国道158号線/平湯

2014年もいよいよ今日で終わり…。
というわけで、当ブログでは、年末の恒例行事となっている、
一年の振り返りを、今回も行ってみることにします。

このブログで、すでに何回か書いたとは思いますが、
今年は、前半はとても忙しかったものの、夏を過ぎたあたりから、
滞る案件や受注できなかった案件などがあり、
思うにまかせないことが多々ありました。
新しい年は、このようなことがないよう、努力しなければと、
思っています。

それにしても、一年というものは早いもので、
私たちがこの家に引っ越してきてすでに丸一年がすぎ、
今回で二回目のお正月を迎えようとしています。
(ただ、いまでも、以前住んでいた家を恋しく思うこともありますが)

そうはいいつつも、自分のブログを再点検し、それに付随する事柄などを、
順に思い出してみたりすると、一年という時間のあいだには、
やっぱり、いろいろなことがあったな、と、いまさらながらに思うものです。

今回も、そのなかから、
印象深かった出来事などを、ピックアップしたいと思います。
まず、今年前半で、いちばんの思い出は、
GWの長野&妙高高原への旅行でしょうか…。
このときは、パインバレーというところに宿泊したのですが、
なにしろ部屋からの眺めがよく、しかも天候にも恵まれ、
ほんとうに最高でした。

素晴らしい眺め

部屋の大窓から見えるこの景色は、もう格別で、
胸のすく思いでした。
このホテルには、またぜひ宿泊したいものです。

杉並木

また、このときは、ふたたび戸隠神社にも行き、まだ雪の残る参道を、
歩いてきました。
この参道は、何度歩いても、すがすがしい気持ちになります。
しかも、旅のあいだは、終日、お天気にも恵まれて、心身ともに、
リフレッシュできました。

そして今年は、数多くの美術館、美術展、エキシビションに出かけました。
こうした催しに出かけることで、さまざまなインスピレーションや刺激を得たり、
また、創作のヒントや糸口を得られるように思います。
といいつつ、これらの経験を生かし切れているかいえば、
決してそうではないのですが…。
ですが、今後も、こうした場所や催しには、積極的に出かけたいと…、
いや、後学のためにも出かけなくては行けないと考えています。

ペーパークラフト作品

こちらは、美濃で行われていたペーパークラフト展に展示されていた、
唯一撮影が許されていた作品です。
田舎住まいなので、美術館や美術展に出かけるのは、
たいへんなこともあるのですが、自宅から比較的近い場所で、
こうしたエキシビションが開かれたことは、うれしい限りです。

ジオラマ作品

美術展とは少し異なりますが、
安城で開催されていたジオラマ展にも行ってきました。
こちらも、見応えたっぷりで、制作者側の熱量を感じてきました。

豊田市美術館

このほかにも、豊田市美術館で開催されていた、
ドイツとオーストリアの雑誌デザイン展、
金沢市の21世紀美術館で行われていた、透過と反射展、
砺波市で開かれていた石田徹也展など、
さまざまな美術展に出かけることができました。

来年も、美術館情報などをこまめにチェックし、
興味のあるものは、見逃さないようにしたいです。

また、今年、MINIでいろいろと出かけてみましたが、
なにしろ古いクルマなので、メカ的なトラブルも多い一年でした。

鞍が池のMINI

極め付きは、秋の豊田市でのトラブルで、このときは、
自宅への帰宅ができない、という事態に陥りました。

その後、修理もなんとか終えることができましたが、
うちのMINIの場合、こうしたトラブルのほとんどが、電気系に関するもので、
しかも、ふたを開けてみれば、単純な接触不良、ということばかりです。
このときも、イグニッションコイルに接続されている端子の接触不良で、
クルマが動かなくなってしまいました。

これからは、こうした端子部分の劣化や不良には、とくに、
気を使わなければと思っています。

華やぐ名古屋の街

そして今年の最後は、名古屋で締めくくり。
先日紹介した庵野秀明特撮博物館に行ったり、また、
デザイン専門学校時代の友人たちとの飲み会 (忘年会) に行ったりと、
名古屋で過ごす時間がことのほか多かったです。

