MINIでのドライブ

お盆を過ぎたあたりから、ずいぶんと涼しく感じられることが多くなりました。
もっとも、まだ油断は禁物で、猛暑がふたたび盛り返してくる恐れも、
多分にあるかとは思います。
(なにしろ、昨日はやけに蒸し暑かったですし……)
とはいいつつも、秋の気配は着実に迫ってきているようで、
朝晩は、かなり過ごしやすくなってきました。

それにしてもまだ8月!。
考えてみれば、今年は、涼しくなるペースが、ちょっと早いような気がします。
昨年の2018年が記録的な猛暑の年だったので、
今年は、いくらかまだマシに感じられるのかもしれませんね。

というわけで、先週の日曜日、真夏のあいだは暑くて乗れなかったMINIで、
久しぶりに、ドライブに出かけてみることにしました。
なにしろエアコンもなく、ラジエーターの電動ファンもない我がMINIは、
夏場のドライブは、たいへん厳しいんです。
(車にはオーバーヒートの危険がつきまとい、運転手には熱中症の危険がありますから)

今回は、ちょっとひさしぶりに、北陸方面へと出かけてみることにしました。
といっても、毎度のことながら、私たち夫婦は、朝のうちはなにかとノロノロしていて、
結局、出発したのが午前10時過ぎとなり、当初予定していたコースを走ることは、
時間の関係上、断念せざるを得なくなりました。

私も、年のせいか、夜の運転が苦手となり、
(MINIのライトが暗い、ということもあるのでしょうが)
昔のように、夜遅く帰ってくるということを、避けるようになりました。
それでも、当初の目的地である福井市までは、
とりあえずドライブしてみようということになりました。

この日、お天気は、晴れているように見えつつも、
時折、鈍色の雲が張り出して雨がぱらつくこともあるという微妙なもので、
なんともすっきりしませんでした。
かと思うと、急に青空になったりと、とても目まぐるしいものでした。
ここ最近の天気は、ほんとうに先が読みにくいです。

というわけで、まずは国道21号線を西に向けてひた走り、
関ヶ原を越えたあとは、国道365号線に乗り換え、滋賀県にある小谷城方面へと向かいます。
小谷城を超えて北へ進み、木之本から余呉湖方面へと向かい、そのまま、
北へ北へと進んでみました。

久しぶりのMINIドライブ

越前市の手前で、今度は国道8号線に乗り換え、さらに北へと走ります。
こうして、下道を走ることおよそ三時間半後、目的地の福井市に到着しました。

福井市に到着する頃には、すっかり晴れ。
さっきまで小雨がぱらつくこともあったのに、一転して青空です。

福井市到着

この場所は、柴田神社(北ノ庄城址)の臨時駐車場となっている場所です。
柴田神社まではちょっと距離がありますが、
(といっても、ぜんぜんたいしたことない距離なんですが……)
とりあえず、歩いて柴田神社まで向かってみることにしました。

福井市の空

もっとも、空は晴れているものの、ところどころに鈍色の雲が張り出していて、
なんとも不穏な空模様です。
でも、もちろん、晴れているにこしたことはないですよね。

福井市駅前方面

こうして福井市内を歩くのは、何年ぶりでしょうか……。
この街には、北ノ庄城址のほか、福井城など歴史的な遺物が多数あり、
いつかは、それらを巡ってみたいものです。
もちろんこの日は、出発が遅かったために、そんなことはできませんでしたが。

柴田神社到着

ほどなくして、柴田神社に到着しました。
もう、ほんとうに久しぶりです。五年ぶりくらいなのかな。
以前、この場にきたときは、たしか、
大河ドラマ『江 〜姫たちの戦国〜』を放映していた年だったように思います。

柴田勝家公

城址公園の中央には、柴田勝家公の像が鎮座しています。
堂々たるポーズ、荒々しい表情、まさに鬼柴田といった雰囲気です。

天正十年、本能寺の変によって、天下統一間近であった織田信長が横死しました。
この一大政変は、信長の家臣である明智光秀が起こしたクーデターでしたが、
光秀は、変のあと、思うように味方を得ることができず、ほどなくして、
同じ織田の家臣である羽柴秀吉により、あっさりと駆逐されてしまいます。

