松野湖の光景

冬になると、MINIでドライブに出掛けることは、
当然というべきか、めっきり少なくなってしまいます。
なにしろ、雪道を延々と走るのは、ちょっと気が滅入りますから…。
ですが、それよりも、もっと気を滅入らせるのは、路上に撒かれる融雪剤です。

塩化カルシウムである融雪剤は、クルマのボディの大敵。
すでに各所にサビを発生させているわがMINIにとって、
この融雪剤は、可能な限り避けたいものなのです。

そんなこともあって、この時期、
MINIでのドライブの機会はますます失われるのですが、
いくらMINIが大事だからとはいえ、ずっと車庫に入れたままにしておくのも、
やっぱり、なんだかよくないように思います。
前々回も書きましたが、クルマも、人の身体と同じで、適度に動かさないと、
調子が悪くなってしまうように思います。

というわけで、先週の日曜、久しぶりに天候にも恵まれそうだったので、
思い切って、MINIを出すことにしました。

といっても、今回も北には進まず、
(なにしろ、北にある富山方面は大雪らしいですから)
南に進路をとることにしました。

今回の行く先は、岐阜県瑞浪市にある、鬼岩公園というところです。

宮峠を行く

今回も、我が家のすぐ南にある「宮峠」の画像をアップしてみました。
この峠は、急カーブが多く、冬場は路面凍結もあるなど、危険が多い道です。
実際、この日、反対車線の路面は、まだ凍結状態にありました。
(ただ、路面に雪の姿はなかったです)

こうして、国道41号線をひたすら南に進み、
下呂市、美濃加茂市、を経由して、国道21号線に入り、
およそ2時間と少しで、目指す鬼岩公園に到着しました。

この鬼岩公園は、今月8日に、坂折棚田にドライブしたさい、
偶然、発見したのですが、その時は素通りしてしまい、
今回、はじめて訪れることができました。

鬼岩公園到着

こちらがその鬼岩公園の駐車場なのですが、なんとなく、
寂れたさみしい雰囲気が漂っていました。
冬場ということもあるのか、好天にもかかわらず、お客さんもちらほら、
といった感じでした。

駐車場脇の歩道橋を渡り、鬼岩公園へと足を踏み入れましたが、
近くには廃墟となったホテルがあったりと、
ますます、寂れた雰囲気が強くなります。
ですが、この独特の雰囲気、きらいではないです。

遊歩道を行く

こうして、鬼岩公園の遊歩道へと足を踏み入れたのですが、
残念ながら、岩屋めぐり、というコースは、閉鎖されていて、
踏破することは叶いませんでした。
ですが、遊歩道自体は通行可能だったので、どんどんと先へと進んでいきます。

遊歩道は、渓谷にそって伸びています。
道は昇りばかりで、しかも思いのほか急です。

巨岩

そして、各所に、このような巨岩が点在しています。
この巨岩が、鬼岩公園といわれる所以らしいです。

遊歩道を見下ろす。

それにしても、かなりの上り道です。
ふと振り返ると、思いのほか高低差があることに気づかされます。

岩の下を通ることに。

先へと進むうちに、道のメンテナンス状況は悪くなり、
同時に、コースも厳しくなります。
ここは、岩の下に歩道が伸びていました。
ですが、このような場所は、探検気分でちょっとワクワクします。

遊歩道には、ところどころ脇道があるのですが、その多くは、
立ち入り禁止となっていました。
とはいえ例外もあり、この洞窟の中へ伸びる歩道は通行可能でした。

鬼の洞窟

洞窟のなかは真っ暗なのですが、
近づくと人感センサーによるライトが点灯し、内部を照らしてくれました。
洞窟の中には鬼の像が祀られていました。

長い坂道

それにしても、歩道は延々と続きます。
やがて、道幅の広い上り坂へと出ましたが、そのころには、
ヨメはもうヘトヘトになっていました。

遊歩道のゴール「松野湖」

といいつつも、なんとか長い坂を昇り切ると、目の前の視界が開け、
目の前に湖が現れます。
それにしても、たいへんな好天です。
気持ちはいいのですが、風があり、とても寒かったです。

ここから、別ルートを通って帰路につこうとしましたが、
どうやら通行止めらしく、結局、今来た道をひきかえし、
戻ってきました。

この鬼岩公園は、昔は、大いに賑わっていたのかもしれません。
ですがいまでは、時代に取り残されてしまったような感があります。
とはいえ、寂れた雰囲気にもまた趣があり、味わい深いものがあります。

また、いまでも営業している温泉旅館やホテルもあり、
この静かな雰囲気に魅力を感じる人も、少なからずいるようです。

MINIで帰路に。

とにかく、巨岩を巡るトライアルは楽しいものでした。
もっと季節がよくなったら、またドライブがてら、この地を訪れたいものです。
(ただ、ヨメは、もう来たくない、といっていましたが…)




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右舷幅砲

遅ればせながら、ようやく、昨年末に放映された、
ドラマ版の「坂の上の雲」第三部を、全話、見終わりました。
三年に渡って放映されたこのシリーズも、これでついに完結となりました。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」

