組み立て中のアッシュ

さて、今回は、私の趣味である模型製作 (プラスチックモデル) について、
ひさしぶりに、少しばかりご紹介したいと思います。
とはいえ、私の場合、模型はここ10年以上、チマチマと時に作ったりはするものの、
まったく完成させたことがなく、延々と、先の見えない作業だけをしています。
ですので今回も、製作途中にあるもののご紹介ということになります。

もっとも、そこまで完全なものを求めようとせず、
妥協してどんどん製作を進めていけば、完成品も数多くできるのではないかと思います。
ですが、もともとのマニア癖のためか、なかなか安易に妥協もできず、
かといって、まとまった時間もなかなかとれず、
そのうえ、時間があれば本も読みたい、などと、ほかにもやりたいことがあって、
模型製作はいつも足踏みばかりです。

中学生、高校生のころは、それこそたくさんの完成品を量産していましたが、
いまでは、そんなことは夢のまた夢になってしまいました。

それでも、プラモデルをまったくやめてしまうことは今もなく、
ときどき、思い出したように、手を動かしたりしています。
まあ、中学、高校の当時は、MINIをいじることも、ドライブすることも、
読書することもあまりなかったわけで、いまとは状況が違うのですが…。
いずれにしろ、この模型趣味は、どうやら一生涯続きそうです。

エレールのキット

というわけで、いま、手がけているのはコチラ。
フランスのプラモデルメーカーである『エレール』社が発売した、
シトロエンのタイプH、いわゆる『アッシュ』と呼ばれるクルマのキットです。
(巷では、Hバン、Hトラックとも呼ばれたりしています)

シトロエンHバンは、日本でも、キッチンカーに改造されるなどして、
広く使用されており、いわば、とても有名な車両かと思います。
車名はわからなくとも、誰もが、このレトロでオシャレなデザインのフランス車を、
一度は見たことがあるのではないかと思います。

アッシュのイラスト

私も、この箱型のシンプルで実用的なデザインが好きで、
いつかプラモデルとして発売されないものか、と待っていたのですが、
その念願叶い、ついにエレール社がキット化してくれました。

というわけで、発売を聞くやいなや、すぐさま購入したのですが、
この直後に、日本のメーカー (エブロ社) からも、
同じシトロエンHバンのキットが発売されるというアナウンスがあり、
ちょっと勇み足で買っちゃったかなあ、という思いもありました。
なにしろ、日本製のほうが、品質には信頼感がありますから…。

とはいっても、すでに買ってしまったものは、もはや仕方がない…、
などといったらエレールに失礼ですが、とにかく、さっそく製作を開始しました。
(ちなみに、キットの購入も、製作をはじめたのも、去年の話です)

箱組みはたいへん

ボディは、底面や左右が別パーツとして分かれており、
それを箱組みするよう指示されています。
ところが、私が買った個体がそうだったのか、もともとの品質がそうなのか、
そのあたりはよくわかりませんが、とにかく、部品の変形が多数あり、
箱組みをきちんと行って、クルマのかたちにするのがたいへんでした。

強制的に歪みを修正

瞬間接着剤を使って強制的に変形を矯正しつつ強引に接着していく、
という方法をとったのですが、なかなか歪みがとれず、難儀しました。
ところが、それでいて、最終的には、4つのタイヤがきちんと地面に接地するようになり、
なんとか、ことなきをえました。
日本製のキットを買えば、きっとこのようなことはなかったのかもしれません。
やはり、エレールのキットは難物です。
とはいえ、このキットが、合いが悪いキットだとは、一概に決めつけられないと思います。
変形さえ強制してしまえば、パーツの合いは、スムーズだったといえるかもしれません。

なんにせよ、ただ組むのさえ難儀するキットなのに、
今回私は、このシトロエンHをキッチンカーにするべく、改造もはじめました。
ただでさけ、プラモデルをなかなか完成させらないにもかかわらず、
改造を始めるなんて、かなり無謀ですが、
このシトロエンHバンは、お店になってこそ見栄えするクルマ、と、
私は思っているので、キッチンカーへの改造は、避けて通れないところでした。

ところが、同じシトロエンHを後発でキット化したエブロ社が、
今度は、シトロエンHをお店にした『モバイルキッチン』という製品を発表し、
またしてもショックを受けることに……。
モバイルキッチンには、コーヒーメーカーやガス台、レジやパンまでも入っていて、
もう至れり尽くせりのオールインワンです。
私も、そのすばらしい内容に魅了されてしまい、
もはやこのエレールのシトロエンは放置して、
エブロのモバイルキッチンを買っちゃおうか、とも思いましたが、
すでにエレールのシトロエンHをお店に改造すると決心していたので、
このまま、茨の道を行くことにしました。

というわけで、ちょっと脱線しましたが、エレールの製作のお話に戻ります。
さいわいにも、後部パネルとドアは開閉選択式で組むようになっているので、
まずは側面パネルをカッターで切り離し、こちらをお店のメインウインドウにします。

