石田三成公出生地

早いもので、気がつけば、すでに12月に突入してしまい、
2016年も、あと一ヶ月を残すばかりとなってしまいました。
今年は、どういうわけか、いつもの年よりも、
なんだかずっと時の経つのが早かったように思います。
(…というか、今年一年、いったいなにをしてたのか、と、いまさらながら思います)
いずれにしても、この年末も、書きたいネタはいっぱいあるのですが、
それらはまたおいおいアップすることにして、
そのまえに、まずは先月の出来事などをご紹介したいと思います。

今年の五月から、滋賀県内の各会場を使って行われていた、
石田三成にまつわる企画展『MEET三成展』について、
当ブログではすでに二回ほどとりあげていますが、この企画展が、
先月末をもって終了となりました。
メインとなる三つの展示会場については、すてに見て回っているのですが、
今回は、サブ会場を順に巡ってみることにしました。

なぜ、そうまでして展示会場を巡るのか…、というと、
この企画展では、スタンプラリーも行われており、
計九つのスタンプを集めると、コンプリートになるということで、
ここまできたら、全部のスタンプを集めてみたいという気持ちが、
日々強くなってしまったからでもあります。

というわけで、まずは、長浜市石田町にある「石田会館」という施設に、
いってみることにしました。
石田町は、かつては石田村と呼ばれていた地域だそうで、
石田三成の生誕の地でもあるそうです。

石田会館

こちらがその石田会館です。
岐阜市の我が家から車で一時間半ほどで到着しましたが、
途中、かなり道が細いところもあり、
この道に入っていってだいじょうぶ?、と、ちょっと戸惑ってしまいました。
(でも、ちゃんと無事にたどり着きました)

館の手前が駐車場になっており、普通車であれば、
六台くらいが止められるスペースがあります。

この場所は、かつて石田三成のお屋敷があった場所でもあるそうです。
住所をよく見ると『長浜市石田町治部』となっており、
なんと、三成の官職名である『治部』の文字がつけられています。
それだけでも、この地域が、三成ゆかりの地であることを、強く物語っています。

郷土の名士である三成を讃え、ゆかりの展示物を納める場所としては、
まさに、うってつけであるといっても過言ではありません。

三成公歌碑

しかも、石田会館の敷地内には、このような歌碑まで建てられていました。
横柄者 (へいくわいもの) と呼ばれ、極めて敵の多かった三成ですが、
その才能は領国経営においても遺憾なく発揮されており、
領民に対しては、温情といたわりのある政策をとったといわれています。
関ヶ原の戦い以後、天下の大罪人として、徹底的に名誉を落としめられた三成…。
しかし領民は、徳川の時代になっても、密かに、三成を慕い続けたようです。

おりしもこのときは、空模様こそいまひとつでしたが、紅葉が美しく、
秋の深まりを感じさせる一日でした。

石田会館展示室

館内には三成にまつわる展示や、ビデオ映像などが流されていました。
また、撮影は禁止されていましたが、三成の生涯を絵にまとめた、
巻物の複製なども展示されていました。

小学生の力作

また、小学生の女の子が書いたという、三成にまつわる研究記録もありました。
そのページ数は膨大で、関ヶ原の戦いの東西両軍の戦力や、その顛末なども、
詳しく記してありました。
おそらく、執筆者の女の子は、将来は立派なミツナリストになることでしょう。

会場に詰めていた地元の男性が、館内を案内してくれたり、
三成の逸話や地域の伝承を、いろいろとお話をしてくださいました。
聞けば、この石田会館は、もともとは地元の公民館だったそうなのですが、
三成にまつわる品などを展示するなどして、一般の方にも、
解放するようになったとのことです。

この場所は、決して、交通の便利なところではないのですが、
それでも、この石田会館には、全国から多数の人が詰めかけており、
私たちが館内にいたあいだにも、
若い女の子や、母子の来訪があったりしました。

というわけで、ひとしきり館内を見学させていただいただき、
MEET三成展のスタンプをもらって、そのあと、
すぐ近くにある、三成の産湯を汲んだという井戸へ行ってみることにしました。

