秋の宮村散歩道

さて、早いもので、今年もあと一日を残すのみとなりました。
今年は、なんだか、とても早く過ぎてしまいました。
どうやら、年齢を重ねていくにつれ、時の経過というものが、
しだいに早く感じられるようになるようです。
子供の頃の一年って、すごく長かったものですけどネ。

そんな2009年ですが、
仕事的には、ちょっと実りが少ない年になってしまいました。
世の中、不景気ということで、このような傾向は私だけではないのかもしれませんが、
いずれにしろ、こんなことでは、いけません。
来年は、気合いを入れて、いっそう奮励努力しなければならないようです。

というわけで、毎年恒例ですが、今年も、
この一年の道のりを振り返ってみたいと思います。

といっても、今年は、毎年恒例の旅行にもでかけることができず、
思い出という点においても、ちょっと少ないかもしれません。
来年は、また、どこか遠いところに、泊まりででかけたいです。

善光寺と回向柱

といいつつ、ふりかえれば、さまざまな事柄が脳裏をよぎります。
そのなかで、まず思い出されるのは、長野県の善光寺です。
今年は、この善光寺が、七年に一度の御開帳の年でした。
というわけで、新型インフルの蔓延が叫ばれ始めた四月末、
MINIで、長野市まで行ってみました。

御開帳の時期とあって、やはりたいへんな人出でした。
そのため、お戒壇巡りはあきらめることなってしまい、
ちょっと残念でしたが、秋にもう一度善光寺を訪れ、
このときはようやく、お戒壇巡りを体験することができました。

そうそう、そういえば、この春の善光寺訪問のとき、
山門あたりで、谷村新司らしき人を見かけたのですが…。
はたして、本人だったのか…。

この数週間あと、長野県南部にある、元善光寺にも出掛けることとなりました。

さて、思い起こせば、今年の夏は、来る日も来る日も雨ばかりでした。
まあ、そんなわけで、酷暑の日は少なく、真夏といえども過ごしやすかったわけですが、
そのかわり、夏の思い出は、ちょっと少なくなってしまったかもしれません。

ガガーリンの宇宙船

そんななかでも極めつけなのが、北陸のコスモアイル羽咋で見た、
ガガーリンが乗っていたという、旧ソ連の宇宙船の実物。
この宇宙船に乗って、ガガーリンは「地球は青かった」という、有名な言葉を残したのです。
これには、ちょっと感動でした。

夏の花火

そして、数少ない夏の思い出のもうひとつは、下呂の花火でしょうか…。
この日ばかりは好天で、花火を思いっきり満喫できました。
冬の花火も風情があっていいのですが、やっぱり、花火といえば夏ですね。

那谷寺の参道

ただ、秋は、いろいろ出掛けてみましたね。
こちらは、北陸の那谷寺。
奇岩遊仙峡という、アトラクション的な趣をもつ小山もあり、
なかなか楽しめました。

戸隠にて

また、昨年に続いて、戸隠神社にも行ってみました。
この場所は、ほんとうに、何度訪れても飽きません。
私としてはイチオシの、すばらしい場所です。

日本のチロル

そしてこちらは、日本のチロルと呼ばれている、
長野県南部の下栗というところです。
急峻な斜面に、家々が点在していて、とても興味深い光景です。

またいってみたい場所のひとつですね。

三重県庁

そして、まだつい最近の話ですが、
明治村にも行ってきました。

こうして、一年の最後を締めくくる記事を書いていると、
やっぱり、ブログを書いておくということは、備忘録として、
とても意味があると思ってしまいます。

いつ、どこにいったのか、そのとき、何があったのか、
各記事を読めば、いろいろな思い出や出来事がよみがえってきます。
ときに、ブログを書くのをやめてしまおうかと思うこともありますが、
(なにしろ、私はズボラなので…)
可能な限り、コツコツと続けていきたいと思います。

それでは、みなさま。よいお年を。






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光の回廊

昨日はクリスマス・イブ。
この日の夜は、ちょっと賑やかなところに出掛けてみたいものです。
というわけで、名古屋駅の高島屋セントラルタワーズで、
年末年始の時期に毎年行われている、タワーズライツを、
見に行ってみました。

なにしろ、このイブの日をなんとか空けようと、
ここのところ、日曜の外出もとりやめて仕事をするなど、
前もって準備に余念がありませんでした。

ところが、一週間ほど前から腰痛が悪化…。
が、それをおして、出発することとなりました。
(そこまでしても、名古屋に行きたい私です)

というわけで、MINIに乗って名古屋へ。

思い起こせば、なんと、名古屋に行くのは、丸一年ぶりでした。
つまり今年は、いままで一度も名古屋に行っていなかったのです。
こんなにも長い間、名古屋に行かなかったのは、初めてかも知れません。

先週は、寒波の襲来があり、道路事情は悪くなりましたが、
イブのこの日はすこぶる上天気で、
難無く名古屋の町中へと辿り着くことができました。

栄のあたり

久しぶりの名古屋です。
画像は栄周辺ですが、やはり都会ゆえ、人通りが多いです。
ふだん、ほとんど人通りというものがない場所に住んでいると、
大勢の人を見るだけで、うれしくなってしまいます。

そして、名古屋駅の立体駐車場へ。
ですが、この駐車場のスロープで、MINIの車体下部を、
ほんのわずかながら擦ることに…。
ちょっとブルーです。

うちのMINIは、マフラーのキャタライザが、
通常のクルマより、車体下部に飛び出ているようなかたちになっているので、
気をつけていないと、すぐにこのキャタライザのカバーを擦ってしまいます。
(ちなみに、ヨメがMINIから降りると、かろうじて擦らなくなりました)