透明パーツ

このキットは、なんと、ドアやフロント部分が透明パーツで成型されており、
これを、窓の部分をマスキングして塗り分けてガラス部分を表現することになっています。
普通は、窓やウインドウグラスは、別パーツ化されているものですが、
このフランス製キットは、ちょっと常識では考えられないパーツ割りになっています。

マスキングして塗装

というわけで、マスキングして塗り分けるわけですが、
窓の周囲には雨水混入防止用のウェザーストリップもあり、これも塗り分けねばなりません。
マスキングがとても重要視されるキットです。

円形マスキングシート

さいわいにもいまは、あらかじめ丸く撃ち抜かれたマスキングシートが発売されており、
これを使えば、比較的きれいに、窓部分やウェザーストリップ部分をマスキングできます。
この商品は本当にすぐれものです。

木目の表現

また、なにしろショップに改造するわけですから、
キットにない細々としたパーツも自作する必要があります。
まずは、側面開口部分と後部開口部分にとりつけられるテーブル状の板ですが、
切り出しそのものは簡単なものの、板に見えるように塗装するのがなかなかたいへんです。

塗装された板部分

ですが、ウェザリングカラー や色鉛筆、パステルを使って、それらしく塗りました。
かなりうまくいったのではないかと、自分では思っていますし、
実際、目を凝らして見ても、板に見えます。

また、新品ピカピカのシトロエンHでは、なんとなく魅力が薄い、ということで、
使い込まれた年代物の車両にすることにしました。
ボディの塗装は色あせ、ところどころが剥げ、錆びている感じにしてみます。

とはいっても、放置されボロボロに錆びているクルマ、
という状態には、したくはありません。
使い込まれてはいても、あくまで『生きているクルマ』という雰囲気を、
目指したいと思っています。
ですので、サビの状態も、過度に行うことはできません。
そのあたりは、状況を見つつ、慎重に行っていかなければなりません。

というわけで、まずはサビの色である赤茶色でボディ全体を塗装。
そのあとに『シリコンバリアー』という、型取り用の離型剤 (無色透明の薬品) を塗り、
最後に、ボディカラーであるグレーをエアブラシで塗装しました。

車体部分

このような、いわゆる三層の塗装をしたあとで、
爪楊枝などを使って、ボディをつついたりこすったりすると、
シリコンバリアーのうえに載ったボディカラーの塗膜が剥げ、
そのしたの赤茶色が顔を出します。
シリコンバリアーは無色透明なので、最下層の赤茶色が見えるというわけです。

このような塗装法を『シリコンバリアー塗装法』と呼び、
模型雑誌などでもよく紹介されていますが、実際にやってみると、
思ったようには剥げてくれず、なかなか難しいものですね。
シリコンバリアーの代わりに、ヘアスプレーを用いるという方法もあるようですので、
今度、機会があれば、そちらを試してみたいと思います。

サビ表現

また、ボディのうえに浮いた、いわゆる浮きサビについては、
面相筆や爪楊枝などで丁寧に描き込んで表現しています。
このあたりも、実車や、錆びた鉄板などを参考に、それらしく塗装していきます。
使った道具は、パステル、色鉛筆、グンゼ産業の塗料などです。

自分のMINIは常にサビをとってピカピカにしておきたいのに、
模型は錆びた状態にするという、なんとも不可解な行動をしている自分に、
ふと、笑いがこみ上げてきます。

まあ、クルマがどのように錆びるのかは、愛車MINIを見て、
はからずも知っているともいえます。
悲しいことですが…。

それにしても、このエレールのキットは、難物なところはあるものの、
日本のエブロ社のものと比べても、劣らない点が多々あります。
まず、ラジエーターグリルや、フロントウインドウ、後方のドアパネルなどについて、
前期型、後期型の二種を入れており、形式を選んで組み立てることができます。
(エブロ社のものは、このあたりが混同しているのではないかと思います)
全体のフォルムや雰囲気も、とてもよく実車を再現しており、好感がもてます。
ただ、後期型のフロントウインドウに、窓枠のモールド(彫刻)が、
まったく入っていなかったり、説明書にも間違いが散見されるなど、
そのあたりは、日本製プラモデルのようにはいきません。
そうした欠点はあるものの、優れたキットであると私は思っています。

さてさて、キットには軟質樹脂製のタイヤが同梱されています。
ただ、海外プラモデルメーカーの軟質樹脂は、非常にくせ者だと私は思っています。
とても使う気にはなれません。

というのも、以前、イタリアのプラモデルメーカーであるイタレリ社が、
オペルのトラックを発売していたのですが、このなかに入っている軟質樹脂製のタイヤが、
たいへんなくせ者で、経年によってプラスチックを溶かすという、
世にもおそろしいものでした。

