犬山城

1月半ばの三連休最終日。
ヨメの車で、愛知県の犬山まで、ドライブがてら行ってみたのですが、
予想以上の混雑のため、空いてる駐車場をうまく見つけ出すことができず、
やむなく、そのまま帰ってきてしまいました。
(前回の投稿記事でも、この話を少し書きましたが)
でも、やっぱり、犬山にいってみたい……。
というわけで、その翌週にあたる19日の日曜、再度、犬山行きにチャレンジしてみました。
今回は、そのときの模様を、写真を交えつつ、ご紹介したいと思います。

犬山は、現存十二天守である『犬山城』がある街で、
ここ岐阜市から、さほど遠くはありません。
ですが、私が岐阜市に拠点を移して以後、すでに数年経つにもかかわらず、
いままで、犬山に行く機会が一度もありませんでした。
(あまりに近場過ぎて、スルーしてしまっていたって感じでしょうか)

というわけで、今回は、あらかじめ車を止められそうな駐車場のアタリを、
つけておいてから出かけてみました。
そのおかげで、現地で時間を浪費することなく、難なく駐車できました。
よかった、よかった。
しかも、お天気も、晴天とまでは行かないまでも、
まあまあの好天で、気温もさほど低くなく、ちょうどいい具合でした。
(なにしろ今年は、昨年末に引き続き、暖冬傾向が続いていますから)

私は、子供の時に、両親に連れられ、この犬山城にきたことがあるはずなのですが、
当時は、当然のことながら、お城にはまったく興味がなく、なんの記憶もありません。
城の周辺を眺めても、城下町を見ても、まったくなにも思い出せません。
ですので、とても新鮮な気持ちで犬山観光することができました。

いざ登城

こちらは、城にあがる道の手前にある、稲荷神社です。
当初は、この神社を通って行かないと、城に行けないのかと思ったのですが、
どうもそうではないようですね。
でも、せっかくですので、きちんとお参りさせていただきました。

道を登る

そして、城への道を上がります。
この日は、三連休などではなく、ごく普通の日曜だったのですが、
それでも、見物客の人たちは、かなり多いように見受けられました。

料金はひとり550円です。
大河ドラマ館より安いです。
同じお金を使うなら、犬山城のほうが断然いいかも!。
なにしろ、本物のお城ですし……。

天守閣

そしてついに、国宝犬山城の天守閣前に到着。
いつか来ようと思いつつもなかなか犬山行きがかなわったわけですが、
ここにようやく念願達成です。感激です。

この城は、天文六年に信長の叔父に当たる織田信康が築城したと言います。
天文六年といえば、甲斐の武田晴信が、父信虎を駿河に追放して、
実権を握った年ではなかったかと思います。
その後、城主は織田信清に変わりますが、信清は、信長とは対立したため、
城攻めに逢い、以後、池田恒興が城主になったといいます。

信長が本能寺の変で横死すると、今度は、信長の家臣であった羽柴秀吉が台頭します。
そんな秀吉を快く思わなかった織田信長の三男、織田信雄が、
徳川家康とタッグを組み、秀吉と対決します。
これが世に言う『小牧長久手の戦い』となるのですが、
犬山城は、この戦いにおいて、秀吉側の陣となりました。
天正の昔の、しかも戦を経た城が、いまもこうして残っていることに、
ちょっと感動してしまいます。
(城の外観は、小牧長久手の戦いの当時と、違うのかもしれませんが)

内部の石垣

というわけで、さっそく城の中にはいってみます。
こちらは、はいってすぐのところにある石垣です。
これも当時のものなのでしょうか……。

彦根城などの現存十二天守はどれもそうなのでしょうが、とにかく、
城は階段の傾斜が急で、手すりを掴んでないとかなり危険。
しかも、入場者が多いので、転んだりしようものなら、将棋倒しになりそうです。
というわけで、一歩一歩、慎重に登ります。

それにしても、この古い建物に、こんなに観光客が入っても、大丈夫なのでしょうか。
補強工事とか、してあるのかな。

最上階到着

各階を見物するのはあとまわしにして、まずは、最上階へといってみました。
ここは、それほど広くはありません。
まあ、天守閣って、飾りみたいなものですしね。

小牧山城が見える

外に出ると、街の風景が一望できます。
この先には、小牧山城と思われる小山が見えました。
当時も、こんな感じで、家康が陣とした城が見えたんでしょうね。
(すみません。この写真だとちょっとわかりにくいですね)

