社長の小部屋

すでに一週間近く前のことになりますが、
13日の日曜、静岡県御殿場市にある、株式会社カマドさんに行ってきました。
カマドさんは、自動車の車検整備、販売等を行う会社ですが、
社長さんは、軍用車輛をこよなく愛される方ということで、
『社長の小部屋』と銘打たれた、軍用車輛の私設博物館も運営されていらっしゃいます。
かねてから、社長さんの開設されているブログ『復活!社長の小部屋』を、
拝見していた私は、機会があればぜひ、カマドさんへ行ってみたいと思っていました。
というわけで、この11月に、少しまとまった時間を作り、
ヨメともども、泊まりがけで、御殿場方面へと出掛けてみることにしました。

この日は絶好の好天で、富士山がとてもきれいに見えていました。
が、今回は富士山よりも、社長の小部屋に行くことに気がはやり、
富士山の姿を写真に納めることも、いささか、失念気味でした。

というわけで、無事、目的地に到着。
今回の出動車は、高速道路に乗る必要も、
当然のことながらあろうかと思ったので、
私のMINIではなく、ETC付きのヨメのプジョーにしました。
(なにしろ、私のMINIには、ETCどころか、ラジオもエアコンもありませんので)

M38

室内に入ると、さっそく、米軍のM38がお出迎えしてくれます。
M38は、ウイリスジープ (ウイリスMB、フォードGPW) の、
後継車として開発された車輛とのですが、第二次世界大戦には参加しておらず、
そのせいでしょうか、MB、GPWほどには、人気がないとのことです。
(私自身も、M38より、MB、GPWのほうが、断然好きです)

たしかに、旧車のイベントなどで、MBなどは見かけることがあっても、
このM38を見かけたことは、いままで、ないように思います。
いずれにしろ、ここまで丁寧にレストアされたM38を見るのは、
私にとって、はじめてのことです。

この場にいらっしゃった社長さんや、
M151マットを所有しているという元自衛隊員の方から聞いたところによると、
M38は、軍用車輛として、ひとつの完成形である、とのことです。
しかも、M38は、きちんとレストアされた車輛であっても、
比較的安価 (100万円強) で入手可能とのことで、
そのことにも、とても驚かされました。

キューベルワーゲン

こちらは、ドイツ軍のキューベルワーゲンという車輛です。
タミヤのミリタリーミニチュアとともに育った人たちにとっては、
とてもなじみ深い車輛です。
とはいえ、なじみ深いのは1/35縮尺の模型であって、
こうして実車を見る機会は、そうそうありません。
私には、はじめての経験ですし、やはり、実物を見るのは感動します。
(インターメカニカ製の復刻版キューベルは見たことがありましたが)

それにしても、いつも模型で見ているせいでしょうか、
キューベルワーゲンというのは、もっと小振りな車輛かと思っていましたが、
実車は、想像よりも大きいように感じました。

車間間隔灯

ナンバーもついていますから、公道での走行が可能のようです。
しかも、ノティックライトやスコップなどの付属品、装備品も完璧についており、
かつ、車体の後には、車間距離表示灯までもがついています。
ノティックライトは、刻印が打たれた本物であり、
車間距離表示灯は、リプロ品であるとのとことですが、形状は本物と同一で、
こうした細部の再現度にも、マニアとしては、おおいに感動するところです。

くろがね四起

こちらは、旧帝国陸軍の『くろがね四起』という車輛です。
日産自動車グループのひとつに、
エンジンなどを生産を行う日産工機という会社がありますが、
その日産工機の前身である日本内燃機という会社が、
昭和9年に、軍の要請を受けて、開発した車輛だそうです。
正確な考証をふまえたうえで、実動状態にまでレストアされたくろがね四起は、
日本ではこの一輛のみです。

私は、以前、石川県の小松にある自動車博物館に、
このくろがね四起が展示してあるということで、見学にいったことがありますが、
そちらは個体は、お世辞にも状態がよいとはいえず、
そのためか、貴重な現存車輛を見ても、特別な感慨はあまりありませんでした。
ですが、ここ社長の小部屋にあるくろがねは、その状態のすばらしさに目を見張ります。
まさに、渾身のレストア車輛であり、戦前の日本の技術を知る、
工業遺産でもあるかと思います。

