ラステン洞戸にて

先週の金曜、急遽、岐阜市に出張の予定が入り、
MINIで出掛けることとなりました。
一時期はかなり悩んでいた例の息つき現象ですが、
プラグ交換とプラグコードや各種コネクタ類をこまめにチェックしたあとは、
ほぼ症状はなくなり、快適にドライブできるようになりました。

とはいえ、いよいよ夏に入り、水温計の上昇が気になる季節にもなってきました。
というわけで、いつもように、ヒーターをかけながらのドライブとなりました。
(このあと、夏本番になるわけですから、MINIのドライブはたいへんです)

さて岐阜市へのドライブですが、いつもは、
国道41号線をひたすら南下し、飛騨金山町から、関金山線に入り、
関市を経由して、目的地に至る、というルートを通ってきました。

ですが、さすがに、このルートは飽きてしまい、
(仕事でいくわけですから、飽きるも何もないのですが…)
今回は、いままでほとんど通ったことのない道を使ってみることにしました。

まず、せせらぎ街道を通り、郡上八幡市へと向かってみました。
次いで郡上八幡市から進路をほぼ真南に…。
国道156号線を通って、美濃市へと向かってみます。

高畑への道

ですが途中で、ふと、
美濃市ではなく、高畑という地区を目指してみようと思い立ち、
気まぐれに、進路を西にとってみます。
(上の画像の橋を渡ると、高畑方面に向かいます)

たしか、こちらの高畑というところから、洞戸村という村を経由して、
岐阜に迎えたはずです。

いきなり看板が…

が、道はどんどん細く、しかもかなりの山道になってしまいました。
交通量も少ないです。
なのに、道の途中には、こんな看板もあったりして。
それにしても、この看板、実際目の当たりにすると、かなりのインパクトです。

ラステン洞戸

そして、道の駅で休憩。
ここは、ラステン洞戸という名らしいです。

こうして、無事、岐阜市到着。

その後、当地にある大学の医学部で、
メディカルイラストの打ち合わせをしたのですが、
その打ち合わせ場所の部屋は、人工呼吸や血圧を測るといった、
医療行為のシミュレーション用と思われる、
医学用のロボットが多数、お見えになっていました。

で、そのロボットが座る横で、打ち合わせ用のテーブルを囲むこととなり、
なんとも、奇妙な雰囲気となりました。
(この模様を撮影したかったのですが、なにせ仕事の打ち合わせの場ですから、
 物見遊山の撮影などできませんでした)

ロボットは、その多くが初老の男女、とおぼしき風貌でしたが、
一体だけ、若くて妙に色っぽい女性がいて、驚きでした。
(目を閉じて、口を半開きにしているところがまた色っぽい…)

打ち合わせは、かなりの長丁場となり、
全部で四時間ほどかかりました。
その後、この仕事をごいっしょさせていただいている方たちと、
コメダコーヒーでお茶を共にしながら、談笑したりするなどしたため、
結局、帰路についたのは日暮れ時。

たまたま、岐阜市近郊の実家に行っていたヨメと、途中合流し、
MINIと、プジョー(テンサンラリー)二台で並びながら、
飛騨高山まで帰ってきました。

とにかく今回は、ほどよく曇った天気で、
炎天下にならなかったことがさいわいでした。

でも、これからの季節は、MINIでのドライブはなかなか厳しいでしょうネ。
(それでも、MINIで出掛けるんですが…)






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ゼロの焦点表紙

さて、今回も引き続き、本ネタです。
今回、取り上げるのは、松本清張の「ゼロの焦点」です。

じつは私は、お恥ずかしいことに、松本清張の作品を、
いままでほとんど読んだことがなく、
ずっと昔に「或る小倉日記伝」という小説を読んだだけなのです。
(そういえば、日本の黒い霧を読みかけにしたままかもしれません)
或る小倉日記伝は、たしか、障害を持つ主人公が、
森鴎外(だったかな?)が、小倉にいた当時の日記を、血道を上げて捜す、
といった内容だったと思います。
たしか短編で、印象的だったのは、その内容も描写も、
思いのほか淡々としていたことです。
(いま思い出せるのは、その程度です)