このオペルを作ったみなさんは、
数年後、見事にホイルが溶けてしまう、という、惨事に見舞われたのです。

もちろん、エレール社のタイヤが、イタレリと同じ材かどうかはわかりませんが、
あの老舗のタミヤ模型ですら、デザートシボレーという商品に入っていたタイヤが、
数年後にひび割れる、という事態を引き起こしており、
おしなべて、軟質樹脂というものは、信頼性にかけるものだと私は思っています。
(軟質樹脂は可塑剤というものを混入しており、これが、経年によって移動し、
樹脂を劣化させたり、また、別の樹脂に悪影響を及ぼすらしいです)

Shade 3Dでモデリング

というわけで、以前にも使った3Dプリントサービスを使って、
タイヤを3Dプリントしてもらうことにしました。
モデリングに使ったソフトは、Shade 3Dです。
プリントをお願いしたのは、DMM.comで、素材はナイロンにしました。

3Dプリント

というわけで、プリント完成。
キット付属のものよりも、接地面の幅を少し広くして、迫力を出して見ました。

ナイロン出力は表面がザラザラになり、細かいモールドはできませんが、
プリント料金は他の材質に比べて格段に安く、大きな魅力ですし、
ザラザラな表面も、サーフェイサーをかけることで、
平滑にすることができます。

また、ナイロンは、たいへん強い強度を持っているともいいいます。
質感はカチカチという感じで、軟質樹脂のような経年劣化の心配はなさそうです。

3Dプリントのタイヤを塗装

3Dプリントは、レジンを使った複製と違って収縮がなく、
寸法がぴったり出力されるので、キットのホイルに、ぴったりと収まります。

それにしても、こんなふうに自作するんだったら、いっそのこと、
車体の重みでタイヤの接地面が微妙に潰れいてる、
いわゆる自重変形タイヤにすればよかったと、ちょっと後悔しています。

と、書き始めたら意外に長くなってしまいましたので、今回はこのへんで。
次回は、小物制作などについて、書いてみたいと思います。



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奈良国立博物館

今回も、前回に引き続き、雨の奈良旅行について、少し書いてみたいと思います。
二月堂から春日大社に向かう予定で、雨のなかを歩いていましたが、
さすがに、これ以上の徒歩行軍は困難と諦め、奈良国立博物館へと行ってみることにしました。
奈良県立博物館に行くのは、今回が初めてとなります。

まず最初に立ち寄ったのは、博物館の東側にある新館 (東新館、西新館) ですが、
どうやらこちらは、現時点では営業はしておらず、
地下の通路を使って、本館 (なら仏像館) へと行くことを勧められました。
この地下通路は、とても広く、しかも、ミュージアムショップや、
カフェも併設されるなど、かなり楽しめるスペースとなっています。
なにより、外の大雨を避けて移動できるだけでも、とてもありがたかったです。
(ただ、ちょっとカフェはお値段高めに設定されているようでした)

というわけで、奈良国立博物館本館の、なら仏像館へ。
こちらでチケットを買い、さっそく館内へと入ってみました。
それにしても、雨の日は、美術館、博物館見学に限りますね。

館内は、中央に大きな展示室があり、その部屋を囲むように、
展示室が配置されている感じです。
順路としては、向かって右の部屋から各部屋を回るようになっています。

展示された仏像の多くは、平安時代、鎌倉時代のものが多く、
主に、木造、鋳造による金銅仏などが展示されています。

仏像の造形が時代ごとに変遷する様子が見られたり、また、
ユーモラスなものや、筋肉の隆起や風の動きを表現したものなど、
とかく静謐な雰囲気のする仏像のなかで、躍動感にみちたものも多数ありました。
(ちなみに、撮影は禁止されていますので、写真はありません。すみません)

私事で恐縮ですが、これほど多くの仏像を、
いままで一度に目にする機会はなく、そのせいでしょうか、
今回、各仏像の顔の造形の違いが、際立って見えました。
私の印象として、仏像の顔というのは、どれもおだやかで思慮深げで、
その一方で、ともすれば無個性なイメージがあったのですが、
今回、仏像をひとつひとつ間近で見ることで、
その顔がまさに千差万別であることを再発見しました。
また、好きな顔、そうでない顔、といった、
好みも感じた次第です。

また、衣服の皺の表現に、時代による差異があったり、
素材による表現力の違いなども、つぶさに見て取ることができました。

とくに、鋳造製の金銅仏などは、極めて小粒なものが多くあるものの、
表現がユニークで、とても興味深かったです。
また、十二神将像も、力強く、極めて動的な造形で、
見ていて、楽しかったです。

○ 奈良国立博物館のサイトはコチラヘ ~

また、このなら仏像館には、中国の青銅器を展示した別室もあり、
こちらも、見応えのあるものとなっています。
なにしろ、これら青銅器は、時代がさらに古く、
それでいて、形状はしっかりと保たれており、
細かな彫刻などもはっきりと見ることができます。