くろがね四起のエンジン

エンジンは空冷二気筒。形式はOHVとなっています。
空冷にしたのは、よりメカニズムを簡素化したいという狙いも、
あったのかと思います。

狭い運転席

それにしても、この車輛はものすごく運転がしずらそうです。
ブレーキ、クラッチ、アクセルの各ペダルはそれぞれが近接しており、
シートはせまく、ステアリングやインパネは近く、
運転手はさぞ苦労したのではないかと思ってしまいます。
実際、社長さんのお話をうかがったところ、サイドブレーキをひくさいに、
指を切ってしまうなど、一見してはわからない部分においても、
乗りにくさ、使い勝手の悪さがあるとのことです。

この車輛は、くろがね四起という名が示す通り、
四輪駆動車となっていますが、前輪側にはブレーキはありません。
また、異様なまでにホイールベースが短く、そのために、
チョロQのようなかわいい雰囲気も醸し出しているのですが、
一定の速度以上でハンドルを切ることは、少々危険なのではないかとも思えます。
もっとも、戦場となる地域は、ほとんどが荒れ地であり、
それほどスピードを出せる環境ではないため、
そのようなことは、さほど問題にはならなかったのではないかと、
社長さんはおっしゃっていました。

いずれにしろ、同時期のアメリカの軍用車輛などと比べれば、
技術的に見劣りするのは否めないところです。
ですが、当時の日本の技術者は、持てる限りの力を使って、
この車を開発したのだと思います。
そのフォルムは、他のいかなる国の軍用車とも似ておらず、
日本的なオリジナリティを感じさせます。

九五式軽戦車

そしてこちらは大物…。
旧帝国陸軍の九五式軽戦車です。
残念ながら本物ではなく、アメリカのテレビドラマで使われた、
走行可能な実物大模型 (プロップ) だそうですが、
それを買い取り、考証に基づいて、あらためて改修したものだということです。

とはいえ、外観は九五式そのもので、プロップ感はあまり感じられません。
キャタピラー (履帯) も、ちゃんと鋳造されており、
そうした手間のかけ具合には、少々驚かされてしまいます。

正確な塗装

外観の寸法などは、ほぼ実際の九五式に沿っているとのことですが、
砲塔だけは、少し大きめになっているとのことでした。
このあたりは、テレビドラマでの見栄えを考えて作られたとのことです。

塗装については、ファインモールドの鈴木さんの協力などもあり、
非常に正確なものになっているとのことです。
ただ、実車は、おそらく、このようなきれいな塗装ではなく、
刷毛目が残る、もっと荒いものであった可能性もあります。

1/35ジオラマ

また、実物の車輛だけではなく、1/35の模型車輛も展示されていました。
ウェザリングなどもキマっていて、とてもうまく製作されていましたが、
どなたが作られたものなのか、聞いてくるのを失念してしまいました。
いずれにしろ、こうした模型の展示があるというところも、
この私設の楽しいところです。

○ 社長さんのブログ『復活!社長の小部屋」こちらです ~

というわけで、休日の一日、社長さんや、場内に居合わせた方々と、
楽しくお話をさせていただき、充実したひとときを過ごすことができました。

最後になりましたが、社長の小林さまをはじめ、
株式会社カマドさんのスタッフの方には、今回、たいへんお世話になりました。
ありがとうございました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。




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長浜の街

ただいま滋賀県では、石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』が、
いくつかの会場に分散されるかたちで行われています。
前回、この企画展の米原会場『観音寺』について、ご紹介をさせていただきましたが、
今回は、彦根市会場、長浜市会場に行ってきたことなどを、
少しばかり、書いてみたいと思います。

なにしろ滋賀県は、石田三成の生まれた地であり、
佐和山をはじめ、ゆかりの場所もたくさんあるということで、
今回、大河ドラマ『真田丸』の放映とも連動し、
こうした企画展を開催することとなったようです。
(それにしても、関ヶ原の投稿以後、当ブログは歴史ネタ、三成ネタが連発ですネ)

