に、しかも充分に検討するべきであったはずですが、
無謀にも作戦は強行されます。
いうまでもなく、作戦は成功せず、コヒマを占領した師団が独断で撤退するという、
統帥上の大問題も発生しました。
しかも、作戦が終了した後のほうが、死傷者が多かったといいます。
兵站が首尾よく行かず、前線の兵士は飢え、また、感染症もその追い討ちをかけました。

企画展示会場

展示は、この時期らしく、デング熱やマラリアなどの感染症にまつわるものが多く、
また、当時の軍が感染を防ぐために、兵士をどう指導していたかも、解説されています。

軍は兵士に、手洗いうがいをこまめに行うこと、栄養バランスの良い食事をとること、
休息を充分に取ること、などと指導していたようですが、
これはもう、悪い冗談のようなものです。
インパールに従軍した兵士が、充分な栄養を取れたなど、一度でもないでしょう。
今回の展示にはありませんでしたが、
以前NHKで放送されていたドキュメンタリー番組では、
一日に米数粒であったという証言がありました。

館内風景

こうして、今回はかなり時間をかけて、各展示を見て回ることができました。
今度も、興味深い企画展示があるようでしたら、また、見学にきたいと思います。

コスモス畑

その帰り道、コスモス畑に寄ってみました。
なにしろ、殺伐とした展示を見た後ですので、
青空の下に咲き乱れるコスモスを見て、平和のありがたさを実感する思いでした。

MINIは小さい

ちなみにこちらは、駐車場に駐めた私のMINIですが、
その小ささにあらためて驚かされました。
というよりも、となりに駐まるニューMINIのなんと大きいこと……。
フィットも大型車のように見えてしまいます。

というわけで、秋の滋賀を満喫してきました。
また、この地方にも出かけ見て見たいものです。


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一宮市尾西歴史民族資料館

今年の秋は、大きな台風の発生はあったものの、
甚大な被害をおよぼすようなものはなく、すっきりとした青空が覗く日も、
多かったのではないかと思います。
そんな好天に恵まれた秋の日、愛知県一宮市にある『一宮市尾西歴史民族資料館』に、
ドライブがてら行ってみました。
折しも、この資料館では、今月10日から25日にかけて、
ここ中部地方で活躍するクリエイターの皆さんのグループ展が開かれていました。
知り合いの作家さんも、そのグループ展に参加されていて、
今回は、その見学のために、一宮市まで出向いたという次第です。

一宮市は、県こそ違うものの、ここ岐阜市からほど近く、
電車であれば、15〜20分程度で行くことができるかと思います。
車を利用した場合は、道の渋滞などで、もっと時間がかかりますが、
それでも距離的に見れば、直線で15キロくらいの距離しかないと思います。
とはいっても、私は、いままで一宮に行く機会はあまりなく、
いつも、名古屋に行くときの単なる経由地にすぎませんでした。
(ただ、かつて、一宮市内にある三岸節子記念美術館に行ったことはありますが)

今回の出動車両はひさしぶりに私のMINIとなりました。
ヨメは仕事でしたので、私ひとりだけのドライブとなりました。

MINIで行く一宮

渋滞が予想されたものの、平日を選んだためか、さほどの混雑もなく、
難なく、一宮市尾西歴史民族資料館に到着しました。
施設の手前には駐車場が完備されていて、車を駐める場所に困ることもありません。

爽快な空模様

この資料館は、鉄筋コンクリート製の本館と、
古民家を再利用した別館のふたつの施設から成り立っています。
しかも、両施設とも、ふだんから無料開放されいるといいます。
グループ展は別館で開催されているとのことでしたので、
まずは別館のほうから、見学をさせてもらうことにしました。
(それにしても、この日は抜群のお出かけ日和でした)

素晴らしい庭

別館は、建物の素晴らしさもさることながら、優美な庭も備えていて、
窓越しにその景観を楽しむこともできます。
この部屋が作品の展示室にもなっているのですが、
作品の醸し出す世界観と、部屋の雰囲気が融合して、なんともいえない、
居心地のいい空間になっていました。

