大樹寺山門と桜

先週末、徳川家康にゆかりのある『大樹寺』という寺に行ってきました。
大樹寺は、愛知県岡崎市にあり、浄土宗のお寺だといいます。

苦労人として広く世に知られる徳川家康ですが、
その世評の通り、家康は、幼少期の頃より、
尾張の織田の人質となったり、またその後は、
駿河、遠江を支配する守護大名「今川義元」の人質になるなど、
過酷な運命に翻弄されてきました。
この今川氏が、尾張を目指して侵攻すると、
若き家康 (当時は松平元康と名乗っていました) も、
今川方の名を受け出兵し、織田方の支城を落とすなど、
活躍を見せたといいます。

ところが、今川方の総大将である義元自身が、
桶狭間で、織田信長の奇襲攻撃によって打ち取られると、
大軍であったはずの今川軍はあえなく潰走…。
元康はこれを機に、今川方からの離反を決意し、
迫る織田軍の気配におびえつつも、
自らの領地である三河へと戻ることとなります。

元康は戻った三河の地で、まず最初にこの大樹寺に立ち寄り、
先祖の墓前の前で、織田方に打ち取られるくらいならと、
自害しようとしたといいます。
ところが、大樹寺の住職は、元康に「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説き、
早まった行為を思いとどまらせたといいます。

以後、元康 (家康) は、あらゆる戦場において、
この「厭離穢土 欣求浄土」の文字を旗指物として用い、
ついには、天下人秀吉に成り代わって、政権を握るに至るのです。

桜並木

この日は、春まっただ中の日曜だったわけですが、
前日の土曜から天候には恵まれず、一夜明けても、雨の気配が色濃く残っていました。
そんな、よろしくない日和にもかかわらず、取り敢えず出発。
途中、堤防道路を走りつつ、壮麗な桜の並木を見物したりしました。
(ちなみにこの日は、ヨメのプジョーにて出発しました)

その後、国道23号線に入り、名古屋市をすぎたあたりで国道1号線にスイッチ。
先日、MINIで岡崎市の味噌蔵を見学に行きましたが、そのときと、
ほぼ同じルートをとることになりました。

が、岡崎市を目前に道は大渋滞。
どうやら、岡崎城のある岡崎公園で、桜にまつわるイベントがあるらしく、
渋滞はそのためと思われました。

というわけで、少し時間をロスしてしまいましたが、
国道1号線から、国道248号線に入って北上。
ほどなくして、大樹寺に到着することができました。

大樹寺到着

が、やはりというべきか、大樹寺はかなりの人出で、駐車場は満杯。
かと思いきや、駐車場の奥にも、クルマが止められるスペースがあり、
なんとか、駐車することができました。

山門

こちらがその大樹寺の山門です。
建立されたのは、家康の孫である三代将軍家光の時代だそうですが、
大樹寺は火災で焼失しており、いまの建物は安政に再建されたものだといいます。
ですので、この山門も、後に再建されたものなのかもしれません。
(それとも、当時のオリジナルなのでしょうか…)

大樹寺

おりしも、ちょうど桜が咲いており、この地を訪れるには、
まさに絶好の時期だったかもしれません。
写真では、なんとなく青空っぽく見えますが、実際には、
けっこう曇っていて、このお天気だけがちょっと残念です。

というわけで、さっそく本堂のなかへ。
本堂には阿弥陀如来像が鎮座しており、その左右には、
金色の板に濃い緑の文字で「厭離穢土 欣求浄土」と大書してありました。
この文字を見るだけで、家康ゆかりの寺、という雰囲気が、
いやがうえにも醸し出されています。

本堂より先は拝観料が必要とのことですので、拝観料 (大人400円) を納めて、
奥へと見学に行くことにしました。

これより先は撮影が禁止されているため、
残念ながら、写真はまったくないのですが、
奥にある収蔵庫には、ふすま絵などが展示、保管されており、
また、宝物殿には、ご本人の身長と同じ寸法で作られた位牌が、
並べて展示されています。

昨年の夏、岡崎城公園にいったさい、案内をしてくださった観光ガイドさんから、
大樹寺の位牌のことを聞いていましたので、今回、こうしてようやく見学ができ、
感無量といった思いでした。

このなかで、とくに興味深かったのは『生類憐みの令』で知られる、
五代将軍綱吉の位牌です。
この位牌だけ、極端に高さが低いのです。
位牌の前に置かれた解説文によると、高さは約1メートル29センチとのこと。
(ほかの位牌は、ほぼ1メートル50センチ強といったところです)

これらの位牌は、きわめて正確な身長を再現していることが、
歴代徳川将軍の遺骨の調査結果と比較することで、証明されているといいます。
ということは、やはり、綱吉は、成人としては飛び抜けて小柄だったようで、
前出の解説文によると「綱吉の身長に対するコンプレックスが、
生類憐みの令につながったのではないか」とも記されていました。

また、最後の将軍である「徳川慶喜」の位牌がありません。
これはとても意外でした。
まあ、慶喜は、在位一年ほどでしたし、
もちろん、将軍として亡くなったわけでもないので、
唯一の「位牌がない将軍」ということも、納得できないわけではないのですが、
大政奉還を行った将軍として、極めて有名な人物ですし、
位牌がないというのは、なんとも解せない…、
というか、さみしい思いがしました。

ちょうどこのとき、位牌の展示室では、テレビ (NHK) のロケが行われており、
どうやら私は、撮影の邪魔をしてしまったようです。
それにしても、どんな番組のロケだったのか、聞いておけばよかったと、
いまさらながら、思うばかりです。
(もしかすると、大河ドラマの最後に流れる名所紹介かも…)

空も晴れて…

こうしてひととおりの見学を終えて、寺の外に出ると、
雲が晴れて、青空を見ることができました。
もっと早く晴れてくれればよかったのに、と、思うばかりです。

はるか彼方に岡崎城

このとき初めて気がついたのですが、ここ大樹寺からは、
山門を経て、まっすぐ前方に岡崎城が見えます。
近くにいた人たちも、みな、この景色を写真に収めたりしていました。
(もっとも、私が撮ったこの写真では、彼方の岡崎城は見えませんが…)

桜と青空

というわけで、そもそもの出発が遅かったがために、
このときはすでに夕方。
天候は尻上がりに回復してきましたが、結局その後は、どこにも立ち寄らず、
名古屋市を経由して、岐阜市へと帰ってきました。

それにしても、石田三成ゆかりの地にもずいぶん行きましたが、
家康ゆかりの地にも、思えばけっこう行っていますね。
岡崎城も行きましたし、浜松城や、関ヶ原の桃配山、陣場野、などにも行きました。
これからも、歴史に名を残している場所を、探訪したいものです。



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