その後、織田家家中では、誰が信長の遺産を引き継ぐかで、
激しい確執が起きることとなります。
この争いで主導権を握ったのが、光秀討伐をはたした羽柴秀吉でした。
秀吉は、信長亡き後の織田家の行く末を決める『清洲会議』で、
信長の嫡孫『三法師』を担ぎ出し、会議の主導権を握ります。

が、織田家の筆頭家老である柴田勝家が、そんな秀吉の増長を快く思うはずはありません。
秀吉 vs 勝家の対立は、やがて『賤ヶ岳の戦い』という武力衝突にまで発展してしまいます。
この戦では、柴田側についたはずの前田利家が、独断で兵を引き上げてしまい、
以後、柴田側の軍は不利となってしまいます。

北ノ庄城イラスト

破れた柴田軍は、ここ北ノ庄城に落ち延び、最後は爆死したともいいます。
柴田勝家の敗北は、秀吉を天下人に押し上げる、
第一歩となったともいえるのではないでしょうか。

石垣跡

公園内の石垣は、かつての北ノ庄城のものではないようです。
ですが、石垣の遺構は、いまでも見ることができます。
それがうえの画像なのですが、もはや石垣という体は成しておらず、
無造作に転がる巨石といったような状態となっています。

というのも、のちに福井城が築城されたさい、ここ北ノ庄城にあった石垣群は、
福井城の石垣にすべく解体され運ばれたらしいのです。
敗者が築いたものは後世には残らない、ということなのでしょうか。

浅井三姉妹

北ノ庄城には、柴田勝家に輿入れしたお市の方と、
お市の方の娘である浅井三姉妹が生活していました。
うえから、茶々、初、江、ですね。

茶々はその後、秀吉の側室となり、秀吉の子である『秀頼』を生みます。
ですが秀吉が死ぬと、秀吉に臣従していたはずの徳川家康が、にわかに不穏な動きを見せ、
関ヶ原の合戦後には、政治権力は完全に徳川のものとなってしまいます。
抜群の知力と人心掌握の術をもっていた秀吉ですが、
自らが獲得した権力を、後の世代に伝えることはできませんでした。

その後は、隣接して建つ北ノ庄城址資料館へ。
こちらは、北ノ庄城にまつわる資料などを展示した建物になりますが、
土日には常に歴史解説をしてくださるボランティアの方が詰めているとのことで、
今回も、柴田勝家をはじめ、歴史にまつわるいろいろな話をお伺いすることができました。

移築された橋

こちらは、資料館をでたすぐのところにある橋です。
もっともいまでは、橋の機能は果たしていないのですが、
歴史的遺構ということで、ここ柴田神社に移築されてきたものだといいます。

この橋は、奥の側が石材で作られており、反対の手前部分は木材で作られています。
こうした二種の素材を使用している理由は、有事の時に、木材で作られた部分を破壊し、
敵の侵攻を防ぐためだったといわれているそうです。

作られたのは、結城秀康が福井藩の藩主となったころだともいわれているそうで、
もし、その説の通りなら、当然のことながら、関ヶ原の合戦のあとのことになります。
天下の趨勢は徳川になったあとですが、大坂には豊臣家が以前残っており、
いまだ戦への警戒感が残っていたために、こうした、有事を想定した橋を、
建築したのかもしれません。

というわけで、気がつけば午後四時近くになっていました。
思いのほか長居をしてしまい、
このあと行ってみようと思っていた『グリフィス記念館』には、
時間的に、行けずじまいになってしまいました。

次回は、もっと朝早くから、行動したいものです。


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俺のロボ展フライヤー表面

前回の投稿記事でも少し触れましたが、本年の11月から、
渋谷パルコにて「ゆけ!!俺のロボ展 レトロフューチャー編」が開催されます。
今回は、私も参加をさせていただくこととなった、その企画展の内容や、
出品する作品について、少しご紹介をしていきたいと思います。

私は、この「ゆけ!!俺のロボ展」という企画展に、
今回はじめて参加をさせていただくのですが、
企画展そのものは、今回で、3回目になるとのことです。
最初のゆけ!!俺のロボ展は、東急ハンズ新宿店 (タイムズスクエア) で、
2017年の年末から年明けまで開催されたといいます。
また、2回目のロボ展は『神話編』というテーマが新たに設定され、
東急ハンズ池袋店で、2018年の10月下旬から11月中旬まで開催されたといいます。