しかも、グループ展は大盛況で、平日にも関わらず、大勢の人が会場に詰めかけていました。
掲載した写真には、どれも人が写っていないので、なんだか静かな印象になっていますが、
人が入らないように撮影しただけで、実際には、あちこちに見学の方がいらっしゃいました。

また、各作家さんとお話もさせていただいたいりして、
とても楽しいひとときを過ごすことができました。

狭い廊下

こちらは部屋の廊下ですが、この狭い廊下にも、独特の雰囲気があります。
今後は、庭の木々が紅葉するとのことで、イベントも開かれるといいます。
その頃、また、ぜひ来てみたいものです。

こちらも民族歴史資料館

その後は、本館を見学。
折しもこちらでは木彫りの仏像展が開かれていました。

館内エントラス

また、この地は、斎藤道三と織田信長が会見した、
富田聖徳寺に近いとのことで、当時の逸話などを記した展示がされていました。
この会見の模様は、司馬遼太郎の『国盗り物語』でも描かれていますし、
現在放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、取り上げられていました。

建物は思いのほか大きく、一階と二階にそれぞれ展示室が設けてあります。
無料の施設とはいえ、かなりしっかりした展示がなされていて、
ジオラマや人形を使った大名行列の展示もあり、見応えがありました。

ジオラマ展示

ジオラマは精巧に作られています。
このほかにも、橋のジオラマなどもありました。

そのあと、館内の職員さんに、
富田聖徳寺へ行く道順を聞き、現地に行ってみることにしました。
もっとも、すでに聖徳寺はなく、いまは石碑が残るのみだということです。
また、職員さんの話によると、聖徳寺の正確な場所はわかっておらず、
考古学的な調査が行われたわけでもないといいます。
ですので、古くからの伝聞をたよりに、石碑を建てただけだということでした。

それでも、せっかくの機会ですから、見学に行ってみることにします。
現地に駐車場はないとのことなので、徒歩で行くことにしました。

富田聖徳寺

というわけで、歴史民族資料館から歩くことおよそ15分。
道の端に立つ石碑に到着しました。
聖徳寺の正確な位置が不明なため、この碑の場所に実際に聖徳寺があったのかどうかは、
定かではないらしいのですが、いずれにしも、道三と信長がこの近くで対面したのかと思うと、
ちょっと感無量な思いがします。

富田聖徳寺の会見のあと、道三は信長をたいそう気に入り、
物心両面での支援を行なったといいます。
国盗り物語にもそうした記述がたくさんありますし、
同様に、麒麟がくるにおいても、同様の場面が複数ありました。
道三は息子である斎藤義竜との戦で敗れ、長良川で敗死しますが、
そのさい、信長は道三を救助しようと兵を進めてもいます。
小説やドラマは創作であり、現実にはどうだったのか、私にはわかりませんが、
道三の国譲り状という書状が残っているところを見ると、
この義理の親子の間には、実際に、一定の信頼関係があったと思っていいのでしょう。

バス停もあります

それにしても、ここは、ほんとうに、住宅街の真っ只中です。
聖徳寺の名残は、この石碑と、バス停の名前だけとなっています。

というわけで、好天の1日を、一宮市で満喫してきました。
今年はコロナ渦のせいで、お出かけもMINIでのドライブもままなりませんが、
世間ではGo Toなどといっていて、外出解禁の様相を呈していますので、
今後は、お出かけやドライブのネタも、ご紹介できるかと思います。


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本堂3

コロナ渦で、ブログにアップするネタがなくて困っている今日この頃ですが、
先々週の、MINIでのプチドライブに続き、昨日の日曜も、
なんとか、お出かけすることができましたので、
今回は、その模様を、取り上げたいと思います。
(っていうか、今回は、ブログのネタ探しのために、出かけたようなものです)

もっとも、今回も、遠出はせず、出かけた先は県内。とっても近い場所です。
しかも、密を避けるということで、大勢の人で賑わうような場所でなく、
ひっそりとしたスポットを選びました。
というわけで、今回は、『日龍峯寺』というお寺に、行ってみることにしました。

