垂井町講演会

前回も少し触れましたが、びわこジャズ東近江に行った翌日の日曜、
岐阜県の垂井町 (たるいちょう) というところで開かれた、
『世界一受けたい “関ヶ原合戦”』という講演会に行ってきました。
この講演会の講師は、Qさま、鉄腕ダッシュ!といった、
テレビのバラエティー番組で活躍されている『河合敦』さんという方で、
開催場所の垂井町は、戦場となった関ヶ原のすぐ東隣に位置しています。

垂井町は、羽柴秀吉の軍師であった『竹中半兵衛』の生まれ故郷で、
町にはいたるところに、竹中半兵衛の名を大書したのぼりなどが立てられおり、
また、関ヶ原合戦の前、会津征伐に向かおうとしていた大谷吉継が、
石田三成の説得を受け、西軍への同心を決意した場ともいわれています。

加えて、この垂井町には、関ヶ原合戦のさいに、
毛利、吉川、長宗我部、安国寺恵瓊、などが布陣した、
南宮山があり、いうなればこの町は、
関ヶ原合戦にも、深い縁を持っているといえます。
そんなわけで、今回、この地で、
関ヶ原にまつわる講演会が開かれることとなったようです。

垂井町文化会館

この日は、前日の土曜に引き続き、まさに絶好の行楽日和。
講演会に行くには、ちょっともったいないような日でもありましたが、
せっかくの青空を少しでも満喫できればと、ひさしぶりにMINIで出掛けました。
(ヨメは歴史の講演には興味がないので、この日は別行動にしました)

MINIで行く

講演会は午後2時からの開催となっていましたので、それまで、
垂井町から関ヶ原にかけて、しばらくドライブしてみました。
ですが、この地域の主要道である国道21号線がけっこう混んでいましたので、
早々に会場である垂井町文化会館に行ってみることにしました。
会場到着は午後一時。
講演会のはじまりまでまだ一時間もありますが、
それでも、駐車場は混み始めていました。

看板

講演会の入場は無料で、整理券もとくに配られません。
告知はそれほど大きく行われなかったようですが、すでにこのとき、
会場の大ホールに続く入口には、長々と行列ができていました。
これはかなり意外でした。
しかも、列をなしているのは、年配の方々ばかりで、
若い方はほとんど見られませんでした。
(この時点では私が最年少だったかもしれません)

時間が経過するうちに列はどんどん長くなり、やがては、
建物の中に収まりきらなくなり、まさかこんなにたくさん人が来るなんて、と、
ちょっと意外な思いがしました。
(みんな歴史が好きなんでしょうか…)

講演開始30分前に開場となり、
ようやくにしてホールの中に入ることができました。
なにしろ一時間前に現場にきて並んでいたので、
ステージから近からず遠からずの、まあまあよい席に陣取ることができました。
こうして、講演会が始まる頃には、開場はほぼ満杯となってしまい、
立ち見も出るほどの盛況ぶりを見せることとなりました。
これなら、講師の先生も、講演のやりがいがあるというものでしょう。

大谷吉継を描いた墨絵

ちなみにこのホールの壁面には、見事な水墨画が掲げられています。
聞けば、大谷吉継と、大谷とともに戦った平塚為広の絵だそうです。
かっこいいですネ。

そして定刻通り講演は始まりました。
講師の河合敦さんは、まず最初に、ここは関ヶ原に近く、
また、歴史への関心も高い地域なので、関ヶ原合戦にとても詳しい方も、
多数いらっしゃるのではないかと思います。
そんな場所で講演をさせていただくというのは、なにやら、
ちょっと怖い気もします、といったような趣旨のことをおっしゃっていました。

講演開始

講演は、本能寺で織田信長が討たれるあたりから始まりました。
その後の、秀吉の中国大返し、清洲会議、
そして秀吉が織田家筆頭家臣であった柴田勝家を、賤ヶ岳で破り…、といった具合に、
秀吉が天下人になるまでのいきさつを、お話しされました。
講演はステージ上のスクリーン画面とリンクしており、
とてもわかりやすいものでした。

そのとき、ちょっと気になったのは、小牧長久手の戦いのお話です。
講師の河合さんは、織田信長の次男である信雄を『のぶお』と、
発音していらっしゃいました。
これは『のぶかつ』ではないかと思うのですが…。
たしかに河合さんも『のぶかつ』とも読みますが、
といった説明を入れていましたが、のぶおという発音は、
私としては、はじめて聞きました。