と、こんな具合ですから、この「ゼロの焦点」が、
私にとって、初めて読む松本清張の長編作品となります。

この作品を読むきっかけとなったのが、四月の能登金剛へのドライブでした。
ゼロの焦点は、北陸の景勝地であるこの能登金剛が舞台となっているとのことで、
それがどんな内容の小説なのか、ぜひとも知りたいと思ったのです。
また、つい最近、ゼロの焦点は、広末涼子主演で映画化もされており、
少し前まで、テレビなどを通じて、話題にもなっていました。

さて、本作の内容ですが。

物語は、昭和33年の秋に、板根禎子(いたねていこ)が、
見合いによって、鵜原憲一というサラリーマンと結婚するところから始まります。

鵜原は、A社という広告取次店(広告代理店)に勤めており、
ここ二年ほどの間、金沢の営業所に主任として赴任しているのです。
しかし禎子との結婚を機に、東京の本社勤務となるとのことで、
鵜原は、最後に、業務引き継ぎのため、後任の本多良雄とともに、金沢へと旅立ちます。

そして、そのまま、鵜原は行方不明となってしまうのです。

結婚したばかりで、夫のことはほとんど何も知らない禎子は、
ひとり金沢へと向かい、本多とともに、夫の行方を捜すことになるのですが、
そこで、思いもしなかった夫の過去を知ることとなり、
ひいては、忌まわしい連続殺人事件に巻き込まれていくこととなるのです。

物語は、金沢を中心に、
能登、鶴城(金沢の南の街)、東京、を舞台に、進展していきます。

こうした地域の描写は秀逸で、
とくに北陸のそれは、季節が冬ということもあってか、ことのほか暗く描かれています。
能登の海岸から見える、鈍色の雲と、黒々とした海は、
思わず目のまえにその光景が浮かんでしまうほど、リアルに描写されています。
こうした、地域の「色」がしっかりと描き出されているところが、
この小説の、最もすぐれたところだと、私は思っています。

また、ストーリーの展開にも無理なところは感じられず、
犯人が抱く殺害の動機が「自らの秘密を守るため」であることも、
読み手としては、納得ができます。

夫とはいえ、ほとんど他人に近い男を捜すために、
ひとり見知らぬ土地にやってきた禎子の、
心細さ、心もとなさ、も、とてもよく描写されています。

ゼロの焦点の文面

ですが、この小説には、いくつもの穴があります。

ここから先は、ネタばれになるので、
今後、ゼロの焦点を読もうと思っていらっしゃる方は、
飛ばしてください。

まず、物語の最初においては、
知り合って間もない夫を捜す若い妻の心理描写がうまくなされているのに、
その後、そうした禎子の心理描写は鳴りを潜め、
禎子の推理だけが、連綿と続くような展開になってしまいます。

しかも、それは裏付けの乏しい禎子の憶測であり、それだけで、
物語を引っ張るには、いささかの無理がある気がします。

しかも禎子は、夫の鵜原憲一と、曾根益三郎が同一人物であるという結論に、
唐突に思い足ります。
少なくとも私には、そう思えました。
この部分は、物語の根幹を成す重要な一点に他ならず、
であれば、もっともっと丹念な描写が必要ではないでしょうか。

また、鵜原の兄の宗太郎や本多が殺された理由も、いまひとつわかりにくいです。
宗太郎も本多も、鵜原の行方を追っていただけで、
佐知子の秘密を暴こうとしたわけではないはずです。
なのに、彼らが、佐知子の秘密に、具体的にどう触れてしまったのか、
(もちろん、久子の秘密にこそ深く踏み込んだでしょうが…)
そこのあたりの事情がわからず、結局はすべて「禎子の憶測的推理」で、
片付けられてしまいます。

しかも、その傾向はクライマックスに至るほど強くなってしまいます。
佐知子が鵜原を能登金剛の断崖から突き落として殺したというのは、
もはやまったくの、禎子の想像でしかありません。

また、そうした、ストーリー上の齟齬だけでなく、
先にも述べた、禎子の心理描写においても、
物語の後半に至ると、不足どころか、大きな欠落感を感じます。

夫がすでに死亡していることを知った禎子は、
しかしその夫に対して、ほとんど、さしたる感情を示しません。
夫がほかの女と秘密の生活を持っていたことを知っても、それに対する、
軽蔑の念や不快感も、たいして表しません。