この寺は、岐阜県関市の山深い地(上之保地区)にあり、
なんでも、数年前、NHKの『行く年来る年』で取り上げられたそうです。
この放映を境に、一気に参拝客が増えたそうです。
うちのヨメは、以前、こちらに、御朱印をもらいに行ったことがあるそうで、
場所については、すでによく知っていした。
というわけで、今回は、ヨメ車ヨメ運転で、日龍峯寺を目指しました。
というのも、この日もたいへんな暑さで、エアコンなしのMINIでのお出かけは、
さすがにはばかられのです。
(仮に目的地についたとしても、汗だくで参拝困難になりそうです)

我が家からは、車でほぼ一時間というところでしょうか。
途中までは、勝手知ったる関金山線という道を行くのですが、途中から、
細い山道に入ります。
この道がかなり細くて、もし対向車が来たら、すれ違えないところも多々あります。

ですが、難なく日龍峯寺山門に到着。とはいえ、この門をくぐって寺に行くには、
かなりの距離があるそうで、ヨメは歩くのを拒否。
この先の道に、大きな駐車場があり、そこに車を置けば、参拝はかなり楽だといいます。
というわけで、山門を横目に見つつ、道をさらにあがって、駐車場に行ってみました。

駐車場に着くと、車の姿がちらほらとありました。
行く年来る年で取り上げられてから、すでに時間もある程度たっていますし、
また、酷暑ということもあって、参拝客の数は多くはなかったです。
そうはいっても、次々に車が駐車場に入って来ましたし、人影もちらほら見かけましたから、
閑散としているわけではななかったです。
蜜にもならず、かといって、さみしくもなく、ちょうどいい感じでしょうか。

日龍峯寺看板

こちらは駐車場にあった、案内看板です。
この看板によると、各所に、本堂や多宝塔、鐘楼が点在しているようです。
それにしても、この日も暑い……。
車を降りた途端、強烈な日差しが降り注ぎます。

参拝順路1

というわけで、さっそく、登山道のような道を歩いて、日龍峯寺へと向かいます。

このお寺は、真言宗のお寺で、美野国では最古の寺ともいわれているそうです。
また、道中立てられていた看板によると、北条政子が建立したとも伝えられているそうで、
そうなると、鎌倉時代初期の寺ということになるのでしょうか。
また、両面宿儺伝説とも、深い関わりがあるようです。
(両面宿儺は私の故郷である飛騨高山でも伝承が残っているようで、昔から、
その名をよく耳にしたものです)

参拝順路2

それにしても、かなりの山奥。
こういう人里離れたところにある古刹を訪ねるのは、なんとも心踊ります。

鐘楼

こちらは鐘楼です。
お寺自体の歴史は古いそうですが、こちらの鐘楼は、かなり新しい印象です。
家に帰ってきてから日龍峯寺のサイトで見てみると、なんと、
昭和に再建されたものだということがわかりました。

ちなみに、そのサイトというのは、こちらになります。
○ 日龍峯寺の情報はコチラ。公式サイト ~

多宝塔

さらに道を先に進むと、多宝塔がありました。
こちらについては、詳しいことがわかりません。

本堂1

そしてこちらが本堂です。
石垣を組み、足場を組んで、そのうえにお堂が設えられています。
それゆえに、こちらを京都の清水寺にちなみ、美濃清水とも呼ぶそうですが、
清水というよりも、投入堂みたいにも見えますね。
深い森の中、急峻な崖を背にして立つ本堂は、味わいがあります。

しかもこのとき、本堂からは朗々とした般若心経が響いてきて、
なおさら、雰囲気がありました。

本堂への階段

こちらは本堂に続く石段と階段ですが、とにかく階段がすごく急です。
お城も含め、古い建物って、みなそうですが、上るのはちょっと怖いです。

本堂からの眺め

こちらが、本堂からの眺めです。
といっても、そもそも深い森の中ですから、見えるのは木々ばかりです。
このちょうど真反対に、ご本尊があるのですが、
さすがに、カメラを向けるのは憚られましたので、
写真はありません。すみません。

ただ、この本堂には、明治期の陸軍にまつわる、
年号や説明書きを加えた大判の絵画が、三つも展示されており、
こちらはなにか、陸軍とご縁があるのかな、と思ってしまいました。
もっとも、絵画は日清戦争までで、日露戦争にまつわるものはありませんでした。

