特集記事

2月19日に発売された、
アスキー増刊号「2009年 3/24号増刊新世代CPUパソコン自作」号の、
巻頭特集記事イラスト(見開き)を、担当させていただきました。

今回は、スターウォーズばりのイメージです。
宇宙を舞台に、ハイテク戦闘機と戦艦が、対決しているイラストです。

というのも、今回の特集記事は、新世代CPUと呼ばれている、
コアi7と、フェノム2を、それぞれ比較してみる、という内容となるため、
この両CPUの対決を、宇宙戦闘機vs宇宙戦艦になぞらえてビジュアル化したい、
とのご要望を、編集部の方より、いただきました。

こうして、いただいたラフをもとに、
このようなイラストに仕上がりました。

いままで、多数、アスキーさんのイラストを描かせていえただきましたが、
今回は、流用できるモデリングデータが少なく、
そのため、もっとも、手間と時間がかかってしまったように思います。

アスキー増刊号

とはいっても、本イラストは、メカ戦という、私の得意分野ですので、
作業は、とても楽しくさせていただきました。

今回、ちょっと悩んでしまったのが宇宙戦艦のデザインです。
編集部の方からいただいたラフには、
機動戦士ガンダムに登場する「サラミス」という宇宙戦艦のようなものを、との、
指示があり、私も、このサラミス的デザインで作業しようかと思っていたのですが、
どうにも、誌面へのおさまりが悪いような気がします。

もっと、シンプルな形状でカッコいいものができないかと、
いろんな資料を見て、形状を模索するうち、このようなデザインとなりました。

見開きイラスト

戦闘機からの曳光弾、戦艦の主砲の発射光、そして爆発などは、
Photoshopにて、処理してあります。

最後になりましたが、
編集部のみなさまには、今回も、たいへんお世話になりました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。




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モーガンスリーホイラー前面

昨日の日曜、MINIでお出かけをしてきました。
今回、出掛けたのは、北陸は石川県の小松市にある、
日本自動車博物館です。

この博物館は、個人がコレクションした国内外の名車を、
一堂に展示した施設とのことで、
その展示台数は、トヨタ博物館を上回るともいいます。

白川郷付近のミニ

天候は好天。
絶好のドライブ日和です。
世界遺産白川郷を経由して、小松まで行きましたが、
豪雪地帯であるはずの白川郷は、暖冬の影響で、極めて雪が少なく、
おかげで、道中、難無く走破できました。
(ただ、クルマの大敵、融雪剤がたくさん撒かれていました)

日本自動車博物館

こちらが、その自動車博物館の建物です。
赤煉瓦作りの、大きくて重厚な建物です。

場所は、先にも触れたように、石川県小松市にあます。
粟津温泉からもほど近く、
北陸の大動脈である国道8号線からもよく見えることから、
地域のランドマーク的存在となっているのではないでしょうか…。

館内の様子

建物は三階建てて、各フロアに、カテゴリー別に分類されたクルマが、
展示されています。

ただ、それぞれのクルマの展示方法は、
限られたスペースに無理にクルマを押し込めた、という感が否めません。
展示車の多くは、車体の左右前後は、あまり間隔がなく、
各クルマを鑑賞するには、少し不満が残ります。

また、コンディションのよくないクルマも多数あり、
館内の照明もどことなく暗く、いささか残念な気がします。

もっとも、この博物館は、個人のコレクションの展示ということであり、
自動車メーカーなどが運営する自動車博物館と比べるのは、
ちょっと酷かもしれません。

でも、この博物館には、ここにしかない、貴重なクルマも存在します。

くろがね四起

それが、コチラ。くろがね四起です。
旧陸軍でも使用した四輪駆動車で、つい最近、タミヤやハセガワ、
ピットロードなどで模型化され、戦車マニアのあいだでは、
つとにポピュラーな車輛です。

展示車輛は、模型化された型式とは、フェンダーなどのかたちが、
ちがうようですが、この目で、くろがね四起の実車が見られることに、
ちょっと感動してしまいます。

ただ、こんなに高い位置に…、
天井ぎりぎりの位置に展示する必要が、どこにあるのでしょうか。
せっかくの貴重な車輛も、下から見上げるようにして、見物するしかありません。

