未来型潜水艦

今月19日に、扶桑社さまから発売された、防衛省、および自衛隊の広報誌、
月刊「MAMOR」- 9月号に掲載の「Military Report × 技本レポート」のイラストを、
担当させていただきました。

MAMOR - (マモルと読みます) - は、
防衛省が編集協力を行っている雑誌ということですが、
その内容は、防衛関係だけにとどまらず、とてもバラエティに富んでいて、
グラビアアイドルの写真や、婚活コーナーなどもあり、多岐に渡っています。

Military Report × 技本レポートという記事は、防衛省技術研究本部が行っている、
防衛上の研究や新型機材の紹介などをするもので、MAMORの人気記事とのことです。
今回は、そのなかで使われている、
5点のイメージイラストを担当させていただきました。
私にとって、このような防衛系のお仕事をいただくのは、はじめてのことなのですが、
メカ好きで、かつ、もとより戦車マニアの私にとっては、
得意な分野といえるかもしれません。

扶桑社 月刊 MAMOR - マモル - 9月号の詳細はコチラです

今回の記事は、海上、海中のシステムの紹介ということで、
私にとって守備範囲 (?) である戦車を描くわけではなかったのですが、
近未来の艦船や潜水艦を、創作させていただきました。

誌面1

それぞれのメカについては、先にも述べたように、
架空の近未来のもの、ということで、自由にデザインさせていただきました。
ただ、艦船は、私にとって知識がまったくない分野ですので、
そのあたりは、想像を交え、最新の艦船の画像などを見つつ、なおかつ、
既存のものとは似たかたちにならないよう、留意しつつ制作しました。
しかも、短時間で仕上げなければならないため、
モデリングしやすい形状ということも、あわせて考えなければなりませんでした。

ですので、艦船に詳しい方の目から見たら、おそらく、
いろいろとつっこみどころが満載ではないかと思います。
それらについては、イメージイラストということで、
ご容赦をいただければ、さいわいに存じます。

未来型護衛艦

こちらは、護衛艦のイラストです。
後方にヘリなどが離着陸できる甲板を備えていることが、
作画のさいの必要事項とされましたが、そのほかは自由にデザインでき、
いろいろと想像を巡らしつつ、フォルムを決めていきました。
モデリングは、いつものようにShadeで行っています。

ここのところ、Shadeのポリゴン機能を使うことがなにかと多いのですが、
スピーディーなモデリングが必要とされる場合は、自由曲面で行うほうが、
はるかに効率が良いように思います。

水中ネットワーク

こちらは潜水艦と水中ネットワークのイラストです。
トップでご紹介した潜水艦のモデリングデータを流用して作られています。
いままでの概念では、潜水艦は丸みを帯びたもの、となっていたと思いますが、
今回は、それを角張ったものにすることによって、近未来感を出してみました。

戦車の砲塔は、以前は、鋳造によって作られることが多く、
ゆるやかな丸みを帯びたものがほとんどでした。
自衛隊の61式戦車、74式戦車も、砲塔は丸みを帯びています。
ですが、新型の10式戦車などは、完全な多面体構造となっています。
こうした点をふまえて、モデュラー装甲を施した潜水艦、といったイメージで、
潜水艦をデザインしてみました。
もちろん、そんなことは、将来にわたってもありえないのかもしれませんが、
近未来感を出すひとつの手法として、こうした直線的フォルムにしてみました。

水中グライダー

こちらは水中グライダーです。
このメカについては、すでに既存のものがあるようですので、
それを踏襲するように、デザインしました。
私の世代では、このようなメカを見ると、
アメリカのSFドラマ「原子力潜水艦シービュー号」に登場した、
小型潜水艇「フライングサブ」を連想します。
(このドラマを知っているのは、おそらく、50代以上の方だと思います)

フライングサブは、当時としては画期的なデザインで、また、
クロームイエローのカラーリングも印象的でした。
ですので、このメカの色は、フライングサブへの敬意を表す意味で、
黄色にさせていただきました。

