
さて、前回の続きです。
なにしろ、コロナ渦の影響で、ブログにするネタが極端に少なくなっているため、
ひとつのネタを、ふたつに分けてご紹介したいと思います。
当ブログは、最低月に二回はアップしたいと考えていますので、
これで一応、自らに課した規定をクリアしたことになりますね。
(そのぶん、内容が薄くなってなければいいんですが……)
でも、来月三月からは、もう少し、ネタが増やせるんじゃないかと思います。
さて、とりあえず、西舞鶴に戻ってきて、まず行ってみたのが細川藤孝の城です。
もっとも私は、ここ西舞鶴に細川藤孝の居城があったことを知りませんでした。
しかもこの城は、関ヶ原の戦いの前夜、西国にあって東軍についた細川藤孝は、
ここ田辺城で、数のうえではるかに上回る石田三成の軍勢と退治したいいいます。
(この話を、私は詳しく知らず、今回、はじめて学びました)
が、城はなかなか陥ちず、事態は膠着状態になり、ついには、
朝廷の仲介によって、石田方は城の包囲を解いたとのことです。
(息子の忠興は関ヶ原合戦に布陣しましたしね)

前回の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、細川藤孝については比較的詳細な描写がありました。
ですが、当然のことながら、ドラマは本能寺の変までで終わってしまいますので、
天正十年以後の細川藤孝の動静については、語られません。
司馬遼太郎の『国盗り物語』も、本能寺の変がラストとなるため、
以後、登場人物がどうなったのか、詳しく知ることはできませんでした。
こうして、西舞鶴に来ることで、わずかですが、細川藤孝のその後を知ることができ、
また、籠城戦の現場も見学ができて、感無量です。

もっとも、城跡は公園になっていて、平和そのものです。
かつての戦いを偲ばせるものは石垣くらいでしょうか。
園内には資料館もあったのですが、今回はパスしてしまいました。
次回、もし舞鶴に来ることがあったら、見学したいです。

そのあとは、東舞鶴に行き、赤れんがパークにやってきました。
駐車場がちょっとわかりにくくて、周辺をグルグルしてしまいましたが、
よくよく見れば、ちゃんと道路のうえに看板が出ています。
その駐車場からは、海上自衛隊の艦船を見ることができました。
いまは見学できませんが、通常であれば、自衛隊桟橋と呼ばれる場所から、
間近に、船を見ることができるそうです。
ただ、赤れんがパークの駐車場でも、けっこう近くに船が見られました。
向こうの空母みたいな船は、ひゅうがでしょうか……。
すみません、戦車などの車両なら、すぐ判別できるのですが、
どうにも艦船系はよくわかりません。

そしてこちらが、赤れんがパークにある、明治期の煉瓦造りの倉庫です。
通常の建物だと、経年劣化すると見栄えが悪くなるかと思いますが、煉瓦造りの建物は、
逆に風合いが出て、独特の美しさが生まれるような気がします。
あたりには、こうした倉庫が林立しており、一部は、
立ち入りができない自衛隊施設内にも及んでいます。

とはいえ、立ち入りが許されている箇所だけでも、複数の赤煉瓦倉庫があります。
しかも、そのうちの多くが、建物内に入ることができます。
写真の建物は、立ち入りができないものになりますが、こうした建物のほうが、
昔ながらの状態を保っています。
こちらの建物は電柱まで明治期を彷彿とさせるもので、とても風情があります。
このあたりでは、映画の撮影もよく行われているそうです。

ちなみにこちらは、赤れんがパークから十分ほどいったところにある、
明治期のトンネルです。
かつては鉄道のトンネルだったようですが、
いまでは、遊歩道のトンネルとして使われています。
こちらも、赤煉瓦がふんだんに使われた建築で、独特の風情があります。

トンネル内の照明も当時の雰囲気を伝えています。
このオレンジがかった照明の色が、いいですね。
赤煉瓦の壁面に現れる光と陰が、ドラマチックです。

そのあとは、東舞鶴と西舞鶴の中間的な場所にある、五老スカイタワーに、
ちょっとだけ行ってみました。
とにかく、もう、すごくお天気がいいので、眺めは最高です。
(もっとも、ちょっとガスがかかっていたような感じでしたが)
眼下にはリアス式海岸が見え、海と空の青が目に痛いほどでした。
行楽客も、多数、訪れていました。
というわけで、舞鶴の名所を見て回りましたが、
目当てにしていた、自衛隊施設、旧海軍の資料館などは、
新型コロナの影響で、のきなみ、見学不可となっていました。
これはとっても残念です。
コロナが完全に収束したら、また、行ってみたいと思っています。
(というわけで、ギリギリになってしまいましたが、この二月も、
なんとか、ふたつ、ネタをアップできました。やれやれ)
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