模型の魅力展/看板

愛知県豊橋市の豊橋市美術博物館で開かれていた、
『模型の魅力展 -タミヤとファインモールド-』 を見学に行ってきました。
この企画展は、日本を代表する老舗模型メーカーである田宮模型と、
模型界の新興勢力であるファインモールドの、
創業時から今日までの軌跡を、製品やパネルなどの展示を行ないつつ、
紹介するというものです。

もともと模型ファンで、子供の頃からタミヤ製品に親しんできた私にとって、
この企画展は、ぜひとも見てみたいものでした。
しかも今回は、地元豊橋の模型メーカーであるファインモールドの製品も、
併せて展示されるということで、まさに一石二鳥とでもいうべき企画展です。
そんなわけで、先週末、ヨメの運転するプジョーで、
一路、豊橋市を目指しました。

ここ岐阜市から豊橋市へと向かうルートはいくつかあるのですが、
今回は、国道22号線に乗って名古屋市へと向かい、
市内を突っ切って国道23号線へと乗り変え、東に進む、
という方法をとってみました。
このルートは、距離的には近いのかもしれませんが、
名古屋市を越えることに時間を費やしてしまい、
あまりスムーズなものではありませんでした。

それでも、国道23号線に乗ってしまえば、
車線も多く、信号もなく、スムーズに走ることができました。
この日は天候にも恵まれ、気持ちよくドライブすることができました。

豊橋美術博物館

そんなわけで、午後二時過ぎ頃、豊橋市美術博物館に到着。
こちらにやってきたのは、二年ぶりくらいかもしれません。

ファットボーイ実車

入口に入ると、そこには、
ハーレーダビットソンの大型バイク『ファットボーイ』が展示されていました。
実車を見るのは初めてで、その巨体と、つや消し黒の塗装とが相まって、
かなりの迫力がありました。

ファットボーイ模型

その脇には、タミヤの1/6スケールのファットボーイが、
パーツとともに展示されていました。
このキットは、発売間もない新製品で、空冷エンジンの冷却フィンを、
板状パーツの積層によって表現するという、非常に凝った設計になっています。

タミヤは、1970年代から、当時発売されていたハーレーを、
1/6というビッグスケールで模型化しており、その圧倒的な存在感は、
まさにタミヤのフラッグシップ的なモデルとなっていました。
今回製品化されたファットボーイも、
その歴代の栄光を受け継ぐ、傑作モデルとなっています。

案内看板

こうして、ひとしきりハーレーを見たあとは、
チケットを買って会場内に入りました。
(以後は撮影が禁止となっており、残念ながら、展示室の写真はありません)
会場はいくつかの展示室に分散していますが、
まず、タミヤ模型の創業時の展示物からはじまります。

いまでこそプラスチックモデルのメーカーとして有名なタミヤですが、
当初は木製の模型を販売しいました。
(もともとタミヤは、製材業を営んでいたといいます)

これら木製のキットは、イラストを描いた紙箱に入っているという点では、
昨今のプラモデルにも相通じるものがありますが、
その中身は、現在の水準から見れば、とてもおおざっぱなもので、
単に木片を入れただけのもの、とも見えます。

ただ、製品化されたものは、車、艦船、戦車などで、
アイテムの選択については、いまとほとんど変わっていないと思います。

それにしても、木製模型は、独特の味があって、ある意味、新鮮です。
クルマの木製模型などは、部屋のインテリアにもなりそうです。
ちなみに、このとき、ふと思い出したのですが、
私が幼い頃、親戚の家に遊びに行ったさいに、
木製の艦船が飾ってありました。
あの艦船は、もしかすると、タミヤ製だったのかもしれません。

その後、海外から、プラスチックモデルが輸入され、
タミヤも、この製品の開発と販売に乗り出します。
そして、1/35スケールによる戦車や兵士のシリーズである、
ミリタリーミニチュアを誕生させ、
以後、ラジコン模型への挑戦、ミニ四駆の大ヒットなどがあり、
今日に至っています。