メルセデス190SL

さて、こちらは、俳優である夏木陽介氏所有の、
メルセデス190SLです。
こちらは、個別の展示ブースを設けて展示してあり、
また、車輛のコンディションも格段にすばらしく、マニア垂涎の的になっていました。

このスパルタンでセクシーなデザイン…。
もう、見とれてしまいます。

モーガン・スリーホイラー

モーガン・スリーホイラーです。
その名の通り、三輪車で、しかも、エンジンが前面に露出する、
独特のデザインです。
クルマでありながら、バイクの魅力を兼ね備えたような、ユニークな車輛です。

トッポリーノ

こちらはトッポリーノです。
ローマの休日で、このトッポリーノの姿を見た人も、多いのではないでしょうか。
この時代のクルマには、なんだか、愛嬌がありますネ。

国産車、外車、ともに、各時代のものがあり、
しかも、軍用車やバイクの展示までもありました。

こうして、館内を一通り見て回ってきました。
クルマ好きには、(クルマ好きでなくとも)楽しめる施設です。

ちなみに、融雪剤のなかを走り抜けてきたMINIは、
今朝、下回りを洗車しておきました。





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Mac G5

私が普段使っているのは、Macintosh G5 Dual 2Ghzです。
MacがインテルCPUに移行する前の、Power PCの最終モデルです。
このモデルでは、
旧Mac OSがエミュレーション的に起動できる、クラシック環境が使えます。
(クラシック環境って、ときに重宝するんです)

さて、このMacに、今回、データのバックアップをさらに円滑に行うために、
内蔵ハードディスクドライブを増設することになりました。
(なんと、いままでは、デフォルトの内蔵ハードディスク160GBだけだったのです)

内蔵ハードディスクは、昨年末、秋葉原にいったさい、
ソフマップのMac専門店で買ってきました。
といっても、私は、こういう機器については、ほとんど知識がなく、
お店の人に、いろいろと相談に乗ってもらって、買ってきました。

製品は、Seagate社というところのもので、600GB、
なのに、値段は、6000円くらいでした。
驚くほど安い……。不安になるほど安いですね。

でも、買ってきたことはいいのですが、私は、ハードをいじるのが大の苦手。
Macの側面板を開けるのも、なんだか、こわいのです。

愛車MINIのエンジンルームはしょっちゅう見たりいじったりするのに、
ハイテク機器は、わけがわからなくて、私にとっては、ブラックボックスみたいなものです。

そんなわけで、内蔵ハードディスクを買ってきたというのに、
年をまたいで、ずっと押し入れに眠らせておきました。
(バカみたいですネ)

が、こんなことをいつまでもしているわけにはいかず、先日、
ついに意を決して、禁断のMac側面板を開けました。

カバー開閉

開けると、内部はこうなっています。
内部は、もう、ほこりだらけで、このほこりを掃除機でおそるおそる吸い取りました。

説明書を見ながら

内蔵ハードディスクやメモリの増設については、
Mac付属のマニュアルに、詳細な図解入りで載っています。
これをたよりに、作業を進めることにします。

というわけで、マニュアルとにらめっこしながら、
上部のHDD収納部分に、買ってきた内蔵HDDを押し込むように搭載、
データケーブルや電源ケーブルをつなぎますが、
下から出ているデータケーブルの位置と、
HDDのデータケーブル差し込み口が、微妙にずれていて、
データケーブルがうまく差し込めません。

データケーブル

ちょっと無理して差し込んだのですが、ケーブルの根元に、
過剰なテンションがかかっていそうで、こわいです。

なので、再度ケーブルを外し、
できるだけ無理のないように、ケーブルの取り回しを考え、もう一度、装着。
それでも、ケーブルの根元にいくらか無理な力がかかっているかもしれません。
(でも、この程度ならだいじょうぶだという話です)

HDDの取り付け

ことのほか、かなりあっけなく作業は終了。
ひょっとしたら、メモリの増設よりも、簡単かもしれません。

その後、Macを起動し、MacOS内蔵のディスクユーティリティーを立ち上げ、
新規内蔵ハードディスクをフォーマットし、ついで、いままでの内蔵HDDの中身を、
そっくりそのまま、新規HDDにコピーします。

復元

これは、ディスクユーティリティーの「復元」を使えば、できるそうです。
(ただ、この復元作業には、二時間近くかかってしまいました)

