
さて、2019年もはじまって、すでに半月以上がたってしまいました。
すでに松の内もとっくにすぎているので、いまさら、新年の挨拶もどうかと思いますが、
この新しい年も、当ブログ『k's bar』を、どうぞよろしくお願いいたします。
というわけで、今年最初の話題ですが、ここ岐阜市から比較的近いところにある、
ぎふ清流里山公園に行ってきたことなどを、ちょっとご紹介したいと思います。
このぎふ清流里山公園というのは、以前は、日本昭和村と呼ばれており、
中村玉緒を名誉村長 / イメージキャラクターとして、いまから15年ほど前に、
オーブンしました。
私もその当時、たしか二度ほど、行ったことがあるかと思うのですが、
当時、この施設は、入場料が必要でした。
ですが、昨年、名称をぎふ清流里山公園に変更してからは、
無料で解放されることとなり、大いに賑わっているとのことで、
先日の成人の日に、行ってみることにしました。
というのもこの日、当初は、このぎふ清流里山公園にいく予定はなく、
絶好の好天にもかかわらず、行き先をどうしようか、ヨメと思案していました。
遠出するには、ちょっと出発が遅かったのです。
このようなとき、近場の施設は、お出かけには、まさにうってつけという感じでした。
ちなみに、この日の前日の日曜も、たいへんな好天でした。
そんな青空に誘われて、こちらもまた近場ですが、
墨俣一夜城などにも、ちょっと寄ってみたりしました。

こちらがその墨俣一夜城です。秀吉が信長に仕えていた当時、
(当時の秀吉は、まだ、木下藤吉郎と名乗っていたかと思います)
美濃攻めの拠点として気づいた城のはずですが……。
ご覧のように白亜の立派なお城です。
墨俣一夜城が築かれたのは、永禄といいますから、
間違っても、このようなお城だったはずがありません。
私は、この時期の城の様式や、信長の美濃攻めについて、知識が豊富ではないのですが、
(このあたりについては、司馬遼太郎の国盗り物語を読んだ程度の知識しかないです)
おそらくは、簡素な砦のようなものだったのではないでしょうか。
なんかこれはちょっとひどくないか、と、思ってしまいます。
なにしろ、大垣城よりも立派ではないですか……。

城のたもとには、木下藤吉郎秀吉の立派な像がありますが。
この城を草葉の陰から見た亡き太閤殿下は、首を傾げておられるのではないでしょうか。

当時の墨俣一夜城を忍ばせる資料が、看板として展示してありました。
歴史的に意味のない城を建設するよりも、こちらをぜひとも復元してほしいですよね。
城の入場料はたいした金額ではないのですが、
なにしろこのときはヨメもいましから、入場はあきらめ、
とりあえず、この日は、帰宅することにしました。
お天気がいいのに、ちょっともったいなかったですね。
というわけで、話が少し前後してしまいましたが、
話題を、ぎふ清流公園に戻します。
この日は祭日ということで、やはり、ぎふ清流公園の駐車場は、とても賑わっていました。
あたりには、家族連れの楽しそうな声があふれています。
さっそくゲートへ。
以前はこのゲートで、入場料を支払って、なかにはいっていたわけですが、
いまは無料開放となったため、そのままフリーで入れます。
ちょうどこのとき、ゲートに、施設内の昭和座というところで、
ジャズコンサートをやっている告知看板がでていました。
コンサートの開演は、午後二時だということですが……。
すでに午後二時を五分ほど回っています。
冒頭はちょっと欠けてしまったけど、いまからいっても、
間に合うかも、と思い、ヨメともども、昭和座に向かって駆け出しました。

こちらがその昭和座です。
すぐになかに入ってみました。

出演されていたのは、おふたり。
ボーカルは、美濃加茂出身のシンガーyumeさんだそうです。
ギターはトムさんとおっしゃるそうです。
yumeさんは全国デビューもされているそうです。
日曜のひととき、おふたりの演奏で、楽しませていただきました。
また、機会があれば、ぜひ、お聞きしたいです。

そのあとは、園内をいろいろと散策してみました。
私はここにやってくるのは、十五年ぶりくらいかと思いますが、
当時とは、いろいろと様変わりしているのかなって思いました。

こちらはやまびこ学校という古い校舎。
このなかでは、昭和パビリオンという展示がされていました。

こちらはダイハツミゼットではなく、マツダの作った車両です。
ダイハツのミゼットは、比較的、旧車イベントなどで、
見かけることがあるのですが、このマツダの車両はめずらしいですね。

昭和の家庭のようすが再現されていました。
1/1ジオラマという感じですね。
テレビなどがなつかしいです。
(と思う、ワタクシ昭和三十七年生まれ)

こちらは、昭和の小さな商店街を再現したものです。
レコード店の店頭には、なぜか、郷ひろみのレコードがひときわたくさんありました。
こういう展示、楽しいですね。
というわけで、やまびこ学校を見学したあとは、
園内のさらに奥にある場所へと行ってみます。
以前こちらにきたときには、こういう施設はなかったはず……。
きっと、増築されてできたんでしょうね。

なんと、藁製の迷路もありました。
といっても、大人が入ると、迷路を俯瞰できて、すぐに出口がわかっちゃうんですが。

園内には堀もあり、そこには脚こぎ用のボートがありました。
天気がいいですから、ボードを漕ぐのも楽しそうですね。

こちらは、朝日村役場のなかにあった、昭和十六年十二月の新聞記事です。
なんだか勇ましいタイトルと記事ばかりが踊っていますが、
このおよそ三年と半年強で、敗戦となります。
というわけで、好天のなか、ぎふ清流里山公園を思いっきり堪能してきました。
近場過ぎてなかなかいままで訪れる機会がなかったのですが、
いざ、園内各所を巡ってみると、とっても楽しかったです。
コチラをクリックしてくださるとうれしく思います。
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