田原市博物館

先日のBS-NHKの歴史番組『英雄たちの選択』で、
蛮社の獄と、渡辺華山、高野長英についての、詳しい紹介がありました。
不勉強な私は、これらの人たちについても、
また、蛮社の獄という事件についても、ほとんど、何も知りませんでしたが、
番組の内容については、極めて興味深く拝見しました。

蛮社の獄とは、幕政への批判を弾圧する事件で、
幕府に対する不敬の輩として、捕らえられ罰せられた代表的な人物が、
渡辺華山と、高野長英だったといいます。

事件が起こったのは、天保十年 (1839年) で、
幕末と呼ばれる時代には、まだ至っていませんが、
アヘン戦争の一年前にあたり、いわゆる欧米列強の力が、
いよいよアジアへと広がり始めた時期でもあります。

当時、三河国田原藩の藩士であった渡辺華山は、
幕府が行なう異国船への排除行為に、危機感を抱いていました。
すでに家老として藩政を預かり、天保の飢饉を乗り越えるなど、
困難な問題解決に功績を残していた華山は、田原藩の海防を研究するため、
蘭学にも精通しており、当時の日本人にしては珍しく、
世界情勢にも豊富な知識を持っていました。

おりしもこのとき、
日本人漂流民を日本へと送り届けてくれた英国船モリソン号に対し、
幕府が砲撃を加えるなどの行為を行なった、いわゆる『モリソン号事件』があり、
華山の危機感は、頂点に達していました。

こんなことをしていれば、世界の国々は、
日本を野蛮で暴力的な国であると判断するであろうし、
ひいては、日本に戦を仕掛ける口実を与えてしまうかもしれない。
華山はそう考えたのです。

博物館パンフレットから

華山と同じ危機感を持った人物のひとりが、蘭学者である高野長英です。
長英は、フィクションに名を借りた幕府批判書『戊戌夢物語』という書物を、
自らの名を伏せて世に出し、幕府批判の声を表沙汰にします。
戊戌夢物語は、さまざまな人の手によって密かに書き写され、
しだいに世に広まっていったといいます。

華山自身は、戊戌夢物語のような書物を出すことはなかったのですが、
慎機論 (しんきろん) という、幕府への意見書のような書物を著します。
ですが、家老という立場にある華山は、
藩にも主君にも迷惑をかけることはできないということで、
結局、慎機論を世に出すことはなかったといいます。

ところが幕府は、戊戌夢物語の著者を、華山ではないかと疑い、
華山を捕縛してまいます。
この疑いはまったくの無実でしたが、華山の自宅が捜索されたさい、
仕舞い込んでいた慎機論が発見され、華山は、幕府を愚弄する重罪人となり、
蟄居謹慎となってしまいます。

その後、もともと優れた画家であった華山は、
自らの絵を売るなどして細々と生計をたてますが、
これが、蟄居謹慎の身にふさわしくないということで、
ふたたび、幕府側の批判を浴びることとなってしまいます。

華山は、これ以上、藩に迷惑はかけられないと、自刃したそうです。
時代の先を見据えることができた希有な蘭学者は、
あまりにも悲惨な最期を迎えたのです。

この、渡辺華山についての詳しい展示が、
愛知県田原市の田原市博物館でなされているとのことで、
今日 (1月31日/日曜)、見に行ってみることにしました。

今回の出動車はヨメのプジョー。
私のMINIは事情があって、今回はお留守番です。
(その事情については、また次回以降に書いてみたいと思います)

博物館正門

こちらがその田原市博物館です。
田原城跡に建てられており、その重厚なたたずまいは、
かつての城の栄華を偲ばせます。

復元された二の丸櫓

また、二の丸櫓や門(桜門)などといった施設も、
復元されています。

博物館の展示は、ほぼ、渡辺華山一色といった状態になっていますが、
その内容は、どちらかといえば、画家『渡辺華山』の足跡を追う、
ということが主眼になっているようで、
華山の作品や、同時期の他の作家の作品などが、数多く展示されていました。
ですが、政治家としての渡辺華山や、蛮社の獄についての展示には、
それほど重きを置いていないようにも感じられました。
(館内は撮影禁止のため、写真はありません。すみません)

館内のプリントから

とはいえ、華山の生い立ちや、飢饉へのすぐれた対応、
また、俳諧などにも精通するなど、
文化人であった華山の側面に触れることができました。

同時に、蛮社の獄に至るきっかけのひとつとして、
測量といった分野で、蘭学者に敗北を喫した儒学者が、
蘭学に対して、強い恨みの念を抱く、ということもあったようです。

