フェザーミュージアム

11月最後の日曜、岐阜県関市にあるフェザーミュージアムに行ってきました。
フェザーというのは、正式名称を『フェザー安全剃刀株式会社』といい、
社名の通り安全剃刀替刃を含む、メス、ハサミなどの刃物を製造するメーカーです。
フェザーは、現在、本社は大阪に置いているそうですが、
もともとは、刀工の街でもあるこの関の地において創業されたといいます。

品質の高い刃物の生産地として、全国に名を馳せる関市にとって、
フェザーは、まさにランドマーク的な企業ではないかと思います。
市内の各所にはフェザーのロゴがついた工場もあり、
地域産業の一角をなしているように思います。
そういえば、大河ドラマ『麒麟がくる』の劇中でも、
関の刀工が登場する場面があったかと思います。
いわばフェザー社は、刃物の町関だからこそ生まれた企業と言えるでしょう。

そんな関市のフェザー工場の一角に、自社の歴史や各種の生産品を展示した、
フェザーミュージアムがあります。
今回、そのフェザーミュージアムまで、見学に行ってみました。

○ 岐阜県関市 フェザーミュージアム ~ 世界初の刃物総合博物館 ~

前日の土曜は好天だったものの、この日はあまりお天気がよくなく、
ちょっと雲の多い空模様でした。
なので、屋内施設の見学には、ちょうどいい感じだったかもしれません。
(晴れているのに屋内施設を見学するのは、ちょっともったいないですもんね)

今回の出動車

今回の出動車はヨメのプジョーです。
比較的短時間のドライブで、現地到着になりました。
駐車場も、充分に余裕があります。

お昼過ぎに到着

こちらがフェザーミュージアムの外観です。
刃物を思わせる金属的な質感のエクステリアで、未来的な雰囲気です。
しかもまだ真新しい感じでした。
無料で見学できますが、コロナ渦のこの時期ですから、
まず、プリント用紙に連絡先を記入してからの入場となります。

館内に入ると、最初に受付の女性が出迎えてくれます。
その方の説明によると、フェザー社は、かつてはカミソリの替刃の生産を、
主に行なっていたそうですが、現在では、カミソリそのものの需要がさほどなくなったため、
医療用器具にシフトしているそうです。
たしかに、カミソリって使わないですよね。
私も、ずっと電気シェーバーを使っていますし……。

展示室内

こちらが館内の展示風景です。
写真で見るとまったくお客さんがいないように見えますが、
見学客の方はちらほらといました。
どうやら、小さなお子さんを連れた家族連れが多いようです。
いまのご時世、密にもならないですし、休日を過ごすには、
ちょうどいいスポットかもしれません。

レトロなカミソリ

こちらは、昔のカミソリセットです。
組み立て式になっていて、携帯に便利な状態になっています。
旅行用のものなのか、かなり小さなものもありました。

金属の質感、デザイン、パッケージ、ともに味わいがあってかっこいいです。
なんだかちょっと欲しくなってしまいますね。

レトロなパッケージ

こちらはカミソリ替刃のパッケージです。
レトロな味わいのあるものです。
私はカミソリ派ではないのですが、デザイン専門学校時代、カミソリをよく使いました。
というのも、髭を剃るためでなく、ポスターカラーで仕上げたレタリングの修正のさいに、
多用していたのです。

この当時は、水張りといって、ケント紙に刷毛で水を塗り、
その濡れたケント紙を木製パネルにホチキスで固定する、という方法をよく行っていました。
ケント紙が乾いて縮むと、パネルによってシワが引き伸ばされ、そのあと、
絵の具を載せても、紙が伸びたりしないというわけです。

こうして、水張りされたケント紙の上に、レタリングをしていたのですが、
どうしても、絵の具がはみ出てしまうことがあります。
そういうときには、白い絵の具を使って修正するのですが、この方法を使うと、
いかにも『修正しました』という具合になってしまって、みっともないことになります。

ですが、紙にカミソリを入れて、はみ出た絵の具を、薄く紙ごと削り取る、
という修正方法をとると、かなりのテクニックは必要ですが、
修正したことがとてもわかりづらく、
美しく仕上げることができます。