こうして、辛抱強く待つこと二時間。
ついに、復元が完了しました。
これで、データのパックアップがとれ、しかも、新規内蔵ハードディスクを、
起動ディスクとしても使用できるようになりました。
(いま、外付けハードディスクがあるのですが、こちらからは、起動できないんです)

で、試しに、新規内蔵ハードディスクから起動してみると…。
バッチリ、起動できました。ヤッタ!。
(ハードに弱い私にとっては、こんなことでも、素直にうれしいのです)

が、新規ハードディスクの中を見ると、見慣れない、エイリアスのようなものが、
いくつかあります。

こんなもの、どうせいいらないんだろうと思い、捨ててしまいました。
他にも、いろいろいじったのですが…。

そのせいですね。再起動してみると、

なんと、起動しない。画面は真っ暗。
そして、謎の、
/etc/master.passwd: No such file or directory
-sh-2.05b#
という文字が…。
数分後、ブォ?という大きなファン音。

はあ?、なんでこうなるの、という感じです。
とりあえず再起動し、その直後、MacOS DVDをすかさず入れて、DVDから起動し、
起動後、いままでのハードディスクを「起動ディスク」に選択して、
通常通り、起動できるようにはしたのですが、
もう一度、新規ハードディスクから起動させるためには、
どうすればいいのか、わかりません。

というわけで、Macに詳しい友人に相談すると、
新規ハードディスクの内容をぜんぶ消去して、もう一度、
フォーマットして「復元」からやりなおして。とのことでした。
ええっ、また、二時間もかかるではないですか。
でも、ここは辛抱して、もう一度、同じ作業を繰り返しました。

そうして、なんとか作業終了。
もとどおり、新規内蔵ハードディスクから起動できるようになりました。

わけのわからないものでも、フォルダを勝手に捨てると、
痛い目に遭うということを、身を持って体験してしまいました。





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100HP

ちょっと日にちが経ってしまいましたが、先日(8日)の日曜、
ニューチンクの試乗に行ってきました。

ニューチンクというのは、
ルパン三世も乗っていたフィアット500チンクエチェントの、
リニューアル版といったクルマで、旧チンクの面影を色濃く残した、
デザインのクルマとなっています。

もともと、うちのヨメは、かつて、旧チンクエチェントに乗っていて、
(この旧チンクは、いま、ヨメの実家のガレージで、
 ナンバーを切った状態で保管してありますが…)
最新のニューチンクにも、興味津々だったようです。
しかも、ヨメが、普段の足として乗っているプジョーは、車検が近づいており、
このままこのプジョーに乗るのか、はたまた、クルマを変えるのか、
それが、悩みの種となっています。
もし、クルマを変えるのなら、このニューチンクは、ヨメにとって、
格好のターゲットなのです。

ですが、このニューチンクには、マニュアルトランスミッション車が、
ラインナップになく、ヨメはがっかりしていました。
とはいえ、それでもなお、ヨメは、チンクのことは気になるようで、
いろいろと、情報を集めたりしていました。

そんなわけで、このニューチンクに、とりあえず、
試乗してみよう、ということになりました。

もっとも、ここ飛騨高山では、ニューチンクの試乗は出来ないため、
正規ディーラーのある岐阜にいったついでに、
試乗してこようという話を、ヨメとしていたのです。

というわけで、日曜の午前中、ヨメの愛車プジョー306に乗り、
岐阜に向けて出発。
目指すは、アルファロメオ岐阜です。

アルファロメオ岐阜

岐阜市内で少し道に迷ったものの、無事、アルファロメオ岐阜に到着。
すごくきれいな店内に、アルファやニューチンクが展示されていました。
写真には写っていませんが、黒のアルファ159が、すごくかっこよかったです。
これぞ、イタ車という雰囲気です。

ニューチンクのパンフ

でも、私たちの目当てはアルファではなく、あくまでチンク。
こちらが、いただいたニューチンクのパンフレットです。
さすがに、ニューチンク。愛らしさあふれるデザインですネ。

この日は、休日だけあって、お客さんも多く、
ニューチンクの試乗は順番待ちでした。
その間、アルファロメオ岐阜の方から説明を受け、いよいよ、試乗となりました。

ニューチンクの後ろ姿

試乗車は二台。ひとつは1.2で、もうひとつは1.4だそうです。
さっそく、運転席に座るヨメ。私は助手席に。
お店の方は後ろの座席に座り、クルマの説明をしてくれます。