当時、幕府内で一定の地位と影響力を持っていた儒学者たちは、
蘭学が儒学よりも重宝されるようになれば、自らの地位が脅かされるとして、
蘭学を敵視、警戒するようになったといいます。
こうして、儒学者は、蘭学者排斥の機会をうかがうようになり、
華山らの動静に着目していたようです。

ということは、蛮社の獄とは、既得権益を持った旧勢力が、
新興勢力を攻撃、排除した政変、という見方もできるのではないかと思います。

これらの事実は、NHKの番組では紹介されておらず、
はからずも、この時代の政治の内幕を垣間見ることができました。

いずれにしても、幕府は、世界情勢を鑑みた優れた意見に耳を傾けず、
偏狭で硬直的な対外政策しかとらなくなります。

NHKの番組でもいわれていましたが、ゆえに、
蘭学者は外様の元に庇護を求め、優秀な人材は幕府から離れます。
この人材流出が、結局、後に幕府が薩長連合に敗北してしまう遠因となるのです。
蛮社の獄がなければ、幕府衰亡はなかったのかもしれません。

ただ、半藤一利の幕末史にもあるように、
幕府は、異国船打ち払い令を発布していたものの、ペリー来航の数年前には、
この方針を転換し、異国船とのあいだには、
静謐を保つようになっていたと思います。
もしかすると、こうした方針の転換の原因のひとつに、
亡き華山らの言葉に耳を傾けた、
ということも、少しはあったのではないか…、とも思います。

いずれにしても、時代の先を見通した考えや、
卓越した人材が、そのときどきの為政者や、政治力学のなかで、
闇に葬り去られてしまうというのは、現在の世においても、
あるのかもしれません。

桜門

華山が、この21世紀の日本を見たら、何を思うのか、
そんなことを、ふと想像してしまいました。

民族資料館

ちなみに、田原市博物館のそばには、田原市民族資料館があります。
こちらは入場無料で、気軽に見学できます。

展示物は、明治から大正、昭和にかけての民具や生活用品、農機具などで、
かなりところせましと展示してあります。

骨董品的なものも多数ありますので、もし、
田原市博物館を見学される機会がありましたら、
こちらも、ぜひ覗いてみてください。




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掲載ページ

年が明けてから、ちょっとバタバタしていて、
ブログへの記事アップもままならないまま、
気がつけば、早いもので1月も半分以上が過ぎ去ってしまいました。
そんなわけで、なにをいまさら、という感じですが、
本年も、当ブログ『K's BAR』をどうぞよろしくお願いいたします。

いつもなら、新年の最初の話題は、
初詣の様子などを書いていたかと思いますが、
もはやすでにそんな時期でもありませんし、そもそも今年の年末年始は、
例年にない暖かい日が続き、お正月の気分にさえもなれませんでした。
大晦日の日には高山に帰りましたが、道中、どこにも雪の姿はなく、
今年は、ちょっと異常といえるほどの暖冬のようです。
そんな状態のうえに、昨年夏より、
南の岐阜市に仕事と生活の拠点を移しているので、
これまで感じていた冬の厳しさなどまったくなく、
なんとも調子が狂う、といった感じです。

いずれにしろ、雪国にいた私にとって、雪がない、というのは、
なによりありがたいことですが、やはり、季節感が感じられないのは、
少しさみしいのかもしれません。

などと思っていたら、いきなり、それまでの暖冬がウソのように、
冬らしい寒い日が続くようになり、ここ岐阜でも、
つい先日は、まとまった積雪を見ることになりました。
とはいっても、冬の厳しさは、ここ岐阜では、やはりさほどではなく、
積もった雪も、そのほとんどが一日のうちに溶けてしまいました。

トップページ

…と、前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、
今回は、名古屋のデザイン事務所『オフサイド』さんのサイトが、
今年の1月1日にリニューアルされ、それにともない、
私に関する記事を、連載で掲載していただくこととなりましたので、
今回は、そのご紹介を、こちらで、少しさせていただきたいと思います。

○ オフサイドさんのサイトはコチラへ

かつて、このオフサイドさんには、
イマージュさんという、レンタルストックフォト部門があり、
そこでは、D-GALLERY (ディー ギャラリー) という、
デジタルイラストに特化したカタログ本を、シリーズ化して発刊していました。

