高山陣屋

さて、前回に引き続き、
今回も、飛騨高山の歴史文化施設(観光施設)市民無料開放の日のことを、
書いていきたいと思います。
午前中に、総計四つの施設を巡ったわけですが、それらは、
どれも市の中心部から離れたところにあるため、
クルマを使っての見物行脚となりました。

ですが、午後からは、市の中心部にある施設を回る予定を組んでいて、
そうなると、クルマは、むしろ足手まといとなります。
なにしろ、市街地は道も狭いところが多く、また各施設には駐車場などありません。
というわけで、市内にある私の実家の駐車場に、クルマを止めさせてもらい、
そこから、各所を徒歩で回ることにしました。

折しも、天候はあまりよいとはいえなかったのですが、
雨が降ることはなさそうで、どうにか、あちこちに歩いて行けそうな状態でした。

というわけで、まず最初に行ったのが、こちらの施設です。

陣屋の前の賑わい

こちらは、高山陣屋と呼ばれている建築物です。

高山陣屋は、日本で唯一残る、群代・代官所です。
もともとこの建物は、高山城主であった金森家の屋敷として使われていたといいますが、
飛騨が幕府直轄領となってからは、
代官所、群代役所として使用されるようになったといわれています。
幕府が飛騨を直轄領としたのは、飛騨に点在する鉱物資源や、
豊富な森林資源などに目をつけたためといわれています。

明治維新のあと、ここは高山県庁舎となり、その後も、支庁、県事務所といった、
公共機関の事務所的な役割を、長きに渡って担うこととなりました。
が、現在では、江戸時代当時の姿に復元され、高山観光のランドマーク的存在として、
多くの観光客を集めています。

広間

さて、こちらが、その陣屋の内部です。
年貢米を保存していた御蔵の内部は撮影が禁止されていますが、
そのほかはほぼ撮影可能で、各所の様子をデジカメに納めることができました。

この大広間は、全部で48畳もあり
(床棚のしたに1畳あるということなので、それを入れると49畳だそうですが)
会議や儀式に使われたそうです。

それにしても、この奥深い山の中の町に、
当時、これほどの大広間を持つ建物が建てられたということに、
ちょっと驚いてしまいます。

お白洲

こちらはお白洲と呼ばれる間です。
罪人を尋問した部屋とのことで、傍らには、抱き石などのおそろしい拷問器具が並んでいます。
私が小学生だった頃に聞いた話ですが、ここで罪人を尋問したさい、
その悲鳴が、市の中心を流れる宮川を超え、はるか遠くまで聞こえたそうです。

陣屋内部

役人の出勤口だそうです。こういう土間って、かっこいいですね。
このあたりは、近年復元された部分に当たるらしく、
板の間などは少し新しく見えました。
(ただ、実際のところは、よくわかりません)

国史跡 高山陣屋のサイトはコチラ

いずれにしろ、今回の市民無料開放のときでなければ、
私たち地元住民は、こうした場所に足を踏み入れることはほとんどありません。

今回の催しは、市民が地域の文化財に触れる、とてもいい機会となっています。

古い町並みへ

さて、陣屋をあとにして、今度は高山の古い町並みへと向かってみました。
この古い町並みも、高山観光における最も有名なスポットで、
いつも、大勢の人で賑わっています。
こうして、たどりついたところが、飛騨民芸考古館。
こちらを見学し、その後、平田記念館というところに足を伸ばしてみます。

平田記念館

こちらがその平田記念館。趣のあるたたずまいです。

平田記念館の展示物

奥内には、古い民具や道具などが展示されていて、
とても興味深かったです。
こちらは秤ですが、秀逸なデザインですネ。

飛騨高山 平田記念館

さて、次は、高山昭和館という施設にいったのですが、
こちらのレポートはまた長くなりそうなので、次回に持ち越します。





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