蒲郡でのMINI

昨年の11月より、異音の発生に悩まされていた我がMINIですが、
先日、富山市のMINI専門店まで、修理のため自走して持ち込むこととなりました。
この専門店は、車検をお願いしたお店であり、
かねてから、なにかにつけお世話になっています。

本来であれば、もっと早い段階で富山まで行きたかったのですが、
なにしろ、年末から年明けの三月までは、雪や融雪剤の心配があり、
ここ岐阜市から遥かな北にあたる富山市までは、
おいそれとMINIで行くことができませんでした。
(なにしろ、MINIのスタッドレスタイヤは、
 飛騨高山の実家に置きっぱなしにしていますし…)

そして四月になり、ようやく、宮峠、数河峠といった、冬場の難所を、
夏用タイヤでも越えることができるようになり、いまさらという感じですが、
MINIを修理に持ち込んだという次第です。

もっとも、足回りの異音については、
幸か不幸か、ここ最近では、より症状が出づらくなっており、
かなりの長距離を走らないと、音の発生を確認できないようになっていました。
しかも、助手席にヨメを乗せないと、異音は出ず、
近場のスペシャルショップにMINIを持ち込んでも、
なかなか症状が確認してもらえませんでした。
ただ、いったん症状がでると、異音はけっこう大きなもので、
バチバチという、ゴム板を弾くような音が、タイヤの回転に合わせて出ます。

異音の発生している箇所は、前方の足回り、ということはわかりますが、
右なのか、左なのか、耳を澄ませて聞いても、
こればっかりはどうにも判然としません。
音の質はハブベアリングがダメになったときの音とそっくりで、
音源は、どちらかといえば、左のような気がしますが、
左のハブベアリングは新品に交換したばかりなので、
もし、ほんとうに音源が左であるのなら、
ハブベアリングではない別の原因とも思われます。

いずれにしても、症状が出たり出なかったりで、
しかも、音源もよくわからないとあっては、かなりやっかいです。

富山にMINIを自走させて行ったさいも、途中の飛騨高山では、
かなり症状が出ていたのですが、どういうわけか、以後、
異音はしだいに出なくなってしまい、富山市に着く頃には、
まったく音はしなくなってしまいました。

いざ富山市へ

これだけの長距離を走れば、いやがうえにも症状が出るものと思っていましたが、
こうした状況では、またしても、
修理をしていただくお店の方に、症状を確認してもらえなくなってしまいます。

が、結局は、症状が出ないままにお店に着いてしまい、
とりあえず、この状態でMINIをリフトアップし、原因を探ってみる、
ということになりました。

当初は、ドライブシャフトが異音の原因ではないかとのことでしたので、
まずは、このあたりから、点検をしていくこととなりました。

すると、なんと、ドライブシャフトにガタがあるとのことです。
リフトアップしてタイヤを外し、ドライブフランジを手で回すと、
ほんのわずかですが、前後に回転してしまいます。
このわずかな回転は、本来はあってはならないもので、
いわゆる「ガタ」ということになります。
おそらく、このガタが、異音の原因ではないか、ということになりましたが…。

とりあえず、ドライブフランジの中央にあるキャッスルナットの割ピンを抜いて、
ナットを締めてみると…。
まだ締め付けが利くといいます。
ということで、ナットの締め付けが足りていなかったということで、
要は、締めが少し甘かったということのようです。

前回の車検のとき、ブレーキローターとハブベアリングを変えたのですが、
そのさいに、ナットを締め付ける力が足りなかったようです。
(先の記事にも書きましたが、異音の発生は車検の直後からでした)
このナットをきちんと締めると、ガタはピタリとなくなりました。

ドライブフランジ

昨年、伊勢志摩に行って以降、ずっとこの異音に悩み続け、
近場のMINI専門店に行っても原因不明ということで、
修理もかなわなかったのですが、なんとも拍子抜けするような、
あまりにも簡単な原因で、驚いてしまいました。
なるほど、それなら、車検の直後に異音が発生した理由も理解できます。