禎子はただ、第三者的に、ひたすらに推理ばかりにふけるようになってしまいます。

もし、禎子のような状況に置かれたら、女であれ男であれ、
もっと複雑で激しい感情が、込み上げるはずではないでしょうか。

私がこの本を読み終えて感じたことのひとつは、
小説というものも、時代とともに進化しているんだな、ということです。
現在において、このゼロの焦点が、どこかのミステリー小説賞に応募されたとしても、
受賞はできないのではないでしょうか。
いまや、高村薫や宮部みゆきは、
本作を遥かに凌駕する、高い完成度を持つ作品を書いています。
(高村薫のマークスの山なんて、すごい重量感です。まさに白眉です)

ゼロの焦点が連載されていたのは昭和40年代初めのことのようですが、
当時は、これでもよかったのかもしれません。
ですが、21世紀のいまでは、もっとしっかりと骨のある重厚なストーリーや、
読み手の共感を得る綿密な心理描写がなされていないと、
良作として認めてもらえないように思います。

などと、欠点ばかりをあげつらうように書きましたが、
この作品に書かれている、北陸の暗鬱とした雰囲気が、
すべての場面において、確かな「気配」となって、
作品全体に広く漂っていることは、本作の大きな美質であることに、
変わりはありません。

実際の北陸は、清張が描写するほど、暗くもないのですが、
(こんなに北陸を暗く書いたら、現地の人は怒るんじゃないかと思ってしまいました)
この作品のなかで描かれる北陸は、現実とは似て否なる独自の陰影を持ち、
それが、物語に登場する女たちにベールとなって被さることで、
それぞれのキャラクター形成に、大きく寄与しているのではないかと思いました。

ゼロの焦点の背表紙

さて、本作は、映画化されているわけですが、その映画を、私はまだ見ていません。
この小説は穴が数多くあると私は思いますが、映画を脚本にするさいに、
それは、いかようにも修正可能だと思います。

この小説が、現代の視点で、どのように解釈され映像化されたのか、
ちょっと興味がわきますね。






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1Q84 book3

1Q84 book3を、ようやくながら、先日、読み終えました。
このbook3を読むために、再度、book1とbook2も読み直した次第です。

とはいえ、それはなかなか至難の業…。
今回も、読書する時間を確保するために、ヨメとバトルになってしまいました。
(また、book1から読み直すわけですから、モメることは避けられません)

本を読むということは、当然のことながら、
紙面に記されている文字をただ追うことではなく、
文章を媒体として、作品世界に深く入り込むことでもあります。
それは、極めて私的な作業です。

そのためには、一定の時間、意識を集中しなければならないのですが、
自分だけの静かな時間を持つことが、結婚して以後、かなり難しくなってしまいました。
やっぱり独身時代のように、きままにいかないです。トホホ。

と、そんな我が家の事情はさておいて、本題に…。

1Q84 book3のページを繰って、まず最初に驚かされるのは、
前二巻までは、単なる脇役でしかなかった牛河が、
物語の新たな語り部となっている、ということです。

それまで、その異様な姿こそ細かく描写されているものの、
人物像について、ほとんど語られることがなかった牛河が、
このbook3に至って、たしかな血と肉があてがわれ、
読み手は、彼の「人となり」に、深く接していくこととなります。

優秀な頭脳を持ちながらも、醜悪な外見ゆえ、
親兄弟からも、家族からも、社会からも、まるで受け入れてもらえなかった牛河…。
しかし彼は、そんな阻害された境遇のなかにあっても、誰を恨むこともなく、
ただ自らの力のみをたよりに、道を切り開いてきました。

ところが彼は、仕事でのつまずきをきっかけに、家や妻子まで失い、
さらなる社会の片隅へと追いやられてしまうのです。

薄暗い世界に身を置かなくてはならなくなっても、
牛河は、仕事に責任を持ち、プロとしての粘り強い働きを見せます。
頭脳明晰で、タフで、孤独をものともしない彼に、
読み手は、ある種の親近感や共感さえ抱くこととなります。

醜い姿によって、社会からキックアウトされた牛河は、
証人会の信者として生まれたことで、孤立した少女時代を送った青豆や、
父親によってNHKの集金に回らされ、憂鬱な少年時代を過ごした天吾と、
どこか相通じるものがあります。

こうした、社会との乖離を内に抱えた三人だからこそ、リトルピープルの跳梁跋扈する、
ふたつの月の浮かぶ世界へと運ばれてしまったのかもしれません。

物語は、このbook3において、この三人の視点によって描かれます。
互いを求め合う青豆と天吾と、ふたりを追う牛河の物語が、交互に織り成され、
終局に向けて、やがてひとつに収斂されていきます。