そのさい、我が母校にも、ほんのちょっと立ち寄ってみました。

東デ建物

それがこちら。かつて東京デザイナー学院名古屋校と呼ばれていたところです。
現在はビジュアルアーツという名前のようです。

もっとも、このとき、時刻は夜の8時くらいになっていましたので、
人気もなく、すでに灯りは落とされていましたが、
この場所に来るのは、じつに30年ぶりくらいで、
あまりの懐かしさに、我も忘れて写真を撮りまくってしまいました。

その光景を見ていた方々から声をかけられたのですが、
なんと、ビジュアルアーツの先生をしていらっしゃる方とのことでした。
(校舎の前ではしゃぐ私を見て、呆れていらっしゃったのかも…)

というわけで、2014年も残すところ数時間となりました。
みなさまも、どうぞ、よいお年をお迎えください。
来る2015年も「K's BAR」をよろしくお願いいたします。





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庵野秀明特撮博物館チラシ

先日、名古屋市科学館で開催されている、
庵野秀明特撮博物館という企画展に行ってきました。
庵野秀明氏は、新世紀エヴァンゲリオンの監督として広く世に知られていますが、
大の特撮マニアでもあるとのことで、氏の創造の原点は、
これら特撮映画やテレビ番組にあるといいます。

今回の企画展は、そんな庵野監督が、
円谷プロがかつて製作した特撮用のプロッブや小道具、
イメージスケッチなどを紹介していく、といったスタイルでなされています。
また、新世紀エヴァンゲリオン劇場版Qと共に上映された、
巨神兵東京に現わる、という特撮短編映画に使われた街の模型なども展示されています。
本展の開催期間は、今年の11月1日から年明けの1月12日までとのことですので、
興味をお持ちの方は、ぜひ、名古屋市科学館に足を運んでみてください。

○ 庵野秀明特撮博物館の情報はコチラへ

私は子供の頃に、
今回の会場となった名古屋市科学館に行ったことがあるのですが、
高校卒業後、名古屋に10年ものあいだ住むことになったにもかかわらず、
その間は科学館に行く機会などはなく、今回はおよそ40年ぶりの訪問となりました。

名古屋市科学館

現在の科学館は、場所こそかつてと同じものの、
大幅に改築されたらしく、当時の面影はまるで見当たりません。
前庭には、たしか古いジェット戦闘機が展示されていたように思うのですが、
その姿も、いまはどこにもありませんでした。

…と、過ぎ去った月日の長さを思いつつ、科学館のエントランスに。
ここでチケットを購入し、いざ、館内へと歩を進めますが、
まずは、科学館の常設展示から、少し見学してみることにしました。

これら展示物も、また各フロアも、以前の科学館からは大きく様変わりしており、
とてもきれいで新しいものになっていました。

恐竜の骨格模型

こうした、恐竜の巨大な骨格模型は、以前の科学館には、
なかったように思います。

すでに冬休みに入ったためか、場内は子供が多かったのですが、
思いのほか、学生と思われる若いカップルが多く、
科学館は名古屋のデートスポットにもなっているのかな、と、思わせました。

チラシ裏面

そしていよいよ、今回の目的である庵野秀明特撮博物館の展示室へと向かいます。
会場は地下のスペースがあてがわれているため、
エスカレーターを降りて向かうかたちになりますが、
この、エスカレーターを降りる時点で、もうワクワク感が増してきます。
ですが、ここから先は、一部のエリアを除いて撮影が禁止されているため、
写真の掲載がちょっと少なくなっています。
すみません。

場内でまず最初に目を引くのは、海底軍艦の轟天号と、
惑星第戦争に登場した宇宙戦艦である轟天号のふたつのプロッブです。
巨大ドリルを先端に配したデザインはインパクト満点です。
このデザインは、ひょっとしたら、サンダーバードのジェットモグラを、
イメージベースにしているのかもしれません。

すぐそばの壁面には、小松崎茂氏が描いた轟天号のイラストも展示してあり、
かつて、少年漫画誌で氏のイラストを食い入るように見つめていた私にとって、
もう、この時点で気分は盛り上がります。