なので私は、このカミソリ修正法をよく使いました。
いまでは絵の具を使うこともレタリングをすることもないので、
カミソリを必要とすることもないのですが、学生時代は頻繁に、
カミソリのお世話になっていたものです。

医療用メス

ちょっと話が脱線してしまいましたが、こちらは医療用の機材です。
時代の移り変わりとともに、会社の生産品も大きく変わったということですね。

広告資料

また、展示物の中には、引き出し式の展示方法をとっているものがあり、
実際に開けてみると、昔の少年誌の広告などの資料が入っていました。
そのほかにも、広告のさいにアイドルグループNMB48が着用した衣装なども、
収められていました。

展示室ふたたび

一階の部分の展示はこんな感じですが、この施設は二階にも展示室があります。
というわけで、次は二階へと向かってみました。

昔の工具

二階展示室でまず最初に目にするのは、昔のカミソリ製造工具です。
プレスして型を作り、あとは切除加工して刃先を作るという感じでした。
作業の多くが手作業ということみたいです。

二階展示室

二階展示室は、フェザー社の製品にとどまらず、
刃物全体の歴史を順に紹介するかたちになっています。
古今東西の刃物が、さまざまに展示されていました。

医療用等の天日

こちらは、医療用、工業用の刃物を展示するコーナーです。
宇宙船の内部のような清潔感あふれる展示室です。
医療用のメスの展示は、眼科で使用されるものを主に展示していましたが、
その繊細さには驚きました。
これほどの器具を使うとなると、お医者さんももはや職人ですね。

資料の展示

こちらは、フェザー社が持っているコレクション資料を展示するスペースです。
ガラスの向こうには入れませんが、昔の床屋さんの器具や、床屋さんのフィギュア、など、
刃物とは直接関係のない資料などもあって、非常に興味深かったです。

解剖用の器具

そのなかには、解剖用の器具などもありました。
かなりグロテスクな感じですね……。

というわけで、たっぷりとフェザーミュージアムを堪能してきました。
刃物に興味がなくても、とても楽しめる施設だと思います。
岐阜県、愛知県など、近隣にお住いの方は、ぜひ一度、見学してみてはいかがでしょうか。

すっかり晴れて

入館した時には曇り空だったのに、見学を終えて建物の外に出ると快晴でした。
ええっ、こんなに天気よかったの、と、ちょっとびっくりしました。
というわけで、このあと、ちょこっとドライブしてみました。


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滋賀平和祈念館

気がつけば、もう11月の半ばになってしまいました。
今年はいつもの年よりも、紅葉がちょっと早いような気がします。
ここ岐阜市でも、街路樹などががすっかり色づいていますし、
また、今月の初めに行った、実家のある飛騨高山にいってきましたが、
高山の山々はすっかり秋めいていました。

コロナで明け暮れた今年一年もあと残り二ヶ月弱。
それでも、ずっとまたコロナの話題は続きそうですし、おそらくは、
来年も、コロナという言葉が聞こえなくなることはなさそうです。

さて、先月の末のことになりますが、
滋賀県東近江市にある『滋賀県平和祈念館』に行ってみました。
この施設には以前にも行ったことがあるのですが、そのときはヨメといっしょだったので、
充分に見学することができませんでした。
ですが、この日、ヨメは仕事があったため、ともに外出することができず、
私ひとりだけのフリータイムとなりました。
ですので、この機会に、滋賀県平和記念館へじっくりと見学に行ってみようと思ったのです。

滋賀をドライブ

なにしろ単独行動ですので、この日の出動車はヨメ車ではなく私のMINIです。
折しもこの日、岐阜市は少し曇っていたものの、
目的地の滋賀県はお天気も良く、絶好のドライブ日和でした。
それにしても、ここ最近は、MINIでの出動が多いですね。

が、到着した滋賀平和祈念館の駐車場はいっぱい。
まったく空きがありません。
これは困ったなあ、と思いつつ、駐車場をグルグルしていたら、
建物裏手にも駐車場があることがわかり、行ってみるとこちらはなんとガラガラ状態。
というわけで、ようやく駐車することができました。

