大石公園

早いもので、2016年も残すところ、数日となりました。
やっとで、ほとんどの年賀状も出し終わりましたが、
まだまだ、年の瀬のバタバタは続きそうです。
そんな慌ただしいときではありますが、今年も、当ブログ恒例の、
一年の振り返りを、またしてもやってみたいと思います。

今年は、時の経つのがいままでになく早く感じられ、
ほんとうにあっという間でした。
とはいえ『よい年』であったかというと、とてもそうとはいいがたく、
とくに体調面では、いろいろと不安の噴出する年でもありました。
まあ私も、すでに齢五十を超えており、身体にいろいろと不調が出るのも、
ある程度は、いたしかたのないところなのかもしれません。
いずれにしろ、健康が第一と、あらためて思うこの一年でした。
(といっても、寝込むような大病はすることなかったわけで、
 それだけでも、もう、とてもありがたいことなのだと思います)

今年一年を遡るうえで、まず思い出されるのは、
岐阜県文芸祭において、私の書いた小説「慟哭を埋めた土地』が、
最高賞である『文芸大賞』をいただき、
表彰式に招いていただいたことでしょうか。
作品自体は、昨年に書いて応募し、その年のうちに賞は決まっていたのですが、
表彰式については、今年の2月の終わりに行われました。

トップバッターとして

岐阜県文芸祭には、はじめての応募だったにもかかわらず、
いきなり大賞を受賞でき、たいへん驚くとともに、
とてもうれしい出来事でした。
また、審査員の方々と、作品について論じる『講評会』にも参加させていただき、
私にとっては、おおいに意義のあるものでした。

ですが、今年は、なかなか小説を書く時間が取れず、
応募がかなわぬまま終わってしまいました。
来年こそはまた、と、いま、決意を新たにしているところです。

また、今年は、MINIやプジョーで、甲府市、富士山方面に旅行にも行きました。
最初の旅行のさいには、天候に恵まれず、富士の姿を拝むことが、
なかなかできませんでしたが、五月の二回目のリベンジ旅行のときには、
バッチリと富士山を眺めることができました。

河口湖でMINIをパチリ

このときはMINIで行ったのですが、甲府市から富士五湖へと向かう道が、
思いのほか勾配がきつく、1000ccのキャブMINIにとっては、
少々ハードな行程となりました。

そうはいいながらも、勾配にも、長距離にも、
MINIはしっかりと耐えてくれました。

大垣城

また今年は、多くの史蹟、旧跡を訪れました。
甲府では、武田信玄の居城である躑躅ヶ崎館や、
(いまでは、武田神社となっています)
また、武田勝頼の築いた新府城跡にも行ってきました。
そのほか、岡崎城や、地元の大垣城、などのお城系にも、足を運び、
石田三成ゆかりの地にも、何度も出掛けたりしました。

決戦地

極めつけは、秋の関ヶ原巡りでしょうか…。
このときは、二日間に渡って、もう、足を棒にして、
各武将の陣跡を巡りました。
また、関ヶ原合戦祭り2016の笹尾山会場では、
石田三成、大谷吉継のコスプレ隊の登場に、おおいに盛り上がりました。

その大谷吉継の陣跡と墓にも、
そして、裏切り者である小早川秀秋の陣跡にも、念願かなって行くことができました。
来年もぜひ、行ってみたいと思います。

伊勢神宮内宮

そうそう、MINIで伊勢旅行にも行きましたね。
ですが、旅のあいだ、ほぼほぼ雨にたたられるということになってしまいました。
これはもう、私の日頃の行いの悪さというしか、ないかと思います。
それでも、二見興玉神社、伊勢神宮下宮、月夜宮、伊勢神宮内宮、伊雑宮、など、
無事にお参りすることができ、たいへん感激しました。

そして、一年の締めくくりのクリスマスは、
先日もこのブログに書きましたが、浜松で楽しく過ごしました。
翌日には浜松城を巡り、まさに、今年最後のオデカケを、
史蹟探訪にて終えることができました。

そんなこんなで、また新しい年がやってきます。
来る2017年も、まずは私たち夫婦ともども、またそれぞれの両親や兄弟が、
健康に過ごせるようにと、
また、このブログを読んでくださっている皆様の健康としあわせを、願うばかりです。



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イブ気分も増します

毎年、12月になると、クリスマスイブの過ごし方をどうしようか、
と、考えるのですが、今年は、仕事の都合で、
事前に予定をたてることができず、
さて、どうしたものかと思っていたのですが、
幸か不幸か、結果として時間に余裕ができてしまい、
急遽、どこかに行ってみようかということになりました。