そして、私にとってもっともうれしい展示物が、
マイティジャックのマイティ号でした。
私はもともと、ゴジラやウルトラマンなどにはまったく興味がなかったのですが、
サンダーバードなどのメカものの特撮は大好きでした。
ただ、和製特撮は怪獣ものがメインで、メカものは少数派だったかもしれません。
その少数のなかでも、際立って秀逸だったのが、
子供向けではない特撮番組として放送されていた、マイティジャックです。

この番組は、世界征服を企む悪の秘密結社Qと、
最先端の兵器を駆使する秘密防衛組織MJとの暗闘を描いたもので、
時間枠も一時間という通常のドラマと同じとなっており、内容もクールでした。
テイストとしては007をサンダーパートをミックスしたようなもの、
といってもいいかもしれません。
(ただ、劇中、メカの登場シーンは、それほど多くはありません)

MJの主役にして最大のメカがマイティ号です。
潜水艦、戦艦、飛行機、を足して三で割ったような巨大メカです。
そのデザインも番組同様洗練されたもので、
先端にドリルをつける、などという無粋なことはされていません。

デザインは、怪獣のデザインで知られる成田亨という人とのことですが、
とても未来的でセンスよくまとめられていると思います。
とくに艦首のあたりはメカらしくてかっこいいです。

番組の冒頭、マイティ号が格納されている海底ドッグに、
海水が注入されていくシーンがあるのですが、
グッと遠近感がついたアングルで、とてもカッコいい。
テーマソングもそんな場面にぴったりで、このシーンは、
もはや私にとって意識刷り込みともいえるものです。

そのほかにも妖星ゴラスのプロッブや、ブースカに登場したらしいゲストキャラ、
ミラーマン等のマスクなどもありました。

また、巨神兵東京にあらわる、という短編特撮フィルムの上映や、
円谷プロの倉庫を再現した展示もありました。

最後の展示スペースは、
この巨神兵東京にあらわるのセットを再現したものがあり、
ここでは、撮影も許されていいました。

破壊された街の模型

こちらは破壊された街の模型なのですが、街のなかに見学者用の通路があり、
向こう側からもこちらを撮影できるようになっています。

見物客がいっぱい

かなり大掛かりなもので、見学客のみなさんも、
それぞれ思い思いの方向から写真を撮ったりしていました。

瓦礫状態

こちらは破壊された東京タワーとビルの瓦礫なのですが、
瓦礫は質感がうまくでていると思いました。
それにしても、これだけの模型を作るとなると、かなりの手間を要するはずです。
仕事とはいえ、模型への愛がないと、できないことだと思います。

小道具も展示

街の廃墟セットの傍らには、小道具も展示してありました。
こうしたものも、見ていて楽しいです。

現在の特殊撮影は、3DCGの発達によって、
飛躍的にリアルに、また、臨場感溢れるものとなりました。
そのため、こうした分野の撮影は、デジタルでの表現がメインとなりつつあり、
模型を使ってのアナログな手法は、過去のものとなりつつあるともいえます。
ですが、デジタルほどのリアルさはなくとも、
模型を使っての特撮には、どこか暖かみがあり、
また、微笑ましさを感じることがあります。

精巧なジオラマ模型を見るのは、
たとえ模型に興味のない人にとっても、楽しいものだと思います。
作り込まれたディティールには、制作者の熱量やこだわりがこめられていて、
見る側を驚嘆させたり、思わずニヤリとさせたりします。

今回の展示物にも、こうした、
制作者側の思いや楽しさが、しっかりと吹き込まれていたように感じます。

というわけで、庵野秀明特撮博物館を、充分に堪能してきました。
今後も、同様の企画展は開催してほしいものです。




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イラスト面

今月(12月)19日発売のアスキームック 週刊アスキー特別編集
『パソコン自作の新常識2015』の特集記事イラストを、
こちらで担当させていただきました。
今回の特集記事は、2015年自作の定説大検証と銘打たれたもので、
その名の通り、PC自作において、定説となっている事柄を、
もう一度振り返り、検証するというものです。