そして話は、秀吉の死後、五大老のひとりであった徳川家康が、
横暴を極めていく過程へとさしかかります。
このあたりの話をすると、どうしても、家康は悪者になりますよね。
河合さんのお話も、どうしてもその傾向を帯びるようです。

そんなわけで、関ヶ原の合戦に至る経緯に、多くの時間が割かれ、
関ヶ原合戦当日の詳細な話については、
今回の講演では、期待したほど触れられませんでした。
そのうえで、講演場所が垂井町ということもあり、
南宮山に布陣した、毛利、吉川、などについては、
比較的、ウエイトを置いてお話をされていたかと思います。

講演は全部で一時間半ですが、そのなかでも、
町長や観光協会の方などの挨拶、質疑応答があったため、
正味時間という点では、それよりも、短かったかと思います。
この時間の中で、関ヶ原の戦いに至る経緯や、
合戦当日の各武将の戦いの状況を話すのは、
ちょっと無理があったのかもしれません。
(七将による石田三成襲撃事件などは、まったく触れられませんでした)
なので、もっとポイントやテーマを絞った講演のほうが、
よかったのかな、とも思いました。
ただ、そうすると、マニアックになりすぎて、お客さんの集まりは、
悪くなってしまうのかもしれません。

とにもかくにも、盛況のうちに講演会は終了しました。
その後は、ふたたび、好天を楽しもうと、ひとりMINIに乗り、
滋賀県方面へと向かってみました。

木之本町の駅で

というわけで、以前にも行った木之本町まで行き、そこから、
浅井長政の小谷城跡をかすめつつ、帰ってきました。

こうした講演会があれば、また、ぜひ行ってみたいと思います。



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大樹寺山門と桜

先週末、徳川家康にゆかりのある『大樹寺』という寺に行ってきました。
大樹寺は、愛知県岡崎市にあり、浄土宗のお寺だといいます。

苦労人として広く世に知られる徳川家康ですが、
その世評の通り、家康は、幼少期の頃より、
尾張の織田の人質となったり、またその後は、
駿河、遠江を支配する守護大名「今川義元」の人質になるなど、
過酷な運命に翻弄されてきました。
この今川氏が、尾張を目指して侵攻すると、
若き家康 (当時は松平元康と名乗っていました) も、
今川方の名を受け出兵し、織田方の支城を落とすなど、
活躍を見せたといいます。

ところが、今川方の総大将である義元自身が、
桶狭間で、織田信長の奇襲攻撃によって打ち取られると、
大軍であったはずの今川軍はあえなく潰走…。
元康はこれを機に、今川方からの離反を決意し、
迫る織田軍の気配におびえつつも、
自らの領地である三河へと戻ることとなります。

元康は戻った三河の地で、まず最初にこの大樹寺に立ち寄り、
先祖の墓前の前で、織田方に打ち取られるくらいならと、
自害しようとしたといいます。
ところが、大樹寺の住職は、元康に「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説き、
早まった行為を思いとどまらせたといいます。

以後、元康 (家康) は、あらゆる戦場において、
この「厭離穢土 欣求浄土」の文字を旗指物として用い、
ついには、天下人秀吉に成り代わって、政権を握るに至るのです。

桜並木

この日は、春まっただ中の日曜だったわけですが、
前日の土曜から天候には恵まれず、一夜明けても、雨の気配が色濃く残っていました。
そんな、よろしくない日和にもかかわらず、取り敢えず出発。
途中、堤防道路を走りつつ、壮麗な桜の並木を見物したりしました。
(ちなみにこの日は、ヨメのプジョーにて出発しました)

その後、国道23号線に入り、名古屋市をすぎたあたりで国道1号線にスイッチ。
先日、MINIで岡崎市の味噌蔵を見学に行きましたが、そのときと、
ほぼ同じルートをとることになりました。

が、岡崎市を目前に道は大渋滞。
どうやら、岡崎城のある岡崎公園で、桜にまつわるイベントがあるらしく、
渋滞はそのためと思われました。

というわけで、少し時間をロスしてしまいましたが、
国道1号線から、国道248号線に入って北上。
ほどなくして、大樹寺に到着することができました。

大樹寺到着

が、やはりというべきか、大樹寺はかなりの人出で、駐車場は満杯。
かと思いきや、駐車場の奥にも、クルマが止められるスペースがあり、
なんとか、駐車することができました。