ついに完結

村上春樹の小説の魅力のひとつに、
現実からの遊離感とでもいうべきものがあると、私は考えています。
もっとも、今までの作品の多くは、
その遊離感を、主人公である「僕」の個人的視点に求める場合が多かったように思います。
ところが、この1Q84は、ひとつの完結した異世界に、主人公たちが入り込んでしまう、
という設定になっており、遊離感は、個人的な状態ではなく、
外部の世界に求められているかたちとなっています。

今回の物語の主人公は「井戸に潜る」というような奇行はしない、ごく普通の人たちです。
そして、物語の展開も三人称で語られるため、1Q84という疑似世界は、
ファンタジーではなく、切れば血が出るほどに、どこまでもリアルです。
読み手は、彼らの視点に沿うかたちで、1Q84という異界を体現していくこととなります。

1Q84の世界は、村上的なエレメントが散りばめられていますが、
その構築方法に私自身は既視感はほとんど感じず、とても新鮮な気持ちで、
物語のなかに入り込むことができました。
そのストーリーテリングも、文章も、緻密に練られたすばらしいものです。

誌面

三巻に及ぶこの長い物語の最後は、さきがけのリーダーが、
ほぼ不可能だと予測しつつも、最も望ましい姿だと称した結末へと導かれます。
20年の歳月を経て、高円寺の滑り台のうえで再開を果たす青豆と天吾のシーンは、
胸を熱くさせるものがあります。

ふたりは、まさに手に手を取って、1Q84年という異世界から出て行きます。
ですが、新たな世界もまた、ともすれば、1Q84年と地続きの世界なのかもしれません。
どの世界であれ、リトルピープルは人の営みと踵を接していて、
時と場所を捉えて、何らかの試みを実行しようとしているのかもしれません。

リトルピープルの真の目的は不明ですが、いずにしろ、
どれだけ世界を変えたところで、そこは、青豆の予測する通り、
脅威に満ちているのかもしれません。

方向を変える光が、さまざまな場所に影を落とすように、
善と悪とが目まぐるしく交互にその立場を入れ替え、
その危うい均衡が、かろうじて世界を正常値に保っている、
そのルールは、変わらないのかもしれません。

すべての世界は、平安とはほど遠いものなのです。

しかしどんな世界であれ、そこで青豆と天吾と「ちいさなもの」は、
たくましくいきていくのではないでしょうか…。






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安房峠のミニ

ここ飛騨高山では、五月下旬に至るまで、ときに肌寒い日もあったのですが、
六月に入り、さすがに汗ばむ陽気が続くようになりました。
そんな梅雨入り前のこの時期、晴れた休日にはドライブに出たい、と、
思うのですが、いまだ息つきの症状が出る我が家のMINI…。
スパークプラグの交換で症状はかなり収まったものの、いまでも、
回転数が2000以下の状態で、少しモタモタ感が出てしまいます。

そんな折り、土曜に名古屋に行くこととなり、MINIでロングドライブすることに。
が、この遠乗りにちょっと不安を憶えたため、
いつもお世話になっているクルマ屋さんに、相談してみることに。

で、症状を詳しく説明すると、おそらく、
プラグが発する火花が小さいのではないか、とのことでした。
その原因として、デスキャップから電気がリークしている、
あるいは、プラグコードから電気がリークしている、
はたまた、イグニッションコイルがもう寿命にきている、
などといった理由が考えられるとのことでした。
(前回の記事の、私の予想とほぼ同じですが…)

また、イグナイターが不調の原因という可能性も、捨てきれないそうです。
(これだったら、最悪かも…)

もっとも、イグナイターが正常でも、きちんとした電圧で電気がそこまで到達しないと、
この機器は、うまく働かないこともあるそうです。

このあたりは、一度じっくりテスターをかけて、追求しなくてはならないようですが、
とりあえず、現状でも、普通に走るので、もう少し症状が顕在化したら、
本格的なチェックと修理をするということで、とりあえず、
現状のまま、名古屋まで行くことにしました。

といっても、自分でできる限りは、いろいろチェックしてみよう、ということで、
各種のコードやコネクタ、カプラーを抜いてきれいにし、接点復活剤を塗布して、
再度、嵌め込むということを、ダメもとでやってみることに。