もっとも、今年のクリスマスは、イブの前日の祭日を含めると、
三連休になるということで、どこもかしこも、混み合うことが予想されました。
どこかにでかけても、宿を確保するのはすでに難しいとも思えたのですが、
ヨメは外に出たくてウズウズしていますし、
私も、この時期を家で過ごすのは、もったいないように思えましたので、
とりあえず、見切り発車的に、出掛けてみることにしました。
出動車はヨメのプジョーです。
当初は目的地も定まらなかったのですが、連休中の天候が恵まれているという、
愛知県蒲郡市方面へと行ってみることにしました。

道は、クルマの数こそ多いものの、渋滞などもなく、
比較的スムーズに走ることができました。
こうして、走ることおよそ一時間半、当面の目的地である蒲郡市に到着。
しかし、やはりというべきか、ラグーナ蒲郡のあたりは、
かなり渋滞しており、駐車場に入るためのクルマが、長い列を成していました。

もともと辛抱強くない私たちは、クルマの列にうんざりしてしてしまい、
蒲郡の誇る遊興施設であるラグーナを、あっさりパスしてしまいました。
が、そうすると、他にいくところもないわけで、
とりあえずお昼ゴハンを食べ、またしても、さて、これからどうしよう、と、
作戦会議となってしまいました。

そこで、ヨメがスマホでいろいろ調べると、
静岡県の浜松市であれば、当日の宿も取れるというのです。
蒲郡市から浜松市へは、一般道を使っても、蒲郡市から一時間と少しで行けますし、
途中の国道1号線は、広く海沿いを走っており、
好天であれば、絶好のドライブコースです。

そんなわけで、なんとも行き当たりばったりな感じですが、
浜松市方面へと向かってみることにしました。

ちなみにこの日、前回モネの池にいったときと同じように、
またしても愛用のデジカメを家に忘れてきてしまい、大後悔!。
結局、また、スマホでの写真撮影となってしまいました。
ホントにアホです。

と、そんなことは忘れて、夕暮れのなか国道一号線を快適にドライブし、
(といっても、運転はヨメがしていましたが…)
いよいよ、浜松市へ到着…、かと思いきや、
その直前、かなりの渋滞にあってしまいました。
路上をノロノロと進むうちに、やがて日も暮れてしまい、イブの夜になってしまいました。
そういえば、以前も、浜松市に入ろうとして、渋滞にあったかと思います。
どうやら、この街に入るルートは、慢性的に渋滞しているようですね。

浜松市内のホテル

辛抱強く渋滞を乗り越え、ようやく予約したホテルに無事到着。
それにしても、こうしてホテルがとれたのは、まさに僥倖といってもいいかもしれまん。

ホテルからプレゼント

しかも、ホテルからクリスマスプレゼントもいただきました。
これにも大感激です。

浜松のイブ

チェックインをすませたあとは、浜松の街に繰り出してみました。
浜松の夜は初体験です。
イブの夜ということもあるのでしょうが、街はにぎやかで、
わが街岐阜市よりも、よほど活気がありました。
駅周辺をブラブラしたり、大型の家電量販店を覗いたりと、
とても楽しく過ごしました。

Xマスツリー2016

食事は、浜松の駅近くにあるメイワンというビル内の、
『とろろや』というところでとりました。
イブにとろろというのもヘンですが、なにしろもう年ですので、
健康志向に走ってしまいました。

とろろめし

麦ご飯にとろろ汁をかけていただくようになっています。
そこに、とろろの海老ネギ焼きをチョイスして、まさにとろろづくしにしてみました。
ヨメは六種の彩り膳を注文。
お酒も交えて、浜松の夜をチョー満喫です。
満喫しすぎて、おなかのことも考えず、さらにいろいろと注文してしまい、
食べ過ぎてしまいました。

家康くん

夜も更けてから、あたりを散歩。
街のそこかしこに、
来年の大河ドラマである『おんな城主 直虎』ののぼりや看板があり、
早くも、盛り上がっていました。

というわけで、当初はどうなることかと思った今年のイブでしたが、
とても楽しく過ごすことができました。

次の日も絶好の好天。
というわけで、ホテルからもほど近い、浜松城に行ってみることにしました。

浜松城は、徳川家康が18年の長きに渡って居城にした城であり、
武田信玄との戦である、いわゆる「三方原の戦い」は、
この浜松城時代に起こりました。

家康公像

こちらが浜松城のすぐしたにある、徳川家康像です。
それにしても、私は、今年、石田三成にまつわる場所を数多く訪れましたが、
こうして、家康のゆかりに場所にもきているわけで、
なんとも節操のない史蹟巡りをしているような気もします。