レンタルストックフォトというと、一般の方には、
まったく馴染みがないと思いますが、簡単にいうと、
写真やイラストの『使用権』を販売するというビジネスです。

広告には、かならずといっていいほど、
写真やイラストといった、ビジュアル要素が使われますが、
これら写真やイラストを、新規に、カメラマンやイラストレーターにお願いすると、
どうしても、撮影料や制作料が高くなってしいまいます。
ですが、すでにある既存の写真やイラストを使うことができれば、
コストを低くしたまま、広告を制作することができるわけです。

たとえば、家族のイメージ写真がほしいとき、
モデルを複数雇い、さらにカメラマンに撮影をお願いしていたら、
とても高いコストとなってしまいます。
ですが、既存の家族写真を、その使用権利料だけを支払って、
広告に使うとすれば、グッと制作コストを下げられます。

そのため、ストックフォトを扱う会社は、自社の扱っている写真やイラストを、
カタログとして製本し、各地の広告代理店、デザイン事務所、
印刷会社に配布していました。
そのカタログを見たデザイナーが、
掲載の写真やイラストを広告に使用したいとなったときは、
まずストックフォト会社に連絡を取り、規定の使用料を支払って、
写真やイラストのポジフィルムを借りる、というかたちになっていました。

ですので、このビジネス自体を『レンタルポジ』あるいは『レンポジ』などと、
呼ぶことも多かったと思います。

D-ギャラリー全册

イマージュさんのD-GALLERYというカタログは、
1997年ころより出されたものですが、発刊にあたっては、
作品の募集があり、私もそれに応じるかたちで、
ある程度まとまった数の作品を、納めさせていただくこととなりました。

こうして、さまざまな作家さんの作品が、イマージュさんに寄せられ、
イマージュさんは、それら作品をひとつにまとめてカタログ化し、
それを、各地の広告代理店、デザイン事務所、印刷会社などに配布しました。

Dギャラリー作品3

作品を納めた当初は、どれほどレンタルされるのかは未知数で、
それほど大きな期待はしていなかったのですが、実際には、
たいへんよく売れ、私としても、
それまで趣味的な要素のほうが強かった3DCGで、
はじめてまとまった金額の報酬をいただくこととなりました。

Dギャラリー作品01

とくにこの飛行船の作品は最大のヒットで、
極めて長い期間に渡って、かなりの貸し出し数となりました。

Dギャラリー作品2

このD-GALLERYの成功がなかったら、
私は、3Dをここまでやってこられなかったと思います。

歳時記-ギャラリー全册

その後、D-GALLERYは一年に一回発行されるようになり、
また、それと平行して、歳時記シリーズや、
人物(ヒトモノ)シリーズなども発行され、それぞれに、
作品を納めさせていただきました。

これらの詳しい経緯については、オフサイドさんのサイトの、
『実験室』というコーナーで、連載記事として、
私のインタビューとともに、詳しく取り上げられていますので、
もしよろしかったら、一度、目を通していただけると、うれしいです。

○ オフサイドさんの『実験室』トップページ

私のインタビュー記事は、Dギャラリ−アーカイブの01から04ですが、
記事自体は、00から始まっていますので、もしよろしければ、
この00からお読みいただいたほうが、
より、内容を詳しくおわかりいただけるかと思います。

インタビューを受けたのは、昨年の11月だったと思いますが、
このとき、私の頭はボサボサ状態で
(ボサボサがデフォルト状態になっていますが…)
もうちょっとなんとかしたほうがいいんじゃないかという状態だったんですが、
とても上手に、写真を撮っていただけて、ホッとしました。

当初、D-ギャラリーのイラストはポジフィルムで貸し出されていましたが、
その後、データでの貸し出しとなるなど、その形体を変えていきました。

そんな時代の変化の中で、ストックフォトはダウンロードへの時代へと移行し、
カタログを使ってのレンタル事業というのは、やがて下火となっていきました。
そしてやがては、Dギャラリーシリーズも含め、
オフサイドさんのレンタルストックフォト部門であったイマージュさんも、
また、多くのレンタルストックフォトエージェンシーも、
その役割を終えることとなりました。

いずれにしましても、今回、インタビュー記事を制作してくださった、
Mさま、写真を撮影してくださったMさま、
また、社長に就任したKクン(専門学校時代のクラスメートです)、
みなさまに、たいへんお世話になりました。

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。



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