水中ロボット

こちらは、水中ロボットのイラストです。
メカ好きとしは、もっと細部の作り込みなどをしたい誘惑に駆られますが、
納期や予算の関係もありますので、それに見合う仕上がりとなります。
ですが、そうした事情を差し置いても、可能な限り、
クオリティの高いものになるよう、心掛けています。

表紙

今後は、このMAMORで、私のイラストを掲載していただく機会も、
増えるかもしれません。
(実際、すでに次号のイラストにも着手しています)

最後になりましたが、編集に携わっているみなさまには、たいへんお世話になりました。
ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。



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彦根城

7月に入って、ようやく、いそがしさにも一段落がついたため、
先週末は、ひと月ぶりにクルマで遠出してみよう、ということになりました。
今回の行き先は、いままでほとんど行ったことがない、滋賀県を選んでみました。
おりしも先週は、大型の台風が到来し、天候は荒れ模様でしたが、
週末はその影響もなくなるということで、
予報では、近畿、東海、ともに土日は晴れとなっていました。

私も、そのころにはちょうど時間もとれるということで、
この12〜13日に、滋賀の長浜、彦根へと行ってみることにしました。
なにしろ、久しぶりの休日で、
(駄知旧車館に行って以降、休みらしい休みはありませんでしたらから)
なおかつ、お天気にも恵まれそうだということで、
期待に胸を膨らませていたのですが、いざ当日になってみると、
天候は曇りがちで、なんだか、すっきりとはしませんでした。
まあ、梅雨が明けたわけではないので、仕方がないといえばそれまでですが…。

私の住む飛騨高山から滋賀県に向かうには、
まず、国道41号線に乗って南へ走り、その後、飛騨金山から、
関金山線(県道58号線)に乗り換え、岐阜市へと向かいます。
そこから国道21号線に入り、今度は西へと向かいます。
こうして、関ヶ原を経由して滋賀へと入る、というルートをとることになります。
(今回も、すべて下道を通ることにしました)
出動車はMINI…、といいたいところですが、暑さが厳しいため、
エアコン完備のヨメ車プジョー208でのドライブとなりました。

竹中半兵衛本陣

途中、岐阜県垂井町に立ち寄り、
そこで、羽柴秀吉の軍師であった竹中半兵衛の陣屋跡に寄ってみました。
ここはつい先日、NHKの大河ドラマ「軍師勘兵衛」の名所旧跡案内で、
取り上げられていたと思います。

岐阜県垂井町は竹中半兵衛の故郷ということで、
ところどころで「半兵衛のふるさと」といった趣旨の看板を見かけました。
どうやら半兵衛は、この街にとって、郷土の英雄的な存在なのかもしれません。

陣屋跡といっても、残っているのは、この写真の部分だけです。
この陣屋跡の北にあるという「禅幢寺」というお寺には、
半兵衛のお墓もあるとのことでした。
半兵衛は、播磨の三木城を攻略している最中に亡くなったはずなので、
お墓はここ垂井にはないものと思っていましたが、
ちゃんとこちらにもお墓はあるようです。

そちらにもぜひ行ってみたいと思いましたが、先を急ぎたいということもあり、
今回は禅幢寺行きをあきらめ、ふたたび西に向かうことにしました。
(途中通り過ぎる関ヶ原も、いつか時間をかけて、見て回りたいものです)

こうして、無事、滋賀県に入り、まずは彦根市のホテルにチェックインをすませ、
その後は、北に向かい、長浜へと向かってみます。

長浜城到着

こちらが長浜城です。
羽柴秀吉がはじめて城持ち大名になったのは、この長浜でした。
城は復元されたものですが、それでも、秀吉ゆかりの地に立つ城の姿を見ると、
なにかしら、感慨深いものがあります。

おりしも、場内では、黒田勘兵衛博覧会が開かれており、
この時期は「姉川合戦と浅井長政攻め」というテーマ展になっていました。
黒田勘兵衛博覧会は、いくつかのテーマ展を、時期を変えて行っているようです。