浜松城

こちらが浜松城の全景です。
それにしても、この日は、雲ひとつない好天で、
12月にしては思いのほか暖かく、途中で上着を脱ぐくらいでした。

城の入場料は200円とリーズナブルです。
しかも、場内には、解説をしてくれるガイドの方もいらっしゃって、
またしても、長々と話し込んでしまいました。
(ヨメはいつものことと、もうあきれています)

この城は、昭和33年に復元されたものだといいます。
そのさいに参考にされたのが、越前の丸岡城だったそうです。
現在の城の姿は、かつての姿を反映はしておらず、
考証的には、疑問の残るものだそうです。
歴史的な価値があるものは、野づら積みの石垣だけだそうです。

また、かつて存在した本丸は、
この場所から少し東にあたるところにあったそうで、
その建物も、どのような姿であったのかは、いまではわからないといいます。

城のなかの展示は、やはり、三方原の戦いにまつわるものが多く、
武田軍の進撃ルートや、戦いのさいの双方の陣形などが、解説されていました。
また、築山殿事件に関する展示などもあり、とても興味深く拝見させていただきました。
(三方原の戦いは、徳川が大敗を喫したものですが、それでも、
 有名な戦ということで、多くのスペースをさいて展示がなされていました)

結城秀康や、二代将軍になる徳川秀忠は、この浜松城で生まれたといいます。
ちなみに、徳川秀忠といえば、大河ドラマ『真田丸』で、星野源さんが演じていましたが、
ガイドの方と、星野源さんの話題で、ひとしきり、盛り上がってしまいました。
さすが、ヒラマサさん!。

馬上筒

城の二階にも展示品が多数ありました。
そのなかにあった銃のなかに、真田丸にも登場した、馬上筒がありました。
もう、興味津々です。

というわけで、またしてもミスマッチですが、
クリスマスの一日を、浜松城で思いっきり堪能してきました。
来年は、直虎の史蹟巡りをしたいなと思う次第です。



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名もなき池

先週の土日、所用のため、家 (実家) のある飛騨高山に行ってきました。
岐阜市に事務所を移してすでに1年と半年近くになりますが、
折りをみて、できるだけ家には帰るようにしています。
12月のこの時期、いつもの年であれば、高山にはすでに雪が積もっているのですが、
記録的なほどに雪の少なかった去年に引き続き、
今年も、いまのところは、さほどの降雪もなく、
(この先のことはどうなるかわかりませんが…)
雪に苦しめられる高山の人も、ほっと胸を撫で下ろしているのではないかと思います。

それにしても、岐阜市から高山に行くと、冬の寒さは、ひとしお身にこたえます。
もっとも、高山のいつもの冬から見れば、
まだ冷え込みもさして厳しくはないのですが、
それでも、岐阜市とは寒さとは、レベル違うという感じで、
いままで、こんな寒いところにいたんだなあ、と、ふと思うほどです。

ちなみに、この土曜の夜、高山市の観光名所である『古い町並み』では、
提灯の明かりによる、通りのライトアップが行われるということで、
せっかくの機会ですので、寒さをおして、
ヨメと実家の母親とで、出掛けてみることにしました。

私の実家から、高山の古い町並みまでは、歩いてほんの10分ほどで行くことができます。
古い町並みの西にある陣屋前まで行くと、ホテルの送迎バスが何台か停まっており、
どうやら、提灯ライトアップを見物させるため、宿泊客をこちらまで、
送迎しているようでした。
冬場の高山は、観光面においては、少し人出が鈍る時期でもあるためか、
ホテルも、この時期に高山に来てくれたお客さんに、
こうした手厚いサービスをしているのかもしれません。

提灯ライトアップ

ちなみにこの日、私は、いつも持ち歩いている愛用のカメラ『オリンパスXZ-1』を、
岐阜市に置き忘れてきてしまっていました。
出がけにカメラを忘れたことに気がついたのですが、
どうせ実家に行くだけだから、などと思い、取りに戻ることもしませんでした。
提灯ライトアップのことを知っていたら、絶対にカメラを取りに戻ったのですが…。
そんなわけで、今回はすべてスマホでの撮影となってしまいました。

街の雰囲気

こちらが夜の古い町並みの様子です。
写真だとあまり人がいないように見受けられるかもしれませんが、
実際には、けっこうな人出で、夜の観光が乏しい飛騨高山にとって、
この提灯ライトアップは、新たな観光イベントのひとつになるかもしれません。