というわけで今回は、まず、彦根市会場へと行ってみることにしました。
彦根市は、ここ岐阜市のほぼ真西にあたり、クルマで行けば、
およそ1時間半というところでしょうか…。

今回の出動車は、前回の観音寺訪問に引き続き、私のMINIになりました。
ただ、前回の観音寺行きは、私ひとりでのドライブとなりましたが、
今回は、いつものように、ヨメとふたりで出掛けることにしました。

前回は、雨の気配こそなかったものの、
空模様は雲の多いどんよりとしたものでしたが、
この日はすこぶるよいお天気で、絶好のドライブ日和でした。

彦根のMINI

こうして彦根市到着。
町中は天気もよいということで、かなりの人出がありましたが、
なんとか、駐車場にも入ることができました。
それにしても、ホントにいい天気です。
そしてまずは、駐車場のすぐ近くにある、
彦根市の目抜き通りあたりから散策してみることにしました。

この通りは『夢京橋キャッスルロード』というそうで、
お城も近いということもあり、よりたくさんの観光客でにぎわっています。
このあたりを歩いているとき、ちょうどお昼となり、近くのお店で食事をとることに…。
その後、さっそく、MEET三成展会場へと行ってみました。
会場は、彦根城のすぐそばにある『開国記念館』というところです。
そういえば、何年かまえ、彦根旅行にきたさいにも、ここを訪れていましたね。

MEET三成展彦根市会場

会場は、この彦根会場を含め、どこも無料となっています。
この会場は『真田丸にみる石田三成と激動の佐和山展』という副題がつけられていました。
城へ行く人々が多いせいか、この会場にも、思いのほか多くの人がきていました。
しかも、若い女性が多いように思います。
この人たちも、いわゆる『ミツナリスト』なのでしょうか…。

真田丸と三成

展示は、大河ドラマ『真田丸』の、
山本耕史演じる石田三成に焦点をあてたものとなっていました。
(…というか、真田丸展と銘打ったほうがいいような感じでした)
展示品も、撮影に使用したものがほとんどで、
三成その人にまつわるものは、少なかったかもしれません。

ただ、撮影に使用された書状などは興味深く、
有名な『内府ちかひの条々』など、ドラマといえども、
小道具にこだわりを感じました。

また、MEET三成展とは関係のない、常設展のスペースでは、
江戸期の彦根の街のジオラマや、大老井伊直弼にまつわる展示などもありました。
井伊直弼といえば、安政の大獄によって政敵を粛正したということで、
現在においても、よいイメージを持たれにくい人かと思います。
ですが、ご当地であるここ彦根では、井伊直弼は郷土の英雄ということで、
人々から広く尊敬されているようです。

ちなみに、この会場に設置されていたモニターに、
石田三成を讃えるCMが各種流されており、これがとてもおもしろい…。
このMEET三成展彦根会場のなかで、このCMがいちばんのお気に入りかもしれません。
Youtubeにアップされているので、ぜひ、ご覧ください。

○ 石田三成を讃えるオモシロCM映像集 - You tube - ~

こうして、彦根会場を見物したあとは、北の長浜市にある、
MEET三成展長浜市会場へと向かってみます。
彦根市から長浜市までは、クルマでおよそ30〜40分でいくことができます。
せっかくですので、琵琶湖を横目に見つつ、ドライブしてみました。

長浜市では、豊国神社そばの駐車場にMINIを入れ、そのあと、
まずは黒壁スクエアのある通りへと行ってみました。

秀吉の街 長浜

長浜市には過去にも何度かきていますが、商店街を歩いたことはなく、
今回、はじめて、この黒壁スクエア界隈を散策してみましたが、
おもいのほか賑わっていて、驚いてしまいました。

アイドル

しかも、アイドルグループのコンサートも開かれていて、
賑わしさに拍車をかけていました。
(アイドルのユニット名はわかりません。すみません)

長浜会場

少し道に迷いましたが、ほどなくして、MEET三成展長浜市会場を発見。
これで、MEET三成展主要三会場は、コンプリートしたことになります。

展示物

会場は、湖北観光情報センターという、
古民家を改造した案内所のようなところでした。
こちらにも、やはり、歴女と思われる方たちが来場されていました。
ただ、展示そのものは、比較的簡単なもので、
もう少し、濃い内容がほしいように思います。
いずれにしろ、秀吉のお膝元であったこの長浜の街で、
秀吉の忠臣であった三成の企画展が行われているのは、なんとも、
感慨深い気もします。