まず、1.2から試乗。
トランスミッションは、基本的にはオートマなのですが、
ポルシェのディプトロニックのような、ノンクラッチマニュアルのような、
機能がついています。
(まあ、日本車でも、こういう機能は、よくついていますネ)

シフトノブをクリックしてシフトアップしていきます。
ですが、減速して停止すると、ギアは自動的にシフトダウンし、
発進時にはふたたび1速に入っています。

まあ、マニュアル車大好きなヨメにとっては、
(私もそうですが)
この半オートマ的トランスミッションは、どうしても、面白みに欠けます。

1.4のほうも試乗してみたのですが、乗り心地やフィールは、
さほど、変わらない印象を受けました。

こうして、1.4の試乗を終え、アルファロメオ岐阜の駐車場に帰ってくると、
そこに、ふと、目を引くクルマがあるではありませんか…。

パンダ100HP

それが、コレ。
フィアットパンダ100HPです。希少車です。
デザイン的にはちょっと保守的ですが、小さくて、町中では扱いが楽そうです。
しかも、四枚ドア。
でもって、このクルマは、6速マニュアルトランスミッションを奢られています。

お店の人によると、「禁断のクルマ」というコレ。
ヨメは大いに気に入り、さっそく、試乗となりました。

というわけで、路上に乗り出し、軽快に、軽やかに、
シフトアップしていくヨメ。
シフトノブの位置は高く、ストロークは短く、なかなか、小気味いいです。
コレは、おもしろそうです。

というわけで、試乗車をぶん回すヨメ。血が騒ぐみたいです。
(実際に運転したヨメは、おもしろい!!、といっていました)

ニューチンクの試乗に来たはずなのに、すっかり、
このパンダにご執心のようでした。

ヨメのプジョー

とはいえ、いま、ヨメが乗っているプジョーも、
いいクルマなんです。すでに10年経ちますが、デザインも、
古さを感じさせません。
(でも、古くなるとランニングコストもかかるんです)

新しいクルマもいいんですが、そのために、
愛着のあるプジョーを手放すのは、なんとも、心苦しいところです。




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中佐平から高山を臨む

先週の土曜日(7日)、実家で飼っているシーズー犬「モモ」の散歩を兼ね、
城山公園に行ってきました。

この公園は、高山市の中心部にある小高い山にあり、
観光名所となっている上三之町のすぐ東に位置しています。
かつて、この地には、高山城があったといいますが、
その名残は、いまや「城山」という名前だけであり、城そのものは、
すでにもうありません。

私が子供の頃、この城山公園は、「探検する場所」でした。
この公園のある山一帯には、無数の細く急な遊歩道(というか、獣道)があり、
それらを縦横無尽に駆け回っていたものです。

そんな懐かしい遊び場である城山に、足を踏み入れてみました。

雪の残る城山遊歩道

今回、行ってみたのは、城山公園の裏手からです。
まず、城山公園(第一公園)の南に位置する日枝神社方面から、
山道を通って、城山第二公園に入ります。
行けるところまでMINIで乗り付けましたが、雪の少ない冬とはいえ、
さすがにこのあたりの道には雪があり、
しかも、道中、路面を横断する側溝状の溝があったりと、運転には冷や汗をかきました。

道は途中から車輛通行止めになっているので、
そこから先は、モモを連れて歩きます。
(モモははしゃぎます)

月見平

こちら月見平という展望台です。
このあたりは、位置的に東にあたり、
午後は日陰になっていることが多いらしく、そのために雪もまだ多く残っています。

遊歩道を歩き、城山第一公園へと回ると、雪は姿を消してしまいました。
このあと、中佐平という展望所に向かってみました。

広瀬中佐像

こちらが、中佐平にある、広瀬武夫中佐の像です。
前々回、このブログに、
日露戦争にまつわる郷土のモニュメントを、今後、紹介していきたい、
と、書きましたが、こちらが、そのひとつになります。

広瀬中佐は、日露戦争時、
旅順(中国の遼東半島の先にある港湾都市)の港を根城とするロシア太平洋艦隊を、
港のなかに閉じ込めるため、港の出入り口にあたる水深の浅い海に、
老朽艦を自沈させて港を塞いでしまう、いわゆる「閉塞作戦」を実施しました。

