垂井町講演会

前回も少し触れましたが、びわこジャズ東近江に行った翌日の日曜、
岐阜県の垂井町 (たるいちょう) というところで開かれた、
『世界一受けたい “関ヶ原合戦”』という講演会に行ってきました。
この講演会の講師は、Qさま、鉄腕ダッシュ!といった、
テレビのバラエティー番組で活躍されている『河合敦』さんという方で、
開催場所の垂井町は、戦場となった関ヶ原のすぐ東隣に位置しています。

垂井町は、羽柴秀吉の軍師であった『竹中半兵衛』の生まれ故郷で、
町にはいたるところに、竹中半兵衛の名を大書したのぼりなどが立てられおり、
また、関ヶ原合戦の前、会津征伐に向かおうとしていた大谷吉継が、
石田三成の説得を受け、西軍への同心を決意した場ともいわれています。

加えて、この垂井町には、関ヶ原合戦のさいに、
毛利、吉川、長宗我部、安国寺恵瓊、などが布陣した、
南宮山があり、いうなればこの町は、
関ヶ原合戦にも、深い縁を持っているといえます。
そんなわけで、今回、この地で、
関ヶ原にまつわる講演会が開かれることとなったようです。

垂井町文化会館

この日は、前日の土曜に引き続き、まさに絶好の行楽日和。
講演会に行くには、ちょっともったいないような日でもありましたが、
せっかくの青空を少しでも満喫できればと、ひさしぶりにMINIで出掛けました。
(ヨメは歴史の講演には興味がないので、この日は別行動にしました)

MINIで行く

講演会は午後2時からの開催となっていましたので、それまで、
垂井町から関ヶ原にかけて、しばらくドライブしてみました。
ですが、この地域の主要道である国道21号線がけっこう混んでいましたので、
早々に会場である垂井町文化会館に行ってみることにしました。
会場到着は午後一時。
講演会のはじまりまでまだ一時間もありますが、
それでも、駐車場は混み始めていました。

看板

講演会の入場は無料で、整理券もとくに配られません。
告知はそれほど大きく行われなかったようですが、すでにこのとき、
会場の大ホールに続く入口には、長々と行列ができていました。
これはかなり意外でした。
しかも、列をなしているのは、年配の方々ばかりで、
若い方はほとんど見られませんでした。
(この時点では私が最年少だったかもしれません)

時間が経過するうちに列はどんどん長くなり、やがては、
建物の中に収まりきらなくなり、まさかこんなにたくさん人が来るなんて、と、
ちょっと意外な思いがしました。
(みんな歴史が好きなんでしょうか…)

講演開始30分前に開場となり、
ようやくにしてホールの中に入ることができました。
なにしろ一時間前に現場にきて並んでいたので、
ステージから近からず遠からずの、まあまあよい席に陣取ることができました。
こうして、講演会が始まる頃には、開場はほぼ満杯となってしまい、
立ち見も出るほどの盛況ぶりを見せることとなりました。
これなら、講師の先生も、講演のやりがいがあるというものでしょう。

大谷吉継を描いた墨絵

ちなみにこのホールの壁面には、見事な水墨画が掲げられています。
聞けば、大谷吉継と、大谷とともに戦った平塚為広の絵だそうです。
かっこいいですネ。

そして定刻通り講演は始まりました。
講師の河合敦さんは、まず最初に、ここは関ヶ原に近く、
また、歴史への関心も高い地域なので、関ヶ原合戦にとても詳しい方も、
多数いらっしゃるのではないかと思います。
そんな場所で講演をさせていただくというのは、なにやら、
ちょっと怖い気もします、といったような趣旨のことをおっしゃっていました。

講演開始

講演は、本能寺で織田信長が討たれるあたりから始まりました。
その後の、秀吉の中国大返し、清洲会議、
そして秀吉が織田家筆頭家臣であった柴田勝家を、賤ヶ岳で破り…、といった具合に、
秀吉が天下人になるまでのいきさつを、お話しされました。
講演はステージ上のスクリーン画面とリンクしており、
とてもわかりやすいものでした。