山門

こちらがその大樹寺の山門です。
建立されたのは、家康の孫である三代将軍家光の時代だそうですが、
大樹寺は火災で焼失しており、いまの建物は安政に再建されたものだといいます。
ですので、この山門も、後に再建されたものなのかもしれません。
(それとも、当時のオリジナルなのでしょうか…)

大樹寺

おりしも、ちょうど桜が咲いており、この地を訪れるには、
まさに絶好の時期だったかもしれません。
写真では、なんとなく青空っぽく見えますが、実際には、
けっこう曇っていて、このお天気だけがちょっと残念です。

というわけで、さっそく本堂のなかへ。
本堂には阿弥陀如来像が鎮座しており、その左右には、
金色の板に濃い緑の文字で「厭離穢土 欣求浄土」と大書してありました。
この文字を見るだけで、家康ゆかりの寺、という雰囲気が、
いやがうえにも醸し出されています。

本堂より先は拝観料が必要とのことですので、拝観料 (大人400円) を納めて、
奥へと見学に行くことにしました。

これより先は撮影が禁止されているため、
残念ながら、写真はまったくないのですが、
奥にある収蔵庫には、ふすま絵などが展示、保管されており、
また、宝物殿には、ご本人の身長と同じ寸法で作られた位牌が、
並べて展示されています。

昨年の夏、岡崎城公園にいったさい、案内をしてくださった観光ガイドさんから、
大樹寺の位牌のことを聞いていましたので、今回、こうしてようやく見学ができ、
感無量といった思いでした。

このなかで、とくに興味深かったのは『生類憐みの令』で知られる、
五代将軍綱吉の位牌です。
この位牌だけ、極端に高さが低いのです。
位牌の前に置かれた解説文によると、高さは約1メートル29センチとのこと。
(ほかの位牌は、ほぼ1メートル50センチ強といったところです)

これらの位牌は、きわめて正確な身長を再現していることが、
歴代徳川将軍の遺骨の調査結果と比較することで、証明されているといいます。
ということは、やはり、綱吉は、成人としては飛び抜けて小柄だったようで、
前出の解説文によると「綱吉の身長に対するコンプレックスが、
生類憐みの令につながったのではないか」とも記されていました。

また、最後の将軍である「徳川慶喜」の位牌がありません。
これはとても意外でした。
まあ、慶喜は、在位一年ほどでしたし、
もちろん、将軍として亡くなったわけでもないので、
唯一の「位牌がない将軍」ということも、納得できないわけではないのですが、
大政奉還を行った将軍として、極めて有名な人物ですし、
位牌がないというのは、なんとも解せない…、
というか、さみしい思いがしました。

ちょうどこのとき、位牌の展示室では、テレビ (NHK) のロケが行われており、
どうやら私は、撮影の邪魔をしてしまったようです。
それにしても、どんな番組のロケだったのか、聞いておけばよかったと、
いまさらながら、思うばかりです。
(もしかすると、大河ドラマの最後に流れる名所紹介かも…)

空も晴れて…

こうしてひととおりの見学を終えて、寺の外に出ると、
雲が晴れて、青空を見ることができました。
もっと早く晴れてくれればよかったのに、と、思うばかりです。

はるか彼方に岡崎城

このとき初めて気がついたのですが、ここ大樹寺からは、
山門を経て、まっすぐ前方に岡崎城が見えます。
近くにいた人たちも、みな、この景色を写真に収めたりしていました。
(もっとも、私が撮ったこの写真では、彼方の岡崎城は見えませんが…)

桜と青空

というわけで、そもそもの出発が遅かったがために、
このときはすでに夕方。
天候は尻上がりに回復してきましたが、結局その後は、どこにも立ち寄らず、
名古屋市を経由して、岐阜市へと帰ってきました。

それにしても、石田三成ゆかりの地にもずいぶん行きましたが、
家康ゆかりの地にも、思えばけっこう行っていますね。
岡崎城も行きましたし、浜松城や、関ヶ原の桃配山、陣場野、などにも行きました。
これからも、歴史に名を残している場所を、探訪したいものです。