旅順港の出入り口となる部分は極めて狭く、数隻の船を沈めれば、
港のなかにいる戦艦のような巨艦は、外海に出られなくなります。

とはいえ、旅順には、港を守るロシアの砲台が多数あり、沈める予定の船を、
港の出入り口に持っていくだけでもたいへんな危険がともないます。

広瀬中佐について

中佐は、船を沈め脱出するさい、部下の杉野上等兵曹がいないことに気づき、
船内を汲まなく捜しました。が、見つからず、やむなく船を脱出しましたが、
そのさい、敵の砲弾の直撃を受け戦死します。

作戦そのものも失敗で、結局、
ロシア艦隊を港に閉じ込めてしまうことはできませんでしたが、
部下を必死に捜す中佐の姿は、たいへんな美談として日本国中に広まり、
「杉野は何処」と、歌にまで唄われました。
このような経緯で、広瀬中佐は、日本最初の「軍神」となりました。

広瀬中佐は、もともと大分県の出身ですが、
ここ飛騨高山に住んでいたこともあり、こうして、広瀬中佐の銅像が、
この城山公園の一角に設けられることとなったようです。
(地元では、この広瀬中佐を、その名から、
 高山市国府町広瀬の出身だと勘違いしている人もいるといいます)

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が放映されれば、この銅像を見物に来る観光客も、
さぞかし、増えるのではないかと、私は思っています。

モモちゃん

そして最後に、こちらが、実家で飼っているモモです。
カメラを向けたのが気に入らないのか、ふてぶてしい表情です。

この日、モモは、雪中行軍したため、足下はドロドロ。
しかも、帰りのクルマの中で大暴れしました。




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玉さん個展リーフレット

昨日、飛騨市古川町の「飛騨市美術館」で開かれていた、
玉賢三さんの個展「玉賢三デザインの仕事展」に、行ってきました。

玉さんは、飛騨高山在住のイラストレーターで、
水彩による、繊細で美しいリアルイラストレーションを描く方です。
また、作品のすばらしさだけでなく、その人柄においても、
広く慕われ尊敬されている方でもあります。

会場となった飛騨市美術館は、私が住む飛騨高山の北に位置する、
飛騨市古川町にあり、ここ最近、建設されたらしく、
とても清潔感のある建物でした。
(このような施設があること自体、私は、いまのいままで、
 まったく知りませんでした)

会場に足を踏み入れると、
まず、常設展示となっている郷土の画家の方々の作品が並んでいて、
その奥に、玉さんのイラストを展示した部屋があります。

居並ぶのは、B1サイズのポスター原画、そして、
美人画、風景画、高山の祭などをモチーフにした作品、
記念切手の原画、などなどが、ところせましとならんでいます。
また、玉さんがデザインされた、ロゴや包装紙など、
グラフィックデザイン作品なども、あわせて展示されていました。

いつもながら、玉さんの技術力には、ほんとうに圧倒されてしまいます。
私などは、まったく足下にも及びません。
どの作品も、思わず、息を呑んで、見入ってしまいます。

ディティールを繊細に描き込むイラストもあるかと思えば、
大胆な画風の作品もあり、玉さんの持つタッチの幅広さと深さが、
ひしひしと伝わってきます。

同時に、玉さんは、
猫といった動物や、女性、そして少年に至るまで、
洗練された手法で生き生きと描くかと思えば、
風景画や祭の山車(屋台)といったものまでをも難無く描き切り、
さらには、クルマといった硬質なメカニックまで、こなしてしまうのです。

身近に、こんなにすごい方がいらっしゃるのだと、あらためて感じる次第でした。

玉さんの作品群をまえにして、私は、自分の未熟さや不勉強さを、いやがうえにも、
痛感してしまいました。
加えて、デジタル化されてしまったデザイン業界にあって、
ハンドメイドイラストレーションが持つパワーを、再認識させられてきました。

ひょっとしたら、玉さんご本人が、会場にいらっしゃるかも、と、
期待していましたが、平日でもあったためか、玉さんはいらっしゃいませんでした。
うう?ん、残念です。

ですが、会場には、玉さんへのメッセージを記すノートが置いてありました。
が、字がとてもヘタな私は、そこに記入するのがためらわれて、
結局、何も記してきませんでしたが、
いま思えば、ひとこと、何か書いてくればよかったと、ちょっと後悔しています。