が、気を取り直して、名古屋駅のセントラルタワーズへ。
まだ、タワーズライツが始まるまでしばらく時間があるので、
タワーズの斜向いにあるミッドランドスクエアに。

ミッドランドスクエア

こちらでは、ハンドベルのコンサートが開かれていました。
クリスマスイブらしいイベントですね。

LFA

このビルには、トヨタのショールームが入っています。
こちらは、レクサスブランドのスポーツカー「LFA」です。
超高級スポーツカーです。

シートに座ってみたかったのですが、残念ながら、
このクルマは、試乗不可でした。

イルミネーション

そして、いよいよ、タワーズライツへ。
イブの夜だけあって、もう、すごい人です。
見物客をさばくための、交通整理の人が配置されているほどでした。

大判イルミネーション

こちらは、ビルの壁面に設えられた大判のイルミネーションです。
ビジュアルは、中国内陸部(?)のようなの景色を表現したものでした。

それにしても、きれいですね。聖夜の雰囲気満点です。
やっぱり、クリスマスは、都会で過ごすのがいいかも。

こうして、深夜、飛騨高山へと帰り着きました。
なにしろ12月ですので、雪が降ったり、路面が凍結するとたいへんだな、と、
心配していたのですが、さほどの冷え込みもなく、運転に難儀することは、
あまりありませんでした。
(ただ、神経は使いますが…)

赤福クリスマスケーキ

そして、クリスマスの今日は、
名古屋で買ってきた、伊勢の名物「赤福」を使って、
クリスマスケーキを作ってみました。

笑っちゃいますが、ろうそくを立てると、なんだか、
クリスマスらしい感じが出ますネ。






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膨らんだバランスボール

前の記事でも少し触れましたが、私は腰痛持ちです。
何年か前、クルマのタイヤを交換するさいに、
小さなラチェットで無理な作業をしたためか、腰に過度の負担をかけてしまい、
以後、長時間立ちっぱなしの状態などになると、
腰が痛くなってしまうようになりました。

もっとも、タイヤの交換作業は、症状の顕在化のほんの一因に過ぎず、
もとはといえば、ふだん、ずっと椅子に座りっ放しという生活を続けているせいであり、
かつまた、そのときの姿勢の悪さ、そして運動不足とによって、
事はここまでに至ってしまったという感じです。

今年も、先週の水曜から腰痛が始まり、けっこう困っています。

とはいっても、急に姿勢をよくすることもなかなかできず、
(気がつくと、ダラッとした状態で椅子に座っていることも)
運動量を増やすこともできず、さて、どうしたものかと思っていたのですが…。

折しも、仕事用の椅子は、かなり老朽化しており、もう替えなくてはなりません。
そのさい、どうせなら、姿勢をうまく保てるようなものにしたいと、
かねてから思っていました。

そんなわけで、姿勢を正す椅子をネットなどで検索してみた結果、
体重を膝で受け止めるバランスチェアを使えば、どうやら、姿勢の悪さは解消できそうです。
ですが、バランスチェアのブランドであるホーグやストッケの商品は、
価格もかなり高額で、ちょっと手が出ません。

その後も、いろいろ検索していると、
ストレッチに使うバランスボールなるモノを、椅子代わりにしている人が多数いるらしく、
なんと、あのGoogle社も、オフィスチェアにバランスボールを採用しているということが、
わかりました。

なんでも、このバランスボールを椅子代わりにすると、
常に身体を水平、垂直に保とうとするために、自然と腹筋と背筋がつくとのこと。
また、姿勢がよくなるために、腰痛も改善するというのです。
しかも、脚を組むなどの癖もなくなり、(脚を組めばコケますから)
適度な刺激が頭の回転もよくするとか…。

というわけで、このバランスボールなるものを、購入してみることにしました。

パッケージ

こちらがそのバランスボール。
千円ほどのかなり安いものもあったのですが、ショッピングサイトなどで、
品質が不安というレビューを読んだりしたので、5,000円程度の品にしました。

大きさは、直径65cmです。
身長1m70cmに少し届かない私には、このサイズが適合らしいです。

バランスボールを膨らませる

付属のポンプを使ってシュコシュコ膨らませます。
作業は簡単で、とりたてて、力も入りません。

今回、購入した商品には、ポンプが付いていましたが、
メーカーによっては、ポンプが別売になっているものもあるようですので、
購入時には気をつけてください。

人力では、とても膨らませられるようなものじゃないですから。

台座

私が買ったバランスボールには台座がついていました。
これがあると、コロコロあちこちに転がっていかず、便利かも。

さて、使ってみた感想ですが、座り心地は悪くありません。
はじめのうちは、ポヨンポヨンと跳ねたりして遊んでしまいますが、
そんなことをしつつモニターを凝視していると、気持ち悪くなります。
また、確かに、背筋は否応なく伸びますし、脚を組むなどの悪い癖も、
できなくなってしまいます。

これなら、今後も使い続けられそうです。

バランスボール

ただ、ひとつ難点があります。
それは、ボールのサイズです。
私は身長1m70cm弱ということで、直径65cmのボールを選んだわけですが、
これでは、椅子として使用するには、ちょっと小さいのではないかと思います。