本書の詳しい内容等については、こちらをご覧ください。

○ アスキームック 週刊アスキー特別編集『パソコン自作の新常識2015』

そのような記事ですので、今回は、編集部の方から、
ルーン文字が刻まれたモノリスが宇宙を漂っていて、
それを調査しているビジュアルで、というアイデアをいただきました。
このように、イラスト制作にさいしては、
いつも、具体的で優れたアイデアをご提示いただいており、
こちらとしては、たいへん助かっています。

誌面

また、今回は、ビジュアル的に「2001年宇宙の旅」のイメージを踏襲しつつも、
遺跡発掘的な意味も込めつつのイラスト、ということになりました。
同時に、宇宙に浮かぶモノリスは、単なる黒い立方体ではなく、
グラフィックボードを模すということにもなりました。

今回もモデリングはShade3Dで行いました。
ここのところ、Shadeのポリゴン機能を試すことが多いのですが、
今回は、手っ取り早く、すべて自由曲面で作ることにしました。

とはいえ、直線的な物体を作るには好都合な自由曲面ですが、どうしても、
作りにくい形状もでてきます。
今回は、グラフィックボードの取り付け金具(?)の部分がそれで、
自由曲面できれいに作るには、ちょっと面倒なこととなりました。

そんな時に役立つのがポリゴンモデリング機能です。
もっとも、Shadeのポリゴンモデリング機能は、
使い勝手のよいものではないといいますが、それでも、
自由曲面でのモデリングに行き詰まった時には、このポリゴン機能が
ひとつの突破口になるかと思います。

金具

この形状は、自由曲面でも作れると思いますが、
疑似ブーリアン演算を使うなどしなければならないと思います。
ポリゴンを使ったほうが、余計な手間も少なく、
エッジもきれいだと、私は思います。
(私の自由曲面の操作技術が未熟なのだと思いますが)

スーツ1

また、モノリスを調査する宇宙飛行士は、かねてから制作していた、
パワードスーツ的装甲宇宙服を使うことにしました。
といっても、頭部だけは、今回、新規に起こしてみました。
また、そのほかにも、細部の作り込みなども行ってみました。

スーツ2

こちらは、装甲宇宙服のアップです。
こうして、誌面では小さくなってしまった部分も、アップで紹介できるのが、
ブログのよいところかもしれませんね。

この装甲宇宙服の色について、
当初は白にしようと思っていたのですが、画面が地味になること、
また、2001年宇宙の旅でも、ボウマン船長やプール副船長の宇宙服の色は、
赤やオレンジと派手だったことから、今回は、黄色にしてみました。

背景の宇宙は完全に真っ黒にし、黒いモノリスの明度を少し上げ、
それぞれが際立つようにしています。

表紙

今回も、編集部のみなさまには、たいへんお世話になりました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。




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フューリーリーフレット

当ブログでははじめてかもしれませんが、
今回は映画のレビューを少し書きたいと思います。
取り上げる映画は、ブラッド・ピット主演の『フューリー』です。

この映画は、
フューリー (激しい怒りという意味だそうです) と名付けられた戦車に乗る、
5人の搭乗員たちの戦いぶりを描いたものです。

物語は、霧のなかに微かに見える、破壊し尽くされた戦車の群れ、
といったシーンから始まります。
まるで戦車の墓場のようなこの場所に、フューリー号はじっと息を潜めています。
というのも、搭乗員のひとりである副操縦手が、激しい戦闘のために戦死し、
車体にもなんらかのダメージがあったのか、エンジンがかからないのです。
残された搭乗員たちは、悪態をつきながらも、懸命に修理を試みます。

フューリー号の車長はブラッド・ピット演じるドン・コリアー軍曹。
砲手はバイブル、装填手はクーンアス、操縦手はゴルド。
生き残った彼ら4人の搭乗員は、みな歴戦の古参戦車兵です。

なんとかフューリー号を修理し、前線基地に戻ったコリアーらは、
失った副操縦士のかわりとなる、新たな人員の補充を受けるのですが、
着任したのは、戦車への搭乗経験などまったくない、
タイピスト志望のノーマンという若い兵士でした。