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石田三成公出生地

早いもので、気がつけば、すでに12月に突入してしまい、
2016年も、あと一ヶ月を残すばかりとなってしまいました。
今年は、どういうわけか、いつもの年よりも、
なんだかずっと時の経つのが早かったように思います。
(…というか、今年一年、いったいなにをしてたのか、と、いまさらながら思います)
いずれにしても、この年末も、書きたいネタはいっぱいあるのですが、
それらはまたおいおいアップすることにして、
そのまえに、まずは先月の出来事などをご紹介したいと思います。

今年の五月から、滋賀県内の各会場を使って行われていた、
石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』について、
当ブログではすでに二回ほどとりあげていますが、この企画展が、
先月末をもって終了となりました。
メインとなる三つの展示会場については、すてに見て回っているのですが、
今回は、サブ会場を順に巡ってみることにしました。

なぜ、そうまでして展示会場を巡るのか…、というと、
この企画展では、スタンプラリーも行われており、
計九つのスタンプを集めると、コンプリートになるということで、
ここまできたら、全部のスタンプを集めてみたいという気持ちが、
日々強くなってしまったからでもあります。

というわけで、まずは、長浜市石田町にある「石田会館」という施設に、
いってみることにしました。
石田町は、かつては石田村と呼ばれていた地域だそうで、
石田三成の生誕の地でもあるそうです。

石田会館

こちらがその石田会館です。
岐阜市の我が家から車で一時間半ほどで到着しましたが、
途中、かなり道が細いところもあり、
この道に入っていってだいじょうぶ?、と、ちょっと戸惑ってしまいました。
(でも、ちゃんと無事にたどり着きました)

館の手前が駐車場になっており、普通車であれば、
六台くらいが止められるスペースがあります。

この場所は、かつて石田三成のお屋敷があった場所でもあるそうです。
住所をよく見ると『長浜市石田町治部』となっており、
なんと、三成の官職名である『治部』の文字がつけられています。
それだけでも、この地域が、三成ゆかりの地であることを、強く物語っています。

郷土の名士である三成を讃え、ゆかりの展示物を納める場所としては、
まさに、うってつけであるといっても過言ではありません。

三成公歌碑

しかも、石田会館の敷地内には、このような歌碑まで建てられていました。
横柄者 (へいくわいもの) と呼ばれ、極めて敵の多かった三成ですが、
その才能は領国経営においても遺憾なく発揮されており、
領民に対しては、温情といたわりのある政策をとったといわれています。
関ヶ原の戦い以後、天下の大罪人として、徹底的に名誉を落としめられた三成…。
しかし領民は、徳川の時代になっても、密かに、三成を慕い続けたようです。

おりしもこのときは、空模様こそいまひとつでしたが、紅葉が美しく、
秋の深まりを感じさせる一日でした。

石田会館展示室

館内には三成にまつわる展示や、ビデオ映像などが流されていました。
また、撮影は禁止されていましたが、三成の生涯を絵にまとめた、
巻物の複製なども展示されていました。

小学生の力作

また、小学生の女の子が書いたという、三成にまつわる研究記録もありました。
そのページ数は膨大で、関ヶ原の戦いの東西両軍の戦力や、その顛末なども、
詳しく記してありました。
おそらく、執筆者の女の子は、将来は立派なミツナリストになることでしょう。

会場に詰めていた地元の男性が、館内を案内してくれたり、
三成の逸話や地域の伝承を、いろいろとお話をしてくださいました。
聞けば、この石田会館は、もともとは地元の公民館だったそうなのですが、
三成にまつわる品などを展示するなどして、一般の方にも、
解放するようになったとのことです。

この場所は、決して、交通の便利なところではないのですが、
それでも、この石田会館には、全国から多数の人が詰めかけており、
私たちが館内にいたあいだにも、
若い女の子や、母子の来訪があったりしました。

というわけで、ひとしきり館内を見学させていただいただき、
MEET三成展のスタンプをもらって、そのあと、
すぐ近くにある、三成の産湯を汲んだという井戸へ行ってみることにしました。

三成公の産湯

こちらがその井戸です。
民家のあいだにひっそりと佇んでいました。
この井戸は、平成12年位、復元されたものだそうです。

その後は、石田一族の供養塔があるという八幡神社に行ってみました。
かつて、この神社の地中からは、
意図的に破壊されたらしい五輪塔などが発見されたそうで、
調べたところ、それらは三成にまつわるものであると推察されたといいます。
おそらく、関ヶ原以後、村人たちは、徳川方から目を付けられるのを恐れ、
やむなく、五輪塔などを破壊して埋め、隠したものと思われます。
それでもなお、長きに渡って、密かに供養をされてきたといいます。
というわけで、私たちも、供養塔のまえで手を合わせてきました。