助手席にヨメを乗せると異音が発生するのも、加重がかかって、
本来ならしっかりと固定されているはずのハブベアリングが、
少し傾いたりしたのかもしれません。

いずれにしろ、大修理、大出費になるのでは、と戦々恐々としていたのですが、
そうはならなかったので、胸を撫で下ろしました。

ただ、この時点では、異音の原因は他にもあるかもしれず、
しばらくテストドライブをしてみないと、完全な問題解決となったのか、
軽々に判断できません。
ですが、その後、富山市から岐阜市へ帰る長距離ドライブのあいだ、
まったく異音は出ませんでした。

こうして、年をまたいだ長い長い悩みも、
このように、あっけなく解決をみたのでした。
はあ〜、長かった〜。

オイル交換開始

そんなわけで、富山から帰ってきた次の週、
延び延びになっていたオイル交換をしました。

バルボリンVR

使用するオイルは、いつものように、バルボリンのVR1レーシングです。
粘度は20W-50です。
今年から新パッケージになったそうですが、
オイルそのものも新たに見直され、亜鉛とリンの成分が減ったとのことです。
ですが、鉱物油であることに変わりはないとのことで、
今回も使用することにしました。

ドレンワッシャーも新品に

オイルエレメントとドレンボルトの銅ワッシャーも交換です。
ただ、先日、足回りの点検のためタイヤを外したさい、グリスアップをしたので、
今回はオイルと、エレメントなどの交換のみとなります。

こうして、オイル交換を終えたあと、
再度、念を入れて、長距離をテストドライブしてみました。
行った先は愛知県蒲郡市、および渥美半島です。

飛騨高山に住んでいたころもよく蒲郡に行っていましたが、
高山から蒲郡まではかなりの距離で、日帰りでの行き来は無理でした。
ですが、ここ岐阜市からは、距離もぐっと近くなり、
日帰りでの移動も、充分に可能となりました。
それでも、長距離であることに変わりはありません。

三河湾スカイライン

この日は、イマイチのお天気でしたが、どれほど走ろうとも、
異音は発生せず、やはり、ナットの締め付け不足が異音の原因だったようです。
写真のような急カーブ連続の山道も走ってみましたが、
異音はまったくでず、ホッとしました。

そんなわけで、これからはMINIの出番が増えそうです。
先日行った甲府にも、できれば、今度はMINIで出掛けたいものです。




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富士五湖の西湖

さて、前回の続きです。
甲府で一泊した次の日も、空模様はなんともすっきりとしません。
当初は、富士五湖方面へと向かってみようかと思っていましたが、
この天候では、富士山の姿を拝むのは、少し無理のような気もします。
というわけで、甲府の観光名所である『昇仙峡』というところに行ってみるか、
あるいは、武田神社へと参拝に行ってみようかと、いろいろと迷いました。
が、たとえどこにいったとしても、雲行きが怪しければ、
楽しさも半減してしまうだろうということで、
結局、天候回復に一縷の望みを抱き、当初の予定通り、
南の富士五湖方面へと向かってみることにしました。

もちろん、せっかく甲府にきたのですから、
信玄公ゆかりの地にも行きたい気持ちはありましたが、
今回は、富士山見物に賭けてみることにしました。

そんなわけで、ホテルを出て、とりあえず南下。
小一時間ほど走ると、河口湖の北岸へと辿り着きました。
そのまま西に進んで、まずは西湖へと行ってみることにしました。

が、お天気はやっぱりイマイチなままで、富士山の姿はまったく見えません。
しかも、予想以上に肌寒くて、湖畔を散歩などということも、
ほとんどできませんでした。
こんなことなら、もっと厚手の上着を持ってくるべきでした。
富士五湖周辺の気候を、少し舐めていたかもしれません。

空模様はいまひとつ

記念撮影をしても、空には雲ばかり…。
かえすがえすも残念ですが、機会があれば、
晴れた日にもう一度訪れたいものです。

次いで、さらに西へ進んで、精進湖、本栖湖を見て回り、
そのあと、溶岩が作った洞窟である『富岳風穴』へと行ってみることにしました。
いまひとつの天候でも、地中にある風穴であれば、関係ないですし…。