とにかく、今回は、素晴らしい作品を拝見させていただき、
ありがとうございました。

飛騨市美術館周辺

本個展は、今月15日まで、ここ飛騨市美術館で開かれているそうなので、
高山、及び古川にお住まいの方は、ぜひぜひ、足を運んでみてください。




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坂の上の雲

今年2009年の秋から、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、
NHKで放送されるそうです。

この物語の主人公は、
日本騎兵の父と呼ばれる秋山好古(あきやまよしふる)と、
好古の弟で、東郷平八郎の作戦参謀として、
バルチック艦隊を破った秋山真之(あきやまさねゆき)、
そして、正岡子規の三人です。
彼ら三人の目を通して、維新後間もない「日本」と、この若々しくも未熟な国が挑んだ、
日露戦争という、未曾有の国家危機を、描いています。
(もっとも、正岡子規は日露開戦前に亡くなりますが)

私にとって、この「坂の上の雲」は、以前から読んでみたい小説だったのですが、
全八巻という長大さに腰が引け、最初の一巻のみを買ってきただけで、
そのまま、放置していました。
が、NHKドラマとして放送されるというニュースを聞き、
ならば放映前に読んでおこうと思い、年末から、読み始めています。

坂の上の雲 1?4

もっとも、なかなか時間が取れなくて、思うように読み進めませんが、
いま、五巻を読み終わったところです。
(画像では四巻までしか映っていませんが…)

この五巻で、本作品のひとつのハイライトである、
旅順攻囲戦が終了します。
有名な水師営の会見も、この五巻に登場します。

坂の上の雲では、
旅順攻略を担当した第三軍の司令官である乃木希典大将と、
第三軍の参謀長であった砲兵少将伊地知幸介に対して、
かなり批判的な描きかたをしています。

もともと旅順攻撃は、海軍の要請から始まった、と、この坂の上の雲には描かれています。

旅順は、日清戦争後、ロシアが、清国から強引に租借し、
その後、ロシア人たちは、ここに軍港を建設し、
艦隊を碇泊させ、港の周囲を砲と壕とで要塞化しました。
日露のあいだで戦争が始まると、
日本海軍は、この旅順港を根城にしているロシア太平洋艦隊を叩こうとします。
が、旅順港周辺に設置された要塞砲のために、日本の艦船は港に近づけません。
というわけで、海軍側は、陸軍に対して、
旅順の港を背後から攻めて、港内にいるロシア艦隊を陸から叩くか、
もしくは、ロシア艦を外海へ追い出してくれ、と、要請しました。

こうして、乃木大将率いる満州第三軍が、旅順攻略を担当するのですが、
旅順要塞は堅固に防衛されており、攻め手の日本兵はたいへんな損害を出していきます。
そんななかで、旅順の港が見渡せる二○三高地は、要塞のほかの部分と比べ、
比較的防備が手薄で、ここを奪取すれば、旅順港のロシア艦船を狙い打つことが
できるはずだと、海軍側が気づきます。
海軍は乃木軍にこの旨を伝えますが、
乃木軍は要塞のいちばん堅牢な部分を平押しに突くだけで、
同じ失敗を何度も何度も繰り返していった、と、そう描かれています。

第五巻の頁

私の通っていた小学校は、飛騨高山にある「南小学校」というところですが、
この学校の校庭には、乃木希典大将が植えたとされる「乃木松」という松があります。
(日露戦争後、乃木希典は、飛騨高山を訪れたといいます)
私は、子供の頃、乃木大将がいかにすぐれた人物だったかということを、
よく、聞かされたものでした。

ですから、坂の上の雲の「乃木」評は、私にとって、
複雑な感情を抱かせるものです。

もっとも、司馬遼太郎は、作戦家としての乃木を評価こそしないものの、
漢詩人として、また精神家としての乃木については、高い評価を与えていますし、
(司馬は、乃木よりも、参謀長の伊地知幸介少将に、批判を集中させています)
昨今は、旅順攻囲戦について、再評価をする書物や論評も数多く出てきているようです。
(私が以前読んだ、日露戦争がよくわかる本、という書籍も、
 乃木擁護の立場をとっていました)

