りんりんにて

前回も少し書きましたが、11月はとても忙しく、
ブログの更新も、なかなかできなくなってしまいました。
そして気がつけば、今月もあとほんのわずかとなり、
それどころか、今年も、なんと残り一ヶ月ほどとなってしまいました。
昨年末も同じようなことを書きましたが、
なんだか今年は、時が経つのがとっても早かったように思います。

そんなわけで、今月はあまり書くネタがないのですが、それでも、
せめて月に二回はブログをアップしたい、という、かねてからの目標もあり、
今回は、今月に終えたMINIの車検について、自らへの備忘録という意味も含めつつ、
ちょっと書いておきたいと思います。

私のMINIは、今年の12月で車検を迎えることとなりました。
今回の車検も、前回同様、
飛騨高山に住んでいた頃からたびたびお世話になっていた、
富山市のMINI専門店にお願いすることにしました。

もちろん、ここ岐阜市近辺にも、MINIのスペシャルショップはあるでしょうし、
また、お隣の愛知県、とくに名古屋市方面にまで足を伸ばせば、
さらに多くの専門店があるかと思います。
ですが、かねてから顔なじみのところに、お世話になりたいという気持ちもあり、
ここ岐阜市から富山市まではいささか遠距離となりますが、
今回もまた、富山市までMINIを自走して持っていくことにしました。
折しも、高山の実家にも行かなければならず、ちょうどよい機会と思い、
途中、経由地に当たる高山で泊まるつもりで、富山まで行くことにしました。

車検の旅に向かったのは10月の終わり。
先にも述べたように、MINIの車検は12月となっており、
車検切れまでまだ猶予があります。
とはいえ、現在、深夜や早朝に車を出す必要があまりない私は、
ここ岐阜市に拠点を移してからは、MINIにスタッドレスタイヤを履かせておらず、
スタッドレス用のホイルも実家に置いたままにしていて、
雪のシーズンに富山までMINIを走らせるのは困難な状況です。

したがって、車検が切れるまで、一ヶ月以上の時間を残してはいるものの、
この先の降雪を考え、早めに車検を受けることにした、という次第です。
しかも、この10月末の時点では、私も、いまほど忙しくはなく、
富山行きがさほど苦でもありませんでした。
(もともと、ロングドライブは望むところですし…)

が、おりしも、車検のために富山市まで自走したその日は、なんと雨。
10月末とはいえ、かなり冷たい雨となってしまいました。
こんな天候の日に、古いクルマでのロングドライブは控えたいところですが、
MINIを持ち込む期日を前もって先方にお伝えしているため、
雨だからといって富山行きをやめるわけにも行かず、
どんよりと曇った空のもと、雨粒を受けながらのドライブとなりました。
(そのため、今回は写真がとても少ない状態です)

そんなわけで、土曜日の夕方、富山市に到着。
200キロをゆうに超える長い道のりでしたが、
もちろん、MINIは、いつものように、なんのトラブルも起こさず、
無事、富山市に到着しました。

もっとも、エンジンなど主要な部分についてはノントラブルの我がMINIですが、
先日行った奈良旅行の帰りから、時折、前輪の足回りから、
回転に合わせた異音がでることがあり、この点が、今回の車検で、
ぜひとも診てもらいところでもありました。

もっともこの異音、いつも出ているわけではなく、
かなりのロングドライブをしないと発生しないという曲者で、
しかも、逆にあまりにも走行距離が長いと、
今度は音が出なくなってしまうのです。

この同一の症状は以前にもあり、そのときはハブベアリングを交換することで、
ことなきを得たのですが、今回も、なんだそのあたりが怪しいように思います。

とにかく、富山に入った時点では音が出ないということで、
そのまま、症状だけを説明し、MINIをお預けし、代車で高山へと帰り、
その翌日に、岐阜市へと戻りました。

そして二週間後、車検完了の連絡を受け、ふたたび富山市へと向かいました。
が、この日がまたしても雨。
奈良旅行の時も、関ヶ原合戦祭りの時もそうでしたが、
今年はほんとうに、雨、雨、雨ばかりです。

というわけで、MINIを引き取り、各箇所の説明を受けました。
前輪の異音の原因は、おそらくはハブベアリングではないかということで、
こちらは、交換となったそうです。
ただ、これで完全に異音問題を解決できたかどうかは、わからないとのことです。

そのほかにも、キャブ調整など各部を点検、また一部の部品交換をしてもらいました。
(といっても、交換したところはハブベアリングを除くとあまりありませんでした)