大通寺

そのあとは、商店街を散策している途中でみつけた、
『大通寺』というお寺を参拝。
真宗大谷派のお寺ということで、作りも、京都の東本願寺を思わせるものでした。
また、ゴブラン焼きという、
リンゴを入れた小振りなどら焼きのようなお菓子を買ったりしつつ、
秀吉を祀った豊国神社にも参拝をしてきました。

ふたたびの観音寺

最後は、前回も行った『観音寺』に、寄ってみました。
というのも、長浜市から岐阜市に帰る道の途中に観音寺はあり、
しかも前回、ヨメはここにはきていないので、
せっかくなので、ちょっと寄ってみようということになりました。

観音寺の三成展会場

ここでまた、MEET三成展会場に立ち寄り、
またしても、お茶をごちそうになってしまいました。
(二度もきてしまって、すみません)

その後、観音寺に参拝し、せっかくの機会ですので、
拝観料を払って、寺のなかに入らせていただきました。
撮影は禁止なので、画像はありませんが、
ほんのりとした明かりに照らされた本堂は、
魅惑的で、とても心の落ち着く雰囲気でした。

というわけで、比較的短い距離のドライブでしたが、
近江路をたっぷりと堪能した一日でした。

スタンプラリー

こちらは、MEET三成展会場でもらえる、スタンプラリー用紙です。
主要三会場のスタンプはこれですべてそろいました。
あとは、サブ会場のスタンプがあれば、パーフェクトなんですが…。

ですので、また機会があれば、近江に行きたいと思っています。




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MINIで行く近江路

先月のことになりますが、滋賀県にある『観音寺』というお寺に、
MINIに乗って行ってきました。

天正の昔、このお寺には、少年期の石田三成が、小姓として預けられていたそうで、
秀吉と三成が始めて出会った場所でもあるとも言い伝えられているそうです。
折しもいま、この観音寺では、
石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』が開催されており、
各種のパネル展示などが行われています。
(MEET三成展は、この観音寺のほか、彦根、長浜などの会場でも開かれています)
というわけで、今回、まさに絶好の機会に、この寺を訪れることとなりました。

それにしても、関ヶ原探訪以降は、
立て続けに「歴史ネタ」ばかりを連発してしまいましたが、
今回もまた、ご多分に漏れず、同様の話題をアップすることとなってしまいました。
岐阜市に拠点を移して、いま、一年と少しに経ちましたが、それからというもの、
当ブログで取り上げる話題は、急激に歴史ネタが多くなったかと思います。
なにしろ、飛騨高山にいた頃は、近場にそれほど歴史的な名所はなかったのですが、
ここ美濃にきてからは、比較的近い場所に、関ヶ原といった旧跡があり、
また、城なども多く、見所には事欠きません。
そんなわけで、自然と歴史ネタも多くなってしまいました。

さて、今回は、ヨメが仕事で忙しいため、
私ひとりで、MINIに乗って出掛けるということになりました。
こうした、単身のドライブはほんとうに久しぶりで、
お天気はいまひとつだったものの、それはそれでまた楽しいものでした。

岐阜市から、観音寺までの道のりは、まず国道21号線に乗って西の関ヶ原方面へ向かい、
そこからさらに西に進んで、国道365号線へと入ります。
やがて、滋賀県の米原市に入りますが、そこから脇道にそれて、
しばらく進むと、目的の観音寺に到着します。
所要時間は、一時間半弱といったところでしょうか。
途中、脇道に入るところで迷ったりもしましたが、
無事、観音寺に到着することができました。

観音寺

観音寺のある場所は、静かな山間の農村といったところで、
日曜にもかかわらず、あたりにはさほど人気はありませんでした。
こうした静かな雰囲気が、この古刹には似合うかもしれません。

寺の手前や、すぐ手前の道には、MEET三成展ののぼりと、
秀吉と三成の出会いの地であることを謳うのぼりが、それぞれ立ててあり、
寺としても、三成のことは多いに宣伝に使っているようでした。