石田神社

毎年11月には、ここで法要が営まれるそうで、
そのときには、全国各地から、三成に思いを寄せる人たちが、
多数集まるといいます。
私も、来年は、法要に行ってみたいと思ってしまいました。

佐和山のふもとの寺

その後は、彦根市の龍潭寺へと行ってみました。
こちらも、紅葉がちょうど見頃でしたが、時間的にちょっと遅くなってしまったので、
MEET三成展のスタンプをいただいたあと、早々に立ち去ってしまいました。
次回は、もっと早い時間にきて、できれば、佐和山城趾に登ってみたいものです。

そのあと、日を改めて、残るスタンプラリーポイントへと足早に行ってみました。
まずは、米原市の松尾寺へ。
そしてその足で、彦根市の治部少丸へと行ってみました。

彦根治部少丸

治部少丸は、メイン会場ではないのですが、展示については、
彦根城そばの開国記念館よりも、内容が濃いように思われました。
室内にはジオラマなどもあって、とても楽しいです。

最後はMINIで出発

そしてまた日を改め、最後のスタンプポイントである、
米原市の成菩提院へと行ってきました。
前の二回は、ヨメのプジョーで出掛けましたが、
この日は私のMINIでお出掛けしてみました。

成菩提院

というわけで、成菩提院でスタンプをゲット。
これで、九つすべてのスタンプがそろったことになります。

スタンプラリーをやってみたのは、今回がはじめてなのですが、
やっぱり、こうしてスタンプがそろうと、なんというか、
ちょっとした達成感みたいなものがありますネ。

ただ、この成菩提院では、スタンプラリーの記念品はもらえません。
というわけで、以前にも行った観音寺へと行ってみることにしました。
観音寺は、三つあるメイン会場のひとつであり、ここであれば、
記念品を受け取ることができます。

大一大万代吉クリアファイルゲット

というわけで、観音寺会場で記念品をゲット。
記念品は、大河ドラマ『真田丸』で石田三成を演じている、
山本耕司さん直筆の大一大万代吉が大書された、クリアファイルでした。
また、九つすべてのスタンプを集めた人には、
豪華賞品があたる懸賞に参加ができるとのことで、さっそく、
応募してきました。

その帰り道、関ヶ原を通ったので、まだ一度も行ったことがなかった、
桃配山へと立ち寄ってみることにしました。

桃配山は、関ヶ原の戦いのさい、徳川家康が最初に陣を置いたところです。
関ヶ原主戦場より、かなり東に位置するので、
関ヶ原合戦祭りのときも、この桃配山に行くことはできませんでした。
というわけで、念願の桃配山来訪です。

といっても、国道21号線のほんのすぐそばで、駐車場にMINIを止めたら、
徒歩二分ほどで着いてしまいます。

桃配山-徳川家康最初陣地

ここが桃配山徳川家康最初陣地跡です。

山内一豊陣跡

そのあと、すぐそばにある山内一豊陣跡にも行ってみました。
山内一豊は、南宮山に陣取った、
西軍の毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、ら諸隊の、
いわば『抑え役』として、この地に配されたようです。

しかし、吉川広家はすでに徳川方に内通して、不戦の約束をしており、
それどころか、山上に陣取る毛利秀元の軍勢が下山するのを阻止し、
結局、関ヶ原の戦いの当日、いかなる戦闘もしないままに終わりました。

よって、山内一豊の軍勢は、南宮山の西軍とは鉾を交えることはなく、
関ヶ原の戦いの終盤に至っては、この地を引き払っているようです。

というわけで、関ヶ原合戦祭り2016以後は、お休みがくるたびに、
石田三成にまつわる史蹟を見て回る秋でした。

来年は、真田の史蹟を見て回りたいなあ、などと、
いまから、夢見ています。



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長浜の街

ただいま滋賀県では、石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』が、
いくつかの会場に分散されるかたちで行われています。
前回、この企画展の米原会場『観音寺』について、ご紹介をさせていただきましたが、
今回は、彦根市会場、長浜市会場に行ってきたことなどを、
少しばかり、書いてみたいと思います。