三成公の産湯

こちらがその井戸です。
民家のあいだにひっそりと佇んでいました。
この井戸は、平成12年位、復元されたものだそうです。

その後は、石田一族の供養塔があるという八幡神社に行ってみました。
かつて、この神社の地中からは、
意図的に破壊されたらしい五輪塔などが発見されたそうで、
調べたところ、それらは三成にまつわるものであると推察されたといいます。
おそらく、関ヶ原以後、村人たちは、徳川方から目を付けられるのを恐れ、
やむなく、五輪塔などを破壊して埋め、隠したものと思われます。
それでもなお、長きに渡って、密かに供養をされてきたといいます。
というわけで、私たちも、供養塔のまえで手を合わせてきました。

石田神社

毎年11月には、ここで法要が営まれるそうで、
そのときには、全国各地から、三成に思いを寄せる人たちが、
多数集まるといいます。
私も、来年は、法要に行ってみたいと思ってしまいました。

佐和山のふもとの寺

その後は、彦根市の龍潭寺へと行ってみました。
こちらも、紅葉がちょうど見頃でしたが、時間的にちょっと遅くなってしまったので、
MEET三成展のスタンプをいただいたあと、早々に立ち去ってしまいました。
次回は、もっと早い時間にきて、できれば、佐和山城趾に登ってみたいものです。

そのあと、日を改めて、残るスタンプラリーポイントへと足早に行ってみました。
まずは、米原市の松尾寺へ。
そしてその足で、彦根市の治部少丸へと行ってみました。

彦根治部少丸

治部少丸は、メイン会場ではないのですが、展示については、
彦根城そばの開国記念館よりも、内容が濃いように思われました。
室内にはジオラマなどもあって、とても楽しいです。

最後はMINIで出発

そしてまた日を改め、最後のスタンプポイントである、
米原市の成菩提院へと行ってきました。
前の二回は、ヨメのプジョーで出掛けましたが、
この日は私のMINIでお出掛けしてみました。

成菩提院

というわけで、成菩提院でスタンプをゲット。
これで、九つすべてのスタンプがそろったことになります。

スタンプラリーをやってみたのは、今回がはじめてなのですが、
やっぱり、こうしてスタンプがそろうと、なんというか、
ちょっとした達成感みたいなものがありますネ。

ただ、この成菩提院では、スタンプラリーの記念品はもらえません。
というわけで、以前にも行った観音寺へと行ってみることにしました。
観音寺は、三つあるメイン会場のひとつであり、ここであれば、
記念品を受け取ることができます。

大一大万代吉クリアファイルゲット

というわけで、観音寺会場で記念品をゲット。
記念品は、大河ドラマ『真田丸』で石田三成を演じている、
山本耕司さん直筆の大一大万代吉が大書された、クリアファイルでした。
また、九つすべてのスタンプを集めた人には、
豪華賞品があたる懸賞に参加ができるとのことで、さっそく、
応募してきました。

その帰り道、関ヶ原を通ったので、まだ一度も行ったことがなかった、
桃配山へと立ち寄ってみることにしました。

桃配山は、関ヶ原の戦いのさい、徳川家康が最初に陣を置いたところです。
関ヶ原主戦場より、かなり東に位置するので、
関ヶ原合戦祭りのときも、この桃配山に行くことはできませんでした。
というわけで、念願の桃配山来訪です。

といっても、国道21号線のほんのすぐそばで、駐車場にMINIを止めたら、
徒歩二分ほどで着いてしまいます。

桃配山-徳川家康最初陣地

ここが桃配山徳川家康最初陣地跡です。

山内一豊陣跡

そのあと、すぐそばにある山内一豊陣跡にも行ってみました。
山内一豊は、南宮山に陣取った、
西軍の毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、ら諸隊の、
いわば『抑え役』として、この地に配されたようです。

しかし、吉川広家はすでに徳川方に内通して、不戦の約束をしており、
それどころか、山上に陣取る毛利秀元の軍勢が下山するのを阻止し、
結局、関ヶ原の戦いの当日、いかなる戦闘もしないままに終わりました。

よって、山内一豊の軍勢は、南宮山の西軍とは鉾を交えることはなく、
関ヶ原の戦いの終盤に至っては、この地を引き払っているようです。

というわけで、関ヶ原合戦祭り2016以後は、お休みがくるたびに、
石田三成にまつわる史蹟を見て回る秋でした。

来年は、真田の史蹟を見て回りたいなあ、などと、
いまから、夢見ています。



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