富岳風穴は青木ヶ原樹海のなかに位置しており、
うっそうと茂る森のなかに位置していますが、
駐車場からは五分ほど歩くだけで着いてしまいます。

溶岩棚

もともと飛騨人である私には、森は見慣れたものですが、
さずがに、富士の樹海の地形には馴染みがなく、
とても新鮮に思えました。
また、周囲には、溶岩棚と呼ばれる岩が点在しており、
かつて、富士山が活発に活動していた時期を彷彿とさせます。

風穴内部へ

こちらが富岳風穴の入口です。
写真で見るとさほどではありませんが、見物客で思いのほかにぎわっていました。
しかも、かなりの数の外国人観光客もいます。
ここ数年は、ほんとうに外国人観光客の姿が増えました。

足元に注意しつつ、急な石段を下りていきます。
こうして深い穴のなかに入っていくと、
なんだかワクワクしてしまいます。

意外と広い風穴内

こちらが、風穴内部です。
内部は充分な広さがあり、さして腰を屈めることもなく、普通に立って歩けます。
この地下空間は、溶岩が冷えて固まる時に、
溶岩内にたまったガスなどが抜けるなどして作られた空洞だそうで、
富士の樹海には、多数点在しているようです。

通年を通して内部の気温が低く保たれているため、
かつては、冷蔵庫として使われていたといいます。

最深部

こちらは、氷を貯蔵していた最深部です。
穴の深さはそれほどではなく、ほどなくして最深部に着いてしまいました。

富岳風穴見学のあとは、道の駅に立ち寄って、
すぐ近くにあったなるさわ富士山博物館というところに寄ってみました。

なるさわ富士山博物館

このとき、雲間から太陽が顔を出し、あたりには陽射しが溢れました。
このまま天候が回復するかも、と、期待に胸が膨らんだのですが、
ほどなくすると、また日は陰ってしまい、
富士山を拝むことは、またもできませんでした。
残念です。

襲ってくる恐竜

気を取り直して、富士山博物館のなかへ。
内部にはティラノザウルスらしき動く恐竜の模型がありました。
頭部しかないのですが、動くとけっこう怖いです。

そのほかにも、鉱石の展示などが行われており、また、
水晶などを販売する売店なども併設されていました。

その後、河口湖、そして山中湖へと行ってみましたが、
結局、大きな天候の崩れはなかったものの、
お天気は終日、回復しないままで、富士山の間近まで迫りながら、
とても残念な結果になってしまいました。

今度は、天気のいいときに、ぜひMINIできたいと、
思うばかりでした。



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新府城跡

以前にも少し書きましたが、ここ岐阜市に移り住んで以後、
クルマでの行動半径も大きく変わりしました。
飛騨高山に住んでいた頃は、遠くて行くことができなかった伊勢志摩にも、
いまでは、比較的手軽に行けるようになりましたし、
また、半日がかりで行っていた愛知県蒲郡市も、ぐっと近くなりました。
そんなわけで、今回は、さらにもっと足を伸ばして、
山梨県の甲府市や、そのすぐ南にある富士五湖方面へと、
行ってみることにしました。

本来であれば、私のMINIで行きたいところなのですが、
MINIはいまだ足回りからの異音という問題を解決できておらず、
結局、ヨメのプジョーでのドライブとなりました。

甲府市は、岐阜市から見るとほぼ真東の方角にあたるのですが、
その途中には、駒ヶ根や南アルプスなどの山岳地域を挟むため、
北か南のどちらかに、大きく迂回しなければなりません。
今回は、茅野市方面に迂回する、北回りコースを選んでみました。

まず、国道21号を東へと向かって走り、
岐阜県美濃加茂市、土岐市を通過して国道19号線に入り、
そのままさらに東へと進んで、隣の長野県へと入ります。
木曽福島を過ぎたあたりで19号線から国道361号線へと乗り換え、
権兵衛トンネルを抜けて伊那市へと向かいます。
その後、杖突街道を北上して茅野市へと入り、
茅野からは国道20号へ入って、南下して山梨へと入りました。
けっこうな大回りになりますが、それでも、静岡県側を通る南コースよりも、
こちらのコースのほうが、少しばかり距離を短縮できるようです。

