永遠のゼロ/文庫表紙

年末年始はとても忙しかったのですが、
一月も下旬となったいまは、ようやく、時間的にも気持ちのうえでも、
少し余裕が出てきました。
というわけで、以前から部屋の隅に置きっぱなしになっていた、
百田尚樹氏の『永遠のゼロ』を、この機に乗じて読破しました。
永遠のゼロは、たいへんなベストセラーとなっており、しかも、
映画も大ヒットとなっているとのことで、いまさらレビューするのも、
少々気の引ける思いがするのですが、今回は、余談も含め、
この本について、少しばかり勝手な感想などを綴ってみたいと思います。

本作の主人公は、
抜群の操縦技術を持つ帝国海軍のパイロット『宮部久蔵』という人物です。
が、劇中に、彼は登場しません。
この物語の舞台となっているのは、戦時中ではなく現代で、
宮部久蔵は、特攻によってすでに戦死しているからです。
物語は、宮部の孫である健太郎が、祖父を知る戦争体験者の口から、
その「人となり」を聞き取っていく、というかたちをとっています。
こうした展開は、宮部みゆきの「火車」を連想させますが、
物語の最後で主人公が登場した火車とは違い、永遠のゼロでは、
最後まで主人公は登場せず、あくまで、戦争体験者の証言によってのみ、
主人公が形成されていきます。

私は、この小説を読み始めた当初、物語の途中から、
主人公の生きた時代に舞台が移行するのだろう、と思っていましたが、
そうした展開にはならず、最後まで、
祖父のことを調べる健太郎の視点から、物語が描かれていきます。

今はなき人物の思い出を語る、というスタイルのために、
当然のことながら、主人公の側からの主観的描写などはいっさいなく、
ただひたすらに、当時を知る人々のリレー証言によって物語は進んでいきます。
こうした構成は、いわばドキュメンタリーのような雰囲気があり、
それでいて、謎解きの要素も含まれていて、読み物として、
ミステリーと史実戦記の融合のような醍醐味があります。

もっとも、読み進めている中で、文章に素人っぽさのような甘さを感じたり、
また、ストーリーに作為性を感じることもありました。
(素行不良の井崎の孫が、急にしおらしくなってしまうなど、
 ちょっと話を作り過ぎかな、とは思いました)
それでも、物語の本筋そのものに、無理な展開はなく、
久蔵の孫の健太郎が辿り着く結末も、整合性があると思います。

こうした、徹頭徹尾、証言のみによって主人公を組み立てる、というスタイルは、
私にとっては新鮮なものであり、また、
実在の人物や戦況を絡めて語られることで、
物語の背景を成す戦争というものが、とてもリアルに感じられます。

しかも、この小説には、本筋とは直接関係のない、
ガダルカナルでの陸軍の戦いや、インパールでの佐藤師団長の独断撤退、
そして、旧満州で起こった国境紛争『ノモンハン事件』時における、
辻正信参謀らのとった無謀な作戦などについても触れられています。
いわばこの小説は、物語を通して、
対米英戦争のはじまりから終わりまでの経緯を、
順を負って解説しているような側面も持っています。
(昭和十四年に起こったノモンハンまで触れているのですから、
 それよりも範囲が広いですが)
そして、帝国陸海軍が、湯水の如く兵の命を使い、
いかに夜郎自大な作戦を行ってきたかを、丹念に書き綴っています。
そこには、作者自身が抱いているであろう、
当時の軍上層部に対する怒りのような感情を読み取ることができます。

