ダリ展看板

24日の日曜は、名古屋に行ってきました。
この日は、名古屋市内で、「中京AFVの会」なるものが開かれ、
まずはその会に参加するために、そぼ降る雨のなか、名古屋まで行ったというわけです。
(しかも、エアコンのないMINIで…)

AFVとは、Armored Fighting Vehicleの略で、
日本語に訳すと「装甲戦闘車輛」という意味になります。
つまり、AFVの会とは、軍用車輛の模型愛好会とでもいうべきものなのです。
(まあ、はっきりいって、戦車オタクの会ですネ)

この会の最大の呼び物は、集まったみなさんの模型作品コンテストです。

以前は、私も、この会のために、
積極的にジオラマなどを作っては持ち込んでいたのですが、
いまは、そんなことをする時間もなく、もっぱら、見る側に回っています。

さて、午前十時の開会に遅れること二十分、どうにか会場に到着しました。
そして今年も、みなさんの力作をつぶさに拝見することができました。
(なのに、会場の写真を撮るのを忘れてしまいました。すみません)

ちなみに、私がかつて作っていた戦車ジオラマとは、
こんな↓モノです。
Kentaro Nobayashi Art Works

会は午後四時までみっちりとあるのですが、私は、午前中のみで切り上げ、
午後からは、名古屋の町中へと向かうこととしました。
名古屋市美術館で、「ダリ展」が開かれていたからです。

先日、岡崎市美術博物館で開かれた「シュルレアリスム展」で、
いくつか、ダリの作品を見ましたが、今回の催しでは、さらに多くのダリ作品を、
間近で見ることができるはずです。
そんなわけで、期待に胸膨らみます。

というわけで、名古屋市伏見のタワーパーキングにMINIを止め、
名古屋市美術館に向かったのですが…。

外は本降りの雨。もう、シャツの袖も、靴の中も、ビショビショです。
足下の悪いなか、ようやく会場にたどり着くと…。
なんと、美術館の前には、大行列ができているではないですか。

名古屋市美術館

写真で見ると、たいした行列にはみえないんですが、実際には、
けっこう長い列でした。

晴れていれば、並ぶのも苦ではないのでしょうが、さすがに、
この雨の中、列に並ぶ忍耐力がありませんでした。
(いっしょにいったヨメも、私と同じ思いでした)

というわけで、ダリ展は、平日に見に来ようということになり、
断腸の思いで、会場をあとにしました。
(根性のない私たちです)

その後は、名古屋の中心地「栄」に行き、
地下街や百貨店でショッピング。
雨はますますひどくなり、行楽にはまったく不向きの日曜でしたが、
なんとか、楽しく過ごせました。

ただ、ダリが見られなかったことが、心残りです。
なんとか、近いうちに、万難を排して行かなくては…。



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森林鉄道機関車

さて、昨日の続きです。
公園でお弁当を食べたあと、クルマを走らせることほぼ1時間、
私たちは、目指す赤沢自然休養林に到着しました。

周囲を森林に囲まれた、風光明媚なところです。

この赤沢自然休養林には、
大正から昭和にかけて建設された森林鉄道が、いまも、保存運行されています。
かつて、木曽の林業を支えた小さな列車は、
いま、観光用の旅客列車として、活躍しています。

せっかくなので、この森林鉄道に、乗ってみることにしました。

赤沢自然休養林

こちらがその森林鉄道です。
通常の線路よりもかなり幅が狭く、そのため、
機関車も客車も、かなりのミニサイズです。
(もともと、人を運ぶ鉄道ではなかったわけですし)

ボールドウィン号

ちなみにこちらは、その昔使われていたという蒸気機関車。
ボールドウィン号というそうです。
デザイン的に、かなりかわいいですネ。
ただ、こちらは単に展示してあるだけのようで、
実際に走ったりすることは、ついにありませんでした。残念。

森の中を行く列車-1

そしてトロッコのような客車に乗り込み、出発!。
機関車は時速7?8キロで走っていきます。
かなりの低速ですが、まわりの景色を眺めるためには、
このくらいがちょうどいいのかも。

時折涼しい風が吹き、とても気持ちよかったです。

終点の丸山渡停車場

こちらが、終点の丸山渡停車場です。
この場所で、5分から10分ほど停車したあと、
列車は、今きた道程を折り返すかたちで出発駅へと戻ります。

行きと帰りを含めた所要時間はおよそ30分。
森の中を散策するように進む列車に乗って、
あたりの風景を楽しむには、ちょうどいい時間です。

去年、私の住む岐阜県の北部で、
神岡鉄道という第三セクターのローカル線が、廃線となりました。
廃線間際、この神岡鉄道は、たいへんな賑わいを見せたといいます。
私も、件の神岡鉄道に乗ってみるつもりでしたが、
結局、乗りそびれてしまい、たいへん残念な思いをしたものです。
ですが、今回、森の中に伸びるトロッコのような列車に乗ることができ、
とても楽しいひとときを過ごしました。
(といっても、運行している区間は、わずかですが)