さてさて、ここ飛騨高山にも、乃木松をはじめ、
日露戦争にまつわる石碑やモニュメントが残っています。
旅順港閉塞作戦で戦死し、日本初の軍神になった「広瀬武夫中佐」は、
ここ飛騨高山で幼少期を過ごしており、市の中心にある城山公園というところには、
銅像もたっています。

今後、機会を見て、郷土に残る日露戦争のモニュメントを、
このブログで、紹介できれば、と、思っています。




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節分星祭

今日は「節分」ということで、テレビのニュースなどを見ると、
各地の神社仏閣などでは、豆まきなどの行事が、盛大に行われたようです。
もちろん、私の住む飛騨高山でも、市内の各所で、節分の行事が行われました。

毎年、私は、この節分の朝に、
市の中心にある「飛騨国分寺」という古いお寺に、毎年、足を運んでいます。

ここでは、節分星祭という、厄除祈願祭が、この日、行われるのです。

もともと私は、こうした行事には疎く、足を運ぶことなどまったくなかったのですが、
そのためか、大厄といわれる年に、難事が続出するという自体に見舞われ、
以降、後厄の年から、知人の勧めもあって、
ここ飛騨国分寺の厄除祈願祭に、お邪魔させていただくことになりました。

星祭は、この日、三度行われることになっており、
一度目は朝十時から執り行われます。
というわけで、9時40分くらいに現地に着いたのですが、なんと、
寺の敷地内にある駐車場はすでに満杯。
これは、予想外でした。
(というわけで、近くの有料駐車場にクルマを入れることに)

大イチョウの脇を…。

駐車場の込み具合から察せられるように、星祭が行われる本堂のなかも、
すでに人でいっぱいです。
なんだか、毎年、どんどん参加者が増えているように思います。

そして定刻の10時を少しすぎた頃、本堂に鐘の音が響き、
住職らによる、朗々たる読経の声が響き渡ります。
その後、リズミカルな太鼓の音に合わせて、般若心経が唱えられ、護摩炊きが行われます。

炎が上がり、室内にもうもうと煙が立ち籠め、独特の雰囲気が漂います。

その後は、賑やかな雰囲気のなか、
盛大に豆まきが行われ、みなで豆を拾い合いました。
こうして、すべての行事を終えました。

三重の塔

こちらは、国分寺の敷地内にある三重塔です。
本来なら、この季節は、屋根に雪をいただいているのですが、
今年は、暖冬とまではいえないまでも、降雪量はかなり少なく、
塔のどこにも、雪のかけらさえついていませんでした。

数年前、ここ国分寺の節分星祭に来た時、あたりは真っ白でした。
ですが、年々、雪の姿は、視界から遠ざかりつつあるように思います。

とにかく、明日からは立春です。
暦のうえでは春ということで、気持ちもあたらに、日々、精進したいと思うのですが…。
(でも、なかなかそれができないズボラなワタクシです)



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岐阜駅前

去る1月31日の土曜、岐阜市において、
メディカルイラストでお世話になっている方々との新年会が行われることとなり、
私も、MINIで、岐阜まで遠征しました。

私の住むここ飛騨高山は、岐阜市のある岐阜県に属していますが、
それぞれの位置は、県の端と端といっていいほどの距離があり、
というわけで、一泊しての新年会参加となりました。

ホテルは岐阜の駅前に取っていただきました。

というわけで、チェックインをすませたあと、駅周辺をブラブラと散歩してみました。
岐阜駅は、近年、新しく建て直され、また、駅周辺は、再開発が進んでいるらしく、
各所で、大掛かりな工事が行われていました。

岐阜駅の建物

駅からは大きな歩道橋が伸び、また、付近には、高層ビルも建つなど、
街の様相が変わりつつあります。

そうこうするうちに、新年会の始まる時間が近づき、
岐阜駅からほど近い無国籍風居酒屋へと向かうことにしました。

そのお店は、ピザを焼く窯があるのに、二階の通路は畳敷きだったりと、
なんとも、変わったお店でした。
(しかも、天井からは子供服が洗濯物のように掛かっていたり…)

ここで、本来ならその店の模様も写真をもって披露したいところですが、
私が普段使っているデジカメは、中途半端に大きく、
宴席に持っていくのに都合のいいものではありません。
(こんなときは、もうひとつ、小さなデジカメが欲しいと、しきりに思います)