古代中国がいかに先進的な技術を持っていたか、いまさらながら、
思い知らされる気がします。

こうして、なら仏像館を思いっきり堪能して、
ホテルへの帰路に着いたのですが、雨は小降りになったとはいえまだ降っており、
結局、またしても傘の出番となってしまいました。
今回もまた、奈良歩きの夢は絶たれてしまいました。残念です。

奈良の鹿

帰り際、奈良市内の公園を見ると、さびしく鹿が雨に濡れていました。
なんだかかわいそうな気がしました。

というわけで、ホテルまで戻ってきて、高架下駐車場に入れたMINIを見に行くと、
なんと、高架下で雨が当たらないはずなのに、雨漏りするところがあるらしく、
ちょうどMINIのところに、雨が落ちていました。
もっとも、MINIを駐車したさいには、この場所くらいしか空いておらず、
こちらに止めたのですが、どうやらここは、雨漏りポイントとして、
敬遠されていたのかもしれません。

というわけで、MINIをさっそく移動。
しかし、他にめぼしい場所も空いておらず、このあと、二回も移動することになりました。
(この場面の写真を撮っておけばよかったのですが、あいにく、
撮り忘れてしまいました)

奈良駅前

そして、いよいよ帰る日になって、朝のうちこそ雨が降っていたものの、
しだいにお天気は回復してきました。
ああ、なんということでしょう。
これも私の日頃の行いの悪さのせいでしょうか…。

この日は、とりあえず、奈良の町をふたたび散策。
カレーショップの看板を見つけたので、またしても、カレーを食べてみました。
今回は、奈良カレー三昧の旅でもあります。

カレーのランチ

こちらがそのカレーランチ。
けっこうなボリュームがありました。
お肉はとてもやわらかく、しかも、それほど激辛でもなく、
食べやすい感じでした。

その後は、奈良市の高の原というところに行き、
イオンショッピングモールで買い物をし、京都を迂回しつつ、
大津方面を経由するかたちで、帰ってきました。

帰りは晴天

なかなかのロングドライブでしたが、MINIは快調に走り抜けてくれました。
また、ドライブの最中は雨になることはなく、気持ちよく走ることができました。
本格的な酷暑のまえに、またどこかに行きたいものです。



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土砂降りの二月堂

またしても、長いあいだ、更新ができませんでしたが、
(ブログを書くのは、なんと、ほぼ1ヶ月ぶりです)
五月の大忙しもようやく一段落し、土日も仕事ということは、
いまのところは、なくなってきました。
というわけで、先週末、泊まりがけで、MINIに乗って奈良へと行ってきました。
今回の目的は、奈良国立博物館が所蔵する仏像を見学するのが、主な目的です。

なにしろ、MINIに乗るのも久しぶりです。
もっとも、これからの暑い季節には、冷房装置もなく、
また、オーバーヒートの危険がつきまとうMINIには、また乗れなくなるでしょうし、
いまのうちに、可能な限り、MINIを動かしておきたいものです。

ここ岐阜から奈良市へ向かうには、いろいろなルートがとれるのですが、
今回は、京都の街中を通るコースを選んでみました。
まず、ここ岐阜県から、国道21号線を西に走り、
天下分け目の合戦場である関ヶ原を抜けて、隣県の滋賀県へと入り、
米原から、琵琶湖湖岸に沿って伸びている『湖岸道路』を走ることにします。

湖岸道路は、琵琶湖東岸を走る国道8号線と、部分的に並行して伸びていますが、
8号線ほど混み合うこともなく、また、信号も少ないため、
比較的、走りやすい道路ではないかと思います。
なにより、場所によっては、青い湖面を横目に走ることができ、
格好のドライブコースです。

近江路をゆく

しかも、道中には道の駅なども点在しており、
また、湖岸沿いに駐車場もあるなど、休憩スポットにも恵まれています。

もっとも、そのまますんなりとドライブできるかというと、
一概にもそうとはいえず、草津のショッピングモール『イオンモール草津』が、
間近に迫ってくるあたりから、道はしだいに混んできます。
というわけで、このイオンモール草津の手前で、湖岸道路から逸れ、
今後は近江大橋を渡り、大津市へと入り、大津からは南に進路を変え、
国道1号線にスイッチします。
そのまま1号線を走って、京都の山科へと入ってみました。

京都突入

こちらが、MINIの車窓から見た京都の風景です。
できれば、この京都で、いろいろと観光していきたいところですが、
駐車場の場所がよくわからないことや、
(なにしろうちのMINIは、フラップ板が設置してある駐車場には入れませんから)
先を急ぎたいということもあり、京都観光は次回ということにして、
とりあえず、街中を走ります。

