
先月のことになりますが、滋賀県にある『観音寺』というお寺に、
MINIに乗って行ってきました。
天正の昔、このお寺には、少年期の石田三成が、小姓として預けられていたそうで、
秀吉と三成が始めて出会った場所でもあるとも言い伝えられているそうです。
折しもいま、この観音寺では、
石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』が開催されており、
各種のパネル展示などが行われています。
(MEET三成展は、この観音寺のほか、彦根、長浜などの会場でも開かれています)
というわけで、今回、まさに絶好の機会に、この寺を訪れることとなりました。
それにしても、関ヶ原探訪以降は、
立て続けに「歴史ネタ」ばかりを連発してしまいましたが、
今回もまた、ご多分に漏れず、同様の話題をアップすることとなってしまいました。
岐阜市に拠点を移して、いま、一年と少しに経ちましたが、それからというもの、
当ブログで取り上げる話題は、急激に歴史ネタが多くなったかと思います。
なにしろ、飛騨高山にいた頃は、近場にそれほど歴史的な名所はなかったのですが、
ここ美濃にきてからは、比較的近い場所に、関ヶ原といった旧跡があり、
また、城なども多く、見所には事欠きません。
そんなわけで、自然と歴史ネタも多くなってしまいました。
さて、今回は、ヨメが仕事で忙しいため、
私ひとりで、MINIに乗って出掛けるということになりました。
こうした、単身のドライブはほんとうに久しぶりで、
お天気はいまひとつだったものの、それはそれでまた楽しいものでした。
岐阜市から、観音寺までの道のりは、まず国道21号線に乗って西の関ヶ原方面へ向かい、
そこからさらに西に進んで、国道365号線へと入ります。
やがて、滋賀県の米原市に入りますが、そこから脇道にそれて、
しばらく進むと、目的の観音寺に到着します。
所要時間は、一時間半弱といったところでしょうか。
途中、脇道に入るところで迷ったりもしましたが、
無事、観音寺に到着することができました。

観音寺のある場所は、静かな山間の農村といったところで、
日曜にもかかわらず、あたりにはさほど人気はありませんでした。
こうした静かな雰囲気が、この古刹には似合うかもしれません。
寺の手前や、すぐ手前の道には、MEET三成展ののぼりと、
秀吉と三成の出会いの地であることを謳うのぼりが、それぞれ立ててあり、
寺としても、三成のことは多いに宣伝に使っているようでした。

寺の門をくぐると、長い参道があります。
舗装もなく、石畳もなく、まさに土の道なのですが、
そのあたりも、質素で昔ながらといえるかもしれません。

参道手前には、寺の案内図がありますが、その下に、
石田三成が秀吉のために茶を出した、その水汲みの井戸への看板がでていました。
というわけで、参拝の前に、まずはその井戸へと行ってみました。

こちらがその井戸です。
はじめて城持ち大名となった秀吉は、
長浜の周辺にあたるこの付近まで、鷹狩りにきたといいます。
鷹狩りは、いま風にいえばスポーツのようにも思えますが、
実際には、領地を見聞するための、いわば偵察のようなものであったともいいます。
途中、のどの渇きを覚えた秀吉は、この寺に立ち寄り、茶を求めたといいます。
そこで茶を出したのが、寺の小姓であった佐吉、つまり、のちの石田三成だといいます。
三成は、秀吉ののどの渇き具合を推察し、
最初は、大きめの茶碗に、ぬるめのお茶を、たっぷりと出したといいます。
それを飲み干した秀吉が、再度、茶を求めると、
三成は、最初のものよりも少し小さい茶碗に、少し熱めのお茶を出したといいます。
秀頼が、またさらに茶を求めると、三成は、さらに小さい茶碗に、
熱いお茶を出したそうです。
秀吉は、この少年の明敏さに目を見張り、
寺からもらいうけ、自らのもとに召し抱えます。
少年はその期待に見事に応え、やがて天下人へと駆け上る秀吉を、
終生変わらず支え続けるのです。
このエピソードは『三献の茶』などと呼ばれており、
前回ご紹介した、司馬遼太郎氏の小説『関ヶ原』でも、
冒頭で取り上げられています。

こうして、三成ゆかりの場所を堪能したあと、お寺を参拝。
森のなかに建つ古いお寺でしたが、独特の味わいがありました。

そのあとは、MEET三成展の会場となっている建物に行ってみることにしました。
こちらの会場は、見学無料で、しかも、場内に入ると、
三献の茶にちなんでか、お茶のサービスがあります。
場内は、主にパネル展示がなされており、設置された大型モニターには、
歴女アイドル小日向えりさんの、三成紹介VTRが流されていました。
パネル展示は、MEET三成展というだけあってか、三成びいきな感じでした。
また、島左近など著名な家臣についての紹介もありました。
というわけで、MEET三成展観音寺会場を、十分堪能してきました。
そのあとは、ふたたびMINIに乗り、今度は、滋賀県の北部である、
木之本というところに、ドライブがてら向かってみました。

こちらがその木之本の街です。
私はこの街について、ほとんど何も知らなかったのですが、
古い町並みがある、風情のあるところです。

こちらは、木之本地蔵院というお寺です。
じつは、あとになって知ったことですが、
このお寺は、本能寺の変のあと、
秀吉と柴田勝家が激突した『賤ヶ岳の戦い』のさいに、
秀吉の本陣になった場所だそうです。
(実際、この木之本から、賤ヶ岳はほど近いです)
寺はそのさいの戦火で焼けてしまったそうですが、
後に、豊臣家の重臣である片桐且元が再建したといいます。
が、寺はふたたび火災にあったそうで、江戸時代中期に再建されたといいます。

そしてこちらは、きのもと交遊館という建物です。
明治期か大正時代に建てられたものかと思いましたが、
昭和初期に、銀行として建てられたものだといいます。
ここで、MEET三成展の部分展示が行われています。

こちらでは、大谷刑部吉継にまつわるパネル展示が行われていますが、
展示そのものは極めて小規模で、これですべてでした。
ちょっとさみしかったかも…。
それにしても、木之本はなかなか楽しいところです。
今度、またじっくりと見物したいものです。
というわけで、今回は、ヨメなしの単独ドライブ、単独歴史紀行でした。
コチラをクリックしてくださるとうれしく思います。
FC2 Blog Ranking