そのとき、ちょっと気になったのは、小牧長久手の戦いのお話です。
講師の河合さんは、織田信長の次男である信雄を『のぶお』と、
発音していらっしゃいました。
これは『のぶかつ』ではないかと思うのですが…。
たしかに河合さんも『のぶかつ』とも読みますが、
といった説明を入れていましたが、のぶおという発音は、
私としては、はじめて聞きました。

そして話は、秀吉の死後、五大老のひとりであった徳川家康が、
横暴を極めていく過程へとさしかかります。
このあたりの話をすると、どうしても、家康は悪者になりますよね。
河合さんのお話も、どうしてもその傾向を帯びるようです。

そんなわけで、関ヶ原の合戦に至る経緯に、多くの時間が割かれ、
関ヶ原合戦当日の詳細な話については、
今回の講演では、期待したほど触れられませんでした。
そのうえで、講演場所が垂井町ということもあり、
南宮山に布陣した、毛利、吉川、などについては、
比較的、ウエイトを置いてお話をされていたかと思います。

講演は全部で一時間半ですが、そのなかでも、
町長や観光協会の方などの挨拶、質疑応答があったため、
正味時間という点では、それよりも、短かったかと思います。
この時間の中で、関ヶ原の戦いに至る経緯や、
合戦当日の各武将の戦いの状況を話すのは、
ちょっと無理があったのかもしれません。
(七将による石田三成襲撃事件などは、まったく触れられませんでした)
なので、もっとポイントやテーマを絞った講演のほうが、
よかったのかな、とも思いました。
ただ、そうすると、マニアックになりすぎて、お客さんの集まりは、
悪くなってしまうのかもしれません。

とにもかくにも、盛況のうちに講演会は終了しました。
その後は、ふたたび、好天を楽しもうと、ひとりMINIに乗り、
滋賀県方面へと向かってみました。

木之本町の駅で

というわけで、以前にも行った木之本町まで行き、そこから、
浅井長政の小谷城跡をかすめつつ、帰ってきました。

こうした講演会があれば、また、ぜひ行ってみたいと思います。



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びわこジャズ東近江

先週の土曜日に、滋賀県の東近江市で開かれていた、
『びわこジャズ東近江』という、ジャズイベントに行ってきました。
このイベントは、今回ですでに9回を迎えるとのことですが、
私は、そんな催しがあることを、いままで、まったく知りませんでした。
ですが、今年の3月に、MINIで三重県から滋賀県へとドライブをしたさい、
途中立ち寄った道の駅で告知チラシをもらい、はじめてその存在を知りました。

というわけで、そのときから、
「そんなイベントがあるのなら、ぜひ行ってみたい」と思っていたのです。
開催期日は、今月(4月)の22日(土)、23日(日)となっており、
日曜のほうが出演バンドも多いように思われましたが、
折しも23日には、岐阜県の垂井町 (たるいちょう) というところで、
関ヶ原の戦いをテーマにした講演会があり、
そちらも聞きにいってみたかったので、
22日の土曜に、東近江に行ってみることにしました。

この日の天候は青空が広がるすっきりとした晴天。
風こそすこし強いものの、絶好のドライブ日和、イベント日和でした。
このときの出動車は、ヨメのプジョー208。
運転もヨメでした。

プジョ−で行きました

なにしろ、はじめてきた町ですので、右も左もわからず、
ましてや、うまくクルマを止められるのか、
そのあたりもちょっと心配だったのですが、
ことのほかたやすく、駐車することができ、ホッとしました。

このイベントはまさに町ぐるみで行われるもののようで、
市内の各所に、複数の演奏会場が点在するかたちとなっています。
東近江市の、町並みはとても美しく整備されていて、
また、目抜き通りの歩道などは、とても広くて歩きやすく、
市内各所に一定の数の会場を立ち上げるには、
まさに最適の町といえるかもしれません。