今回の放送分は、どれも、
ほとんどのシーンが、日露戦争の戦闘場面に費やされることとなり、
いわば、日本の連続ドラマとしては希に見る、
徹底した軍事/戦闘物になりました。

ですが、司馬遼太郎氏の原作の魅力である「作戦面」での描写は非常に乏しく、
また、時間的制約からか、割愛された箇所も多数に渡りました。

黄海海戦はナレーションのみでシーンはなし、
また、遼陽会戦における黒木軍の側面攻撃のエピソードなども省かれてしまい、
児玉源太郎が繰り出す作戦の面白さ、危うさ、という部分は、結局、
描かれないままでした。

また、最終回の「日本海海戦」においても、
作戦や戦闘の詳細はほとんど描かれないままで、
上村艦隊が独自判断でバルチック艦隊を追撃するエピソードや、
ロジェストヴェンスキーが日本側の捕虜になる、
といったくだりは、完全にオミットされてしまいました。

このあたりが綿密に描かれれば、
原作の面白さが映像として味わえたかもしれません。

ところが、その一方で、
原作にはなかったポーツマス講和会議のいきさつや、
日比谷焼き討ち事件までもが描かれていました。

おそらく、NHKとしては、このドラマが、
単純な国威発揚や戦争賛美にならないよう、強く意識したのかもしれません。
大勝利に終わった海戦の描き方も、演出という面においては、
比較的、淡々としていたように思います。
また、日露双方とも、傷病兵の場面がとても多かったと思います。

ただ、そうした配慮のせいもあってか、
最終回の後半は不必要に長く、間延びした感は否めませんでした。
もっと小気味よくまとめてもよかったのではないかと思います。
個人的には、雨の坂、のシーンで、
エンドマークでもよかったのではないかと思っています。
律儀に好古の最後まで映像化しなくても、と、感じたのですが…。

などと、いろいろと書きましたが、
映像はほんとうにすばらしい。まさに大迫力です。
これらの映像だけで、必見の価値があります。
日本海の荒波を蹴って進む、三笠以下の連合艦隊の姿は、迫真のリアリティです。
一昨年、加賀に、この三笠の実物大セットを見に行きましたが、
(トップの画像が、その実物大の三笠です)
セットは駐車場のようなところにあるにもかかわらず、
ドラマでは、ほんとうに、海に浮かんでいるように見えます。
船首が砕く波にも、まったく違和感がありません。

まるで、日本海海戦を実況中継しているかのような、そんな感さえありました。
原作を読んで、頭の中で想像を巡らせてきた日本海海戦の様子が、
まさに、そのままのかたちで、実写となって目の前に現れたかのようでした。

もっとも、今回放映された第三部のなかで、
総合的な出来がいちばんよかったのは、
この「日本海海戦」ではなく、「二百三高地」だったと思います。
二百三高地では、作戦面についても、
時間の許す範囲でキチンと語られていましたし、
また、危機を打開していくストーリーも、とても見応えがありました。
(映画「二百三高地」を踏襲して作られているせいかもしれません)
二十八サンチ榴弾砲の発砲シーンも、
記録映像を彷彿とさせるリアリティがありました。
二百三高地から旅順港を見下ろす終盤のシーンは、まさに感動的です。

坂の上の雲-全八巻

このドラマ放映を機に、
もういちど、原作本を読んでみたい、とも思いましたが、
全八巻を読破する時間はちょっととれそうにありません。

ポーツマス講和会議のテーブル2

いずれにしろ、明治期の「国難克服」の物語は、
震災と原発事故にあえぐ現代の日本人に、
さまざまな教訓を与えてくれるように思います。
(ちなみに、上の画像は、博物館明治村に保存されている、
 ポーツマス講和会議のさいに使用されたテーブルです。
 このテーブルを挟んで、小村寿太郎とウイッテの外交戦が展開されました)





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坂折棚田全景

たいへん遅くなりましたが、みなさま、明けましておめでとうございます。
昨年は、震災や原発事故など、明るいニュースの乏しい年でしたが、
新しくはじまる2012年が、誰にとっても、よい年であるよう、
心から願っています。

さて、今年最初の記事は、ドライブネタから…。
一月に入り、やはりというべきか、連日、雪に見舞われ、
クルマを出すには不向きな空模様、道路事情となってしまいましたが、
機械というものは、人間の身体と同じように、
適度に動かさないと、調子も悪くなってしまうといいます。
というわけで、ひさしぶりに、MINIで遠出してみることにしました。

といっても、北に向かうのは、さすがに気が引けるので、
雪の少ない南へ行くことを念頭に、目的地を決めました。
今回の目的地は、岐阜県恵那市にある、坂折という地区です。
この坂折には、美しい棚田があるとのことで、
聞くところによると「日本の棚田百選」にも、選ばれているそうです。

じつは、昨年の春、愛知県豊根村に向かった際、この棚田のある地区を、
チラリと掠め通っており、次回、機会があれば、
ぜひまたきてみたい、と、思っていたのです。

というわけで、ひさしぶりにMINIを出動させました。
MINIでのドライブは、昨年の11月に、
虎渓山永保時に行って以来で、なんと、じつに二ヶ月ぶり。
しかも、昨年11月に車検を受けたあと、初ドライブとなります。