また、本堂には、びんずる様もありました。

さらに、この本堂の裏にある岩場からは『みたらしの霊水』という湧き水が出ており、
しかも、参拝客用に、お持ち帰りのためのペットボトルまで用意されています。
せっかくですので、こちらの水もいただいてきました。

仁王門

帰り際に、もう一度、車で山門(仁王門)に戻り、
こちらの参道を歩いて行ってみようと思ったのですが、
とにかく、蚊がすごくて、すぐに断念しました。
(蚊の羽音が、もう、そこかしこから聞こえてきます)

山道とプジョー

というわけで、走って車へと逃げ帰ります。
まあ、そのおかげもあったのか、なんとか、刺されれずにすみました。

というわけで、無事、日龍峯寺参拝ができました。
今度は、また、季節を変えて、参拝にきたいものです。



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一乗谷到着

梅雨時に入り、新型コロナの蔓延も、少し小康状態となったような気がします。
まだまだ油断はできない状況ですが、緊急事態宣言も五月下旬に解除され、
また、この六月の半ばからは、県をまたいだ移動も、許されるようになりました。
というわけで、すでに一週間以上前のことになりますが、
先々週の日曜 (21日) 、ひさしぶりに、MINIでロングドライブに行ってみました。
今回の行く先は、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡としました。
岐阜県から滋賀県に入り、その後北上して福井県に入るというコースを辿ってみました。

もっとも、この朝倉氏遺跡は、以前にも何回か行ったことがあります。
(初めて行ったのは、いまから十年前の2010年だったかと思います)
ですが、大河ドラマ『麒麟がくる』で、明智十兵衛光秀の落ち延び先として取り上げられ、
また、ブラタモリでも取り上げられるなど、いま、話題の場所となっている印象があります。
しかも、ロングドライブの行く先としては、距離的にちょうどいいという感覚もあり、
今回の目的地に選んでみました。
しかも、日曜日(6月21日)はお天気も上々。
梅雨に入ったというのに、意外と、ここのところ、好天が多いようにも思います。

辿ったコースは、まず、国道21号線を西に向かって走り、関ヶ原を通過したところで、
国道365号線にスイッチし、滋賀県へと入ります。
このあたりは、関ヶ原を筆頭に、姉川合戦場、浅井長政の小谷城、と、
古戦場跡を相次いでかすめるかたちになります。
そのまま、滋賀県長浜市木之本に入り、今度は、北の余呉湖方面を目指します。
この余呉湖は、柴田勝家と羽柴秀吉が激突した賤ヶ岳の戦いが行われたあたりです。

このまま国道365号線を北上します。
途中、かなりの山道になりますが、もともと、そうした道にはある程度慣れていますので、
難なく通過します。
その後、北陸の大動脈である国道8号線に乗り換え、今度は福井市を目指します。
さすがに、国道8号線に入ると、
車も、信号も多くなり、それほど軽快に走ることはできません。
(ヨメは、この8号線で、ちょっと飽きていました)

一乗谷のMINI

福井市でちょっと道に迷ってしまいしたが、
以後、国道158号線に乗り換え、スムーズに一乗谷へ。
この日は父の日でしたので、ヨメのご実家に
少しお邪魔をさせていただいたりしていましたので、
出発がやや遅くなったのですが、それでも、午後2時半ごろには、
無事、現地一乗谷に到着しました。

県をまたいだ移動が許されたせいで、一乗谷は大にぎわいです。
ですが、少し離れた駐車場であれば、なんとか駐車できました。
MINIでの久しぶりのドライブは、やっぱり、楽しいものです。

晴天の一乗谷

ここ一乗谷は、戦国大名である朝倉氏の拠点だった場所です。
朝倉氏は応仁の乱で勢力を拡張し、守護斯波氏に取って代わって、越前国守護になります。
その後、一乗谷を整備し、領国経営の拠点としたといいます。
一乗谷は、山に囲まれた谷間にあり、東西に渡って伸びるようなかたちになっています。
西には足羽川という川が流れていて、この川を使って、物資の搬入ができたといいます。
また、足羽川の東側の一乗谷入り口を閉じてしまえば、他の地域は、
ほぼ山に囲まれていますので、防御の意味で、
非常に優れている地帯といえるかもしれません。