ボールは、椅子のように簡単に高さを変更できるものではないので、
サイズの選定は重要かもしれません。

このボールの大きさ(高さ)だと、ヨメが座ってちょうどいいくらいです。
ちなみに、ヨメは、身長1m55cmほどです。

ただ、ボールは、今後、使用していく過程で、いくらか伸びるそうで、
そのさい、また、空気を追加で入れることになりそうです。
このように、ボールが真に実用状態になったところで、
再度、使用感を検証してみたい、と、思っています。

それから、ボールの台座ですが、こちらは、ボールが移動するのを防ぐのに有効ですが、
椅子として使用する時は、かえって、微調整のジャマになるように思います。

椅子代わりに

と、いろいろ書きましたが、
日がな一日、ずっとPCに向かって仕事をしている人にとっては、
椅子をバランスボールに替える、という選択は、私としては、アリだと思います。

ただ、先にも述べたように、サイズ選定が重要ですので、
自分にフィットするものを長く使いたいならば、
まず、1000円以下の安い製品を、お試し的に購入するほうが、
いいのかもしれません。

とにかく、今後も、機会があれば、このレビューを続けたいと思います。






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久々野トンネルの手前

12月も半ばを過ぎた今月17日から、
日本列島は強い寒波に覆われ、各地に大雪をもたらしているそうです。
もちろん、ここ岐阜県飛騨地方も例外ではなく、
それまで、ほとんど雪など見なかったのに、
一気に、冬景色となってしまいました。

ちょうどそんな折、岐阜市への出張が入ってしまい、
降りしきる雪の中、出掛けなくてはならなくなりました。

悪いことに、この前々日から、どういうわけか、ひどい腰痛を発症。
こんな状態で、雪道を運転するのは、あまりにも気が引けます。
というわけで、今回は、JRを使って岐阜市まで向かってみることにしました。

我が家の真ん前には、JR飛騨一ノ宮駅という、小さな駅があります。
このひとつ北の駅が、高山駅なのですが、
飛騨一ノ宮駅は、無人駅で、急行列車などは止まらず、
各駅停車の列車にしか乗ることができません。
しかも、岐阜行きの本数は一日に数えるほどしかなく、ひとつ列車を逃せば、
もはや、目的の会議に出ることもままなくなります。

出張の日は18日の金曜。
会議は午後5時からなのに、午前10時46分に出発しなくてはなりません。
この日、冷え込みは厳しく、乗り込んだ列車の窓から見る景色は、
一面、銀世界でした。

特急に乗れば、二時間足らずで岐阜に到着できるのですが、
各駅では、ゆうに三時間を超える長旅となります。
ですが、ひさしぶりに各駅停車の列車に乗ってみると、意外と、
退屈しないものでした。
各駅停車って、けっこう、楽しいものですネ。

雪景色

クルマでいつも走っているコースと、JR高山線の路線は、多くの部分で、
隣接し合っているのですが、クルマでは得られない視点が、列車にはあり、
とても新鮮でした。

こうして、列車に揺られ、乗り換えを一度して、ようやく、
岐阜駅に辿り着きました。
岐阜市は、私が住んでいる地域とはまるで違い、絶好の快晴。
風が冷たく、体感温度は低いですが、日差しには暖かみを感じました。
同じ県内でも、岐阜と飛騨高山では、もうまるで気候が違います。

岐阜駅前

岐阜駅手前は、かねてから、ずっと工事中だったのですが、
いまでは、とてもきれいに整備されていて、写真には写っていませんが、
金メッキの織田信長像が立っていました。

こうして、予定の時間までドトールコーヒーで時間をつぶし、会議に出席。
その後は、懇親をかねたお食事会(というか飲み会)になったのですが、
帰りの心配がある私は、早々においとまをさせていただき、
たまたま、数日前から、所用のため岐阜市近郊の実家に行っていたヨメに、
岐阜駅までクルマで迎えにきてもらい、
そのまま、ヨメの運転で帰路につくことにしました。

岐阜市は夜半に入っても空は晴れ渡っていましたが、
北上するにつれ…、岐阜県関市を通過するあたりで、いよいよ雪が降りはじめました。
路面も凍結しはじめ、なんと、RV車の事故を、二度も目撃してしまいました。
四輪駆動車は雪道にも凍結路にも強いはず。
なのに、そんなクルマが立て続けに事故をしているところをみると、
ドライバーは、四輪駆動を過信していたのかもしれません。
とにかく、ちょっとでも油断をすれば、事故につながりかねません。
自宅に着くまで、わずかでも気を抜くことは許されません。
そうこうするうち、飛騨金山に至る頃には、雪が降りしきる状態となりました。

国道41号

道路は完全な雪道。12月に入って、はじめての本格的な雪道です。
かなり運転が厳しい状況です。
実際、路上に大型トラックが立ち往生していたりして、
肝を冷やすこともありました。

渚手前

その後は本格的な吹雪に。
しかし、予想していたよりも早く、無事、我が家に辿り着けました。

というのも、北に進む連れ、道の雪がしっかりと締まり始め、
かえって、運転しやすい状態になったのです。

というわけで、今回も、ヨメ、雪道運転を完遂しました。
(ホントにありがとネ!)