展示はとても興味深いものでしたが、ヨメはチョー退屈だったようです。

天守閣から見る琵琶湖

その後、天守閣に登ってみました。
天守閣からは、長浜の街と琵琶湖が見渡せました。
天気がよかったなら、と、少し悔やまれる思いです。

長浜城は大阪夏の陣のあった1615年に廃城となったようで、
使われていた資材は彦根へと運ばれ、彦根城作りのため転用されてしまったそうです。
いわばこの長浜城は、豊臣家の末路をなぞるような運命を辿ったわけですが、
いまこうして、地元の人たちの手で城が復元され、長浜のシンボルとなっていることを、
秀吉公は、草葉の陰から喜んでいるかもしれません。

その後は、ふたたび彦根に戻ったのですが…。
なんと、翌日は雨。
晴れなくてもいいから、せめて雨は降らないで、
などと思っていたのですが、その願いは、結局、叶いませんでした。
というわけで、日曜は雨のなか、彦根城に向かうこととなりました。

彦根城見学のまえに、開国記念館という資料館に寄ってみました。
ちょうどこちらでは「佐和山城と石田三成展」が開かれており、
常設のものとも合わせ、とても興味深い展示が行われていました。

開国記念館

こちらは、館内に展示されていた、かつての彦根城下のジオラマです。
館内は撮影禁止ですが、この一角は撮影OKということで、
さっそくカメラを向けてみました。
居並ぶ家臣の屋敷群を見ると、かつての彦根藩の栄華が偲べます。

雨のなか、彦根城へ

そしていよいよ彦根城へと入城します。
彦根城は、さすがに規模が大きく、
また、復元ではないオリジナルの城、ということで、格別の見応えがあります。
天守に至る道は曲がりくねり、また各所に、銃眼を無数に備えた櫓もあり、
まさにここは、難攻不落の要塞だったことが伺えます。

彦根城の築城がはじまったのは1604年のことだといいますから、
すでに関ヶ原の戦いを終え、
徳川家康、秀忠の支配がいよいよ盤石になっていた時期にあたると思います。
大坂に豊臣秀頼と淀がまだ健在でしたが、それでも、もはや、
徳川と、徳川の信任厚い井伊家に、弓するものなどなかったと思うのですが…。

ですので、城攻めなどの大規模な戦の発生は考えににくいでしょうし
堅固な軍事要塞的な城は、かえって、使い勝手が悪かったのではないか、などと、
思ってしまいます。

彦根城を見上げる

そしていよいよ天守到着。
ここからは、彦根の街が見渡せます。
この頃から雨が上がり始め、城を眺めつつの歩きが、かなり楽になりました。

急な階段

城の階段はとても急で、登るのがちょっと怖いです。
登るときよりも、降りるときのほうがこわかったかもしれません。
城内はたくさんの観光客がいますから、もし、ここで足を滑らせて、
階段から落ちたりしたら、多くの人に迷惑をかけるでしょうし、
へたをしたら、地元の新聞に載ってしまうかも、などと、
いろいろなことを想像してしまいました。

大老井伊直弼像

また、城内には、大老井伊直弼の木像も展示してありました。
井伊直弼というと「安政の大獄」で多くの政敵を粛正した人ということで、
イメージ的には、あまりよいほうではないと思うのですが、
それでも、ここ彦根では、多くの人たちからいまも尊敬を集めているようです。

玄久園

お城の見学を終えたあとは、玄久園という庭園に行ってみました。
このころにはすっかり雨も上がり、園内をゆっくり見て回ることができました。
天気がよかったらもっと美しい景色となったかもしれませんが、
炎天下もきついですので、このくらいの空模様で、
ちょうどよかったかもしれません。

ちなみにこの日、彦根城を巡ったのは午前11時から午後1時のあいだで、
ひこにゃんの出没時間とは合わず、動くひこにゃんを間近に見ることはできませんでした。
これが、心残りといえば、心残りです。

というわけで、近江の城を巡るプチ旅行でした。
次回は、石田三成の居城だった佐和山城跡や、小谷城、また、安土城跡にいってみたい、
などと思っています。




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