次いで、ファインモールドの展示室では、
旧日本軍関係のキットや、スターウォーズ、
鳥山明氏デザインのフィギュアシリーズなどの、歴代製品の展示のほか、
特攻兵機であった桜花の図面や、帝国陸軍の超重戦車オイの図面など、
貴重な資料が展示されていました。

この日は、日曜ということもあり、会場内は家族連れなどで賑わっており、
我が子に熱心に模型の解説を行なうお父さんを、そこかしこで見かけました。
ここ最近は、プラモデルは子供の玩具ではなく、
父親世代の趣味となっているようです。

チラシ

こうして『模型の魅力展』を、
模型ファンとして、充分に満喫してきました。
ただ、タミヤの展示室においては、
製品の展示に重点が置かれているといった状態で、
ともすれば、一企業の商品紹介に終始している感が否めないようにも、
私の個人的な考えですが、思いました。

歴代の商品を眺めるのはノスタルジーに浸れてとても楽しいのですが、
美術館 (博物館) というスペースを使う展示であるならば、
もう少し、工夫が欲しいという気持ちも、正直、抱きました。

今回の展示と同様に、企業と製品を紹介する企画展として、
本田宗一郎と井深大展がありましたが、
こちらのほうが、はるかに見応えがありました。
(もっとも、入場料も少し高かったですが)

今回の展示を、本田宗一郎と井深大展と比較するのは、
趣旨も異なりますし、少々酷なのかもしれませんが、
できれば、タミヤの、模型に対する哲学や気概みたいなものが、
もっと感じられたら、より充実した展示になったのではないかと思います。
タミヤにも、ホンダやソニーに負けない、モノ作りへのこだわりや、
作品 (商品) を生み出すにあたっての、深いストーリーがあったと思います。
(模型を作るにあたっての、取材の様子を示すパネル展示や、
 箱絵の原画の展示もあったのですが、サブ的な展示という感が否めませんでした)

一方のファインモールドの展示室は、小気味よくまとまっていて、
見応えもあったのですが、貴重な旧軍資料については、もっと、
詳しく見たかったです。

○ 豊橋市美術博物館のサイトはコチラ

というわけで、豊橋での一日を過ごしてきました。
今後も、興味深い企画展などには、後学の意味も含め、
どんどん出掛けていきたいと思っています。




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鉄筋模型

名古屋市のトヨタ産業技術記念館で行なわれている、
『近代建築 ものづくりの挑戦』という企画展に行ってきました。
この企画展は、神戸にある竹中大工道具館で行なわれていた展示の、
巡回展にあたるものだそうで、今年の4月3日まで開かれています。
(竹中大工道具館というのは、竹中工務店が運営する、
 大工道具を展示する博物館だそうです)
 
昨年の末、この催しを見学しようと、
トヨタ産業技術記念館まで行ったのですが、
常設の展示物を見るだけで、ほぼ終日かかってしまい、
肝心の企画展を見ることができず、結局、この3月になって、
ようやく、念願を果たしたという次第です。

トヨタ産業技術記念館は、常設展スペースへの入場には料金がかかりますが、
企画展が行なわれている特別展示室は無料で入れます。

この日は日曜だったためか、広い駐車場は満杯に近く、
館内には多くの家族連れで賑わっていました。
土日には、子供を対象にしたイベントなどもあるようなので、
こうして、たくさんの見学客がくるのかもしれません。

近代建築 ものづくりの挑戦会場

とはいえ、企画展の展示会場は静かなもので、
じっくりと見学することができました。

展示室内は、一部の展示物のみ撮影禁止となっていますが、
そのほかは自由に撮影ができ、写真を多数撮ってくることができました。

会場内部

海外からの建築技術や情報が大量に流れ込んでくるようになった明治時代から、
日本の建築は劇的に変わりました。
また、日本人が独自に、海外の建物物の外観を模倣したり、
和洋折衷にしたりと、さまざまな試行錯誤も行なわれるようになりました。

煉瓦の積み方

煉瓦も、明治期に日本に流入した、代表的な技術、資材で、
以後、さまざまな建築の場面で多用されていきました。
その組み方には、イギリス式、フランス式、という二種類があるとのことで、
組み方の図解がとても興味深いものでした。
(煉瓦の組み方に違いがあるなど、ふだんは考えたこともありませんでした)