ダブルレインボー

雨の中でしたが、そのまま富山市の市街を少し走って見ました。
エンジンは快調で、いままでよりもパワーを感じました。
キャブの調整などが効いているものと思います。

そのとき折しも、富山市内には虹が出たりしていました。
しかもよく見ると、この虹は、二重にかかっています。
写真でも、その様子がわかると思います。

こうして、何の問題ものなく、まずは宿泊地の高山まで戻りました。
このときはたしかに、前輪からの異音はありませんでした。

高山にて

その翌日は、高山から岐阜市へと変える予定の日でしたが、トラブル出しの意味も込めて、
もう一度、北の富山市まで走ってみて、そこでもし異音がでるようだったら、
そのままショップに直行し、もし問題がなければ、
金沢など北陸を経由して岐阜に帰ってみようと考えました。
なにしろこの日は、やっと晴れ間が覗く日ともなりましたし、
少し遠回りしてみようという気にもなりました。

というわけで、またしても富山市に向かったわけですが、
幸か不幸か異音は出ず、これならばもうだいじょうぶだろうと帰路についたのですが…。

勝山市にて

帰路の途中立ち寄った、福井県勝山市のコンビニで、
ギアをバックに入れたら、カタカタと異音が…。
このときはショックでした。
どうせ異音が出るなら、富山市ででてくれればよかったのに…。

でも、ここまできたら、もう岐阜市まで帰るしかありません。
というわけで、勝山市から大野市へ入り、そこから油坂峠を経由して、
岐阜県に入り、郡上八幡を通って岐阜市へと戻ってきました。

後日、富山の専門店にお電話をさせていただき、
またしても異音が出てしまった旨をお伝えしました。

そのさいにいただいたお話では、
『大きくハンドルを切ると音が出るのではないか』ということでした。
たしかに、普通に走っている時には音を感じることはまれで、
勝山市のコンビニで音が発生した時も、バックしつつ、
切り返しのためハンドルを切っています。

『おそらく、過去にドライブシャフトブーツが切れたりしている時に、
内部に水が入り、パーツにダメージを与えたのかも、
それが遠因となって、音をだしているのではないか』といったご指摘もお受けしました。
たしかにドライブシャフトブーツが切れていて、気付かずに乗っていたことは、
過去にありましたし、そのさいのことは、このブログにも書いたことがあるはずです。

いずれにしても、再度、修理をお願いしなければならないわけですが、
この次の週から、近年稀に見る速さで寒波が訪れるとのことですし、
また、私も、いろいろとお仕事が入ってしまって、
とても富山まで行くことはできなくなってしまいました。

その旨をお伝えすると、現時点でそのまま走っていても、それほど支障はないはずで、
また、春になったら、こちらによってください、とのことでした。
部品の交換は、車検のときにやっておけば、安くできたはずなので、
その値段で対応させていただきます、ともおっしゃっていました。

音が出る状態のクルマを乗るというのはちょっと気が引けますし、
名古屋あたりのどこかで一度見てもらうかなとも思っていたのですが、
そういわれてしまうと、まあ、春になるまで待つか、とも思ってしまいます。

このようなこともあろうかと、早めに車検を受けたわけですが、
結局、その甲斐もなく、冬を挟んでしまうというのは、なんとも、
気落ちするところですが、これも仕方ないかなと思っています。

けっこうきれいです

いずれにしても、またMINIを元どおりにして、心置きなく、
どこかにドライブに行きたいものです。



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関ヶ原決戦地

さてさて、ここのところ、すっかりブログの更新が滞ってしまいました。
というのも、11月に入ってから、お仕事が急に忙しくなってしまい、
ブログにまで、なかなか手が回らなくなってしまいました。
(先月は比較的ヒマだったのですが…)
そんなわけで、新規投稿記事を書いている時間は、いま、なかなかとれないのですが、
とはいいつつも、ブログをあまりに放置すると、そのうちに、
冒頭部分に広告などが表示されてしまい、みっともないコトになってしまうので、
ちょっとネタが古いのですが、先月 (10月) から今月にかけて巡ってみた、
関ヶ原古戦場の各陣跡などについて、いまさらですが、ご紹介したいと思います。

今年は、この11月に入ってからは、比較的天候に恵まれているように思いますが、
先月は週末ごとに雨が降るなど、空模様にはついては、
ツイてないことが、とても多かったように思います。
今年の関ヶ原合戦祭りは、10月の14日(土)、翌日の15日(日)だったのですが、
両日とも晴れの予報はなく、15日にいたっては終日雨とのことでした。
というわけで、とりあえず雨を避けて、14日の土曜日に、関ヶ原へと行ってみました。

