
さて、今回も引き続き、本ネタです。
今回、取り上げるのは、松本清張の「ゼロの焦点」です。
じつは私は、お恥ずかしいことに、松本清張の作品を、
いままでほとんど読んだことがなく、
ずっと昔に「或る小倉日記伝」という小説を読んだだけなのです。
(そういえば、日本の黒い霧を読みかけにしたままかもしれません)
或る小倉日記伝は、たしか、障害を持つ主人公が、
森鴎外(だったかな?)が、小倉にいた当時の日記を、血道を上げて捜す、
といった内容だったと思います。
たしか短編で、印象的だったのは、その内容も描写も、
思いのほか淡々としていたことです。
(いま思い出せるのは、その程度です)
と、こんな具合ですから、この「ゼロの焦点」が、
私にとって、初めて読む松本清張の長編作品となります。
この作品を読むきっかけとなったのが、四月の能登金剛へのドライブでした。
ゼロの焦点は、北陸の景勝地であるこの能登金剛が舞台となっているとのことで、
それがどんな内容の小説なのか、ぜひとも知りたいと思ったのです。
また、つい最近、ゼロの焦点は、広末涼子主演で映画化もされており、
少し前まで、テレビなどを通じて、話題にもなっていました。
さて、本作の内容ですが。
物語は、昭和33年の秋に、板根禎子(いたねていこ)が、
見合いによって、鵜原憲一というサラリーマンと結婚するところから始まります。
鵜原は、A社という広告取次店(広告代理店)に勤めており、
ここ二年ほどの間、金沢の営業所に主任として赴任しているのです。
しかし禎子との結婚を機に、東京の本社勤務となるとのことで、
鵜原は、最後に、業務引き継ぎのため、後任の本多良雄とともに、金沢へと旅立ちます。
そして、そのまま、鵜原は行方不明となってしまうのです。
結婚したばかりで、夫のことはほとんど何も知らない禎子は、
ひとり金沢へと向かい、本多とともに、夫の行方を捜すことになるのですが、
そこで、思いもしなかった夫の過去を知ることとなり、
ひいては、忌まわしい連続殺人事件に巻き込まれていくこととなるのです。
物語は、金沢を中心に、
能登、鶴城(金沢の南の街)、東京、を舞台に、進展していきます。
こうした地域の描写は秀逸で、
とくに北陸のそれは、季節が冬ということもあってか、ことのほか暗く描かれています。
能登の海岸から見える、鈍色の雲と、黒々とした海は、
思わず目のまえにその光景が浮かんでしまうほど、リアルに描写されています。
こうした、地域の「色」がしっかりと描き出されているところが、
この小説の、最もすぐれたところだと、私は思っています。
また、ストーリーの展開にも無理なところは感じられず、
犯人が抱く殺害の動機が「自らの秘密を守るため」であることも、
読み手としては、納得ができます。
夫とはいえ、ほとんど他人に近い男を捜すために、
ひとり見知らぬ土地にやってきた禎子の、
心細さ、心もとなさ、も、とてもよく描写されています。

ですが、この小説には、いくつもの穴があります。
ここから先は、ネタばれになるので、
今後、ゼロの焦点を読もうと思っていらっしゃる方は、
飛ばしてください。
まず、物語の最初においては、
知り合って間もない夫を捜す若い妻の心理描写がうまくなされているのに、
その後、そうした禎子の心理描写は鳴りを潜め、
禎子の推理だけが、連綿と続くような展開になってしまいます。
しかも、それは裏付けの乏しい禎子の憶測であり、それだけで、
物語を引っ張るには、いささかの無理がある気がします。
しかも禎子は、夫の鵜原憲一と、曾根益三郎が同一人物であるという結論に、
唐突に思い足ります。
少なくとも私には、そう思えました。
この部分は、物語の根幹を成す重要な一点に他ならず、
であれば、もっともっと丹念な描写が必要ではないでしょうか。
また、鵜原の兄の宗太郎や本多が殺された理由も、いまひとつわかりにくいです。
宗太郎も本多も、鵜原の行方を追っていただけで、
佐知子の秘密を暴こうとしたわけではないはずです。
なのに、彼らが、佐知子の秘密に、具体的にどう触れてしまったのか、
(もちろん、久子の秘密にこそ深く踏み込んだでしょうが…)
そこのあたりの事情がわからず、結局はすべて「禎子の憶測的推理」で、
片付けられてしまいます。
しかも、その傾向はクライマックスに至るほど強くなってしまいます。
佐知子が鵜原を能登金剛の断崖から突き落として殺したというのは、
もはやまったくの、禎子の想像でしかありません。
また、そうした、ストーリー上の齟齬だけでなく、
先にも述べた、禎子の心理描写においても、
物語の後半に至ると、不足どころか、大きな欠落感を感じます。
夫がすでに死亡していることを知った禎子は、
しかしその夫に対して、ほとんど、さしたる感情を示しません。
夫がほかの女と秘密の生活を持っていたことを知っても、それに対する、
軽蔑の念や不快感も、たいして表しません。
禎子はただ、第三者的に、ひたすらに推理ばかりにふけるようになってしまいます。
もし、禎子のような状況に置かれたら、女であれ男であれ、
もっと複雑で激しい感情が、込み上げるはずではないでしょうか。
私がこの本を読み終えて感じたことのひとつは、
小説というものも、時代とともに進化しているんだな、ということです。
現在において、このゼロの焦点が、どこかのミステリー小説賞に応募されたとしても、
受賞はできないのではないでしょうか。
いまや、高村薫や宮部みゆきは、
本作を遥かに凌駕する、高い完成度を持つ作品を書いています。
(高村薫のマークスの山なんて、すごい重量感です。まさに白眉です)
ゼロの焦点が連載されていたのは昭和40年代初めのことのようですが、
当時は、これでもよかったのかもしれません。
ですが、21世紀のいまでは、もっとしっかりと骨のある重厚なストーリーや、
読み手の共感を得る綿密な心理描写がなされていないと、
良作として認めてもらえないように思います。
などと、欠点ばかりをあげつらうように書きましたが、
この作品に書かれている、北陸の暗鬱とした雰囲気が、
すべての場面において、確かな「気配」となって、
作品全体に広く漂っていることは、本作の大きな美質であることに、
変わりはありません。
実際の北陸は、清張が描写するほど、暗くもないのですが、
(こんなに北陸を暗く書いたら、現地の人は怒るんじゃないかと思ってしまいました)
この作品のなかで描かれる北陸は、現実とは似て否なる独自の陰影を持ち、
それが、物語に登場する女たちにベールとなって被さることで、
それぞれのキャラクター形成に、大きく寄与しているのではないかと思いました。

さて、本作は、映画化されているわけですが、その映画を、私はまだ見ていません。
この小説は穴が数多くあると私は思いますが、映画を脚本にするさいに、
それは、いかようにも修正可能だと思います。
この小説が、現代の視点で、どのように解釈され映像化されたのか、
ちょっと興味がわきますね。
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