それにしても、これ以上、大雪が降らなければいいがと、
願うばかりです。






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1Q84

いまさらながら、ようやく1Q84を読み終えました。
(もっとも、読み終えたのはちょっと前の話ですが…)

思えば、このハードカバーは、すでに七月から手元にあったわけですが、
今に至るまで、我が家の机の片隅に、ただひたすら置かれていました。

というのも、私は、結婚を機に読書量が減ってしまい、
(私が本を読むと、ヨメはいつもジャマしますし…)
なんと今年は、坂の上の雲と、この1Q84だけが、完読できただけです。
ちょっと情けない限りです。
読みたいと思う本は、たくさんあるんですが…。

さて、話は余談になりますが、
私がはじめて村上作品を読んだのは、あの大ベストセラーである「ノルウェイの森」です。
あのころ、私は名古屋に住んでいたのですが、
鮮やかな赤と緑のハードカバーが、市内のどの書店に行っても、
たくさん平積みになっており、そのビビットな装丁に、いやがうえにも目を奪われました。
そんな斬新な装丁もあってか、本書は、マスコミでも大きく取り上げられていて、
当時は、一種のトレンドアイテム的な扱われ方をしていたように思います。
地下鉄のなかで女の子が読んでいる本をふと目をやると、ブックカバーの下に、
鮮やかな赤(あるいは緑)を見かける、なんてことも、何度かありました。

そんなわけで、私も、この二冊を買い求めたわけですが、
その行動の動機は、多分にミーハー的なものだったといわざるを得ません。
読後、このノルウェイの森がいたく気に入った、というわけではなかったのですが、
作品の印象は、長く私のなかに残ることとなりました。
37歳の僕が、ジャンボジェットの機内で、
流れてきた「ノルウェイの森」のBGMを聞きながら、直子の横顔を思い出す冒頭の場面、
20年以上経たいまでも、印象深く憶えています。

このノルウェイの森との出会いをきっかけに、その後、村上作品に興味を持つようになり、
「羊を巡る冒険」と出会うことで、続けて読むようになりました。

1Q84中身

話を1Q84に戻しますが、アフターダークを読んでいない私にとって、
1Q84は海辺のカフカ以来の長編村上作品です。
あくまで個人的な感想ですが、いまひとつのめり込めませんでした。
理由はいろいろあるのでしょうが、村上寓話の既視感に、
もはや新鮮さを憶えなかったのかもしれません。
(ねじまき鳥クロニクルはとても没入できたのに…)

そして今回の1Q84ですが、最初、私は、この作品も、
いわゆる「僕」によって語られる物語だと思っていました。
しかし、本作は一人称で描かれておらず、まず、その点が驚かされました。
しかも、文体も、いつもより固く感じられたものです。

ただ、ストーリーの運び方は、カフカよりずっと洗練されているように思います。
冒頭からスリリングな展開で、読者を惹き込みます。
そして、交互に語られていく、何の接点も見いだせないふたつの物語が、
しだいにクロスしていきます。

エンターテインメントとしてもかなり面白く、
村上春樹は卓越したストーリーテラーでもあるのだと、再発見する思いでした。
しかも、それぞれの章のバトンタッチの仕方も巧みであり、
文章も、美しく洗練されていると思います。

この作品は実在する団体などがモデルとなっており、
現実味のある世界観の構築がなされていますが、村上春樹的エレメントも、
やがては随所に表れてきます。
リトルピープル、ドウタ、マザ…。
リアルな世界と思えたものが、いつしか、
ここではない別の世界に入り込んでいきます。

村上春樹は、これらエレメントに、意味付けはあえてしていません。
本文中の言葉を借りれば、
「説明しなければわからないということは、説明してもわからない」
ということなのでしょう。
が、読み側の思索は、さまざまに広がっていきます。

そも、リトルピープルとは何なのか…。
それは、人類誕生の時から存在していたと劇中では記されています。
彼らは、何らかの意図を持って、民衆のなかから「声を聴くもの」を選出し、
人の歴史に踵を合わせつつ、密かに活動しているように思えます。
リトルピープルの描写から察するに、彼らはどこかひょうきんで、
楽しげな雰囲気を持っていますが、その言動には、たえず恫喝が込められています。
そしてなにより、彼らの企みは、なにか薄暗いものがあり、不吉です。
が、劇中、彼らは悪と決めつけているわけではありません。

ひょっとすると、リトルピープルとは、
人類という種の「ドウタ」的なものなのかもしれません。
人とリトルピープルも、ドウタとマザと同じように、
表裏一体の関係にあるのではないでしょうか。

ただ、これは私の勝手な解釈で、読む人それぞれが、それぞれの考えを持つでしょう。
作者がそれを定義していない以上、そこは、読者が受け取る「空白」となっています。

作者自体は、エレメントの明確な定義付けは、
作品自体がかもす得体の知れない魅力を、狭めてしまうことになるでしょう。
読者は、個々のエレメントの意味付けではなく、村上的世界観のなかに、
ただ身を沈めるのが、この物語のいちばんの楽しみ方なのかもしれません。
短いワードで、エレメントの意味付けがなされれば、作品などいらないのですから。

さて、気になるのは、この物語が、これで完結なのかどうかです。
book2の最後、物語の一方の主人公である「天吾」は、
未来に光明を見いだすかのように思えます。
作品は、ここで締めくくられている、とも感じられます。
しかし、天吾が捜そうと心に決める「青豆」は、ほんとうに失われ損なわれたのか、
そしてまた、戎野先生や小松がどうなったのか、いっさいわかりません。

book1とbook2

1Q84 book1は、4月から6月までの物語…。
1Q84 book2は、7月から9月までの物語…。
願わくば、10月から12月を描いた、book3を、読みたいものです。