なにしろ滋賀県は、石田三成の生まれた地であり、
佐和山をはじめ、ゆかりの場所もたくさんあるということで、
今回、大河ドラマ『真田丸』の放映とも連動し、
こうした企画展を開催することとなったようです。
(それにしても、関ヶ原の投稿以後、当ブログは歴史ネタ、三成ネタが連発ですネ)

というわけで今回は、まず、彦根市会場へと行ってみることにしました。
彦根市は、ここ岐阜市のほぼ真西にあたり、クルマで行けば、
およそ1時間半というところでしょうか…。

今回の出動車は、前回の観音寺訪問に引き続き、私のMINIになりました。
ただ、前回の観音寺行きは、私ひとりでのドライブとなりましたが、
今回は、いつものように、ヨメとふたりで出掛けることにしました。

前回は、雨の気配こそなかったものの、
空模様は雲の多いどんよりとしたものでしたが、
この日はすこぶるよいお天気で、絶好のドライブ日和でした。

彦根のMINI

こうして彦根市到着。
町中は天気もよいということで、かなりの人出がありましたが、
なんとか、駐車場にも入ることができました。
それにしても、ホントにいい天気です。
そしてまずは、駐車場のすぐ近くにある、
彦根市の目抜き通りあたりから散策してみることにしました。

この通りは『夢京橋キャッスルロード』というそうで、
お城も近いということもあり、よりたくさんの観光客でにぎわっています。
このあたりを歩いているとき、ちょうどお昼となり、近くのお店で食事をとることに…。
その後、さっそく、MEET三成展会場へと行ってみました。
会場は、彦根城のすぐそばにある『開国記念館』というところです。
そういえば、何年かまえ、彦根旅行にきたさいにも、ここを訪れていましたね。

MEET三成展彦根市会場

会場は、この彦根会場を含め、どこも無料となっています。
この会場は『真田丸にみる石田三成と激動の佐和山展』という副題がつけられていました。
城へ行く人々が多いせいか、この会場にも、思いのほか多くの人がきていました。
しかも、若い女性が多いように思います。
この人たちも、いわゆる『ミツナリスト』なのでしょうか…。

真田丸と三成

展示は、大河ドラマ『真田丸』の、
山本耕史演じる石田三成に焦点をあてたものとなっていました。
(…というか、真田丸展と銘打ったほうがいいような感じでした)
展示品も、撮影に使用したものがほとんどで、
三成その人にまつわるものは、少なかったかもしれません。

ただ、撮影に使用された書状などは興味深く、
有名な『内府ちかひの条々』など、ドラマといえども、
小道具にこだわりを感じました。

また、MEET三成展とは関係のない、常設展のスペースでは、
江戸期の彦根の街のジオラマや、大老井伊直弼にまつわる展示などもありました。
井伊直弼といえば、安政の大獄によって政敵を粛正したということで、
現在においても、よいイメージを持たれにくい人かと思います。
ですが、ご当地であるここ彦根では、井伊直弼は郷土の英雄ということで、
人々から広く尊敬されているようです。

ちなみに、この会場に設置されていたモニターに、
石田三成を讃えるCMが各種流されており、これがとてもおもしろい…。
このMEET三成展彦根会場のなかで、このCMがいちばんのお気に入りかもしれません。
Youtubeにアップされているので、ぜひ、ご覧ください。

○ 石田三成を讃えるオモシロCM映像集 - You tube - ~

こうして、彦根会場を見物したあとは、北の長浜市にある、
MEET三成展長浜市会場へと向かってみます。
彦根市から長浜市までは、クルマでおよそ30〜40分でいくことができます。
せっかくですので、琵琶湖を横目に見つつ、ドライブしてみました。

長浜市では、豊国神社そばの駐車場にMINIを入れ、そのあと、
まずは黒壁スクエアのある通りへと行ってみました。

秀吉の街 長浜

長浜市には過去にも何度かきていますが、商店街を歩いたことはなく、
今回、はじめて、この黒壁スクエア界隈を散策してみましたが、
おもいのほか賑わっていて、驚いてしまいました。

アイドル

しかも、アイドルグループのコンサートも開かれていて、
賑わしさに拍車をかけていました。
(アイドルのユニット名はわかりません。すみません)