甲府へ向かって

こうして、いつものように、そこかしこで休憩などを入れつつ、
景色を楽しみにながら下道を走ること6時間、ようやく山梨県に入りました。
このあたりは、初めて通る道ということもありますが、
富士山の裾野ということもあるのか、地形そのものが新鮮な印象で、
それだけでも気持ちは盛り上がります。

とくに驚くいたのは、ほどなくして道の左手に見えてきた、
巨大な壁のような断崖です。
断崖は道と平行して延々と続いており、その規模はかなり長大だと思われます。
この光景、どこかで見たことがあるような…、などと思っていたら、
NHK大河ドラマ『真田丸』の第一話に登場した、ある場面が、
ふと、脳裏に浮かんできました。
それは、平岳大扮する武田勝頼が、押し寄せる織田信長の軍勢から逃れるため、
築いたばかりの新府城に自ら火を放って落ち延びていくシーンです。
断崖のうえで燃え盛る新府城の姿は、この景色にとてもよく似ています。

このときの私には、新府という場所が、
現在のどこにあたるのかわからなかったのですが、
武田勝頼が城を築いたのであれば、甲斐の国のどこかに違いなく、
甲府の近辺ではないかとも思いました。

と、思う間もなく、道の横に『新府城跡』という看板が目に入りました。
まさにここは、あの『新府城』だったようです。
というわけで、この機を逃す手はないと思い、看板に従って、
細く急な坂道を昇ったのですが、昇り切ったところで広い道に出たものの、
その後、道標などはなく、どこが新府城なのかわかりません。

仕方なく国道20号に戻り、甲府を目指し走っていると、
ふたたび新府城跡と書かれた道案内の看板を見つけました。
しかも、さきほど見た看板よりもずっと大きなものです。
というわけで、ふたたび進路を変更し、新府城を目指してみました。

こうして、二度目のトライで新府城を発見。
近くの駐車場にクルマを止め、さっそく、新府城跡へと行ってみました。

新府城の石段

新府城跡へは、この長く急な石段を昇ることとなります。
ですが、すぐ脇につづら折れになっている測道があり、
階段を使わずとも昇れるようになっています。
ただ、どちらの道を選んでも、息が切れることに変わりはありません。

曲輪跡

周辺には、曲輪、土塁なども残されています。
大河ドラマの影響か、思いのほか見物客が来ており、
ちょっとびっくりしました。

新府城はいまはなく…

こちらが、新府城の跡です。
近江の小谷城に続き、大河ドラマに登場した場面に、ふたたび立ちました。
我ながら、かなりのミーハーと思わざるを得ません。
(もっとも、小谷城と違い、ここではロケは行われていませんが…)

もちろん、いまは、当時を偲ばせるものはなにもありませんが、
神社や石碑などがあり、かつて城が鎮座していたことを伺わせます。

巨大な石碑

こちらは、巨大な石碑です。
武田家の発祥から滅亡までを記してありました。

新府城が築城されたのは天正九年とのことですので、
武田家滅亡の前年ということになるかと思います。
そんなわけで、この城が機能していた期間は極めて短く、
しかも、自ら火を放って城を放棄しているため、
この城を巡っての華々しいドラマというものはないのかもしれませんが、
それでも、武田勝頼の居城ということで、感慨深いものもあります。

武田勝頼は新府城を放棄したあと、家臣の裏切りなどによって、
無念の自刃することになりますが、武田を滅亡へと追い込んだ織田信長も、
同じ天正十年に、京の本能寺で横死することとなるわけで、
なんとも運命の皮肉というほかない、というところでしょうか…。

というわけで、新府城をしっかりと見学して、
駐車場まで戻ってきました。

のぼり

すると、やっぱりここにもありました。
真田丸ののぼりです。
それにしてもこの日は、お天気がイマイチで、
ちょっと残念でした。

この日は甲府に泊まり、翌日は富士五湖へと行ってみましたが、
その模様は、また次回にご紹介したいと思います。




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