
5月の連休が過ぎた後、非常に忙しくなってしまい、毎週土日も仕事に追われ、
いまやお出かけも、まったくままならなくなってしまいました。
MINIに乗ってドライブ、などということもできず、日々、事務所に缶詰…。
こういう生活は、ちょっとストレスがたまりそうです。
3月は暇だったわけで、お仕事が平均してくれるとありがたいんですが、
なかなかそうはうまくいかないようです。
そんなわけで、今月は思うようにブログも書けず、というよりも、
なによりネタがないわけですが、一応、前回も予告しましたように、
今回も「なにをいまさら」という感じですが、GWのことについて、
あらためて振り返ってみたいと思います。
(今回の記事も、少しづつ書いては中断し、また再開して、という感じで、
本日、どうにか、アップまでこぎつけました)
今年の連休は、前半は好天に恵まれましたが、その後、変わりやすいお天気になり、
後半の二日ほどは、ふたたび青空を見ることができたかと思います。
その最後の二日間のうちの土曜に、長野県の有名な古戦場『川中島』に、
行ってきました。
私は、独身の頃から、長野市には頻繁に行っており、
また結婚したあとも、善光寺や戸隠神社などに、何度となく行ったりしています。
(もっとも、戸隠神社はここ最近行くことができていませんが)
ところが、長野市近郊の川中島には、いままで一度も行ったことがなく、
今回がはじめての来訪となりました。
というのも、HHK-BSで放送されていた、大河ドラマ『武田信玄』や、
内野聖陽サン主演の『風林火山』などを見て以後は、一度は、
この北信濃屈指の激戦地である川中島に行ってみたいと思うようになっていました。
そしてようやく、今回の連休で、念願が叶ったという次第です。
目指すは、第四時川中島合戦の舞台となった、八幡原です。
とはいっても、当初はその位置がよくわからず、
大河ドラマの劇中に登場した双方の軍勢の布陣図を、頭に思い描きつつ、
道をたどることにしました。
八幡原は、たしか、善光寺平の南東方向で、千曲川の北になっていたかと思います。
というわけで、国道19号を進み、長野市の市街地の南を、東に向けて走りました。
そうこうするうちに、茶臼山、という案内看板が出て来ました。
茶臼山といえば、武田の軍勢が最初に布陣した場所のはずです。
ということは、上杉側が布陣した妻女山も近いはずです。
ルートはどうやらこれで正しそうです。
そうこうするうちに、川中島古戦場という案内看板が見えてきました。
やはり、これで正しかったようです。
というわけで、案内看板に沿って道を右折。松代方面へと向かいます。
松代は、八幡原に布陣する前の武田勢が入った海津城がある場所でもあります。

というわけで、思いのほかすんなりと、川中島古戦場に到着。
が、GWということもあってか、あたりは賑わっており、駐車場は満杯。
今回は待っていても、なかなか空きがでません。
が、どうにかこうにか無事駐車することができました。

あたりは公園になっており、幕末、松代藩の開明的な人物として名を馳せた、
佐久間象山の像が立っていました。
それにしても、雲ひとつない晴天ですね!。

というわけで、さっそく、海津城を出陣した武田勢が、
上杉勢との決戦に挑むため布陣したという、八幡原社へと行ってみます。
全極最強の名を欲しいままにした武田家は、
もともとは甲斐源氏の流れをくむ名家とのことで、
信玄 (信玄は出家してからの名で、それ以前は晴信と名乗っていました) の父の、
信虎 (のぶとら) の時代に、ほぼ甲斐国を統一していたといいます。
が、信虎は暴君の一面があり、同時に、嫡男である晴信とはソリが合わなかったようです。
家臣もそんな信虎を見限っていたようで、彼ら家臣団と、晴信は、
ともに結託して、信虎を駿河に追放してしまいます。
いわば、息子が父親を追い出すクーデターを行ったわけです。
こうして、武田家の家督を簒奪するかたちで相続した晴信は、
その後、隣国である信濃に目をつけます。
まず、もともと人質を出し合って同盟を結んでいた諏訪頼重を、
諏訪氏の配下にあった高遠頼綱とともに攻略し、
のちに、その高遠頼綱をも打ち破ります。
一方で駿河の今川や小田原の北条とは同盟を結んで、
南の安定を図りつつ、信濃に対しては、奥深くまで軍勢を差し向けます。
信濃の葛尾城主である村上義清などは、頑強に武田に抵抗し、
武田側も苦戦を余儀なくされますが、やがては村上も破り、
武田は信濃を平定するに至ります。
が、北の越後へ逃れた村上は、事実上の越後国主となっていた、
長尾景虎のもとに身を寄せたことで、
武田勢と越後とのあいだで、緊張が高まることになりました。
こうして、武田晴信、長尾景虎は、
北信濃の覇権をめぐって争いを繰り広げることになりますが、
双方とも、総力戦による決戦を避けており、
そのため、にらみ合いと小競り合いのような状態が続いていました。
が、永禄四年の第四次合戦は、ついに総力決戦に至りました。
このとき、長尾景虎 (この当時は上杉政虎という名を使っていたと思います) は、
善光寺平から、千曲川の南の妻女山に布陣し、あえて退路を絶って武田勢を迎えます。
武田も、最初は茶臼山に布陣しますが、その後、重臣の高坂弾正の城である、
海津城に入り、以後、膠着状態となります。