池田屋

こちらは、そのときたまたま通りかかった、池田屋です。
池田屋といえば、幕末に、
尊王攘夷にはやる志士たちを、新選組が急襲した、あの池田屋事件の池田屋です。
いまでは、居酒屋になっているんですね。
ここで、動乱の幕末期を駆け抜けた、攘夷派、佐幕派、それぞれの志士に思いを馳せ、
一献傾けたいものです。

京都を南進

それにしても、京都の道は、クルマでは走りづらいですね。
クルマの数はもちろん多いのですが、タクシーも多いですし、原付も多い。
そのうえ、路上駐車をしているクルマもことのほか多く、
みな、車線をまたがったようにして走ります。
やっぱり京都は、クルマで走るより、歩いて巡りたいものです。

というわけで、京都を通り過ぎて南進し、古都奈良を目指します。
当初、京都に入る道は渋滞するものと覚悟はしていたのですが、実際にはそれほどではなく、
逆に、渋滞を予想していなかった京都〜奈良のあいだを結ぶ国道24号線が、
あまりスムーズに走れませんでした。

ビエラ奈良

まあ、それでも、予定通りに奈良に到着し、駅前の高架下駐車場にMINIを入れました。
ながいあいだ、ドライブシャフトを原因とする異音に悩んできたMINIですが、
この部分を交換後は、トラブルもなく、快調に走り抜けてくれました。

翌日の天気予報は終日雨となっているのですが、この高架下駐車場であれば、
雨に濡れることことはないはずです。
(写真では、駐車場の端にMINIを止めていますが、
実際には、もっと中央寄りの場所に止めています)
なので、雨でも安心、などと、思っていたら、結果はそうではなかったのですが…。

三条通り

ホテルにチェックインをすませた時点でも、
まだ外は明るかったので、三条通りのあたりを散策してみました。
この通りはいつも賑わっていますし、今回も、ことのほか、
外国人観光客が多かったように思いもます。

そして翌日、いよいよ奈良の町へ徒歩で出かけます。
が、予報の通り、空はどんよりと曇っていて、まさに雨の予感がします。
まあ、梅雨時なので仕方がないところですが、とりあえず、朝のうちは、
雨に見舞われることもなく、出発できました。

興福寺

というわけで、まずは興福寺を見学。
とはいえ、こちらは以前に阿修羅像を見学に来たときに充分見て回っているので、
今回はさらりと通り過ぎてしまいました。

カレー

そのままあたりを散策しつつ、
東大寺の手前にある幡・イノウエという雑貨店兼カフェでお昼ご飯。
こちらでカレーランチをいただきました。

日替わりランチ

ヨメは日替わりランチでした。
カレーランチは、普通に食べるカレーとはちょっと違っていて、
ほのかな酸味と辛味があり、とてもおいしかったです。

が、このカフェでまったりと過ごすうちに雨が降り出し、
やがて、土砂降り状態となってきました。
こうなると、もう、なんだか外に出るのはおっくうになってしまいます。

それでもなんとか気を取り直して、外に出ると、
とりあえず、二月堂に向かってみることにしました。
(東大寺は前回に見学したので、今回はパスします)
当初の計画では、この二月堂から、春日大社まで歩くつもりでいました。

雨に濡れる石段

というわけで、どうにか二月堂到着。
なのに、やはりこの雨のせいか、人影はまばらです。
以前にこの二月堂に来た時も、土砂降りの雨で、今回もまた、
雨に祟られてしまいました。
なにしろひどい雨ですので、カメラを取り出しての撮影は、
ほんとうに一苦労です。
なので、今回は、写真も少なめとなってしまいました。
それにしても、かえすがえすも残念です。

二月堂を見上げる

まあ、雨に煙る奈良というのも、風情があっていいのですが、
実際に歩くとなると、それはもうたいへんです。

というわけで、その後も南に向かって歩いたのですが、
雨はひどくなりばかりで、もう、歩くどころの騒ぎではありません。
ジーンズもシャツもベタベタで、ヨメは履いている靴の中がビショビショだといいます。

というわけで、ここで徒歩行軍を断念。
奈良歩きができず、ほんとうにガッカリですね。
で、予定よりも早く、奈良国立博物館に向かうことにしました。
その時の模様はまた次回に、書きたいと思います。



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北信濃の決戦の地

5月の連休が過ぎた後、非常に忙しくなってしまい、毎週土日も仕事に追われ、
いまやお出かけも、まったくままならなくなってしまいました。
MINIに乗ってドライブ、などということもできず、日々、事務所に缶詰…。
こういう生活は、ちょっとストレスがたまりそうです。
3月は暇だったわけで、お仕事が平均してくれるとありがたいんですが、
なかなかそうはうまくいかないようです。

そんなわけで、今月は思うようにブログも書けず、というよりも、
なによりネタがないわけですが、一応、前回も予告しましたように、
今回も「なにをいまさら」という感じですが、GWのことについて、
あらためて振り返ってみたいと思います。
(今回の記事も、少しづつ書いては中断し、また再開して、という感じで、
本日、どうにか、アップまでこぎつけました)