長浜会場

少し道に迷いましたが、ほどなくして、MEET三成展長浜市会場を発見。
これで、MEET三成展主要三会場は、コンプリートしたことになります。

展示物

会場は、湖北観光情報センターという、
古民家を改造した案内所のようなところでした。
こちらにも、やはり、歴女と思われる方たちが来場されていました。
ただ、展示そのものは、比較的簡単なもので、
もう少し、濃い内容がほしいように思います。
いずれにしろ、秀吉のお膝元であったこの長浜の街で、
秀吉の忠臣であった三成の企画展が行われているのは、なんとも、
感慨深い気もします。

大通寺

そのあとは、商店街を散策している途中でみつけた、
『大通寺』というお寺を参拝。
真宗大谷派のお寺ということで、作りも、京都の東本願寺を思わせるものでした。
また、ゴブラン焼きという、
リンゴを入れた小振りなどら焼きのようなお菓子を買ったりしつつ、
秀吉を祀った豊国神社にも参拝をしてきました。

ふたたびの観音寺

最後は、前回も行った『観音寺』に、寄ってみました。
というのも、長浜市から岐阜市に帰る道の途中に観音寺はあり、
しかも前回、ヨメはここにはきていないので、
せっかくなので、ちょっと寄ってみようということになりました。

観音寺の三成展会場

ここでまた、MEET三成展会場に立ち寄り、
またしても、お茶をごちそうになってしまいました。
(二度もきてしまって、すみません)

その後、観音寺に参拝し、せっかくの機会ですので、
拝観料を払って、寺のなかに入らせていただきました。
撮影は禁止なので、画像はありませんが、
ほんのりとした明かりに照らされた本堂は、
魅惑的で、とても心の落ち着く雰囲気でした。

というわけで、比較的短い距離のドライブでしたが、
近江路をたっぷりと堪能した一日でした。

スタンプラリー

こちらは、MEET三成展会場でもらえる、スタンプラリー用紙です。
主要三会場のスタンプはこれですべてそろいました。
あとは、サブ会場のスタンプがあれば、パーフェクトなんですが…。

ですので、また機会があれば、近江に行きたいと思っています。




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MINIで行く近江路

先月のことになりますが、滋賀県にある『観音寺』というお寺に、
MINIに乗って行ってきました。

天正の昔、このお寺には、少年期の石田三成が、小姓として預けられていたそうで、
秀吉と三成が始めて出会った場所でもあるとも言い伝えられているそうです。
折しもいま、この観音寺では、
石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』が開催されており、
各種のパネル展示などが行われています。
(MEET三成展は、この観音寺のほか、彦根、長浜などの会場でも開かれています)
というわけで、今回、まさに絶好の機会に、この寺を訪れることとなりました。

それにしても、関ヶ原探訪以降は、
立て続けに「歴史ネタ」ばかりを連発してしまいましたが、
今回もまた、ご多分に漏れず、同様の話題をアップすることとなってしまいました。
岐阜市に拠点を移して、いま、一年と少しに経ちましたが、それからというもの、
当ブログで取り上げる話題は、急激に歴史ネタが多くなったかと思います。
なにしろ、飛騨高山にいた頃は、近場にそれほど歴史的な名所はなかったのですが、
ここ美濃にきてからは、比較的近い場所に、関ヶ原といった旧跡があり、
また、城なども多く、見所には事欠きません。
そんなわけで、自然と歴史ネタも多くなってしまいました。

さて、今回は、ヨメが仕事で忙しいため、
私ひとりで、MINIに乗って出掛けるということになりました。
こうした、単身のドライブはほんとうに久しぶりで、
お天気はいまひとつだったものの、それはそれでまた楽しいものでした。

岐阜市から、観音寺までの道のりは、まず国道21号線に乗って西の関ヶ原方面へ向かい、
そこからさらに西に進んで、国道365号線へと入ります。
やがて、滋賀県の米原市に入りますが、そこから脇道にそれて、
しばらく進むと、目的の観音寺に到着します。
所要時間は、一時間半弱といったところでしょうか。
途中、脇道に入るところで迷ったりもしましたが、
無事、観音寺に到着することができました。

観音寺

観音寺のある場所は、静かな山間の農村といったところで、
日曜にもかかわらず、あたりにはさほど人気はありませんでした。
こうした静かな雰囲気が、この古刹には似合うかもしれません。