森林鉄道線路

この鉄道が、今後も、末永く残されることを、
切に望みます。



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お弁当

梅雨に入ったというのに、すこぶる天気のよかった先週の日曜、
お弁当をもって、ドライブに出掛けてみました。

今回はMINIではなく、ヨメのプジョー306にて出発。
ハンドルを握るのも、もちろんヨメです。
進路は東。信州方面へと向かいました。

御岳ロープーウェイ

そして、着いたところは御岳のふもと。
ここは、御岳ロープウェイの乗り場です。
目の前に聳え立つ御岳には、まだ、白く輝く雪がかなり残っています。

御岳のゲレンデ

ロープウェイの鉄塔が林立する山の斜面は、
スキー場のゲレンデになっています。
眺めも最高だったので、ここでお弁当を広げようと思ったのですが…。

あたりには降り注ぐ日光を遮るものがなく、かなり暑い…。
こんな炎天下のもとでは、とてものんびりとすごせそうにありません。
かといって、森に入るのもためらわれます。

太陽の丘公園

というわけで、別の場所に移動。
こちらは、太陽の丘公園という、大きな公園です。
ここには、頭上に日除け用の藤棚があるベンチがありました。

外で食べるお弁当

ここでお弁当を広げました。
シンプルなメニューですが、初夏の緑の中で食べるお弁当は、格別です。

腹ごしらえを終えたあとは、
木曽路にある、「赤沢自然休養林」というところに、行ってみることにしました。

赤沢自然休養林には、
かつて木曽路の山々を縫うように走っていた森林伐採用の鉄道が、
一部復元されているとのことです。
その列車は、見学客を乗せ、山の中を走っているといいます。

小さな列車が、深い森の中を走っている姿を想像すると、
なんだかワクワクしますね。

その赤沢自然休養林の模様は、また、次回に。



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玉蘭表紙

桐野夏生の小説「玉蘭-ぎょくらん-」を、読了しました。

じつはこの本、去年買ったものなのですが、
部屋の隅に置きっぱなしにしたまま、いつしか存在さえも忘れていました。
ですが、本作が、テレビドラマ化されたとの番組宣伝を見て、
ふと、「そういえば、この原作本、うちにあったな」と、思い出し、
埃をかぶっていた玉蘭を、ふたたび手に取った、という次第です。

さて、そのストーリーですが…。

物語は、主人公「広野 有子」が、深夜、留学した上海の大学の学生楼で、
眠りに落ちるための儀式を始めるところから始まります。

有子は、不眠症に悩まされているのです。

強い上昇志向を持ちながらも劣等感に苛まれている彼女は、
恋人である「松村 行生」との恋に終止符を打ち、新天地を求めて、
上海への留学を決意したのです。

が、そこは、日本人留学生ばかりが集う、日本よりも濃密な「日本」でした。

有子は、異国の地で群れ集う日本人の、閉ざされ圧縮された人間関係の中で、
急速に自らをすり減らしていきます。

そんな彼女のもとに、
昭和二十九年に行方不明になった大叔父「広野 質-ひろのただし-」が、
二十代の若々しい姿のまま、霊体となって現れます。

そして、物語は、有子を取り巻く人々との関係と、
質の生きた戦乱の時代とが、折り重なって進んでいきます。

私は、これまでに、
「OUT」「柔らかな頬」そして、村野ミロシリーズなどの、
桐野作品を読みました。

桐野作品に共通していえる特徴は、主人公が抱える「閉塞感」が、
巧みに描写されていることです。
どこにも逃げ場がない、緩慢な圧迫感…。
「OUT」の弁当工場にも、「柔らかな頬」の製版会社にも、
それらが、にじみ出ていました。

今回の玉蘭においても、そうした感覚は、うまく描写されています。

物語の中で、霊体となった質は、
「新天地などどこにもない。新天地に来たと思っても、
 そこは、自分の知っている世界の最果てにすぎない…」
と、有子に告げます。
「過去を持っている限り、どこにいこうと、
 そこは自分の世界であり、新天地ではない…」
それが、質の主張なのです。

この台詞からも、桐野らしい閉塞感が読み取れます。

有子にとって、地方出身の女が東京で生きることは戦争であり、
恋愛もまた、闘争のひとつなのです。
彼女は、その戦いの中で、傷つき、消耗して、上海へと逃れます。
ですが、彼の地でも、また、同じ消耗が続くのです。

一方で、軍閥が群雄割拠する1920年代末期の中国で、
肺病に冒されながらも、残された命を振り絞って夫を愛する、
たくましくも妖艶な質の妻「浪子」の姿も、語られていきます。

物語の終盤には、妻を失った質の後日談が語られています。
それは、傷つけ合い奪い合う、有子と松村との恋愛とは対極をなす、
単純で暖かい「老いらく」の恋の物語です。

心の荒涼を描いた本作品にあって、このエピソードは、
それまでの桐野作品にはない、穏やかな読後感を与えてくれました。

さて、つぎは、「グロテスク」でも、読みましょうか…。




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ももちゃん-1

実家で飼っていた愛犬トトロが大往生して、はや数ヶ月。
私の両親は、さみしさに耐えかねたのか、
また、新しく、ペットショップで犬を買ってきました。

この犬も、トトロと同じ、シーズー犬です。

先日、モモと名付けられたそのシーズー犬を、見に行ってきました。

シーズー犬は、成犬でもかわいいのに、
(もちろん、どんな種類の犬も、かわいいのですが)
ももちゃんはまだ子犬ですから、それはもう、めちゃくちゃかわいいです。
頬擦りしたいほどかわいいです。