今年は、司馬遼太郎の『関ヶ原』が映画化され、
好調な成績を残しているとの情報がありますので、その勢いを受けて、
関ヶ原合戦祭りも、例年にも増して盛り上がるのでは、と、思っていました。
ですが、実際に関ヶ原に行ってみると、人出については、
例年通りか、もしかすると、ちょっと少なかったかもしれません。
これもやはり、お天気のせいだったのかもしれません。

もし、映画『関ヶ原』に出演している岡田准一さんあたりが、ゲストとして、
この関ヶ原に来てくれたなら、祭りの来場者数は、おそらく劇的に変わったかと思います。
実際、去年の祭りの際に、大河ドラマ『真田丸』で石田三成を演じた山本耕史さんが、
笹尾山で屋外トークショーを行なったさいは、かなりの見物客で賑わいました。

映画『関ヶ原』にちなんだイベントについては、今回の祭りのさいにも、
監督のトークショーや、島津義弘役の俳優がゲストとして招かれるなど、
それなりにあったのですが、来場者を大きく増やすほどの効果には、
至らなかったかと思われます。

合戦祭り会場

こちらは、祭りのメイン会場となっている陣場野のあたりです。
さすがにこのあたりは、多くの人で賑わっていました。
私が関ヶ原に到着したのは、お昼少し前だったので、去年と同じように、
今年もまた、こちらで『勝鬨カレー』をいただきました。

長野剛ポスター

関ヶ原合戦祭りといえば、この長野剛さんのポスターも、
必須アイテム的な存在といえるかもしれません。
各武将の旗指物や、これらイラストが展示されていると、気分も盛り上がります。

と、会場をあちこち見物したあとは、昨年と同じように、
徒歩で、各陣跡を巡ってみることにしました。

まず最初に行ってみたのは、東首塚と井伊直政陣跡です。
両者は、ほぼ同じ場所に位置しており、陣場野からもほど近いのですが、
祭りの賑わいが嘘のように、首塚は訪れる人は少なく、とてもひっそりとしています。
もっとも、天下分けめの合戦を偲び、かつての戦さ場を巡るわけですから、
もののふの霊に哀悼の意を表すのも礼儀かと思い、こちらにはいつも行くことにしています。

陣場野

その次に行ったのは、田中吉政の陣跡と、徳川家康の最終陣跡です。
徳川の陣跡には、厭離穢土欣求浄土の旗指物が翻っていました。
旗指物というのは、なにかしら心躍るものがあります。
この厭離穢土欣求浄土の旗指物もそうですが、
武田信玄の風林火山の旗指物なども、かっこいいですね。
昨年、武田信玄の葬儀が行われたという会の恵林寺に行って来ましたが、
そこでは、風林火山のミニチュアの旗指物が、お土産として売られていました。
いまさらですが、買っておけばよかったかも、と思うことがあります。

笹尾山

その後は、石田三成と島左近の陣があった笹尾山へ行き、そこからさらに、
島津義弘の陣跡へと徒歩で向かいます。

島津義弘陣跡

今年の合戦祭りのテーマは、この島津義弘だそうで、関ヶ原文化会館には、
島津義弘をモチーフにしたお土産屋さんもありました。
売り子さんたちは鹿児島の人たちだったようです。
関ヶ原合戦のさいには、積極的な参戦をしなかった島津勢ですが、
自らが与した西軍の敗北が決定的になると、薩摩へ帰陣するための撤退戦を開始します。
通常であれば、撤退とは、強力な敵を避けて後ろに下がるものなのですが、
島津勢は、徳川家康の本陣めがけて、前進するかたちで撤退します。
このような撤退は、軍事的に非常識なのでしょうが、島津勢は、
多大な犠牲を出しつつも、結局、この撤退を成功させ、薩摩へと帰るに至ります。
薩摩勢がいかに強かったか、推して知るべしですね。

宇喜多秀家陣跡

その後は、小西行長、宇喜多秀家の陣跡を巡り、大谷吉継の墓へと向かいました。
大谷吉継の墓のある場所は、いつ訪れても、すがすがしさを感じますし、
また、心が落ち着くように思います。

西軍から東軍へと寝返った小早川秀秋は、大谷隊への攻撃を開始しました。
しかし大谷は、この寝返りをすでに予見しており、小早川隊の猛攻を、
少ない手勢で何度も追い返すことに成功しています。
とはいえ、小早川にならって、脇坂安治をはじめ、赤座、朽木、などの諸隊も、
東軍への寝返りに転じたために、ついに大谷は、抗し切れなくなります。
四面楚歌となった大谷隊は崩れ、ひいては西軍そのものも総崩れとなってしまいます。
西軍の敗北を悟った大谷は、東西両軍の中でただひとり、自刃しました。