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馬籠宿

今年もあと半月余りとなり、いよいよ気ぜわしくなってきました。
やっぱり、年末というもあってか、
私も、ここのところ、急に忙しくなってしまいましたが、
忙しい時ほど、ブログって、どういうわけか書きたいものです。

というわけで、先週の週末、ミニで、
中山道の宿場町として有名な「馬籠宿」へ行ってきたことなどを、
ちょっと書いてみたいと思います。

が、その前に…。
じつは、うちのMINIのドアの横から錆が浮き出てきていました。

MINIの錆

こちらがその模様です。一見しただけでは、それほどたいした錆には見えません。
しかも、車体の各所から、他にも錆がチマチマと浮き出てきたりもしています。

ただ、このタイプの錆は、通常の浮き錆と違い、ちょっとやっかいなのです。
というのも、この錆は、ボディの内側から発生し、
外側の塗装を持ち上げてきているからです。

おそらく、この錆の内部にはさらに深い錆が隠れており、今見えている部分は、
ほんの氷山の一角というかたちなのかもしれません。
これは放置できません。
放っておけば、やがては、穴が空いてしまうでしょう。

というわけで、我が家のすぐ近くにある、N板金さんへ。
この板金屋さん、仕上がりでは定評のあるところです。

錆を除去!

で、作業していただくこと二日。
きれいに、元通りになりました。
もっとも、錆はやはりボディの内側に思いのほか深く大きく進行していたようで、
結局、患部をすべて除去し、鉄板をあてての板金作業となったようです。
(お値段もそれなりにかかりました)

寒冷地では、冬期時、道に融雪剤を撒くため、どうしても、
ボディにはダメージがきます。
これはもう、寒冷地の宿命なのかもしれません。
(冬場はクルマに乗らないってことにすればいいんでしょうけど)

というわけで、冬がくる前にいつも行うのが、錆び止めケミカルの塗布。
使っているのは、ノックスドールという防錆剤です。

今回、飛騨高山でも、なんとか入手できました。
これを、車体下部やボディ接合部などに、塗布しておきます。
MINIの場合、ヤバいのはドア下のステップの下部にある水抜きの穴。
ここは、以前、別のミニに乗っている時、ボロボロに腐ってしまって、
大穴が空いてしまった箇所でもあります。
なので、ここには、付属の極細ストロー型ノズルを使って、
丹念に、内部にノックスドールを吹き込んでいきます。

板金を終えて

まあ、ここまでしても、いつかはまた錆は出るんでしょうが…。
とにもかくにも、板金を終えきれいになったクルマで馬籠へ。

坂の上へ

こちらは、馬籠のメインストリートです。
もともとこの地は、信州であったのですが、
2005年に、岐阜県中津川市に、越県合併されることになりました。

馬籠は島崎藤村ゆかりの地なのですが、その馬籠が、もはや、
木曽路ではなくなるということで、当時の長野県知事だった田中康夫氏が、
この越県合併には、強く反対していました。

まあ、岐阜県民としては、歓迎すべきことなのかもしれませんが。

馬籠の坂

石畳の坂が続く馬籠の風景は、視覚的にも変化があって、
散策するには楽しいところです。
じつは、この地へは、二年前にも来ているのですが、
あいかわらず、大勢の観光客で賑わっていました。

さて、今週は寒波が到来し、雪も降るとの予報が出ています。
(なのに、今週は出張があるし…)
いよいよ、冬本番ですね。
風邪をひかないよう、注意しなくては…。






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高山昭和館

飛騨高山の歴史文化施設(観光施設)の探訪も今回が最終回。
というわけで、フィナーレを飾るのは、高山昭和館という施設です。

昭和館は、いまから二年前にオープンした、いわばかなり新しい施設で、
飛騨高山という地域性とはあまり縁がありませんが、
高山観光の目玉である古い町並みにほど近いためか、
いまでは、休日ともなれば、なかなかの賑わいを見せているようです。

昭和館外観

その昭和館の外観がコチラ。
建物の前には、バーハンドル方式の古いミゼットや、ガソリンポンプ、
往年の映画スターの写真などが、ちょっとゴチャゴチャと並べられています。
ちょっと乱雑な感が否めませんが、整然とした陳列より、味わいがあるかもしれません。
ミゼット内のキャラクター人形も、微笑ましい(?)です。

懐かしいクルマ

建物の入口部分には、昭和の名車が並んでいます。
ミゼット、スバル360、マツダキャロルが、ミニカーのように並べられています。
こちらには、あともうひとつ、マツダT2000オート三輪があるはずなのですが、
このときは、残念ながら、出払っているようでした。
ちなみに、このクルマゾーンまでは、無料で入れます。

昭和の路地

そしていよいよ、昭和館の内部へ。
こちらは、入ってすぐ右手のところにある、細く薄暗い路地です。
私事で恐縮なのですが、私は路地というモノが大好きです。
出掛けた先で、魅力的な路地に出くわすと、思わず写真を撮ったりしています。
路地には、その先がどこに続くのか、という、
イマジネーションを無限に想起させる力が宿っています。

この路地はレプリカですが、細く、暗く、
なにかしら淫靡な雰囲気が漂っていて、楽しい感じです。

昭和エロス

そして、次の曲がり角を曲がると、アパートらしき窓の向こうに、女性のシルエットが…。
これぞ昭和エロスですね。
やっぱり、暗く細い路地の先には、こういうビジュアルが欲しいです。
この施設の館長のセンスが忍ばれます。