永遠のゼロ/文面

私は、以前、ノモンハン事件について、
従軍兵士の陣中日誌などを中心に書かれた本を読んだことがあるのですが、
そのさい、永遠のゼロの作者と同じ気持ちを抱いたものです。
独断で戦闘を拡大させ、無謀な作戦の実施を迫る関東軍首脳と、
健気なまでに必死に戦う将兵のギャップに、とても驚かされたものです。
この戦いで、小松原師団長率いる二十三師団はほぼ壊滅的な打撃を受け、
部隊によっては、損耗率が100%を越える場合もあったといいます。
敵将ジューコフは、後に、
我が生涯最大の苦難はノモンハンなり、と述べたといいます。
精強なドイツ機甲部隊と数年にも渡って戦ったジューコフが、
ノモンハンを最大の苦難にあげた、ということは、当時の関東軍将兵が、
いかに獅子奮迅の戦いぶりしたか、ということを物語っていると思います。
また、この当時、生きて虜囚の辱めを受けず、
と記した戦陣訓はまだなかったといいますが、その精神はすでに徹底されており、
負傷してやむなくソ連側の捕虜になった関東軍将兵は、
その後、過酷な運命を辿ったといいます。
(日本に帰ることを拒絶し、
 そのままソ連市民となった日本人捕虜もいたそうです)
この当時の日本の兵士は、
士気においても精神力においても、世界最強であったと思います。
実際、物量で勝るソ連軍に、多大の出血と損害をもたらします。
そんな日本人兵士たちに、軍上層部はともすれば場当たり的な作戦を強要し、
二十三師団は新設師団だから思うように動かせなかったといった、
いわば敗戦の責任までも、負わせることとなりました。

また、同じ関東軍の話となりますが、満州へのソ連侵攻が迫っていた時、
関東軍は、一般住民を現地にそのまま残したかたちで、
戦力の多くを国境から退いていました。
この時、関東軍首脳は、すでに我が方にソ連の軍事力を跳ね返す力はなく、
満州の半分は放棄せざるを得ないと考えていたそうです。
日ソ中立条約の期限はまだ残していましたが、スターリンは、
ナチス崩壊後のヨーロッパから、シベリア鉄道を通して、
続々と兵力をソ満国境に移動させており、関東軍もこの事実を把握していました。
しかし、満州に入植していた一般の日本人は何も知らされず、
その後のソ連侵攻において、現地の日本人は、守ってくれる存在もないまま、
ソ連の侵攻の矢面に立たされ、塗炭の苦しみを味わうこととなるのです。
ノモンハンの時には、関東軍首脳は、
鼻息粗く強気で押しまくっていたはずなのに、
いざ、戦力に不安がもたげると、一般民間人のことなどおかまいなしに、
戦うことを放棄して逃げてしまう…。
これでは、何のための軍なのか、と、思ってしまいます。

百田氏も、永遠のゼロを書くための資料調べにおいて、
同じ思いを持ったのではないでしょうか。

永遠のゼロ/裏表紙

話を永遠のゼロに戻します。
私は、本書を読んで初めて、帝国海軍のパイロットが、開戦当初から、
帰投困難な場合は敵艦や敵軍事施設に身を持って突入せよ、と、
命令されていた、ということを知りました。
ここにはすでに、後の特攻につながるすでに要因が見て取れます。
また、特攻にさいして、彼らを誘導する機の存在や、戦果の確認方法など、
いままで知らないことが多く、自分の無知ぶりをあらためて知る思いでした。

こうした、特攻という特異で非人道的な作戦をいまあらためてクローズアップし、
そうした作戦に参加しなければならなかった人々の苦悩と葛藤を、
いまの日本に広く知らしめた、という意味では、この永遠のゼロは、
たいへん意義深いものと思います。

最後に、本書に対する、個人的な不満を少し述べます。
宮部久蔵は、若いうちから海軍に入り、
その短い生涯の多くの時間を、飛行機乗りとして捧げてきたわけですが、
彼がなぜ、人から蔑まされようと、自分の信念をそこまで強く保持できたのか。
妻子と過ごした時間は、ごく短いはずなのに。
しかも、宮部の言葉遣いが度を超して丁寧というのも、
この時代の軍人にはほとんどないことであろうと考えます。
こうした、宮部の人格形成に至るプロセスを、
読者側としては、もっと知りたいと思うところですが、そのあたりの描写は、
とても希薄だと感じます。

本書は、かつての宮部の戦友のリレー証言によって、
主人公を浮かび上がらせているので、宮部側の心理描写や人格設定は、
小説のスタイルゆえ、いれづらかったのかもしれませんが…。

とにかく、本書は、すでに大ベストセラーなのですが、
まだ読んでいない方には、一読をお勧めいたします。
いろいろと勝手なことばかり書きましたが、本書は、
ベストセラーとなるにふさわしい、感動の物語です。




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