というわけで、デジカメでももちゃんの写真を撮ろうとしたのですが、
ももちゃんは、一時もじっとしていません。

だから写真もブレブレ。
ホント、元気がいいです。

ももちゃん-2

とりあえず、なんとかうまく撮れた写真をもう一枚。
もう、なんてかわいいんでしょう。

ももちゃんのあまりのかわいさに、実家を去るのが、
つらいほどでした。
また、ももちゃんと、思う存分遊びたいです。

ももちゃん-3




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ミニのハンドル

岐阜県飛騨地方と、長野県との間には「安房峠-あぼうとうげ-」という、
険しい峠道があります。
上高地にほど近いこの峠は、
かねてから、交通の難所として、地域住民に広く知られていました。

しかし、平成九年の終わりに、この峠をショートカットする、
「安房トンネル」が完成し、かつて、交通の難所と呼ばれた峠道は、
いま、ひっそりと、緑の中にその身を横たえています。

五月に入っても、この峠道は、残った雪のために通行はできませんでした。
が、六月に入り、ようやく、峠道への乗り入れができるようになりました。

というわけで、3日の日曜、この峠道に、ミニで行ってきました。

峠のゲート

ここが、安房峠のゲートです。
(五月末まで、ここは閉じられていたそうです)
周りはうっそうとした森。なんだか、ワクワクします。

道を進むと、険しい山道らしい、急カーブに急勾配が続きますが、
新緑や山の風景が美しく、とても楽しく運転できます。
(ただ、道幅はところどころ、かなり狭くなりますが…)

安房峠山頂

そして、ここが、峠の頂上です。
ここから向こうは、長野県松本市になります。

安房の荒れた路肩

道の状態は悪く、あちこちで、路肩が崩落しています。
ここは国道なんですが、いわゆる「酷道」でもありますネ。
山の斜面には、まだ、雪を見ることもできます。
六月に一般道の脇で雪が見られるなんて、ある意味、すごいです。

峠道(長野側)

長野県側に入ると、景色も変わります。
トンネルが開通して以降、この峠道の交通量は、当然のことながら減少しましたが、
それでも、すき好んでこの峠に入ってくるクルマが、意外と多くいます。
長野県側の道はさらにカーブが厳しくなり、ほとんど、
180度近い狭いヘアピンカーブが連続して続きます。

信州のミニ

峠を降りて、しばし休憩。
いつも、がんばって走ってくれるミニに感謝です!。



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山田荘外観-1

六月一日の金曜、
この日は、仕事の打ち合わせのため、名古屋に出張となりました。
私の住まいから名古屋まで、クルマでおよそ三時間半。
朝四時半に起きて、名古屋まで向かいました。

田舎暮らしは、フットワークのよさが必要とされるかもしれません。

打ち合わせを終えたあとは、別の所用のため、名古屋市のお隣の街へ。
その道中に、以前、私が住んでいたアパートがあるので、
(私は、名古屋に、十年ほど住んでいたのです)
今回、チラリと寄ってみました。

このアパート、名前は「山田荘」といいます。
私が、ここに住んでいたのは、十五?六年くらい前のことでしょうか…。
いまだに、この建物が昔のままに存在していることに、
なんだか、感動を覚えてしてしまいます。

ここには、いろいろな思い出があります。

山田荘外観-2

まず、最初に思い出されるのが、ボヤ騒ぎ。
ある朝、私の部屋の隣に住んでいた青年が、
私の部屋のドアを、「火事です、起きてください」といって、
ドンドンと叩きまくったのです。

で、私がねぼけまなこでドアを開けると…。
そこには、全身、真っ黒になった青年が…。
なんでも、風呂の空焚きをして、出火してしまったとのことで、
自力での消火作業もままならないとのことです。
(そのさい、大量の煤を浴び、真っ黒になったようです)
ふと、隣の部屋を見ると、浴室の窓からは煙があがっていました。

その直後、消防車が二台ほど到着し、一帯は、早朝から大騒ぎになりました。

結局、彼の部屋の浴室を焼いただけで、大事には至らなかったんですが。

この一件は、今でも、とても強く印象に残っています。

もちろん、思い出は、こればかりではありません。
私の隣の隣に住んでいた初老の夫婦が、
なにかと私のことを気にかけてくれて、
ご飯を作ってくれたりと、いろいろお世話になったことも、ありました。

山田荘の変わらぬ姿は、私の脳裏に、
懐かしい思い出を、たくさん浮かび上がらせてくれました。

周辺の町並みは、私が住んでいた頃と比べると、
大きく様変わりしているのですが、
この建物だけは、まるで大きなタイムカプセルのように、
昔のまま、いまも、そこにあります。

今後も、ずっと、このまま、
変わらぬ姿のままでいてほしいな、と、思ってしまいました。



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