
先週の日曜(25日)、すごく久しぶりに、MINIで出掛けることとなりました。
お正月に、ヨメさんの実家(岐阜県大垣市)にいって以来、
じつに、3週間ぶりのMINI出動となりました。
1月下旬のこの時期、ここ飛騨地方では、まとまった雪に見舞われているころですが、
ここのところ、積雪量はさほど多くなく、
出掛けるにあたり、運転に難儀することも、ほぼないといっていい状態です。
ましてや、自宅から南下するとなれば、
道路状況は、好天に恵まれさえすれば、路上に雪を見ることはまずありません。
そんなこともあって、今回は、進路を南へ。
岐阜県下呂市金山町というところに、向かってみました。
ここには、近年、古代の天文台ではないかといわれている、
「岩屋岩陰遺跡」と銘打たれた巨石群があり、
今回、それらを見に行ってみることにしたのです。
この岩屋岩陰遺跡までは、我が家から二時間弱ほどの距離です。
件の遺跡のある場所はうっそうとした森のなかです。
もっとも、遺跡といっても、
巨大な岩がゴロゴロと森のなかにうずくまっているという感じで、
人工的に手が加えられた形跡がほとんど感じられません。
意味なく散らばる巨岩の群れのように見えるだけです。
ちなみに、この巨石群の一部は、小さいながらも神社となっており、
遺跡の手前には、鳥居や石畳といった、人の手による構造物を見ることができます。
ですが、この神社は、巨岩遺跡が形作られたと思われる年代よりも、
もっと後の時代のものであり、天文台と推察される巨石とは、直接の関係はありません。
遺跡の主たるものはあくまで、周辺に散らばる巨岩で、
それらは、どうみても自然のものであり、これらが遺跡だとは、一見してはわかりません。
ですが、この岩の配置や、岩の一部の面は、夏至、冬至の太陽の位置や、
日の指す角度、そして天体の運動と連動しているとのことで、
あきらかに、天文知識を有する者が、その動きと呼応させるよう、
巨岩を配置したと思われるそうなのです。

岩は山の斜面に点在しており、それらを結ぶように、
簡易な歩道がつけられています。
画像ではわかりづらいのですが、
この岩はかなり巨大で、古代、この岩を人の手で動かそうとするなら、
相当な数の人足が必要だったと思われます。

各所には、岩と天体がどのように連携しているのかを詳細に示す看板が立っています。
写真と図説による、ビジュアル的にわかりやすい看板です。

この岩には線状の溝が彫られていますが、この溝の角度は、
夏至の太陽の差し込む角度と、完全に一致しているそうです。

この遺跡の各所にある岩は、
ことごとく、夏至、冬至の太陽の日の出や日没の角度などと、
呼応しており、古代の太陽観測を伺わせる遺物となっています。
また、この遺跡のすぐそばには、
ログハウスのような、小振りのゲストハウスがあり、そこには、
遺跡と太陽の運動とがいかに連動しているかを示すパンフレットが置いてありました。
内容は、遺跡内に点在する看板とほぼ同じですが、
紙面に示された図形や数値を見ていると、
なるほど、この巨石は、ストーンヘンジ的な意味合いを持つものなのかも、と、
思えてきます。
というわけで、日曜の午後、
古代の夢を、ほんのひととき、見てきました。
コチラをクリックしてくださるとうれしく思います。
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