昭和のストリート

路地を抜けると、昭和の町並みに行き当ります。
床屋さん、郵便局、お医者さん、オモチャ屋さんなどが、軒を連ねています。
エンジン付き自転車や木星電柱、などなど、小物もそれぞれ凝っています。

昭和の茶の間

こちらは、昭和の食卓です。
展示方法がちょっとゴチャゴチャしすぎていますが、
どの品も、年代を経ているためか、エイジングの影響が色濃く出ていて、
古き良き時代の雰囲気が出ています。
畳も適度にヤラれていて、いい感じです。

昭和エロスがここにも

こちらは、カメラ屋さんのなかです。
これは八ミリ作品なのでしょうか…。
とにかく、こちらにも、昭和エロスの片鱗が垣間見えます。
よくよく見ると、谷ナオミなどという文字も見えました。

レトロなスクーター

こちらは古いスクーターです。
車種名はちょっとわからないのですが、
時代を感じさせるデザインですネ。
今見ると、こうしたデザインは、レトロフューチャー的ですらあります。

荷台に荷物が縛り付けられているところなども、
芸が細かくて、グッドです。

教室も再現

この施設、思いのほか大きくて、二階には、古い農家や、
学校の教室などが設えられていました。
教室には、古い顕微鏡や楽器、教材などが雑然と置かれていて、
臨場感(?)を盛り上げています。

また、一階には、小さいながらも映画館までもがあり、驚きました。
とにかく、チープながらも盛りだくさんの施設でした。

高山観光の主たるものは、歴史ある建物や町並みですが、
こうした、遊び心満載の施設も、楽しいものです。

昭和体感-高山昭和館-

というわけで、その後は、藤井美術民芸館、高山市制記念館、などを見学しましたが、
これだけ見て回るだけで、もう、ヘロヘロになってしまいました。
他にも、この日、無料解放された施設はたくさんあったのですが、
とてもとても、一日で回りきれるものではありません。

来年は、今回見て回れなかった施設を、重点的に見学したいと思っています。
また、この催しの趣旨に賛同し、施設を無料開放していただいた方々には、
たいへん感謝しております。

このような催しがなければ、地元の文化観光施設には、足を踏み入れることも、
あまりありませんでした。
今後も、この催しを続けていたでけるよう、切に願うばかりです。







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高山陣屋

さて、前回に引き続き、
今回も、飛騨高山の歴史文化施設(観光施設)市民無料開放の日のことを、
書いていきたいと思います。
午前中に、総計四つの施設を巡ったわけですが、それらは、
どれも市の中心部から離れたところにあるため、
クルマを使っての見物行脚となりました。

ですが、午後からは、市の中心部にある施設を回る予定を組んでいて、
そうなると、クルマは、むしろ足手まといとなります。
なにしろ、市街地は道も狭いところが多く、また各施設には駐車場などありません。
というわけで、市内にある私の実家の駐車場に、クルマを止めさせてもらい、
そこから、各所を徒歩で回ることにしました。

折しも、天候はあまりよいとはいえなかったのですが、
雨が降ることはなさそうで、どうにか、あちこちに歩いて行けそうな状態でした。

というわけで、まず最初に行ったのが、こちらの施設です。

陣屋の前の賑わい

こちらは、高山陣屋と呼ばれている建築物です。

高山陣屋は、日本で唯一残る、群代・代官所です。
もともとこの建物は、高山城主であった金森家の屋敷として使われていたといいますが、
飛騨が幕府直轄領となってからは、
代官所、群代役所として使用されるようになったといわれています。
幕府が飛騨を直轄領としたのは、飛騨に点在する鉱物資源や、
豊富な森林資源などに目をつけたためといわれています。

明治維新のあと、ここは高山県庁舎となり、その後も、支庁、県事務所といった、
公共機関の事務所的な役割を、長きに渡って担うこととなりました。
が、現在では、江戸時代当時の姿に復元され、高山観光のランドマーク的存在として、
多くの観光客を集めています。

広間

さて、こちらが、その陣屋の内部です。
年貢米を保存していた御蔵の内部は撮影が禁止されていますが、
そのほかはほぼ撮影可能で、各所の様子をデジカメに納めることができました。

この大広間は、全部で48畳もあり
(床棚のしたに1畳あるということなので、それを入れると49畳だそうですが)
会議や儀式に使われたそうです。

それにしても、この奥深い山の中の町に、
当時、これほどの大広間を持つ建物が建てられたということに、
ちょっと驚いてしまいます。

お白洲

こちらはお白洲と呼ばれる間です。
罪人を尋問した部屋とのことで、傍らには、抱き石などのおそろしい拷問器具が並んでいます。
私が小学生だった頃に聞いた話ですが、ここで罪人を尋問したさい、
その悲鳴が、市の中心を流れる宮川を超え、はるか遠くまで聞こえたそうです。

陣屋内部

役人の出勤口だそうです。こういう土間って、かっこいいですね。
このあたりは、近年復元された部分に当たるらしく、
板の間などは少し新しく見えました。
(ただ、実際のところは、よくわかりません)

国史跡 高山陣屋のサイトはコチラ

いずれにしろ、今回の市民無料開放のときでなければ、
私たち地元住民は、こうした場所に足を踏み入れることはほとんどありません。

今回の催しは、市民が地域の文化財に触れる、とてもいい機会となっています。

古い町並みへ

さて、陣屋をあとにして、今度は高山の古い町並みへと向かってみました。
この古い町並みも、高山観光における最も有名なスポットで、
いつも、大勢の人で賑わっています。
こうして、たどりついたところが、飛騨民芸考古館。
こちらを見学し、その後、平田記念館というところに足を伸ばしてみます。

