小谷城から眼下を臨む

2015年のGWは、全国的に、比較的お天気に恵まれたとのことで、
行楽地は、どこも賑わったのではないかと思います。
我が家では、長い連休をとるというわけにはいかなかったのですが、
やっぱり、この時期は、どこかに行ってみたい、ということで、
ヨメの実家に一泊しつつ、古戦場を巡る旅に行ってきました。

今回訪ねてみたのは、滋賀県長浜市にある、小谷城 (おだにじょう) です。
この小谷城は、近江の戦国大名であった浅井長政 (あざいながまさ) の居城であり、
日本有数の山城とも称されています。
とはいえ、城は、天正のはじめに、織田信長によって攻められて落城しており、
いまでは、一部の土塁や石垣、曲輪などが残るのみとなっています。

小谷城の落城のいきさつについては、
さまざまなドラマなどで取り上げられており、
4年前の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」では、第一話で語られています。
また、最近では、信長のシェフというドラマでも、
一連のエピソードが織り込まれていたのではないかと思います。

いずれにしても、小谷城は、
戦国期を語るうえではかかせない、極めて有名な城です。

○ 小谷城の情報はコチラへ…

上洛への経路を確保したい信長は、近江の浅井長政と同盟を結び、
その証として、自分の妹である市 (いち) を浅井家に嫁がせます。
しかしその後、信長は、越前の朝倉氏を攻めることとなり、
朝倉とも同盟していた浅井は、結局、信長とは敵対することとなってしまいます。

近江に攻め寄せる信長に、浅井長政は、小谷城にまで追いつめられますが、
この城は天然の要害であり、落城させるのが極めて困難でした。
とはいえ、羽柴秀吉の活躍などにより、
難攻不落の小谷城はついに落城し、浅井長政は自刃します。
このとき、浅井長政の正室であった市は、三人の娘とともに、
小谷城を脱出し、以後、信長の庇護下に入ることなります。

小谷城のふもと

こちらが、その小谷城のふもとです。
異彩を放つ大きな兜のオブジェがあり、しかも、周囲には、
整備されて間もないと思われる駐車場や、資料展示館があります。
もしかすると、大河ドラマ「江」の放映を機に、整備したのかもしれません。

シャトルバス

通常は、ここよりさらにうえまで、クルマで行けるとのことですが、
GWの期間中は、この先の山道を通行止めにしており、そのかわりに、
シャトルバスを運行させています。

シャトルバスの料金はひとり500円なのですが、バスに乗れば、
ガイドさんが各所を説明しながら案内してくれるといいます。
これはありがたいサービスです。

パスの定員は20名で、GW期間中ということもあり、
混んでいて乗れないかも、と懸念もしたのですが、混乱もなく、
すんなりと乗り込むことができました。

番所跡

こちらが、バスの終点近くにある『番所跡』付近です。
ここから先は、ガイドさんとともに、同じバスに乗り合わせた参加者のみなさんと、
ちょっとした小谷城登山となります。

虎御前山

さすが山城だけあって、周囲の景色がよく見渡せます。
眼下に見下ろせるのは、信長の陣があったという『虎御前山』だそうです。
ここに、信長と、徳川家康の軍、あわせておよそ4万の軍が陣取り、
小谷城と睨み合いとしていたといいます。
思いのほか、敵陣は近くにあったのだと、そう感じました。

御馬屋跡

ここは御馬屋跡という場所で、土塁などが残されています。
このちょうど真反対には、池の跡も残されており、
当時は、この池から生活用水を得ていたともいいます。
池は、いまは枯れていますが、当時の水量は豊富だったといわれています。

門の跡

ここには、かつて門があったといいます。
大河ドラマ「江」の第一話で、巨大な門の前で、時任三郎演じる浅井長政と、
鈴木保奈美演じる市が、今生の別れをする場面がありますが、
そこは、この場所に相当するとのことでした。

また、実際「江」のロケは、この小谷城跡でも、行われていたといいます。

大広間跡

大広間跡です。
地面には、かつて建物があったことを示す礎石が点在しています。
小谷城跡は、いまでは木々に覆われていますが、
この城が機能していた時には、木々の類いはいっさいなく、
すべて伐採されていたといいます。

石垣跡

こちらは本丸の石垣跡です。
小谷城は、攻め落とされたあと、羽柴秀吉が貰い受けることとなりますが、
秀吉にとっては、この城は使い勝手が悪すぎ、結局、
今浜(現在の長浜)に、城を構えることになったといいます。
ですが、将来、この小谷城が、力のある敵対者の手に渡ることを恐れた秀吉は、
小谷城を破城していったといいます。
ですので、石垣の類いは、崩されているところも多いのですが、
こうして、かつての姿が垣間見られる場所もあります。

この当時、石垣を組む職人集団である穴太衆 (あのうしゅう) は、
まだ存在しなかったといいますが、残された石垣には、
以後につながる高度な技術をみることができるといいます。

そのあと、大堀切跡や、浅井長政自刃の地である、
赤尾屋敷跡を見学しました。

というわけで、80分間、ガイドさんとともに、
小谷城を詳しく見学してきました。
ただ、時間的な都合で、本丸よりさらにうえにある、
京極丸跡などは見ることができず、少し残念でもありましたが、
そちらは、また、次の機会にと思っています。

さて、その後は、帰りがてら、小谷城からクルマで三十分ほど東にある、
関ヶ原古戦場に行ってみました。

笹尾山

ここは、笹尾山にある石田三成の陣になります。
関ヶ原にて布陣する三成の姿は、ドラマなどで何度も見ていますが、
それがこの場所なのだと思うと、かなり興奮します。

石田三成陣跡

ここからは、戦場の様子が詳細に見て取れます。
明治時代、日本陸軍が招聘したドイツ軍人メッケルは、
関ヶ原に立ち、当時の東西両軍の陣形を聞かされたさい、
西軍の勝利を確信したと、なにかの本で読んだことがあります。

つまり、それほどまでに、この笹尾山は、理想的な拠点なのかもしれません。
加えて、数のうえでも、当時の西軍のほうがまさっていたといいます。
ですが、西軍の士気は高いとはいえず、
また、毛利軍は、吉川広家の策略もあって、思うように参戦できず、
ついには、小早川秀秋らの徳川方への寝返りという、
大どんでん返しにも見舞われ、西軍は一日で瓦解してしまいます。


おりしも今年は関ヶ原の戦いから415年目。
この景色を見つつ、三成の心境に思いを馳せたりしました。

激戦地跡

こちらは、笹尾山に近い激戦地跡です。
GWということもあり、歴女と思われる人も多数来ていました。

本来であれば、このあと、大谷吉継の陣跡、島津義弘の陣跡などを、
見て歩きたいところでしたが、すでに夕方になり、
断腸の思いで、関ヶ原をあとにしました。
まあ、関ヶ原は、私が住む飛騨高山と同じ岐阜県にあるので、
また、じっくり時間をとって、見学したいものです。

というわけで、一日をかけて、小谷城と関ヶ原を見てきました。
今後は、安土城跡や佐和山城跡に、いってみたいものです。





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