仲間から手荒い歓迎を受けたノーマンは、
その後すぐに、フューリー号とともに出撃となるのですが、
行軍中にヒトラーユーゲントの少年兵を発見しつつも、機銃での射撃をためらい、
それがために、自軍に大きな損害を発生させてしまいます。
このノーマンの失態に激怒したコリアーは、
非情な手段を持って、ノーマンに戦場の厳しさを教えるのですが…。

リーフレット裏面

この映画の主役、フューリー号は、
第二次大戦当時、米軍の主力戦車となったM4シャーマンという戦車です。
そのなかでも、76ミリ砲搭載、水平渦巻きスプリングサスペンションを持つ、
M4A3E8というモデルで、数多くのバリエーションを持つシャーマン戦車としては、
後期の生産型に分類されるものです。

ただ、撮影においては、M4A3E8シャーマンの調達はできなかったようで、
エンジンが違うM4A2E8シャーマンを使ったといいます。
物語の舞台設定から考えれば、M4A2E8シャーマンでの撮影は、
厳密な意味でいえば、考証的に正しくはないはずですが、
双方のシャーマンには外観上の違いはほとんどなく、なんの違和感も感じません。

ボービントンのティーガー

また、この映画には、敵側のドイツ戦車として、
ティーガーI型戦車が登場するのですが、
こちらにいたっては、イギリスのボービントン戦車博物館に展示されている、
世界で唯一無二の、稼働する実車車輛が使われています。

私のような戦車マニアには、この事実はまさに超チョー感涙モノで、
まさに、この「動くティーガー」を見るために、
フューリーを見に行ったといっても、過言でありません。

ボービントンのティーガーは、1943年にチュニジアで捕獲されたもので、
ティーガーの現存個体としてはコンディションもよく、
とても貴重で、かつ有名なものです。
このティーガーは長い時間をかけてレストアされ、
2006年には稼働状態にまで漕ぎ着け、
その走行シーンなどは、Youtubuなどでも公開されています。

○ 走行するボービントンのティーガーI型戦車

走行シーンだけでも感涙モノなのに、今回、映画に登場するということで、
おそらく、私のような戦車マニアは、狂喜乱舞だったと思います。

もっとも、いままでにも、ティーガーが登場する映画はたくさんありました。
旧ソ連のプロパガンダ映画『ヨーロッパの解放』や、
クリント・イーストウッドの『戦略大作戦』、そして『ネレトバの戦い』、
近作では『プライベート・ライアン』にも登場していました。

ですが、上記の映画に出てくるティーガーはすべてレプリカ。
しかも、改造のベースとなっているのは旧ソ連のT34という戦車が多く、
どんなに作り込んでも、ティーガーの無骨で迫力あるフォルムとは
似ても似つかぬものになっていました。

が、今回のフューリーにはホンモノが出るということで、
その一点だけでも、この映画は、戦争映画の歴史に残る作品になると思います。

フューリーパンフレット

さて、戦車の話はこのくらいにして、映画としての評価はどうだったのか、
それを述べていきたいと思いますが、ここから先は、
少しネタバレも含みますので、これからフューリーを見に行こうとお考えの方は
読み飛ばしていただければと思います。

かつての戦争映画は、ナチスは悪であり、それらと対峙する米軍は正義であり、
ヤンキーたちはあくまでも陽気で明るく、市民にも開放者として愛される、
といったイメージで描かれることが多かったと思います。
ですが、最近の戦争映画では、こうした、善と悪とを単純に区分するような傾向は、
いささか薄くなってきたように思います。
バンド・オブ・ブラザーズのような作品では、
ドイツ兵を「残虐な憎まれ役」という視点で描くことはなく、
兵士という存在は、どちらの側に与していようと、
ただ命を賭してひたすらに任務を遂行する者として捉えています。
そこには、たとえ敵味方に別れて銃火を交えていたとしても、
兵士同士の不思議な連帯感のようなものが存在するかのように、
描かれていたように思います。