今年の連休は、前半は好天に恵まれましたが、その後、変わりやすいお天気になり、
後半の二日ほどは、ふたたび青空を見ることができたかと思います。
その最後の二日間のうちの土曜に、長野県の有名な古戦場『川中島』に、
行ってきました。

私は、独身の頃から、長野市には頻繁に行っており、
また結婚したあとも、善光寺や戸隠神社などに、何度となく行ったりしています。
(もっとも、戸隠神社はここ最近行くことができていませんが)
ところが、長野市近郊の川中島には、いままで一度も行ったことがなく、
今回がはじめての来訪となりました。

というのも、HHK-BSで放送されていた、大河ドラマ『武田信玄』や、
内野聖陽サン主演の『風林火山』などを見て以後は、一度は、
この北信濃屈指の激戦地である川中島に行ってみたいと思うようになっていました。
そしてようやく、今回の連休で、念願が叶ったという次第です。

目指すは、第四時川中島合戦の舞台となった、八幡原です。
とはいっても、当初はその位置がよくわからず、
大河ドラマの劇中に登場した双方の軍勢の布陣図を、頭に思い描きつつ、
道をたどることにしました。

八幡原は、たしか、善光寺平の南東方向で、千曲川の北になっていたかと思います。
というわけで、国道19号を進み、長野市の市街地の南を、東に向けて走りました。
そうこうするうちに、茶臼山、という案内看板が出て来ました。
茶臼山といえば、武田の軍勢が最初に布陣した場所のはずです。
ということは、上杉側が布陣した妻女山も近いはずです。
ルートはどうやらこれで正しそうです。

そうこうするうちに、川中島古戦場という案内看板が見えてきました。
やはり、これで正しかったようです。
というわけで、案内看板に沿って道を右折。松代方面へと向かいます。
松代は、八幡原に布陣する前の武田勢が入った海津城がある場所でもあります。

川中島古戦場駐車場

というわけで、思いのほかすんなりと、川中島古戦場に到着。
が、GWということもあってか、あたりは賑わっており、駐車場は満杯。
今回は待っていても、なかなか空きがでません。
が、どうにかこうにか無事駐車することができました。

佐久間象山像

あたりは公園になっており、幕末、松代藩の開明的な人物として名を馳せた、
佐久間象山の像が立っていました。
それにしても、雲ひとつない晴天ですね!。

いざ、川中島へ

というわけで、さっそく、海津城を出陣した武田勢が、
上杉勢との決戦に挑むため布陣したという、八幡原社へと行ってみます。

全極最強の名を欲しいままにした武田家は、
もともとは甲斐源氏の流れをくむ名家とのことで、
信玄 (信玄は出家してからの名で、それ以前は晴信と名乗っていました) の父の、
信虎 (のぶとら) の時代に、ほぼ甲斐国を統一していたといいます。
が、信虎は暴君の一面があり、同時に、嫡男である晴信とはソリが合わなかったようです。
家臣もそんな信虎を見限っていたようで、彼ら家臣団と、晴信は、
ともに結託して、信虎を駿河に追放してしまいます。
いわば、息子が父親を追い出すクーデターを行ったわけです。

こうして、武田家の家督を簒奪するかたちで相続した晴信は、
その後、隣国である信濃に目をつけます。
まず、もともと人質を出し合って同盟を結んでいた諏訪頼重を、
諏訪氏の配下にあった高遠頼綱とともに攻略し、
のちに、その高遠頼綱をも打ち破ります。
一方で駿河の今川や小田原の北条とは同盟を結んで、
南の安定を図りつつ、信濃に対しては、奥深くまで軍勢を差し向けます。

信濃の葛尾城主である村上義清などは、頑強に武田に抵抗し、
武田側も苦戦を余儀なくされますが、やがては村上も破り、
武田は信濃を平定するに至ります。
が、北の越後へ逃れた村上は、事実上の越後国主となっていた、
長尾景虎のもとに身を寄せたことで、
武田勢と越後とのあいだで、緊張が高まることになりました。

こうして、武田晴信、長尾景虎は、
北信濃の覇権をめぐって争いを繰り広げることになりますが、
双方とも、総力戦による決戦を避けており、
そのため、にらみ合いと小競り合いのような状態が続いていました。
が、永禄四年の第四次合戦は、ついに総力決戦に至りました。

このとき、長尾景虎 (この当時は上杉政虎という名を使っていたと思います) は、
善光寺平から、千曲川の南の妻女山に布陣し、あえて退路を絶って武田勢を迎えます。
武田も、最初は茶臼山に布陣しますが、その後、重臣の高坂弾正の城である、
海津城に入り、以後、膠着状態となります。