そのさい、イグニッションコイルからデスビに行くコードを引き抜いたら、
ほとんど何の抵抗感もなくツルッと抜けてしまいました。
これにはかなりビックリ。
もういちど、コードを嵌め込むと、これがまたうまく嵌らない。
すぐにずるっと外れてしまいます。
が、そのうち、カチッとコードを嵌め込むことができ、そうすると、今度は、
抵抗感もなく抜けることもなくなりました。
どうやら、いつのころからか、このコードはきちんと嵌ってなかったような気がします。

その後、発進時に息つきを起こすことはほとんどなくなりました。
とにかく、これで、名古屋までレッツゴーです。

国道41号

こちらは久しぶりの名古屋。
症状はほとんど出ず、よくフケるし、スピードも普段と変わらず出ます。
ただ、この日の名古屋はすこぶる晴天で、気温も急上昇。
常に水温計を見ながらのドライブとなりました。

名古屋では、学生時代の友達とランチをしたりするなど、とても楽しく過ごしました。
そして、夕方、MINIに乗って帰路についたのですが、このときは、
炎天下に丸一日駐車したせいもあるのか、少しもたつきの症状がでました。
(が、そのうち解消)

その翌日の日曜は、ヨメと出掛けることに。
行った先は、先週、雪のため通行止めということであきらめた、安房峠です。

この峠は、このブログで何度も取り上げていますので、
詳しい説明は省きますが、飛騨と信州を結ぶ、数少ないルートのうちのひとつです。
というわけで、今年もやってきました安房峠。

じつは、この峠道を通らずとも、いまでは立派なトンネルがいまではあります。
このトンネルは有料となっているですが、民主党の高速無料化の社会実験として、
この六月から無料化されるとのことでした。
が、その社会実験はいましばらく実施までに時間がかかるようで、
トンネルは、いまも有料のままのようです。

もしトンネルが無料化されてしまうと、交通の難所として名を馳せたこの峠道は、
封鎖されてしまうのかもしれません。
そうならないうちに、なんとしても、この峠を通ってみたかったのです。

緑の道を

こちらが、その安房峠(岐阜県側)の眺めです。
木漏れ日がほんとうに美しいです。

安房峠頂上

そしてこちらが峠の頂上。もう絶景です。
この景色を楽しむために、バイクのツーリングやら、ドライブのクルマやら、
思いのほか交通量が多かったです。

道の脇に雪が

先週、この道は、雪のため通行止め、ということになっていたのですが、
たしかに、道の脇などに、いまだに雪を見ることができます。
六月に一般道で雪が見られるなんて、なんだかすごいですね。

というわけで、厳しい峠道を、MINIは難無く踏破。
息つきの症状も出ず、細くつづら折れになった山道を、グングン走ってくれました。
こうして、長野県側に到着。
その次は、乗鞍高原に向かってみることにします。

乗鞍高原

休みの日には決まってどこかに出掛けるのに、この道を通るのは初めてです。
こちらも、眺めはすばらしいです。

そして、MINIを降りて、山の中の遊歩道に入り、善五郎の滝というところまで、
歩いてみます。

善五郎の滝への道

こちらがその遊歩道。
アップダウンが激しくて、ちょっと息切れしました。
(慣れない山道で悪戦苦闘するヨメ…。
 ほとんど飛び降りるように、木の階段を下りています)

善五郎の滝

歩くこと十分強。
善五郎の滝に到着。
滝は涼しげで、マイナスイオンいっぱい、という感じですが。

ミストがすごい

ものすごいミストです。この場に五分もいれば、ベタベタになりそうです。

こうして、乗鞍高原を散策し、その後、松本方面にに向かって走り、
そのあとは国道19号線に乗って南下し、藪原から野麦峠を目指します。
この峠道も、急峻で細い山道です。

野麦峠頂上

こちらが野麦峠の頂上です。
夕方なので、ちょっとさみしいですが…。

こうして、かなり厳しい道をロングドライブしましたが、
この日は結局、息つき症状は出ませんでした。

やっぱり、MINIは、タフですね。

アイドリングも安定していますし、フケも問題はない…。
2000回転以上に達してしまえば、いかなる場合でももたつきや息つきはでません。
イグナイターが悪いのではなく、やはり、どこかで電気がわずかにリークしていて、
スパークプラグから飛ぶ火花が、少し小さいのかも…。

いずにしろ、もう少し様子を見て、いずれは、チェックと修理に出す予定です。







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MINICM0. TB0 TOP▲