観音寺参道

寺の門をくぐると、長い参道があります。
舗装もなく、石畳もなく、まさに土の道なのですが、
そのあたりも、質素で昔ながらといえるかもしれません。

案内看板

参道手前には、寺の案内図がありますが、その下に、
石田三成が秀吉のために茶を出した、その水汲みの井戸への看板がでていました。
というわけで、参拝の前に、まずはその井戸へと行ってみました。

三成の井戸

こちらがその井戸です。
はじめて城持ち大名となった秀吉は、
長浜の周辺にあたるこの付近まで、鷹狩りにきたといいます。
鷹狩りは、いま風にいえばスポーツのようにも思えますが、
実際には、領地を見聞するための、いわば偵察のようなものであったともいいます。

途中、のどの渇きを覚えた秀吉は、この寺に立ち寄り、茶を求めたといいます。
そこで茶を出したのが、寺の小姓であった佐吉、つまり、のちの石田三成だといいます。

三成は、秀吉ののどの渇き具合を推察し、
最初は、大きめの茶碗に、ぬるめのお茶を、たっぷりと出したといいます。
それを飲み干した秀吉が、再度、茶を求めると、
三成は、最初のものよりも少し小さい茶碗に、少し熱めのお茶を出したといいます。
秀頼が、またさらに茶を求めると、三成は、さらに小さい茶碗に、
熱いお茶を出したそうです。

秀吉は、この少年の明敏さに目を見張り、
寺からもらいうけ、自らのもとに召し抱えます。
少年はその期待に見事に応え、やがて天下人へと駆け上る秀吉を、
終生変わらず支え続けるのです。

このエピソードは『三献の茶』などと呼ばれており、
前回ご紹介した、司馬遼太郎氏の小説『関ヶ原』でも、
冒頭で取り上げられています。

観音寺の石段

こうして、三成ゆかりの場所を堪能したあと、お寺を参拝。
森のなかに建つ古いお寺でしたが、独特の味わいがありました。

MEET三成展会場

そのあとは、MEET三成展の会場となっている建物に行ってみることにしました。
こちらの会場は、見学無料で、しかも、場内に入ると、
三献の茶にちなんでか、お茶のサービスがあります。

場内は、主にパネル展示がなされており、設置された大型モニターには、
歴女アイドル小日向えりさんの、三成紹介VTRが流されていました。

パネル展示は、MEET三成展というだけあってか、三成びいきな感じでした。
また、島左近など著名な家臣についての紹介もありました。

というわけで、MEET三成展観音寺会場を、十分堪能してきました。

そのあとは、ふたたびMINIに乗り、今度は、滋賀県の北部である、
木之本というところに、ドライブがてら向かってみました。

木之本の街

こちらがその木之本の街です。
私はこの街について、ほとんど何も知らなかったのですが、
古い町並みがある、風情のあるところです。

木之本地蔵尊

こちらは、木之本地蔵院というお寺です。
じつは、あとになって知ったことですが、
このお寺は、本能寺の変のあと、
秀吉と柴田勝家が激突した『賤ヶ岳の戦い』のさいに、
秀吉の本陣になった場所だそうです。
(実際、この木之本から、賤ヶ岳はほど近いです)
寺はそのさいの戦火で焼けてしまったそうですが、
後に、豊臣家の重臣である片桐且元が再建したといいます。
が、寺はふたたび火災にあったそうで、江戸時代中期に再建されたといいます。

きのもと交遊館

そしてこちらは、きのもと交遊館という建物です。
明治期か大正時代に建てられたものかと思いましたが、
昭和初期に、銀行として建てられたものだといいます。
ここで、MEET三成展の部分展示が行われています。

大谷吉継の展示

こちらでは、大谷刑部吉継にまつわるパネル展示が行われていますが、
展示そのものは極めて小規模で、これですべてでした。
ちょっとさみしかったかも…。

それにしても、木之本はなかなか楽しいところです。
今度、またじっくりと見物したいものです。

というわけで、今回は、ヨメなしの単独ドライブ、単独歴史紀行でした。


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