彦根城

7月に入って、ようやく、いそがしさにも一段落がついたため、
先週末は、ひと月ぶりにクルマで遠出してみよう、ということになりました。
今回の行き先は、いままでほとんど行ったことがない、滋賀県を選んでみました。
おりしも先週は、大型の台風が到来し、天候は荒れ模様でしたが、
週末はその影響もなくなるということで、
予報では、近畿、東海、ともに土日は晴れとなっていました。

私も、そのころにはちょうど時間もとれるということで、
この12〜13日に、滋賀の長浜、彦根へと行ってみることにしました。
なにしろ、久しぶりの休日で、
(駄知旧車館に行って以降、休みらしい休みはありませんでしたらから)
なおかつ、お天気にも恵まれそうだということで、
期待に胸を膨らませていたのですが、いざ当日になってみると、
天候は曇りがちで、なんだか、すっきりとはしませんでした。
まあ、梅雨が明けたわけではないので、仕方がないといえばそれまでですが…。

私の住む飛騨高山から滋賀県に向かうには、
まず、国道41号線に乗って南へ走り、その後、飛騨金山から、
関金山線(県道58号線)に乗り換え、岐阜市へと向かいます。
そこから国道21号線に入り、今度は西へと向かいます。
こうして、関ヶ原を経由して滋賀へと入る、というルートをとることになります。
(今回も、すべて下道を通ることにしました)
出動車はMINI…、といいたいところですが、暑さが厳しいため、
エアコン完備のヨメ車プジョー208でのドライブとなりました。

竹中半兵衛本陣

途中、岐阜県垂井町に立ち寄り、
そこで、羽柴秀吉の軍師であった竹中半兵衛の陣屋跡に寄ってみました。
ここはつい先日、NHKの大河ドラマ「軍師勘兵衛」の名所旧跡案内で、
取り上げられていたと思います。

岐阜県垂井町は竹中半兵衛の故郷ということで、
ところどころで「半兵衛のふるさと」といった趣旨の看板を見かけました。
どうやら半兵衛は、この街にとって、郷土の英雄的な存在なのかもしれません。

陣屋跡といっても、残っているのは、この写真の部分だけです。
この陣屋跡の北にあるという「禅幢寺」というお寺には、
半兵衛のお墓もあるとのことでした。
半兵衛は、播磨の三木城を攻略している最中に亡くなったはずなので、
お墓はここ垂井にはないものと思っていましたが、
ちゃんとこちらにもお墓はあるようです。

そちらにもぜひ行ってみたいと思いましたが、先を急ぎたいということもあり、
今回は禅幢寺行きをあきらめ、ふたたび西に向かうことにしました。
(途中通り過ぎる関ヶ原も、いつか時間をかけて、見て回りたいものです)

こうして、無事、滋賀県に入り、まずは彦根市のホテルにチェックインをすませ、
その後は、北に向かい、長浜へと向かってみます。

長浜城到着

こちらが長浜城です。
羽柴秀吉がはじめて城持ち大名になったのは、この長浜でした。
城は復元されたものですが、それでも、秀吉ゆかりの地に立つ城の姿を見ると、
なにかしら、感慨深いものがあります。

おりしも、場内では、黒田勘兵衛博覧会が開かれており、
この時期は「姉川合戦と浅井長政攻め」というテーマ展になっていました。
黒田勘兵衛博覧会は、いくつかのテーマ展を、時期を変えて行っているようです。

展示はとても興味深いものでしたが、ヨメはチョー退屈だったようです。

天守閣から見る琵琶湖

その後、天守閣に登ってみました。
天守閣からは、長浜の街と琵琶湖が見渡せました。
天気がよかったなら、と、少し悔やまれる思いです。

長浜城は大阪夏の陣のあった1615年に廃城となったようで、
使われていた資材は彦根へと運ばれ、彦根城作りのため転用されてしまったそうです。
いわばこの長浜城は、豊臣家の末路をなぞるような運命を辿ったわけですが、
いまこうして、地元の人たちの手で城が復元され、長浜のシンボルとなっていることを、
秀吉公は、草葉の陰から喜んでいるかもしれません。

その後は、ふたたび彦根に戻ったのですが…。
なんと、翌日は雨。
晴れなくてもいいから、せめて雨は降らないで、
などと思っていたのですが、その願いは、結局、叶いませんでした。
というわけで、日曜は雨のなか、彦根城に向かうこととなりました。

彦根城見学のまえに、開国記念館という資料館に寄ってみました。
ちょうどこちらでは「佐和山城と石田三成展」が開かれており、
常設のものとも合わせ、とても興味深い展示が行われていました。

開国記念館

こちらは、館内に展示されていた、かつての彦根城下のジオラマです。
館内は撮影禁止ですが、この一角は撮影OKということで、
さっそくカメラを向けてみました。
居並ぶ家臣の屋敷群を見ると、かつての彦根藩の栄華が偲べます。

雨のなか、彦根城へ

そしていよいよ彦根城へと入城します。
彦根城は、さすがに規模が大きく、
また、復元ではないオリジナルの城、ということで、格別の見応えがあります。
天守に至る道は曲がりくねり、また各所に、銃眼を無数に備えた櫓もあり、
まさにここは、難攻不落の要塞だったことが伺えます。

彦根城の築城がはじまったのは1604年のことだといいますから、
すでに関ヶ原の戦いを終え、
徳川家康、秀忠の支配がいよいよ盤石になっていた時期にあたると思います。
大坂に豊臣秀頼と淀がまだ健在でしたが、それでも、もはや、
徳川と、徳川の信任厚い井伊家に、弓するものなどなかったと思うのですが…。

ですので、城攻めなどの大規模な戦の発生は考えににくいでしょうし
堅固な軍事要塞的な城は、かえって、使い勝手が悪かったのではないか、などと、
思ってしまいます。

彦根城を見上げる

そしていよいよ天守到着。
ここからは、彦根の街が見渡せます。
この頃から雨が上がり始め、城を眺めつつの歩きが、かなり楽になりました。

急な階段

城の階段はとても急で、登るのがちょっと怖いです。
登るときよりも、降りるときのほうがこわかったかもしれません。
城内はたくさんの観光客がいますから、もし、ここで足を滑らせて、
階段から落ちたりしたら、多くの人に迷惑をかけるでしょうし、
へたをしたら、地元の新聞に載ってしまうかも、などと、
いろいろなことを想像してしまいました。

大老井伊直弼像

また、城内には、大老井伊直弼の木像も展示してありました。
井伊直弼というと「安政の大獄」で多くの政敵を粛正した人ということで、
イメージ的には、あまりよいほうではないと思うのですが、
それでも、ここ彦根では、多くの人たちからいまも尊敬を集めているようです。

玄久園

お城の見学を終えたあとは、玄久園という庭園に行ってみました。
このころにはすっかり雨も上がり、園内をゆっくり見て回ることができました。
天気がよかったらもっと美しい景色となったかもしれませんが、
炎天下もきついですので、このくらいの空模様で、
ちょうどよかったかもしれません。

ちなみにこの日、彦根城を巡ったのは午前11時から午後1時のあいだで、
ひこにゃんの出没時間とは合わず、動くひこにゃんを間近に見ることはできませんでした。
これが、心残りといえば、心残りです。

というわけで、近江の城を巡るプチ旅行でした。
次回は、石田三成の居城だった佐和山城跡や、小谷城、また、安土城跡にいってみたい、
などと思っています。




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