メイン会場のフードコート

というわけで、まずは駐車場近くのメイン会場へ。
この会場は、東近江市市役所に隣接する広場が充てられているとのことで、
会場も広く、ステージもことのほか立派なものでした。
周囲には、さまざまな露店が並び、その中央にはテーブルが置かれるなどして、
いわゆるフードコート状態になっていました。
ちょうどこのとき、すでに時刻はお昼近くとなっていたため、
ここでお昼ご飯をいただくことにしました。
私はチーズたっぷりの焼きカレー、ヨメはやきそばをそれぞれ買い求め、
春の日差しが降り注ぐなか、すぐ近くの生け垣をベンチにしていただきました。
(なにしろ、フードコートはお客さんで満杯でしたので…)

このお昼時にも、メイン会場のステージでは絶え間なく演奏がなされており、
とても熟れた上手なバンドが出番を迎えていたのですが、
ジャンルとしては、ジャズとはいえないものだったので、
食事を終えたあとは、とりあえず、別の会場へと行ってみることにしました。
(ちなみに、どの会場でも、無料で演奏を聴けるようになっていました)
通りを駅に向かって歩いていくと、一定の距離を置いて、
にぎやかな演奏の音が聞こえてきます。

吹奏楽系のバンド

吹奏楽系のバンドもきていました。
私も、かつては吹奏楽部に所属していましたので、
こうした編成のバンドを見かけると、
つい懐かしくなって、自然に足が向いてしまいます。
でも、演奏されている曲目は、私の求めているものとは、
ちょっと違っていたかもしれません。

駅前のビッグバンド

こちらは、大編成のバンドです。
ホーンセクションが重厚で、迫力がありました。
ヨメからの情報によると、村田製作所の社員のみなさんで結成されたバンドだそうです。
ルパン三世、マイフェイバレットシングスなどを演奏していました。

駅の中でも演奏

そしてこちらは、駅のなかで演奏されていた、
アップタウンジャズユニットというバンドだそうです。
こちらはしっかりジャズしてました。

というわけで、さまざまな会場を渡り歩きながら、
行き着いたのが太子ホールという会場。
こちらは屋外ではなく、完全な室内演奏となっていました。
そんなわけで、部屋の照明もアンダーにされるなど、
ビジュアル的な面でも、いい雰囲気作りがなされていました。

クモジジャズ

出演バンドは、クモジジャズというそうです。
ハーモニカ、キーボード、ベースの三人による演奏ですが、
とにかく、ハーモニカがすばらしい。
哀愁のある、切ない響きが会場に流れます。
ジャズのハーモニカというのは、私はいままでにあまり聞いたことがなかったので、
それだけでとても新鮮な印象を受けました。
このイベントに足を運んで、よかったと思わせてくれました。
曲は、マスカレード、酒とバラの日々などでした。

その後は、トライアングルという会場へ。
こちらも完全な室内演奏。ここはふだん、喫茶店になっているようでした。
この時間は、くまおくというバンドが演奏をしているとのことです。
ただ、太子ホールでの演奏が終わってから、この会場にやってきたので、
すでに演奏は始まっていました。

ですので、途中からの入場になってしまい、バンドの方々には、
たいへん失礼をしてしまいましたが、快く会場に入れていただきました。
会場は先の太子ホールよりもずっと小さく、そのため、
バンドの方々の息づかいや表情が、間近で感じられました。

ジャズの演奏

こちらのバンドは、
サックス、コントラバス、ギターの三人という編成です。
コントラバスの、低く、それでいて軽快な響きが、暗く狭い室内にこだまし、
そこに、追走するようにギターが加わり、サックスの艶やかな音色が華を添える…。
会場の狭小さがさいわいして、室内には、
同じ演奏を共有するという一種の連帯感のような感覚が生まれているように、
私には感じられました。