冬の宮峠

こちらは、飛騨高山市街地の南にある、宮峠です。
路面が凍結する冬場は、通行するのに神経を使う道ですが、
この日は、周囲こそ雪で覆われているものの、路面に雪はなく、
また、凍結も見られなかったため、比較的容易に、走ることができました。
(それでも、油断はできませんから、ゆっくりと慎重に走ります)

快適な道

そのまま南下を続け、下呂温泉、加子母村、を経由し、
とりあえず、恵那市方面を目指して走ります。
天候は晴天。しかも道も空いていて、スイスイと気持ちよくドライブできました。

とはいえ、道順がいまひとつわかりません。
迷いつつも、結果オーライということで、気ままに走ったのですが、
意外にも、大きく道に迷うような事態には陥らず、
スムーズにドライブできました。

湖畔にて

こちらは、途中で立ち寄った湖です。
太陽の光が湖面に反射して、とてもきれいでした。
私が住んでいる地域では、
どこもかしこも雪で白く塗り込められていますが、
同じ岐阜県でも、さすがにこのあたりには雪はなく、
とてもうらやましく思えてしまいます。
(なにしろ、雪掻きは重労働ですから)

坂折到着

こうして、路上の案内看板をたよりに走り続け、
いよいよ、恵那市坂折地区に到着しました。

棚田を臨む

こちらが、その棚田の光景です。
緩やかな山の斜面に、石垣で囲まれた田が、階段状に連なっています。
斜面には陽があたり、冬とはいえ、暖かみを感じる光景となっていますが…。

日陰は別世界

が、日陰側を見ると、その表情は一変。
なんだか、もう、同じ場所とは思えないほどです。
いたるところに雪が残っていて、なんとも寒々しい光景です。
陽の当たるところと、そうでないところとでは、
もう、別世界といってもいいくらいです。

棚田を眺め下ろす。

このあたりは、観光地化されておらず、
土産物屋の類いはなく、眺めはいたって素朴です。
道も細く、大きな駐車場もなく、ただ棚田とともに暮らす集落があるのみです。
でも、そこが、この地区の大きな魅力かもしれません。

茶色一食の光景

ただ、棚田を見物するには、今の季節は不向きです。
とにかく、田も、土手も、一面茶色になっているだけですから。
できれば、次回は、田植えや稲刈りの時期にきたいものです。

もっとも、さらにもっと雪があれば、
もっと風情のある、冬の棚田の眺めが楽しめるのかもしれませんが…。

さて、坂折棚田を満喫したあとは、
岐阜県加茂郡八百津町というところに向かってみました。
こちらには、第二次大戦中、リトアニアで、
多くのユダヤ人の命を救ったといわれている、
元外交官「杉原千畝」の功績を記念した、杉原千畝記念館があります。

その記念館に向かう途中、旧八百津発電所資料館という看板を発見。
急遽、そちらに向かってみることにしました。

旧八百津発電所資料館

こちらが、その旧八百津町発電所資料館の建物です。
おそらく、明治期に建てられた建物を、
そのまま、資料館として転用しているのでしょう。
重厚で威厳を感じる建物です。

が、このときすでに時刻は4時半を回っており、すでに、
資料館の営業時間は過ぎていました。
残念です。

発電所施設

こちらは、その資料館のすぐそばにある、発電所施設の一部です。
資料館同様、こちらもかなり年季の入った建物で、見応えがあります。
明治期の技術、建築遺産のひとつといってもいいのではないでしょうか。

次いで、今度こそ、杉原千畝記念館へと向かってみることにしました。
もっとも、こちらもすでに開館時間をすぎており、中には入れずじまい。
まあ、次回、もっと時間に余裕をもってくるしかなさそうです。

この記念館の向かいには、人道の丘公園という公園があり、
一帯は広く整備されています。

人道の丘公園

誰もいない公園の、水のない噴水。
静寂の中で、ひっそりと身を潜めているようでした。
こうした光景を見ていると、心が落ち着くような気がします。

満蒙開拓団碑文

また、すぐ近くには、満蒙開拓団の石碑がありました。
八百津町には、どうやらかつて、久田見村という村があったようで、
その村の人たちの多くが、戦前、国策に従って満州へと渡ったようです。
碑文に記された久田見開拓団の所在地を見ると、
牡丹江省寧安県とありますから、おそらくは、牡丹江の近郊なのでしょう。
(なかにし礼の小説「赤い月」の舞台は、牡丹江でした)

そうであるのならば、この開拓団の人たちは、ソ連軍侵攻後、
塗炭の苦しみを体験したのではないかと思います。

それにしても、碑文の最後には、平成八年と記載されており、
この慰霊碑ができたのは、比較的、最近のことだということがわかります。
そのことに、少し驚かされました。
杉原千畝記念館

そして、ここで日没。
晴天のなか、とても楽しく充実したドライブでした。
久しぶりに乗ったMINIも、すこぶる快調でした。

次回も、また、どこか遠くに行きたいものです。




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