それにしても、やっぱりスマホでは、うまく写真が撮れませんね。
ああ、とても残念です。
やっぱり、とりたてて予定がなくとも、クルマで出掛けるときは、
カメラを持っておきたいものです。

酒蔵

また、酒蔵では、できたての甘酒を無料で振る舞ってくれたり、
獅子舞があったりと、単なるライトアップだけではなく、
さまざまな催しもなされていました。
ジャズのコンサートもあったといいますが、
そちらの演奏時間には間に合いませんでした。

獅子舞

こちらが獅子舞の様子です。
冬場のこの時期に、町中で獅子舞を見るのは、なんだか不思議な気がします。

さて、翌日は、岐阜市に戻らなくてはならないわけですが、
ちょっと寄り道をして、いま、テレビなどでなにかと騒がれている、
通称「モネの池」というところに、行ってみることにしました。
この場所は、岐阜県関市というところにあり、高山市から岐阜市への帰り道に寄るには、
まさに最適といったところにあります。

とはいっても、モネの池のあるあたりは、
関市とはいえ、旧板取村という山のなかに位置していて、
実際にいってみたとしても、正確な場所が分かるかどうか、
ちょっと不安に思っていました。
(もちろん、googleで調べればすぐわかるでしょうが…)
ところが、道中、各所に見物客を誘導するための看板が出ており、
難なく到着することができました。

到着して初めて知ったのですが、この場所は以前、
ヨメのプジョー106テンサンラリーに乗って、花見にきた場所でした。
その当時から、モネの池と称される池はあったのかもしれませんが、
もちろん、いまのように有名ではなく、人の姿もまったくありませんでした。
ところがいまでは、駐車場にはたくさんのクルマが止まり、
天候はいまひとつだったものの、そこかしこに見物客の姿が見受けられます。
あまりの人の多さに、付近の印象まで変わったかのように見えました。
(お天気に恵まれていたら、駐車は難しかったかもしれません)

水鏡

駐車場から歩いて五分ほどで、モネの池と称される『名もなき池』に着きます。
こちらは『根道神社』という神社のふもとの池という感じで、
それほど規模も大きくはありません。

ただ、その水の美しさは息をのみます。
非常に透明度が高く、池の底が…、泳ぐコイの姿が…、クリアーに見ることができます。
当初は、実際にいったらちょっとがっかりするかも、などと、内心思っていたのですが、
そんなことはまったくなく、予想以上の美しい光景でした。
モネの池という愛称も、伊達ではありません。

名もなき池

とくに、色鮮やかなコイの姿が、水底の深い緑色と相まって、
絶妙な色のバランスを生んでいます。
スマホの写真でさえも、けっこうきれいに見えてしまいます。

鯉

ちなみに、コイたちは橋のしたで休息してました。
ヨメの話によると、この池にはハートのついたコイがいるとのことで、
見ることができれば、恋がかなうとか、幸せになるとか、
そんな伝説が作られているそうです。

というわけで、その後は、池のすぐうえにある、根道神社に参拝をさせていただき、
次いで、近くの観光案内所に寄って、ちまきを買ってきました。

高山から岐阜市への、ちょっとした寄り道でしたが、
思った以上に、楽しく有意義でした。

その後はホームセンターなどへ立ち寄って買い物をしたりしつつ、帰宅。
午後八時からは、じっくりと『真田丸』の最終回を見ました。
大河ドラマが終わると、いつも、この一年が終わるんだなあ、という感じがします。

というわけで、今回は、当ブログにしては、
写真がとても少ないものとなってしまい、
あらためて、カメラをもって出掛けなかったことを、
ふか〜く反省するばかりです。
今度は、ちゃんと愛用のカメラを持って、モネの池に出掛けたいものです。



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妙高山

とりとめもない話題をチマチマと、
そして細々と続けてきた当ブログ『K’s BAR』ですが、今月で、なんと、
開設から丸10周年を迎えることとなりました。
しかも、この10年、毎月、最低2回の投稿は、一度も欠かしたことがありません。
ズボラな私にとっては、それだけでもう、すでにたいへんな快挙といえるかと思っています。
なにしろ私は、mixiも、ツイッターも、facebookも、
どれも途中で面倒くさくなってしまって、半ば放棄状態にしてしまっているのです。
それなのに、なぜか、このブログだけは、今日まで続けることができたのです。

ちなみに、10年前といえば、ちょうどヨメと結婚した年にあたり、
いわばこのブログは、私たち夫婦の歩みのようなものでもあります。
10年が経って、そのぶん年を取ってしまったということになりますが、
いままで、ケンカをしつつも、夫婦円満で、健康で、ここまでやってこれたことは、
とてもありがたいことだと思っています。
というわけで、長きに渡って続いてきた当ブログの足跡を、
手前味噌ですが、ちょっと遡って辿ってみたいと思います。