朝倉氏はここで五代、およそ百年に渡って栄えます。
また、織田信長から攻められた金ヶ崎の戦いでは、浅井長政の加勢(織田からの離反)もあり、
織田軍を撤退に追い込み、また、姉川合戦では、浅井に対して大量の援軍を送り込み、
信長を窮地に追い込みました。
しかし、最終的には、浅井と同様、織田に滅ぼされてしまいます。

司馬遼太郎の国盗り物語では、五代朝倉義景は、
貴族趣味の優柔不断な人物として、描かれていたかと思います。
将軍足利義昭を擁しながらも上洛に二の足を踏み、結局、
織田に先を越されてしまいます。

現在の大河ドラマ『麒麟がくる』においても、
朝倉義景は、同様のイメージで、描かれているかと思います。
ユースケ・サンタマリア演じる義景は、騒乱に巻き込まれる面倒をひたすらに避け、
蹴鞠などの遊びに興じる『平時の趣味人』という人物として描かれています。

今回、現地で歴史案内ボランティアを勤めている方は、
初代である朝倉孝景については、世襲を禁ずる先進的な法度を制定するなど、
その功績を高く評価しているようでしたが、五代義景は、
あまり評価をしていないような、そんな印象を受けました。

ここ一乗谷は、五代およそ百年にわたって栄華を極めた朝倉氏の遺構が、広く残っています。
朝倉氏の居館、家臣の武家屋敷、町人の家々の礎石の跡などを見ることができます。
しかも、一部の町並みが復元されており、見学することができるようになっています。
入場料は220円ととてもリーズナブル。
ただ、このコロナの時期なので、体温測定や住所氏名の記入などがあります。

復元町並

こちらが、復元された町並みです。
写真では、あまり人影がないように見えるかもしれませんが、
県をまたぐ移動が許された最初の週末ですので、実際には、
もっとたくさんの行楽客がいた印象です。

当時の工具

家の内部には、当時使用された工具類などの展示もありました。
この時代にはまだカンナというものはなかったようで、そのかわりに、こうした工具が、
使われたといいます。

町民の家

町民の家はどれも同じ大きさ。屋根は板を葺いて、
風に飛ばされないように石を置く、というかたちになっています。
地面をアスファルトにしなければ、もっと当時の雰囲気が出たかもしれません。

屋敷跡へ

その次に、朝倉氏の居館である朝倉館跡に行ってみました。
それにしても、青空が広がっていて、歩いていて、とても気持ちがいいです。

江戸時代に再建された門

こちらが居館に通じる門ですが、当時のものではなく、江戸時代に作られたものだそうです。
この門、私は、関ヶ原後、徳川家康が建立したものと思っていましたが、
観光ボランティアさんによると、越前松平家によって再建されたとの説明を受けました。
もっとも、秀吉が寄進したと記すサイトもあるようなので、
実際のところはどうなのか……。 ちょっと私にはわかりません。
(でも、もしそうなら、江戸時代ではなく、
天正か慶長の時代に寄進したということでしょうか)

広大な屋敷

居館の礎石跡です。建物の大きさが伺い知れます。
相当巨大なものであったかと思われます。
明智十兵衛光秀は、ここで朝倉義景に拝謁したのでしょうか……。

土塁と堀の跡

背後の丘にあがり、居館跡を見下ろしてみました。
堀と土塁の跡がはっきりと見て取れます。

素晴らしい眺め

一乗谷のあたりは、民家も少なく、自然環境が昔のままに残っている雰囲気です。
それにしても、梅雨とは思えないほどの好天!。しかも、湿度はさほど高くなく、
とても過ごしやすい一日でした。
一帯は戦国時代の遺構ではありますが、広大な公園という状態になっています。
そこかしこに遊歩道がありますし、緑も豊富で
歴史に興味がなくとも、お散歩コースとして、楽しめるかと思います。
(その美しさをご紹介したくて、画像をちょっと大きく掲載しました)