明治維新の前までは、日本には建築家という職業はなかったそうですが、
西洋建築が広まるにつれ、建築家という職業が確立していったそうです。

着色図面

こちらは、建築デザインの図面ですが、詳細に着色されています。
影もきちんと描き込まれ、実際に建物が建った状態を、
イメージできるものとなっています。
現在でいうところの建築パース的な意味合いもあったのかもしれません。
いずれにしても、貴重な資料だお思います。

鉄による補強機具

煉瓦とともに、コンクリート、鉄、といった建築素材も、
日本に入ってきました。
これらの素材と工法によって、日本の建築技術は長足の進歩を遂げますが、
日本は地震大国であり、海外ではさほど気に留められなかった、
耐震性という問題が、やがて、大いに注目されるようになっていきます。

その契機となったのは、関東大震災です。
未曾有の大地震は、日本の建築において、計り知れない試練となりましたが、
海外の技術を模倣するだけでなく、独自の技術を生み出す、
ひとつのチャンスにもなったといえるかもしれません。

デザインにおいても、アールデコ系のデザインが登場したり、
また、テラコッタといった装飾が登場したり、
様式美の追求も行なわれていきました。

鉄筋の構造を模型で解説

詳細な鉄筋模型もありました。
建築前の状態なのですが、この状態でも、オブジェのような、
美しさがあるように思います。

そんなわけで、企画展を充分満喫してきました。
その後は、産業記念館館内で食事。
カレーを食べてきました。

中庭

こちらは、その飲食スペースから見ることができる、
産業技術記念館の中庭です。
古びた煉瓦が美しいです。

その後は、ヨメのクルマで名古屋の市内や周辺を少しウロウロ。
建築が成ったばかりの『大名古屋ビルヂング』の脇も、
ちょっと掠めて通ってきました。

大名古屋ビルヂング

もっとも、クルマで通っただけで、内部はまったく見ていないので、
また、機会を見つけて名古屋に行き、見学したいと思っています。

それにしても、この新大名古屋ビルジング、思いのほか早く完成したように思います。
ちょっと驚いてしまいました。

それにしても、このビルなど、まさに、近代建築の最先端ですね。
『近代建築 ものづくりの挑戦』を見学したあとだったので、
より感慨深く、名古屋の高層ビル群を眺めることとなりました。




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文芸祭表彰式の模様

私の住む岐阜県には、小説、随筆、詞、短歌、狂俳、俳句、川柳など、
文芸作品を県の内外から広く募集する『岐阜県文芸祭』という公募があります。
すでに24回を数えるというこの公募は、
北海道や大分といった遠方からも作品が寄せられているそうで
また、応募者の年代も、小学生から九十を過ぎたご高齢の方まで、
幅広くいらっしゃるといいます。

今回、私も、この岐阜県文芸祭の小説部門に、
はじめて、作品を応募してみたのですが、
その作品が『文芸大賞』をいただくこととなりました。
文芸大賞という賞は、本公募においての最高賞となっており、
新参者ながら、いきなりこのような栄誉を受けることができ、
たいへんうれしく思っております。

作品の募集は、昨年の9月末にあり、
結果の発表は同年の年末にすでにありましたが、
表彰式は、今年の2月27日に、岐阜県のふれあい福寿会館という、
岐阜県の公共施設で行なわれました。

この公募に作品を送るきっかけは、
なんといっても、飛騨高山からここ岐阜市への事務所移転だったのですが、
本公募の募集要項は、毎年、道の駅などに多数置いてあり、
かねてから、その存在自体は知っていました。
ですが、実際の応募にはなかなか繋がらず、
今回、ようやくにして、作品を送ってみたという次第です。

ふれあい福寿会館というのは、
岐阜市の南を東西に走る国道21号線のほど近くにあり、
市内では有数の高層建築に入ると思います。

ふれあい福寿会館

こちらがそのふれあい福寿会館です。
表彰式は午後一時からということでしたが、時間には余裕をみて出掛けました。
会場に向かう人たちなのでしょうか、
建物手前の大階段を上がっていく人を、少なからず見かけましたが、
案の定、受付は多くの人で賑わっていました。

