
夏の忙しさも、ここにきて、ようやく峠を過ぎた感があり、
日常の生活にも、少しばかり時間に余裕が出てきました。
そんなわけで、昨日の日曜(7月29日)は、
ひさしぶりに、遠出してみることにしました。
とはいえ、この酷暑のなか、エアコンのない、
しかもオーバーヒートの危険があるMINIでは、
とても出掛けられず、結局、ヨメのクルマでのドライブとなりました。
今回、目的地としたのは、真田昌幸、真田幸村親子の居城であった信州の上田城。
そして、さらに時間と気持ちに余裕があれば、上田から足を伸ばして、
軽井沢まで行ってみようということになりました。
梅雨は開け、いよいよ酷暑日が続くようにあり、この日曜も、
厳しい暑さの到来が予報されていました。
が、長野県は晴天となるものの、雷注意報が広く発令されており、
ときには、雨になるものと思われました。
ですが、やはり、上田城には行ってみたい、ということで、
目的地はそのままに、朝10時、飛騨高山を出発することとなりました。
出動車はヨメのプジョー。運転もヨメの担当です。
まず、国道158号線に乗り、ひたすら東の長野県を目指します。
県境の平湯温泉で、安房峠に乗り入れます。

安房峠を通るのは、今年においては、今回がはじめてです。
今年は、なにかと忙しくて、ドライブの回数自体が減ってしまったため、
この夏の時期に至るまで、安房峠を訪れることがなかったのです。

のぼり始めた当初は、さほど陽射しがなかったのですが、
しだいに陽の光が差し始め、美しい木漏れ日が見られるようになりました。
トンネルの開通とともに、交通量が激減したこの峠道ですが、
それでも、この美しい景観を楽しみたい人たちは少なからずいるようで、
細い道のそこかしこに、停車しているクルマが見受けられました。
(ただ、見通しの悪い細いカーブでの停車は危険です)

こうして、安房峠を過ぎ、まずは松本市を目指します。
空はいよいよ晴れ渡り、陽射しもますます強くなってきました。
エアコンをかけてさえなお、ムッとする暑さを感じてしまいます。
松本市の市街地に入る手前で、国道19号線へと乗り換えて北上します。
次に目指すのは、上田市へと至る国道143号線への分岐点です。
松本から上田に行くためには、三才山トンネルを通るのが、
最も効率がいいのでしょうが、三才山トンネル、および、
その手前にある松本トンネルは、有料道路のため、
今回は、国道143号線を通ってみることにしました。
このルート、じつは十年ほど前に通ったことがあるのですが、
当時の記憶はもうあやふやで、しかも、道路環境も変わっており、
「こんな道だったっけ?」と思うこともしばしば。
が、やがて道が細く曲がりくねった山道になると、記憶も蘇ってきました。

経由地である青木村で、小休止。
こちらには、以前にはなかった道の駅がありました。
ロングドライブのさいは、トイレに苦労することもあるのですが、
そんなさいに、道の駅の存在は大助かりです。

こうして、ほどなく上田城に到着。
いうまでもなく、城はすでにないのですが、櫓などは復元されていて、
かつての栄華を偲ばせます。
この城は、真田昌幸、真田幸村親子の居城として知られており、
とくに、関ヶ原の戦いのさいには、
中山道を通って関ヶ原に到達しようとする徳川秀忠の軍勢を、
わずかな兵で撃退したことでも、その名を馳せているのではないかと思います。
結局、秀忠は上田城攻略をあきらめ、急ぎ、関ヶ原へと向かいますが、
天下分け目の関ヶ原の戦には間に合わなくなってしまいました。
その後、真田幸村は不遇の時を過ごしますが、
大阪冬の陣のさいには、ふたたび、豊臣方に付き、
大阪城前面に要塞「真田丸」を構築して、攻め寄せる徳川軍を大いに苦しめ、
また、大阪夏の陣では、最後まで家康に肉薄し、
日本一の兵(つわもの)の名をほしいままとします。
戦国期の歴史には疎い私でも、真田幸村の武功について、
いくらかは知るところであり、これもひとえに、
幸村公の偉大さを物語るものだと思います。

こちらは、復元された西櫓です。
シックな色合いがいいですね。

真田幸村といえば「赤備え」ということで、
巨大な赤い兜が、真田神社境内に鎮座していました。
兜に付けられた六文銭は、デザイン的に見ても、モダンでカッコいいですネ。