平田記念館

こちらがその平田記念館。趣のあるたたずまいです。

平田記念館の展示物

奥内には、古い民具や道具などが展示されていて、
とても興味深かったです。
こちらは秤ですが、秀逸なデザインですネ。

飛騨高山 平田記念館

さて、次は、高山昭和館という施設にいったのですが、
こちらのレポートはまた長くなりそうなので、次回に持ち越します。





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飛騨高山まつりの森

昨日の日曜(6日)、私が住む飛騨高山では、
市内に点在する歴史文化施設や観光施設の、市民無料開放が行われました。
この日だけは、高山市民であれば誰でも、
指定された市内の施設を無料で見て回れるのです。

こうした催しは、いままで、毎年行われていたらしいのですが、
私は、いつもいつも、その開催日を見落としており、
今回がはじめての無料開放体験となりました。

というわけで、昨日は、ちょっとだけ早起きをして、
(といっても、出掛けたのは、結局午前10時近くだったですが…)
さっそく、当該施設を見て回ることにしました。
前日に、効率的に各施設を訪れるための道順まで考えていました。

こういう機会でもないと、地元の施設って、見て回ることもないのです。

さて、まず、最初に立ち寄ったのは「まつりの森」という施設です。
こちらは、新造された高山祭の山車(地元では屋台と呼びますが)を、
山の中腹をくりぬいたドームの中に納めた、観光テーマパークです。

飛騨高山まつりの森のサイトはコチラ

いままで私は、何度も、このまつりの森には行っているのですが、
ドームの中に足を踏み入れたことは一度もなく、今回、はじめて、入ることとなりました。

まつりの森の回廊

こちらが、そのドームへと向かう回廊です。
回廊の中には、屋台の大きな模型が展示されていて、これだけでも、
一見の価値がありそうです。
また、からくり人形の展示もあり、簡単な操作も体験できるようになっています。

時刻は朝10時ちょっとすぎ。
それでも、観光客の姿があちらこちらに見られました。

ドームの内部

そして、こちらが、ドームの内部。
さすがに思いのほか広く、まるで、高山祭の夜祭りのような雰囲気が味わえます。
提灯の灯りが、幻想的な雰囲気を醸していました。
それにしても、これだけのドームを掘削する作業は、けっこうたいへんだったと思います。

船型の屋台も

居並ぶ屋台は、高山祭に実際に登場するものではなく、
この施設のオリジナルのものです。
そのため、船型の屋台といった、見慣れない形状のものもありました。

茶の湯の森

さて、次に行ったのは、まつりの森のすぐそばにある、茶の湯の森という施設です。

飛騨高山 茶の湯の森のサイトはコチラ

こちらには、茶器などの骨董品や、平成の玉虫逗子といった、
玉虫を使った工芸品などが展示されていました。
(施設内は撮影が許可されていないので、写真はありません)

さて、無料開放が行われているのは日曜のみ。
というわけで、足早に次の施設へと行ってみます。
こちらが、その施設である、テディベアエコピレッジです。

テディベアエコビレッジ

テディベアエコピレッジは、高山に古くからある観光施設「飛騨の里」のそばにあり、
そのせいもあってか、大きな和風の古民家を改装して作られています。
飛騨高山とテディベアは何ら関係がないと思うのですが、
こうした建物を展示館に選ぶあたりは、飛騨高山ならでは、といえるかもしれません。

セオドア・ルーズベルトの人形

そして、内部の様子がコチラ。
最初の展示物は、日露戦争当時にアメリカ大統領であった
セオドア・ルーズベルトの人形です。

日露開戦の2年前、大統領は、ハンターを伴って、
趣味であるクマ狩りに出掛けたといいますが、そのさい、
うまく獲物をしとめることができず、かわりに、ハンターが老いたクマを追いつめ、
とどめの一発を大統領に譲ったといいます。
が、大統領は、瀕死のクマを撃つのはスポーツマン精神にもとるとして、
その老いたクマを撃つことはなかったといいます。

このエピソードが新聞を通じて話題となり、あるおもちゃメーカーがクマのぬいぐるみに、
大統領のニックネームだった「テディ」という名前をつけて販売しました。
これが、テディベアのはじまりだったといいます。

チャペルのテディベア

施設の中庭には、人の大きさに近いテディベアがいる小さなチャペルがありました。
微笑ましくもかわいいですね。
このチャペルのなかに入ることも、もちろん可能です。

ドールハウスのような展示風景

施設の中には、さまざまな展示物がたくさんあります。
古いオモチャなどもたくさんありました。
私としては、古いブリキのクルマや機関車のおもちゃに、
とくに興味を惹かれてしまいました。
また、建物の二階には、アロマの香りに満ちたヒーリングルームなどもありました。