大谷吉継墓

自刃のさい、大谷の胸には、無念や失意の思いがあったかと思われます。
ですが同時に、重い病を患いながらも、日ノ本を分ける大いくさを成し得たこと、
そしてたとえいっときにせよ、東軍を劣勢に追い込めたことに、
本懐を遂げたといった心持ちもあったのかもしれません。

この場に来て、澄んだ空気のなかに身を置いていると、
最後の瞬間の大谷吉継の心情に、いつも、思いを馳せてしまいます。

その次に目指したのは、裏切り者として名高い小早川秀秋の陣があった、松尾山です。
前年にも登った山ですが、今回も、また挑戦してみることにしました。
が、体力が落ちたのか、とにかく、今年の松尾山登山は、本当にしんどかったです。

松尾山の苦しい道

道の途中までは、比較的スイスイとあがったのですが、途中の階段から、
どうにも息が上がってしまい、なかなか足が前にでなくなってしまいました。
う~ん、この日は、私の誕生日の1日前で、翌日には55才になろうとしていました。
やっぱり年なんでしょうか…。トホホです。

とはいいつつも、なんとか登り切りました。
陣跡には誰もおらず、まったくのひとりきり。
ちょっとさみしい気もしましたが、ゼイゼイと肩で息をしていたので、
人がいたら、恥ずかしかったかもしれません。

小早川秀秋陣跡

というわけで、記念撮影。
小早川の旗指物が翻っていました。

そんなわけで、この松尾山で体力を消耗してしまい、また、出発が遅かったため、
この日は、松尾山を最後に、関ヶ原をあとにすることとなりました。
島津勢が最後に壮絶な戦いを繰り広げたという『鳥頭坂』にも行きたかったのですが、
ここでギブアップです。

まあ、無理をすれば、鳥頭坂に行けなくもなかったのですが、
昨年の関ヶ原巡りのさい、全陣跡を巡ることに固執して無理をして歩いたため、
両足の爪を剥がしてしまう、という悲惨な事態になりました。

爪を剥がしてしまったとしても、結局は自然に治るのですが、
それまでには半年以上もかかり、できれば、もう二度と、爪は剥がしたくないものです。
というわけで、今年は早々に切り上げることにしました。
(とはいえ、ここで、西首塚にまだ行っていないことを思い出し、
急遽、向かうことにしましたが‥)

鳥頭坂

後日になりますが、鳥頭坂には、ヨメのクルマで連れて行ってもらいました。
前回きたときにはなかった、アクリル製と思われる立派な看板が立っていました。
この看板は、関ヶ原の各陣跡に、すべて立っていました。
しかも、たくさんの島津の旗指物も立てられており、
ずいぶんと様変わりしたように見受けられました。
関ヶ原町も、いろいろとがんばっているようです。

奥平貞治墓

また、こちらは、小早川隊のなかに目付として潜入していた、
徳川家康の旗本である奥平貞治のお墓です。

西軍についた小早川秀秋ですが、かねてから東軍の調略を受けており、
合戦時には徳川方に寝返ると密約を結んでいました。
ですが、ほんとうに寝返ってくれるのか、それを心配した徳川家康は、
自分の配下の者を、目付として、小早川隊に送り込みました。
それがこの奥平貞治です。

この場所は関ヶ原古戦場からは少し離れているため、いままで、
きたことはなかったのですが、鳥頭坂同様、ヨメに連れてきてもらいました。
ただ、こちらは、駐車場がなく、しかも周囲は民家が建て込んでおり、
ほんの一瞬の来訪でした。

桃配山

さらに後日、徳川家康最初陣地である、桃配山にもいってきました。
この場所は、今年の11月から、安全対策工事のため、来春まで閉鎖になるとのことで、
この機に行かねばと足を運びました。

閉鎖になるのは、桃配山だけでなく、大谷吉継の墓も含まれるそうです。
そんなわけで、大谷の墓にも、今年の見納めとばかりに、再訪しました。

このときはヨメとふたりでいってきましたが、ヨメも、
ここの空気は落ち着くね、などといっていました。
おそらく、誰がきても、そう感じるのかもしれません。

というわけで、今年も、417年前の関ヶ原合戦を偲び、
各陣を(といっても、すべての陣ではありませんが)、行脚しました。
来年の春にも、また、あちこち歩いてみたいと思っています。



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