上田城本丸の址には、戊辰戦争にまつわる碑が建てられていました。
こうして、上田城趾公園をあちこち見て回ったのですが、
なにしろ、この日は酷暑日ということで、見て回るのもたいへんでした。
夏のお城巡りはともすればちょっと危険かもしれません。
次回、もし、この上田城に来ることがあるとすれば、
そのときは、夏場は避けたいと思ってしまいました。
そんなわけで、上田城を早々に後にし、
次に、いよいよ軽井沢まで向かってみることにしました。
道案内の青い看板に従い、国道18号線を南東にひた走ると、
やがて、路上に、軽井沢町という表示が見えてきました。

すでに東京まで170キロ強…。
このあたりは、すでに関東圏という雰囲気ですネ。
田舎者の私は、ただそれだけで、うかれてしまいます。
こうして、軽井沢に到着したのですが、その後は渋滞に遭遇。
なかなか前に進みません。
時刻はすでに夕方…。
時間はムダにしたくないところですが、いうまでもなく土地勘はありませんし、
カーナビがあるとはいえ、不用意に脇道に入るのも得策とは思えず、
ジリジリと貴重な時間を過ごすこととなってしまいました。

そうこうするうちに、どうにか旧軽井沢に到着。
が、駐車場も思うように空いておらず、路上で不意に止まるわけにもいかず、
とりあえず、旧三笠ホテル方面へ。
このあたりまでくると、人通りはぐっと減り、
あたりのたたずまいは静かで落ち着いたものとなります。

とりあえず、旧三笠ホテルに行ってみますが、見学時間はなんと午後4時半まで。
このとき、すでに4時半過ぎ…。
タイムオーバーで見学できませんでした。
十年近く前、私はひとりでこの旧三笠ホテルを訪れたことがあるのですが、
そのときもタイムオーバーで見学できず…。
はからずも、今回も同じ過ちを繰り返すこととなりました。
(進歩のない私です)
その後、私としては、旧軽井沢をブラブラと散策したいと思っていたのですが、
長時間の運転に疲れ、また、人混みを好まないヨメから拒否されてしまい、
すったもんだの末に、結局、このまま、帰ることに…。
多大な時間をかけ、この軽井沢までやってきたのに、
滞在時間は十分ほどに過ぎません。
(私は、人の集まっているところが大好きです)

ちなみにこちらは、旧三笠ホテルそばの川のあたりです。
静かな森の中にカフェもあり、とてもいい雰囲気です。
今回は、このまま涙を呑んで帰ることとなりましたが、
いつか、この軽井沢を心ゆくまで満喫してやる、と、
眼下の景観を眺めながら、心に強く誓うのでした。

こちらは旧軽井沢の中心部。
夏休み期間中であり、日も長いため、まだまだ多くの人が出歩いていました。
タンデム型の自転車に乗って街を走る人も多数…。
そんな楽しそうな人たちの姿を見ていると、ふたたび、私の胸には、
次回こそは、この軽井沢をイヤというほど満喫してやる、という思いが
ふつふつと込み上げるのでした。
帰りは、行きとはルートを変え、佐久、岡谷、を経由してみることにしました。
というわけで、国道18号線を離れ、佐久にさしかかったのですが…。

佐久に到着する頃から、急激に空が暗くなり、まもなく、大粒の雨と雷鳴が…。
短時間のうちに急激に雨は強くなり、道は雨水で溢れ返ります。
MINIだったら、ディスビに水がかからないかと、肝を冷やしたと思います。
それにしても、天気予報はズバリ的中ですね。
その後、雨脚は急激に弱まったり、また強くなったりを繰り返しましたが、
稲妻の黒々とした雲間を頻繁に照らし、いままでの青空がウソのような、
破壊的な空模様になりました。
しかしながら、進むにつれ雨は止み、空に明るさが戻ってきました。
このまま岡谷方面に向かって進むつもりでしたが、途中でビーナスラインに入り、
松本へと降りることにしました。

ビーナスラインに到着した頃は日の落ちる寸前という状態で、
見る見る闇が迫っていました。
しかも、雲も低く垂れ込めていて、景色なんてまったく見えませんでした。
その後、松本市まで行き、波田町、安曇野市を経由し、岐阜県へと帰ってきました。
ひさしぶりのロングロングドライブで、とても楽しかったです。
帰宅時間は午後10時少し前…。
走行距離からみれば、かなり早い帰宅かも知れません。
暑い夏を過ぎたら…、夏休みの混雑期を過ぎたら…、
今度こそ軽井沢を満喫したいです。
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