玉蘭表紙

桐野夏生の小説「玉蘭-ぎょくらん-」を、読了しました。

じつはこの本、去年買ったものなのですが、
部屋の隅に置きっぱなしにしたまま、いつしか存在さえも忘れていました。
ですが、本作が、テレビドラマ化されたとの番組宣伝を見て、
ふと、「そういえば、この原作本、うちにあったな」と、思い出し、
埃をかぶっていた玉蘭を、ふたたび手に取った、という次第です。

さて、そのストーリーですが…。

物語は、主人公「広野 有子」が、深夜、留学した上海の大学の学生楼で、
眠りに落ちるための儀式を始めるところから始まります。

有子は、不眠症に悩まされているのです。

強い上昇志向を持ちながらも劣等感に苛まれている彼女は、
恋人である「松村 行生」との恋に終止符を打ち、新天地を求めて、
上海への留学を決意したのです。

が、そこは、日本人留学生ばかりが集う、日本よりも濃密な「日本」でした。

有子は、異国の地で群れ集う日本人の、閉ざされ圧縮された人間関係の中で、
急速に自らをすり減らしていきます。

そんな彼女のもとに、
昭和二十九年に行方不明になった大叔父「広野 質-ひろのただし-」が、
二十代の若々しい姿のまま、霊体となって現れます。

そして、物語は、有子を取り巻く人々との関係と、
質の生きた戦乱の時代とが、折り重なって進んでいきます。

私は、これまでに、
「OUT」「柔らかな頬」そして、村野ミロシリーズなどの、
桐野作品を読みました。

桐野作品に共通していえる特徴は、主人公が抱える「閉塞感」が、
巧みに描写されていることです。
どこにも逃げ場がない、緩慢な圧迫感…。
「OUT」の弁当工場にも、「柔らかな頬」の製版会社にも、
それらが、にじみ出ていました。

今回の玉蘭においても、そうした感覚は、うまく描写されています。

物語の中で、霊体となった質は、
「新天地などどこにもない。新天地に来たと思っても、
 そこは、自分の知っている世界の最果てにすぎない…」
と、有子に告げます。
「過去を持っている限り、どこにいこうと、
 そこは自分の世界であり、新天地ではない…」
それが、質の主張なのです。

この台詞からも、桐野らしい閉塞感が読み取れます。

有子にとって、地方出身の女が東京で生きることは戦争であり、
恋愛もまた、闘争のひとつなのです。
彼女は、その戦いの中で、傷つき、消耗して、上海へと逃れます。
ですが、彼の地でも、また、同じ消耗が続くのです。

一方で、軍閥が群雄割拠する1920年代末期の中国で、
肺病に冒されながらも、残された命を振り絞って夫を愛する、
たくましくも妖艶な質の妻「浪子」の姿も、語られていきます。

物語の終盤には、妻を失った質の後日談が語られています。
それは、傷つけ合い奪い合う、有子と松村との恋愛とは対極をなす、
単純で暖かい「老いらく」の恋の物語です。

心の荒涼を描いた本作品にあって、このエピソードは、
それまでの桐野作品にはない、穏やかな読後感を与えてくれました。

さて、つぎは、「グロテスク」でも、読みましょうか…。




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