○ K’s bar 記念すべき記事第一号はコチラ ~

2006年、このブログを始めた頃は、いまのような長い記事投稿はなく、
いたって短いシンプルな文章となっていました。
ひとつの記事にアップされている写真が、たった一枚のみということもあり、
複数の写真をアップすることが当然となっているいまから考えると、
信じられない思いもします。
そのためか、投稿の回数自体は、いまとくらべてとても多く、
けっこうバンバン書いていたんだなあ、と、あらためて思い出させられました。
が、数ヶ月も経つと、まずは写真が増え始め、
相対的に、文書量も長くなっていったように思います。

このブログは、おそらく、
読んだところで、それほど楽しいものではないでしょうし、
また、知識が深まるものでもないのだろうと思いますが、
自分としては、いまあらためて、過去の記事を読み返してみると、
「このときにこんなことをしていたのか」とか、
「この場所に行ったのは、このときだったのか」と、記憶が新たになるばかりです。
読む人がいてもいなくても、ブログを書いている意味は、充分にあるものだと、
深く思い至ったりしています。

ラグーナでのプジョー

いちばん多く投稿されているジャンルは、やはりクルマでのお出かけでしょうか。
この10年でヨメのクルマは、プジョー306からプジョー106になり、
いまはプジョー208になりました。
(でも、ずっとプジョーだったりします)
私のクルマはずっと変わらずMINIのままです。

白馬のMINI

私のMINIでも、ヨメのプジョーでも、けっこう険しい山道に分け入ったりしていました。
ヨメも、山道を走ることが、いまではすっかり好き ( ? ) になってしまいました。

竹島へ

こちらは、お気に入りの場所である愛知県の蒲郡です。
当時住んでいた飛騨高山から蒲郡に行くには、下道で6時間以上かかるのですが、
それでも、高速を使わず、泊まりがけで、ゆっくりと下道を走っていったものです。
岐阜市に拠点を移したいまでは、蒲郡はずっと近くなってしまい、
比較的気軽に行けるようになりましたが、そのせいで、
なんだか、ありがたみも薄れたような気がしてしまいます。

隧神門

信州もお気に入りで、よく出掛けました。
善光寺、戸隠神社、には、何度も参拝させていただきましたが、
それでもまた、行きたくなってしまう場所です。
ですがどちらも、岐阜市からは遠く、高山に住んでいたときのように、
おいそれとは行けなくなってしまいました。
それがとても残念なのですが、また機会を作って、行ってみたいと思っています。

2013夏のオイル交換

もちろん、クルマそのもののネタも…、
MINIやプジョーの話題も、たくさん取り上げてきました。
過去記事を読むと、私のMINIは、けっこう長いあいだ、
エンジンの息付きに悩んでいたんですね。
そういえば、もともと、MINIを購入した当初から、ごくたまにですが、
息付きの症状はあったかと思います。
その原因は何なのか、ということで、イグナイターが悪いんじゃないかとか、
いろいろ考えましたが、結局、富山市にあるMINI専門店で、
キャブを調整してもらうことで、解決することになりました。
いまは息付きもなく、快調に走っています。

入善でのテンサン

ヨメが以前乗っていた、このプジョー106テンサンラリーでも、
いろいろなところに行きました。
このクルマ、スロットルボディがダメだといわれていたんですが、それでも、
以後もかなりの長距離を乗りました。
ヨメも、いまさらですが、時々このクルマを懐かしがっています。

WB未調整画像

また、このブログを書き始めた頃は、
平成の大合併で飛騨高山に編入された、旧宮村というところに住んでいました。
その後、同じ村内の別の家に引っ越し、
今度は高山市内の実家に引っ越し、いまは岐阜市に拠点を移しています。
(ですが、家は高山市にあります)
というわけで、三回も引っ越ししているわけですが、
引っ越しって、ものすごくたいへんなんですが、決して、嫌いじゃないです。
新しい環境は、それはまた新鮮ですし、気持ちも切り替わりますね。

3D新作03

お仕事やイラストについても、いろいろとご紹介してきました。
といっても、ネットでの発表はできないものもあったり、
また、掲載の許可をいただくのが面倒だったりと、
紹介できないお仕事の方がとても多ったです。
もちろん、オリジナル作品であれば、自由に発表できるのですが、
なかなか作品作りもできずにいます。
ですが、これからもまた、できうるかぎりですが、
このブログで、お仕事紹介、イラスト紹介などもしていきたいと思っています。