が、このフューリーではさらに踏み込んで、米軍兵士であっても、
戦場では無慈悲で残虐だということをあからさまに描いています。
ノーマンの教育のために、コリアー軍曹は、
家族の写真を出して命乞いをする丸腰のドイツ兵捕虜を、
ノーマンの腕をつかんで無理矢理射殺させます。
周囲の米兵たちは、冷笑を浮かべるだけで、だれもコリアーを止めません。
また、ナチス親衛隊だという理由で、
降伏後のドイツ将校を、いとも簡単に射殺してしまいます。

もちろんその一方で、戦闘に消極的だという理由で、
同胞を縛り首にするナチスの蛮行も描かれています。

とどのつまり、戦争というものは、
いざはじめてしまえば、大義も正当性もないまったくの狂気で、
良き軍隊、悪しき軍隊、といった区別は、どこにもない、ということなのでしょう。
戦場では、人が本来持つモラル感や良識など、
チリのように吹き飛ばされてしまうのかもしれません。

物語の途中、コリアー軍曹ら率いる戦車部隊は、ドイツのとある村を占領、
解放するのですが、この場面でも、コリアーらは解放者としては描かれていません。

この街で、コリアーらは、ドイツ人女性たちと食事をするシーンがあるのですが、
このシーンは意味深く、秀逸です。
街に居座り住民を恐怖で支配したナチス親衛隊は駆逐されても、
新たにやってきた米軍もまた、住民にはさらなる恐怖でしかなく、
女性たちは、荒々しいヤンキーたちに乱暴されるのではと怯えます。

この食事のシーンでは、
戦場と日常、狂気と平常、緊張と安堵、とが交錯しています。
途中、ゴルドが語る戦場での場面も、このシーンだからこそ生々しく響き、
また、ノーマンとドイツ人女性とのあいだに芽生えたほのかな恋愛感情も、
人間らしさの片鱗として際立って見えました。
監督も、このシーンを重要な場面と考えたのか、時間的にも、
かなり長いものとなっています。

その後、コリアーたちはドイツ軍部隊を足止めすべく、
防衛上の拠点とすべき村の十字路を目指して進撃しますが、
道の途中で、ティーガーの待ち伏せにあってしまいます。
コリアーら米軍戦車部隊は、1輛のティーガーのために、
4輛のシャーマンのうち3輛を失い、
残ったのはコリアーのフューリー号だけになってしまいます。
激闘の末になんとかティーガーを仕留めますが、
十字路に辿り着いたところで地雷を踏んでしまい、フューリーは行動不能に。
そこにドイツ軍部隊300人が進撃してくるのですが、
コリアーは、フューリー号を縦に、
たった5人でドイツ軍部隊を押しとどめようとします。

ただ、この展開は、ちょっと腑に落ちません。
コリアーは仲間の命を守る、といっていたはずで、
また、それゆえに、仲間からの信望も厚かったのに、
ここにきて、なぜ、みなを巻き添えにして、無謀なことをするのか。
多くの激戦をくぐり抜けてきたのに、なぜこの場で、そこまでして死に急ぐのか。
コリアーの人間性の破綻みたいなものを感じてしまいました。

しかも、フューリーは動くことができず、友軍歩兵の随伴もまったくありません。
そんなところにドイツ軍部隊300人が襲いかかったら、ひとたまりもないはずです。
しかもドイツ軍は、携行対戦車火器であるパンツァーファーストを所持しています。
動けない戦車など、格好の的のはずです。

しかも、その十字路が、そこまで重要な拠点なのかも、いまひとつ、
画面からは伝わってきませんでした。

映画なので、演出や作為性は必要だと思うのですが、
この部分は、コリアーの人格設定にも関わる部分なので、もう少し、
説得性を持たせてほしかったです。

キャスト

私がいままで見たなかで、高評価をしている戦争映画は、
プラトーン、Uボート、スターリングラードなどですが、
今回のフューリーは、
戦車メインの映画ということで、個人的には押したいところですが、
これらの名作の領域にまでは、残念ながら届かなかったかな、というのが、
私の率直な感想です。