展示物は、ドールハウスのようなジオラマ仕立てになっているものも多く、
見ていてとても楽しいです。

大ジオラマ

また、巨大なジオラマの展示もありました。雪で白く塗り込められた町には、
Nゲージの蒸気機関車も走っていました。
模型好きには、たまらない展示かも…。

飛騨高山 テディエコビレッジのサイトはコチラ

この施設、かなり楽しめました。
テディベア好きはもちろん、ドールハウス好き、オモチャ好き、には、オススメです。

光記念館エントランス

さて、後ろ髪をひかれつつも、次の施設に向かいます。
次に訪れたのは、光記念館という美術博物館です。

この施設は、ある宗教団体が運営しており、各種ある高山の観光文化施設の中で、
群を抜く規模の大きさです。
もう、この入口部分だけでも、見応えがあります。

こちらでは、いま、日本画名品選と、
第2回 現代木彫根付公募展との、ふたつの企画展が行われています。

日本画は、東山魁夷、葛飾北斎、歌川広重、横山大観、そして、川合玉堂、といった、
有名作家の作品を揃えていました。

光記念館 日本画名品選のサイトはコチラ

また、根付展も、とても興味深いものでした。

根付とは、印籠や煙草入れとして使われた木彫りの彫刻品で、
現代でいえば、さながら、携帯ストラップといったものです。

そんなわけで、根付は、どれも、かなり小さいものなのですが、
その精緻な仕上がりには目を見張るものがあります。

展示品の撮影は当然のことながら許されていないので、
ぜひ、下記のリンクにある画像を見てみてください、


光記念館 現代木彫根付公募展のサイトはコチラ

というわけで、次回も、この続きを……。
歴史文化施設巡りの記事をアップします。





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ポーツマス講和会議のテーブル1

さて、昨日に引き続き、明治村のレポートです。
こちらは、明治村に移設された旧帝国ホテルの中に展示されている、
ポーツマス講和会議の時に使われたテーブルです。
もちろん、本物のテーブルです。
すなわち、このテーブルから、あの有名な「ポーツマス条約」は生まれたのです。

日本は、この条約によって、ロシアから樺太の南半分を割譲され、
満鉄の経営権や、朝鮮半島の単独支配を勝ち取りました。

こうして日本は、世界に、日露戦争の勝利者として、その名を知らしめました。
同時に、東洋初の列強国として、欧米に認められることとなりました。
それは、明治維新以来目指してきた、国家としての完成の瞬間だったはずです。

いまから104年前、この頑丈そうなテーブルを挟んで、
日本の全権である小村寿太郎と、ロシアのウイッテとが、
激しい外交戦の火花を散らせました。

奉天会戦でかたちばかりの勝利を収めた日本軍は、その後、
対馬沖の日本海で、バルチック艦隊を完膚なきまでに叩き、
ロシアの制海権を消滅させました。

しかし、大国ロシアにはまだまだ継戦能力が残されており、
一方の日本は、すでに作戦の限界にきていました。
そうした状況下での講和会議は、一筋縄では行かなかったはずです。

当時の日本の世論は、戦時賠償金が獲得できなかったということで、
この条約に満足はしませでしたが、日本の国力を考えれば、
確かな外交成果をあげたといって過言ではないと、私自身は感じています。

ポーツマス講和会議のテーブル2

そんな近代国家日本の誕生の場面にかかせない、貴重な歴史的遺物が、
このようにひっそりと展示されていることに、
私は、なにかしら寂寥感を憶えてしまいます。

折しも、いま、NHKでは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の放送が始まりました。
多くの人が、このドラマの放映を機に、明治の日本人の健気さに触れ、
国を賭した日露の戦いにも、目を向けることになるかもしれません。

そうなれば、この展示物も、いまより、ずっとずっと脚光を浴びるかもしれません。
このテーブルには、当時、日本を国家として形作ろうとした人々の、
営々たる血潮が宿っているように、私には思えてしまいます。

西郷従道邸

さて、同じ坂の上の雲ネタですが、こちらは、日露戦役時の陸軍大臣西郷従道の邸宅です。
西郷従道は、いうまでもなく、あの西郷隆盛の弟です。
よけいなことに口出しをせず、ただ黙って事の成り行きを見守り、
有能な部下にすべてをまかせ、責任は自分が取る、
そんな「うどさぁ」としての西郷従道の様子が、坂の上の雲には描かれていました。

また、日露戦役当時、
満州軍総司令官を勤めた大山巌は、西郷隆盛、西郷従道兄弟の従兄弟でした。
大山巌も、西郷の血を引いた、立派な「うどさぁ」だったといいます。
(遼陽会戦の激戦のときも、まったく動じない大山の姿は、微笑ましくユーモラスでした)

が、この西郷従道邸を訪れた頃には、すでに夕方。
案内の人の説明もすでに終わっていて、とても残念でした。
なにしろ、明治村に西郷従道の邸宅があるなんて、まったく知りませんでしたから。

三重県庁

そしてこちらは三重県庁。
館内では、宮廷家具の展示などもされていました。

県庁内の木造階段は、
その昔、飛騨高山にあった、日赤病院のそれを思い起こさせました。
ああ、なつかしい。

が、このあたりでタイムアウト。
もう、閉園時間となってしまいました。
閉園時間は意外と早く、四時半だったと思います。
とはいえ、今の時期、この時刻だと、しだいに薄暗くなり始めます。
まだまだ、見ていない箇所がたくさんあり、やはり、
早い時間にこないと、明治村をくまなく回るのは、とても無理のようです。
(すべてお寝坊が悪いんです)

というわけで、早足に明治村を横断して、駐車場に向かいましたが、
さすがに園内は広く、移動にも時間がかかります。

その間にも、あっちも見たかった、こっちも見たかったと、
悔やまれるばかり…。

次回こそは、もっと早起きをして、この明治村に、やってきたいものです。








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