さて、来年から、当ブログ『K’s BAR』は、11年目に突入します。
これからも、いまと同等のペースで更新していけたらと思っています。
つまらない話題も多い当ブログですが、これからもまた、
よろしくお願いいたします。



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アンフィビアン展のDM

昨年のちょうどこの同じ時期にも、
大阪のギャラリースプーンさんで開かれた企画展に参加をさせていただきましたが、
今年もまた、みなさまのご好意で、出展をさせていただくことになりました。
前回は爬虫類 (REPTILES - レプタイルズ -) がテーマとなっていましたが、
今回は、両生類 (AMPHIBIANS - アンフィビアン -) がテーマとなっています。

会期は、本日2016年12月5日(月) から、22日(水)までの、
およそ二週間となっており、比較的長いあいだ、展示をされることとなっています。
時間は午前11時から午後7時まで。最終日は午後5時までとなっています。
ですが、土日は休廊となっていますので、もし、
お出かけのさいは、ご注意をいただければと思っております。
場所は、大阪市中央区釣鐘町です。
地下鉄の駅では、天満橋駅4号出口がいちばん近いと思われます。
詳しくは、下記リンクをご覧ください。

○ 大阪 天満橋 ギャラリースプーン ~

前回の爬虫類に引き続き、両生類も、私にとってはあまりなじみがないもので、
制作にさいしては、いったいどうしようかと、けっこう悩みました。
当初は、変わった両生類を選んでみようかとも思っていたのですが、
結局、いちばんわかりやすい蛙を対象とすることにしました。

そんなわけで、蛙の資料をいろいろ調べてみたのですが、
その過程で見つけたのが『ヤドクガエル』という、毒を持つ蛙です。
この蛙は、とても色彩が鮮やかで、その鮮やかさが、ともすれば、
毒々しさを感じさせるようにも思います。
ですが一方で、どことなくかわいい雰囲気も漂っています。
そのせいでしょうか、この蛙は飼育用として人気があるともいいます。
(人の手で人工的に飼育されるものについては毒は発生しないそうです)

この色の鮮やかさとかわいい雰囲気に魅了され、
ヤドクガエルをShade 3Dにて作ってみることにしました。

以前にも当ブログで少し書きましたが、
ここ最近、Shade 3Dはポリゴン編集機能は大幅に強化され、
また、サブディビジョンサーフェイスを使うことで、
いままでは製作が困難だった生物的、有機的な形状も、
比較的容易に製作できるようになりました。
(こうした表現は、自由曲面では非常に難しいと思います)

今回の蛙の製作では、このポリゴン機能を活用しましたが、
いかんせん、生物的表現はもともと得意ではないというところもあり、
形状を詰め切れなかったところもでてきてしまいました。
このあたりは、今後も練習したり勉強したりしないと、いけないようです。

といいつつも、なんとか最初の蛙を完成させました。
蛙の体表はUVマッピングにて作成しましたが、UVの展開の仕方が悪かったのか、
一部のマップが伸びてしまったりと、いろいろと苦労しました。

ヤドクガエルは、イチゴヤドクガエル、キオビヤドクガエル、マダラヤドクガエル、
といった種類があり、それぞれ、色が違います。
ですので、その違いは、マッピングによって再現しました。
実際にはそれぞれ形状も微妙に違うのかもしれませんが、よくわかりませんでしたので、
マッピングにて対応することにしました。

こうして、三体の蛙を完成させてましたが、そのあと、
蛙同士をコードで結んで充電しているようにしようとしたのですが、
なんとなくレイアウトがかっこよくなく、また、
ゼンマイ機構を仕込んだりしようとしたのですが、これもいまひとつ、
ビジュアル的にピンときませんでした。

ヤドクガエル作品

というわけで、さんざん悩んだり試作を繰り返したにもかかわらず、
結局、なんの工夫もないまま、ただ単に蛙を並べるのみにしました。
こちらが、その作品になります。
おもしろみがない、のかもしれませんが、レイアウト的には、
これがいちばんシンプルで、かっこよく見えるのでは、と考えています。
また、背景が真っ白ですので、黒マットをつけて額装すると、
より映えるようにも思いました。

ちなみに、昨年の企画展のさいには、
大阪のギャラリースプーンさまにお邪魔をさせていただき、
普段お仕事でお世話になっているスプーンのみなさま、また、
参加をされていらっしゃるイラストレーターのみなさまと、
お話をさせていただきましたが、
あいにく、今回は、仕事や所用がたてこんでおり、大阪まで行けそうにありません。
たいへん残念ですが、もし、同様の機会があれば、そのときは、
ぜひ、会場で、みなさまの作品を拝見したいと考えております。