駐車場は裏手に

でも、裏手の駐車場の案内って、
私が見つけられかっただけしれないんですが、出てないんですよね。
もっとも、普段はこちらの駐車場が使われることはないのかもしれません。

重厚な建物

それにしても、この施設、ほんとうにとても重厚で大規模です。
これもまた、私が知らないだけかもしれませんが、
岐阜県には、ここまで立派な第二次大戦にまつわる資料施設はないように思います。
(もしあるのなら、早々に行ってみたいと思っています)

○ 滋賀平和祈念館の差情報はコチラへ。公式サイト ~

大きな施設ではありますが、入館料は無料です。
滋賀県の施設ですので、展示の内容は、地元滋賀にまつわるものが比較的多くなっています。

大勢の見学客

駐車場が満杯になっていただけあって、館内には、
多くの見学客の方がいらっしゃいました。

この一角は、基本となる常設展示となっており、
満州事変以降の日本の歩みと、当時の県民の証言、
また、兵役にまつわる書類などの資料が展示されています。

当時の資料

とくに、こうした実物の書類資料は、ふだん目にする機会がないので、
とても貴重だと思います。
館内は撮影可能ですので、思いっきり写真に撮ってきました。

書類等の資料

こちらは、シベリアからの引揚証明書です。
舞鶴で発行されたものだといいます。
以前に、舞鶴の引揚記念館に見学に行ったことが思い出されます。
この引揚証明書は1949年に7月末発行されたものだといいますから、
本証を受け取った前川さんという方は、四年ものあいだ、抑留生活を送ったこといなります。
生きて舞鶴の地に降り立った時の気持ちは、どんなものだったのでしょうか。

満州にまつわる展示

また、ここ滋賀県でも、多くの人が満州に渡ったようです。
展示は多岐に渡っていますので、満州にまつわる展示はさして多くはないのですが、
実際の引き揚げ者の証言などが、パネル展示されていました。

企画展示

そして、こちらが、今回開催の企画展『兵士を襲った感染症と飢餓』のエリアです。
コロナ渦のいまならではの企画展といえるかと思います。

展示内容は、当時の戦況やインパール作戦のあらまし、
従軍兵士の証言を記したパネルなどからなっています。

本作戦は、中華民国を支援する英米連合国の補給ルートを断とうとしたもので、
作戦前から、兵站の困難さが指摘をされていました。
本来なら、この平坦の問題を事前に、しかも充分に検討するべきであったはずですが、
無謀にも作戦は強行されます。
いうまでもなく、作戦は成功せず、コヒマを占領した師団が独断で撤退するという、
統帥上の大問題も発生しました。
しかも、作戦が終了した後のほうが、死傷者が多かったといいます。
兵站が首尾よく行かず、前線の兵士は飢え、また、感染症もその追い討ちをかけました。

企画展示会場

展示は、この時期らしく、デング熱やマラリアなどの感染症にまつわるものが多く、
また、当時の軍が感染を防ぐために、兵士をどう指導していたかも、解説されています。

軍は兵士に、手洗いうがいをこまめに行うこと、栄養バランスの良い食事をとること、
休息を充分に取ること、などと指導していたようですが、
これはもう、悪い冗談のようなものです。
インパールに従軍した兵士が、充分な栄養を取れたなど、一度でもないでしょう。
今回の展示にはありませんでしたが、
以前NHKで放送されていたドキュメンタリー番組では、
一日に米数粒であったという証言がありました。

館内風景

こうして、今回はかなり時間をかけて、各展示を見て回ることができました。
今度も、興味深い企画展示があるようでしたら、また、見学にきたいと思います。

コスモス畑

その帰り道、コスモス畑に寄ってみました。
なにしろ、殺伐とした展示を見た後ですので、
青空の下に咲き乱れるコスモスを見て、平和のありがたさを実感する思いでした。

MINIは小さい

ちなみにこちらは、駐車場に駐めた私のMINIですが、
その小ささにあらためて驚かされました。
というよりも、となりに駐まるニューMINIのなんと大きいこと……。
フィットも大型車のように見えてしまいます。

というわけで、秋の滋賀を満喫してきました。
また、この地方にも出かけ見て見たいものです。


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