いずれにしても、太子ホールの演奏に引き続き、
これぞ、私の求めていたものといえる、すばらしい演奏でした。
クモジジャズさんとの演奏時間が一部重なっていたため、
途中から聴くことになってしまいましたが、できれば、
このくまおくさんの演奏も、最初から聴きたかったです。

本イベントの参加バンドのなかには、
ジャズではない曲を演奏するグループもあり、
少しばかり違和感を覚えることもありましたが、
好天に恵まれた土曜のひとときを、臨場感あふれる演奏に間近に接し、
たいへん楽しく過ごすことができました。
ヨメも大満足とのことでした。

このイベントは、冒頭でも申した上げたように、
今年で9回を迎えるとのことですが、できれば次の10回目も、
ぜひ、きてみたいものだと思いました。
また、どこかの町で、同様のイベントがあれば、
そちらにも、行ってみたいと思っています。
岐阜、愛知、三重などで、ジャズイベントがないか、
いまから、捜してみなくては、などと、



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大樹寺山門と桜

先週末、徳川家康にゆかりのある『大樹寺』という寺に行ってきました。
大樹寺は、愛知県岡崎市にあり、浄土宗のお寺だといいます。

苦労人として広く世に知られる徳川家康ですが、
その世評の通り、家康は、幼少期の頃より、
尾張の織田の人質となったり、またその後は、
駿河、遠江を支配する守護大名「今川義元」の人質になるなど、
過酷な運命に翻弄されてきました。
この今川氏が、尾張を目指して侵攻すると、
若き家康 (当時は松平元康と名乗っていました) も、
今川方の名を受け出兵し、織田方の支城を落とすなど、
活躍を見せたといいます。

ところが、今川方の総大将である義元自身が、
桶狭間で、織田信長の奇襲攻撃によって打ち取られると、
大軍であったはずの今川軍はあえなく潰走…。
元康はこれを機に、今川方からの離反を決意し、
迫る織田軍の気配におびえつつも、
自らの領地である三河へと戻ることとなります。

元康は戻った三河の地で、まず最初にこの大樹寺に立ち寄り、
先祖の墓前の前で、織田方に打ち取られるくらいならと、
自害しようとしたといいます。
ところが、大樹寺の住職は、元康に「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説き、
早まった行為を思いとどまらせたといいます。

以後、元康 (家康) は、あらゆる戦場において、
この「厭離穢土 欣求浄土」の文字を旗指物として用い、
ついには、天下人秀吉に成り代わって、政権を握るに至るのです。

桜並木

この日は、春まっただ中の日曜だったわけですが、
前日の土曜から天候には恵まれず、一夜明けても、雨の気配が色濃く残っていました。
そんな、よろしくない日和にもかかわらず、取り敢えず出発。
途中、堤防道路を走りつつ、壮麗な桜の並木を見物したりしました。
(ちなみにこの日は、ヨメのプジョーにて出発しました)

その後、国道23号線に入り、名古屋市をすぎたあたりで国道1号線にスイッチ。
先日、MINIで岡崎市の味噌蔵を見学に行きましたが、そのときと、
ほぼ同じルートをとることになりました。

が、岡崎市を目前に道は大渋滞。
どうやら、岡崎城のある岡崎公園で、桜にまつわるイベントがあるらしく、
渋滞はそのためと思われました。

というわけで、少し時間をロスしてしまいましたが、
国道1号線から、国道248号線に入って北上。
ほどなくして、大樹寺に到着することができました。

大樹寺到着

が、やはりというべきか、大樹寺はかなりの人出で、駐車場は満杯。
かと思いきや、駐車場の奥にも、クルマが止められるスペースがあり、
なんとか、駐車することができました。

山門

こちらがその大樹寺の山門です。
建立されたのは、家康の孫である三代将軍家光の時代だそうですが、
大樹寺は火災で焼失しており、いまの建物は安政に再建されたものだといいます。
ですので、この山門も、後に再建されたものなのかもしれません。
(それとも、当時のオリジナルなのでしょうか…)