寺の手前や、すぐ手前の道には、MEET三成展ののぼりと、
秀吉と三成の出会いの地であることを謳うのぼりが、それぞれ立ててあり、
寺としても、三成のことは多いに宣伝に使っているようでした。

観音寺参道

寺の門をくぐると、長い参道があります。
舗装もなく、石畳もなく、まさに土の道なのですが、
そのあたりも、質素で昔ながらといえるかもしれません。

案内看板

参道手前には、寺の案内図がありますが、その下に、
石田三成が秀吉のために茶を出した、その水汲みの井戸への看板がでていました。
というわけで、参拝の前に、まずはその井戸へと行ってみました。

三成の井戸

こちらがその井戸です。
はじめて城持ち大名となった秀吉は、
長浜の周辺にあたるこの付近まで、鷹狩りにきたといいます。
鷹狩りは、いま風にいえばスポーツのようにも思えますが、
実際には、領地を見聞するための、いわば偵察のようなものであったともいいます。

途中、のどの渇きを覚えた秀吉は、この寺に立ち寄り、茶を求めたといいます。
そこで茶を出したのが、寺の小姓であった佐吉、つまり、のちの石田三成だといいます。

三成は、秀吉ののどの渇き具合を推察し、
最初は、大きめの茶碗に、ぬるめのお茶を、たっぷりと出したといいます。
それを飲み干した秀吉が、再度、茶を求めると、
三成は、最初のものよりも少し小さい茶碗に、少し熱めのお茶を出したといいます。
秀頼が、またさらに茶を求めると、三成は、さらに小さい茶碗に、
熱いお茶を出したそうです。

秀吉は、この少年の明敏さに目を見張り、
寺からもらいうけ、自らのもとに召し抱えます。
少年はその期待に見事に応え、やがて天下人へと駆け上る秀吉を、
終生変わらず支え続けるのです。

このエピソードは『三献の茶』などと呼ばれており、
前回ご紹介した、司馬遼太郎氏の小説『関ヶ原』でも、
冒頭で取り上げられています。

観音寺の石段

こうして、三成ゆかりの場所を堪能したあと、お寺を参拝。
森のなかに建つ古いお寺でしたが、独特の味わいがありました。

MEET三成展会場

そのあとは、MEET三成展の会場となっている建物に行ってみることにしました。
こちらの会場は、見学無料で、しかも、場内に入ると、
三献の茶にちなんでか、お茶のサービスがあります。

場内は、主にパネル展示がなされており、設置された大型モニターには、
歴女アイドル小日向えりさんの、三成紹介VTRが流されていました。

パネル展示は、MEET三成展というだけあってか、三成びいきな感じでした。
また、島左近など著名な家臣についての紹介もありました。

というわけで、MEET三成展観音寺会場を、十分堪能してきました。

そのあとは、ふたたびMINIに乗り、今度は、滋賀県の北部である、
木之本というところに、ドライブがてら向かってみました。

木之本の街

こちらがその木之本の街です。
私はこの街について、ほとんど何も知らなかったのですが、
古い町並みがある、風情のあるところです。

木之本地蔵尊

こちらは、木之本地蔵院というお寺です。
じつは、あとになって知ったことですが、
このお寺は、本能寺の変のあと、
秀吉と柴田勝家が激突した『賤ヶ岳の戦い』のさいに、
秀吉の本陣になった場所だそうです。
(実際、この木之本から、賤ヶ岳はほど近いです)
寺はそのさいの戦火で焼けてしまったそうですが、
後に、豊臣家の重臣である片桐且元が再建したといいます。
が、寺はふたたび火災にあったそうで、江戸時代中期に再建されたといいます。

きのもと交遊館

そしてこちらは、きのもと交遊館という建物です。
明治期か大正時代に建てられたものかと思いましたが、
昭和初期に、銀行として建てられたものだといいます。
ここで、MEET三成展の部分展示が行われています。

大谷吉継の展示

こちらでは、大谷刑部吉継にまつわるパネル展示が行われていますが、
展示そのものは極めて小規模で、これですべてでした。
ちょっとさみしかったかも…。

それにしても、木之本はなかなか楽しいところです。
今度、またじっくりと見物したいものです。

というわけで、今回は、ヨメなしの単独ドライブ、単独歴史紀行でした。


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