資料館へ

そのあとは、歴史資料館に行ってみました。
この日、歴史資料館は無料開放日ということで、さっそく行ってみました。

資料館開放日

こちらも、以前(2010年)に入ったことがあるのですが、その当時、私は、
歴史に関して、知識も興味もまったくなく『越前朝倉氏』と聞いても、
なんだそれ?、って感じでした、なにも知りませんでした。
ですが、以後、司馬遼太郎をはじめとする歴史小説を読むようになり、
また、大河ドラマや歴史番組を見るようになるなど、歴史マニアとはとてもいえないまでも、
当時とは、段違いに知識を得るようになりました。
ですので、同じ資料館を見学するのも、ずいぶん意味合いが違うかと思います。

展示品は、朝倉氏遺跡から出土した什器や、書状(複製品)、パネル、など多数あります。
また、朝倉氏以前の歴史についての説明もなされています。
ただ、朝倉氏が織田と戦った「金ヶ崎の戦い」「姉川の戦い」「一向一揆」などについては、
とくに詳しい展示物があるわけではありませんでした。

一乗谷ジオラマ

この展示館で、なにより圧巻なのは、一乗谷や、当時の朝倉館を再現した、
ジオラマではないかと思います。
とにかく、朝倉氏の遺構を見学したその直後に見るわけですから、
現在の一乗谷の様子と、戦後時代の同じ場所が、うまくリンクします。
つまり、一乗谷の姿というのは、当時から大きく変わっていないということでしょうか。

朝倉館模型

また、こちらは、朝倉館の模型です。
これだけの施設が一乗谷に存在したというだけでも驚きです。
いまは静かなこの山あいの地が、当時は、北陸最大の都だったわけですね。

ちなみに、この資料館では、大河ドラマで使用された衣装やパネル展示が行われていました。
こちらも無料で見学できました。

というわけで、梅雨時の晴れ間のなか、北陸一乗谷を満喫してきました。
北陸はドライブコースがたくさんありますので、また、ぜひ、出かけてみたいです。



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桔梗塚の幟

緊急事態宣言が解除され、全国的に、しだいに普段の生活に戻りつつあるようですが、
それでも、まだまだ、元通りというには程遠い状態です。
なにしろ、気温上昇の六月に入っても、自分も含め、道行く人たちはマスク姿。
この先どんどん暑くなるというのに、先が思いやられる感じですね。

それにしても、今年は、おそらく、一年中このコロナを話題にすることになりそうです。
しかも、毎週楽しみにしている大河ドラマ『麒麟がくる』も、
前回の「決戦!、桶狭間」の放送をもって、一時中断になるとのことで、
もう、とってもガッカリです。
しかも、桶狭間というチョー盛り上がりの場面で中断なんて……。
(逆に、ここで中断というのはキリがいいのか……)
今度は三週にわたって、戦国大河名場面スペシャルという番組を放送するようですが、
とにもかくにも、一刻も早い放送復活を願うばかりです。

さて、そんな大河の話題とリンクしますが、緊急事態宣言が解除された先月、
県内にある、明智光秀ゆかりのスポットのひとつに、行ってみました。
その場所は、岐阜市の北方にある『山県市』というところにあります。

先月18日に放送された、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』という番組で、
明智光秀の墓という説もある『桔梗塚』という場所が、ドラマで帰蝶を演じる、
川口春奈さんによって詳細されていました。
というわけで、ミーハーな私たち夫婦は、近場ということもあり、さっそく、
この桔梗塚にドライブがてら行ってみることにしました。

案内看板

なにしろ、岐阜市の隣町というところなので、一時間もかからず、現場についてしまいます。
しかも、案内看板や幟も立っていて、迷うことなくすぐに見つけることができました。
が、案の定というべきなのか、現場はかなりの混雑。
交通整理の人が出ていて、駐車場もほぼ満杯。
運良く駐車できましたが、かなりの山奥にもかかわらず、
駐車場はタダというわけにはいきませんでした。
やっぱり、テレビの効果というのは、すごいんですね。
おそるべし、NHKという感じです。

産湯

こちらは、明智光秀産湯の井戸跡と言い伝えられているものです。
歴史人物の産湯の井戸って、けっこうあちこちにありますよね。
以前にいった岡崎城には、家康の産湯の井戸ってありましたし……。

白山神社

というわけで、桔梗塚を参るまえに、まずはすぐ近くの白山神社に行ってみます。
こちらには、前出の番組の中で、川口春奈さんが絵馬を書いた場面があったのですが、
その絵馬は、なんと、額に入れて飾ってありました。
(写真が撮ってなくて、すみません)
解説のボランティアさんもいたりして、あたりはかなりの賑わいです。

