天国でまた会おう

コロナ禍、そしてウクライナ侵攻後による急激な燃料費等の高騰もあって、
ここのところ、あまり長距離のお出かけができていません。
本ブログは「お出かけブログ」という傾向がとても強かったのですが、
昨年あたりから、お出かけにまつわる記事がすっかり少なくなってしまって、
自分としても、忸怩たる思いがあります。
さほど遠くなくても、どこかに気晴らしに出かけたいものですね。

というわけで、今回もまた、ブックレビューを行ってみたいと思います。
今回は、ピエール・ルメートルの「天国でまた会おう」を取り上げてみます。
ルメートルはその女アレックスに代表されるように、ミステリーを書く作家、
というイメージがありますが、この天国でまた会おう、は、ミステリーではなく、
第一次大戦の終戦間際から、終戦一年後までのあいだのフランスを舞台にした、
いわゆる「時代小説」になるのかな、と思います。
しかもこの文庫は、ハヤカワ書房から出版されています。

この「天国でまた会おう」は、続く、「炎の色」へとバトンタッチし、
「我らが痛みの鏡」で、完結となるそうで、
その意味では、三部作ということになるのでしょうか。
で、とりあえず今回は、天国でまた会おう(上下二巻)を、ご紹介したいと思います。

本編の主人公は、アルベール・マイヤールという若者と、
その戦友でずば抜けた画才を持つエドゥアール・ペリクールです。
また、アルベールの上官アンリ・ドルネー・プラデル中尉、エドゥアールの姉、マドレーヌ、
そしてエドゥアールの富裕な父、マルセル・ペリクールを軸に、
物語が展開する構造となっています。

天国で〜の中身

さて、そのお話は……。
物語は1918年秋から始まります。
この頃、第一次大戦はまもなく終わる、という噂が、
戦場のあちこちで囁かれるようになっていました。
そんな状況下では、兵士の士気は上がりません。
もうすぐ終戦なのに、ここで戦死しては元も子もないからです。
こちらのフランス軍も、向こうのドイツ軍も、そんな厭戦気分の中で、
たがいに動きを見せず、ひたすら時が過ぎるのを待っている感がありました。

ところが、敵陣を探るべく斥候に出たフランス兵を、ドイツ兵が射殺。
ここから猛烈な戦闘が始まります。
フランス軍将校のドルーネプラデル中尉は、味方の兵士たちに突撃を命じます。
兵士アルベール・マイヤールもこの突撃に加わりました。
が、マイヤールは、その最中、敵弾に斃れた味方斥候兵の遺体を発見します。
その遺体は背中を撃たれていました。
斥候兵を射殺したのは、ドイツ兵ではなく、味方のフランス兵だったのです。
プラデル中尉は、戦争が続いているうちに武勲をたてようと、
味方斥候兵を手にかけたのです。

この事実に気づいた途端、アルベールは、突進していたプラデル中尉に、
砲弾でできた穴に突き落とされます。この穴からは容易に出られません。
プラデルはその場をさり、その付近に榴弾砲が着弾。
大量の土砂が巻き上げられ、アルベールの落ちた穴は埋まってしまいます。
窒息寸前のアルベールを救ったのは、戦友のエドゥアールでした。
が、直後、さらに砲弾が着弾。エドゥアールは顔の下半分を失う大怪我を負います。

アルベールは、命の恩人であるエドゥアールを献身的に看病します。
が、エドゥアールは、二目と見られない顔になったせいか、家に帰ることを断固拒否します。
アルベールは一計を案じ、死亡したフランス兵と、友人エドゥアールの身分を交換、
エドゥアールを死んだものとし、戦死したラヴィエールの身分をエドゥアールに与えます。

ふたりは、戦後の混乱するフランス社会の中で、肩を寄せ合って生きていきますが、
生活は困窮、もう、どうにもならなくなってしまいます。

そんななか、顔を失ったエドゥアールは、
社会を震撼させある、一大詐欺計画を思いつくのですが……。

ハヤカワ文庫背表紙

物語は、このアルベールとエドゥアールを中心軸としつつ、
いけすかないペテン師プラデルの成功と破滅と、
息子に対して屈折した愛情を持つペリクールの物語、そして
プラデルの妻となったペリクールの娘、マドレーヌのストーリーとを、
交互に、重層的に語るかたちで進展していきます。
なので、ちょっと群像劇的な印象があるという感じでしょうか。

ストーリーは、ルメートルらしくとても面白く、また、
極端なビビリ屋のアルベール、エキセントリックなエドゥアール、のコンビが、
とてもユーモラスに描かれていて、読み手を飽きさせません。
このあたりは、ルメートルらしさが出ているかもしれません。

また、エドゥアールの顔の怪我がいかにひどいのか、その様子や、皮膚の色、
吐息の匂いまで描写してあり、こうしたどこか猟奇的な表現も、
ルメートルらしいのかな、と、ふと思ってしまいました。

余談ですが、顔を失った男が別人になりすます、というくだりを読んだ日本の読者のかたは、
おそらく、100パーセント、横溝正史の「犬神家の一族」を思い出すのではないでしょうか。
私も、読んでいて、思わず、「スケキヨかよ」とつぶやいてしまいました。

互いに深い愛情を抱きつつも、激しく憎み反発しあう、
マルセルとエドゥアールの父子関係についても、読ませどころかと思います。

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ただ、この小説は視点人物がよく変わる構造となっています。
マルセルが視点人物となるシーンなどでは、
ときに、娘のマドレーヌが視点人物なったりします。
それがこの場面の妙味となっているのですが、えてしてこうした多視点人物の小説は、
内容が散漫になってしまうようにも思います。

また、ストーリーにおいても、
アルベールが作品全体の主人公となって物語が進行していく体裁をとりながら、
最後のクライマックスに、そのアルベールが絡まないかたちとなっていて、
これもまた、物語の散漫感を出してしまっているのかな、と思います。

日本の小説の多くは、三人称一視点形式となっていて、
視点人物が変わる場合は、章やチャプターを変えて語る場合が多いのではないかと思います。
このほうがはるかに読みやすいと思うのですが、海外の翻訳小説は、
ひとつのシーンで他視点になってしまうことが、比較的多いように思います。
こういう方法はあまり褒められたものではないような気がするのですが……。

などといろいろ書きましたが、ハヤカワで翻訳出版されるだけあって、
作品としてはとても面白いと思いました。
次作の炎の色は、エドゥアールの姉、マドレーヌが主人公となるようです。
こちらもまた、さっそく読んでみたいと思っています。

あっ、そのまえに、どこかにお出かけに行きたいです!。


コチラをクリックしてくださるとうれしく思います。
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