ちなみに、ギャラリースプーンさまの場所について、
再度、あらためて画像を交えてご紹介いたします。

スプーンさま所在地

Gallery SPOON special exhibition 2016
『the AMPHIBIANS』両生類
会期2016.12.5(mon) 〜 21.22(thu) 11:00 〜19:00
*土日はお休みですので、くれぐれもご注意ください。

また、スプーンのみなさまには、いつもお世話になっておりますが、
今回もまた、この企画展へのお誘いをいただき、たいへん光栄に思っております。
ありがとうございました。

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。



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石田三成公出生地

早いもので、気がつけば、すでに12月に突入してしまい、
2016年も、あと一ヶ月を残すばかりとなってしまいました。
今年は、どういうわけか、いつもの年よりも、
なんだかずっと時の経つのが早かったように思います。
(…というか、今年一年、いったいなにをしてたのか、と、いまさらながら思います)
いずれにしても、この年末も、書きたいネタはいっぱいあるのですが、
それらはまたおいおいアップすることにして、
そのまえに、まずは先月の出来事などをご紹介したいと思います。

今年の五月から、滋賀県内の各会場を使って行われていた、
石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』について、
当ブログではすでに二回ほどとりあげていますが、この企画展が、
先月末をもって終了となりました。
メインとなる三つの展示会場については、すてに見て回っているのですが、
今回は、サブ会場を順に巡ってみることにしました。

なぜ、そうまでして展示会場を巡るのか…、というと、
この企画展では、スタンプラリーも行われており、
計九つのスタンプを集めると、コンプリートになるということで、
ここまできたら、全部のスタンプを集めてみたいという気持ちが、
日々強くなってしまったからでもあります。

というわけで、まずは、長浜市石田町にある「石田会館」という施設に、
いってみることにしました。
石田町は、かつては石田村と呼ばれていた地域だそうで、
石田三成の生誕の地でもあるそうです。

石田会館

こちらがその石田会館です。
岐阜市の我が家から車で一時間半ほどで到着しましたが、
途中、かなり道が細いところもあり、
この道に入っていってだいじょうぶ?、と、ちょっと戸惑ってしまいました。
(でも、ちゃんと無事にたどり着きました)

館の手前が駐車場になっており、普通車であれば、
六台くらいが止められるスペースがあります。

この場所は、かつて石田三成のお屋敷があった場所でもあるそうです。
住所をよく見ると『長浜市石田町治部』となっており、
なんと、三成の官職名である『治部』の文字がつけられています。
それだけでも、この地域が、三成ゆかりの地であることを、強く物語っています。

郷土の名士である三成を讃え、ゆかりの展示物を納める場所としては、
まさに、うってつけであるといっても過言ではありません。

三成公歌碑

しかも、石田会館の敷地内には、このような歌碑まで建てられていました。
横柄者 (へいくわいもの) と呼ばれ、極めて敵の多かった三成ですが、
その才能は領国経営においても遺憾なく発揮されており、
領民に対しては、温情といたわりのある政策をとったといわれています。
関ヶ原の戦い以後、天下の大罪人として、徹底的に名誉を落としめられた三成…。
しかし領民は、徳川の時代になっても、密かに、三成を慕い続けたようです。

おりしもこのときは、空模様こそいまひとつでしたが、紅葉が美しく、
秋の深まりを感じさせる一日でした。

石田会館展示室

館内には三成にまつわる展示や、ビデオ映像などが流されていました。
また、撮影は禁止されていましたが、三成の生涯を絵にまとめた、
巻物の複製なども展示されていました。

小学生の力作

また、小学生の女の子が書いたという、三成にまつわる研究記録もありました。
そのページ数は膨大で、関ヶ原の戦いの東西両軍の戦力や、その顛末なども、
詳しく記してありました。
おそらく、執筆者の女の子は、将来は立派なミツナリストになることでしょう。

会場に詰めていた地元の男性が、館内を案内してくれたり、
三成の逸話や地域の伝承を、いろいろとお話をしてくださいました。
聞けば、この石田会館は、もともとは地元の公民館だったそうなのですが、
三成にまつわる品などを展示するなどして、一般の方にも、
解放するようになったとのことです。

この場所は、決して、交通の便利なところではないのですが、
それでも、この石田会館には、全国から多数の人が詰めかけており、
私たちが館内にいたあいだにも、
若い女の子や、母子の来訪があったりしました。