この状態にしびれを切らした武田勢は、
自らの軍勢をふたつに分け、一方の軍を闇夜に紛れさせて妻女山に向かわせ、
そこに立てこもる上杉勢を山から追い落とし、北の八幡原へと追い詰める策をとります。
八幡原には、武田の残りの軍勢があらかじめ布陣しており、
そこで、妻女山を追われた上杉勢を挟み撃ちにして討ち取る、
という腹づもりだったといいます。
この作戦は、山にたてこもる敵を追い出してしまうことから、
『キツツキ作戦』と呼ばれたともいいます。
ところが、武田側のこの作戦は、上杉政虎に見破られてしまい、
上杉勢は武田の別働隊が攻めてくるまえに、自ら妻女山を降りて、八幡原に布陣しました。
武田の別働隊が妻女山に登った頃には、すでに山頂の陣地はもぬけの殻。
八幡原に布陣した武田勢は、半分の手勢で、
上杉側の軍勢を引き受けなければなりませんでした。
武田側は絶体絶命になりましたが、それでも、武田は戦線を維持し、
そこに妻女山から急遽駆け下りてきた武田の別働隊が、上杉勢の背後をつくこととなりました。
上杉政虎は、八幡原より兵を引き、善光寺平へと撤退します。
というと、まるで武田が勝ったかのような印象ですが、
武田側は、上杉側を上回る犠牲を出し、また、
武田典厩信繁、山本勘助、諸角豊後守、といった、重臣を失ってしまいます。
戦さ場に踏みとどまったのは武田なので、武田が勝ったといえば、そうなるかと思いますが、
損害の多さを考えれば、勝ち戦とはいえない結果に終わりました。
いってみれば、多大な消耗戦だったのかもしれません。
川中島合戦は、いわばローカルな争い、ともいえると思いますが、
それでも、知名度は抜群で、歴史になんの興味も関心もなかった頃の私でさえ、
その名やよく知っていました。
天下に行方を決めた戦である、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、などよりも、
川中島の戦いのほうが、はるかに有名かと思います。

そして、こちらが、あまりにも有名な、武田信玄、上杉謙信、一騎打ちの像です。
この合戦では、軍勢を率いる大将同士が直接対決したということで知られており、
(実際にそんなことが起きたのか、にわかには信じられませんが)
こうして、記念の像が設置されています。

そして、この八幡原からは、妻女山を望むことができます。
(境内にいた観光ボランティアの方に、妻女山の場所を聞きました)
奥側の山ではなく、その手前にある少し低い山が、妻女山だとのことでした、
あの山を降りた上杉勢が、この八幡原を目指して、
車懸かりの陣で襲いかかってきたんですね。
というわけで、たっぷりと八幡原を堪能してきました。

そのあとは、公園内にある長野市博物館に行ってみました。
こちらでも、川中島合戦にまつわる展示や、古代の信濃の遺跡の展示などもありました。
また、太陽系の惑星の詳細な写真や、宇宙観測機の模型の展示なども、行っていました。

それにしても、この場所はとてもいいところです。
お天気もよく、暑くもなく、寒くもなく、ちょうどよい気温でした。
その後は、松代の海津城に向かってみることにしました。
クルマでほんの少しの距離です。

海津城には、最終的に、武田の家臣であった真田信之が入ることとなり、
その後、名も松代城に改まりました。
真田信之は、大坂冬の陣、夏の陣で徳川に多大の打撃を与えた、あの真田幸村の兄です。
信之は、この松代で、真田は十万石の大名となり、真田家は明治まで存続したといいます。
まさに真田は、難しい時代をうまく生き残った、勝ち残ったのですが、
一方で、徳川を最後まで追い詰めるといった、後世まで残る名声も得ているわけで、
それを考えると、さすが真田、と、感慨も新たになります。

こちらが海津城の本丸跡だそうです。
GWとはいえ、ここ海津城はそれほど観光客も多くなく、
のんびりした雰囲気が漂っていました。

その後は、真田邸へ行ってみました。
入場料は300円(だったかな?)と、リーズナブルでした。

こちらも、それほど混んでおらず、ゆっくり見て回ることができました。
真田といえば、やっぱり上田のほうが有名ですし、そちらはきっと、
大勢の見物客がいたのでは、と思います。
というわけで、川中島を堪能したGWでした。
コチラをクリックしてくださるとうれしく思います。
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