そして今回の俺のロボ展は『レトロフューチャー編』というテーマとなり、
場所を東急ハンズ渋谷店に変えて、本年2019年の11月から、
同月の末まで開催される予定です。

○ ゆけ!!俺のロボ展 レトロフューチャー編 ~

テーマがレトロフューチャーとなったことで、今回、私にも、
お誘いの声がかかりました。
いままで、私は、大阪のスプーンさんで、
何回か、グループ展に参加させていただきましたが、
東京での企画展参加は、今回がはじめてとなるかと思います。
今回参加のみなさんは、ほんとうに、すばらしいクリエイターの方ばかりですので、
私のような田舎者が参加して良いのだろうかと、ちょっと気後れも感じてしまうのですが、
せっかくお声をかけていただきましたので、精一杯、時間の許す限り、
作品制作に打ち込みたいと思っています。

俺のロボ展フライヤー裏面

また、この企画展に合わせ、俺のロボARTコンテストも、開催されるとのことです。
申し込みの締め切りは、本年2019年の9月末とのことですので、
興味のある方は、ぜひ、参加してみてください。
詳細な情報は、以下のサイトにアップしてあります。

○ 俺のロボART展 開催概要&募集要項 ~

企画展の出展作品も、コンテストに応募される作品も、
どちらも、立体作品がとても多いと思いますので、
イラストに興味がなくても、模型好きの方、また、特撮好きの方にも、
充分、楽しんでいただけるものになるのではと思っています。

さて、では、私の作品について、ほんのサワリ程度ですが、
ご紹介をしたいと思います。
じつは、かねてから、今回のような企画展に出そうと、
いくつか試作を進めていたものがあります。

ロボスケッチ

そのひとつがこちらです。
レトロフューチャー というか、スチームパンク系のロボットを、
エンピツにて、スケッチしたものです。

イメージとしては、レトロなバイクが人型になって立ち上がったような、
そんな雰囲気を狙ったのですが、私の技量不足、センス不足により、
当初思い描いていたイメージやテイストと、ちょっと違ったものになってしまいました。

ロボ着色

といっても、けっこう細部まで描いてしまったので、
とりあえず、クリップスタジオペイントを使って、簡単に着色もしてみました。
ですがやはり、もととなるロボットのデザインが、あまりよくないなと、
あらためて感じてしまいました。
インパクトにも欠けますし……。

というわけで、別に人型にこだわらなくてもいいや、と思い直し、
次に試作したのが、こちらになります。

多足歩行機モデリング

タイムドタバッタン風の、バッタ型ロボットを作ってみました。
イメージソースは、第一次世界大戦に登場した、世界初の戦車である、
マークI戦車(菱形戦車)です。
車体各所にリベットが無数に打たれた、レトロな雰囲気を狙ってみました。

多足歩行機案

というわけで、迷彩塗装がなされている状態を想定してレンダリング。
クリップスタジオペイントで、いろいろと画像処理をかけてみました。

これはこれで、私としては気に入っていたのですが、
先日、千駄木で行われた顔合わせ会の時に、ロボはやはり、
人型のほうがよいとの意見があるとのことで、急遽、作品を変更することとなりました。
たしかに、人型のほうが、アピール度は強いかもしれませんね。
(でも、この菱形戦車型ロボもお気に入りなので、いずれ、どこかで、
発表したいものです)

というわけで、初心に立ち返り、
最初にエンピツスケッチしていたロボットを再考することにしました。
とはいっても、クリップスタジオペイントを用いたドロー系のイラストではなく、
3DCGを使って、作品を作ることにしました。

まず、ロボットのインパクトが足りないという点について、考えてみました。
その過程で、イメージを固めるうえでの資料画像を集めてみました。
そのなかで、とくに印象に残ったのが、プラネタリウム用の投影用機械と、
古い耐圧潜水服、バチスカーフ(深海作業艇)です。
これらはどれも、どこかユーモラスで、同時に不気味感、不思議感もあり、
インパクトも充分あるような気がします。

こうしたメカを取り入れるかたちで、ロボットをデザインしてみました。

ロボモデリング

深海作業艇のように、角度を変えて丸窓がいくつもついているような、
そんな感じが、かっこいいのではないか、と思っています。

この俺のロボ展の作品進捗については、当ブログで、
定期的に取り上げていきたいと思っています。
(当ブログで使用されるイラストにはすべて著作権があります。
無断使用等はご遠慮ください)


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