モンデウスのミニ

ここのところ、
いろいろとバタバタしていて、なかなか日記がアップできませんでした。
(書きたいコトはいろいろとあったわけですが…)

というわけで、ちょっと久しぶりの投稿です。

さてさて、先日の日曜、
私の住むマンションからクルマで十五分ほどの場所にある「道の駅」で、
地味ながら、ちょっと風変わりな展示会をやっているとの情報を得たので、
さっそく、MINIで行ってみました。
その道の駅というのは、山の上。スキー場のふもとにあります。
(昨年、私が結婚式を挙げたのも、このスキー場のふもとです)

で、肝心の展示内容ですが…。

会場の様子

日露戦争当時、私の住む村(現在は高山市ですが)の職員が、
無線電信によって戦況を傍受し、その内容を半紙に書き取って、村人に配布したといいます。
そうした配布物は、今もなお保存されており、今回、
パネル展示した、というのです。

日露戦争は百年以上前のことですが、こうした書面が、21世紀になった現在も、
多数、残されていることに、私は、正直、驚いてしまいました。

奉天会戦

まず、こちらは、日露戦争屈指の激戦であった、
「奉天会戦」-ほうてんかいせん-の戦況を記したペーパーです。

私のつたない知識によれば、
奉天方面を占領していたロシアの将軍クロパトキンは、
乃木希典大将麾下の第三軍が奉天に迫っているとの報に接し、
自ら兵を引いたといいます。
クロパトキンは、旅順要塞を攻略した乃木の第三軍をとても恐れていて、
決戦を避けたとみられています。
よって、日本軍は、奉天に入城することができ、なんとか勝利を収めたのですが、
この一連の戦闘で、日露双方ともに、甚大な損害を出したといいます。
とくに、日本側の戦死者数は、
長きに渡った旅順攻略戦に匹敵するほどだったといいます。

奉天会戦に関するメモは他にも多数あり、当時は、こんなド田舎に住む日本人でも、
リアルタイムで、詳しく正確な戦況を知っていたようです。
これは、驚くべきことだと思います。

日本海海戦の戦果

そしてこちらは、日本海海戦の大勝利を伝えるメモ。
紙面には、バルチック艦隊を構成する艦名までもが、キチンと入っています。

このメモを読んだ村人は、大戦果に狂喜乱舞したことでしょうね。

ちなみに、パネルにうっすらと映りこんでいる人影は、私とヨメさんです。

講和条約の締結

さらにこちらは、ポーツマス講和会議の内容を伝えるメモです。

1905年、ポーツマスの地で行われた、
小村寿太郎全権大使と、ロシア外相ウイッテとの息詰まる外交交渉の結果、
日本は、南満州鉄道の経営権や、樺太の南半分の割譲などを勝ち取りました。

余談ですが、ポーツマス講和会議に使われたテーブルは、
愛知県犬山市にある「明治村」というテーマパークに、
今も、保存されています。

こちらも、極めて地味な展示方法(旧帝国ホテルの建物の奥に、
ひっそりと置かれていました)でしたが、日本が列強国の仲間入りをはたした時の、
貴重な歴史的遺物です。
はじめてみた時は、ちょっと感慨深いものがありました。

そして、この展示を見た後は、ヨメのクルマに乗り換え、
酷道ドライブへとでかけました。

その模様はまた次回。



コチラをクリックしてくださるとうれしく思います。
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