合戦図

この状態にしびれを切らした武田勢は、
自らの軍勢をふたつに分け、一方の軍を闇夜に紛れさせて妻女山に向かわせ、
そこに立てこもる上杉勢を山から追い落とし、北の八幡原へと追い詰める策をとります。
八幡原には、武田の残りの軍勢があらかじめ布陣しており、
そこで、妻女山を追われた上杉勢を挟み撃ちにして討ち取る、
という腹づもりだったといいます。
この作戦は、山にたてこもる敵を追い出してしまうことから、
『キツツキ作戦』と呼ばれたともいいます。

ところが、武田側のこの作戦は、上杉政虎に見破られてしまい、
上杉勢は武田の別働隊が攻めてくるまえに、自ら妻女山を降りて、八幡原に布陣しました。

武田の別働隊が妻女山に登った頃には、すでに山頂の陣地はもぬけの殻。
八幡原に布陣した武田勢は、半分の手勢で、
上杉側の軍勢を引き受けなければなりませんでした。

武田側は絶体絶命になりましたが、それでも、武田は戦線を維持し、
そこに妻女山から急遽駆け下りてきた武田の別働隊が、上杉勢の背後をつくこととなりました。
上杉政虎は、八幡原より兵を引き、善光寺平へと撤退します。

というと、まるで武田が勝ったかのような印象ですが、
武田側は、上杉側を上回る犠牲を出し、また、
武田典厩信繁、山本勘助、諸角豊後守、といった、重臣を失ってしまいます。
戦さ場に踏みとどまったのは武田なので、武田が勝ったといえば、そうなるかと思いますが、
損害の多さを考えれば、勝ち戦とはいえない結果に終わりました。
いってみれば、多大な消耗戦だったのかもしれません。

川中島合戦は、いわばローカルな争い、ともいえると思いますが、
それでも、知名度は抜群で、歴史になんの興味も関心もなかった頃の私でさえ、
その名やよく知っていました。

天下に行方を決めた戦である、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、などよりも、
川中島の戦いのほうが、はるかに有名かと思います。

信玄、謙信、一騎打ちの像

そして、こちらが、あまりにも有名な、武田信玄、上杉謙信、一騎打ちの像です。
この合戦では、軍勢を率いる大将同士が直接対決したということで知られており、
(実際にそんなことが起きたのか、にわかには信じられませんが)
こうして、記念の像が設置されています。

妻女山

そして、この八幡原からは、妻女山を望むことができます。
(境内にいた観光ボランティアの方に、妻女山の場所を聞きました)
奥側の山ではなく、その手前にある少し低い山が、妻女山だとのことでした、
あの山を降りた上杉勢が、この八幡原を目指して、
車懸かりの陣で襲いかかってきたんですね。

というわけで、たっぷりと八幡原を堪能してきました。

長野市博物館

そのあとは、公園内にある長野市博物館に行ってみました。
こちらでも、川中島合戦にまつわる展示や、古代の信濃の遺跡の展示などもありました。
また、太陽系の惑星の詳細な写真や、宇宙観測機の模型の展示なども、行っていました。

美しい公園

それにしても、この場所はとてもいいところです。
お天気もよく、暑くもなく、寒くもなく、ちょうどよい気温でした。

その後は、松代の海津城に向かってみることにしました。
クルマでほんの少しの距離です。

海津城

海津城には、最終的に、武田の家臣であった真田信之が入ることとなり、
その後、名も松代城に改まりました。
真田信之は、大坂冬の陣、夏の陣で徳川に多大の打撃を与えた、あの真田幸村の兄です。
信之は、この松代で、真田は十万石の大名となり、真田家は明治まで存続したといいます。
まさに真田は、難しい時代をうまく生き残った、勝ち残ったのですが、
一方で、徳川を最後まで追い詰めるといった、後世まで残る名声も得ているわけで、
それを考えると、さすが真田、と、感慨も新たになります。

海津城碑文

こちらが海津城の本丸跡だそうです。
GWとはいえ、ここ海津城はそれほど観光客も多くなく、
のんびりした雰囲気が漂っていました。

真田邸へ

その後は、真田邸へ行ってみました。
入場料は300円(だったかな?)と、リーズナブルでした。

真田邸内部

こちらも、それほど混んでおらず、ゆっくり見て回ることができました。
真田といえば、やっぱり上田のほうが有名ですし、そちらはきっと、
大勢の見物客がいたのでは、と思います。

というわけで、川中島を堪能したGWでした。



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演奏を聴いて

気がつけば、あっという間に5月も半ばとなってしまいました。
というのも、先月の末くらいから、急に忙しくなってしまい、
(そのまえはけっこうヒマだったのですが)
ブログを書こうにも、なかなか時間が取れなくなってしまいました。
というわけで、今回もまた『なにをいまさら…』という感がありますが、
GWのことなどを、遅ればせながら、綴っていきたいと思います。