美しい風景

反対側に回ると、木曽川が一望できます。
犬山城は、この木曽川を自然の堀として活用し、背後の防御を図っています。
まさに天然の要害といったところでしょうか。

この城は、大坂夏の陣のあと、元和になってから、
家康の重臣である成瀬政成が入場し、以後、世代交代を繰り返しながら、
明治期まで城主を勤めます。
ごく最近まで、この城は、成瀬家の個人所有でもあったそうです。

城郭

というわけで、城をたっぷりと堪能してきました。

空堀

また、城の外には、こうした空堀と思われる遺構もありますので、
周辺散策もしっかりしておきたいものです。

城下のにぎわい

そのあとは、犬山の城下町へと足を運んでみました。
このあたりは、とにかく、たいへんな賑わいです。
犬山の街って、こんなに賑やかなところだったんでしょうか……。
あまりの観光客の多さに、びっくりです。

古い邸宅

こちらは、街中にある古い家です。
旧磯部家住宅というそうで、無料で見学できます。
邸内にいた案内の方によると、この家屋が建てられたのは、幕末の慶應らしいです。
大政奉還のほんの少し前くらいなのでしょうか。
こういう建物がタダで見ることができるのが、なんともふとっぱらというか、
ありがたいです。

こうして、思う存分、犬山を満喫してきました。
次回、また機会があれば、ぜひいってみたいです。


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岐阜大仏1

早いもので、年が明けてすでに半月以上が経ってしまいました。
年末年始は、実家のある飛騨高山に帰省したりしていましたが、驚くことに、
雪国であるはずの高山でも、まったく雪を見ることがまったくありませんでした。
日陰に残るわずかな雪さえも見当たらないのです。まったくの積雪ゼロ。
まあ、雪がないということは、当然のことながら、
雪かきの手間もなく、車の運転などもいたって楽なのですが、
白く染まっていない冬の飛騨は、かなり珍しく、なんだか不気味に思ってしまいます。
ということは、今年も猛暑、そして巨大台風の到来があるのでしょうか……。
年明けの直後ながら、戦々恐々としてしまいます。

また今年も、ヨメさんの実家にお邪魔させてもらったりと、
いつものように、正月は、慌ただしくしつつも、とくに何事もないまま過ごしました。
考えてみれば、ここのところ、あまりよくない年ばかりが続いていましたから、
今年こそは、少しは良い年になればいいなと思っています。

さて、正月も過ぎた三連休の最終日、久しぶりに出かけてみることにしました。
とはいえ、行った先は近場。
かねてから行きたいと思っていた愛知県の犬山市の犬山城に行ってみることにしました。
というわけで、ヨメといっしょに出かけてみたのですが、
いざ、犬山に到着してみると、好天の三連休最終日とあってか、街中は大混雑。
結局、クルマでグルグルと駐車場を探し回っただけで、帰ってきてしまいました。

でも、せっかくのお休みですので、このまま帰宅というのも、なんだかもったいないです。
なので、犬山よりさらにググッと近場の、岐阜市内の『岐阜公園』に、
ちょっと行ってみることにしました。
ところが、この岐阜公園もまた大混雑。駐車場に入るための車が、長蛇の列を成していました。
折しも、岐阜公園内には、今年の大河ドラマ『麒麟がくる』の衣装などを展示した、
大河ドラマ館がオープンしたとこのことで、思いのほか、園内は賑わっているようです。
(麒麟がくる、の主人公、明智光秀は、美濃の出身ということで、ご当地である岐阜県は、
いろいろと盛り上がっているようです)

もともと辛抱強くない私たちは、またしても半ば『諦めモード』に入ってしまいましたが、
もはや駐車場へと続く長い車列から脱出もできず、結局、そのままノロノロと進むことに……。
やっとの思いで駐車場に入っても、まったく空きが見当たりません。
というわけで、もう帰ろうかとしたそのとき、どうにか運良く駐車できたので、
当初の予定通り、公園まで歩いて行ってみることにしました。

もっとも、車を止めることができたその頃は、混雑もピークを過ぎたようで、
駐車場へ入る車列も、すっかりなくなっていました。
なんだか無駄な時間を過ごしたみたいで、がっかりです。
しかも、お天気が少しづつ微妙になってきて、上空には雲が張り出してきてしまいました。
これもまた残念なのですが、気を取り直して、公園まで歩くことにしました。

