関ヶ原決戦地

さてさて、ここのところ、すっかりブログの更新が滞ってしまいました。
というのも、11月に入ってから、お仕事が急に忙しくなってしまい、
ブログにまで、なかなか手が回らなくなってしまいました。
(先月は比較的ヒマだったのですが…)
そんなわけで、新規投稿記事を書いている時間は、いま、なかなかとれないのですが、
とはいいつつも、ブログをあまりに放置すると、そのうちに、
冒頭部分に広告などが表示されてしまい、みっともないコトになってしまうので、
ちょっとネタが古いのですが、先月 (10月) から今月にかけて巡ってみた、
関ヶ原古戦場の各陣跡などについて、いまさらですが、ご紹介したいと思います。

今年は、この11月に入ってからは、比較的天候に恵まれているように思いますが、
先月は週末ごとに雨が降るなど、空模様にはついては、
ツイてないことが、とても多かったように思います。
今年の関ヶ原合戦祭りは、10月の14日(土)、翌日の15日(日)だったのですが、
両日とも晴れの予報はなく、15日にいたっては終日雨とのことでした。
というわけで、とりあえず雨を避けて、14日の土曜日に、関ヶ原へと行ってみました。

今年は、司馬遼太郎の『関ヶ原』が映画化され、
好調な成績を残しているとの情報がありますので、その勢いを受けて、
関ヶ原合戦祭りも、例年にも増して盛り上がるのでは、と、思っていました。
ですが、実際に関ヶ原に行ってみると、人出については、
例年通りか、もしかすると、ちょっと少なかったかもしれません。
これもやはり、お天気のせいだったのかもしれません。

もし、映画『関ヶ原』に出演している岡田准一さんあたりが、ゲストとして、
この関ヶ原に来てくれたなら、祭りの来場者数は、おそらく劇的に変わったかと思います。
実際、去年の祭りの際に、大河ドラマ『真田丸』で石田三成を演じた山本耕史さんが、
笹尾山で屋外トークショーを行なったさいは、かなりの見物客で賑わいました。

映画『関ヶ原』にちなんだイベントについては、今回の祭りのさいにも、
監督のトークショーや、島津義弘役の俳優がゲストとして招かれるなど、
それなりにあったのですが、来場者を大きく増やすほどの効果には、
至らなかったかと思われます。

合戦祭り会場

こちらは、祭りのメイン会場となっている陣場野のあたりです。
さすがにこのあたりは、多くの人で賑わっていました。
私が関ヶ原に到着したのは、お昼少し前だったので、去年と同じように、
今年もまた、こちらで『勝鬨カレー』をいただきました。

長野剛ポスター

関ヶ原合戦祭りといえば、この長野剛さんのポスターも、
必須アイテム的な存在といえるかもしれません。
各武将の旗指物や、これらイラストが展示されていると、気分も盛り上がります。

と、会場をあちこち見物したあとは、昨年と同じように、
徒歩で、各陣跡を巡ってみることにしました。

まず最初に行ってみたのは、東首塚と井伊直政陣跡です。
両者は、ほぼ同じ場所に位置しており、陣場野からもほど近いのですが、
祭りの賑わいが嘘のように、首塚は訪れる人は少なく、とてもひっそりとしています。
もっとも、天下分けめの合戦を偲び、かつての戦さ場を巡るわけですから、
もののふの霊に哀悼の意を表すのも礼儀かと思い、こちらにはいつも行くことにしています。

陣場野

その次に行ったのは、田中吉政の陣跡と、徳川家康の最終陣跡です。
徳川の陣跡には、厭離穢土欣求浄土の旗指物が翻っていました。
旗指物というのは、なにかしら心躍るものがあります。
この厭離穢土欣求浄土の旗指物もそうですが、
武田信玄の風林火山の旗指物なども、かっこいいですね。
昨年、武田信玄の葬儀が行われたという会の恵林寺に行って来ましたが、
そこでは、風林火山のミニチュアの旗指物が、お土産として売られていました。
いまさらですが、買っておけばよかったかも、と思うことがあります。

笹尾山

その後は、石田三成と島左近の陣があった笹尾山へ行き、そこからさらに、
島津義弘の陣跡へと徒歩で向かいます。

島津義弘陣跡

今年の合戦祭りのテーマは、この島津義弘だそうで、関ヶ原文化会館には、
島津義弘をモチーフにしたお土産屋さんもありました。
売り子さんたちは鹿児島の人たちだったようです。
関ヶ原合戦のさいには、積極的な参戦をしなかった島津勢ですが、
自らが与した西軍の敗北が決定的になると、薩摩へ帰陣するための撤退戦を開始します。
通常であれば、撤退とは、強力な敵を避けて後ろに下がるものなのですが、
島津勢は、徳川家康の本陣めがけて、前進するかたちで撤退します。
このような撤退は、軍事的に非常識なのでしょうが、島津勢は、
多大な犠牲を出しつつも、結局、この撤退を成功させ、薩摩へと帰るに至ります。
薩摩勢がいかに強かったか、推して知るべしですね。