大樹寺

おりしも、ちょうど桜が咲いており、この地を訪れるには、
まさに絶好の時期だったかもしれません。
写真では、なんとなく青空っぽく見えますが、実際には、
けっこう曇っていて、このお天気だけがちょっと残念です。

というわけで、さっそく本堂のなかへ。
本堂には阿弥陀如来像が鎮座しており、その左右には、
金色の板に濃い緑の文字で「厭離穢土 欣求浄土」と大書してありました。
この文字を見るだけで、家康ゆかりの寺、という雰囲気が、
いやがうえにも醸し出されています。

本堂より先は拝観料が必要とのことですので、拝観料 (大人400円) を納めて、
奥へと見学に行くことにしました。

これより先は撮影が禁止されているため、
残念ながら、写真はまったくないのですが、
奥にある収蔵庫には、ふすま絵などが展示、保管されており、
また、宝物殿には、ご本人の身長と同じ寸法で作られた位牌が、
並べて展示されています。

昨年の夏、岡崎城公園にいったさい、案内をしてくださった観光ガイドさんから、
大樹寺の位牌のことを聞いていましたので、今回、こうしてようやく見学ができ、
感無量といった思いでした。

このなかで、とくに興味深かったのは『生類憐みの令』で知られる、
五代将軍綱吉の位牌です。
この位牌だけ、極端に高さが低いのです。
位牌の前に置かれた解説文によると、高さは約1メートル29センチとのこと。
(ほかの位牌は、ほぼ1メートル50センチ強といったところです)

これらの位牌は、きわめて正確な身長を再現していることが、
歴代徳川将軍の遺骨の調査結果と比較することで、証明されているといいます。
ということは、やはり、綱吉は、成人としては飛び抜けて小柄だったようで、
前出の解説文によると「綱吉の身長に対するコンプレックスが、
生類憐みの令につながったのではないか」とも記されていました。

また、最後の将軍である「徳川慶喜」の位牌がありません。
これはとても意外でした。
まあ、慶喜は、在位一年ほどでしたし、
もちろん、将軍として亡くなったわけでもないので、
唯一の「位牌がない将軍」ということも、納得できないわけではないのですが、
大政奉還を行った将軍として、極めて有名な人物ですし、
位牌がないというのは、なんとも解せない…、
というか、さみしい思いがしました。

ちょうどこのとき、位牌の展示室では、テレビ (NHK) のロケが行われており、
どうやら私は、撮影の邪魔をしてしまったようです。
それにしても、どんな番組のロケだったのか、聞いておけばよかったと、
いまさらながら、思うばかりです。
(もしかすると、大河ドラマの最後に流れる名所紹介かも…)

空も晴れて…

こうしてひととおりの見学を終えて、寺の外に出ると、
雲が晴れて、青空を見ることができました。
もっと早く晴れてくれればよかったのに、と、思うばかりです。

はるか彼方に岡崎城

このとき初めて気がついたのですが、ここ大樹寺からは、
山門を経て、まっすぐ前方に岡崎城が見えます。
近くにいた人たちも、みな、この景色を写真に収めたりしていました。
(もっとも、私が撮ったこの写真では、彼方の岡崎城は見えませんが…)

桜と青空

というわけで、そもそもの出発が遅かったがために、
このときはすでに夕方。
天候は尻上がりに回復してきましたが、結局その後は、どこにも立ち寄らず、
名古屋市を経由して、岐阜市へと帰ってきました。

それにしても、石田三成ゆかりの地にもずいぶん行きましたが、
家康ゆかりの地にも、思えばけっこう行っていますね。
岡崎城も行きましたし、浜松城や、関ヶ原の桃配山、陣場野、などにも行きました。
これからも、歴史に名を残している場所を、探訪したいものです。



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