岐阜市歴史博物館

こちらは、岐阜公園内にある岐阜市歴史博物館です。
話題の大河ドラマ館は、この建物の二階にあるとのことでした。
もっとも私は、大河ドラマ館というのは、番組PRのための施設であるため、
無料で入れるものかと思っていたのですが、なんと、入場料が600円がかかるんですね。
知りませんでした。

いずれにしても、大河ドラマ館は今年中やっているということなので、
見学はパスして、またいずれ、したいと思います。

光秀横丁

ちなみに、この歴史博物館のあるあたりは、いま、大河ドラマにちなんで、
光秀横丁などと呼ばれているそうで、おみやげ物屋や、
フードコート的な店が並んでいました。

というわけで、岐阜公園からさらに足を伸ばして、少し周辺を歩いてみることにしました。

常在寺

そしてこちらは、公園の近くにある日蓮正宗のお寺『常在寺』です。
このお寺は、斎藤道三にゆかりのある寺として、
歴史マニアの方たちには、広く知られているのではないかと思います。
なにしろ、ここ常在寺は、司馬遼太郎の『国取り物語』のなかでも、
京で油売りをしていた松浪庄九郎が、美濃にきて最初に訪ねるお寺として登場しています。

京の妙覚寺で、智慧随一の法連房と呼ばれた松浪庄九郎は、
いつかは国主になりたい、という野望を持って還俗します。
その国盗りの標的に選んだのが、豊穣な美濃国でした。
油商人として成功を納めた庄九郎は、同じ妙覚寺の学僧だった常在寺の日護上人を訪ね、
美濃守護職の実弟である土岐頼芸に取り入るべく、日護上人の計らいで、
頼芸の家臣、長井氏に渡りをつけてもらうのです。

この常在寺には、有名な斎藤道三の肖像画もあるそうですし、
おそらくは今年の大河でも、登場するのではないでしょうか。

そんなわけで、常在寺をじっくり見学したかったのですが、その機会はまた次回に譲るとして、
今度は、常在寺のすぐ北にある正法寺という寺に行ってみることにしました。
この寺には、岐阜大仏と呼ばれる巨大な仏堂があるそうです。

正方寺正面

こちらがその正法寺です。
建立は江戸時代の中期から後期ということで、前出の常在寺に比べると、
はるかに新しいお寺かと思いますが、見た目の雰囲気は、とても古色蒼然としていました。
(今度は、大規模な修復の必要があるように見受けられます)
入場料は一人200円と極めてリーズナブルです。

岐阜大仏2

そして屋内に足を踏み入れると、すぐさま、
目のまえにそびえる大仏様と対面することになります。
大仏は頭部から胸部にかけて、金箔を貼ってあるようで、
明かりとりの窓から射し込む陽光を受けて輝いていました。

岐阜大仏3

写真ではわからないかと思いますが、思いのほか巨大で、ちょっと驚きます。
(なにしろ、寺の外観がさほど大きく感じなかったので、なかにはいってびっくりです)
お顔も少し独特な印象があり、なんだかやさしい雰囲気です。

思えば、大仏を見学するのはこれで三回目。
まずは奈良東大寺の大仏を見学し、また、石川県にある越前大仏も見学しました。
(あっ、そういえば、これほど大きなものではありませんでしたが、富山県高岡市にある、
高岡大仏も見に行きましたっけ……)

寺のなかに入った当初は、周囲にほとんど人がいなかったのですが、
そのうちに、見学のお客さんがどんどん入ってきました。
岐阜市内の観光スポットは、あまり多いとはいえないと思うのですが、
ここ岐阜大仏は、そのなかの貴重なひとつかもしれません。

2020_01_13i.jpg

その後はふたたび岐阜公園に戻り、駐車場まで歩いて帰ることに……。
まだ日は高かったのですが、公園内はすでに人もまばらとなっていて、さみしい雰囲気でした。
次回は大河ドラマ館の見学もさることながら、岐阜城に登りたいです。

満蒙開拓青少年義勇軍の碑

ちなみに、岐阜公園内には、満蒙開拓青少年義勇軍の碑がいくつも残されています。
満州への開拓移民を最も多く送り出したのは、長野県とのことですが、
ここ岐阜からも、青少年義勇軍をはじめ、多数の県民を、満州の地に送り出したようです。
これらの碑についても、今後、調べて思っています。


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