宇喜多秀家陣跡

その後は、小西行長、宇喜多秀家の陣跡を巡り、大谷吉継の墓へと向かいました。
大谷吉継の墓のある場所は、いつ訪れても、すがすがしさを感じますし、
また、心が落ち着くように思います。

西軍から東軍へと寝返った小早川秀秋は、大谷隊への攻撃を開始しました。
しかし大谷は、この寝返りをすでに予見しており、小早川隊の猛攻を、
少ない手勢で何度も追い返すことに成功しています。
とはいえ、小早川にならって、脇坂安治をはじめ、赤座、朽木、などの諸隊も、
東軍への寝返りに転じたために、ついに大谷は、抗し切れなくなります。
四面楚歌となった大谷隊は崩れ、ひいては西軍そのものも総崩れとなってしまいます。
西軍の敗北を悟った大谷は、東西両軍の中でただひとり、自刃しました。

大谷吉継墓

自刃のさい、大谷の胸には、無念や失意の思いがあったかと思われます。
ですが同時に、重い病を患いながらも、日ノ本を分ける大いくさを成し得たこと、
そしてたとえいっときにせよ、東軍を劣勢に追い込めたことに、
本懐を遂げたといった心持ちもあったのかもしれません。

この場に来て、澄んだ空気のなかに身を置いていると、
最後の瞬間の大谷吉継の心情に、いつも、思いを馳せてしまいます。

その次に目指したのは、裏切り者として名高い小早川秀秋の陣があった、松尾山です。
前年にも登った山ですが、今回も、また挑戦してみることにしました。
が、体力が落ちたのか、とにかく、今年の松尾山登山は、本当にしんどかったです。

松尾山の苦しい道

道の途中までは、比較的スイスイとあがったのですが、途中の階段から、
どうにも息が上がってしまい、なかなか足が前にでなくなってしまいました。
う~ん、この日は、私の誕生日の1日前で、翌日には55才になろうとしていました。
やっぱり年なんでしょうか…。トホホです。

とはいいつつも、なんとか登り切りました。
陣跡には誰もおらず、まったくのひとりきり。
ちょっとさみしい気もしましたが、ゼイゼイと肩で息をしていたので、
人がいたら、恥ずかしかったかもしれません。

小早川秀秋陣跡

というわけで、記念撮影。
小早川の旗指物が翻っていました。

そんなわけで、この松尾山で体力を消耗してしまい、また、出発が遅かったため、
この日は、松尾山を最後に、関ヶ原をあとにすることとなりました。
島津勢が最後に壮絶な戦いを繰り広げたという『鳥頭坂』にも行きたかったのですが、
ここでギブアップです。

まあ、無理をすれば、鳥頭坂に行けなくもなかったのですが、
昨年の関ヶ原巡りのさい、全陣跡を巡ることに固執して無理をして歩いたため、
両足の爪を剥がしてしまう、という悲惨な事態になりました。

爪を剥がしてしまったとしても、結局は自然に治るのですが、
それまでには半年以上もかかり、できれば、もう二度と、爪は剥がしたくないものです。
というわけで、今年は早々に切り上げることにしました。
(とはいえ、ここで、西首塚にまだ行っていないことを思い出し、
急遽、向かうことにしましたが‥)

鳥頭坂

後日になりますが、鳥頭坂には、ヨメのクルマで連れて行ってもらいました。
前回きたときにはなかった、アクリル製と思われる立派な看板が立っていました。
この看板は、関ヶ原の各陣跡に、すべて立っていました。
しかも、たくさんの島津の旗指物も立てられており、
ずいぶんと様変わりしたように見受けられました。
関ヶ原町も、いろいろとがんばっているようです。

奥平貞治墓

また、こちらは、小早川隊のなかに目付として潜入していた、
徳川家康の旗本である奥平貞治のお墓です。

西軍についた小早川秀秋ですが、かねてから東軍の調略を受けており、
合戦時には徳川方に寝返ると密約を結んでいました。
ですが、ほんとうに寝返ってくれるのか、それを心配した徳川家康は、
自分の配下の者を、目付として、小早川隊に送り込みました。
それがこの奥平貞治です。

この場所は関ヶ原古戦場からは少し離れているため、いままで、
きたことはなかったのですが、鳥頭坂同様、ヨメに連れてきてもらいました。
ただ、こちらは、駐車場がなく、しかも周囲は民家が建て込んでおり、
ほんの一瞬の来訪でした。

桃配山

さらに後日、徳川家康最初陣地である、桃配山にもいってきました。
この場所は、今年の11月から、安全対策工事のため、来春まで閉鎖になるとのことで、
この機に行かねばと足を運びました。

閉鎖になるのは、桃配山だけでなく、大谷吉継の墓も含まれるそうです。
そんなわけで、大谷の墓にも、今年の見納めとばかりに、再訪しました。

このときはヨメとふたりでいってきましたが、ヨメも、
ここの空気は落ち着くね、などといっていました。
おそらく、誰がきても、そう感じるのかもしれません。

というわけで、今年も、417年前の関ヶ原合戦を偲び、
各陣を(といっても、すべての陣ではありませんが)、行脚しました。
来年の春にも、また、あちこち歩いてみたいと思っています。



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