また、映画の評価とは関係のない戦車マニアとしての意見ですが、
ティーガーとの戦車戦の場面も、もっとあってよかったと思っています。
(思いのほか、ティーガーのシーンは短かったです)
ただ、稼働する実車のティーガーは貴重で、しかもその扱いも
慎重にしなければならなかったでしょうし、
ハードな撮影はできなかったのかもしれませんが、カメラングルなど、
もう少し、工夫できなかったのかな、などと思ってしまいました。

というわけで、辛口なこともいろいろと書きましたが、
劇場まで足を運んでも、損をしない映画だと思います。
興味がおありの方は、ぜひ、大スクリーンで見ていただきたいと思います。

余談ですが、私が住む飛騨高山では映画館がなくなってしまい、
所用で岐阜にいったさいに、時間を作って、シネコンで見てきました。



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越前大仏/大仏殿

いよいよ12月に入ってしまいました。
これから長い長い雪の季節に入っていくのかと思うと、
気が重くなる思いです。
毎年のことですが、この時期になると、今後降り積もるであろう雪が、
できるだけ少ないことを、祈るばかりです。

などといった前置きはこれくらいにして、本題に入りたいと思います。
(ここ最近、前置きがちょっと長いですネ)
本格的に雪が降り出してしまう前に、かねてから興味津々だった、
福井県勝山市の「越前大仏」を見学に行ってきました。
この大仏を収めた巨大な建物は、
勝山市の東を南北に伸びる国道157号線から臨むことができ、
ずっと前から、この内部がどうなっているのか、気になってました。
また、テレビ朝日の朝の情報番組で、この施設の一部が、
売りに出されている、といったようなことも、
記憶は定かではないのですが、報道されていたように思います。

そうであるならば、越前大仏を含む諸施設は、
今後、閉鎖の憂き目にあうことも、ないとはいえないわけで、
いまのうちに見学しておきたいという思いが、より強くなっていました。

予報では雨だったものの、比較的好天に恵まれた先週の日曜、
ヨメさんのプジョーで、一路、福井県へと向かってみることにしました。
いつものように、下道ばかりを通ってのドライブとなりましたが、
目的地までそれほど遠くは感じませんでした。

広い駐車場

こちらが、越前大仏の駐車場です。
かなり広大な駐車場ですが、止められたクルマの数はさほど多くなく、
駐車は楽々とできました。
車外に出てあたりを見渡すと、さらに奥にも広々とした駐車場があり、
かなりの入場客を見込んだ、大掛かりな施設なのだということが推察できました。

越前大仏は正式名称を「大師山清大寺」というそうで、
なんでも、地元出身の資産家の方が個人で建てたもののようです。
ですので、由緒や歴史のある古刹の類いではなく、どちらかというと、
テーマパークのようなテイストを感じます。

人気のない門前町

というわけで、さっそく、越前大仏を見学にいってみます。
まず足を踏み入れるのは、大仏前の門前町ともいうべき商店街なのですが、
まったく人気がなく、まるで廃墟のような雰囲気です。
(といっても、廃墟のように荒れているわけではないのですが…)

そのまま先に進むと、チケット売り場に行き当りました。
ちゃんと営業しているんだと思い、ちょっとホッとしました。
拝観料はひとり500円ということで、
まあ、妥当な値段というところでしょうか…。

そしていよいよ、大師山清大寺へと足を踏み入れるわけですが、
最初の門からして、もう、とにかく巨大です。

ここ清大寺の近傍には、
曹洞宗の総本山で、道元禅師が開いたとされる「永平寺」があるのですが、
永平寺のような趣も、賑わいも、残念ながらこの施設にはなく、
ただ、鉄筋コンクリートの無機質な物体が、我が物顔であたりを睥睨している、
という感があるだけです。

すぐ近くの石塔には、この施設が昭和62年に建造されたと記されており、
その年代からも、ここには『歴史』と呼べるようなものは、
なにもないのだと、あらためて思い知らされました。

昭和62年頃といえば、円高不況と呼ばれた時代を脱し、
いよいよバブルに入る時代ではないかと思います。
そんな時代の名残を感じさせるこの門は、
栄華の時代の遺物ともいえるのかもしれません。