その後は、岐阜の歓楽街「柳ケ瀬」へ。
美川憲一のヒット曲にも唄われているこの街で、
みなさんと、楽しいひとときを過ごすことができました。

岐阜駅駐車場から

さて、その翌日は、風こそ強いものの、朝から天気もよく、
絶好の行楽日和でした。
というわけで、宿泊したホテルの契約駐車場にクルマを入れたままにして、
周辺の書店に資料を捜しにいったり、百貨店やロフトに足を伸ばしたりと、
岐阜の街を前日よりさらにくわしく散策してきました。

そしてお昼過ぎ、帰路につきました。

なにしろ好天に恵まれていますから、ドライブしていても、気持ちいいものです。
こうして、岐阜をあとにし、関市を抜け、北の高山を目指して、
走っていたのですが…。

それまで、快調に走っていたMINIが、突然、エンジン停止に。

最初は、何が起こったのか、わからず、
タコメーターの針がゼロを指しているのを見て、やっと、
事の次第を理解した、というありさまでした。

さいわいにも、道は、山の中ゆえに、交通量はほとんどない場所で、
突然クルマがスローダウンしても、後続車に迷惑をかけることもなく、
また、山の中とはいえ、人家などは多数あるところだったので、
そのまま、惰性で道を走り、公民館のような施設の駐車場に乗入れることができました。
不幸中のさいわいです。

そこで、MINIのキーを再度回して、エンジンをかけようとするのですが、
まったく、うんともすんともいいません。
セルが回る気配がないのです。
そればかりか、アクセサリー状態で点灯するはずの、充電警告灯も油圧警告灯も、
まったく点きません。

つまり、電気がきてないんですね。

さては、バッテリーのターミナルが外れたか、と、思ったのですが、
調べたところ、ターミナルには異常なし。

次いで、トラブルの原因として考えられるのは、ヒューズです。

というわけで、ボンネット内のヒューズボックスを開け、
予備のヒューズを入れてみると…。

なんと、何事もなく、ブルルン、と、エンジンは軽やかにかかるではありませんか。
アイドリングも安定しており、フケもよく、まるで快調です。

武儀でのMINI

ですが、なぜ、ヒューズが飛んだのかは不明です。

この先、まだまだ道のりは長く、このまま、家まで自走して帰れるかどうか、
ちょっと不安でもありました。
というわけで、一応、JAFさんを呼んで、クルマを応急的に調べてもらったのですが、
原因は不明なままでした。
(JAFさんを待つこと40分…。かなり退屈でした)

ちょっと不安の残る結果となりましたが、
現時点で、エンジンがかかるクルマを、わざわざ車輛運搬車で運ぶのも、
なんだか、ちょっとバカらしいです。

しかも、車輛運搬には4万以上かかるとのことで、結局、多少の不安をかかえながらも、
そのまま、自走して帰ることにしました。

が、その後、エンジンはいつもの快調さをずっと保ったまま、
何事もなく、家まで走り着きました。

切れたヒューズ

今日(2日)になると、すぐさま、いつもお世話になっているクルマ屋さんに電話し、
昨日起きた事の顛末を説明しました。
すると、切れたヒューズを持ってきてくれ、とのお言葉をいただきました。
なんでも、ヒューズの切れ具合で、それがなぜ切れるに至ったか、
知ることができるのだそうです。

というわけで、さっそくクルマ屋さんに。
ヒューズを見てもらったところ、原因は、ヒューズの寿命のため、
切れたとのことです。

画像でもご覧いただけるように、私のMINIは昔懐かしい管ヒューズが使われており、
このヒューズは、寒暖の差によって、管内の金属線が微妙に伸縮し、
ゆるやかな金属疲労を起こして、いずれは、寿命を迎えるのだそうです。
(このヒューズは、おそらく、23年間、私のクルマに付いていたと思います)

MINIのヒューズボックス

まあ、私のMINIのヒューズボックスは、エンジンルーム内の奥にあり、
たえず高温にさらされる場所に設置されていますし、
そのうえ、ここ飛騨高山は、冬場はかなり冷え込みます。
この状況下では、ヒューズといえども、寿命を迎えるのかもしれません。

とにかく、重大なトラブルではなく、ひと安心でした。
ただ、クルマのエンジンが走行中、いきなり停止すると、さすがに、
ビビりますネ。
こういう経験は、もう、したくないものです。





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