というわけで、ひとしきり館内を見学させていただいただき、
MEET三成展のスタンプをもらって、そのあと、
すぐ近くにある、三成の産湯を汲んだという井戸へ行ってみることにしました。

三成公の産湯

こちらがその井戸です。
民家のあいだにひっそりと佇んでいました。
この井戸は、平成12年位、復元されたものだそうです。

その後は、石田一族の供養塔があるという八幡神社に行ってみました。
かつて、この神社の地中からは、
意図的に破壊されたらしい五輪塔などが発見されたそうで、
調べたところ、それらは三成にまつわるものであると推察されたといいます。
おそらく、関ヶ原以後、村人たちは、徳川方から目を付けられるのを恐れ、
やむなく、五輪塔などを破壊して埋め、隠したものと思われます。
それでもなお、長きに渡って、密かに供養をされてきたといいます。
というわけで、私たちも、供養塔のまえで手を合わせてきました。

石田神社

毎年11月には、ここで法要が営まれるそうで、
そのときには、全国各地から、三成に思いを寄せる人たちが、
多数集まるといいます。
私も、来年は、法要に行ってみたいと思ってしまいました。

佐和山のふもとの寺

その後は、彦根市の龍潭寺へと行ってみました。
こちらも、紅葉がちょうど見頃でしたが、時間的にちょっと遅くなってしまったので、
MEET三成展のスタンプをいただいたあと、早々に立ち去ってしまいました。
次回は、もっと早い時間にきて、できれば、佐和山城趾に登ってみたいものです。

そのあと、日を改めて、残るスタンプラリーポイントへと足早に行ってみました。
まずは、米原市の松尾寺へ。
そしてその足で、彦根市の治部少丸へと行ってみました。

彦根治部少丸

治部少丸は、メイン会場ではないのですが、展示については、
彦根城そばの開国記念館よりも、内容が濃いように思われました。
室内にはジオラマなどもあって、とても楽しいです。

最後はMINIで出発

そしてまた日を改め、最後のスタンプポイントである、
米原市の成菩提院へと行ってきました。
前の二回は、ヨメのプジョーで出掛けましたが、
この日は私のMINIでお出掛けしてみました。

成菩提院

というわけで、成菩提院でスタンプをゲット。
これで、九つすべてのスタンプがそろったことになります。

スタンプラリーをやってみたのは、今回がはじめてなのですが、
やっぱり、こうしてスタンプがそろうと、なんというか、
ちょっとした達成感みたいなものがありますネ。

ただ、この成菩提院では、スタンプラリーの記念品はもらえません。
というわけで、以前にも行った観音寺へと行ってみることにしました。
観音寺は、三つあるメイン会場のひとつであり、ここであれば、
記念品を受け取ることができます。

大一大万代吉クリアファイルゲット

というわけで、観音寺会場で記念品をゲット。
記念品は、大河ドラマ『真田丸』で石田三成を演じている、
山本耕司さん直筆の大一大万代吉が大書された、クリアファイルでした。
また、九つすべてのスタンプを集めた人には、
豪華賞品があたる懸賞に参加ができるとのことで、さっそく、
応募してきました。

その帰り道、関ヶ原を通ったので、まだ一度も行ったことがなかった、
桃配山へと立ち寄ってみることにしました。

桃配山は、関ヶ原の戦いのさい、徳川家康が最初に陣を置いたところです。
関ヶ原主戦場より、かなり東に位置するので、
関ヶ原合戦祭りのときも、この桃配山に行くことはできませんでした。
というわけで、念願の桃配山来訪です。

といっても、国道21号線のほんのすぐそばで、駐車場にMINIを止めたら、
徒歩二分ほどで着いてしまいます。

桃配山-徳川家康最初陣地

ここが桃配山徳川家康最初陣地跡です。

山内一豊陣跡

そのあと、すぐそばにある山内一豊陣跡にも行ってみました。
山内一豊は、南宮山に陣取った、
西軍の毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、ら諸隊の、
いわば『抑え役』として、この地に配されたようです。

しかし、吉川広家はすでに徳川方に内通して、不戦の約束をしており、
それどころか、山上に陣取る毛利秀元の軍勢が下山するのを阻止し、
結局、関ヶ原の戦いの当日、いかなる戦闘もしないままに終わりました。

よって、山内一豊の軍勢は、南宮山の西軍とは鉾を交えることはなく、
関ヶ原の戦いの終盤に至っては、この地を引き払っているようです。

というわけで、関ヶ原合戦祭り2016以後は、お休みがくるたびに、
石田三成にまつわる史蹟を見て回る秋でした。

来年は、真田の史蹟を見て回りたいなあ、などと、
いまから、夢見ています。



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