巨大な門

最初の門を抜けると、すぐにまた、もうひとつの門が現れますが、
こちらもとにかく巨大で、周囲の自然に馴染まない、特異な存在感を
醸し出しています。

その奥にはさらに巨大な大仏殿

そしてこちらが大仏を収めた大仏殿なのですが、
こちらも、くどいようですが、とにかく巨大。しかも独特の雰囲気。
日本の寺社というより、どことなく中国的で、
それでいて、この無機質感と巨大感が、
スターリン時代の建築物を思わせる気がします。
(これが山の斜面にあったならば、ポタラ宮のように見えるかもしれません)

大仏殿の前で

といっても、写真では巨大感が伝わりづらいと思いますので、
私もいっしょに、フレームの中に収まってみましたが、
それでも、この建物の大きさは、ちょっとわかりづらいと思います。

そして、建物の入口に近づいてみたのですが、そこから、
大仏のお顔が垣間見えて、またしてもその非常識な巨大さに、
驚愕してしまいました。

あまりの巨大さにびっくり

こちらがその大仏なのですが、ほんとうに、息を呑む巨大さです。
ものすごい迫力なのですが、写真ではその実感が伝わらないのがくやしいです。
しかも、大仏の左右にも、それぞれ二体ずつ、直立する巨大な仏像があり、
ただただ圧倒されるばかりでした。

壁面を埋める仏像

そのうえ、大仏殿の壁面は、まるでビルの窓のように、
小部屋状の空間に仕切られていて、
そのすべてに、仏像がびっしりと収められていました。
このただならぬ景観には、ただただ眼を見張るばかりです。

広い室内には読経のテープが流され、
それが室内にこだまし、荘厳な雰囲気を醸し出していました。
朗々とした読経の響きは、歴史の浅いテーマパーク的建物にも、
宗教施設らしい印象と質感を与えているようでした。

五十塔

次に行ってみたのは、同じ敷地内にある五重塔です。
こちらも巨大さでは大仏にひけをとりません。
この施設では、とにかく大きく作る、ということが、
共通の目的になっているかのようです。

もっとも建物は鉄筋コンクリート製なので、安直な印象は否めません。
しかも、屋根のしたの垂木にあたる部分は、
茶色にこそ塗装されているものの、鉄骨そのもので、
風情などはほとんど感じられないものとなっています。

内部は螺旋階段状になっていて、各階に仏像が祀ってありましたが、
それ以外には、とりたてて展示物などはありませんでした。

五十塔から大仏殿を臨む

ただ、さすがに巨大な建築物ですので、最上階からの眺めは、
かなり壮観です。
ここからは、施設内の各建物とともに、勝山の街が一望できました。
さらに眼をこらすと、勝山城の姿も垣間見えます。

あとで知ったことなのですが、この勝山城も、
同じ資産家の方が建造したとのことで、たいへん驚きました。
大規模で壮麗なお城ですが、かつての城の姿を復元、踏襲したものではなく、
まったくの創作らしいです。
しかも、城の位置も本来のものとは違っているとのことです。
もし、そうであるならば、なんだか、この清大寺と、
コンセプト的に、どこか相通じるものを感じてしまいます。

廃墟のような門前町

その後は、日本庭園などを見つつ、各所を回ってみました。
帰り際、ふたたび門前町を通ったのですが、あいかわらず人気はなく、
大げさな言い方をすれば、人類絶滅後の街に迷い込んだ感じです。

…と、いろいろ書いてきましたが、私たちにとっては、充分楽しめるスポットでしたし、
500円の拝観料はまったく惜しくありませんでした。
歴史や風情はなくとも「単に巨大」というそれ一点だけで、見応えはあるものです。
ほとんど人気のないところも、見方を変えれば、不思議な魅力のようにも感じられます。

すべての遺跡は、繁栄を極めた時代の遺物であるわけですが、
その意味では、この施設も、遺跡の雰囲気を帯びているように思います。

興味がおありの方は、ぜひ、一度、足を運んでみてください。



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