今回のGWも、いつもの年と同じように、
我が家ではカ、レンダー通りにとることになりました。
とはいえ、休みのあいだは、実家の飛騨高山に帰るくらいで、
そのほかに、どこかに泊まりに出かけるなどということもなく、
比較的、通常の土日と変わりなく過ごしたという感じです。
でも、ちょっとくらいは遠出したいということで、連休の前半は、
日帰りにはなりましたが、去年に引き続き、
滋賀県の東近江で開かれていたジャズフェスティバル『びわこジャズ東近江』に、
今年も行ってきました。

このイベントには、去年も足を運びましたが、そのときに出会ったバンドが、
ことのほかよく、今回もぜひ行って見たいと思った次第です。
行ったのは、四月の末の日曜日。
(もう、半月も前のことになってしまうんですね、時の経つのはほんとうに早いものです)
この日は抜群のお天気で、東近江市まで、気持ちよくドライブしていきました。

東近江到着

ちょうどこの日の一週間前、
ここ東近江では『ももいろクローバーZ』のコンサートイベントがあったらしく、
そのせいもあったのでしょうか、東近江に到着すると、すでに駐車場は満杯。
去年はここまで混んではいなかったと思うのですが、ちょっと、
事態を甘く見ていたかもしれません。
そんなわけで、駐車場内を、空きがでないかとグルグル回りましたが、
折しも、ちょうど出て行く車があり、なんとか無事に、駐車することができました。
(この日は、ヨメのプジョーでの出動となりました)

メイン会場

というわけで、お天気のよさもあって、気持ちも晴れ晴れとしつつ、
まずはお昼ご飯を食べに、メイン会場へと行ってみます。

焼きカレー

こちらでステージでの演奏を聴きつつ、今年も焼きカレーをいただきました。
このカレー、やっぱりおいしいです。
(ちょっと量が少ないのですが…)
ヨメはうどんをいただいていました。

こうして、腹ごしらえもすんだところで、
さっそく東近江の街に繰り出してみました。

路上ライブ

こちらはホーンセクションが重厚なバンドですが、
金管楽器パートのほとんどを、女性が担当していました。
曲はルパン三世などの誰でも知っている曲をアレンジしたもので、
多くのお客さんを集めていました。

さて、このイベントは、市内に点在する各会場で、
それぞれのバンドが、出演時間を決めて演奏するかたちになっています。
ですので、目的のバンドを定めて、会場を回らないと、時間をロスしてしまうことにもなります。
また、このバンドがよさそうだと思って会場に行っても、ジャズではなかったり、
(ジャズイベントと銘打ちながらも、ジャズではないバンドも多数参加しています)
ジャズであったとしても、演奏のテクニックがさほどではないバンドもあるため、
どこの会場へ行くかは、ちょっとした賭けのようなところがあります。

去年、とてもよかったバンドを再度聴きたいと思っても、
今回の参加者のなかに、名前がなかったりすることもあり、
そういう意味で、肩透かしを食ってしまうこともありました。

このイベントは、日曜と祭日である月曜の二日間に渡って開かれていたのですが、
どうやら、翌日である月曜のほうが、参加バンドは充実していたのではないかと、
思われます。

ピースボックス

と、いろいろありましたが、
こちらは安心して聞けるバンドである、岐阜のピースボックスさんです。
ピースボックスさんのギタリストの方は、去年もこのイベントに参加されていましたし、
以前、岐阜県の池田町というところで開かれたコンサートにも行っていますので、
私にとっては、馴染み深いバンドでもあります。
テクニック的にも申し分なく、選曲も、Softly, as in a Morning Sunriseなど、
ジャズの大定番といった曲も入っており、まさにストライクという感じですね。
今年も聞けてよかったです。

スタッフの女性たち

こちらは、東近江の駅のなかで演奏されていたバンドです。
今回から、どの会場にも、若い司会の方が配置されていて、曲の始まりや終わりに、
バンドの紹介などのアナウンスをしてくれていました。
街の高校生なのかもしれません。

その後も、時間の許す限り、各会場を巡りましたが、
去年のほうが、いいバンドに巡り会えたような気がします。

ただ、正規の会場での演奏ではなく、
歩道で集まって練習していた初老の男性によるバンドが、とてもよかったです。
ですが、プログラムを見てもこのバンドのことは書かれておらず、
もしかすると、翌日のエントリーだったのでしょうか。
立ち聞きのようなかたちで聞かせていただきましたが、もし機会があれば、
次回、じっくりと聞かせていただきたいと思いました。

ちなみに、滋賀県では、今年の秋、大津市でもジャズフェスティバルが開かれるそうなので、
できればそちらにも行ってみたいと思っています。

帰り道

というわけで、帰り道は、奥永源寺というところを回って、
三重県の桑名方面へと出る道を辿ってみました。
この日は終日にわたって晴天で、美しい夕日も見ることができました。

次回は、GW後半の過ごし方などを、少しご紹介したいと思います。



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