神社への道

神社はこの長い隘路の先にあります。
写真で見ると、長く険しそうに見えますが、実際には、たいしたことはありません。
すぐに、お宮に着いてしまいます。
(美濃金山城の登山道『うらじろの径』に比べたら、ごくごく短いものです)

いよいよ桔梗塚へ

こうして、参拝を終えてから、いよいよ、桔梗塚に行ってみます。

桔梗塚というのは、明智光秀の墓とされるものだそうです。
もっとも、明智光秀は、本能寺の変後、
有名な『中国大返し』で備中から引き上げてきた羽柴秀吉と、山崎で戦い、
そして破れ、近江坂本に敗走するさいに、
落ち武者狩りにあって討たれた(もしくは、その後自害した)はずです。

なのに、なんで、この地に墓があるのでしょうか……・

この地にある看板を見ると、明智光秀は、山崎の戦いのあとも生き延び、
名を変えて、この地でずっと生きていたというのです。
そして、慶長五年の関ヶ原の合戦のさいに、東軍に与するべく出陣したというのですが、
その途上で、事故死した……、らしいです。

関ヶ原の合戦のあった慶長五年というと、本能寺の変から18年後になるかと思います。
光秀が本能寺の変後も生き延びていたなどというのは、とても信じられません。
これは、いわゆる都市伝説みたいなものでしょうか……。

もし、光秀が、本能寺の変後も生き延びたとしたら、
その後の秀吉の台頭をどんな思いで、みたでしょうか。
謀反人の娘として不遇をかこった娘、玉のことをどう思っていたでしょうか。
盟友細川藤孝に文のひとつでも出そうとは思わなかったでしょうか。

明智光秀が本能寺の変後二十年近くも山の中で隠棲していたなどということは、
私の個人的な考えですが、ちょっとありえないのかなって思います。

塚への道

などといいつつも、しっかり桔梗塚を参拝してきました。
大河ドラマのおかげで、この墓も、たいへんな脚光をあびることになったわけですね。
もしかすると、とてもきれいに整備されたこの道も、大河ドラマの放送に合わせて、
整備されたのかもしれません。

このあと、明智光秀が生まれたとされる『庵の庭』という場所に行こうとしましたが、
かなり遠かったので、途中で断念してしまいました。

山道ドライブ

というわけで、そのあとは、ヨメのプジョー(運転ももちろんヨメです)で、
県内の山道をドライブをしてみました。
いままでまったく通ったことのない道で、なかかなに新鮮な気持ちでした。
ハンドルを握るヨメも、久しぶりの山道に、大いに盛り上がっている感じでした。

というわけで、その後、岐阜市内に帰ってきたのですが、
今の季節、まだ陽が高いので、今度は、真偽不明な都市伝説的スポットではなく、
正当(?)な岐阜の歴史スポットにちょっと立ち寄ってみることにしました。

道三塚

それがこちら。斎藤道三を祀った塚『道三塚』です。
斎藤道三は、長良川合戦において、息子である斎藤義竜に敗北します。
熾烈を極めたこの戦いのあと、討ち死にした道三を偲んだ常在寺の住職が、
建立したものだと言います。
(当時と現在とでは、塚の場所は違うそうです)

この塚は、岐阜市の住宅街の中にあります。
大河ドラマの観光案内でもこの塚を取り上げており、
私も、司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んで以後、この塚を探していたのですが、
ようやく、発見することができました。

道三塚案内看板

案内看板には、当時の長良川の流れと、現在のながれとを比較した地図が描かれています。
この地図によると、長良川合戦の起きた現場は、現在の岐阜メモリアルセンターのあたり、
ということがわかります。

大河ドラマ効果か、私のほかにも、初老の夫婦が塚を見学にきていました。
もっくんも、ここにきたのでしょうか……。

とにかく、やっぱりお出かけはいいですね。
気持ちも晴れます。
今後、コロナがどのような影響を及ぼしていくのかわかりませんが、
マスクの着用などを心がけつつ、許される範囲で、お出かけしたいと思います。


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