会場にはすでに人がいっぱい

こちらが、会場の3F大会議室です。
すでに席は多くが埋まっていて、なんとも華やいだ雰囲気です。
ほどなくして式がはじまり、県職員の方や来賓の方の挨拶などのあと、
賞状の授与式となりました。

トップバッターとして

受賞のトップバッターは私ということで、いささか緊張しつつも、
つつがなく賞状をお受けすることができました。

受賞後にパチリ

こうして、ひととおり式が終わると、
次は、各部門に別れて、審査を勤められた方々と実際にお会いして、
作品について論じる『講評会』が行なわれます。
この講評会にはそれぞれ個室が用意されており、受賞者の方々、
また、関係者の方々は、それぞれの部屋へと入ってきました。

私は、先にも申し上げたように「小説」部門に応募をしているため、
ひとつうえの階に用意された、専用の小会議室へと行ってみました。
じつは、この講評会に出席することが、
私にとっては、なによりの楽しみでもありました。

小説部門は、原稿用紙60枚が規定となっており、
ある程度、長文の作品が寄せられる部門です。
私にとって、原稿用紙60枚は「あまりに少なすぎる規定」ですが、
ほかの方にとっては、長過ぎるものらしく、小説部門の応募者は、
他部門と違って、人数がぐっと少なくなります。
(他部門の講評会では、入場者が席に座れないほどだったといいます)
応募総数は3,000を越えるそうですが、小説の総数は30ということで、
小説部門の会場には、審査員の方々や、私、そして私のヨメを含め、
全部で8名でした。

ここでおよそ一時間半、審査についてのお話や、
講評などをお伺いし、また、意見交換などもさせていただきました。
ここ岐阜に来て以降、私は、自分の書いた文章について、
感想や意見を聞く機会はまったくなく、私にとっては、
たいへん貴重で有意義な時間でした。

作品集

ちなみに、大賞をとることができた私の作品ですが、
戦後の満州からの引き上げと、振り込め詐欺に題材を求めた、
短編小説となります。
ジャンルとしては、推理 / エンターテインメントの部類に入ると思いますが、
社会的な問題を取り上げており、また、メッセージ性も盛り込んだつもりです。

今回の執筆にあたっては、昨年、訪れた、
長野県阿智村の『満蒙開拓平和記念館』で聞いた、
満州棄民となった方の証言や、また、図らずも知ることとなった、
私の祖母の満州での体験などが、大きなヒントとなりました。

また、今回の資料調べで、ヨメのご親戚の方が、
満蒙開拓青少年義勇軍に入隊しており、
終戦から引き上げまでの経緯を手記に残していることも知り、
いうまでもなく、この手記も資料とさせていただきました。

賞状

物語を文章という『カタチ』にする作業は、
私にとって、じつに十数年ぶりで、
長きに渡って、研鑽を積まなかったがために、文章力、表現力は落ち、
また、着想やストーリーを得るアンテナはすっかり錆び付き、
当初は、小説などとても書けない、などとも思っていました。

しかも、原稿用紙60枚という規定にはおおいに苦しみ、
構成やエピソードの取捨選択に難儀しました。
(可能であれば、せめて100枚は書きたかったところです)

いずれにしても、このような経緯を経て、
なんとかひとつの文章に仕上げましたが、
今回、それが評価をされたことは、私にとって、自信にもなりましたし、
また、書くという行為に対する、
さらなる意欲を持つことができたようにも思います。

作品集は一部600円で販売もされているそうなので、
もし、興味がおありの方がいらっしゃいましたら、
岐阜県教育文化財団に、お問い合わせをいただければと思います。
(下記のリンクに連絡先が記してあります)

○ 第24回岐阜県文芸祭 作品集などについての問い合わせはコチラ

講評会のさいには、できれば、他の入賞者の方々とも、
意見交換や、創作についての苦労話などをお伺いしたかったのですが、
それが思うようにできず、ちょっと残念でした。

最後になりましたが、今回、ご審査をいただきました、
Hさま、Kさま、また、主宰者のみなさま、ありがとうございました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。



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